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内田康夫さんの作品「鯨の哭(な)く海」を読み終える。
名探偵・浅見光彦シリーズの一冊だが、
珍しく「。。。。。。。殺人事件」ではなく、「鯨の哭く海」という
作品名となっている。
とはいえ、埼玉県の秩父と和歌山県の太地で起きる、
殺人事件の物語である。


この小説は2001年に祥伝社から出版されて以来、
文庫本としても何度か出されている。
今回初めて角川文庫として出版された。
2018
1月発行、720円+税。


書名の通り、鯨の話が一つのテーマを構成している。
浅見家の夕食の場で、鯨を食べる話が話題になる。
光彦の姪に当たる智美(高校1年生)が突然、
「日本人は鯨を食べるの?」と聞く。
光彦の母親(智美にとっては祖母)の雪江は言う。
「昔は戴きましたよ。 わたくしばかりじゃないのよ。
あなたのお父様、陽一郎さんも、

それに和子さんも召し上がったでしょう。」
和子は智美の母親で、浅見家長男陽一郎の妻だが、
「そうよ、学校の給食に必ずと言っていいくらい、
クジラが出ましたもの、竜田揚げとか、大和煮とか。」

戦後は給食でクジラのベーコンなども出されていた。

現在はクジラと言えばウォッチングの対象となっており、

若い世代では食用とは思っていないのだろう。
鯨に関してはこれだけジェネレーションギャップがある。


例の如く、「旅と歴史」の藤田編集長から、渋谷にある
鯨料理の店(実際に現在も営業している)に誘われ、

鯨をテーマに原稿を書くように依頼される。
真実なのかどうかは不明だが、藤田は語る。
「ある調査によると、世界中の人類が1年間に食う水産物は

およそ9千万トン、その一方クジラが捕食する海洋資源は

28千万トンから5億トンと言われている。
しかもクジラは毎年4パーセント増殖しつつあるので、
このまま放っておくと、やがて人類の食う水産物は逼迫してしまう。
したがって商業捕鯨を再開し、適正量のクジラを

捕獲しなければならない。」
この辺りも含めて日本人と鯨について調査を依頼される。

この小説の書かれた後、米国やオーストラリアの動物愛護団体の
反捕鯨活動は活発化した。
日本の調査捕鯨船を邪魔したシーシェパートや
グリーンピースなど良く知られている。

また2009年には和歌山県太地のイルカ漁批判を
テーマに映画「ザ・コーヴ」を制作、全世界に公開し、
翌年にはアカデミー賞を受賞。
続編を企画中とか最近報道を目にした。


浅見光彦は、出張手当をいただき、和歌山県太地町へ出かける。
「太地」は「たいじ」と読み、本州の南端、紀伊半島の東部に位置する。
古式捕鯨の発祥の地である。
現地を見て回るうちに、6年前に若い男女が海に飛び込んだ事件の

話を耳にする。
警察では心中として一件落着となっているのだが、
光彦は疑問を感じる。
「くじらの博物館」を見学中、謎の女性を目にし、
更に女性がじっと見ていた先には、勢子船の模型が置かれ、
模型にある15人の漁師の一人(船首で銛を備えた勢子)に、
銛が突き刺さっており、光彦は唖然とする。


6
年前の数年後に、若者が背中に銛を突き刺されて殺害された

事件があり、 未解決のままとなっていた。

博物館で目にしたことがすでに現地で起きていたのだ。
光彦は二つの事件に接点を見つけ出し、推理を働かせる。
心中と処理された事件は実は殺人事件だと推理した
光彦は現地の警察に働きかけながら、解明をしようとする。
心中事件の女性の方は地元の女性、
男性の方は秩父出身の新聞記者だった。
二人は女性の両親の反対を押し切って結婚の約束。
銛で背中を突き刺されて死んだ男性はこの女性に
結婚を迫ったことがあると、こうした背景が明らかに。


ところが、今度は秩父で殺人事件が発生する。
事件の連続なのだが、事件の解明される中での、
太地における捕鯨の話など、 鯨に関連する話が大変興味深い。
明治11年(1878)に起きた「大皆美流れ」という事件、初めて知る。
当時、暫く不良が続いていたため、
母と子供連れのクジラは捕獲しないというしきたりを破って、
太地の漁師たちは海へ出漁する。

捕獲したものの、母親クジラは必死に暴れ、
しかも天候不順で海はあれており、船は転覆、
100
名以上の漁師が亡くなるという悲劇があったようだ。

事件の解決につながる推理と共に鯨の話、

大変興味深い作品である。










第2回プラチナブロガーコンテスト



by toshi-watanabe | 2018-02-04 14:35 | 読書ノート | Comments(7)

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葉室麟さんの作品「玄鳥(げんちょう)さりて」を読み終える。
本の帯には「追悼 葉室麟」と記されている。

