9月19日は「糸瓜忌」

一昨日の9月19日は「糸瓜忌」、正岡子規の命日でした。

子規が34歳の若さで亡くなって、はや116年が経つ。
松山出身の若き俳人、神野紗希さんが興味深い短文を書かれていたので、
ご紹介したい。

 「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」、

誰でも知っている、俳句のお手本となる名句である。
ところが、子規がこの句を詠む2か月ほど前に、夏目漱石がこんな句を詠んでいる。

 「鐘つけば 銀杏散るなり 建長寺」

鎌倉の建長寺だ。
鐘をついたら、銀杏の葉がはらはらと散る。
如何にも秋の風情である。上記の句どちらも、時は明治28年の秋の作だ。

大学時代からの親友だった二人にとって特別な交差点。
その年の春、漱石は中学の英語教師として松山に赴任。
一方、子規は日清戦争の従軍記者として満州へ渡るものの、
持病の結核で大喀血、神戸の病院で一命をとりとめ、
故郷の松山に療養帰省した。
退屈していた漱石は、子規を下宿へ呼び寄せ、
1階に子規、2階に漱石の共同生活が始まった。

やがて10月、体調が落ち着いた子規は東京の自宅へ帰る決意をする。
その途次に奈良へ寄りたいと、漱石に旅費の工面をしてもらう。
奈良の旅で子規が詠んだのが、「柿くへば」の句である。
句の形も金も漱石に借りた、ちゃっかり者の子規と言えるが、
漱石へのお礼の句なのかもしれない。
子規の一世一代の名句は、漱石のアシストで生まれたと言える。

神野さんは、一句こう詠まれている。

 「子規ごろり 漱石あぐら 柿たわわ」

神野さんの母校は、子規が学び、漱石が赴任した学校だそうで、
校内には子規の句碑がある。

 「行く我に とどまる汝(なれ)に 秋二つ」

我とは子規自身、汝とは漱石のことで、
子規が松山の愚陀仏庵を去り帰京する際、漱石に送った句である。
大変興味深い内容なのでご紹介した。
残念ながら、俳句を鑑賞するのは好きだが、自分自身では句作はできない。







