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葉室麟さんの作品「雨と詩人と落花と」を読む。

徳間書店発行、1,600円+税。

2016年から2017年にかけて発表された作品だが、

3月末に単行本として出版されたばかりである。

昨年1223日に66歳で亡くなられて以降に

出版された何冊目かの著書となる。

本書及びカバーの挿画は、東京国立博物館所蔵の

酒井抱一作「夏秋草図屏風」の「秋草図」である。

また書名の題字は葉室麟さんのお嬢さんで

書家の葉室涼子さんが書かれている。

江戸時代後期も末の1809年、豊後日田で生まれた

儒学者で漢詩人の廣瀬旭荘(きょくそう)という人物に光を当てた

物語である。 (旭荘はぎょくそうとも)

旭荘の人物像とともに、病魔に襲われた妻の松子との

夫婦愛が見事に描かれている。

廣瀬淡窓という名前には聞き覚えがあるが、

廣瀬旭荘のことは初めて知る。

淡窓は優れた儒学者・漢詩人であり、江戸末期、

日田に「咸宜園(かんぎえん)」という私塾を開き、

評判を聞いて教えを乞うべく、全国から若者たちがやって来る。

(因みに咸宜園は10代の塾主に引き継がれ、明治30年まで続く。)

淡窓は子供に恵まれず、25歳年下の末弟、旭荘を養子に迎え、

咸宜園の後を託そうとする。

小説は、旭荘が25歳の折りに、17歳の松子を妻に迎える場面で始まる。

妻を残したまま旭荘は日田を離れ、大阪へ出る。

廣瀬本家は天領の日田金を扱う商家で、手広く商売をしている。

旭荘のすぐ上の兄、久兵衛は商才に長けていたため、本家を継いでいる。

久兵衛は金銭面で旭荘一家を支援する。

(因みに廣瀬久兵衛の子孫に当たるのが、現職。大分県知事の廣瀬勝貞氏。)

大阪では適塾を開いた緒方洪庵と知己を得て、生涯交友する。

洪庵は旭荘とは年齢が1歳違いと同年配、

二人は同じ年の1863年に亡くなっている。

徳川幕府に仕官できるのではと、旭荘一家は江戸に出る。

ところが話はうまく行かず、妻の松子が病魔に襲われて倒れる。

性格的には強直で激情にかられ、松子にも暴力をふるうこともあった

旭荘だが、塾を開いて塾生を集める一方、

床に伏したままの松子を真剣に看病する。

物語の終盤は、松子が病気から何とか回復してほしいと

願う旭荘の姿が描かれる。

寿命の尽きるのが近づいた松子は旭荘に

「旦那さま、詩を聞かせてくださいまし。」

どのような詩だと問えば、

「あの桃の花がいっぱいに咲いているあたりに君の家がある。

 夕暮れ時の門を敲いて訪ねてくるのは誰だろうという詩でございます。」

旭荘は答えて、「わかった。 松子のために吟じよう。」

菘圃葱畦(しゅうほそうけい)

路を取ること斜に

桃花(とうか)多き処(ところ)是れ君が家

晩来何者ぞ門を敲(たた)き至るは

雨と詩人と落花となり

旭荘の詩、七言絶句「春雨到筆庵」である。

旭荘が淡窓に伴われて、筑後の松子の実家を訪ねた折の景色だ。

清朝末期の儒者、愈曲園は旭荘を「東国詩人の冠」と絶賛している。

感動を新たにしてくれる葉室作品である。

お薦めの一作。








by toshi-watanabe | 2018-04-08 10:36 | 読書ノート | Comments(2)