単行本として発行されたのは、この著書の方が新しいが、

この前に出された「天翔ける」よりも先に書かれている。

新潮社発行、1500円+税。

九州肥前(?)の蓮乗寺藩が舞台である。

忍坂藩の支藩であり、藩主は忍坂藩から来ている。

実在せず、葉室さんが設定した架空の藩である。

以前、蓮乗寺藩のお家騒動を取り上げた物語もある。

主人公の三浦圭吾は、少年の頃、城下の林崎夢想流、

正木十郎左衛門の道場に通っていた。

八歳年上で20歳を越していた樋口六郎兵衛は

道場でも「精妙随一」と謳われ、道場一の腕前だったが、

どういう訳か、圭吾を稽古の相手に選んでいた。

六郎兵衛は三十石の軽格、一方の圭吾の家は

百五十石で身分が合わず、本来あり得ないのだが。

そのわけは後で明らかになる。

圭吾はやがて、城下町の富商、津島屋の一人娘、美津を娶る。

一方の六郎兵衛は諍いが元で、島流しの身に。

津島屋の後ろ盾も得て、家老に認められ出世を遂げる三浦圭吾。

十年を経て罪を許され帰藩した剣の達人、樋口六郎兵衛は、

静かな暮らしを望むのだが、親政を目論む藩主の企てにより、

圭吾に敵対するよう仕立てられて行く。

疲弊した藩の財政改革に取り組む圭吾だが、

藩の家老らの派閥争いに、藩主の陰謀が絡み、

圭吾の努力も実らず、藩政にただ翻弄されるだけである。

圭吾は幾度となく危ない目に合うものの、

その度に献身的に助けてくれるのが六郎兵衛。

藩主の眼前で、圭吾と六郎兵衛が決闘することになり、

妻の美津に別れを告げて圭吾は決闘の場へ。

ところが、決闘の場面で六郎兵衛は圭吾を川岸に誘い込み、

用意された小舟に乗るよう指示する。

小舟には美津と子供たちが待っている。

大阪に出た圭吾は箭内仙庵という学者の塾に入り、

学問を究め、「燕堂」と号した。

六郎兵衛はその後行方知れず。

互いを思いやりながらも、藩政に翻弄される

男たちの葛藤と覚悟が見事に描かれている。

現代社会に通じるものを感じ取る。

玄鳥とは、ツバメの異称である。

この小説の題名は、樋口六郎兵衛のことを指すのだろう。

圭吾が後に「燕堂」と名乗るのも面白い。

玄鳥と言えば、藤沢周平さんの時代小説短編集「玄鳥」が知られる。

葉室麟さんには、書きたいことがまだまだあったのだろうと、

推察するばかりである。

実に早すぎる旅立ちだったと、改めて考えてしまう。




by toshi-watanabe | 2018-01-25 11:02 | 読書ノート | Comments(0)

