内田康夫さんが亡くなる前の、今年初め、
論創社から「浅見光彦と七人の探偵たち」という
短編集が出版された。
七人の新人作家の短編ミステリー小説に、
内田康夫さんの短編「地下鉄の鏡」から構成されている。


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内田康夫さんの出生地であり、名探偵浅見光彦が住んでいるのが、
東京都北区西ヶ原である。
終戦直後の昭和21年から昭和40年までの20年間、
私も同じ北区の住民だった。
実家はすぐ妹の家族が現在も住んでいる。
北区は名前の通り、東京の北部に位置するが、
王子区と滝野川区が戦後合併してできた区である。
西ヶ原の辺りも、熟知している土地である。
内田康夫さんは、平成8年から北区アンバサダーに任命され、
その後平成14年に、北区は「北区内田康夫ミステリー文学賞」を設けて、
毎年新人作家の発掘に貢献してきた。
今年も第17回の応募が始まり、本年9月が締め切りとなっている。

「浅見光彦と七人の探偵たち」に載っている七人の作家は、
いずれも「北区内田康夫ミステリー文学賞」を受賞されている。
短編なので、少々読みごたえに欠くが、それぞれ力作だ。
特に興味深かったのは、
井上凛さんの書かれた作品「満ち足りた終焉」。
主人公の女性が人材派遣会社の紹介で働き始めるのが
「天空社」という個人企業で、終活のサポート業務。
女性経営者が一人いるだけだ。
白髪交じりの初老の婦人が相談に訪れる。
昔病院で働いていた時の仲間を探してほしいとの依頼から
物語が始まる。

「地下鉄の鏡」は内田康夫さんの作品では珍しい短編の一作だが、
浅見光彦が主人公で、なかなか面白い内容だ。
浅見光彦シリーズで時折出てくる、
「ダイイングメッセージ」がキーワードとして使われている。
浅見光彦が京王線の幡ヶ谷駅で下車し、笹塚方面へ向かって
甲州街道を歩いていたところ、
ビルの5階にある駐車場から若い女性が落下する。
例の如く弥次馬根性で、光彦は女性の傍へ。
救急車が駆け付けた時には、すでに息を引き取っていたが、
その直前、光彦は女性のダイイングメッセージを耳にする。
それが「。。。ちかてつのかがみでみた。。。。。」というもの。
直観的に殺害されたのではと疑う。
ところが3通の遺書が残されており、警察では自殺としてけりをつける。

余談になるが、この物語に登場する地下鉄の鏡は
北海道札幌市内を走る地下鉄の札幌駅ホームに設けられた鏡。
札幌の地下鉄が開業してから自殺者があとを絶たず、
色々と知恵を絞り、最後に考え出されたのが等身大の大きな鏡。
自殺を考えている人はホームの一番端に向かうのが通常で、
そこで自殺する前にあれこれ思案するそうだ。
等身大の鏡に己の姿が映し出されるのを見て、
自殺を思いとどまる効果があったようで、
その後自殺者が激減したという話。
札幌の地下鉄駅のホームに、今もこの鏡があるのだろうか。


内田康夫さんが亡くなられて、はや2か月が過ぎる。
北区アンバサダーは内田さんが亡くなられ、4人の方が担っている。
ドナルド・キーンさん、倍賞千恵子さん、水森かおりさん、そして弦哲也さん。

北区のことが最も多く登場するのが、「北の街物語」。
興味のある方は御読みください。










# by toshi-watanabe | 2018-05-18 14:28 | 読書ノート | Comments(0)

あいにくの空模様だったが、
去る5月13日の日曜日、神奈川県立歴史博物館の特別見学会に
お招きをいただき参加する。


明治37年に横浜正金銀行本店として開館した建物が、
その後、昭和42年に神奈川県立博物館として再興されて、
昨年はちょうど50周年。
それに合わせて、一昨年の6月から空調設備などの改修工事が実施され、
暫く休館だったが、本年4月28日に再開館の運びに。
現在特別展も開催されている。
因みに平成7年からは、神奈川県立歴史博物館となる。

