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「みちのくの仏像」特別展を見学する

34日は、桜が満開になる季節のような陽気でした。

思い立って上野公園へ出かける。

さすがにまだ桜の花は咲いていない。

東京国立博物館では「みちのくの仏像」特別展が開催中。

114日に始まり、45日まで開かれている。

東北6県を代表する仏像が集結、

26点ほどの仏像が出展されている。

平泉中尊寺の仏像群は含まれていない。






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東北地方にも多くの魅力的な仏像が祀られているが、

中尊寺を別にして、なかなか訪れる機会がない。

東北で仏像が本格的につくられるようになったのは

平安時代に入ってから。

この地では仏教が土地の神を取り入れながら広がった。

土地の神は、豊穣をもたらす一方、

時に容赦のない現実を突きつける存在、

厳しい自然環境の中で暮らす人々は、

仏像に土地の神の姿を重ね、生活の安寧を祈り、

仏像を大切に守ってきた。

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宮城・双林寺の薬師如来立像。

像高は119.4センチ、平安時代、9世紀の木像。

重要文化財。

ケヤキ材から彫り出されている。






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福島会津・勝常寺の薬師如来坐像および両脇侍立像。

薬師如来の像高は141.8センチ、

日光菩薩の像高は169.4センチ、

月光菩薩の像高は173.9センチ、平安時代、9世紀の作。

薬師三尊ともに、平成8年に指定された、

彫刻分野では東北初の国宝。

東京では、平成12年の「日本国宝展」以来の公開。

薬師如来像の前に立つと、その全身に

あふれるような力を感じる。

太づくりの体からは圧倒的なボリューム感、

落ち着きのある堂々とした風格を誇っている。

脇侍の日光・月光菩薩立像は、

優美に腰をひねって立つ姿。

いずれも、ケヤキの一木造りである。







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岩手・黒石寺(こくせきじ)の薬師如来坐像。

重要文化財に指定されている。

像高は126.0センチ、平安時代、貞観4年(862)の作。

大変厳しく、威厳のある表情と姿。

カツラ材の一木造り。

制作年が明確で、日本の彫刻史上大変重要な作品。

同時に展示されている両脇侍像は時代が新しく、

12世紀の作とされている。


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岩手・成島毘沙門堂の伝吉祥天立像。

像高は176.0センチ、平安時代、9世紀の作。

大変美しい像で、瞑想しているような眼からは

静けさが伝わってくる。

ケヤキの一木造りだが、木目が非常にきれいだ。

自然の美がそのまま表れている。

頭上には2頭の像が彫られている。





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岩手・毛越寺の訶梨帝母(かりていも)坐像。

像高は34.0センチ、平安時代、12世紀の作。

訶梨帝母は、一般には鬼子母神と呼ばれる。

この仏は女性で、左手に子供を抱き、

子供の顔は丸く、小さな右手を握っている。




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山形寒河江・本山慈恩寺の十二神将立像。

重要文化財であり、今回は四躯の像が出展されている。

丑神の像高が88.7センチ、

寅神の像高が88.5センチ、

卯神が91.8センチ、酉神が93.4センチ、

鎌倉時代、13世紀の作品である。

薬師堂内に、本尊の薬師如来とともに祀られる。



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宮城・給分浜観音堂の十一面観音菩薩立像。

重要文化財。

像高は2895センチと、本展示会で最も高い像。

鎌倉時代、14世紀の作。

鎌倉時代後期の仏像の特徴がよく表れている。

卵形の顔に、やや大きい目、鼻、口が表わされ、

髪筋や飾りは細かく彫られている。

3メートル近い巨像だが、一本のカヤで造られている。

4年前の東日本大震災の折、牡蠣の養殖で知られる給分浜にも

大津波が押し寄せたが、

観音堂は高台にあり、この像は難を逃れた。



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円空仏が3躯、出展されている。

青森・西福寺の地蔵菩薩立像。

