2011年 01月 29日
キルト展を見学(2011)
正式名称は「東京国際キルトフェスティバル」、
1月21日から29日まで東京ドームで開催。
「布と針と糸の祭典 2011」とサブタイトルがついている。
今回が10回目である。
朝10時に開場、東京ドームには11時ちょっと前に到着したが、
すでに場内は大勢の見学者で大混雑状態。
99パーセントはご婦人とみていい。
入口で配布されている案内チラシ。

このチラシの表紙を飾る花のリース(キルト)のデザインと制作は
キルト作家が担当しているが、今回はキャシー中島さんが
デザインしキルトを制作された。
今回10周年記念、新たに「額絵キルト部門」を設け、7部門となる。
過去最高の2,362作品の応募があり、
第1次審査、第2次審査を経て、入選作品、459点が選ばれる。
この中で海外からの応募は61点、入選作品は21点。


日本キルト大賞受賞作品、「The twelve days of Christmas」。



青森県の五戸(ごのへ)修美さんの作品である。
240㎝ x 210㎝。
ご主人とお二人の娘さんというご家族で、
お嬢さん達が子供のころに過ごしたクリスマスの思い出などを
メルヘンチックにデザインされた。
合唱隊を指揮するのは長女。
次女はバレーを踊っている姿で登場。
この作品を仕上げるのに2年半をかける。
昨年の出品は見送り、今年の出品にこぎつけたと話されている。
準日本キルト大賞受賞作品、「明日への航海」。


神奈川県の吉野恵美子さんの作品。
215㎝ x 177㎝。
ハンドメイキング賞受賞作品、「未来へ」。


埼玉県の湯本晴枝さんの作品。
212㎝ x 213cm。
フレンドシップ賞(グループキルト部門)受賞作品、「オーシャンパラダイス」。


愛媛県の13人のグループ、キルトフレンドの作品。
220㎝ x 209㎝。
メンバー各々の個性がブロックごとに表現されている。
ジュニア部門の第1位作品、「はばたけグンカンドリ」。

前回に引き続き、今回も男の子が受賞。
埼玉県の福場寛文君の作品。
力強いグンカンドリが素晴らしく、布選びに抜群のセンス。
創作キルト部門の第1位作品、「縫ったり切ったり描いたり」。

千葉県の野沢典子さんの作品。
204㎝ x 204cm。
ユニークな構図に大胆な色使い。
トラディショナルキルト部門第1位作品、「ストリング」。

東京都の山崎桂子さんの作品。
235㎝ x 203㎝。
多様な色彩、陰影の美しさ。
和のキルト部門第1位作品、「犬がおしっこする時片足を上げる訳」。

埼玉県の吉田波知子さんの作品。
202㎝ x 202㎝。
郷土玩具、江戸犬張子をモチーフにしたもの。
ユーモアたっぷりの表現、新鮮な感覚、
見ていて元気の出る、楽しい作品。
グループキルト部門第1位作品、「yum-yum ~あなたの近くの海から~」。

静岡県、榛原高校家庭部、43名による作品。
地産地消を掲げている。
額絵キルト部門第1位作品、「出藍(であい)」。

高知県の森澄子さんの作品。
47㎝ X 47㎝。
バッグ部門第1位作品、「異国の文(あや)」。

大阪府の牟禮(むれ)範子さんの作品。
特別出展として昨年同様に「至宝アーミッシュキルトの世界」、
アーミッシュの人達の暮らしぶりと
キルトの名品が展示されている。
現地の人による説明と実演。

名高いキルト作家、6名の方が各コーナーを飾りつけている
「ようこそ/キルトガーデンへ」。


鷲沢玲子さんのコーナーの一部に、
三浦百恵さんの作品、「祈り」が展示されている。
整理の人が立っており、入場制限、30分から1時間の待ち時間と言われる。
コーナーの横からカメラを向ける。
残念ながら手前に柱が邪魔。

英国の旅先で見られた大聖堂をモチーフにしている。
169㎝ X 226㎝。
「私のキルトスタイル」のコーナーには、プロのキルト作家による
創作キルト作品、94点が展示されている。
キルト作家の斎藤謠子さんの指導により、
パートナーシップキルトは、
今回のテーマ[花」に対して、全国から10,334枚寄せられる。
斎藤さん指揮のもとにレイアウトを考え、
86枚のキルト作品に仕上げられ、これらの作品も展示されている。
120の布があわされて1枚の作品に仕上げられている。
展示作品の一部をご紹介。






パートナーシップキルトの一部。


2011年 01月 07日
横浜市指定・登録文化財展
実は昨年暮れにも出かけたのだが、
すでに年末年始の休館期間に入っていた。
今月10日まで「平成22年度横浜市指定・登録文化財展」が開催中。

