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内田康夫さんの著書「鳥取雛送り殺人事件」を読み終える。

最近出たばかりの新装版、中公文庫、680円+税。

内田さんは現在、療養中の身で、著作からは遠ざかっている。

新作は全然手掛けておられない。

最初のころの作品はほとんど読んでいないので、

新装版が出るたびに買い求めて読んでいる。

ご存知浅見光彦シリーズの一作で、

最初にノベルス版で出版されたのが19912月、

初期の作品に属す。

過日、読んだばかりの「龍神の女」で登場したのが、

和歌山市加太の神事として名高い、

淡嶋神社の雛流し。

今回の作品で登場するのは、鳥取市用瀬(もちがせ)で

行われている雛送りの行事である。

一つ気が付いたのは、通常、光彦シリーズの作品では、

「プロローグ」と「エピローグ」が書かれているのに、

本作品ではいずれもない。

事件が起こりそうな状況、或いは事件の発生を予感させる

前文が無くて、いきなり本文に入るのは珍しいのでは。

偶々早朝、新宿の花園神社界隈を取材中の光彦は、

神社の境内で、頭の下に桟俵(さんだわら)という

藁細工が敷かれた死体を発見する。

傍の植え込みから凶器と思われる漬物石ほどの大きさの

濃緑色の石が発見される。

この石は鳥取の若桜(わかさ)の千代川で採れる三倉石と分かる。

若桜という土地名も面白い。

被害者は埼玉県岩槻市にある人形メーカー「秀丸」の

専務・芦野鷹次郎と判明する。

もとは彫刻家だったが、人形メーカーに接近し、

王朝風な雰囲気を感じさせる、新しい人形をデザイン、

「秀丸」の人形は声価を得て、売り上げは急激に伸びる。

芦野は門跡尼寺で見た雛人形(御所人形)の顔を真似て

「秀丸人形」を作ったらしいのだが、

そのことを芦野はひどく気に病んでいたらしい。

芦野は家族と離縁して一人住まいだが、

娘の多伎恵はカーフを素材にした独自のデザインで

名を知られるようになった人形師。

父親の不慮の死に関心を持ち、光彦と共に鳥取へ向かう。

鳥取と言えば鳥取砂丘だが、

本作品では砂丘とは全く関係のない

鳥取市用瀬町や鳥取県八頭郡若桜町が主要舞台である。

用瀬には実際に「流しびなの館」があり、

人形好きの観光客が訪れているようだ。

雛送りの行事も行われている。

事件とは別に、雛流し、雛送りなどの神事、雛人形の種類

それに三倉石や佐治石の話など、初めて知り得て、

大変興味深い。






by toshi-watanabe | 2017-12-26 08:39 | 読書ノート | Comments(0)

