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葉室麟さんの随筆集「河のほとりで」を読む。

鬼籍に入られて2か月ばかりの葉室さん、生前の随筆をまとめて、

今回、文春文庫で出版された。

620円+税。

大きく三章にまとめられている。

「河のほとりで」、「書物の樹海へ」、そして「日々雑感」。

全体で46編のエッセイから成っている。

書名の元となっているのは、「禅僧」というエッセイ。

臨済宗を我が国に伝えた栄西のことが取り上げられている。

宋から帰国した栄西を開山として建久6年(1195)に建てられたのが、

福岡市博多御供所町にある聖福寺、わが国で最も古い禅寺。

禅宗の話となり、臨済の「済」の字には「河の渡し場」という意味があり、

臨済は「河のほとり」とも読めると葉室さんは語っている。

話が飛ぶが、2015年から2016年にかけて、「週刊新潮」に連載し、

20176月に単行本として刊行されたのが「古都再見」で、、

京都に纏わる話をあれこれ書かれている。

時代小説を書く上で京都に住んでみたい思いがあったのだろう。

今回のエッセイの一つ「健康への出発」によると、

葉室さんは20162月、京都に仕事場を持たれ、

その後は福岡県久留米市の自宅と行ったり来たり、

月の半分は京都で仕事をされていたようだ。

この文章が発表されたのが昨年7月、

亡くなる前最後のものかもしれない。

65歳という自分の年齢をもっと自覚しようと思う。

 これからなそうと思う仕事のために自分自身のメンテナンスを

 しっかりしなければ、人生の最終コーナーを

 まわることができないのだから。

 そんな思いが三日坊主に終わらないことをいまは

 ひたすら願うばかりだ。」

と結ばれている。

体調に違和感を持っておられたのか、

己の寿命を感じ取っておられたのだろうか、推察するのみ。

随筆集の大半は、専門の歴史に関する話題とか、

同じジャンルの作者などへの思いなどで占められている。

高校生の頃に読まれた吉川英治の「黒田如水」の話。

「空海の風景」に始まり、「韃靼疾風録」にいたる

司馬遼太郎の話。

源実朝をテーマにした、吉本隆明の「源実朝」、

太宰治の「右大臣実朝」、小林秀雄の「実朝」。

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」では、

西欧型国家への違和感と昭和の敗戦の話に及ぶ。

また葉室さんは山形県鶴岡市の「藤沢周平記念館」を訪れる。

藤沢作品の「風の果て」や「半生の記」を取り上げ、

いまもなお藤沢文学がひとを癒すのは、

時代の波に押し流されない、「悔いるやさしさ」があらからだと、

葉室さんは思われる。

新聞、雑誌等に投稿された短文が殆どなのだが、

ほかの作家の作品についての書評も書かれている。

早乙女貢の「騎兵隊の氾濫」、早乙女さんのライフワークの

根底は会津士魂にある会津藩武士の清廉さにあり、

明治維新に対する異議申し立てであるとみる。

山本兼一の「おれは清磨」と「修羅走る関ケ原」、

いずれの作品も、葉室さんは高く評価している。

山本兼一さんが「利休にたずねよ」で直木賞を受賞したとき、

葉室さんと北重人さんも候補に挙がっていた。

50歳過ぎの時代小説作家3人が直木賞候補にと、

新聞でも話題になったようだ。

葉室さんにとって初めての直木賞候補いうことで、思い出深い。

その後、北さん、山本さんのお二人に先立たれている。

青山文平の「伊賀の残光」、安部龍太郎の「レオン氏郷」、

海音寺潮五郎の「史伝西郷隆盛」の解説文、

いずれも大変興味深い内容である。

「もうひとつの『草枕』歴史の激動背景にした恋」も

なかなか興味深い話となっている。

元熊本藩士の前田覚之助は、明治維新後、藩の禄を離れると、

小天村に戻り、村人と共に生きるという気持ちから案山子と名乗る。

案山子はやがて小天に温泉付き別邸を建てる。

隠居所だったが、湯治客の訪れる旅館風となる。

この別邸に明治30年(1897)訪れたのが、当時の熊本五高の

教授だった夏目漱石。

小説「草枕」のモデルになったと言われる。

案山子には出戻りの娘、卓(つや)がいたが当時29歳、漱石は30歳。

時代は移り、大正5年(1916)、卓は漱石の自宅を訪問し、

再会を果たしている。

興味ある話を拾い読みしても良いと思う。











by toshi-watanabe | 2018-02-24 11:03 | 読書ノート | Comments(0)


パート1の続き:

スタンドから見下ろした会場。

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スタンドは休憩や昼食をとる場所に。