横浜市は、横浜市文化財保護条例を昭和62年(1987年)12月に制定し、
市内の歴史や文化、自然を理解する上で重要な価値を持つ建造物、
美術工芸品、文書、伝統工芸、史跡等を指定・登録し、保護を行っている。
平成22年度までの指定文化財は146件、地域文化財としての登録は
90件を数えている。
今回の展示会では、平成21年度と平成22年度に新たに指定された文化財のうち、
彫刻(仏像)4件を公開している。
残念ながら写真撮影は禁止、あまり良い写真の資料もない。
南区光明寺所蔵の「木造菩薩立像」。
平安時代中期の作で、像高は101.5㎝。
材質はカヤ、一木造り、内刳りは施されていない。
奥行豊かな体躯や大腿部を大きくとって膝を緩める立ち姿には、
平安時代初期の彫刻を思わせる風格がある。
伝来は不明だが、横浜市内に現存する木彫像としては
最古の作例に属する。
右腕のすべて、左肘先を失っているが、
古代彫刻ならではの充実した存在感がある。

金沢区竜華寺所蔵の「木造大日如来坐像」。
鎌倉時代前期の作で、像高は61.5㎝。
材質はヒノキ、割矧ぎ造り、漆箔、玉眼嵌入。
竜華寺のご本尊として本堂の厨子内に安置されている。
江戸時代に竜華寺の本尊に迎えられた、金剛界大日如来像は
髪際高で一尺五寸を計り、三尺の坐像として調えられている。
平安時代末期から鎌倉時代初期の奈良仏師乃至慶派仏師
により彫られたものと思われる。

金沢区宝蔵院所蔵の「阿弥陀如来および両脇侍像」。
鎌倉時代初期の作で、像高は阿弥陀如来が83.4㎝、
左脇侍が88.9㎝、右脇侍が88.5㎝。
材質はヒノキ、割矧ぎ造り、金泥塗り、漆箔、玉眼嵌入。
宝蔵院本堂左脇の間の須弥壇上に安置されている。
来迎印を結ぶやや小ぶりの等身大の中尊阿弥陀如来坐像に、
半等身大の両脇侍がしたがう三尊像。
ただし、中尊阿弥陀如来座像の台座と光背は展示されていない。
阿弥陀如来坐像には湾曲する髪際の線、納衣の末端近くに環を付けて
背部から左肩越しに紐で吊る形など、鎌倉時代の新形式が見られる。

栄区正安寺所蔵の「木造阿弥陀如来および両脇侍立像」。
鎌倉時代後期の作で、像高は阿弥陀如来が97.5㎝、
左脇侍が60.4㎝、右脇侍が61.9㎝。
阿弥陀如来はヒノキ、寄木造り、漆箔、玉眼嵌入。
左脇侍はヒノキ、割矧ぎ造り、漆箔、玉眼嵌入。
右脇侍はヒノキ、寄木造り乃至割矧ぎ造り、漆箔、玉眼嵌入。
正安寺本堂の須弥壇上の厨子内にご本尊として安置されている。
来迎印を結ぶ中尊の阿弥陀如来絵立像に、両手で蓮台を捧げ持つ
左脇侍の観音菩薩立像と、合掌するy右脇侍の勢至菩薩立像が
したがう三尊像。
繊細な作風や現実感あふれる表情などには
鎌倉地方の彫刻の特徴を表している。

同時に開催されている「遺跡展」も見学する。
横浜市北部と周辺地域の弥生時代中期集落から出土された
土器や道具類が展示されている。
2011年 01月 04日
暮れから元旦、四国旅行へ
2泊3日の四国旅行ツァーに参加。
少々奮発して往路復路とも新幹線のグリーン車。
もっともこのシーズン、グリーン車でないと
指定席の確保が難しいのかも知れない。
30日は朝10時ちょっと前、新横浜駅から乗車、ゆっくりの出発。
ツァーの参加者は予想外に多く、29名である。
名古屋駅を過ぎると、2段重ねのしゃれた弁当が出る。
曇り空から雨模様で、車窓からは何も見えないが、
さすがグリーン車の座席は楽だ。
福山駅で下車、大型バスに乗る。
尾道から西瀬戸自動車道、通称「しまなみ海道」に入り、四国今治へ。
瀬戸内海の島々に10カ所の橋がかかっている。
その距離70キロに及ぶ。
今治から松山に、初日の宿泊地、道後温泉には午後4時前に到着。
宿の「宝荘ホテル」にチェックインし、
早速、道後温泉本館、通称「坊っちゃんの湯」へ直行。



3千年の歴史を誇る、日本最古の温泉である。
道後温泉本館は明治27年に建造された。
木造3層楼の建物は国の重要文化財に指定されている。
ミシェランガイドブックでも観光施設として最高の三つ星を得ている。
一般の旅館と異なり、この本館は源泉かけ流し。
「霊の湯(たまのゆ)」と「神の湯(かみのゆ)」の両方の温泉に入る。
「神の湯」は広々としており、地元の常連が入られるらしい。
確かに大勢入浴し、芋を洗うようだ。
「霊の湯」はどちらかrといえば観光客向けのようだ。
どちらも深く、中腰で入浴する感じ。
2階の休憩室でお茶と菓子の接待を受け、しばらく休んだ後、
「坊っちゃんの間」(夏目漱石の「則天去私」の額がある)、
皇族の方のみが使用する「又新殿(ゆうしんでん)」を見学。
前室、御居間、玉座の間からなり、
玉座の間には天皇のみが入ることが出来、
玉座の間の天井は桐材の三枚重ねとなっている。
これで槍も通さないとの説明。
畳敷きの御手洗所、御影石製の浴室も見せていただく。
道後商店街を散策し、通り抜けたところ(商店街の入り口にあたる)は、
放生園と呼ばれ、「坊っちゃんカラクリ時計」がある。
タイミングよく、カラクリ時計が動き始めるところにぶつかる。
漱石の「坊っちゃん」に登場する人物、
マドンナ、山あらし、赤シャツ、などの人形が現れる。