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宮本昌孝さんの新作「武者始め」を読み終える。

祥伝社発行、1,600円+税。

武者始めとは、戦国武将の初陣のことである。

この作品は、戦国時代の7人の武将の初陣物語。

7人の初陣(初陣とは言えない場合もあるが)を通して、

ぞれぞれの武将としての人物像が見事に描かれている。

目次順に行くと、最初に登場するのが、

題して「烏梅(うばい)新九郎」。

伊勢新九郎盛時のことで、烏梅を好んで口にする。

烏梅とは未熟の梅を燻製にしたもので、漢方薬でも知られる。

相模北条氏の祖となる、のちの北条早雲が主人公。

因みに小田原は、現在も梅の産地、梅干しが名産品。

次に登場するのが、「さかしら太郎」。

武田太郎晴信のことで、のちの武田信玄。

さかしらとは、賢しら、利口そうにふるまったり、

物知りぶることで、父親の信虎にとっては、

太郎の賢しらさが癇に障る。

3人目は「いくさごっこ虎」。

長尾虎千代景虎、越後の虎と称された、のちの上杉謙信。

三十数年間で七十回以上戦場を馳駆した

謙信は一度も負けなかったと言われる。

継いで登場するのが「母恋い吉法師」。

七つの作品の中では、最も興味深く読み、

一番感動を与えられた物語だ。

吉法師とは、ご存知織田上総介信長の幼名で、

その姿や行動から尾張の大うつけと呼ばれる。

実母の土田御前からは長男でありながら疎まれ、次男が溺愛される。

吉法師の面倒を見たのが乳母の徳で、

実は父親の信秀の家臣、池田恒利の妻である。

吉法師は徳を実の母のように慕う。

徳はのちに養徳院と名乗り、94歳の長寿を全うする。

5人目に登場するのは、題して「やんごとなし日吉」

やんごとなしとは、やんごとなきという意味なのだろう。

幼名日吉(実際は異論もあり)と言えば、のちの木下藤吉郎、

そして豊臣秀吉、羽柴秀吉。

信長に接近するくだりが語られている。

日吉は京の村雲にある持萩中納言家の主として登場。

長年にわたり、無名の貧乏公家だと称している。

次いで「薬研次郎三郎」。

薬研とくれば、見当がつくが松平次郎三郎、幼名竹千代、

のちの徳川家康である。

足掛け14年に及ぶ人質生活を強いられる。

最後の登場人物は、題して「ぶさいく弁丸」。

弁丸とは真田源次郎信繁の幼名で、のちの真田幸村。

上杉との和議により、弁丸は人質として上杉景勝の元に。

幸村と言えば、颯爽とした武将を思い描くが、

その風貌は小柄で出っ歯のぶさいく男、

とても美丈夫というには程遠かったようだ。

その為か、秀吉からも気に入られる。

豊臣秀頼を守ろうと、大坂夏の陣で、

戦国武士随一の大輪の花を咲かせ、圧倒的に美しい最期、

ぶさいく弁丸から美男真田幸村に変貌した。

いずれの作品も素晴らしく、読者をぐいぐい引き込んでしまう。

大変興味深く読む事が出来た。

ぜひともお薦めしたい一冊である。



by toshi-watanabe | 2017-12-20 10:23 | 読書ノート | Comments(0)

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内田康夫さんの著書「龍神の女(ひと)」を読み終える。

「内田康夫と5人の名探偵」とサブタイトルがついている。

最近、福間文庫として出版、650円+税。

200310月に有楽出版社より刊行されたものの再販。

内田さんご本人は短編小説を書くのは嫌いで苦手だと言われているが、

この著書は5編の短編小説から成っている。

いずれの作品も1980年代から90年代初期にかけて

書かれたもので、一部は2003年出版時に初めて公開された。

これらの短編が書かれたころは、浅見光彦シリーズが確立する前の時代で、

