d0037233_13422636.jpg

安部龍太郎さんの最新作「家康」(第二巻:不惑篇)」を読み終える。
分厚いハードカバーで、読み終えるのにもだいぶ手間取る。
幻冬舎出版、1,800円+税。
安部龍太郎さんが戦国集大成として取り組んでおられる大河小説。
第1巻の「自立篇」が出版されたのが一昨年の12月、
この第2巻は、ほぼ2年ぶりとなる。
新たな戦国史観を背景に徳川家康の真の姿を描こうと、
全5巻完結を予定されている。

d0037233_13423318.jpg
「不惑篇」は三方ヶ原の戦いに大敗し、家康自身も槍で突かれた
右の太腿の付け根の傷が未だ痛む、元亀4年(1573)
(この年は天正と年号が変わる)の正月を浜松城で迎える
場面から始まる。
その後武田勢との小競り合いが続くものの、激しい戦には進展せず。
この年に武田信玄が病で亡くなる。
天正3年(1575)、信玄の後を継いだ武田勝頼が家康の領地へ
攻め込み世に名高い「長篠の戦」となる。
信長の支援を受けて家康軍は武田勢を追いやる。
さらに天正6年(1578)、勝頼は二万の大軍を率いて
再び遠江に出陣、大井川を渡るものの膠着状態。


信長の命により、家康は正妻の瀬名(築山御前)を殺害し、
長男の信康を自害に追い込む。
当時二人は家康とは離れて岡崎城に住んでいた。
天正7年(1579)の事である。
持病の癪に苦しんでいた瀬名は、瀬名のもとに出入りしていた
武田の間者から医師を紹介され、病が治り、その医師を
すっかり信用したのだが、実は勝頼直属の忍びだった。
信康の正室・五徳姫が瀬名と信康の罪状を父親の信長に訴えたのが発端。
家康にとっては極めて辛い決断をせざるを得なかった
とはいえ、一緒に湯舟に浸かり、二人だけで心置きなく話をするなど、
信長が家康に強い信頼をおいていた姿が描かれている。


その一方で、家康は信長の信念や思考を尊敬するものの、
根本的な考え方で意を異にするのを実感している、
そんな姿が物語の随所に垣間見られる。


懸案であった難攻不落の高天神城を兵糧攻めの末、
天正9年(1581)、家康勢は落城させ、武田勢を追って甲斐の国へ。
甲斐武田の家臣・穴山梅雪も家康の軍門に下り、
信長勢が一挙に攻め入るが、武田勢は戦わずして、すでに自滅の道に。
翌天正10年(1582)、浅間山が噴火し、武田の終焉を伝えるかの如く。
武田家が滅び、信長は上諏訪の臨済宗古刹・法華寺に入る。
そして家臣を前に、国割と論功行賞が法華寺の本堂で発表される。


すっかり大将軍になった気分の信長は
富士山を眺めながら帰途に就く場面で「不惑篇」は終わる。
この二か月半ほどのちに「本能寺の変」が起こる。






by toshi-watanabe | 2018-12-06 13:44 | 読書ノート | Comments(0)

今週は「障害者週間」


12月3日から1週間は「障害者週間」である。
国や地方公共団体が民間団体などと連携して、
障害のある人の自立及び社会参加の支援などのための
様々な取り組みを全国各地で実施する。
我々も障害者の方々に目を向け障害者の立場に立って、
あらためて障害者問題を考える時だと思う。

以前書きこんだことがあると思うが、
家内のすぐ上の兄が生まれた時から小児まひによる
障害を背負い、ずっと車いす生活を強いられた。
本人の強い意志により、新潟県長岡の施設に入り、
障害をそこで過ごしたが、
盆や正月など何かの折には、必ず実家から迎えに行き、
越後湯沢の実家で、のんびりと過ごしていた。
家族の皆さんのあたたかい支援に守られ、
昨年5月、74歳の生涯を全うした。


追悼の文集を出そうということで、現在取り組んでいる。
26名の皆さんから原稿を頂き、本人の書き残したものもあり、
写真アルバムのページも含めると、110ページほどの
小冊子になる見込みだ。
編集は私がお手伝いして、パソコンでほぼ準備が完成。
デジタル印刷の業者に印刷を依頼することに。

平成7年、「第14回肢体不自由児・者の美術展」にて
「厚生大臣賞」を受賞した作品
不自由な左手がなんとか筆を握ることが出来、
書道を習い精進した。
やっとの思いで書き上げた作品である。

d0037233_11062446.jpg

現在制作中の追悼文集のタイトルは「春を待つ心」。







by toshi-watanabe | 2018-12-05 11:09 | 季節 | Comments(0)



いよいよ平成最後の師走入り。
今年は東京横浜方面、木枯らし1号吹くことなく本格的冬に。

右足の小指骨折から18日が経ち、痛みもほとんどなくなったものの、
未だ少し腫れがあり、ギプスはそのまま。
来週火曜日に又レントゲン検査があり、それでギプスがとれるかもと
淡い期待をしつつ、昨日も整形外科で超音波治療を受けた。
以前やはり足の甲の骨折をした時も清家外科で治療を受けたが、
超音波治療はなかった。
ごく簡単な器具なので、場合によっては器具を借りて、
自宅で超音波治療をする人もおられるようだ。


地元の地区センター正面玄関前にある「ヒマラヤ桜」、
今年も満開だというので、昨日の麻は通院帰り足を引きずりながら、
地区センターまで足を延ばした。
冷たい風の吹く中、見事満開の桜だ。

d0037233_09360900.jpg


d0037233_09361788.jpg

d0037233_09362527.jpg

d0037233_09363349.jpg

d0037233_09372593.jpg

d0037233_09373243.jpg

d0037233_09374015.jpg

d0037233_09374795.jpg

近隣にお住まいの園芸家の髙橋佳晴さんが、20年以上にわたって
ネパール・ヒマラヤの山村で植林作業を指導し、
現地のヒマラヤ桜の種子を分けてもらい、持ち帰った。
帰国後この種子からヒマラヤ桜の苗木を育てた。

地元の藤が丘地区センターが開館15周年を迎えた平成15年に、
髙橋さんは、記念にヒマラヤ桜の苗木を寄贈植えたものが、
その後、毎年11月末から12月初めにかけてピンクの花を咲かせている。




by toshi-watanabe | 2018-12-02 09:48 | 季節 | Comments(0)