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浅田次郎さんの最新作「おもかげ」を読み終える。

この作品は、一昨年から昨年にかけて毎日新聞に連載され、

ハードカバーとして昨年末に出版された。

主人公の竹脇正一(たけわきまさかず)の入院先を

旧友の堀田憲雄が訪れるところから、物語は始まる。

二人は同期入社で社宅住まい以来仲の良い間柄

であったのだが、堀田は今や本社の社長。

竹脇は60歳の定年前に関連会社の役員として転出し、

新しい勤務先のトップとして5年の務めを無事果たす。

送別会が開かれ、花束を抱えて荻窪の自宅へ帰る途中、

お供の車を断り、通いなれた地下鉄丸ノ内線に乗ったのだが、

竹脇は車内で倒れ、そのまま中野の病院へ緊急搬送される。

倒れた原因は脳出血、出血がひどく手術は無理、

意識がないまま集中治療室のベッドに眠る竹脇のそばには

妻の節子が見守っていた。

この小説は、主人公が意識の戻らないまま、

眠るように最期のときを迎えて幕を閉じるのだが、

色々な人物が登場し、病人を連れだしたりして、

と言っても意識のない病人が出歩けるわけもなく、

分身というのかもう一人の竹脇が誘われて外出する。

そこで思わぬことを体験したり、昔話が出て、

次第に竹脇正一という人物像が解き明かされて行く。

読者を混乱させることもなく、

物語の中に入って行ける、面白い筋立てとなっている。

戦後の昭和20年代の混乱時代に生まれた竹脇は、

両親の顔も知らず、どういう事情があったのかもわからず、

赤ん坊の時から養護施設(当時の孤児院)で育つ。

能力は優れ、高校から奨学金の得られやすい国立大学へ。

そして運よく一流企業に就職できた。

妻の節子と結婚する際、空白の戸籍謄本を見せたものの、

節子からも特に聞かれることもなく何も説明せずのまま。

一方節子は、両親が離婚、その後は父親も母親も好きな相手と

一緒になり、節子は無視され父方の祖母に育てられ、

両親とは血縁にありながら、一切の交信もなし。

正一が施設で暮らしていた時に仲のよかった仲間が

永山徹という男で、今では土木関連の仕事を請け負う親方。

二人は同い年で気が合い、今でも付き合いがある。

徹のところで働く若者、大野武志(タケシ)は縁あって、

正一の娘、茜(あかね)と所帯を持ち、すでに二人の娘がいる。

正一と節子にとっては孫娘である。

タケシの母親はシングルマザー。息子の面倒をみずに

男のところへ出掛け好き勝手、ぐれたタケシは少年院入り。

その後、永山徹のお陰で、まっとうな生活ができるように育った。

実の母親の居場所は知っているものの、口にはせず。

集中治療室ICUの部屋はパーティションとカーテンで仕切られ、

もう一人の患者がベッドに横たわり、命が尽きようとしている。

榊原勝男という老人で、年齢は80歳。

息子が大阪にいるらしいが、連絡をしてもアクションを起こさず。

榊原は竹脇に声をかけ、二人で出かけようと誘う。

これからはあり得ない話だが、病院を抜け出して行く。

榊原馴染みの銭湯に入りひと風呂浴び、湯上りには

近くの公園に店開きしている屋台、リヤカーを改造した

古式豊かな屋台に立ち寄り、一杯遣りながら、

昔話を続ける。

榊原は昭和20310日の東京大空襲で、家族を失い戦災孤児となる。

その日のことは全く記憶にないと本人は語る。

孤児たちがグループを作り、盗みなどいろいろと悪さをしたらしい。

ちょっとませた峰子という女の子がグループのリーダー格だった。

物語の終盤で、この峰子が登場する。

戦後進駐軍の目立つ頃、彼女は15歳の若さで妊娠、

父親もわからぬまま男の子を出産、

とても育てることもできず、地下鉄の車内に赤ん坊を置いたまま

行方をくらましてしまう。

読者の想像に任せるだけだが、この赤ちゃんが孤児院に引き取られ、

そのまま成長していればちょうど65歳になる。

主人公はそのまま眠りについて、物語は終わる。

平成もあと1年ちょっとで幕を閉じるが、

昭和の時代もすっかり遠くになった。

浅田文学の傑作の一つだと思う。






by toshi-watanabe | 2018-01-22 13:11 | 読書ノート | Comments(0)

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内田康夫さんの作品、「城崎殺人事件」を読み終える。
徳間文庫して最近出版された新装版、640円+税。
徳間文庫として最初に刊行されたのは
1992年、