キルト展同様に、中央の展示スペースを囲むように、
蘭関係の業者の店が際限もなく並んでいる。
場内は大勢の見学客に満ち、蘭の花の香りに包まれている。

仮屋崎省吾さんの特別コーナー、「蘭の世界」。

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志穂美悦子さんの特別コーナー、「息吹き」。

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今回の展示会の一つの目玉として、
「ふしぎなアフリカの蘭たち」というコーナーが設けられている。

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華やかな色彩の「神々の花」と言われるディサ、長い毛の生えたリップを持ち、
木に着生して自生する「ダンシング・オーキッド」と呼ばれる
バルボフィラム・バービゲラム、夜空に白く輝くがごとき
「コメット・オーキッド」と呼ばれるアングレカム等々、
珍しいアフリカの蘭が紹介されている。
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オーキッド・パークには、独特の色、形、模様そして香りを有する
蘭の花が集められている。

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日本の美コーナーでは、
日本いけばな三大流派の特別企画が展示されている。
小原流、草月流、そして池坊である。

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例年通り、沖縄美ら海水族館による、
蘭と水族館の共演が見られる。

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駐日大使、大使夫人によるテーブル・ディスプレイ。


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ディスプレイの数々。

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「世界らん展」をすっかり堪能する。
また1年後が楽しみである。












by toshi-watanabe | 2018-02-22 14:36 | 季節 | Comments(4)


2月17日から2月23日まで、東京ドームにて開催中の
「ようこそ都会の楽園へ 『世界らん展』(日本大賞2018)」を
今週月曜日に見学する。

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日本各地は無論、世界各地からの参加もあり、3,000種の蘭、10万株の蘭、
そして250万輪の蘭の花が見られる、圧倒的な規模の蘭展である。
海外の出品は、米国、ブラジル、ペルー、エクアドル、ドイツ、南アフリカ、
台湾、韓国、東ティモール、タイ、マレーシア、フィリッピン等々。

今年の大賞は、「グラマトフィラム マルタエ ”マッシイズ”」
Gram. Martea "Mass`s"、
出品者は、茨城県つくば市在住の斎藤正博さん。
斎藤さん、実はお医者さん、長年にわたって蘭の栽培をされている。
日本大賞は、2008年、2009年、2013年に続いて、今回4度目の受賞。
受賞作品の蘭は、1998年に入手されたものを20年間かけて、
育てて来られた、高さ、張りともに約180センチメートルという
大きさで、見事な蘭である。
フィリッピン原産の原種、地生蘭だそうだ。
地味ながら茶色の花をたくさんつけている。
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会場の正面近くに、展示協賛企業の一社、YANASEがコーナーを設けて、
ベンツが1台飾られている。
この展示された、「メルセデス・ベンツ A180 スタイル」は、
日本大賞受賞者に副賞として贈られる。
ゴールデンキーの授与が行われた際の写真を見つけたので、使わせていただく。

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日本大賞受賞作の周りには、奨励賞、トロフィー賞、優秀賞、優良賞などを受賞した
蘭が展示されている。

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春蘭やエビネなどの東洋蘭には、やはり関心がある。

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パート2へ続く 。。。。。。。。。。。






 

by toshi-watanabe | 2018-02-22 13:43 | 季節 | Comments(2)