急にみぞれが降り始め、あわてて宿に帰り、
宿の大浴場で温泉につかる。
翌日朝、道後温泉を出発。
前夜、四国山脈に大雪が降り積雪もかなりの状況で、
高速道路は通行止めとなる。
予定より30分早く宿を出発し、海岸沿いの一般道路を通ることに。
あまり渋滞もせず、車の流れも順調。
ただ山に入ると、結構な雪が積もっている。
宇和島あたりは雪景色である。
はるかに望める山の上の宇和島城。
道の駅に飾ってある、真珠の宇和島城。
真珠の養殖が盛んな宇和島はかって伊達藩、
仙台から蒲鉾職人も連れてきたそうで、
仙台のものとそっくりの笹かまぼこが作られ、売られている。



二日目の観光地、四万十川に若干遅れて到着する。
雪が降り始め、かなり冷え込む。
屋形船の乗り込む。外気とは遮断されているので中は寒くない。
雪の四万十川、最上川の川下りのようだ。
船頭さんも何年かに1度の事だと驚いている。
船中で遅い昼食をとる。
さすがに日本最後の清流というだけに、きれいな水の流れ。



船着き場の近くで千両の赤い実を見つける。

夕刻5時を過ぎて、高知の宿に到着する。
宿泊先の「三翠園」は15代藩主、山内容堂公の下屋敷跡地に建てられている。



すでに夜も暗いが、宿からすぐ目と鼻の先だという、
高知城へ出かける。
天守閣がライトアップされ、素晴らしい姿を現している。
国宝高知城とあるが、戦前国宝に指定されたものの、
戦後、国の重要文化財となっている。
現在は国宝ではない。



いよいよ3日目、最終日は元旦。
朝4時過ぎに起床し、5時に宿の前を出発。
桂浜の駐車場が混むということで、かなり早めに出かける。
竜馬の銅像がライトの明かりで多少は見えるが、辺りは闇。
かなりの冷え込みで、とても外にいられるものではない。
バスの中で1時間ばかり過ごす。
白々と夜が明けると同時に、桂浜へ向かう。
海面近くに少し雲がかかっているものの、
次第に赤く染め始め、太陽が顔を出し、見事初日の出が拝められる。


丘の上に立ち、太平洋を見下ろす竜馬の銅像。

宿に戻り、遅い朝食を頂く。
バイキングとはいえ、お節料理もあり、
つきたての餅が渡される。
出発までの時間を利用して、宿の入り口、大門(下屋敷時代のもの)のすぐ横に、
下屋敷時代の長屋が保存ざれているので、そこを見学する。


10時に高知を出発、最後の観光地、金刀比羅宮へ向かう。
金毘羅宮とか琴平宮ともいわれる。
明治維新前は、象頭山松尾寺金光院であり、
金毘羅大権現と呼ばれていた。
専門のガイドさんが案内してくれる。
ユーモアたっぷりの面白いガイドさんである。
本宮まで785段あるが、
最初の2百数十段あたりまでは、石段は大変だと裏通りを行く。
確かに大勢の参拝客で込み合っているせいでもあるようだが。
ただこの裏通りには、「四国こんぴら歌舞伎」(毎年春に開催)の前を通る。
金丸座は旧金毘羅大芝居で、重要文化財に指定。
日本最古の芝居小屋である。

途中から急な石段を登り始める。
中には駕籠で上る参拝客もおられる。
本宮の先、奥社まで行くと、1,368段あるが、
まず奥社まで石段を登る人はいないようだ。
今回寄らなかったが、
円山應挙が描いた「虎の障壁画」が見られる表書院と奥書院、
そして宝物殿などの建物もある。



神社と仏教寺院が一緒だった名残が残っている。
本宮の本殿を見ると、下側は神社の形式だが上側は寺院の形式。
785段上ったところにある本宮には本殿のほか、幣殿、拝殿、など
いくつかの建物があり、渡り廊下もある。
本宮ひだり手の渡殿の下を潜り抜けると、
本宮南側の壁面に見事な「純金の桜」(黄金の桜?)が見られる。
天皇家から下賜されたものとの説明。

下方には讃岐の街並み、そして讃岐富士が見渡せる。

金毘羅参りを済ませた後は、丸亀から瀬戸大橋を渡り、
倉敷、岡山へ向かう。
岡山駅から新幹線に乗車、帰途に就く。
珍しく土産物屋には一件もよらず、かなり余裕のあるスケジュールのツァーで、
大いに旅を楽しむことが出来た。