内田さんの長編小説としては43番目の作品。

この作品は、珍しく母親、浅見雪江のお供で、

光彦が城崎温泉を訪れ、現地の事件に巻き込まれる物語。

母親は専ら城崎温泉名物の七つの外湯めぐりを楽しむ。

若い世代の人たちは伊豆半島の城ケ崎と勘違い

するかも知れないが、兵庫県の日本海に面した

城崎(きのさき)である。

平安時代から城崎温泉の名は知られ、

旅館には内湯がなく宿泊客は外湯を使うのが当たり前だった。

昭和2年に、三木屋旅館の庭から源泉が発見され、

旅館内に内湯を設けたのだが、土地の伝統に反すると

裁判沙汰にまで発展、やっと解決したのが戦後の昭和25年、

各旅館が内湯を持てるようになったのだが、

それも七つの外湯を第一に考え、旅館内の内湯は

小規模にするという条件付きだった。

現在もその流れは続いている。

浅見親子が投宿したのは、上記の「三木屋旅館」。

創業300年の歴史を誇る由緒ある宿。

かって志賀直哉の定宿で、志賀直哉は何度も訪れている。

そこから名作「城の崎にて」が書かれた。

偶々、光彦たちは古びた空き家のままの幽霊ビルの前を通り、

ビル内で死体が発見されたばかりの場面に行きあたる。

例の如く、浅見光彦探偵は不審を抱き、首を突っ込んでしまう。

このビルは、金の先物取引の詐欺事件で悪名高い

保全投資協会が所有している建物。

この詐欺事件の解決に当たって活躍したのが光彦探偵。

とはいえ解決したのは東日本関連の半分だけで、

残りの半分、西日本の部分はまだ不明となっていた。

母親の希望で、光彦はレンタカーを借りて、

日和山(ひよりやま)海岸へ向かう。

因みに日和山という地名は北海道から九州鹿児島まで、

全国津々浦々に多数存在するが、豊岡市の日和山である。

ところが坂道を下りながら、ブレーキが利かないのに気づく。

ハンドル操作をするのが精いっぱい、ようやく登り坂にかかって、

道路わきに寄せ、スピードの落ちたところでガードレールに接触させ、

辛うじて停車、命拾いをする。

明らかに誰かが悪意を持って、ブレーキオイルが漏れるようにしたのか、

点検を怠り整備不良だったと思われる。

だがレンタカー会社は、あらぬ疑いをかけられて憤慨する。

その後、光彦は、ある人物を訪ねて行く途中で、

車が横向きにとめられており、前に進めず、

そして近くで死体が発見される。

被害者はレンタカー会社の主だった。

第一発見者として光彦は警察からは疑いの目で見られることに。

母親のお供で城崎温泉に訪れた旅にすぎないにも拘わらず、

光彦を貶めようとしているのではと、

闇の魔手を光彦自身は気になり始める。

こうして光彦探偵の推理が動き始めるのだが、空回りするばかり、

なかなか解決の糸口がつかめない。

浅見親子が腰を上げて帰途に就こうという直前に、

光彦探偵はあることに気づく。

そして一挙に解決へ向かう。

この小説も伝説シリーズの一作に含まれる。

「土蜘蛛伝説」が絡んでくる。

上古日本において朝廷天皇に恭順しなかった土豪

のことを土蜘蛛と呼んだようだ。

伝説好きの読者には大変興味深いだろう。

結局この小説も一挙に読んでしまう。

小説には登場しないが、城崎温泉には数多くの

文豪が訪れている。

その一人、与謝野晶子の歌を紹介したい。

「日没を 円山川に見てもなほ 夜明けめきたり 城の崎くれば」







by toshi-watanabe | 2018-01-13 11:35 | 読書ノート | Comments(2)



葉室麟さんの最新作「天翔(あまか)ける」を読み終える。

幕末から明治にかけて時代をリードした一人である

第16代越前福井藩主、松平春嶽(慶永)の物語である。

激動の時代を、春嶽を通して見事に描いた力作だ。

おそらくこの作品が葉室さんの遺作であろう。

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春嶽は徳川御三卿の田安徳川家第3代当主、

徳川斉匡(なりまさ)の八男として生まれ、

第15代越前福井藩主、松平斉善(なりさわ)の養子に。

また時の将軍、徳川家慶の従弟に当たる。

幕末四賢侯の一人に数えられた。

他の三侯とは、伊達宗城(むねなり)(宇和島藩第8代藩主)、

山内容堂(豊信/とよしげ)(土佐藩第15代藩主)、

そして島津斉彬(なりあきら)(薩摩藩第11代藩主)。

島津斉彬が亡くなった後は第12代藩主の父親で、

斉彬の異母弟、島津久光が加えられる。

春嶽は主として江戸屋敷に住み、多くの士と交わり、

幕末の動きを的確にとらえる。

海外からの圧力に対し国の進むべき道が

どうあるべきか真剣に考える。

生まれからして当然のことながら、徳川家を第一に、

徳川家を中心に物事を見てしまうところも。

春嶽の側近として仕えたのが藩士の橋本左内。

左内は適塾で蘭学を学び、水戸藩の藤田東湖、薩摩藩の西郷隆盛、

小浜藩の梅田雲浜や熊本藩の横井小楠などと知己を得る。

春嶽にとって左内は良き相談相手であるばかりでなく、

水戸藩や熊本藩との交流に役立つことに。

ところが、大老となった井伊直弼の「安政の大獄」の折、

将軍継嗣問題に介入したとされて、橋本左内は斬首される。

享年26歳の若さだった。

その後、側近として仕え、春嶽に最も大きな影響を

与えるのが横井小楠。

小楠は元来、熊本藩の藩士なのだが、藩の改革案が通らず、

春嶽の強い要望により、福井藩に招かれ、力を十分に発揮する。

西郷隆盛、勝海舟、坂本龍馬などとも意見を交わす場面もあり、

世の動きを的確に判断する春嶽の立場は重要性を増して行く。

時には大老に推挙される動きもあるものの、春嶽は乗らず。

当初一橋慶喜を支持していた春嶽だが、次第に考え方が違う方向に。

目まぐるしいほどに国内の情勢は動き、

一橋慶喜による太政奉還、そして公武合体と進み、

いよいよ明治の代に移るのだが、

京都で小楠が暗殺される。

春嶽にとっては大きな痛手となる。

明治新政府にも重要な地位を占める春嶽だが、

早々に役職を辞し、晩年は正室の勇姫と共にひっそりと過ごす。

因みに勇姫は熊本の出身である。

田原坂の激戦を最後に幕を閉じた「西南の役」を伝える

新聞に眼を通す春嶽夫妻の姿を描いて、この物語は終わる。

勇姫のところに熊本の実家から手紙が届き、

西郷隆盛が最期まで持っていたカバンの中には

橋本左内の手紙が入っていたと知り、春嶽は感涙する。

明治23年、松平春嶽は東京小石川関口台町邸で逝去。

享年63歳。

辞世の和歌が残されている。

「なき数に よしやいるとも 天翔(あまかけ)り

 御代(みよ)を守らむ 皇國(すめぐに)のため」

著書の題名は、この歌から選んだのだろう。

読者をひきつけてやまない、素晴らしい葉室作品である。

じっくりと読ませていただいた。

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葉室麟さんは、昨年末、12月23日に、

福岡市の病院にて病気のため逝去された。

病名は明かされておらず、葬儀は身内の方々で営まれた。

早すぎる旅立ち、実に惜しい。

改めて故人のご冥福を祈るばかりである。


合掌







by toshi-watanabe | 2018-01-10 14:14 | 読書ノート | Comments(0)