横浜正金銀行は、外国為替を専門とする銀行として、
明治13年(1880)に営業を開始した。
戦前は、邦人が海外に出かけて頼りとなるのが、
大使館、公使館、領事館を別にして、
商事(三菱商事)、郵船(日本郵船)、そして横浜正金銀行と言われ、
何かと世話になった日本人は多いようだ。
明治37年(1904)7月に、横浜正金銀行本店が建設された。
明治建築界の巨頭、妻木頼黄が設計し、外壁に石材を使用した煉瓦造り、
地上3階地下1階建ての建物は
コリント式の重厚な石造彫刻の柱頭飾りを持つ。
正面には巨大なドーム、径11メートル、高さ10メートル。
ネオ・バロック様式とされる威厳ある外観を呈している。
現在の県立歴史博物館の旧館部分であり、
国の重要文化財・史跡に指定されている。

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大正12(1923)年の関東大震災では、1階から3階までの内装と
屋上のドームを焼失。
震災後に復旧工事が行われ、戦後まで銀行として使用されていた。
昭和21年(1946)、横浜正金銀行としての.
外国為替専門としての銀行業務を停止。
翌年の昭和22年(1947)、
通常の銀行業務を行う銀行としてスタートした。
東京銀行の誕生である。

昭和42年(1967)、建物のシンボルであるドームを復元して、
旧横浜正金銀行本店の建物は神奈川県立博物館となった。
同時に新館が建設され、旧館と合わせて現在の建物となっている。
東京銀行は、平成8年(1996)に三菱銀行と合併し、東京三菱銀行に。
更に平成18年(2006)、UFJ銀行と合併し、
三菱東京UFJ銀行となったが、
本年4月1日付で、東京の文字が銀行名から消える。

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横浜正金銀行と言えば、文豪の永井荷風が米国の支店と
フランスの支店に勤務し、帰国後「あめりか物語」と
「ふらんす物語」を書いている。

以前、この歴史博物館について、
見学記をブログに書き込んだことがあるのだが、

その記事が関係者の目に留まったようで、
今回の改修リニューアルが完了、同時に博物館開館50周年に合わせて、
昨日の特別見学会にお招きいただいた。

横浜市営地下鉄の関内駅で下車、
馬車道をまっすぐ行けばたどり着く。
この通りを散策するのも楽しい。

会議室で簡単なレクチャーを受けた後、
先ずは外に出て、正面から建物の説明を受ける。

普段入ることのできない、屋上に案内され、名所のドームの中も見学。
ドームの中はがらんどうだ。


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さらに地下にも案内されて、明治の面影を残す
金庫の扉やレンガの壁面を見学できた。
白色のレンガは、一見タイルのように見え、大変興味深い。
壁だけでなく天井も。

1時間45分ばかりの見学会も無事に終わる。

博物館を出たら、すでに土砂降りの雨。
残念ながら散策する気も起きず、そのまま帰途に就く。









# by toshi-watanabe | 2018-05-15 11:40 | 一般 | Comments(0)

→(パート1の続き)

立浪草(たつなみそう)。

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花桃、照手姫(てるてひめ)、花も終わり。

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白花紫蘭(しらん)と紫蘭。

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都忘れ(みやこわすれ)。

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鷺苔(さぎごけ)。

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深山苧環(みやまおだまき)と白花苧環。

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芝桜(しばざくら)。

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白椿の残り花。

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シーラ・カンパニラータ。 釣鐘草(つりがねそう)ともいう。

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白花山吹草(しろばなやまぶきそう)。

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小手鞠(こでまり)。

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白花踊子草(おどりこそう)。

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半鐘蔓(はんしょうづる)の花が開くのはこれから。

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野生の藤が見事に花を咲かせている。

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愛らしい菫(すみれ)の花、タチツボスミレ。

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蕾のまま、なかなか花を開かない山芍薬(やましゃくやく)。