215日、東京は好天に恵まれ、春の訪れを思わせる陽気となる。
上野公園の東京国立博物館にて開催中の
特別展「仁和寺と御室派のみほとけ」を見学する。

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この展示会、116日にスタートし311日まで開催されている。
この日、見学に出かけたのには理由がある。
前日の14日から期間限定で公開された仏様をお参りするためだ。

博物館に到着したのが、11時をちょっと回ったあたり、
平成館への入場には待たされると思い、まずは腹ごしらえ。
敷地内東洋館のはずれにあるのが、レストラン「ゆりの木」。
以前にも紹介したかもしれないが、ホテルオークラの直営店で料理は美味しい。
その割に値段もリーズナブルなのは有難い。
少し早めに行ったので、待つこともなくテーブルに案内される。

特別展が開催中の平成館への入場には、やはり長蛇の列、
とはいえ、このまえの「運慶展」のようなひどさではなく、
20
分待ちだという、大体予想通りに入場できる。
会場内は見学者で混雑しているものの、
何とか見学できる許容範囲と言えよう。

仁和寺は真言宗御室派の総本山で、
御室派の寺院は全国に790か寺を数える。
14
日から公開された2躯の仏像が特に注目される。
大阪・葛井寺(ふじいでら)の国宝「千手観音菩薩坐像」、
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本の手を持ち、天平彫刻の最高傑作のひとつ。
殆どの千手観音は実際には40本の手であるが、
この千手観音は千本の手を有する。

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写真では見ているのだが、実物を目にするの初めてである。
東京への出開帳は、実に江戸時代初期以来だという。
秘仏なので、通常は月に1回だけ厨子の扉が開けられ、
正面から姿を拝むことができるだけなのだが、
この特別展、360度ぐるりと観音様を鑑賞できる

絶好の機会である。

奈良時代・8世紀の作品で、

像高は131.3センチメートル、脱活乾漆造・漆箔である。


もう1躯の仏像は、仁和寺の国宝「薬師如来坐像」。

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平安時代、円派の仏師、円勢・長円の作である。
像高は12センチメートルと、ごく小型な仏像さん。

日本で一番小さい国宝の仏像である。


白檀を精緻に彫刻し、金箔で細やかな文様を施している。

880年間、秘仏であったが、学術調査で

昭和61年(1986)に開扉された。

厨子の奥深く、厳重に秘匿されていたために保存状態がよく、

制作時の姿を完璧に保っている。



期間を通して展示されている、数多くの仏像からいくつか紹介したい。
大阪・道明寺の国宝「十一面観音菩薩立像」は、
数年前に訪れたばかりだが、素晴らしい仏像さんである。

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仁和寺金堂のご本尊、阿弥陀如来坐像と両脇侍立像。

国宝で平安時代の作品。

左右人差し指を背中合わせに立てる弥陀定印を組み、

観音・勢至両菩薩を脇侍とする阿弥陀三尊像の最古例。

檜の一木造である。


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仁和寺の重要文化財の文殊菩薩坐像(鎌倉時代)、

愛染明王坐像(平安時代)、吉祥天立像(平安時代)。


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仁和寺の観音堂が、通常は非公開なのだが、
今回、観音堂が再現されている。
これは見事で、ここだけは写真撮影可能なのは有難い。

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千手観音菩薩立像を中心に、降三世明王立像、不動明王立像、

二十八部衆立像、そして前方左右端には風神・雷神立像と

仏像さんたちが並んでいる。











by toshi-watanabe | 2018-02-17 11:15 | 寺院・仏像 | Comments(2)