像高は145.0センチ、総高は175.0センチ、

江戸時代、17世紀の作。

奥行は15センチしかなく、背面は彫刻されず、平らなまま。

横から覗くとそれとわかる。

西福寺には、ほぼ同じ大きさの十一面観音菩薩立像も祀られている。

板に浮彫りのように彫ったとみられ、細かなところも彫刻。


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青森・常楽寺の釈迦如来立像。

像高は125.9センチ、総高は145.9センチ、

江戸時代、17世紀の作。

円空作品としては、例のないほど写実的と言われる像。



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秋田・龍泉寺の十一面観音菩薩立像。

像高は161.0センチ、総高は191.5センチ、

江戸時代、17世紀の作。

厚さ15センチ程に加工されたスギの板に彫刻。

木の性質を残そうとする意図がうかがえる。

細い目や笑ったような口は、生涯を通じて

彫られた円空仏に共通した特徴である。


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東日本大震災から早や4年、仏像を通して東北の魅力に触れ、
復興の一助になればと、この特別展が開催される。
本展による収益の一部は、被災した東北の文化財の
復興に充てられる。

なお仏像の写真は、目録からスキャンさせていただいた。


# by toshi-watanabe | 2015-03-05 15:44 | 寺院・仏像 | Comments(2)

山本 兼一著「夢をまことに」を読み終える

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山本兼一の著書「夢をまことに」を読み終える。
読むうちに引き込まれてしまう感動の山本作品である。
2月13日に一周忌を迎えられたばかりの著者。
この作品は京都新聞に2012年7月から 2013年6月まで連載され、
この度単行本として文芸春秋から刊行されたばかり。

主人公は江戸時代末期、近江国友村(現在は長浜市国友町)の
国友一貫斉、九代目国友藤兵衛(1778~1840)である。
本書の帯には「ものづくりに命を懸けた日本のダ・ヴィンチ、
情熱の生涯」と書かれているが、鉄砲鍛冶(本書では鉄炮鍛冶) で
ありながら、様々な役に立つ道具を発明、考案した男の
「夢をまことに」するための奮闘記である。

鉄炮を完成させるためには、様々な技術が求められる。
鉄の吟味に始まり、筒の張り立て方やねじの切り方、
引き金をひいて火挟みを落とす真鍮の機関部(カラクリ)の 仕組み、
さらには火薬の調合など。 鉄炮鍛冶は、玉の大きさを聞いて
注文を受けると、 鉄の板で筒を張り立てる。

一貫斉は前代の父親から技術を学び、
鉄炮鍛冶としての 腕をめきめき上達、
何よりもものづくりが好きである。
和泉国の岩橋善兵衛の書いた「平天儀図解」には 一貫斉、
大いに触発される。 大宇宙の構造が理路整然と説明され、
天地のことには、すべて道理があると納得する。
役に立つ道具を数々考案したりするうちに、
阿蘭陀風炮を目にすると、現物を見て図面を書き、
仕組みを考えながら、さらに優れた風炮を仕上げてしまう。
今でいう空気銃である。

さらに関心を持ったのが、オランダ製のテレスコッフ。
藩主の所で、現物を見て、これを書き写し、
素材や仕組みの見極めを自分で考えだす。
この完成には15年という長い期間が必要だった。
今でいう反射望遠鏡である。 出来上がると、
藩主に納めるとともに、 自らも月や太陽を観察し、
太陽の黒点には 強い関心を抱く。
因みに、この反射望遠鏡、1台は上田市立博物館に、
もう一台は彦根城博物館に展示されている。
天保の飢饉の折には、テレスコッフを売却し、
その資金で国友村の農民たちを救済する。

一貫斉は空を飛ぶ船、月に向かって飛ばす筒、
海中に潜れる船などを夢見る。
必ずできるはずと考え、ほかの人達にも語っていたが、
残念ながら実現することはなく生涯を終える。
江戸時代末期に、既に飛行船、ロケット、潜水艦を
イメージしていたのだから、すごい人物である。

作者は技術的なことも含め、実によく調べている。
一貫斉という一人の人物を実に見事に描き切っている。
評論家の縄田一男さんも、「鉄炮鍛冶に託す職人賛歌」と 題して、
珠玉の出来栄えと最高の評価を与えている。



# by toshi-watanabe | 2015-03-05 09:28 | 読書ノート | Comments(0)

「円空・木喰展」を見学する

2月27日、横浜の「そごう美術館」にて開催中の
「円空・木喰展」を見学する。
円空と木喰の木彫像が同時に見られるのは首都圏では初めて。
7年ぐらい前だろうか、木喰生誕290周年記念の
特別展を見学しているが、どこであったかは失念。
今回の展示会、2月7日に始まり、3月22日まで。