# by toshi-watanabe | 2018-09-21 09:01 | 季節

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葉室麟さんの著書「蝶のゆくへ」を読み終える。

葉室さん、昨年末亡くなられているが、新刊が出版されている。

集英社発行、1,700円+税。

珍しくこの作品は、武士ではなく女性が主人公。

新宿中村屋といえば、皆さんよくご存じで、
何度か食事をされておられるのでは。

私も中学の同期会をこの店で開催したことがあり、
個人的に何度か新宿中村屋で食事をしている。

新宿中村屋の創業者、相馬黒光が主人公である。

第1章は「アンビシャスガール」。

著書の出だしをそのまま紹介すると、

 明治28年(1895)春―― 黒アゲハ蝶が飛んでいる。

 18歳の星りょうは、ゆらゆらと飛んでいく黒アゲハ蝶を見上げながら、

 この蝶は幸運の印なのだろうか、それとも死者の霊魂か
 化身しているのだろうかと考えた。

星りょうとは、旧仙台藩士の娘で、後の相馬黒光である。

仙台神学校の教会で開かれていた日曜学校に通うりょうは、

神学生から「アンビシャスガール」と呼ばれ、可愛がられる。

学問好きのりょうは仙台の宮城女学校へ入るものの、

友達が東京の明治女学校へ転校するのを追って、仙台を離れる。

最初は横浜のフェリス和英女学校に入るものの満足せず、

明治女学校に移る、明治28年(1895)のことである。

当時の明治女学校の校長は2代目で、巌本善治。

巌本夫妻には、りょうは何かと世話になる。

宮城女学校時代の友達で先に明治女学校入りしていた

斎藤冬子は20代の若き講師、北村透谷と恋仲になる。

ところが冬子は重い肺病を患い病床に就き、りょうは見舞いに訪れる。

冬子の療養中に透谷は25歳の若さで自殺する。

透谷には「蝶のゆくへ」という一遍の詩があり、

りょうは巌本からこの詩を教えてもらう。


第2章は「煉獄の恋」。

りょうが明治女学校で学ぶ英語の講師は、まだ23歳の島崎春樹(藤村)。

北村透谷とは銀座の泰明小学校の同窓生。

妻のいる透谷が芝公園で自殺したと知り、

藤村は透谷の家を訪れ、透谷の骸と対面する。

恋愛結婚していた妻を目の前に藤村には透谷の死が信じられない。

透谷の死後、書き散らされていた原稿をまとめて

「透谷全集」を作ったのは藤村である。

藤村は、授業に出ていた一人の女子学生に心を奪われる。

岩手県花巻生まれの佐藤輔子という。

りょうの学友であり、生徒の間でも噂になる。

ある女子学生が輔子からの文だと言って藤村に渡し、

藤村はいそいそと輔子と思われる女性の待つ家に出かけ、

一夜を共にするのだが、相手が輔子だったのかどうか、

藤村は後々までわからぬまま。

藤村は思い切って、りょうに頼んで、真相を確かめてもらう。

輔子への思いを「初恋」という名高い詩を後に書いている。

「まだあげ初めし前髪の

 林檎のもとに見えしとき

 前にさしたる花櫛の

 花ある君と思ひけり

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。」


3章は「かの花いまは」。

りょうの従妹、佐々城信子と当時新聞記者だった

国木田独歩との恋物語。

結婚はするものの、すぐ離婚する。

信子は色々な変遷を経て同年齢の有島武郎と知り合う。

信子をモデルに、独歩は「鎌倉夫人」を書き、有島武郎は「或る女」を書く。


4章は「オフェリアの歌」。

井戸に身投げをした女性が星りょうであるかのように

新聞に載り、慌ててりょうは米国人講師のクララに相談する。

クララは勝海舟に話せば助けてくれるのではという。

当時海舟は73歳、伯爵となり枢密顧問官を務めている。

実はクララは勝海舟の三男、梅太郎と結婚し、

勝家の屋敷に住んでいる。

クララの住まいに行くと、模写の絵だが「オフェリア」の額。

シェークスピアの「ハムレット」に登場するオフェリアが

入水自殺をする場面だ。

絵画「オフェリア」はジョン・エヴァレット・ミレイの作品と思われる。

5章は「われにたためる翼あり」。

明治女学校が大火に遭い、校舎が使えなくなる。

そんな折にりょうは樋口一葉を知る。

一葉と斎藤緑雨との織り成す話が続く。


6章は「恋に朽ちなん」。

信州穂高の山村で養蚕業を営む相馬愛蔵のもとへ

星りょうは嫁入りするものの、単調な田舎生活に物足りず、

愛蔵を説得して再び東京に向かう。

本郷のパン店を居抜きで買い求める。 従業員もそのまま引き受ける。

暫くして新宿に店を移し、これが現在の新宿中村屋の始まり。

岩本善治から「黒光」というペンネームをもらう。

りょうは「相馬黒光」を名乗る。

新宿中村屋では、美術家や文学者が集まる場として、

「絵画・文学サロン」が自然と発生。

美術家や作家などが出入りするようになる。

ニコライ堂で山田郁子という女性と巡り合う

郁子は年下のロシア人留学生、ニコライ・アンドレーエフと恋に落ちる。

郁子は瀬沼夏葉とも言い、夫と5人の子供を残して、

ニコライとともにロシアへ向かう。


最終章の「愛のごとく」。

荻原守衛という青年を黒光は支援する。

守衛はパリに渡り、ロダンの下で修業する。

のちに黒光をモデルにした女性の裸像を彫る。

新宿中村屋では、インド人の独立運動家、ラス・ビハリ・ボースを匿い、面倒を看る。

ボースの提案により、インドカリーを店で出すようになり、

すっかり中村屋の名物料理、現在も続いている。

ボースは黒光の娘、俊子と結婚する。

相馬黒光は夫の愛蔵が亡くなった翌年の

昭和30年に78歳の生涯を全うした。


実在の人物、特に文学の人たちが登場し、興味をそそられる。
明治に入り、自己主張し、己の思うままに生きようとする、
新しい女性たちの姿が生き生きと描かれている。
新しい時代の流れに見事乗って、活躍の場を求め、恵まれた
星りょう(相馬黒光)の生きざまは素晴らしい。

大いに推薦したい作品である。






# by toshi-watanabe | 2018-09-15 10:58 | 読書ノート | Comments(0)

終活の一歩か?