浅見光彦の他に幾人かの名探偵が登場していた。

書名になっている「龍神の女」では、和泉教授夫妻が和歌山県の

高野山にほど近い龍神温泉へ向かう途中で事件に巻き込まれる。

龍神温泉は古く、紀州徳川家藩主の湯治場と知られる。

日本三美人湯の一つでもある。

和泉夫妻はその後、気になる女性の後を追って和歌山市加太にある

淡嶋神社へ向かう。

この神社は人形供養の寺として名高く、数十万体にも及ぶ無数の

人形が境内一円に奉納されており、偏に壮観である。

気味の悪い風景ですらあるとも言われる。

和泉教授は素人探偵を装うものの危ない目にも遭ってしまう。

「鏡の女」はこの作品集の中では最も長編で、最も面白く読んだ。

1987年に発表されており、ご存知浅見光彦が登場する。

居候の光彦のところに宅急便で、姫鏡台が届く。

差出人は田園調布の文瀬夏子となっているが見当もつかない。

宛名が書き直されており、最初に書かれた宛名から

文瀬は結婚後の苗字で、元は浅野夏子と判明する。

夏子は光彦が小学校に通っていた時の同級生、

淡い恋心を抱いた女性だった。

夏子は恵まれた結婚生活は送れず、不慮の死を遂げる。

夏子の夫の文瀬には付き合っている別の女性がおり、

夏子の亡くなった後、夫婦約束をしているのだが、

その女のところに宅急便で姫鏡台が送られてくる。

差出人がすでに亡くなっている夏子、差出人の住所が、

夏子の眠る多磨霊園となっている。

光彦のところに届いた姫鏡台は夏子の姉のところで保管されている。

余りのことにその女は狂気となり、病院から飛び降り自殺。

「少女像(ブロンズ)は泣かなかった」は1988年に発刊された。

美人の橋本千晶は車椅子の生活。

静かな住宅地なので、時折車椅子で近隣を散策する。

直ぐ近くに住む牧田家の夫人、美登子と知り合うのだが、

美登子夫人は睡眠薬を飲んで亡くなる。

警察では自殺と処理するものの、千晶は不審に思う。

美登子はいつも一人で自分の部屋に閉じこもり、

飾り棚にはブロンズの少女像を置いている。

お手伝いさんは毎朝、美登子の部屋へ掃除のために入り、

いつも少女像が涙を流したかの如く濡れているのを目にしていた。

所が亡くなった朝、少女像は涙を流していなかった。

それを聞いて、千晶は推理を働かせ、
やがて殺人事件であることを突き止める。

「優しい殺人者」では、奥多摩の美人ママ殺しがテーマ。

登場するのが、警視庁捜査一課の福原太一警部。
警部の姿を見て、「豚腹(ぶたばら)」と揶揄する人も。

いつも半分眠ったような恰好で、担当刑事が報告するのに

耳を傾けているのだが、外目には何を考えているのかさっぱりわからない。

ところが的確に指示を与え、最終的には事件の本筋を突き止めてしまう。

福原警部という、一つのモデルを作り上げている。
似たようなケースでは、「信濃のコロンボ」も何度か内田作品に登場する。

「ルノアールの男」は1984年に発刊された。

学校時代成績が悪く、大学を出たものの、真面な職に就けず、

ふらふらしていた鴨田が探偵事務所を立ち上げる。

学校時代のグループに優秀な仲間たちがおり、

彼らが協力して、鴨田探偵事務所を開設するにあたり、

お化けパソコン「ゼニガタ1号」を作って寄贈してくれる。

問題の解決に、このパソコンが手助けしてくれる仕組みだ。

或る時、鴨田は依頼人と喫茶店の「ルノアール」で落ち合うのだが、

とんでもない事件に巻き込まれてしまう。

いずれも内田さん初期の時代の作品、短編小説なので

多少物足りなさもあるが、素人探偵の活躍を含めて、
それなりに興味深い作品集だ。









by toshi-watanabe | 2017-12-02 09:19 | 読書ノート | Comments(0)