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諸田玲子さんの最新作「森家の討ち入り」を読み終える。

「忠臣蔵」は数多くの作家により数多くの作品が出ているが、

この作品は、三人の義士に的を絞った歴史小説である。

美作国津山城を居城とする津山森家は

十八万六千五百石の大名だったのだが、

内記長継(大隠居)のあとを継いだ嫡男の忠継が

早世してしまったことから、森家のお家騒動が始まった。

改易の悲劇に見舞われた後、備中国西江原二万石を与えられ、

森家の名跡は遺された。

この騒動に伴い、津山森家の多くの家臣は職を失った。

森家の家臣の中で三人がすぐ隣の赤穂浅野家に

新たに仕える身となった。

神崎与五郎、茅野和助、そして横川勘平である。

彼等三人は、かって江戸郊外中野村の御囲築造にともに

従事するという不思議な縁を持つ仲間でもあった。

御囲とは、当時の五代将軍、犬公方と呼ばれた徳川綱吉の

「生類憐みの令」により野犬保護のために築造されたもの。

さて元禄151214日、

吉良邸に討ち入りを果たした赤穂四十七士の中に

浅野家に仕えるようになって間のない三人がいた。

プロローグの「長直の饅頭」とエピローグの「お道の塩」に

挟まれて、「与五郎の妻」で神崎与五郎を、

「和助の恋」で、茅野和助を、「里和と勘平」で横川勘平と

陰で支えた女性たちとの生き様が描かれている。

命を懸けて戦い抜いた、壮絶な人生であった。

討ち入り後、赤穂四十七士は四か所に別れて預けられ、

沙汰を待っていた。

与五郎、和助、勘平の三人が預けられたのは

三河国岡崎水野家の江戸中屋敷だった。

備中国西江原森家二万石の当主長直は、

この正月に32歳になったばかり、

かっては津山森家の家臣であった三人に饅頭を届けようと思案する。

長直は、宗家の津山森家二代長継の八男に生まれたが、

三代、四代の反目や四代の早世、つづく養嗣子の廃嫡と

お家お取り潰し等々の森家不幸が続き、西江原森家の当主になった。


赤穂浅野家がお家取り潰しとなった後、

奇遇にも、その数年後に長直は赤穂城主となった。

長直は赤穂の塩田に目を開かれ、

精魂込めて、日の本一の塩を造り、将軍家へ献上する。
因みに赤穂森家は明治の初めまで続く。


諸田さんらしい、きめ細かな素晴らしい物語となっている。





by toshi-watanabe | 2018-01-05 08:55 | 読書ノート | Comments(0)

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内田康夫さんの著書「鳥取雛送り殺人事件」を読み終える。

最近出たばかりの新装版、中公文庫、680円+税。

内田さんは現在、療養中の身で、著作からは遠ざかっている。

新作は全然手掛けておられない。

最初のころの作品はほとんど読んでいないので、

新装版が出るたびに買い求めて読んでいる。

ご存知浅見光彦シリーズの一作で、

最初にノベルス版で出版されたのが19912月、

初期の作品に属す。

過日、読んだばかりの「龍神の女」で登場したのが、

和歌山市加太の神事として名高い、

淡嶋神社の雛流し。

今回の作品で登場するのは、鳥取市用瀬(もちがせ)で

行われている雛送りの行事である。

一つ気が付いたのは、通常、光彦シリーズの作品では、

「プロローグ」と「エピローグ」が書かれているのに、

本作品ではいずれもない。

事件が起こりそうな状況、或いは事件の発生を予感させる

前文が無くて、いきなり本文に入るのは珍しいのでは。

偶々早朝、新宿の花園神社界隈を取材中の光彦は、

神社の境内で、頭の下に桟俵(さんだわら)という

藁細工が敷かれた死体を発見する。

傍の植え込みから凶器と思われる漬物石ほどの大きさの

濃緑色の石が発見される。

この石は鳥取の若桜(わかさ)の千代川で採れる三倉石と分かる。

若桜という土地名も面白い。

被害者は埼玉県岩槻市にある人形メーカー「秀丸」の

専務・芦野鷹次郎と判明する。

もとは彫刻家だったが、人形メーカーに接近し、

王朝風な雰囲気を感じさせる、新しい人形をデザイン、

「秀丸」の人形は声価を得て、売り上げは急激に伸びる。

芦野は門跡尼寺で見た雛人形(御所人形)の顔を真似て

「秀丸人形」を作ったらしいのだが、

そのことを芦野はひどく気に病んでいたらしい。

芦野は家族と離縁して一人住まいだが、

娘の多伎恵はカーフを素材にした独自のデザインで

名を知られるようになった人形師。

父親の不慮の死に関心を持ち、光彦と共に鳥取へ向かう。

鳥取と言えば鳥取砂丘だが、

本作品では砂丘とは全く関係のない

鳥取市用瀬町や鳥取県八頭郡若桜町が主要舞台である。

用瀬には実際に「流しびなの館」があり、

人形好きの観光客が訪れているようだ。

雛送りの行事も行われている。

事件とは別に、雛流し、雛送りなどの神事、雛人形の種類

それに三倉石や佐治石の話など、初めて知り得て、

大変興味深い。






by toshi-watanabe | 2017-12-26 08:39 | 読書ノート | Comments(0)