終活の一歩となるのだろうか、改葬を行った。
最近、墓所に埋葬されていた骨壺を取り出し墓仕舞いを行った。

千葉県松戸市の八柱霊園まで横浜から出かけるのが
段々と難しくなり、自分自身のこともあるので、
改葬を決断し、新たに東京赤坂に墓所を求めた。
先月末、八柱霊園の墓所を墓仕舞い、
両親を含め4人の遺骨を取り出した。
墓石を取り除き、更地にし、霊園に返却した。
亡き父親が生前に建てたお墓だが、致し方なし。

8月23日、赤坂の寺院本堂にて、納骨と、追善供養の法要を営んだ。
3人の遺影の額縁と、4人の位牌を持参。
生花とお供物を供え、若いお坊さんの読経でしめやかに。
久し振りに、「三帰禮文」、「開經文」
そして「般若心經」を唱和させていただいた。

残念ながら、高齢で体調不良などでほとんどの身内の者が参列できず、
参列したのは、我々夫婦と一番下の妹家族3人と少々寂しかったが、
恙なく改葬が終えられて一安心だ。




# by toshi-watanabe | 2018-09-08 14:56 | 一般 | Comments(0)

群馬の里山も秋を迎える



8月末から9月初めにかけて、群馬倉渕へ出かける。
日中はまだ日差しが強いものの、
朝夕はめっきり涼しくなる。
寒くて夜中に目が覚めることも。
前回7月に来た時には、蒸し暑くて寝苦しかったのとは
雲泥の差だ。

雑草も木の枝も伸び放題。
裏側の他所の土地の境際に植えられていた
問題の樹木は地元のシルバー人材センターに依頼し、
もうすっかり根元から切られて、明るくなった。
屋根瓦の上に伸びていた枝もなくなり、
心配の種が一つなくなった。
切り取った木の幹は短くカットしてもらい、
薪ストーブ用の薪となる。

朝顔が色鮮やかに咲いている。

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昼顔。

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高砂百合が増えて満開である。

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花虎の尾。

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葛の蔓が猛烈にはびこっている。
葛の花。

   
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コスモス、まだこれからだ。

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キバナコスモスは今が満開。


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ツリガネニンジン。

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ナンバンギセル。

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吾亦紅。

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茗荷。

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タマアジサイ。

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花魁草


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青色藤袴。

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ボタンヅル。

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紫式部。
場所によって、まだ花のところ実になっているところと。

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屁糞鬘とゲンノショウコ。

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秋海棠が咲き始め。

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ヌルデ(漆)の花。

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郎花と月見草。

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クレマチス。


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山査子、椿、朱火、万両、桃、柿、栗、花水木、吊り花などの実。