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葉室麟さんの新作「大獄 - 西郷晴嵐賦」を読み終える。

文芸春秋発行、1,700円+税。

来年は明治維新から150年、NHKの大河ドラマは

「西郷(せご)どん」、林真理子の原作が脚本化され、

西郷隆盛を主人公に放映される。

この原作の他にも、数多くの西郷隆盛を取り上げた

著書が現在書店に並んでいる。

葉室さんの作品も、西郷隆盛の物語だが、

西郷吉之助として登場する。

時は弘化3年(1846)、薩摩藩世子の島津斉彬が江戸より帰国。

斉彬は38歳、父の藩主斉興は未だ家督を譲らず。

藩士の大久保利世の問いに応えて斉彬は答える。

「世が使うのは、仁勇の者だ」

「百才あって一誠なし、不仁であるがゆえにひとの心を得られぬ。

 それゆえ、どれだけ働こうとも、ひとの恨みを残すだけだろう。

 世の中をまことに動かすのは、仁を行う勇を持った者であろう。」

利世には、この言葉に似つかわしい若者の顔が脳裏に浮かんだ。

その若者こそ、西郷吉之助である。

薩摩藩では子弟の教育は居住地ごとの郷中(ごじゅう)で行う。

青少年の先輩が後輩を指導する体制で、

指導に当たるのが二才頭(にさいがしら)である。

丁度20歳になったばかりの吉之助は二才頭を務め、

同時に郡方書役として出仕していた。

嘉永4年(1851)に島津斉興は隠居の身となり、

斉彬がいよいよ薩摩藩主の座に就く。

吉之助の器量を見抜いた斉彬は、嘉永7年(安政元年)(1854)、

参勤交代の折りに、吉之助を伴う。

江戸の藩邸では、お庭方を拝命。

卑職だが、主君と直接、言葉を交わす事が出来る。

このため幕府でのお庭番は将軍の密命を受ける

隠密の役目を果たしていた。

水戸藩へ使いを命じられた吉之助は藤田東湖や

戸田蓬軒と面識を得る。

その後、多くの名士と知己を得る。

水戸藩の武田耕雲斎、安島帯刀、越前福井藩の橋本佐内、中根雪江、

肥後の長岡監物、長州の益田弾正、土浦の大久保要、尾張の田宮如雲等々。

安政5年(1858)、彦根藩主・井伊直弼なおすけ)が大老に就任する。

その陰には紀州の付家老・水野忠央(ただなか)の画策がある。

徳川幕府12代将軍・家慶が亡くなった後を継いだ13代将軍・家定は

家慶の四男だったが病弱な体質、先が危ぶまれ、水野忠央は血筋の最も近い

紀州藩主・慶福(よしとみ)を将軍継嗣に押していた。
後の14代将軍・家茂、その時まだ12歳。

所謂“南紀派”である。

井伊大老は家臣の長野主膳を京へ派遣して、

慶福将軍実現のための活動を開始する。

その一方で、当時の世情から見て、一橋慶喜が次期将軍に

最もふさわしいと考える、水戸斉昭を中心とする一派、

所謂“一橋派”があり、越前の松平春嶽などとともに、

島津斉彬も水戸斉昭を支持していた。

近衛家の娘として将軍家定の元に薩摩から嫁いでいた篤姫を通じて、

吉之助は藩主の意向に沿った工作をしていたのだが、

家定は篤姫と話をしようとせず、母親である本寿院、幼い頃に教育係だった

歌橋、いずれも南紀派の婦人たちに言われるまま、次期将軍には、

紀州の慶福と宣言し、一橋派の敗北となった。

この結果、「安政の大獄」が厳しく行われることに。
一橋派の主だった人たちが処罰やひどい仕打ちを受けた。

書名の「大獄」とはまさに、この「安政の大獄」。

因みに、1963年に放映されたNHK大河ドラマの第一作、

「花の生涯」は井伊大老の生涯を描いた作品だった。

折りしも斉彬は薩摩軍を率いて江戸に向かおうとしていたのだが、

病で突然亡くなり、薩摩藩主は斉彬の異母弟の息子、茂久が継ぐ。

実際には、茂久の父親、島津久光が実力者として

薩摩藩を引っ張ってゆくことに。

西郷吉之助は京で斉彬の訃報を耳にして殉死をと考えるのだが、

京において公家との間の交渉役をしていた、尊王攘夷派の

僧侶・月照らに思いとどまるように言われ、斉彬の遺志を継ぐ決意をする。

「安政の大獄」のあおりを受けて、吉之助は藩の計らいで、

菊池源吾と名前を変えて、奄美大島に潜居する。

所謂島流しとは異なり、島では普通の生活をする。

3年後藩の許しが出て吉之助は島から薩摩へ帰るところで、
この作品は終えている。

包容力のある西郷吉之助が見事に描かれた作品である。

周りの人たちに安心感を与えずにはおかない、

如何にも大人物というイメージが目に浮かぶ。

吉之助にとって子供の頃からの友達というか仲間の中でも、

特に仲のよかった3歳年下の大久保一蔵(のちの利通)が登場する。

大久保利世の息子、一蔵は吉之助を尊敬し、兄のように慕っていたのだが、

心の中では、いつかは吉之助を飛び越えようと考えていた。

吉之助が奄美大島に流されていた間、新たな薩摩藩の実力者

となった島津久光に接近し、吉之助と斉彬との間にあったような

関係を自分も持とうとし、実現に向かって活動する。

ただ、吉之助はそのあたりのことをすでに感知していた。

吉之助と斉彬との間には、同じ考えを持った信頼関係があったのに対して、

一蔵と久光の間には信頼関係が全くなく、

お互いの力をただ利用し合う、打算的な関係であると見抜いていた。
明治に入り、西郷と大久保は敵対する関係になるのだが、
すでにその前兆が出ていた。


西郷隆盛を扱った小説は数多く出ているが、

葉室麟さんの「大獄」は西郷隆盛という人物を見事に描いた
実に素晴らしい作品である。

葉室ファンとして、大いに感動を与えていただいた。











by toshi-watanabe | 2017-11-28 09:11 | 読書ノート | Comments(0)

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浮穴みみさんの新作「鳳凰(ほうおう)の船」を読み終える。