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宮本昌孝さんの新作「武者始め」を読み終える。

祥伝社発行、1,600円+税。

武者始めとは、戦国武将の初陣のことである。

この作品は、戦国時代の7人の武将の初陣物語。

7人の初陣(初陣とは言えない場合もあるが)を通して、

ぞれぞれの武将としての人物像が見事に描かれている。

目次順に行くと、最初に登場するのが、

題して「烏梅(うばい)新九郎」。

伊勢新九郎盛時のことで、烏梅を好んで口にする。

烏梅とは未熟の梅を燻製にしたもので、漢方薬でも知られる。

相模北条氏の祖となる、のちの北条早雲が主人公。

因みに小田原は、現在も梅の産地、梅干しが名産品。

次に登場するのが、「さかしら太郎」。

武田太郎晴信のことで、のちの武田信玄。

さかしらとは、賢しら、利口そうにふるまったり、

物知りぶることで、父親の信虎にとっては、

太郎の賢しらさが癇に障る。

3人目は「いくさごっこ虎」。

長尾虎千代景虎、越後の虎と称された、のちの上杉謙信。

三十数年間で七十回以上戦場を馳駆した

謙信は一度も負けなかったと言われる。

継いで登場するのが「母恋い吉法師」。

七つの作品の中では、最も興味深く読み、

一番感動を与えられた物語だ。

吉法師とは、ご存知織田上総介信長の幼名で、

その姿や行動から尾張の大うつけと呼ばれる。

実母の土田御前からは長男でありながら疎まれ、次男が溺愛される。

吉法師の面倒を見たのが乳母の徳で、

実は父親の信秀の家臣、池田恒利の妻である。

吉法師は徳を実の母のように慕う。

徳はのちに養徳院と名乗り、94歳の長寿を全うする。

5人目に登場するのは、題して「やんごとなし日吉」

やんごとなしとは、やんごとなきという意味なのだろう。

幼名日吉(実際は異論もあり)と言えば、のちの木下藤吉郎、

そして豊臣秀吉、羽柴秀吉。

信長に接近するくだりが語られている。

日吉は京の村雲にある持萩中納言家の主として登場。

長年にわたり、無名の貧乏公家だと称している。

次いで「薬研次郎三郎」。

薬研とくれば、見当がつくが松平次郎三郎、幼名竹千代、

のちの徳川家康である。

足掛け14年に及ぶ人質生活を強いられる。

最後の登場人物は、題して「ぶさいく弁丸」。

弁丸とは真田源次郎信繁の幼名で、のちの真田幸村。

上杉との和議により、弁丸は人質として上杉景勝の元に。

幸村と言えば、颯爽とした武将を思い描くが、

その風貌は小柄で出っ歯のぶさいく男、

とても美丈夫というには程遠かったようだ。

その為か、秀吉からも気に入られる。

豊臣秀頼を守ろうと、大坂夏の陣で、

戦国武士随一の大輪の花を咲かせ、圧倒的に美しい最期、

ぶさいく弁丸から美男真田幸村に変貌した。

いずれの作品も素晴らしく、読者をぐいぐい引き込んでしまう。

大変興味深く読む事が出来た。

ぜひともお薦めしたい一冊である。



by toshi-watanabe | 2017-12-20 10:23 | 読書ノート | Comments(0)

