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安部龍太郎さんの最新作「家康」(第二巻:不惑篇)」を読み終える。
分厚いハードカバーで、読み終えるのにもだいぶ手間取る。
幻冬舎出版、1,800円+税。
安部龍太郎さんが戦国集大成として取り組んでおられる大河小説。
第1巻の「自立篇」が出版されたのが一昨年の12月、
この第2巻は、ほぼ2年ぶりとなる。
新たな戦国史観を背景に徳川家康の真の姿を描こうと、
全5巻完結を予定されている。

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「不惑篇」は三方ヶ原の戦いに大敗し、家康自身も槍で突かれた
右の太腿の付け根の傷が未だ痛む、元亀4年(1573)
(この年は天正と年号が変わる)の正月を浜松城で迎える
場面から始まる。
その後武田勢との小競り合いが続くものの、激しい戦には進展せず。
この年に武田信玄が病で亡くなる。
天正3年(1575)、信玄の後を継いだ武田勝頼が家康の領地へ
攻め込み世に名高い「長篠の戦」となる。
信長の支援を受けて家康軍は武田勢を追いやる。
さらに天正6年(1578)、勝頼は二万の大軍を率いて
再び遠江に出陣、大井川を渡るものの膠着状態。


信長の命により、家康は正妻の瀬名(築山御前)を殺害し、
長男の信康を自害に追い込む。
当時二人は家康とは離れて岡崎城に住んでいた。
天正7年(1579)の事である。
持病の癪に苦しんでいた瀬名は、瀬名のもとに出入りしていた
武田の間者から医師を紹介され、病が治り、その医師を
すっかり信用したのだが、実は勝頼直属の忍びだった。
信康の正室・五徳姫が瀬名と信康の罪状を父親の信長に訴えたのが発端。
家康にとっては極めて辛い決断をせざるを得なかった
とはいえ、一緒に湯舟に浸かり、二人だけで心置きなく話をするなど、
信長が家康に強い信頼をおいていた姿が描かれている。


その一方で、家康は信長の信念や思考を尊敬するものの、
根本的な考え方で意を異にするのを実感している、
そんな姿が物語の随所に垣間見られる。


懸案であった難攻不落の高天神城を兵糧攻めの末、
天正9年(1581)、家康勢は落城させ、武田勢を追って甲斐の国へ。
甲斐武田の家臣・穴山梅雪も家康の軍門に下り、
信長勢が一挙に攻め入るが、武田勢は戦わずして、すでに自滅の道に。
翌天正10年(1582)、浅間山が噴火し、武田の終焉を伝えるかの如く。
武田家が滅び、信長は上諏訪の臨済宗古刹・法華寺に入る。
そして家臣を前に、国割と論功行賞が法華寺の本堂で発表される。


すっかり大将軍になった気分の信長は
富士山を眺めながら帰途に就く場面で「不惑篇」は終わる。
この二か月半ほどのちに「本能寺の変」が起こる。






# by toshi-watanabe | 2018-12-06 13:44 | 読書ノート | Comments(0)

今週は「障害者週間」


12月3日から1週間は「障害者週間」である。
国や地方公共団体が民間団体などと連携して、
障害のある人の自立及び社会参加の支援などのための
様々な取り組みを全国各地で実施する。
我々も障害者の方々に目を向け障害者の立場に立って、
あらためて障害者問題を考える時だと思う。

以前書きこんだことがあると思うが、
家内のすぐ上の兄が生まれた時から小児まひによる
障害を背負い、ずっと車いす生活を強いられた。
本人の強い意志により、新潟県長岡の施設に入り、
障害をそこで過ごしたが、
盆や正月など何かの折には、必ず実家から迎えに行き、
越後湯沢の実家で、のんびりと過ごしていた。
家族の皆さんのあたたかい支援に守られ、
昨年5月、74歳の生涯を全うした。


追悼の文集を出そうということで、現在取り組んでいる。
26名の皆さんから原稿を頂き、本人の書き残したものもあり、
写真アルバムのページも含めると、110ページほどの
小冊子になる見込みだ。
編集は私がお手伝いして、パソコンでほぼ準備が完成。
デジタル印刷の業者に印刷を依頼することに。

平成7年、「第14回肢体不自由児・者の美術展」にて
「厚生大臣賞」を受賞した作品
不自由な左手がなんとか筆を握ることが出来、
書道を習い精進した。
やっとの思いで書き上げた作品である。

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現在制作中の追悼文集のタイトルは「春を待つ心」。







# by toshi-watanabe | 2018-12-05 11:09 | 季節 | Comments(0)



いよいよ平成最後の師走入り。
今年は東京横浜方面、木枯らし1号吹くことなく本格的冬に。

右足の小指骨折から18日が経ち、痛みもほとんどなくなったものの、
未だ少し腫れがあり、ギプスはそのまま。
来週火曜日に又レントゲン検査があり、それでギプスがとれるかもと
淡い期待をしつつ、昨日も整形外科で超音波治療を受けた。
以前やはり足の甲の骨折をした時も清家外科で治療を受けたが、
超音波治療はなかった。
ごく簡単な器具なので、場合によっては器具を借りて、
自宅で超音波治療をする人もおられるようだ。