双葉社発行、1,500円+税。

因みに浮穴みみさんは北海道旭川生まれで現在は札幌在住。

江戸から明治へ、時代の狭間に函館で生きた人たちの

逡巡と悔悟、そして決意の物語が散りばめられている。

書名となっている「鳳凰の船」の他に4篇の物語、

「川の残映(なごり)」、「野火」、「函館札(はこだてさつ)」

そして「彷徨(さまよ)える砦」から成る。

それぞれ独立した形をとっているが、

時代の流れとともにつながりもある。

「鳳凰の船」に登場するのは、

函館に手様式帆船づくりの名匠と謳われた船大工の続豊治。

だがある不運から、船大工の職を離れ、仏壇師として、

また慰めに木彫りをしたりして20余年余りが過ぎる。

世は明治へと移り変わり、ひっそりと暮らす豊治の元を

伊豆の船匠、上田寅吉が訪ねてくる。

嘉永七年、下田沖に停泊中のロシア軍艦ディアナ号が

大津波により沈没、幕府経由で依頼された新船製造に

尽力したのが、伊豆戸田村の船大工だった寅吉。

様式帆船ヘダ号を手掛けたのが寅吉、

この様式は君沢型スクーネルと呼ばれ、寅吉の名は広く知られた。

実は、榎本釜次郎率いる脱走軍の旗艦開陽丸に乗船して、

函館に来たのだが、その開陽丸が江刺港で暴風雨にあって座礁沈没。

「川の残映」に登場するのは、お雇い外国人のジョン・ミルンと

結婚した堀川とね、本願寺派函館別院、願乗寺の娘。

明治の半ばに英国へ渡ってから二十五年、

七年前にミルンが亡くなり、とねは大正9年、

ふるさとの函館に一人帰ってきた。

実家の前の川はすでになくなっている。

に乗ったとねが招魂坂に近づくと目の前にお屋敷、

それは30年前には築島にあった旧ブラキストン邸が移築されたもの。

当時のことをとねは思いだす。

アメリカから招聘されたお雇い外国人のエドウィン・ダンそして、

ダンと結婚した鶴のことなど。

「野火」に登場するのは、福士五郎成豊で、北海道庁

初代長官・岩村通俊に仕える。

福士は「鳳凰の船」に登場した船大工豊治の実の息子、

幼い時に養子に出され、姓が異なる。

福士は、「川の残映」に登場する、イギリス商人、

トマス・ブラキストンと親しくしていた頃、

英語はもちろん、鳥類学から気象観測術や

測量術まで手ほどきを受けていた。

開拓使として測量業務に従事し北海道を調べ上げた。

岩村長官は福士の手腕を大いに評価する。

福士は、野火になり、燃えて駆け巡り、炎の命を

土壌へ授けるのだと決意する。

「函館札」の主人公は、キャプテン・ブラキストン。

独身を貫き通しいたイギリス人商人、ブラキストンと

屋敷で下働きをする、おそのと若いれんの物語。

「彷徨える砦」には函館港改良工事を指揮する廣井勇が登場。

大型船が停泊できるように函館港の改築に取り組む。

ところが、弁天台場の解体工事が予想外の難作業。

幕末安政の時代、陸上の五稜郭とともに、七年の歳月を

費やして築かれたのが弁天台場、海上防備の要。

台場の設計から監督までを、一手に引き受けたのは、

幕臣・武田斐三郎、蘭学者で砲術家、当時一流の科学技術者だった。

難工事の最中、クリスチャンでもある廣井は若い頃世話になった、

フランス人貿易商ピエールと妻の志津を訪ねる。

函館に住む夫妻は近いうちに日本を離れるという。

ピエールは弁天台場を築くにはフランスも支援したものであり、

貴重な遺産として、破壊すべきではないと主張するのだが、

廣井は解体工事を進めざるを得ない。

弁天台場は跡形もなく消え去るが、弁天台場に使われていた

石垣は防波堤の一部に生まれ変わる。

素晴らしい筆者の筆致で、読むものをぐいぐい引き込んで行く、

感動の作品である。

文芸評論家の縄田一男氏も絶賛している。



by toshi-watanabe | 2017-11-24 08:33 | 読書ノート | Comments(0)

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お馴染み「髪ゆい猫字屋繁盛記」シリーズの最終巻
となった「残りの秋」を読み終える。
角川文庫、600円+税。

2015年にステージ4の乳がんを宣告された今井さん、
その後療養しながら執筆をつづけられていたが、
本年10月8日、病院で息を引き取られた。
享年72歳。
この場を借りてご冥福を祈るばかりである。
合掌

この作品は書き下しで今井さん最後の著作となった。
日本橋北内神田の照降町にある髪結床猫字屋がメインの舞台である。
そこには仕舞屋の住人や裏店に住む町人たちが日々集う。
江戸の長屋に息づく情景が見事に描かれている。
猫字屋を取り仕切っているのが女主のおたみ。
倅の佐吉は、廻り髪結いをしながら、お上から十手を預かる身。
自分の娘として育てたおよしとおけいもいる。

およしが嫁入りしたのが、紅師として身を立て独立、
坂本町に紅藤という見世を出している藤吉。
1人男児に恵まれ、二番目の子供が腹の中に。
ところが突然、大金を手に藤吉がどことも知れず出かけたまま。
結局、藤吉が幼い頃に生き別れとなっていた母親が
見つかり、その面倒を見るためだったとわかる。
母の最期を看取り、遺骨を手に、いざ帰ろうとした
藤吉のところに、見世の使いが急いで駆けつける。
およしはお産がうまく行かず大変な事態になっていると知らされる。
産婆では手に負えず、医者を呼んだと言われる。

猫字屋の面々や普段付き合いのある人たちが、
何かと手助けし、困ったことがあれば親身になって面倒を見る、
人情味溢れた話が盛りだくさん。
おたみをはじめ、登場する人物が交わす、
気風のいい江戸言葉がたまらなくいい。
初代水谷八重子演じる新派の舞台を見ているようだ。

とにかくほろっとさせられる、感動の一編である。






by toshi-watanabe | 2017-11-20 08:54 | 読書ノート | Comments(2)

