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葉室麟さんの作品「影ぞ恋しき」を読み終える。

文芸春秋出版、1,950円+税。

夫婦、親子、友との清冽なる絆を描いた、

葉室麟さんの最後の長編小説。

作品の題名は、古今和歌集にある紀貫之の歌から採り入れている。

 「色も香も 昔の濃さに 匂へども 植ゑけむ人の 影ぞ恋しき」

色も香りも昔のままに咲き香っている花を見ると、
この花を植えた亡き人の面影が恋しく思われる、という故人を慕う歌である。


本作品は「いのちなりけり」、「花や散るらん」と続いた三部作の完結編、

肥前佐賀、鍋島藩の支藩・小城藩の藩士だった雨宮蔵人と

妻の咲弥が三度登場する。

蔵人は咲弥の天源寺家に婿入りしている。

大石内蔵助ら赤穂浪人四十七士の吉良亭討ち入りを

目の当たりにした雨宮蔵人。

それから4年経ち、蔵人は妻の咲弥と娘の香也とともに

鞍馬山で静かに暮らしていた。

そこへ冬木清四郎という吉良家の家人だった少年が訪れる。

「花や散るらん」に出てくるのだが、

奇縁によって蔵人と咲弥の養女となったのが香也で、

香也は吉良上野介の孫娘である。

香也は次第に清四郎に恋心を抱く。

清四郎の主人を思う心に打たれて蔵人らは、

吉良左兵衛に会うため配流先の諏訪へ向かう。

これが発端となり、幕府の暗闘に巻き込まれて行く。

「いのちなりけり」に出てくるのだが、

蔵人が天源寺家に婿入りしたとき、妻となった咲弥は

思いがけないことを言い出した。

蔵人がおのれの心を表す和歌を示すまで、

夫婦の契りはしない、というのだ。

和歌に素養がなかった蔵人は当惑したが、

やがて咲弥の父親、天源寺刑部をめぐる騒動が起きた。

蔵人は出奔し、再会したのは17年後のことだった。

このとき、ようやく蔵人は

 「春ごとに 花のさかりは ありなめど

 あひ見むことは いのちなりけり」

といいう和歌を、おのれの心を示すものとして

咲弥に伝えることができた。

春ごとに花は咲くが、その花を愛でることができるのは

命あればこそである、といいう和歌だ。

物語の終盤、立ち合いに勝ったものの、銃弾を受けて

負傷したものの、命を取り留めた蔵人の元へ、

妻の咲弥が駆けつける。

咲弥は、

「お前さまは十七年かけて、わたくしに和歌を届けてくださいました。

ですが、わたくしはまだ和歌を差し上げておりませんでした」と

蔵人の耳もとで和歌を詠じた。

 「君にいかで 月にあらそふ ほどばかり

   めぐり逢ひつつ 影を並べん」

西行法師の月にちなむ歌である。

毎夜眺める空の月と競うほどに恋しいあなたとめぐみ逢い、

蔭を並べていたい、という思いの歌。

表紙カバーの挿画は平福百穂『荒磯(右隻)』(東京国立近代美術館蔵)
病床にありながら、最後に書き上げた、葉室麟さんの作品である。

あらためて故人に哀悼の意を表したい。

合掌





by toshi-watanabe | 2018-09-30 15:10 | 読書ノート | Comments(0)

映画「散り椿」を観る


9月28日から一般公開された、
映画「散り椿」を公開日に早速観に出かけた。
昨年末他界された葉室麟さんの原作で、
映画化されたのは、「蜩の記」に次いで2作目である。
この映画作品は、名キャメラマンで監督として三作目となる
木村大作さんが撮影そして監督されており、
第42回「モントリオール世界映画祭」で、「審査員特別賞」を受賞。


最初の場面は、まだ冬の季節、寂しい庭を眺めながら夫婦が語り合っている。
夫はこの物語の主人公、瓜生新兵衛、演じるのは岡田准一。
相手は新兵衛の妻で篠、演じるのは麻生久美子。
二人は寺の庫裏に寄寓して3年、毎年春には、寺の境内に咲く
散り椿をたのしみにしていた篠だが、病の床に就いており、
今年は散り椿が見られそうもない。
自分が亡くなったら、故郷の妻の実家にある散り椿を
見に帰ってほしいと夫の新兵衛に頼む。


