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内田康夫さんが亡くなる前の、今年初め、
論創社から「浅見光彦と七人の探偵たち」という
短編集が出版された。
七人の新人作家の短編ミステリー小説に、
内田康夫さんの短編「地下鉄の鏡」から構成されている。


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内田康夫さんの出生地であり、名探偵浅見光彦が住んでいるのが、
東京都北区西ヶ原である。
終戦直後の昭和21年から昭和40年までの20年間、
私も同じ北区の住民だった。
実家はすぐ妹の家族が現在も住んでいる。
北区は名前の通り、東京の北部に位置するが、
王子区と滝野川区が戦後合併してできた区である。
西ヶ原の辺りも、熟知している土地である。
内田康夫さんは、平成8年から北区アンバサダーに任命され、
その後平成14年に、北区は「北区内田康夫ミステリー文学賞」を設けて、
毎年新人作家の発掘に貢献してきた。
今年も第17回の応募が始まり、本年9月が締め切りとなっている。

「浅見光彦と七人の探偵たち」に載っている七人の作家は、
いずれも「北区内田康夫ミステリー文学賞」を受賞されている。
短編なので、少々読みごたえに欠くが、それぞれ力作だ。
特に興味深かったのは、
井上凛さんの書かれた作品「満ち足りた終焉」。
主人公の女性が人材派遣会社の紹介で働き始めるのが
「天空社」という個人企業で、終活のサポート業務。
女性経営者が一人いるだけだ。
白髪交じりの初老の婦人が相談に訪れる。
昔病院で働いていた時の仲間を探してほしいとの依頼から
物語が始まる。

「地下鉄の鏡」は内田康夫さんの作品では珍しい短編の一作だが、
浅見光彦が主人公で、なかなか面白い内容だ。
浅見光彦シリーズで時折出てくる、
「ダイイングメッセージ」がキーワードとして使われている。
浅見光彦が京王線の幡ヶ谷駅で下車し、笹塚方面へ向かって
甲州街道を歩いていたところ、
ビルの5階にある駐車場から若い女性が落下する。
例の如く弥次馬根性で、光彦は女性の傍へ。
救急車が駆け付けた時には、すでに息を引き取っていたが、
その直前、光彦は女性のダイイングメッセージを耳にする。
それが「。。。ちかてつのかがみでみた。。。。。」というもの。
直観的に殺害されたのではと疑う。
ところが3通の遺書が残されており、警察では自殺としてけりをつける。

余談になるが、この物語に登場する地下鉄の鏡は
北海道札幌市内を走る地下鉄の札幌駅ホームに設けられた鏡。
札幌の地下鉄が開業してから自殺者があとを絶たず、
色々と知恵を絞り、最後に考え出されたのが等身大の大きな鏡。
自殺を考えている人はホームの一番端に向かうのが通常で、
そこで自殺する前にあれこれ思案するそうだ。
等身大の鏡に己の姿が映し出されるのを見て、
自殺を思いとどまる効果があったようで、
その後自殺者が激減したという話。
札幌の地下鉄駅のホームに、今もこの鏡があるのだろうか。


内田康夫さんが亡くなられて、はや2か月が過ぎる。
北区アンバサダーは内田さんが亡くなられ、4人の方が担っている。
ドナルド・キーンさん、倍賞千恵子さん、水森かおりさん、そして弦哲也さん。

北区のことが最も多く登場するのが、「北の街物語」。
興味のある方は御読みください。










by toshi-watanabe | 2018-05-18 14:28 | 読書ノート | Comments(0)


内田康夫さんの著書「神苦楽島」を読む。
「追悼内田康夫」として最近、上下巻2冊、祥伝社文庫として出版された。
上下巻ともに、670円+税。
文芸春秋より単行本として出されたのは平成22年3月。
初版からすでに8年経っている。

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浅見家では、母親の雪江による「ケータイ禁止令」が
徹底していたのはご存知の通り。
理由は、「携帯電話は家族の繋がりを阻害する」というものだ。
雪江としては、携帯電話は家族一人一人を孤立させる結果を招く、
と考えていた。
車での移動が頻繁な次男坊、浅見光彦については、
雪江は特例として、自動車電話を認めていたが、
自動車電話はケータイではない。
さて、雑誌「旅と歴史」の新連載が始まることが決まり、
編集長の藤田からケータイを持つように指示が出た。
光彦はケータイを所有したいと母に伝えると、雪江はあっさりと
「そう、そうしなさい」頷いた。
光彦も拍子抜け。
ということで、浅見光彦探偵がケータイを所有する、
記念すべき最初の作品である。