地元の地区センター正面玄関前にある「ヒマラヤ桜」、
今年も満開だというので、昨日の麻は通院帰り足を引きずりながら、
地区センターまで足を延ばした。
冷たい風の吹く中、見事満開の桜だ。

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近隣にお住まいの園芸家の髙橋佳晴さんが、20年以上にわたって
ネパール・ヒマラヤの山村で植林作業を指導し、
現地のヒマラヤ桜の種子を分けてもらい、持ち帰った。
帰国後この種子からヒマラヤ桜の苗木を育てた。

地元の藤が丘地区センターが開館15周年を迎えた平成15年に、
髙橋さんは、記念にヒマラヤ桜の苗木を寄贈植えたものが、
その後、毎年11月末から12月初めにかけてピンクの花を咲かせている。




# by toshi-watanabe | 2018-12-02 09:48 | 季節 | Comments(0)

「人形展」

平成30年11月17日(土)~18日)(日)の二日間、
あざみ野駅近くの「山内地区センター」にて
平成30年度の「山内地区センターまつり」が開催された。
家内もメンバーとなっているグループ「人形の会」でも、
日頃制作に取り組んだ作品を出展した。
年に一度の展示会、見事な人形たちが展示された。

例年出展された人形のアルバム作りを依頼されている。
13日の夜に右足、小指の付け根を骨折して、現在治療中、
家内に頼んで写真を撮ってもらったのだが、どうも気になり、
最終日の朝一番で足を引きずりながら、会場に出かけた。
何とか写真を撮り終え、昨日は写真の整理に取り組んだ。
アルバム(小冊子)の制作はTOLOTに依頼する。
一冊500円の予定。

200枚超撮った写真の中から作品を選んでご紹介したい。


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以上ご紹介まで。







# by toshi-watanabe | 2018-11-21 10:31 | 季節 | Comments(2)

右足の小指を骨折



つい2日前、11月14日の夜のことだ。
テレビを見ていたのだが、9時半ごろトイレに行こうと立ち上がった途端、
足が痺れバランスをくずしてしまい、床の上に転んでしまう。
頭をぶつけないように用心したものの、足を捻ったようだ。
右足の甲の部分に激痛が走る。
瞬間しまったと思ったが後の祭り。
30分ほど、寝るまで氷で冷やし、そのあとは痛み止めの湿布を貼り就寝。
夜中に一度目が覚めたものの、何とか眠れた。

今朝一番で調節可能のサンダルを履いて整形外科へ。
歩くとどうしても痛い、びっこを引きならゆっくり歩く。
週二回腰痛のリハビリで通っている駅前の医院である。
すでに顔馴染みの女医さんの診察を受ける。
レントゲン検査の結果、右足の小指の付けの部分の外側が骨折。
最低全治4週間との診断、早速治療をしてもらう。
何とか歩いて帰れる。

家の中で転んだのは二度目であり、
前回は甲の部分の複雑骨折で、結局3か月間松葉杖の生活だった。
今回は松葉杖を使うほどでないのは幸い。
それにしても、どうもおっちょこちょいだ(笑)。
予定を変更せざる得ず、まったく情けない限りだ。

休日を除き、当分毎日医者通いとなりそうだ、
今朝も処置してもらうため、びっこを引きながら通院する。





# by toshi-watanabe | 2018-11-16 14:52 | 一般 | Comments(4)


宇江佐真理さんが癌で亡くなられたのが2015年11月7日。
他界されてから早や3年が経つ。
「髪結い伊三次捕物余話」シリーズの最終巻となった「竈河岸」を読み終える。
最近、文春文庫から出ている、定価;790円+税。

作品は、「空似」、「流れる雲の影」、「竈河岸」、「車軸の雨」、
「暇乞い」、「ほろ苦く、ほの甘く」、「月夜の蟹」、
「擬宝珠のある橋」、「青もみじ」の9編の物語で構成され、
場面は江戸の下町、人情あふれる市井の町人が生き生きと描かれている。
髪結い伊三次はもちろんだが、伊三次の女房で芸者を続けているお文、
二人の息子で絵師になるため修行中の伊与太、同じく娘のお吉、
北町奉行所臨時廻り同心の不破友之進、その息子の定廻り同心、龍之進、
友之進の妻、いなみ、その娘の茜、龍之進の妻、きいといった面々が
それぞれの場面で登場してくる。

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「月夜の蟹」という言葉は、恥ずかしながら初めて知る。
登場人物はこう解説している。
「どういう訳か、蟹は月夜に餌を獲らねェそうです。
 だから身が痩せているんですよ。
 そこから転じて、中身のないことのたとえにも月夜の蟹を遣いやす」。