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内田康夫さんの著書「龍神の女(ひと)」を読み終える。

「内田康夫と5人の名探偵」とサブタイトルがついている。

最近、福間文庫として出版、650円+税。

200310月に有楽出版社より刊行されたものの再販。

内田さんご本人は短編小説を書くのは嫌いで苦手だと言われているが、

この著書は5編の短編小説から成っている。

いずれの作品も1980年代から90年代初期にかけて

書かれたもので、一部は2003年出版時に初めて公開された。

これらの短編が書かれたころは、浅見光彦シリーズが確立する前の時代で、

浅見光彦の他に幾人かの名探偵が登場していた。

書名になっている「龍神の女」では、和泉教授夫妻が和歌山県の

高野山にほど近い龍神温泉へ向かう途中で事件に巻き込まれる。

龍神温泉は古く、紀州徳川家藩主の湯治場と知られる。

日本三美人湯の一つでもある。

和泉夫妻はその後、気になる女性の後を追って和歌山市加太にある

淡嶋神社へ向かう。

この神社は人形供養の寺として名高く、数十万体にも及ぶ無数の

人形が境内一円に奉納されており、偏に壮観である。

気味の悪い風景ですらあるとも言われる。

和泉教授は素人探偵を装うものの危ない目にも遭ってしまう。

「鏡の女」はこの作品集の中では最も長編で、最も面白く読んだ。

1987年に発表されており、ご存知浅見光彦が登場する。

居候の光彦のところに宅急便で、姫鏡台が届く。

差出人は田園調布の文瀬夏子となっているが見当もつかない。

宛名が書き直されており、最初に書かれた宛名から

文瀬は結婚後の苗字で、元は浅野夏子と判明する。

夏子は光彦が小学校に通っていた時の同級生、

淡い恋心を抱いた女性だった。

夏子は恵まれた結婚生活は送れず、不慮の死を遂げる。

夏子の夫の文瀬には付き合っている別の女性がおり、

夏子の亡くなった後、夫婦約束をしているのだが、

その女のところに宅急便で姫鏡台が送られてくる。

差出人がすでに亡くなっている夏子、差出人の住所が、

夏子の眠る多磨霊園となっている。

光彦のところに届いた姫鏡台は夏子の姉のところで保管されている。

余りのことにその女は狂気となり、病院から飛び降り自殺。

「少女像(ブロンズ)は泣かなかった」は1988年に発刊された。

美人の橋本千晶は車椅子の生活。

静かな住宅地なので、時折車椅子で近隣を散策する。

直ぐ近くに住む牧田家の夫人、美登子と知り合うのだが、

美登子夫人は睡眠薬を飲んで亡くなる。

警察では自殺と処理するものの、千晶は不審に思う。

美登子はいつも一人で自分の部屋に閉じこもり、

飾り棚にはブロンズの少女像を置いている。

お手伝いさんは毎朝、美登子の部屋へ掃除のために入り、

いつも少女像が涙を流したかの如く濡れているのを目にしていた。

所が亡くなった朝、少女像は涙を流していなかった。

それを聞いて、千晶は推理を働かせ、
やがて殺人事件であることを突き止める。

「優しい殺人者」では、奥多摩の美人ママ殺しがテーマ。

登場するのが、警視庁捜査一課の福原太一警部。
警部の姿を見て、「豚腹(ぶたばら)」と揶揄する人も。

いつも半分眠ったような恰好で、担当刑事が報告するのに

耳を傾けているのだが、外目には何を考えているのかさっぱりわからない。

ところが的確に指示を与え、最終的には事件の本筋を突き止めてしまう。

福原警部という、一つのモデルを作り上げている。
似たようなケースでは、「信濃のコロンボ」も何度か内田作品に登場する。

「ルノアールの男」は1984年に発刊された。

学校時代成績が悪く、大学を出たものの、真面な職に就けず、

ふらふらしていた鴨田が探偵事務所を立ち上げる。

学校時代のグループに優秀な仲間たちがおり、

彼らが協力して、鴨田探偵事務所を開設するにあたり、

お化けパソコン「ゼニガタ1号」を作って寄贈してくれる。

問題の解決に、このパソコンが手助けしてくれる仕組みだ。

或る時、鴨田は依頼人と喫茶店の「ルノアール」で落ち合うのだが、

とんでもない事件に巻き込まれてしまう。

いずれも内田さん初期の時代の作品、短編小説なので

多少物足りなさもあるが、素人探偵の活躍を含めて、
それなりに興味深い作品集だ。









by toshi-watanabe | 2017-12-02 09:19 | 読書ノート | Comments(0)