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祥伝社文庫の一冊として最近発行された(700円+税)、

内田康夫さんの著書「喪(うしな)われた道」を読み終える。

本作品は、平成310月に初出版されて以来、

祥伝社の他に、角川文庫、光文社文庫などより何度か刊行されている。

作者にとっては、66作目の長編小説。

実はこの作品、以前から一度読みたいと思っていた。

というのは、西伊豆の土肥が登場するからである。

戦中戦後の数年間過ごした疎開先が土肥であることは、

何度か日記にも書き込んでいる。

いじめの体験も忘れられないが、懐かしい第二の故郷だ。

ご存知素人探偵、浅見光彦シリーズの一作で、

青梅市梅郷の山中で、虚無僧姿の遺体が発見される

所から物語はスタートする。

遺体は羽田栄三で、当初は事故死ではと見られていたが、

殺人事件に進展する。

栄三の孫娘、20歳の記子がマドンナ役で登場、

しばしば光彦と行動を共にする。

事件の核心がなかなか見えないのだが、

戦後、羽田栄三が勤務していた土肥金山関連の精錬工場が絡んでくる。

土肥金山は江戸時代(慶長年代)、大久保石見守長安が

幕府金山奉行として土肥金山に乗り込み、新技術を導入して

大きく発展させた。

これを第1期とすると、第2期が明治から昭和にかけてで、

土肥金山は、佐渡金山に次ぐ日本第2位の金産出量を誇った。

所が昭和38年(1963)鉱量枯渇のため操業を中止し、

昭和40年(1965)閉山となった。

その7年後、跡地を新たな「土肥金山テーマパーク」に、

観光設備として一般公開されるようになった。

現在は多くの観光客が訪れている。

幼い頃の記憶が定かでないが、土肥温泉として、観光客が来る

様になったのは、鉱山が閉鎖された後だと思う。

私が疎開していたころは、とても観光地という雰囲気ではなかった。

殺害された羽田栄三は尺八の名手で、退職後も尺八同好会のメンバー、

時折り仲間が集まって虚無僧姿に着かえて尺八を楽しんでいた。

彼が殺害された、同じ日に修善寺付近でも虚無僧姿が見られており、

場面は一挙に修善寺の方に。

偶々事件に巻き込まれた光彦探偵は愛車のソアラを駆って修善寺へ出かける。

土肥へも足を延ばし、宿泊するのが土肥温泉「玉樟園新井」。

よく知っている老舗旅館である。

この旅館は本因坊戦や棋聖戦などの開催でも知られる。

作者の内田康夫さんはこの宿に何度か宿泊され、宿の女将とも懇意にされ、

囲碁戦の観戦記も書かれている。

内田さんは囲碁でも将棋でもかなりの腕前とか。

尺八を持った虚無僧の姿が目撃されたのは、修善寺の町はずれ、

そこには最近観光名所となっている旭滝への道、

その手前には功徳山滝源寺跡地があるが、

この寺はかって禅宗の一派である普化宗の寺院だった。

そして旭滝にちなんで作られたのが、尺八の名曲「滝落之曲」。

因みにユーチューブで、この曲を聴く事が出来る。

作品の「エピローグ」には、旭滝の前に関係者が立ち、尺八により

「滝落之曲」が演じられる場面が出てくる。

虚無僧というのは、普化宗の僧が天蓋を被り、尺八を吹き

喜捨を請いながら諸国を行脚修行したのが始まりだと、初めて知る。

明治維新後、太政官布告により普化宗は廃止された。

作品の中の事件に関連して、「伊豆大島近海地震」というのが出てくるが、

この大地震が発生した昭和53年(1978)は米国駐在中、全く記憶にない。

114日、伊豆大島西岸沖を震源地とし、マグにチュード7.0の

直下地震で、伊豆半島にも大きな災害をもたらした。

湯ヶ島にあった工場から猛毒のシラン化ナトリウム(青酸ソーダ)が

狩野川に流出し、駿河湾へ流れ込み、魚介類に多大な被害を

もたらした事実を初めて知った。

新たに金山の坑道付近で起きる殺人事件も含め、

殺人事件の犯人は割り出されるものの逮捕に至らず。

閉山に伴う埋蔵金の話が大きなテーマになるのだが、

光彦探偵の推理で物語は幕を閉じる。

馴染みのある修善寺や土肥が出てきて、興味深く一気に読んでしまった。

終盤、何となく物足りない所もあったが、こういう終わり方もあるのだろう。



by toshi-watanabe | 2017-11-15 09:05 | 読書ノート | Comments(0)