18年前に縁を切った扇野藩には二度と帰参することはないと
意を決していた新兵衛だが、亡くなった篠の霊を弔い、故郷へ向かう。
妻の最期の願いを胸に、藩の不正や権力に立ち向かって行く。
かって扇野藩道場の四天王と言われた新兵衛は
同じ四天王の一人で、側用人を勤める幼友達の榊原采女に再会する。
采女を演じるのは西島秀俊。
もう一人の四天王で、既に命を落としているのが
篠の妹、里美の亭主で坂下源之進である。
里美を演じるのは黒木華。
新兵衛は一時源之進を殺害した犯人ではと疑われたこともあるが、
それは事実ではなく、故郷の実家が取り潰しになっている
新兵衛は里美の家に厄介になる。


斬り合いの場面が多く、殺陣については、岡田准一も
かなり力を入れて準備をしたらしい。
迫力満点の殺陣である。
里美の息子、坂下藤吾は次第に新兵衛を理解し親密になって行く。
生前の源之進と気心の知れた同志が篠原三右衛門(四天王の一人)で、
その娘、美鈴と藤吾は婚約しており、物語の終盤で結婚の場面も。


キャメラマン監督の木村さんらしく、
この映画は全編オールロケとの話で、自然の場面が美しい。
富山ロケでは白雪の立山連峰が望める。
滋賀のロケでは彦根城の天守閣が見事な姿を見せる。
長野の松代でもロケが行われる。


新しい若き藩主が扇野藩お国入りとともに、
長きにわたって悪事を働いていた城代家老一派が倒され、
めでたしめでたしとなるのだが、
瓜生新兵衛は一人故郷から旅立って行く。
想いを掛けつつ見送る里美の姿が印象に残る。


原作によれば、京都・地蔵院の境内にある散り椿は、
秀吉が寄進した「五色八重散椿」、
朝鮮出兵の際に、加藤清正が持ち帰ったもの。
椿は花ごとポトリと落ちるのが普通だが、
散り椿は花びらが一枚一枚散っていく。
一木に白から紅まで、さまざまに咲き、艶やか。






by toshi-watanabe | 2018-09-30 10:20 | 一般 | Comments(0)

919日(水)~1111日(日)、
六本木ミッドタウンのサントリー美樹館にて開催中の
「京都・醍醐寺ーー真言密教の宇宙」を22日に見学した。

京都・山科盆地にある真言密教の一大拠点、
醍醐寺には膨大な数の仏像、仏画や聖教(経典)などが
守り伝えられている。
それら密教美術の至宝の一部が出展紹介されている。

作家の永井路子さんは、「花の寺」と言い、「水の寺」と言い、
「山の寺」と言い、そして「石の寺」と言う。
三宝院前の樹齢百五十年を超える桜の大木を描いたのが、
奥村土牛画伯の名作「醍醐」。
醍醐寺と言えば、慶長3年(1598315日に
太閤秀吉が催した盛大な宴「醍醐の花見」。

特別展の展示で最も期待していたのが、
上醍醐・薬師堂のご本尊である「薬師如来坐像」と
その脇侍像「月光菩薩立像」、「日光菩薩立像」。
この展示会のハイライトであり、期待通りの姿を目にする。

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薬師如来の前に近づくと、大きな鼻、分厚い唇が
目につくが、柔和で優しい顔が出迎えてくれる。
ほっと安心させられる。


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三尊ともに、国宝で平安時代の作。
一木造、表面に漆箔が施す。
像高は薬師如来が176.5センチ(台座を含めると
3メートルを超す威容を誇る)。
月光菩薩が120.9センチ、日航菩薩が120.1センチ。
薬師堂のご本尊だが、現在は下醍醐の霊宝館に安置。



如意輪観音菩薩坐像


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重要文化財の五大明王像(平安時代の作)など、
数多くの仏像(いずれも重要文化財、平安時代の作が多く、
鎌倉時代の作も)。