小説の序文として、「古事記」からの引用が掲げられている。
ここに登場する、一つの島が現在の淡路島である。
作品名となっている「神苦楽島」とは作者が付けた島の名前で、淡路島のこと。
淡路島での殺人事件、そして淡路島縁の人物の殺人事件が起き、
光彦は事件に巻き込まれて行く。
終盤、危うい目に合う光彦は、ケータイのお陰で命拾いする。

この作品で特に興味深いのは、「太陽の道」という言葉、
今回「太陽の道」のことを初めて知る。
仏像撮影をはじめ古美術の撮影で知られる、
写真家の小川光三(こうぞう)さんが初めに提言したもので、
古くから言われているものではない。
北緯34度32分のライン上に、東は伊勢の斎宮跡から西方に
大和の三輪山、箸墓、室生寺、長谷寺、大神神社、当麻寺、
さらに二上山を越えて聖徳太子廟、大鳥神社、
そして淡路島の伊勢久留麻神社、石上神社と続く。
太陽の進む、一直線上に並んでいる。

「太陽の道」に目覚めた、ある人物が「陽修」の理念を発意。
熊野や伊勢山中での一千日に及ぶ荒行を経て、
神意を感得するところがあり、自らの神格を高め、陽修会を立ち上げた。
一種の宗教団体である。
作品では、この陽修会がキーワードとなっている。
建築業界、そして有力政治家が、陽修会に絡んできており、
殺人事件の裏には、政界、業界関係のトラブルがあるのではと
小説は進展するのだが、最後は極めてありふれた殺人事件と判明する。

どちらかと言えば、読者の期待を裏切るような結末になったのが残念。

小説の舞台となった淡路島、
残念ながらまだ一度も訪れていない。
由緒ある寺院や神社、大変興味深い所も多く、
機会があればぜひ訪れてみたい。













by toshi-watanabe | 2018-05-12 14:28 | 読書ノート | Comments(4)

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葉室麟さんの作品「雨と詩人と落花と」を読む。

徳間書店発行、1,600円+税。

2016年から2017年にかけて発表された作品だが、

3月末に単行本として出版されたばかりである。

昨年1223日に66歳で亡くなられて以降に

出版された何冊目かの著書となる。

本書及びカバーの挿画は、東京国立博物館所蔵の

酒井抱一作「夏秋草図屏風」の「秋草図」である。

また書名の題字は葉室麟さんのお嬢さんで

書家の葉室涼子さんが書かれている。

江戸時代後期も末の1809年、豊後日田で生まれた

儒学者で漢詩人の廣瀬旭荘(きょくそう)という人物に光を当てた

物語である。 (旭荘はぎょくそうとも)

旭荘の人物像とともに、病魔に襲われた妻の松子との

夫婦愛が見事に描かれている。

廣瀬淡窓という名前には聞き覚えがあるが、

廣瀬旭荘のことは初めて知る。

淡窓は優れた儒学者・漢詩人であり、江戸末期、

日田に「咸宜園(かんぎえん)」という私塾を開き、

評判を聞いて教えを乞うべく、全国から若者たちがやって来る。

(因みに咸宜園は10代の塾主に引き継がれ、明治30年まで続く。)

淡窓は子供に恵まれず、25歳年下の末弟、旭荘を養子に迎え、

咸宜園の後を託そうとする。

小説は、旭荘が25歳の折りに、17歳の松子を妻に迎える場面で始まる。

妻を残したまま旭荘は日田を離れ、大阪へ出る。

廣瀬本家は天領の日田金を扱う商家で、手広く商売をしている。

旭荘のすぐ上の兄、久兵衛は商才に長けていたため、本家を継いでいる。

久兵衛は金銭面で旭荘一家を支援する。

(因みに廣瀬久兵衛の子孫に当たるのが、現職。大分県知事の廣瀬勝貞氏。)

大阪では適塾を開いた緒方洪庵と知己を得て、生涯交友する。

洪庵は旭荘とは年齢が1歳違いと同年配、

二人は同じ年の1863年に亡くなっている。

徳川幕府に仕官できるのではと、旭荘一家は江戸に出る。

ところが話はうまく行かず、妻の松子が病魔に襲われて倒れる。

性格的には強直で激情にかられ、松子にも暴力をふるうこともあった

旭荘だが、塾を開いて塾生を集める一方、

床に伏したままの松子を真剣に看病する。

物語の終盤は、松子が病気から何とか回復してほしいと

願う旭荘の姿が描かれる。

寿命の尽きるのが近づいた松子は旭荘に

「旦那さま、詩を聞かせてくださいまし。」

どのような詩だと問えば、

「あの桃の花がいっぱいに咲いているあたりに君の家がある。

 夕暮れ時の門を敲いて訪ねてくるのは誰だろうという詩でございます。」

旭荘は答えて、「わかった。 松子のために吟じよう。」

菘圃葱畦(しゅうほそうけい)