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蝮草(まむしぐさ)。

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稚児百合(ちごゆり)。

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宝鐸草(ほうちゃくそう)。

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山帰来(さんきらい)、花の終わった後。

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マーガレット。

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寒葵(かんあおい)。 根元の地べたに柿のへたのように
茶色っぽい花を咲かせる。


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ナガミヒナゲシ。

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露草(つゆくさ)。

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空木(うつぎ)や樹木に咲く白い花。





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以上






# by toshi-watanabe | 2018-05-14 14:43 | 草花 | Comments(0)



4月26日から5月6日までのおよそ10日間、群馬の山里で過ごす。
その間、4月28日から29日にかけては、
家内の実家で法事が営まれ、参列するために越後湯沢まで出かける。
群馬高山から月夜野へ越える峠道では、ヤマザクラがまだ満開。
平地に入ると、道の両側にはリンゴ畑が続く。

例年になく、群馬の山里では春の花々が一斉に咲き始めている。
ほぼ咲き終えているものの、未だ咲き続けている花がある一方で、
おやっと思うほど早く咲き始めている花も目につく。

山菜の時季でもある。
タラの芽、ウドの芽、木の芽にワラビ、
写真に写っていないが、フキにモミジガサなどなど。
モミジガサを地元では「トウキチロウ」と呼んでいる。
樹林地帯の木の下にこの季節生えてくるので、
木下藤吉郎から「トウキチロウ」と。


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タラの芽やウドの芽は天婦羅で、木の芽やモミジガサはお浸しで、
そしてワラビは灰汁を除去して煮物で、美味しくいただく。

クリスマスローズのシーズンはすでに終わっているのだが、
いまだに咲いている種類がある。


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黄花の先代萩(せんだいはぎ)は群生して満開。

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紫先代萩が1本あるのだが、未だ蕾のまま。

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躑躅(つつじ)も種類が多い。

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碇草(いかりそう)、ピンクと白、いかにも清楚な雰囲気。

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翁草(おきなぐさ)は早く咲き始め、もうタネを付けているのが大半。

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花蘇芳(はなずおう)も、もう終わりに。

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可愛らしい鈴蘭(すずらん)が群生。

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深山金鳳花(深山金鳳花)も群生している。

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日本桜草(さくらそう)は花の盛りを過ぎている。

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花筏(はないかだ)。

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八重桜、鬱金(うこん)だろうか。

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吊花(つりばな)。

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満天星(どうだんつつじ)、

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花水木(はなみずき)がまだ咲いている。

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草花の切り花。

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(パート2)へ続く。。。。。。。。。。。→





# by toshi-watanabe | 2018-05-14 14:02 | 草花 | Comments(0)


内田康夫さんの著書「神苦楽島」を読む。
「追悼内田康夫」として最近、上下巻2冊、祥伝社文庫として出版された。
上下巻ともに、670円+税。
文芸春秋より単行本として出されたのは平成22年3月。
初版からすでに8年経っている。

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浅見家では、母親の雪江による「ケータイ禁止令」が
徹底していたのはご存知の通り。
理由は、「携帯電話は家族の繋がりを阻害する」というものだ。
雪江としては、携帯電話は家族一人一人を孤立させる結果を招く、
と考えていた。
車での移動が頻繁な次男坊、浅見光彦については、
雪江は特例として、自動車電話を認めていたが、
自動車電話はケータイではない。
さて、雑誌「旅と歴史」の新連載が始まることが決まり、
編集長の藤田からケータイを持つように指示が出た。
光彦はケータイを所有したいと母に伝えると、雪江はあっさりと
「そう、そうしなさい」頷いた。
光彦も拍子抜け。
ということで、浅見光彦探偵がケータイを所有する、
記念すべき最初の作品である。

小説の序文として、「古事記」からの引用が掲げられている。
ここに登場する、一つの島が現在の淡路島である。
作品名となっている「神苦楽島」とは作者が付けた島の名前で、淡路島のこと。
淡路島での殺人事件、そして淡路島縁の人物の殺人事件が起き、
光彦は事件に巻き込まれて行く。
終盤、危うい目に合う光彦は、ケータイのお陰で命拾いする。