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堺屋太一さんの作品「三人の二代目」を読み終える。

20115月に単行本として講談社から刊行されているが、

最近、文庫本(上下2冊)として出版された。

講談社α文庫(上下各900円+税)。

三人の二代目とは、織田信長から豊臣秀吉へと移り変わる

激動の戦国時代、二代目として登場した三人の武将。

1人は、上杉謙信を継いだ上杉景勝、

2人目は、毛利元就を継いだ毛利輝元、

そして3人目は宇喜多直家を継いだ宇喜多秀家である。

戦国の乱世に、偉大な先代の跡を継いで家長となった

三人の二代目の苦労とその失敗の本質を深く抉った物語だ。

登場人物の多様さ、舞台の広さ、そして情報、策略、戦闘と

続く対象の豊富さにおいて、歴史小説の会心作であると同時に、

現代社会に通じる内容となっている。

堺屋太一流に三人の生き様を見事に捉えている。

読んでいるうちに、現代社会での初代創業者と2代目社長の

違いが見えてくるような気がする。

天正6年(1578)、物語の初めである。

越後の春日山城にいるのは上杉景勝、24歳。

上杉謙信は生涯独身を貫き通し、子供がおらず、

2歳違いの姉、仙桃院の息子、景勝を養子にするが、

景勝の姉の婿の景虎(北条氏康の七男)も謙信に気に入られ

養子に迎えられている。

この年に謙信が亡くなり、跡目相続のために

景勝と景虎との争いが始まる(御館の乱)。

謙信の本心としては、景虎を跡目に考えていたらしいのだが、

実際は、実母の仙桃院のサポートが大きくかかわりを持ち、

景勝が景虎の陣営を破り二代目となる。

謙信公倒れるの情報は直ぐに安土の織田信長の元に届き、
あっと言う間に各地へ知らされる。

謙信の死の10日後には、早くもこの情報が備前岡山城の城主、

宇喜多直家の元にも届いている。

50歳になる初老の直家のそばにいるのは、数えで6歳になる

一人息子の八郎、そして見守る女性は母のお福、30歳。

八郎は羽柴秀吉の元に預けられ、やがて宇喜多秀家を名乗る。

秀吉の元にやはり預けられていた前田家の豪姫との縁組も整い、

前田家と姻戚関係になる。

秀家の支えとなったのは、母親のお福である。

直家の死後、お福は秀吉に気に入られ側室になったと言われる。

同じ年、毛利輝元は播磨西端の上月城を目の前にした陣屋に。

7年前、19歳の時に、毛利元就は家督を嫡孫の輝元に譲った。

元就には3人の息子がいたが、長男の隆元は若くして亡くなり、

隆元の息子、輝元が跡を継いだ。

元就はその際、大事なことは必ず二人の叔父(隆元の弟)、

吉川元春と小早川隆景に相談せよと言い残した。

輝元にとっては、両川と呼ばれる二人の叔父が

どちらかと言えば足枷となってしまう。

物語は進展し、天正10年(1582)には、本能寺の変で信長が

光秀に討たれ、中国返しの秀吉により光秀は討たれ

(山崎の合戦)、清洲会議と続く。

更に翌天正11年(1583)には、賤ケ岳の戦いなどで、柴田勝家が

秀吉に討たれる。

天正18年(1590)には小田原征伐(小田原城開城)により

秀吉の天下統一が成る。

世に名高い小田原評定を著者は

現代風には「情報収集と情勢分析」だろうと書かれている。

結論の出ない会議だったが、なるほどと思う。

豊臣姓を名乗る秀吉が亡くなったのは慶長3年(1598)、

そして2年後の慶長5年(1600)、関ケ原の戦いとなる。

太閤秀吉の晩年には天下の大老となった2代目の3人だが、

天下分け目の関ヶ原では、いずれも負け組に属し、

家庭を失い、敗者として追われる。

家を起こし領土を広げた偉大な初代の無理や因縁が、

二代目にとっては選択の余地を狭め、破滅へと追いやったのではないだろうか。

上杉景勝は元和9年(1623)米沢にて亡くなる、享年69歳。

毛利輝元は宝永2年(1625)萩にて亡くなる、享年73歳。

宇喜多秀家は流人として八丈島に配流され、

八丈島にて亡くなる、享年84歳、

すでに徳川4代将軍家綱の治世だった。

三人とも、当時としては長生きしている。



by toshi-watanabe | 2017-11-10 09:02 | 読書ノート | Comments(0)

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伊東潤さんの最新作「西郷の首」を読み終える。

角川書店、1,800円+税。

読み応えのある作品で、圧巻の歴史長編小説である。

幕末から明治維新へ、時代の激変期に生きた

二人の青年の友情と離別の物語であり、

加賀藩と二人の藩士を通して、

幕末から明治維新への歴史を物語っている。


百万石の雄藩、加賀藩藩士の島田一郎と千田文次郎登文(のりふみ)は、

足軽の子弟で、ほぼ同い年、親友の間柄だった。

目指すところが異なり、時に意見が対立し、激論となることも。

加賀藩は百万石の雄藩でありながら、幕末は中立的立場をとり、

藩としては幕末維新の動きにすっかり乗り遅れてしまう。

仲のよかった二人も藩上層部の動きに不満を抱きつつ、

それぞれ別の道を求め歩み始める。

明治政府に人材を送ることのできなかった加賀藩の旧藩士として

島田一郎は、反政府活動に傾倒し、武装蜂起を企てる。

一方千田文次郎登文は、陸軍の道に入り、

やがて陸軍軍人として、西南戦争に赴く。

薩摩軍が隠した西郷隆盛の首をたまたま発見するのが千田文次郎登文。

ところで、作品の題名は「西郷の首」となっているが、

西郷が登場するのはほんのわずかである。

もしも西郷の首が発見されないままであったら、

西郷隆盛はどこかでまだ生きているのではないかと、

不満を抱く旧藩士の生きがいになっていたかもしれない。

時代の流れの象徴的なこととして、「西郷の首」の発見が

小説の題名となったのだろう。

最後の場面、島田一郎と仲間たちは、大久保利通が

いつもの通り、朝仮御所へ出かけるのを途中で待ち伏せし、

大久保を殺害する。

いわゆる紀尾井坂事件と呼ばれる。

処刑された島田一郎の遺骸を、文次郎は引き取り、

谷中天王寺の霊園に葬る。

筋立てと言い、実に面白い小説である。

因みに、時代小説・歴史小説の分野を得意とする文芸評論家の

縄田一男さんも激賞されている。

「物語は、加賀藩の実在の人物――島田一郎と千田文次郎の

二人の目を通した幕末維新というかたちを取り、

西郷との必然性も完璧。

読了した後に残るのは、作者の目の付け所に完敗したという

清々しいまでの敗北感である。

 あと三カ月、よほどの作品が登場しない限り

今年のベストワンだろう。」

と縄田さんは大きな評価を与えている。

小説のエピローグには、千田文次郎登文のその後が書かれている。

文次郎は、紀尾井坂事件からほどなくして結婚し、

四男六女に恵まれる。

陸軍の軍人として出世街道をたどる。

昭和4年(1929)416日、自宅で眠るように息を引き取った。

翌朝の北陸毎日新聞は、

「大西郷首斬りの、千田翁逝く、線香の代わりに徳利をと、

剣道と酒の八十三年」という見出しを掲げた。

金沢の街を見守る野田山に葬られている。

私もお薦めしたい一冊である。







by toshi-watanabe | 2017-10-07 14:22 | 読書ノート | Comments(2)