路を取ること斜に

桃花(とうか)多き処(ところ)是れ君が家

晩来何者ぞ門を敲(たた)き至るは

雨と詩人と落花となり

旭荘の詩、七言絶句「春雨到筆庵」である。

旭荘が淡窓に伴われて、筑後の松子の実家を訪ねた折の景色だ。

清朝末期の儒者、愈曲園は旭荘を「東国詩人の冠」と絶賛している。

感動を新たにしてくれる葉室作品である。

お薦めの一作。








by toshi-watanabe | 2018-04-08 10:36 | 読書ノート | Comments(2)

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砂原浩太朗さんの作品「いのちがけ」を読み終える。

講談社出版、1,750円+税。

サブテーマとして「加賀百万石の礎」とある通り、

加賀藩祖、前田利家から二代利長にかけて、

加賀百万石の礎が築かれた時代の物語。

主人公は、前田利家の家臣、村井豊後守長頼。

常に利家に付き従い、幾度もその危難を救う。

桶狭間、長篠、賤ヶ岳と戦場を駆け抜け、

貫き通した忠義の生涯が見事に描かれている。

物語の終盤、醍醐の花見のあと秀吉が亡くなり、

すでに体力の衰えていた利家もその翌年、命を全うする。

秀吉の遺言により、五大老として秀頼の傅役

中心になって務めていた利家が亡くなると、

同じく五大老の徳川家康がにわかに権力を誇示し始める。

加賀藩の力を弱体化せんものと言いがかりをつける。

二代藩主の利長は家康の元へ特使を派遣するものの、

全く相手にされず、特に二度目には家康のお目通りもかなわず。

利家の死去と共に隠居していた長頼は、

利長の要望により、藩のために再び働くことを決意し、

家康のいる大阪の加賀藩大阪屋敷を守っていた。

利長からの強い要望があり、

村井長頼が利長の特使と共に家康の元へ向かうことに。

最初は、井伊直政と本多忠勝が長頼らとの面談に応じるが、

談判の途中、家康本人が姿を現す。

利家の妻まつ(未亡人)、芳春院を人質として、

江戸の徳川家に差し出すことで解決、

前田家は安泰となる。

この家康と長頼のやり取りする場面が何とも絶妙な筆致で描かれ、

歌舞伎の舞台、最高潮の場面を見ているかのようである。

感動的な場面である。

利家と長頼とのやり取りはもちろん、

利長が長頼を試す場面なども大変興味深く、

この作品、大いに楽しみながら読み終える。


歴史・時代小説の文芸評論家、縄田一男さんも絶賛されている。

「新人にして、一級品。

 歴史小説の新しい風が

 心地よく頬を打つ。

 各戸たる文体の勝利である。」


この作家の今後を期待したい。

お薦めの一作である。


(追記):

NHKの大河ドラマ「利家とまつ ~ 加賀百万石物語」では、

的場浩司さんが村井長頼の役を演じていた。









by toshi-watanabe | 2018-04-05 11:05 | 読書ノート | Comments(2)