この作品で特に興味深いのは、「太陽の道」という言葉、
今回「太陽の道」のことを初めて知る。
仏像撮影をはじめ古美術の撮影で知られる、
写真家の小川光三(こうぞう)さんが初めに提言したもので、
古くから言われているものではない。
北緯34度32分のライン上に、東は伊勢の斎宮跡から西方に
大和の三輪山、箸墓、室生寺、長谷寺、大神神社、当麻寺、
さらに二上山を越えて聖徳太子廟、大鳥神社、
そして淡路島の伊勢久留麻神社、石上神社と続く。
太陽の進む、一直線上に並んでいる。

「太陽の道」に目覚めた、ある人物が「陽修」の理念を発意。
熊野や伊勢山中での一千日に及ぶ荒行を経て、
神意を感得するところがあり、自らの神格を高め、陽修会を立ち上げた。
一種の宗教団体である。
作品では、この陽修会がキーワードとなっている。
建築業界、そして有力政治家が、陽修会に絡んできており、
殺人事件の裏には、政界、業界関係のトラブルがあるのではと
小説は進展するのだが、最後は極めてありふれた殺人事件と判明する。

どちらかと言えば、読者の期待を裏切るような結末になったのが残念。

小説の舞台となった淡路島、
残念ながらまだ一度も訪れていない。
由緒ある寺院や神社、大変興味深い所も多く、
機会があればぜひ訪れてみたい。













# by toshi-watanabe | 2018-05-12 14:28 | 読書ノート | Comments(4)

大分日数が立ってしまったが、写真撮影会あり。
毎月国立で開いているパソコン勉強会の仲間、6名が参加して
去る4月24日、茨城県の「国営ひたちなか海浜公園」へ、
ネモフィラの花を撮影に出かける。

午前11時過ぎ、常磐線の勝田駅に到着。
地元に近いH女史が準備万端整え、迎えてくれる。
チケットと昼の弁当をすでに用意。
勝田駅からはローカル線の「ひたちなか海浜鉄道」に乗車、
のんびりと田園風景を眺めながら終点の「阿字ヶ浦駅」へ。
駅前からは公園行きのシャトルバスが待っている。

「1日フリー乗車券(シルバー)」が1,000円とは有り難い。
往復の運賃と入序料が含まれており、かなり割安だ。

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駅にある駅名の看板が面白い。
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丁度昼に海浜公園に到着する。
ベンチに腰かけて昼の弁当をいただく。
いよいよ広大な公園内を歩く。
足の弱い方には乗物の便もある。



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「みはらしの丘」は満開の時季を若干過ぎた感じだが、
淡いブルーのネモフィラの花が満ち溢れている。
北米西部が原産の一年草、「ベビーブルーアイズ」という愛称もぴったりだ。


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ネモフィラの花の絨毯のごとき「みはらしの丘」をすっかり満喫する。
帰りの電車に乗った途端、雨が降り始める。
本当にラッキーな撮影会だった。


















# by toshi-watanabe | 2018-05-10 10:10 | 旅行 | Comments(8)

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谷津矢車さんの最新作「安土唐獅子画狂伝・狩野永徳」を読む。
徳間書店発行、1,600円+税。

谷津矢車さんはペンネームで、1986年生まれ。
八つ矢車の家紋から谷津矢車とつけられた。
天下無一物の戯作者(小説家)と自称されている。
2012年、25歳の時に「蒲生の記」で第18回歴史群像大賞優秀賞を受賞。
翌年、狩野永徳シリーズの第1巻にあたる
「洛中洛外画狂伝・狩野永徳」により、文壇デビュー。
その後歴史小説を書かれている。

安土桃山時代の代表的な絵師、狩野永徳が主人公。
狩野派の祖は狩野元信、二代目が狩野松栄、
そして松栄の跡を継ぐのが永徳である。
物語では、狩野源四郎として登場する。
後に剃髪して永徳を名乗る。
お抱え絵師グループの狩野派の若惣領として
源四郎は織田信長との対決に臨む。
絵師として誰にも負けない自信と自負を持っている源四郎に、
注文を付ける信長。
信長は優れた感性を有し、他人の意見に耳を傾けない。
屏風絵でも障壁画でも、独自の判断をする。