不動明王坐像。
重要文化財、鎌倉時代。


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閻魔天騎牛像。
重要文化財、平安時代の作。


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残念ながら、弥勒菩薩坐像や千手観音菩薩立像などの
出展はない。


閻魔天像図。
国宝、鎌倉時代。

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不動明王像図。
重要文化財、鎌倉時代。


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このほかに興味深い出展作品を挙げると、
「大日経開題」(国宝、平安時代、空海筆)、
「醍醐寺縁起」(国宝、江戸時代、乗淳筆)、
「五重塔初重壁画両界曼荼羅図 旧連子窓羽目板断片」
(国宝、江戸時代)、
「天長印信」(国宝、南北朝時代、後醍醐天皇筆)、
「織田信長黒印状」(国宝、安土桃山時代)、
「醍醐花見短冊」(重要文化財、安土桃山時代)、
「秀吉不例北斗法次第」(国宝、安土桃山時代)、
「三宝院障壁画 柳草花図/竹林花鳥図」
(重要文化財、安土桃山~江戸時代)
「扇面散図屏風」「芦鴨図衝立」
(重要文化財、江戸時代、俵屋宗達筆)などなど。


朝一番で出かけたが、会場内はそれほどの込み具合ではなく、
幸いゆっくりと見学できた。


この特別展は東京の後、福岡の九州国立博物館にて、
2019年1月29日(火)~3月24日(日)開催される。




























by toshi-watanabe | 2018-09-24 10:00 | 寺院・仏像 | Comments(0)

9月19日は「糸瓜忌」

一昨日の9月19日は「糸瓜忌」、正岡子規の命日でした。

子規が34歳の若さで亡くなって、はや116年が経つ。
松山出身の若き俳人、神野紗希さんが興味深い短文を書かれていたので、
ご紹介したい。

 「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」、

誰でも知っている、俳句のお手本となる名句である。
ところが、子規がこの句を詠む2か月ほど前に、夏目漱石がこんな句を詠んでいる。

 「鐘つけば 銀杏散るなり 建長寺」

鎌倉の建長寺だ。
鐘をついたら、銀杏の葉がはらはらと散る。
如何にも秋の風情である。上記の句どちらも、時は明治28年の秋の作だ。

大学時代からの親友だった二人にとって特別な交差点。
その年の春、漱石は中学の英語教師として松山に赴任。
一方、子規は日清戦争の従軍記者として満州へ渡るものの、
持病の結核で大喀血、神戸の病院で一命をとりとめ、
故郷の松山に療養帰省した。
退屈していた漱石は、子規を下宿へ呼び寄せ、
1階に子規、2階に漱石の共同生活が始まった。

やがて10月、体調が落ち着いた子規は東京の自宅へ帰る決意をする。
その途次に奈良へ寄りたいと、漱石に旅費の工面をしてもらう。
奈良の旅で子規が詠んだのが、「柿くへば」の句である。
句の形も金も漱石に借りた、ちゃっかり者の子規と言えるが、
漱石へのお礼の句なのかもしれない。
子規の一世一代の名句は、漱石のアシストで生まれたと言える。

神野さんは、一句こう詠まれている。

 「子規ごろり 漱石あぐら 柿たわわ」

神野さんの母校は、子規が学び、漱石が赴任した学校だそうで、
校内には子規の句碑がある。

 「行く我に とどまる汝(なれ)に 秋二つ」

我とは子規自身、汝とは漱石のことで、
子規が松山の愚陀仏庵を去り帰京する際、漱石に送った句である。
大変興味深い内容なのでご紹介した。
残念ながら、俳句を鑑賞するのは好きだが、自分自身では句作はできない。