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佐藤賢一さんの最新作「遺訓」を読み終える。

読み応えのある素晴らしい作品である。

お薦めの一作である。

新潮社発行、1,900円+税。

同姓同名の俳優さんがおられるが、全く関係なし。

作家の佐藤賢一さん、デビュー以来、

中世から近世にかけてのヨーロッパを舞台とした

歴史小説を書かれてこられたが、

最近、日本の歴史小説も手掛けられている。

山形県鶴岡市のご出身だ。

鶴岡市と言えば、藤沢周平さんを思い浮かべる。

藤沢周平さんは、架空の「海坂藩」を舞台に

「蝉しぐれ」や「たそがれ清兵衛」などの時代小説を書かれているが、

この「海坂藩」とは勿論ご当地、庄内地方の「庄内藩」のこと。

「遺訓」に登場するのは、新選組一番隊組長、沖田総司の甥で、

天然理心流の遣い手である沖田芳次郎。

江戸の生まれだが、新徴組隊士となる。

戊辰戦争の折りには、庄内藩士の指揮する

三番隊に加わり政府軍と戦う。

物語は明治維新を迎え、廃藩置県が実施される頃から始まる。

因みに、庄内藩は、酒田県、鶴岡県と変遷後、山形県に組み込まれる。

戊辰戦争後、ともに戦った会津藩は政府から極悪の処分を受ける一方で、

庄内藩は極めて軽い処分で済んでいる。

これには、薩摩の西郷隆盛の意向があったと言われる。

明治の時代に入ってから、庄内藩の旧藩士などが薩摩に派遣されたり、

交流が進むとともに、庄内地方では、西郷が身内の名士の如く

大いに尊敬される。

沖田芳次郎は、庄内藩の家老職を務めた酒井玄蕃の警護を務める。

酒井は戊辰戦争でも庄内藩の大隊を指揮し、連戦連勝を果たし、

政府軍からは「鬼玄蕃」と恐れられる存在だった。

新たな時代になったとはいえ、

政府筋からは恐れられ、常に密偵が玄蕃の動向を見張っていた。

政府の命により、玄蕃は清国へ出向く時も、芳次郎が警護役を務める。

何度か刺殺の危うい目に遭い、芳次郎の力で防ぐものの、

結局、少量づつ毒を盛られ、体力を落とし若死にしてしまう。

政府とは意見を異に、下野して薩摩に帰った西郷隆盛は、

大久保利通など政府の中枢部にとっては邪魔な存在。

密偵が薩摩に送られ、西郷は命を狙われる。

沖田芳次郎は、西郷の警護を依頼されて薩摩入りを果たす。

芳次郎は西郷に気に入られ、

物語の終盤、「西南の役」では、西郷とともに政府軍と戦う。

田原坂の戦いで、芳次郎は負傷するのだが、

政府軍に警視庁の警察官として参加していた、

藤田五郎という男に助けられ、一命をとりとめる。

藤田は改名後の名前で、江戸末期には、新選組三番隊組長の

斎藤一で、斎藤は芳次郎の顔を見た時に、新選組時代の仲間の

沖田総司が生きていたのかと勘違いした。

芳次郎は、叔父の沖田総司に生き写しだったようだ。

終盤、大久保利通が朝、自宅から馬車に乗り出かけ、

紀尾井坂に差し掛かった時に、暴漢に襲われ、殺害される。

この場面に、芳次郎も登場する。

どこかで見たような気がしたが、思いだす。

過日読んだばかりの、伊東潤さんの作品「西郷の首」の

最後の場面だった。

「紀尾井坂の変」として知られる。

「紀尾井坂」は坂の北側に紀州徳川家(現在は清水谷公園と

グランド・プリンス・ホテル赤坂)、坂の南側に尾張徳川家

(現在は上智大学)と彦根藩井伊家(現在はホテルニューオータニ)の

大名屋敷があったため「紀尾井」と呼ばれるようになった。

物語の最後は、庄内藩の旧藩士たちが、西郷隆盛南州翁の遺訓を

「西郷南洲翁遺訓」にまとめる作業に当たっている場面で終わる。

この「遺訓」が書名となっている。



明治22年に、亡き西郷に官位が戻され名誉が回復、

東京上野公園に西郷の銅像が立てれられた。

翌明治23年に「南洲翁遺訓」が発行された。








by toshi-watanabe | 2018-03-10 11:22 | 読書ノート | Comments(0)