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霧島兵庫さんの「信長を生んだ男」を読み終える。

霧島さんは新人作家である。

20回歴史群像大賞優秀賞を受賞され、

2015年、「甲州赤鬼伝」でデビュー。

「信長を生んだ男」は二作目、書き下し作品である。

新潮社より刊行、¥1,600+税。


尾張の武将、織田信秀には男子が12人、女子が2人と

子沢山に恵まれたが、正室の土田御前との間に生まれたのは、

信長、信行、信包、秀孝の男4人とお市の方とされている。

この小説では長男の信長と次男の信行が主人公

(次男、三男という説も)、

そして信長の妻となるまむし斎藤道三の娘、帰蝶が絡んで

物語は進行する。


うつけ者と呼ばれた三郎信長は母親からは疎まれる一方で、

弟の勘十郎信行は母親に可愛がられる。

兄弟二人の性格は全く正反対、お互いに相容れず、

兄は弟をけなし、弟は兄を嫌う時代が続く。

父親は死に際に信長を後継者に指名する。

その後、信行が初陣での働きを機に、

二人の絆が結ばれるのだが、その場面が見事に描かれている。

兄が猛虎なら、己は兄を支える龍になると弟は心中誓う。


上総介を名乗り、天下を狙う信長は次第に非情さが消え、

甘さ弱さを露呈するのを目にした信行は、

兄が「非情の王」となるよう、

家老の柴田権六(のちの勝家)の助けを借りながら、

織田家に尽くす武将と裏切るのではと思われる武将の

洗い出しをするために、色々仕掛けを施す。

時には形の上では信長に対して謀叛を起こす作戦も

信行は敢えてとったりする。

頭のいい信長は、そのあたりのことは感づいている。

信長の若い時にはよい相談相手であった叔父も追いやり、

信長の家老も窮地に追い込むなど、

多くの犠牲者を出しながらも、信行の戦は続く。

信行としては、形式的にでも謀叛を起こした己を

見せしめに処分して欲しいのだが、

すっかり優しくなった信長はあっさりと許してしまう。

これでは織田家の統率が乱れてしまうと、

信行は言いたいのだが、それを知りつつ

信長は手を下さない。


父親同様に重い病に苦しむ信行は、己の寿命が

とだえるのを覚悟し、最後の手段に出る。

帰蝶と信行の死をもって、物語は幕を閉じる。

信行の死後、柴田権六は信長に仕え、勝家として織田家に尽くす

信行の遺児、坊丸は立派な若武者に成長、

権六のよき指導を得て、津田信澄という武将となる。


信長の妻となった帰蝶は、史実がほとんど残っておらず、

色々な説が出ている。

若くして亡くなったという説がある一方、最近では、

信長の死後も長く生きながらえたという説が広まっている。

以前は濃姫として小説に登場していたが、

近頃は帰蝶として登場しているのが多い。

諸田玲子さんが帰蝶を主人公に、「帰蝶」を書かれている。


霧島兵庫さんの作品、初めて読んだが、実に素晴らしい。

何か所か出てくる盛り上がりの場面には、

すっかり感動してしまう。

兄弟の情愛と葛藤、巧みに見事に描かれている。

力作であり、大型新人と言えるのでは。

これからの作品が楽しみである。






by toshi-watanabe | 2018-02-14 11:17 | 読書ノート | Comments(0)

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奥山景布子(きょうこ)さんの最新作「葵の殘葉」を読み終える。
奥山さんの作品を読むのは初めてである。