by toshi-watanabe | 2018-09-21 09:01 | 季節

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葉室麟さんの著書「蝶のゆくへ」を読み終える。

葉室さん、昨年末亡くなられているが、新刊が出版されている。

集英社発行、1,700円+税。

珍しくこの作品は、武士ではなく女性が主人公。

新宿中村屋といえば、皆さんよくご存じで、
何度か食事をされておられるのでは。

私も中学の同期会をこの店で開催したことがあり、
個人的に何度か新宿中村屋で食事をしている。

新宿中村屋の創業者、相馬黒光が主人公である。

第1章は「アンビシャスガール」。

著書の出だしをそのまま紹介すると、

 明治28年(1895)春―― 黒アゲハ蝶が飛んでいる。

 18歳の星りょうは、ゆらゆらと飛んでいく黒アゲハ蝶を見上げながら、

 この蝶は幸運の印なのだろうか、それとも死者の霊魂か
 化身しているのだろうかと考えた。

星りょうとは、旧仙台藩士の娘で、後の相馬黒光である。

仙台神学校の教会で開かれていた日曜学校に通うりょうは、

神学生から「アンビシャスガール」と呼ばれ、可愛がられる。

学問好きのりょうは仙台の宮城女学校へ入るものの、

友達が東京の明治女学校へ転校するのを追って、仙台を離れる。

最初は横浜のフェリス和英女学校に入るものの満足せず、

明治女学校に移る、明治28年(1895)のことである。

当時の明治女学校の校長は2代目で、巌本善治。

巌本夫妻には、りょうは何かと世話になる。

宮城女学校時代の友達で先に明治女学校入りしていた

斎藤冬子は20代の若き講師、北村透谷と恋仲になる。

ところが冬子は重い肺病を患い病床に就き、りょうは見舞いに訪れる。

冬子の療養中に透谷は25歳の若さで自殺する。

透谷には「蝶のゆくへ」という一遍の詩があり、

りょうは巌本からこの詩を教えてもらう。


第2章は「煉獄の恋」。

りょうが明治女学校で学ぶ英語の講師は、まだ23歳の島崎春樹(藤村)。

北村透谷とは銀座の泰明小学校の同窓生。

妻のいる透谷が芝公園で自殺したと知り、

藤村は透谷の家を訪れ、透谷の骸と対面する。

恋愛結婚していた妻を目の前に藤村には透谷の死が信じられない。

透谷の死後、書き散らされていた原稿をまとめて

「透谷全集」を作ったのは藤村である。

藤村は、授業に出ていた一人の女子学生に心を奪われる。

岩手県花巻生まれの佐藤輔子という。

りょうの学友であり、生徒の間でも噂になる。

ある女子学生が輔子からの文だと言って藤村に渡し、

藤村はいそいそと輔子と思われる女性の待つ家に出かけ、

一夜を共にするのだが、相手が輔子だったのかどうか、

藤村は後々までわからぬまま。

藤村は思い切って、りょうに頼んで、真相を確かめてもらう。

輔子への思いを「初恋」という名高い詩を後に書いている。

「まだあげ初めし前髪の

 林檎のもとに見えしとき

 前にさしたる花櫛の

 花ある君と思ひけり

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。」


3章は「かの花いまは」。

りょうの従妹、佐々城信子と当時新聞記者だった

国木田独歩との恋物語。

結婚はするものの、すぐ離婚する。

信子は色々な変遷を経て同年齢の有島武郎と知り合う。

信子をモデルに、独歩は「鎌倉夫人」を書き、有島武郎は「或る女」を書く。


4章は「オフェリアの歌」。

井戸に身投げをした女性が星りょうであるかのように

新聞に載り、慌ててりょうは米国人講師のクララに相談する。

クララは勝海舟に話せば助けてくれるのではという。

当時海舟は73歳、伯爵となり枢密顧問官を務めている。

実はクララは勝海舟の三男、梅太郎と結婚し、

勝家の屋敷に住んでいる。

クララの住まいに行くと、模写の絵だが「オフェリア」の額。

シェークスピアの「ハムレット」に登場するオフェリアが

入水自殺をする場面だ。

絵画「オフェリア」はジョン・エヴァレット・ミレイの作品と思われる。

5章は「われにたためる翼あり」。

明治女学校が大火に遭い、校舎が使えなくなる。

そんな折にりょうは樋口一葉を知る。

一葉と斎藤緑雨との織り成す話が続く。


6章は「恋に朽ちなん」。

信州穂高の山村で養蚕業を営む相馬愛蔵のもとへ

星りょうは嫁入りするものの、単調な田舎生活に物足りず、

愛蔵を説得して再び東京に向かう。

本郷のパン店を居抜きで買い求める。 従業員もそのまま引き受ける。

暫くして新宿に店を移し、これが現在の新宿中村屋の始まり。

岩本善治から「黒光」というペンネームをもらう。

りょうは「相馬黒光」を名乗る。

新宿中村屋では、美術家や文学者が集まる場として、

「絵画・文学サロン」が自然と発生。

美術家や作家などが出入りするようになる。

ニコライ堂で山田郁子という女性と巡り合う

郁子は年下のロシア人留学生、ニコライ・アンドレーエフと恋に落ちる。

郁子は瀬沼夏葉とも言い、夫と5人の子供を残して、