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雑草取りと樹木の枝伐採で忙しい1週間だった。









# by toshi-watanabe | 2018-09-06 15:15 | 草花 | Comments(2)

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25回松本清張賞を受賞された川越宗一さんの著書

「天地に燦(さん)たり」を読み終える。

文芸春秋より出版、1,500円+税。

選考委員絶賛の松本清張賞受賞作品。

京極夏彦さんは「戦を描く作品の主軸に、

義でも忠でもなく、礼を選んだセンスに敬服する。」

三浦しおんさんは「激しく心揺さぶられた。」と。

松本清張賞と言えば、山本兼一、葉室麟、青山文平などの

歴史時代小説作家を輩出させている。


時は豊臣秀吉の朝鮮出兵により侵略の風が吹き荒れる戦国時代。

場面は朝鮮国を主に、琉球国にも広がる。

九州薩摩藩、島津家の重臣で、樺山家より大野家に婿養子に入った

大野七郎久高は薩摩軍と共に朝鮮国に出兵する。

同時進行で、朝鮮国では釜山の靴職人、明鍾が登場する。

彼は当時の朝鮮国の被差別民である「白丁」の身分に属していたが、

酒好きの「道学」先生から儒学を学び、やがて目覚める。

元々姓を持たなかったのだが、身分を隠して洪明鍾と名乗り仕官する。

また真市という人物も登場するが、琉球国の官人である。

「唐栄」という集団に属し商売をしながら、

大明国や朝鮮国、そして薩摩などの情勢を探る密偵の任に携わる。

史実を詳細に調べられた作者が、倭人、朝鮮人、琉球人

それぞれが秀吉の朝鮮出兵にどう思い、どう向き合ってきたか、

見事に描き切っている。


秀吉が亡くなり、朝鮮国より倭軍は撤兵に向かう最後の戦いとなる。

久高の軍に捕らえられた朝鮮人の中に明鍾がいるのだが、

偶々久高の近くにいた真市に救われて、琉球へ渡る。

大明国からの冊封使一行が琉球を離れ帰国の途に就き、

大明国と琉球国との文引を巡る交渉が始まる。

その一方で、薩摩の島津軍が琉球国へ向かう。

軍勢の総大将が樺山権左衛門尉久高である。

琉球での戦いを終え、首里城へ向かう久高、

「中山」の扁額が掲げられた門を潜ると、さらに先に赤い門があり、

そこには、琉球人の真市と朝鮮人の洪明鍾がいる。

久高は一人だけで足早にその二人に近づく。

門の扁額には「守礼之邦」と大書されている。

洪明鍾は久高に言う。

「なあ、礼を知らぬ樺山よ」

「礼を説く大明国を目指し、礼を尊ぶ朝鮮国を攻め、

礼を守る琉球国を獲る。

この後、倭は、どこへ行くんだ」

久高は「眠るさ」と実感のまま答えた。

二人の会話は続き、ふと、遠い未来を久高は思う。

この扁額は、ずっとここにあり続ける。

もし焼かれても砕かれても、また掲げられ、

訪う者を出迎え、この島が「守礼之邦」だと示し続ける。

きっとそうだと思った。

そうでないならそうあってほしいと心から願った。

「そうか」久高は気付いた。

「俺も、生きるのだな。これからも、この天地で」。

生を説くと言った洪明鍾が頷き、生き続けると言った真市が笑う。

この物語の終幕、そのまま原文を引用させていただいた.