「葵」と言えば、徳川家の三つ葉葵。

幕末から維新にかけて活躍した「高須四兄弟」の物語。

徳川御三家の筆頭、尾張中納言の尾張徳川家は、

徳川家康の九男、義直を祖とする。

尾張徳川藩2代藩主、光友の時に、美濃国高須藩を復活させ、

光友の次男、松平義行を高須藩主とした。

宗家が嗣子に恵まれない折には、高須松平家は輔弼の役目もあり

実際、高須藩からはたびたび養嗣子として、宗家に養子入り、

藩主となっている。

美濃高須藩の10代藩主、松平義建(よしたつ)は子沢山で、

10人の男子に恵まれていた。

因みに義建の正室、規姫は常陸水戸藩主、徳川斉昭の娘であり、

義建と一橋慶喜とは義兄弟の間柄。

義建の次男の徳川慶勝(よしかつ)、五男の徳川茂栄(もちはる)、

六男の松平容保(かたもり)、八男の松平定敬(さだあき)の

四人が「高須四兄弟」として世に知られている。

小説の序(プロローグ)は、明治11年(187893日、

兄弟4人が銀座二丁目にある二見朝隈写真館に集まり、

記念写真を撮る場面から始まる。

尾張徳川家の分家である美濃の高須の松平家から、

それぞれ、諸家に養子に入り、跡取りとなった兄弟四名、

尾張徳川家当主の徳川慶勝、一橋徳川家当主の徳川茂栄、

会津松平家当主の松平容保、

そして桑名久松松平家当主の松平定敬の面々である。

話は幕末に戻り、慶勝を中心とした物語が展開する。

長男が幼くして亡くなっているので、次男である慶勝が

本来高須藩の跡を継ぐのが自然の成り行きなのだが、

弟たちがそれぞれ他家に養子入り、本人はそのままに据え置かれる。

因みに高須藩を継いだのは、十男の義勇。

結局、慶勝は宗家の養嗣子となり、尾張徳川家の十四代藩主となる。

その後実弟が継ぐのだが、一橋徳川家に養子入りしたため、

再び藩主に、実子に継がせたところ、若くして急逝し、

またまた藩主に戻るという宿命を負わされる慶勝。

徳川家の中枢を担う身分でもあり、アメリカ、イギリス、フランス、

ロシアなどからの外圧と、尊王攘夷の動きに振り回される。

その一方で、尾張藩内では、二派にわかれた派閥抗争に

悩まされる。

藩内で勤王・佐幕の対立が生み出した血の粛清劇

「青松葉事件」はよく知られている。

慶勝は有能な人材を犠牲にしてしまい、後々まで後悔する。

慶勝は外国の事情にもかなり関心を持ち、

地図を入手して、海外事情もある程度熟知していた。

物差しを自ら手造りし、モノを測るのに使用していた。

特に興味を持ったのが写真鏡(現在のカメラ)、

自ら組み立てた写真鏡で、人物や風景の写真を撮っていた。

写真の現像も手掛けていた。

肖像写真の他に、名古屋城もいろいろな角度から撮影した。

西郷吉之助の肖像を写す機会があったのだが、

その場では辞退されて、撮れずじまい。

写真嫌いだったのか、吉之助の写真は現存せず。

実に残念である。

維新後、やっと落ち着いた四人が何年振りかで顔を合わせ、

記念写真を撮るところで、この小説は終わっている。

その時の写真である。

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因みに、徳川慶勝は明治1681日に死去、60歳。

一橋茂栄は明治1736日に死去、54歳。

松平容保は明治26125日に死去、59歳。

松平定敬は明治42721日に死去、63歳。

なお徳川慶勝については、城山三郎が「冬の派閥」を書いている。

幕末の激動の時代を生き抜いた高須四兄弟、

史実を綿密に調べられ、素晴らしい作品に仕上げられている。

徳川家から見た幕末、大変興味深い。








by toshi-watanabe | 2018-02-10 11:22 | 読書ノート | Comments(2)

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内田康夫さんの作品「鯨の哭(な)く海」を読み終える。
名探偵・浅見光彦シリーズの一冊だが、
珍しく「。。。。。。。殺人事件」ではなく、「鯨の哭く海」という
作品名となっている。
とはいえ、埼玉県の秩父と和歌山県の太地で起きる、
殺人事件の物語である。


この小説は2001年に祥伝社から出版されて以来、
文庫本としても何度か出されている。
今回初めて角川文庫として出版された。
2018
1月発行、720円+税。


書名の通り、鯨の話が一つのテーマを構成している。
浅見家の夕食の場で、鯨を食べる話が話題になる。
光彦の姪に当たる智美(高校1年生)が突然、
「日本人は鯨を食べるの?」と聞く。
光彦の母親(智美にとっては祖母)の雪江は言う。
「昔は戴きましたよ。 わたくしばかりじゃないのよ。
あなたのお父様、陽一郎さんも、