ニコライとともにロシアへ向かう。


最終章の「愛のごとく」。

荻原守衛という青年を黒光は支援する。

守衛はパリに渡り、ロダンの下で修業する。

のちに黒光をモデルにした女性の裸像を彫る。

新宿中村屋では、インド人の独立運動家、ラス・ビハリ・ボースを匿い、面倒を看る。

ボースの提案により、インドカリーを店で出すようになり、

すっかり中村屋の名物料理、現在も続いている。

ボースは黒光の娘、俊子と結婚する。

相馬黒光は夫の愛蔵が亡くなった翌年の

昭和30年に78歳の生涯を全うした。


実在の人物、特に文学の人たちが登場し、興味をそそられる。
明治に入り、自己主張し、己の思うままに生きようとする、
新しい女性たちの姿が生き生きと描かれている。
新しい時代の流れに見事乗って、活躍の場を求め、恵まれた
星りょう(相馬黒光)の生きざまは素晴らしい。

大いに推薦したい作品である。






by toshi-watanabe | 2018-09-15 10:58 | 読書ノート | Comments(0)

終活の一歩か?

終活の一歩となるのだろうか、改葬を行った。
最近、墓所に埋葬されていた骨壺を取り出し墓仕舞いを行った。

千葉県松戸市の八柱霊園まで横浜から出かけるのが
段々と難しくなり、自分自身のこともあるので、
改葬を決断し、新たに東京赤坂に墓所を求めた。
先月末、八柱霊園の墓所を墓仕舞い、
両親を含め4人の遺骨を取り出した。
墓石を取り除き、更地にし、霊園に返却した。
亡き父親が生前に建てたお墓だが、致し方なし。

8月23日、赤坂の寺院本堂にて、納骨と、追善供養の法要を営んだ。
3人の遺影の額縁と、4人の位牌を持参。
生花とお供物を供え、若いお坊さんの読経でしめやかに。
久し振りに、「三帰禮文」、「開經文」
そして「般若心經」を唱和させていただいた。

残念ながら、高齢で体調不良などでほとんどの身内の者が参列できず、
参列したのは、我々夫婦と一番下の妹家族3人と少々寂しかったが、
恙なく改葬が終えられて一安心だ。




by toshi-watanabe | 2018-09-08 14:56 | 一般 | Comments(0)

群馬の里山も秋を迎える



8月末から9月初めにかけて、群馬倉渕へ出かける。
日中はまだ日差しが強いものの、
朝夕はめっきり涼しくなる。
寒くて夜中に目が覚めることも。
前回7月に来た時には、蒸し暑くて寝苦しかったのとは
雲泥の差だ。

雑草も木の枝も伸び放題。
裏側の他所の土地の境際に植えられていた
問題の樹木は地元のシルバー人材センターに依頼し、
もうすっかり根元から切られて、明るくなった。
屋根瓦の上に伸びていた枝もなくなり、
心配の種が一つなくなった。
切り取った木の幹は短くカットしてもらい、
薪ストーブ用の薪となる。

朝顔が色鮮やかに咲いている。

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昼顔。

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高砂百合が増えて満開である。

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花虎の尾。

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葛の蔓が猛烈にはびこっている。
葛の花。

   
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コスモス、まだこれからだ。

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キバナコスモスは今が満開。


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ツリガネニンジン。

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ナンバンギセル。

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吾亦紅。

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茗荷。

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タマアジサイ。

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花魁草


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青色藤袴。

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ボタンヅル。

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紫式部。
場所によって、まだ花のところ実になっているところと。