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葉室麟さんの新作「大獄 - 西郷晴嵐賦」を読み終える。

文芸春秋発行、1,700円+税。

来年は明治維新から150年、NHKの大河ドラマは

「西郷(せご)どん」、林真理子の原作が脚本化され、

西郷隆盛を主人公に放映される。

この原作の他にも、数多くの西郷隆盛を取り上げた

著書が現在書店に並んでいる。

葉室さんの作品も、西郷隆盛の物語だが、

西郷吉之助として登場する。

時は弘化3年(1846)、薩摩藩世子の島津斉彬が江戸より帰国。

斉彬は38歳、父の藩主斉興は未だ家督を譲らず。

藩士の大久保利世の問いに応えて斉彬は答える。

「世が使うのは、仁勇の者だ」

「百才あって一誠なし、不仁であるがゆえにひとの心を得られぬ。

 それゆえ、どれだけ働こうとも、ひとの恨みを残すだけだろう。

 世の中をまことに動かすのは、仁を行う勇を持った者であろう。」

利世には、この言葉に似つかわしい若者の顔が脳裏に浮かんだ。

その若者こそ、西郷吉之助である。

薩摩藩では子弟の教育は居住地ごとの郷中(ごじゅう)で行う。

青少年の先輩が後輩を指導する体制で、

指導に当たるのが二才頭(にさいがしら)である。

丁度20歳になったばかりの吉之助は二才頭を務め、

同時に郡方書役として出仕していた。

嘉永4年(1851)に島津斉興は隠居の身となり、

斉彬がいよいよ薩摩藩主の座に就く。

吉之助の器量を見抜いた斉彬は、嘉永7年(安政元年)(1854)、

参勤交代の折りに、吉之助を伴う。

江戸の藩邸では、お庭方を拝命。

卑職だが、主君と直接、言葉を交わす事が出来る。

このため幕府でのお庭番は将軍の密命を受ける

隠密の役目を果たしていた。

水戸藩へ使いを命じられた吉之助は藤田東湖や

戸田蓬軒と面識を得る。

その後、多くの名士と知己を得る。

水戸藩の武田耕雲斎、安島帯刀、越前福井藩の橋本佐内、中根雪江、

肥後の長岡監物、長州の益田弾正、土浦の大久保要、尾張の田宮如雲等々。

安政5年(1858)、彦根藩主・井伊直弼なおすけ)が大老に就任する。

その陰には紀州の付家老・水野忠央(ただなか)の画策がある。

徳川幕府12代将軍・家慶が亡くなった後を継いだ13代将軍・家定は

家慶の四男だったが病弱な体質、先が危ぶまれ、水野忠央は血筋の最も近い

紀州藩主・慶福(よしとみ)を将軍継嗣に押していた。
後の14代将軍・家茂、その時まだ12歳。

所謂“南紀派”である。

井伊大老は家臣の長野主膳を京へ派遣して、

慶福将軍実現のための活動を開始する。

その一方で、当時の世情から見て、一橋慶喜が次期将軍に

最もふさわしいと考える、水戸斉昭を中心とする一派、

所謂“一橋派”があり、越前の松平春嶽などとともに、

島津斉彬も水戸斉昭を支持していた。

近衛家の娘として将軍家定の元に薩摩から嫁いでいた篤姫を通じて、

吉之助は藩主の意向に沿った工作をしていたのだが、

家定は篤姫と話をしようとせず、母親である本寿院、幼い頃に教育係だった

歌橋、いずれも南紀派の婦人たちに言われるまま、次期将軍には、

紀州の慶福と宣言し、一橋派の敗北となった。

この結果、「安政の大獄」が厳しく行われることに。
一橋派の主だった人たちが処罰やひどい仕打ちを受けた。

書名の「大獄」とはまさに、この「安政の大獄」。

因みに、1963年に放映されたNHK大河ドラマの第一作、

「花の生涯」は井伊大老の生涯を描いた作品だった。

折りしも斉彬は薩摩軍を率いて江戸に向かおうとしていたのだが、

病で突然亡くなり、薩摩藩主は斉彬の異母弟の息子、茂久が継ぐ。

実際には、茂久の父親、島津久光が実力者として

薩摩藩を引っ張ってゆくことに。

西郷吉之助は京で斉彬の訃報を耳にして殉死をと考えるのだが、

京において公家との間の交渉役をしていた、尊王攘夷派の

僧侶・月照らに思いとどまるように言われ、斉彬の遺志を継ぐ決意をする。

「安政の大獄」のあおりを受けて、吉之助は藩の計らいで、

菊池源吾と名前を変えて、奄美大島に潜居する。

所謂島流しとは異なり、島では普通の生活をする。

3年後藩の許しが出て吉之助は島から薩摩へ帰るところで、
この作品は終えている。

包容力のある西郷吉之助が見事に描かれた作品である。

周りの人たちに安心感を与えずにはおかない、

如何にも大人物というイメージが目に浮かぶ。

吉之助にとって子供の頃からの友達というか仲間の中でも、

特に仲のよかった3歳年下の大久保一蔵(のちの利通)が登場する。

大久保利世の息子、一蔵は吉之助を尊敬し、兄のように慕っていたのだが、

心の中では、いつかは吉之助を飛び越えようと考えていた。

吉之助が奄美大島に流されていた間、新たな薩摩藩の実力者

となった島津久光に接近し、吉之助と斉彬との間にあったような

関係を自分も持とうとし、実現に向かって活動する。

ただ、吉之助はそのあたりのことをすでに感知していた。

吉之助と斉彬との間には、同じ考えを持った信頼関係があったのに対して、

一蔵と久光の間には信頼関係が全くなく、

お互いの力をただ利用し合う、打算的な関係であると見抜いていた。
明治に入り、西郷と大久保は敵対する関係になるのだが、
すでにその前兆が出ていた。


西郷隆盛を扱った小説は数多く出ているが、

葉室麟さんの「大獄」は西郷隆盛という人物を見事に描いた
実に素晴らしい作品である。

葉室ファンとして、大いに感動を与えていただいた。











by toshi-watanabe | 2017-11-28 09:11 | 読書ノート | Comments(0)