それに和子さんも召し上がったでしょう。」
和子は智美の母親で、浅見家長男陽一郎の妻だが、
「そうよ、学校の給食に必ずと言っていいくらい、
クジラが出ましたもの、竜田揚げとか、大和煮とか。」

戦後は給食でクジラのベーコンなども出されていた。

現在はクジラと言えばウォッチングの対象となっており、

若い世代では食用とは思っていないのだろう。
鯨に関してはこれだけジェネレーションギャップがある。


例の如く、「旅と歴史」の藤田編集長から、渋谷にある
鯨料理の店(実際に現在も営業している)に誘われ、

鯨をテーマに原稿を書くように依頼される。
真実なのかどうかは不明だが、藤田は語る。
「ある調査によると、世界中の人類が1年間に食う水産物は

およそ9千万トン、その一方クジラが捕食する海洋資源は

28千万トンから5億トンと言われている。
しかもクジラは毎年4パーセント増殖しつつあるので、
このまま放っておくと、やがて人類の食う水産物は逼迫してしまう。
したがって商業捕鯨を再開し、適正量のクジラを

捕獲しなければならない。」
この辺りも含めて日本人と鯨について調査を依頼される。

この小説の書かれた後、米国やオーストラリアの動物愛護団体の
反捕鯨活動は活発化した。
日本の調査捕鯨船を邪魔したシーシェパートや
グリーンピースなど良く知られている。

また2009年には和歌山県太地のイルカ漁批判を
テーマに映画「ザ・コーヴ」を制作、全世界に公開し、
翌年にはアカデミー賞を受賞。
続編を企画中とか最近報道を目にした。


浅見光彦は、出張手当をいただき、和歌山県太地町へ出かける。
「太地」は「たいじ」と読み、本州の南端、紀伊半島の東部に位置する。
古式捕鯨の発祥の地である。
現地を見て回るうちに、6年前に若い男女が海に飛び込んだ事件の

話を耳にする。
警察では心中として一件落着となっているのだが、
光彦は疑問を感じる。
「くじらの博物館」を見学中、謎の女性を目にし、
更に女性がじっと見ていた先には、勢子船の模型が置かれ、
模型にある15人の漁師の一人(船首で銛を備えた勢子)に、
銛が突き刺さっており、光彦は唖然とする。


6
年前の数年後に、若者が背中に銛を突き刺されて殺害された

事件があり、 未解決のままとなっていた。

博物館で目にしたことがすでに現地で起きていたのだ。
光彦は二つの事件に接点を見つけ出し、推理を働かせる。
心中と処理された事件は実は殺人事件だと推理した
光彦は現地の警察に働きかけながら、解明をしようとする。
心中事件の女性の方は地元の女性、
男性の方は秩父出身の新聞記者だった。
二人は女性の両親の反対を押し切って結婚の約束。
銛で背中を突き刺されて死んだ男性はこの女性に
結婚を迫ったことがあると、こうした背景が明らかに。


ところが、今度は秩父で殺人事件が発生する。
事件の連続なのだが、事件の解明される中での、
太地における捕鯨の話など、 鯨に関連する話が大変興味深い。
明治11年(1878)に起きた「大皆美流れ」という事件、初めて知る。
当時、暫く不良が続いていたため、
母と子供連れのクジラは捕獲しないというしきたりを破って、
太地の漁師たちは海へ出漁する。

捕獲したものの、母親クジラは必死に暴れ、
しかも天候不順で海はあれており、船は転覆、
100
名以上の漁師が亡くなるという悲劇があったようだ。

事件の解決につながる推理と共に鯨の話、

大変興味深い作品である。










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by toshi-watanabe | 2018-02-04 14:35 | 読書ノート | Comments(4)