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葉室麟さんの随筆集「河のほとりで」を読む。

鬼籍に入られて2か月ばかりの葉室さん、生前の随筆をまとめて、

今回、文春文庫で出版された。

620円+税。

大きく三章にまとめられている。

「河のほとりで」、「書物の樹海へ」、そして「日々雑感」。

全体で46編のエッセイから成っている。

書名の元となっているのは、「禅僧」というエッセイ。

臨済宗を我が国に伝えた栄西のことが取り上げられている。

宋から帰国した栄西を開山として建久6年(1195)に建てられたのが、

福岡市博多御供所町にある聖福寺、わが国で最も古い禅寺。

禅宗の話となり、臨済の「済」の字には「河の渡し場」という意味があり、

臨済は「河のほとり」とも読めると葉室さんは語っている。

話が飛ぶが、2015年から2016年にかけて、「週刊新潮」に連載し、

20176月に単行本として刊行されたのが「古都再見」で、、

京都に纏わる話をあれこれ書かれている。

時代小説を書く上で京都に住んでみたい思いがあったのだろう。

今回のエッセイの一つ「健康への出発」によると、

葉室さんは20162月、京都に仕事場を持たれ、

その後は福岡県久留米市の自宅と行ったり来たり、

月の半分は京都で仕事をされていたようだ。

この文章が発表されたのが昨年7月、

亡くなる前最後のものかもしれない。

65歳という自分の年齢をもっと自覚しようと思う。

 これからなそうと思う仕事のために自分自身のメンテナンスを

 しっかりしなければ、人生の最終コーナーを

 まわることができないのだから。

 そんな思いが三日坊主に終わらないことをいまは

 ひたすら願うばかりだ。」

と結ばれている。

体調に違和感を持っておられたのか、

己の寿命を感じ取っておられたのだろうか、推察するのみ。

随筆集の大半は、専門の歴史に関する話題とか、

同じジャンルの作者などへの思いなどで占められている。

高校生の頃に読まれた吉川英治の「黒田如水」の話。

「空海の風景」に始まり、「韃靼疾風録」にいたる

司馬遼太郎の話。

源実朝をテーマにした、吉本隆明の「源実朝」、

太宰治の「右大臣実朝」、小林秀雄の「実朝」。

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」では、

西欧型国家への違和感と昭和の敗戦の話に及ぶ。

また葉室さんは山形県鶴岡市の「藤沢周平記念館」を訪れる。

藤沢作品の「風の果て」や「半生の記」を取り上げ、

いまもなお藤沢文学がひとを癒すのは、

時代の波に押し流されない、「悔いるやさしさ」があらからだと、

葉室さんは思われる。

新聞、雑誌等に投稿された短文が殆どなのだが、

ほかの作家の作品についての書評も書かれている。

早乙女貢の「騎兵隊の氾濫」、早乙女さんのライフワークの

根底は会津士魂にある会津藩武士の清廉さにあり、

明治維新に対する異議申し立てであるとみる。

山本兼一の「おれは清磨」と「修羅走る関ケ原」、

いずれの作品も、葉室さんは高く評価している。

山本兼一さんが「利休にたずねよ」で直木賞を受賞したとき、

葉室さんと北重人さんも候補に挙がっていた。

50歳過ぎの時代小説作家3人が直木賞候補にと、

新聞でも話題になったようだ。

葉室さんにとって初めての直木賞候補いうことで、思い出深い。

その後、北さん、山本さんのお二人に先立たれている。

青山文平の「伊賀の残光」、安部龍太郎の「レオン氏郷」、

海音寺潮五郎の「史伝西郷隆盛」の解説文、

いずれも大変興味深い内容である。

「もうひとつの『草枕』歴史の激動背景にした恋」も

なかなか興味深い話となっている。

元熊本藩士の前田覚之助は、明治維新後、藩の禄を離れると、

小天村に戻り、村人と共に生きるという気持ちから案山子と名乗る。

案山子はやがて小天に温泉付き別邸を建てる。

隠居所だったが、湯治客の訪れる旅館風となる。

この別邸に明治30年(1897)訪れたのが、当時の熊本五高の

教授だった夏目漱石。

小説「草枕」のモデルになったと言われる。

案山子には出戻りの娘、卓(つや)がいたが当時29歳、漱石は30歳。

時代は移り、大正5年(1916)、卓は漱石の自宅を訪問し、

再会を果たしている。

興味ある話を拾い読みしても良いと思う。











by toshi-watanabe | 2018-02-24 11:03 | 読書ノート | Comments(0)