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砂原浩太朗さんの作品「いのちがけ」を読み終える。

講談社出版、1,750円+税。

サブテーマとして「加賀百万石の礎」とある通り、

加賀藩祖、前田利家から二代利長にかけて、

加賀百万石の礎が築かれた時代の物語。

主人公は、前田利家の家臣、村井豊後守長頼。

常に利家に付き従い、幾度もその危難を救う。

桶狭間、長篠、賤ヶ岳と戦場を駆け抜け、

貫き通した忠義の生涯が見事に描かれている。

物語の終盤、醍醐の花見のあと秀吉が亡くなり、

すでに体力の衰えていた利家もその翌年、命を全うする。

秀吉の遺言により、五大老として秀頼の傅役

中心になって務めていた利家が亡くなると、

同じく五大老の徳川家康がにわかに権力を誇示し始める。

加賀藩の力を弱体化せんものと言いがかりをつける。

二代藩主の利長は家康の元へ特使を派遣するものの、

全く相手にされず、特に二度目には家康のお目通りもかなわず。

利家の死去と共に隠居していた長頼は、

利長の要望により、藩のために再び働くことを決意し、

家康のいる大阪の加賀藩大阪屋敷を守っていた。

利長からの強い要望があり、

村井長頼が利長の特使と共に家康の元へ向かうことに。

最初は、井伊直政と本多忠勝が長頼らとの面談に応じるが、

談判の途中、家康本人が姿を現す。

利家の妻まつ(未亡人)、芳春院を人質として、

江戸の徳川家に差し出すことで解決、

前田家は安泰となる。

この家康と長頼のやり取りする場面が何とも絶妙な筆致で描かれ、

歌舞伎の舞台、最高潮の場面を見ているかのようである。

感動的な場面である。

利家と長頼とのやり取りはもちろん、

利長が長頼を試す場面なども大変興味深く、

この作品、大いに楽しみながら読み終える。


歴史・時代小説の文芸評論家、縄田一男さんも絶賛されている。

「新人にして、一級品。

 歴史小説の新しい風が

 心地よく頬を打つ。

 各戸たる文体の勝利である。」


この作家の今後を期待したい。

お薦めの一作である。


(追記):

NHKの大河ドラマ「利家とまつ ~ 加賀百万石物語」では、

的場浩司さんが村井長頼の役を演じていた。









by toshi-watanabe | 2018-04-05 11:05 | 読書ノート | Comments(2)

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佐藤賢一さんの最新作「遺訓」を読み終える。

読み応えのある素晴らしい作品である。

お薦めの一作である。

新潮社発行、1,900円+税。

同姓同名の俳優さんがおられるが、全く関係なし。

作家の佐藤賢一さん、デビュー以来、

中世から近世にかけてのヨーロッパを舞台とした

歴史小説を書かれてこられたが、

最近、日本の歴史小説も手掛けられている。

山形県鶴岡市のご出身だ。

鶴岡市と言えば、藤沢周平さんを思い浮かべる。

藤沢周平さんは、架空の「海坂藩」を舞台に

「蝉しぐれ」や「たそがれ清兵衛」などの時代小説を書かれているが、

この「海坂藩」とは勿論ご当地、庄内地方の「庄内藩」のこと。

「遺訓」に登場するのは、新選組一番隊組長、沖田総司の甥で、

天然理心流の遣い手である沖田芳次郎。

江戸の生まれだが、新徴組隊士となる。

戊辰戦争の折りには、庄内藩士の指揮する

三番隊に加わり政府軍と戦う。

物語は明治維新を迎え、廃藩置県が実施される頃から始まる。

因みに、庄内藩は、酒田県、鶴岡県と変遷後、山形県に組み込まれる。

戊辰戦争後、ともに戦った会津藩は政府から極悪の処分を受ける一方で、

庄内藩は極めて軽い処分で済んでいる。

これには、薩摩の西郷隆盛の意向があったと言われる。

明治の時代に入ってから、庄内藩の旧藩士などが薩摩に派遣されたり、

交流が進むとともに、庄内地方では、西郷が身内の名士の如く

大いに尊敬される。

沖田芳次郎は、庄内藩の家老職を務めた酒井玄蕃の警護を務める。

酒井は戊辰戦争でも庄内藩の大隊を指揮し、連戦連勝を果たし、

政府軍からは「鬼玄蕃」と恐れられる存在だった。

新たな時代になったとはいえ、

政府筋からは恐れられ、常に密偵が玄蕃の動向を見張っていた。

政府の命により、玄蕃は清国へ出向く時も、芳次郎が警護役を務める。

何度か刺殺の危うい目に遭い、芳次郎の力で防ぐものの、

結局、少量づつ毒を盛られ、体力を落とし若死にしてしまう。

政府とは意見を異に、下野して薩摩に帰った西郷隆盛は、

大久保利通など政府の中枢部にとっては邪魔な存在。

密偵が薩摩に送られ、西郷は命を狙われる。

沖田芳次郎は、西郷の警護を依頼されて薩摩入りを果たす。

芳次郎は西郷に気に入られ、

物語の終盤、「西南の役」では、西郷とともに政府軍と戦う。

田原坂の戦いで、芳次郎は負傷するのだが、

政府軍に警視庁の警察官として参加していた、

藤田五郎という男に助けられ、一命をとりとめる。

藤田は改名後の名前で、江戸末期には、新選組三番隊組長の

斎藤一で、斎藤は芳次郎の顔を見た時に、新選組時代の仲間の

沖田総司が生きていたのかと勘違いした。

芳次郎は、叔父の沖田総司に生き写しだったようだ。

終盤、大久保利通が朝、自宅から馬車に乗り出かけ、

紀尾井坂に差し掛かった時に、暴漢に襲われ、殺害される。

この場面に、芳次郎も登場する。

どこかで見たような気がしたが、思いだす。

過日読んだばかりの、伊東潤さんの作品「西郷の首」の

最後の場面だった。

「紀尾井坂の変」として知られる。

「紀尾井坂」は坂の北側に紀州徳川家(現在は清水谷公園と

グランド・プリンス・ホテル赤坂)、坂の南側に尾張徳川家

(現在は上智大学)と彦根藩井伊家(現在はホテルニューオータニ)の

大名屋敷があったため「紀尾井」と呼ばれるようになった。

物語の最後は、庄内藩の旧藩士たちが、西郷隆盛南州翁の遺訓を

「西郷南洲翁遺訓」にまとめる作業に当たっている場面で終わる。

この「遺訓」が書名となっている。



明治22年に、亡き西郷に官位が戻され名誉が回復、

東京上野公園に西郷の銅像が立てれられた。

翌明治23年に「南洲翁遺訓」が発行された。








by toshi-watanabe | 2018-03-10 11:22 | 読書ノート | Comments(0)