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円空(えんくう)(1632-1695)と
木喰(もくじき)(1718-1810)、それぞれの木彫像を
全国各地から集め、約250点の神像、仏像を出展、
その他に、円空の描いた富士図とか
木喰の國々御宿帳、版木、歌集「心願」なども見られる。

円空は美濃国(岐阜県)に生まれ、32歳の時に造像を始めた。
以来30年余りの間に尾張、飛騨、美濃を中心に
関東、東北、北海道まで足を運び、
鑿(のみ)や鉈(なた)の跡が荒々しく残る、
力強い像を数多く遺した。
仏像の体躯のとらえ方などは和様の伝統に
基本的には従っている一面があるものの、
機知に富んだ斬新な感覚を発揮している。
生涯で12万体を彫るという誓願を立て、
現在も5400体余りの像が確認されている。
現存する木彫像は愛知と岐阜の2県に圧倒的に多い。
新たに発見された木像、初公開の像も出展されている。

出展作の一部で、不動明王(岐阜県関市 個人蔵)
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普賢菩薩(岐阜県岐阜市 円空美術館蔵)
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宇賀神(愛知県岡崎市 個人蔵)
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観音三十三応現身のうち『木端仏』(愛知県名古屋市 荒子観音寺蔵)
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護法神(三重県志摩市少林寺蔵)
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円空の入滅から23年後、甲斐國(山梨県)に生まれた木喰は、
22歳で出家し、56歳の時に諸国行脚の旅に出た。
北海道から九州まで広く巡り、61歳になって神仏像を彫り始めた。
80歳で1000体、90歳で2000体の造像を発願し、
柔らかく丸みを帯びた像を各地に遺した。
木喰は几帳面な性格だったと見えて、
像の裏側に製作年月日がきちんと墨書されている。
記録も残している。
720体が現存している。
因みに木喰の仏像を見出し評価したのは、
近代民芸運動を提唱した思想家、柳宗悦である。

出展作の一部から、十二神将(新潟県柏崎市 西光寺蔵)
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地蔵菩薩と観音菩薩(山梨県韮崎市 個人蔵)
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子安観音菩薩(山口県防府市 極楽寺蔵)

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子安観音菩薩《立木仏》(愛媛県四国中央市 光明寺蔵)

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聖徳太子(静岡県藤枝市 光泰寺蔵)
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不動明王(静岡県焼津市 大日堂、焼津市民俗資料館寄託)
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薬師如来(静岡県藤枝市 梅林院蔵)
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自身像と地蔵菩薩(東京都目黒区 日本民芸館蔵)
現存する木喰の自身像は十五体あり。
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薬師如来(愛知県津島市 成信坊蔵)
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薬師如来(京都府京都市 個人蔵)
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三十三所観音菩薩のうち、三面馬頭観音菩薩、如意輪観音菩薩、
千手観音菩薩、(新潟県長岡市 寶生寺蔵)
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如意輪観音菩薩(新潟県南魚沼市 大月観音堂蔵)
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白衣観音菩薩(新潟県長岡市 個人蔵)
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自身像(兵庫県川辺郡猪名川町 東光寺蔵)
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上記の写真は、パンフレットおよび参考書よりスキャンして使用しました。
二人の活躍した時代はずれているが、
二人がともに木像を彫ったことのある寺があると聞く。




# by toshi-watanabe | 2015-03-01 10:52 | 寺院・仏像 | Comments(0)

今年に期待する漢字

最近、日本経済新聞と日経BP社が共同でアンケート調査。
「2015年の日本経済に期待すること」として、
あなたの気持ちを「漢字一文字」で表してくださいと質問。
10万人以上の方から回答が届き、
漢字の数は500種類以上に上る。

アンケート結果は次の通り。

 1位:  昇 (全体の役10%)
 2位:  活
 3位:  躍
 4位:  翔
 5位:  明

 6位:  進
 7位:  伸
 8位:  真
 9位:  安
10位:  実

「前途洋洋の日本経済を期待する漢字」に対しては、
1位から7位までは上記と全く同じで、
そのあとに、 上、 希、 望、  と続く。

「法令順守あっての経済を期待する役員、60代の漢字」は、
真、 正、 信、 誠、 和、 と続く。

「経済効果の直接的な恩恵を期待する若い女性の漢字」は、
安、 実、 豊、 楽、 潤、 と続く。

「変わらなきゃ意識をけん引する若手中間管理職の漢字」は、
新、 改、 変、 と続く。

皆さんは果たしてどんな漢字を選びますか?