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霧島兵庫さんの「信長を生んだ男」を読み終える。

霧島さんは新人作家である。

20回歴史群像大賞優秀賞を受賞され、

2015年、「甲州赤鬼伝」でデビュー。

「信長を生んだ男」は二作目、書き下し作品である。

新潮社より刊行、¥1,600+税。


尾張の武将、織田信秀には男子が12人、女子が2人と

子沢山に恵まれたが、正室の土田御前との間に生まれたのは、

信長、信行、信包、秀孝の男4人とお市の方とされている。

この小説では長男の信長と次男の信行が主人公

(次男、三男という説も)、

そして信長の妻となるまむし斎藤道三の娘、帰蝶が絡んで

物語は進行する。


うつけ者と呼ばれた三郎信長は母親からは疎まれる一方で、

弟の勘十郎信行は母親に可愛がられる。

兄弟二人の性格は全く正反対、お互いに相容れず、

兄は弟をけなし、弟は兄を嫌う時代が続く。

父親は死に際に信長を後継者に指名する。

その後、信行が初陣での働きを機に、

二人の絆が結ばれるのだが、その場面が見事に描かれている。

兄が猛虎なら、己は兄を支える龍になると弟は心中誓う。


上総介を名乗り、天下を狙う信長は次第に非情さが消え、

甘さ弱さを露呈するのを目にした信行は、

兄が「非情の王」となるよう、

家老の柴田権六(のちの勝家)の助けを借りながら、

織田家に尽くす武将と裏切るのではと思われる武将の

洗い出しをするために、色々仕掛けを施す。

時には形の上では信長に対して謀叛を起こす作戦も

信行は敢えてとったりする。

頭のいい信長は、そのあたりのことは感づいている。

信長の若い時にはよい相談相手であった叔父も追いやり、

信長の家老も窮地に追い込むなど、

多くの犠牲者を出しながらも、信行の戦は続く。

信行としては、形式的にでも謀叛を起こした己を

見せしめに処分して欲しいのだが、

すっかり優しくなった信長はあっさりと許してしまう。

これでは織田家の統率が乱れてしまうと、

信行は言いたいのだが、それを知りつつ

信長は手を下さない。


父親同様に重い病に苦しむ信行は、己の寿命が

とだえるのを覚悟し、最後の手段に出る。

帰蝶と信行の死をもって、物語は幕を閉じる。

信行の死後、柴田権六は信長に仕え、勝家として織田家に尽くす

信行の遺児、坊丸は立派な若武者に成長、

権六のよき指導を得て、津田信澄という武将となる。


信長の妻となった帰蝶は、史実がほとんど残っておらず、

色々な説が出ている。

若くして亡くなったという説がある一方、最近では、

信長の死後も長く生きながらえたという説が広まっている。

以前は濃姫として小説に登場していたが、

近頃は帰蝶として登場しているのが多い。

諸田玲子さんが帰蝶を主人公に、「帰蝶」を書かれている。


霧島兵庫さんの作品、初めて読んだが、実に素晴らしい。

何か所か出てくる盛り上がりの場面には、

すっかり感動してしまう。

兄弟の情愛と葛藤、巧みに見事に描かれている。

力作であり、大型新人と言えるのでは。

これからの作品が楽しみである。






by toshi-watanabe | 2018-02-14 11:17 | 読書ノート | Comments(0)

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奥山景布子(きょうこ)さんの最新作「葵の殘葉」を読み終える。
奥山さんの作品を読むのは初めてである。