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屁糞鬘とゲンノショウコ。

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秋海棠が咲き始め。

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ヌルデ(漆)の花。

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郎花と月見草。

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クレマチス。


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山査子、椿、朱火、万両、桃、柿、栗、花水木、吊り花などの実。


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雑草取りと樹木の枝伐採で忙しい1週間だった。









by toshi-watanabe | 2018-09-06 15:15 | 草花 | Comments(2)

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25回松本清張賞を受賞された川越宗一さんの著書

「天地に燦(さん)たり」を読み終える。

文芸春秋より出版、1,500円+税。

選考委員絶賛の松本清張賞受賞作品。

京極夏彦さんは「戦を描く作品の主軸に、

義でも忠でもなく、礼を選んだセンスに敬服する。」

三浦しおんさんは「激しく心揺さぶられた。」と。

松本清張賞と言えば、山本兼一、葉室麟、青山文平などの

歴史時代小説作家を輩出させている。


時は豊臣秀吉の朝鮮出兵により侵略の風が吹き荒れる戦国時代。

場面は朝鮮国を主に、琉球国にも広がる。

九州薩摩藩、島津家の重臣で、樺山家より大野家に婿養子に入った

大野七郎久高は薩摩軍と共に朝鮮国に出兵する。

同時進行で、朝鮮国では釜山の靴職人、明鍾が登場する。

彼は当時の朝鮮国の被差別民である「白丁」の身分に属していたが、

酒好きの「道学」先生から儒学を学び、やがて目覚める。

元々姓を持たなかったのだが、身分を隠して洪明鍾と名乗り仕官する。

また真市という人物も登場するが、琉球国の官人である。

「唐栄」という集団に属し商売をしながら、

大明国や朝鮮国、そして薩摩などの情勢を探る密偵の任に携わる。

史実を詳細に調べられた作者が、倭人、朝鮮人、琉球人

それぞれが秀吉の朝鮮出兵にどう思い、どう向き合ってきたか、

見事に描き切っている。


秀吉が亡くなり、朝鮮国より倭軍は撤兵に向かう最後の戦いとなる。

久高の軍に捕らえられた朝鮮人の中に明鍾がいるのだが、

偶々久高の近くにいた真市に救われて、琉球へ渡る。

大明国からの冊封使一行が琉球を離れ帰国の途に就き、

大明国と琉球国との文引を巡る交渉が始まる。

その一方で、薩摩の島津軍が琉球国へ向かう。

軍勢の総大将が樺山権左衛門尉久高である。

琉球での戦いを終え、首里城へ向かう久高、

「中山」の扁額が掲げられた門を潜ると、さらに先に赤い門があり、

そこには、琉球人の真市と朝鮮人の洪明鍾がいる。

久高は一人だけで足早にその二人に近づく。

門の扁額には「守礼之邦」と大書されている。

洪明鍾は久高に言う。

「なあ、礼を知らぬ樺山よ」

「礼を説く大明国を目指し、礼を尊ぶ朝鮮国を攻め、

礼を守る琉球国を獲る。

この後、倭は、どこへ行くんだ」

久高は「眠るさ」と実感のまま答えた。

二人の会話は続き、ふと、遠い未来を久高は思う。

この扁額は、ずっとここにあり続ける。

もし焼かれても砕かれても、また掲げられ、

訪う者を出迎え、この島が「守礼之邦」だと示し続ける。

きっとそうだと思った。

そうでないならそうあってほしいと心から願った。

「そうか」久高は気付いた。

「俺も、生きるのだな。これからも、この天地で」。

生を説くと言った洪明鍾が頷き、生き続けると言った真市が笑う。

この物語の終幕、そのまま原文を引用させていただいた.

新たな視点で書かれた朝鮮出兵、薩摩と琉球との関係、

朝鮮国や琉球国の人たちの思いなど大変興味深く読めた。

お薦めの一冊であるし、デビューされた川越宗一さん、

歴史時代小説の分野にデビューを果たされ、今後大いに期待したい。





by toshi-watanabe | 2018-09-04 08:58 | 読書ノート | Comments(0)