物語のクライマックスは、信長が安土城を築き、
天守と本丸の障壁画を源四郎に描かせるものの、
題材については、自分で思案しろという。
源四郎にとっては、まさに命がけの制作となる。
苦労の末、やっと完成させたのが障壁画の「唐獅子」。
本丸謁見の間、上段の間を飾る障壁画である。
二頭の唐獅子が並び歩く様が描かれている。
険しい岩場を歩き、前を歩く獅子が後ろの獅子を窺いながら、
画面のこちらにいる者を睨みつけている。
唐獅子につきものの牡丹は描かれていない。
信長は気に入り、この絵に奥行きを与えているのは妻女であろう、
と永徳に語る。
実は、永徳は妻の簾に先立たれていた。

本能寺の変の後、「唐獅子」を含む数多の障壁画は
安土城の炎上と共に焼失、残念ながら現存しない。
物語では、のちに永徳が「唐獅子屏風図」を描き上げ、
秀吉に献上する。
この唐獅子屏風図は現在、宮内庁三の丸尚蔵館に納められている。
宮内庁所蔵ということだろうか、国宝に指定されていない。
当然国宝級の屏風図である。

この小説は信長に立ち向かう永徳が見事に描かれている。
狩野永徳は47歳という若さで亡くなっている。
今でいう過労死だ。

さて、狩野永徳と言えば、何といっても、山本兼一さんの「花鳥の夢」、
永徳の生涯を描いた優れた作品である。
葉室麟さんも、「乾山晩愁」の短編集の中に、
「永徳翔天」を書かれている。
また葉室さんは、上記の作品に登場する海北友松についての
作品「黒龍賦」を書かれている。
長谷川信春(等伯)も上記の作品に登場するが、
安部龍太郎さんが長編小説「等伯」を書かれている。








# by toshi-watanabe | 2018-04-20 10:27 | Comments(0)

嬉しい情報が二つ



女性記者に対するセクハラで次官辞任に追い込まれたり、
出会い系サイトで援助交際をしていたのがばれて知事を辞任とか、
このところ何とも情けない情報ばかり目につくが、
わたしにとってうれしい情報が二つ。

一つは、両親の出身地であり、わたしにとっても戦時中約2年間の
疎開生活を送った伊豆半島が、ユネスコの「世界ジオパーク」に
認められたこと。
しばらく出掛けていないが、まだ叔母や従兄妹たちが元気でいるので、
お墓参りかたがた訪れたい。

もう一つは、わたしの住んでいる横浜市青葉区が
男性の全国市町村別平均寿命でトップに。
厚生労働省が今月17日に「平成27年度市町村別生命表」を発表。
その中に、最上位と最下位の50市町村ランキングの表がある。
男性は83.3歳の横浜市青葉区がトップにランクされている。
因みに青葉区の女性は88.5歳で9位にある。

一部資料の古いものもあるのだが、少しばかりわが街についてご紹介。
横浜市の北部にあり、川崎市や東京都町田市と接している。
農家もまだ5千戸余りあり、稲の作付面積では横浜市内で、最も多い。
武蔵野の雑木林の名残もあり、坂道の多い街である。

横浜市青葉区の人口は現在30万人強、平均年齢は40歳弱。
公園の数は230か所、街路樹の本数も多く、1万5千5百本余り。
いずれも横市内で最も多い。
人口10万人当たりの一般診療所数は83.9。
生活保護所帯は1.2%。
私立中学進学率は30%。
定期健康診断受診率は49.2%。
2人以上の世帯当たり年所得平均は1,042万円。
これらの数字も横浜市内で一番だという。

少々自慢話になってしまいましたが。










# by toshi-watanabe | 2018-04-19 10:14 | 一般 | Comments(4)