「葵」と言えば、徳川家の三つ葉葵。

幕末から維新にかけて活躍した「高須四兄弟」の物語。

徳川御三家の筆頭、尾張中納言の尾張徳川家は、

徳川家康の九男、義直を祖とする。

尾張徳川藩2代藩主、光友の時に、美濃国高須藩を復活させ、

光友の次男、松平義行を高須藩主とした。

宗家が嗣子に恵まれない折には、高須松平家は輔弼の役目もあり

実際、高須藩からはたびたび養嗣子として、宗家に養子入り、

藩主となっている。

美濃高須藩の10代藩主、松平義建(よしたつ)は子沢山で、

10人の男子に恵まれていた。

因みに義建の正室、規姫は常陸水戸藩主、徳川斉昭の娘であり、

義建と一橋慶喜とは義兄弟の間柄。

義建の次男の徳川慶勝(よしかつ)、五男の徳川茂栄(もちはる)、

六男の松平容保(かたもり)、八男の松平定敬(さだあき)の

四人が「高須四兄弟」として世に知られている。

小説の序(プロローグ)は、明治11年(187893日、

兄弟4人が銀座二丁目にある二見朝隈写真館に集まり、

記念写真を撮る場面から始まる。

尾張徳川家の分家である美濃の高須の松平家から、

それぞれ、諸家に養子に入り、跡取りとなった兄弟四名、

尾張徳川家当主の徳川慶勝、一橋徳川家当主の徳川茂栄、

会津松平家当主の松平容保、

そして桑名久松松平家当主の松平定敬の面々である。

話は幕末に戻り、慶勝を中心とした物語が展開する。

長男が幼くして亡くなっているので、次男である慶勝が

本来高須藩の跡を継ぐのが自然の成り行きなのだが、

弟たちがそれぞれ他家に養子入り、本人はそのままに据え置かれる。

因みに高須藩を継いだのは、十男の義勇。

結局、慶勝は宗家の養嗣子となり、尾張徳川家の十四代藩主となる。

その後実弟が継ぐのだが、一橋徳川家に養子入りしたため、

再び藩主に、実子に継がせたところ、若くして急逝し、

またまた藩主に戻るという宿命を負わされる慶勝。

徳川家の中枢を担う身分でもあり、アメリカ、イギリス、フランス、

ロシアなどからの外圧と、尊王攘夷の動きに振り回される。

その一方で、尾張藩内では、二派にわかれた派閥抗争に

悩まされる。

藩内で勤王・佐幕の対立が生み出した血の粛清劇

「青松葉事件」はよく知られている。

慶勝は有能な人材を犠牲にしてしまい、後々まで後悔する。

慶勝は外国の事情にもかなり関心を持ち、

地図を入手して、海外事情もある程度熟知していた。

物差しを自ら手造りし、モノを測るのに使用していた。

特に興味を持ったのが写真鏡(現在のカメラ)、

自ら組み立てた写真鏡で、人物や風景の写真を撮っていた。

写真の現像も手掛けていた。

肖像写真の他に、名古屋城もいろいろな角度から撮影した。

西郷吉之助の肖像を写す機会があったのだが、

その場では辞退されて、撮れずじまい。

写真嫌いだったのか、吉之助の写真は現存せず。

実に残念である。

維新後、やっと落ち着いた四人が何年振りかで顔を合わせ、

記念写真を撮るところで、この小説は終わっている。

その時の写真である。

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因みに、徳川慶勝は明治1681日に死去、60歳。

一橋茂栄は明治1736日に死去、54歳。

松平容保は明治26125日に死去、59歳。

松平定敬は明治42721日に死去、63歳。

なお徳川慶勝については、城山三郎が「冬の派閥」を書いている。

幕末の激動の時代を生き抜いた高須四兄弟、

史実を綿密に調べられ、素晴らしい作品に仕上げられている。

徳川家から見た幕末、大変興味深い。








by toshi-watanabe | 2018-02-10 11:22 | 読書ノート | Comments(2)

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内田康夫さんの作品「鯨の哭(な)く海」を読み終える。
名探偵・浅見光彦シリーズの一冊だが、
珍しく「。。。。。。。殺人事件」ではなく、「鯨の哭く海」という
作品名となっている。
とはいえ、埼玉県の秩父と和歌山県の太地で起きる、
殺人事件の物語である。


この小説は2001年に祥伝社から出版されて以来、
文庫本としても何度か出されている。
今回初めて角川文庫として出版された。
2018
1月発行、720円+税。


書名の通り、鯨の話が一つのテーマを構成している。
浅見家の夕食の場で、鯨を食べる話が話題になる。
光彦の姪に当たる智美(高校1年生)が突然、
「日本人は鯨を食べるの?」と聞く。
光彦の母親(智美にとっては祖母)の雪江は言う。
「昔は戴きましたよ。 わたくしばかりじゃないのよ。
あなたのお父様、陽一郎さんも、

それに和子さんも召し上がったでしょう。」
和子は智美の母親で、浅見家長男陽一郎の妻だが、
「そうよ、学校の給食に必ずと言っていいくらい、
クジラが出ましたもの、竜田揚げとか、大和煮とか。」

戦後は給食でクジラのベーコンなども出されていた。

現在はクジラと言えばウォッチングの対象となっており、

若い世代では食用とは思っていないのだろう。
鯨に関してはこれだけジェネレーションギャップがある。


例の如く、「旅と歴史」の藤田編集長から、渋谷にある
鯨料理の店(実際に現在も営業している)に誘われ、

鯨をテーマに原稿を書くように依頼される。
真実なのかどうかは不明だが、藤田は語る。
「ある調査によると、世界中の人類が1年間に食う水産物は

およそ9千万トン、その一方クジラが捕食する海洋資源は

28千万トンから5億トンと言われている。
しかもクジラは毎年4パーセント増殖しつつあるので、
このまま放っておくと、やがて人類の食う水産物は逼迫してしまう。
したがって商業捕鯨を再開し、適正量のクジラを

捕獲しなければならない。」
この辺りも含めて日本人と鯨について調査を依頼される。

この小説の書かれた後、米国やオーストラリアの動物愛護団体の
反捕鯨活動は活発化した。
日本の調査捕鯨船を邪魔したシーシェパートや
グリーンピースなど良く知られている。

また2009年には和歌山県太地のイルカ漁批判を
テーマに映画「ザ・コーヴ」を制作、全世界に公開し、
翌年にはアカデミー賞を受賞。
続編を企画中とか最近報道を目にした。


浅見光彦は、出張手当をいただき、和歌山県太地町へ出かける。
「太地」は「たいじ」と読み、本州の南端、紀伊半島の東部に位置する。
古式捕鯨の発祥の地である。
現地を見て回るうちに、6年前に若い男女が海に飛び込んだ事件の

話を耳にする。
警察では心中として一件落着となっているのだが、
光彦は疑問を感じる。
「くじらの博物館」を見学中、謎の女性を目にし、
更に女性がじっと見ていた先には、勢子船の模型が置かれ、
模型にある15人の漁師の一人(船首で銛を備えた勢子)に、
銛が突き刺さっており、光彦は唖然とする。