お節介とはいえ、知り合いが困っていれば、つい口をはさんで、
行動せずにはいられない江戸の町人たちの思いやりというか人情が、
宇江佐流に実に見事に描かれている。
読者をその場面にぐいぐいと引き込んで行く。
見事な筆致である。
作者はこう書かれている。
「私が江戸時代の人々に魅かれるのは、誰しも現実を直視して
 生きているからだと思います。
 与えられた仕事を全うする姿勢が清々しいのです。
 商家の手代、番頭なら、店のために少しでも売り上げを伸ばそうと
 努力しますし、武士ならば仕える主に忠誠を誓います。」


すっかり宇江佐ファンになった杏さんが文庫本の終わりに開設を書かれている。
作者の生前に対談する機会も持たれている。
函館で生まれ函館で育った宇江佐さんは、二人のお子さんを社会に
送り出した後、主婦としての家事を務めながら、作品を書き続けた。
20年余りに60作を超える作品を執筆。


6回候補に挙がりながら、直木賞の受賞に至らず残念である。


故人のご冥福を祈るばかりである。


合掌




# by toshi-watanabe | 2018-11-16 14:39 | 読書ノート | Comments(0)


百田尚樹さんの原作を映画化した「海賊と呼ばれた男」が
テレビで放映され、録画しておいたので、ゆっくりと鑑賞した。
この作家は、どうも食わず嫌いというのか、まだ一冊もこの作家の
小説を読んでいない。
ただ「海賊と呼ばれた男」は大いに関心があり、
映画はぜひ見てみたいと思っていた。


原作を読まれたり、映画をご覧になられ方も多いと思う。
岡田純一演じる主人公のモデルは、
出光興産の創業者「出光佐三」である。
出光佐三の苦労した若いころから戦後見事発展を遂げる企業の
オーナー経営者となるまでの生涯が描かれている。
岡田准一も見事に主人公になりきっている。


途中のCMを飛ばしながら、録画した映画、大いに楽しんだ。
出光佐三は、荒れ果てた終戦後、他社とは異なり一人も首にせず、
人員整理を行わず、自宅待機の従業員にも給料を払い続けた。
物語の終盤、タンカー「日章丸」がイランから
原油を満載して無事帰国する場面は感動的ですらある。
佐三は昭和56年(1981)に95年の生涯を閉じた。


ところで出光興産は同族会社としてやってきたが、
昭和シェル石油との合併の話が持ち上がり、
紆余曲折を経て、現在合併に向かっている。
本年10月16日には、「株式交換契約締結
及び経営統合に関するお知らせ」が、
両社により公表された。






# by toshi-watanabe | 2018-11-12 08:40 | 一般 | Comments(2)

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梶よう子さんの最新作「はしからはしまで ―― みとや・お瑛仕入帖」を読み終える。

江戸下町の陰影あふれる人情を描く、時代シリーズの第三弾。

新潮社発行、 1,700円+税。

両親が永代橋の崩落事故で命を落とし、

兄の長太郎とともに小さな商いをしているお瑛が物語の主人公。

まさに江戸の“百均”、「みとや」という、よろず屋繁盛記である。



江戸時代、文化48(1807)、深川富岡八幡宮の祭礼が行われ、

江戸市中から多くの町人が永代橋を渡って深川へ向かう。

詰めかけた群衆の重みに橋が耐え切れず、橋の中央部東側の部分が

数間にわたって崩壊してしまう。

死傷者・行方不明者合わせて1,400人超という大惨事があった。

これが実際に起きた永代橋の崩落事故である。



兄の長太郎が仕入れに出かけ、妹のお瑛が店番をしているのだが、

長太郎が遊び仲間と集まり、手に入れたフグを調理、

味見をした長太郎はフグの毒にあたり、

あっけなく命を落とす場面から、この物語は始まる。

一人で商いを切り盛りすることになったお瑛は、

長太郎が残した仕入帖を開き、小間物屋や工房を訪ね歩く。



「みとや」があるのは江戸の下町、茅町、

大川(隅田川)から神田川に入りすぐ、浅草橋の近くである。

半端モノや曰く因縁のある品物などを店先に並べ、

どの品物も38文という格安値で販売、

38文の値段から「みとや」、そしてどの品も同じ値段なので、

この小説の題名「はしからはしまで」となる。



お瑛はいろいろな事件に巻き込まれながら、商いを続ける。

もとは武士だった菅谷道之進の息子、直之(のちに直孝)や、

長太郎と仲の良かった商店の若旦那、寛平など多くの人たちに

助けられながらお瑛は生きてゆく。

直孝や寛平は、お瑛が仕入れで出かけている間、気分良く店番。

江戸の下町の人情がきめ細かく描かれている。






# by toshi-watanabe | 2018-11-05 09:24 | 読書ノート | Comments(0)