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内田康夫さんの著書「不等辺三角形」を読み終える。

幻冬舎文庫、650円+税。

どうも妙な題名である。

二等辺三角形と正三角形を除けば、

どの三角形も不等辺三角形であり、あえて不等辺三角形というのも面白い。

この不等辺三角形が出てくるのが丁度小説の真ん中あたり、

やっと題名の意味が分かってくる。

先ず登場するのが「陽奇荘」、

正岡家という、名古屋で一、二を争う富豪の別荘である。

戦災で本宅が消失して以来、正岡家は四十数年にわたって、

住居として使用していたのが別荘の陽奇荘。

その後、新たに本宅が再建されて、家族全員が移転した。

以来二十年間、空き家状態になっていたが、

管理人などが陽奇荘の保全管理を続けていた。

家具などすべて処分されたのだが、唯一、仙台箪笥が

地下室に残されていた。

この仙台箪笥が、これから起こる殺人事件に絡んでくるのだが、

先々代の奥様が嫁入り道具として持参した品物で、

一番大事にしていて、ここに残しておいてほしいとの遺言。

40歳代の半ばで他界したのだが、箪笥のところにその奥様が現れるという

噂話が出て、幽霊箪笥と呼ばれるように。

宮城県の東松島市にある井上箪笥工房のところに箪笥の修理依頼が届く。

仙台箪笥の腕の良い職人と知られる工房の主は

娘を伴い、名古屋の陽奇荘まで車で箪笥を引き取りに行く。

東北地方の箪笥と言えば、岩手県の岩屋堂の桐箪笥がよく知られるが、

仙台箪笥も欅づくりの素晴らしい和箪笥である。

取り付けられた金具が精巧な作りでこれまた素晴らしい。

著者は、陽奇荘のある名古屋、仙台箪笥の工房がある奥松島、

それに正岡家の先々代の奥様の出身地、宮城県の丸森町、

この三か所を頂点とする、不等辺三角形をイメージして書き始めたらしい。

奥松島とは、観光地として名高い松島の奥に位置する東松島市にある、

風光明媚な海岸沿いである。

丸森町は宮城県の最南端で、福島県に接し、近くを阿武隈川が流れる。

現在観光地としても知られる。

だが著者は小説を書いている途中で、三角形のイメージをがらりと変える。

問題の仙台箪笥には隠し棚があり、1枚の紙きれが入っていた。

そこには漢詩の手書きがあり、さらに隠し棚の蓋の裏側には、

「不等辺三角形之重心」と記されていた。

ここから謎解きが始まるのだが、二件の殺人事件が発生する。

中川区にある松重閘門で遺体が発見される。

殺害されたのは、自発的に陽奇荘を管理していた、古くから正岡家に

仕える男で、仙台箪笥を引き渡した、その日の夜に事件は起きていた。

その後、問題の仙台箪笥を見せてほしいと奥松島の箪笥工房を

訪れた男も、近くの野蒜海岸で遺体で発見される。

正岡家の主が浅見陽一郎を訪ねてくる。

2人は大学時代の同級生の仲。

正岡家が所有している陽奇荘の箪笥に絡んでの殺人事件発生に

余り公にしたくなく、警察とは別に、陽一郎の弟に調査をしてほしいとの依頼。

我が名探偵、浅見光彦の登場となる。

浅見光彦は依頼を引き受け、名古屋市東区白壁の高級住宅街にある

正岡家を訪れて、度肝を抜かれる。

一室を与えられ、陽奇荘を調べ、さらに奥松島、丸森町と

足を延ばして、警察署とも連絡を取りながら調査を続ける。

漢詩とは、

   春 水 満 四 澤

   夏 雲 多 奇 峰

   秋 月 如 陽 輝

   冬 嶺 秀 孤 岩

手書きをしたのは、陽奇荘に滞在したことのある

汪兆銘だろうと推測され、陽奇荘の庭園で三角形の重心にあたる部分に

何か重要なものを埋めて隠したのではないかと思われる。

これも謎解きである。

作者の内田さんは、5年にわたり現地を訪れている。

名古屋の陽奇荘は実在し、松坂屋の初代社長、15代伊藤次郎左衛門祐民の

別荘で、「揚輝荘」というのが実際の名称である。

現在は整備されて一般公開され、文化的なイベントなども開催されている。

千草区覚王山の閑静な丘陵地にある。

最初に建てられてから100周年を迎える。

因みに上坂冬子さんが著書「揚輝荘、アジアに開いた志 

選ばれた留学生の館」を出されている。

浅見光彦探偵の推理と行動力、いつものことながら面白く、

ついつい読み続けてしまう。

一緒に推理しながら読むのも楽しみである。

私自身、松島へは何度か訪れているが、奥松島を訪れたことはない。

ご存知の通り、東日本大震災では巨大津波により大きな災害を受けている。

モデルとなった、仙台箪笥の工房の皆さんも大被害を受けたが、

無事に過ごされているとのこと。

元の町並みが戻るのを祈るばかりである。

修理を終えた仙台箪笥は車で名古屋まで届けられるのだが、

その途中東京の浅見家に立ち寄り、光彦を含む浅見家の人たちは、

その素晴らしい箪笥に目を奪われる。






by toshi-watanabe | 2017-09-29 15:20 | 読書ノート | Comments(0)