6
年前の数年後に、若者が背中に銛を突き刺されて殺害された

事件があり、 未解決のままとなっていた。

博物館で目にしたことがすでに現地で起きていたのだ。
光彦は二つの事件に接点を見つけ出し、推理を働かせる。
心中と処理された事件は実は殺人事件だと推理した
光彦は現地の警察に働きかけながら、解明をしようとする。
心中事件の女性の方は地元の女性、
男性の方は秩父出身の新聞記者だった。
二人は女性の両親の反対を押し切って結婚の約束。
銛で背中を突き刺されて死んだ男性はこの女性に
結婚を迫ったことがあると、こうした背景が明らかに。


ところが、今度は秩父で殺人事件が発生する。
事件の連続なのだが、事件の解明される中での、
太地における捕鯨の話など、 鯨に関連する話が大変興味深い。
明治11年(1878)に起きた「大皆美流れ」という事件、初めて知る。
当時、暫く不良が続いていたため、
母と子供連れのクジラは捕獲しないというしきたりを破って、
太地の漁師たちは海へ出漁する。

捕獲したものの、母親クジラは必死に暴れ、
しかも天候不順で海はあれており、船は転覆、
100
名以上の漁師が亡くなるという悲劇があったようだ。

事件の解決につながる推理と共に鯨の話、

大変興味深い作品である。










第2回プラチナブロガーコンテスト



by toshi-watanabe | 2018-02-04 14:35 | 読書ノート | Comments(7)

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葉室麟さんの作品「玄鳥(げんちょう)さりて」を読み終える。
本の帯には「追悼 葉室麟」と記されている。

単行本として発行されたのは、この著書の方が新しいが、

この前に出された「天翔ける」よりも先に書かれている。

新潮社発行、1500円+税。

九州肥前(?)の蓮乗寺藩が舞台である。

忍坂藩の支藩であり、藩主は忍坂藩から来ている。

実在せず、葉室さんが設定した架空の藩である。

以前、蓮乗寺藩のお家騒動を取り上げた物語もある。

主人公の三浦圭吾は、少年の頃、城下の林崎夢想流、

正木十郎左衛門の道場に通っていた。

八歳年上で20歳を越していた樋口六郎兵衛は

道場でも「精妙随一」と謳われ、道場一の腕前だったが、

どういう訳か、圭吾を稽古の相手に選んでいた。

六郎兵衛は三十石の軽格、一方の圭吾の家は

百五十石で身分が合わず、本来あり得ないのだが。

そのわけは後で明らかになる。

圭吾はやがて、城下町の富商、津島屋の一人娘、美津を娶る。

一方の六郎兵衛は諍いが元で、島流しの身に。

津島屋の後ろ盾も得て、家老に認められ出世を遂げる三浦圭吾。

十年を経て罪を許され帰藩した剣の達人、樋口六郎兵衛は、

静かな暮らしを望むのだが、親政を目論む藩主の企てにより、

圭吾に敵対するよう仕立てられて行く。

疲弊した藩の財政改革に取り組む圭吾だが、

藩の家老らの派閥争いに、藩主の陰謀が絡み、

圭吾の努力も実らず、藩政にただ翻弄されるだけである。

圭吾は幾度となく危ない目に合うものの、

その度に献身的に助けてくれるのが六郎兵衛。

藩主の眼前で、圭吾と六郎兵衛が決闘することになり、

妻の美津に別れを告げて圭吾は決闘の場へ。

ところが、決闘の場面で六郎兵衛は圭吾を川岸に誘い込み、

用意された小舟に乗るよう指示する。

小舟には美津と子供たちが待っている。

大阪に出た圭吾は箭内仙庵という学者の塾に入り、

学問を究め、「燕堂」と号した。

六郎兵衛はその後行方知れず。

互いを思いやりながらも、藩政に翻弄される

男たちの葛藤と覚悟が見事に描かれている。

現代社会に通じるものを感じ取る。

玄鳥とは、ツバメの異称である。

この小説の題名は、樋口六郎兵衛のことを指すのだろう。

圭吾が後に「燕堂」と名乗るのも面白い。

玄鳥と言えば、藤沢周平さんの時代小説短編集「玄鳥」が知られる。

葉室麟さんには、書きたいことがまだまだあったのだろうと、

推察するばかりである。

実に早すぎる旅立ちだったと、改めて考えてしまう。




by toshi-watanabe | 2018-01-25 11:02 | 読書ノート | Comments(0)