新たな視点で書かれた朝鮮出兵、薩摩と琉球との関係、

朝鮮国や琉球国の人たちの思いなど大変興味深く読めた。

お薦めの一冊であるし、デビューされた川越宗一さん、

歴史時代小説の分野にデビューを果たされ、今後大いに期待したい。





# by toshi-watanabe | 2018-09-04 08:58 | 読書ノート | Comments(0)

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朝井まかてさんの最新作「悪玉伝」を読み終える。

読者をぐいぐい引き込んで行く傑作だ。

角川書店発行、1,600円+税。

大阪商人のド根性が見事に描かれている。

主人公は、木津屋吉兵衛、この物語の始まる頃は36歳の男盛り。

薪問屋の辰巳屋に生まれ、辰巳屋当主の久左衛門は実兄。

父親の実家の木津屋に跡取りが居らず、

次男の吉兵衛が木津屋に養子入りし店を継いでいる。

切れ長の目元に高い鼻梁を持つ吉兵衛は学問と風雅を好み、

家業はそっちのけで道楽と放蕩の日々を過ごしていた。

「文雅堂」を起こし、若者20人ばかりが学ぶ面倒を看たり。

道頓堀の芝居茶屋「升屋」に顔を出し、升屋の主、三郎太や

中ノ島指折りの両替商、太和屋惣右衛門などとも遊び仲間。

先妻に病で先立たれ、16歳のお瑠璃を後妻に迎えたばかり。

先妻との一人息子、17歳の綱次郎は修行中。

突然50歳を前にして実兄の久左衛門が倒れて亡くなる。

18歳の一人娘、伊波の婿にと、泉州佐野浦の廻船問屋、唐金屋の

息子、乙之助を迎え入れているのだが、まだ見習い中、

二人の婚儀に至っていない。

ところが、久左衛門の葬儀を前に、伊波に何も言わず、

ただ書置きを残して、乙之介は実家に帰ってしまう。

吉兵衛は後見人として、辰巳屋に乗り込む。

辰巳屋内で実権を握っていた大番頭の与兵衛たちを首にし、

乙之介との縁を切り、辰巳屋の経営を手掛けるのだが、

これからが事件の発端。

乙之助が辰巳屋の相続について奉行所へ訴え出る。

大阪東町奉行所、稲垣淡路守の用人である馬場源四郎は

文人仲間でもあり、乙之介の訴状は却下される。

安堵したのも束の間、乙之助は江戸表に出て訴えを起こす。

泉州の唐金屋は手広く商売をしており、

岸和田藩の財政を支えているとさえ言われている。

当主であり乙之助の父親、与茂作は吉兵衛を落とし込めようと、

あらゆる手立てをとることに。

大岡忠相越前守や8代将軍、徳川吉宗まで巻き込む大事となる。

吉兵衛は捕らえられ、江戸へ護送され、伝馬町の牢に入れられる。

牢内での長い苦難の生活、己の筋を通し、

何とか乗り切るものの、全てを失ってしまう。

本のカバーに牡丹の花が描かれているが、

吉兵衛の幼い後妻、お瑠璃が何よりも鉢植えの牡丹を愛していた。

小説の題名「悪玉伝」とあるが、決して悪玉という印象はない。

終わりの部分に、「悪玉」という言葉が出てくる。

「兄さん。、

 胸の中で呼びかけた。

 さすがは兄さんや。 きっちり見通してはったんやな。

 わしこそが、亡家の悪玉やった。

 欲を転がして転がして、周りの欲もどんどん巻き込んで、

 江戸にまで転がったわ。

 けど、わしはこの通り、この世に生き残った。

 しかも船出するのや。 惨めな、見っともない船出やけど、

 その船にはこの弁財天が乗る。」

 (弁財天とは、お瑠璃のことをさす)






# by toshi-watanabe | 2018-08-15 15:05 | 読書ノート | Comments(0)

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12日夜9時から、NHKのスペシャル番組「”駅の子”の闘い 
〜語り始めた戦争孤児〜」を観て、終戦直後を思い出す。

 番組の案内  →   http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20180812

3年間にわたって、NHKのスタッフが調査して番組にまとめたもの。

私が疎開先から東京に戻ったのは、終戦の翌年、
昭和21年の春、桜の咲く頃、当時9歳だった。
東京の下町は焼け野原、駅前には闇市が。
上野駅に行くと、自分と同じ年頃やもっと小さな子供たちが、
暗い駅地下道にたむろしていたのが、今でも目に焼き付いている。
親を失い家を失い、路頭に迷う戦争孤児たちだった。

番組を見ると、誰も子供たちに手を差し伸べる人はおらず、
当時大人も自分が生きるのに精いっぱいで戦争孤児にまで
目を向けられなかったのだろうが、
まるで野良犬を追い払うような態度をとる人が多かったとは。
その後ぐれてしまい、悪の世界に入り、
殺人を犯して死刑になった孤児もいるとか。

空襲を逃れ、家族も無事で、戦前の住まいに戻ることはできなかったが、
戦後新しい住まいに家族ともに住む事が出来たのは、幸運だ。

戦後住んだところは、戦時中軍の施設があったところ。
マッチ箱のような営団住宅だったが、すぐ近くに建ったのが、
イタリアのサレジアン・シスターズ系のミッションスクール「星美学園」。
幼稚園、小学校からスタートしたが、現在では短期大学まである。
学園が始まったのが昭和22年、
この学園でも戦争孤児を受け入れていて、
次第に地元に馴染んでいった。




# by toshi-watanabe | 2018-08-14 15:07 | 一般 | Comments(0)

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過日、近所のSさんと会食をした際、
以前スペイン語を勉強していたと話をしたら、
古いスペイン映画のDVDがあるからと、親切に貸してくれた。
そのままにしておいたのだが、先日このDVDの映画を鑑賞した。


映画は1955年制作の「汚れなき悪戯」だ。
ご覧になられた方も結構おられると思うが、懐かしのモノクロ映画である。
日本語の字幕付きだが、スペイン語の単語が耳に入ってくる。
スペイン語の原名は「Marcelino Pan y Vino」。
修道院の前において行かれた赤ちゃん、
面倒を看てくれる村人も見つからず、12人の修道士が
この赤ちゃんを育てる。
男の子は洗礼を受け、マルセリーノと名付けられる。
悪戯好きのマルセリーノと12人の修道士の、ほのぼのとした物語。


「夢見よマルセリーノ 静かな寝顔」で始まる主題歌、
「マルセリーノの歌」は当時、日本でもずいぶん流行ったもので、
この主題歌を聴いて、私もすっかり思い出した。


最後に奇跡が起きる。
「パンとワインのマルセリーノ」と呼ばれ、
マルセリーノは顔も知らぬ母親のいる天国へ召されて行く。
感動的なフィナーレの場面である。
因みに映画の英語版タイトルは「Miracle of Marcelino」。
残念ながら、スペイン語の勉強にはならなかった。











# by toshi-watanabe | 2018-08-03 09:34 | 一般 | Comments(0)