# by toshi-watanabe | 2015-02-28 10:32 | 一般 | Comments(0)

澤田 瞳子著「満つる月の如し ~仏師・定朝~」を読む

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澤田瞳子の著書「満つる月の如し ~仏師・定朝~」を読み終える。
澤田さんの作品を読むのは初めてである。
京都生まれで同志社大学のご出身、奈良仏教史がご専門。
2011年に最初の小説「弧鷹の天」を発表以来、著作を続けられている。
本書は2012年3月に単行本して出版され、
「本屋が選ぶ時代小説大賞2012」と
「第32回新田次郎文学賞」を受賞。

著書名のサブタイトルにもある通り、
平安時代後期の大仏師、法橋定朝(じょうちょう)が主人公というか、
主要登場人物である。
平安時代、七條仏所の棟梁として藤原道長や多くの公卿たちに重用され、
当時随一の大仏師と言われた康尚(こうじょう)の息子である。
若いころから仏像彫刻の優れた才が認められ、
やがて仏師として初の法橋を名乗ることが認められ、
康尚を継いで、仏所の棟梁となる。

ところがこの小説は、単なる仏師の物語ではない。
藤原氏と帝との姻戚関係に絡む数多くの人物が登場、
系図を見ながら読み進まないと混乱してしまう。

藤原道長を中心とした藤原氏が権勢を誇る時代だが、
都の治安は悪化の一途、放火、強奪、人さらいといった
物騒な騒動が日常茶飯事。
政と民の暮らしの乖離は甚だしく、それに伴う
人心の荒廃のすさまじさは、凶悪そのもの。
些細な言い争いから起きる乱闘、強奪騒ぎ、
さらに数年おきに都を襲う疫病や旱魃、賀茂川の氾濫など
天地異変も、人々の不安に拍車をかける、
そんな時代背景があった。

上述した通り、藤原氏一族が権勢を誇る平安時代、
内供奉(ないぐぶ)に任じられた僧侶隆範(りゅうはん)は、
才気溢れた年若き仏師定朝)の修繕した
仏像に深く感動し、その後見人となる。
しかし、貧困、疫病に苦しむ人々の前で、己の彫った仏像に
どんな意味があるのか、定朝は煩悶していた。
やがて二人は権謀術数の渦中に飲み込まれてしまう。

著者は膨大な登場人物を自在に操って、
定朝が生きた時代を立体的に描いて行く。
仲でも強烈な印象を与えるのは敦明(あつあきら)親王。
道長によって皇太子の座を追われ、
多くの所領はあるものの、即位の可能性はなく、
いわば飼い殺しの身。
鬱憤を晴らすように暴虐の限りを尽くす。
その敦明親王が幼馴染で従妹にあたる中務(なかつかさ)と
対峙するシーンは圧巻である。

隆範は都を追われ、やがて黄泉の国へ旅立つ。
時代が移り、物語も終盤に。
藤原頼通は極楽往生を祈願して個人所有の
宇治殿を平等院と号し、そこに阿弥陀を
配することを発案、その制作を定朝が引き受ける。
現在の宇治平等院である。
鳳凰堂の本尊として祀られている、
法橋定朝の手になる木造阿弥陀如来坐像は国宝に指定され、
定朝が彫った仏像として確認された唯一現存するもの。
因みに昨年の春、拝観してきたばかりである。

定朝の父親、康尚を支えていた筆頭仏師の一人、
㔟忍(せいにん)の一人息子、覚助(かくじょ)は
独身を通した定朝の養子となり、定朝を継ぐことになる。
定朝は仏像の寄木造を完成させた大仏師であり、
定朝亡き後も定朝様が仏像彫刻の基本として続く。
その後、この仏師集団から三つの派が登場する。
院派、慶派、円派であり、江戸時代まで続く。
鎌倉時代には慶派から運慶などの優れた仏師が活躍する。

定朝の阿弥陀仏にすっかり魅了された公家たちは、
「満つる月の如し」と称えたという。
これが本書の題名となっている。

# by toshi-watanabe | 2015-02-28 10:29 | 読書ノート | Comments(0)

日々見たこと、 感じたこと、気づいたことをメモする


by toshi-watanabe