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葉室麟さんの随筆集「河のほとりで」を読む。

鬼籍に入られて2か月ばかりの葉室さん、生前の随筆をまとめて、

今回、文春文庫で出版された。

620円+税。

大きく三章にまとめられている。

「河のほとりで」、「書物の樹海へ」、そして「日々雑感」。

全体で46編のエッセイから成っている。

書名の元となっているのは、「禅僧」というエッセイ。

臨済宗を我が国に伝えた栄西のことが取り上げられている。

宋から帰国した栄西を開山として建久6年(1195)に建てられたのが、

福岡市博多御供所町にある聖福寺、わが国で最も古い禅寺。

禅宗の話となり、臨済の「済」の字には「河の渡し場」という意味があり、

臨済は「河のほとり」とも読めると葉室さんは語っている。

話が飛ぶが、2015年から2016年にかけて、「週刊新潮」に連載し、

20176月に単行本として刊行されたのが「古都再見」で、、

京都に纏わる話をあれこれ書かれている。

時代小説を書く上で京都に住んでみたい思いがあったのだろう。

今回のエッセイの一つ「健康への出発」によると、

葉室さんは20162月、京都に仕事場を持たれ、

その後は福岡県久留米市の自宅と行ったり来たり、

月の半分は京都で仕事をされていたようだ。

この文章が発表されたのが昨年7月、

亡くなる前最後のものかもしれない。

65歳という自分の年齢をもっと自覚しようと思う。

 これからなそうと思う仕事のために自分自身のメンテナンスを

 しっかりしなければ、人生の最終コーナーを

 まわることができないのだから。

 そんな思いが三日坊主に終わらないことをいまは

 ひたすら願うばかりだ。」

と結ばれている。

体調に違和感を持っておられたのか、

己の寿命を感じ取っておられたのだろうか、推察するのみ。

随筆集の大半は、専門の歴史に関する話題とか、

同じジャンルの作者などへの思いなどで占められている。

高校生の頃に読まれた吉川英治の「黒田如水」の話。

「空海の風景」に始まり、「韃靼疾風録」にいたる

司馬遼太郎の話。

源実朝をテーマにした、吉本隆明の「源実朝」、

太宰治の「右大臣実朝」、小林秀雄の「実朝」。

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」では、

西欧型国家への違和感と昭和の敗戦の話に及ぶ。

また葉室さんは山形県鶴岡市の「藤沢周平記念館」を訪れる。

藤沢作品の「風の果て」や「半生の記」を取り上げ、

いまもなお藤沢文学がひとを癒すのは、

時代の波に押し流されない、「悔いるやさしさ」があらからだと、

葉室さんは思われる。

新聞、雑誌等に投稿された短文が殆どなのだが、

ほかの作家の作品についての書評も書かれている。

早乙女貢の「騎兵隊の氾濫」、早乙女さんのライフワークの

根底は会津士魂にある会津藩武士の清廉さにあり、

明治維新に対する異議申し立てであるとみる。

山本兼一の「おれは清磨」と「修羅走る関ケ原」、

いずれの作品も、葉室さんは高く評価している。

山本兼一さんが「利休にたずねよ」で直木賞を受賞したとき、

葉室さんと北重人さんも候補に挙がっていた。

50歳過ぎの時代小説作家3人が直木賞候補にと、

新聞でも話題になったようだ。

葉室さんにとって初めての直木賞候補いうことで、思い出深い。

その後、北さん、山本さんのお二人に先立たれている。

青山文平の「伊賀の残光」、安部龍太郎の「レオン氏郷」、

海音寺潮五郎の「史伝西郷隆盛」の解説文、

いずれも大変興味深い内容である。

「もうひとつの『草枕』歴史の激動背景にした恋」も

なかなか興味深い話となっている。

元熊本藩士の前田覚之助は、明治維新後、藩の禄を離れると、

小天村に戻り、村人と共に生きるという気持ちから案山子と名乗る。

案山子はやがて小天に温泉付き別邸を建てる。

隠居所だったが、湯治客の訪れる旅館風となる。

この別邸に明治30年(1897)訪れたのが、当時の熊本五高の

教授だった夏目漱石。

小説「草枕」のモデルになったと言われる。

案山子には出戻りの娘、卓(つや)がいたが当時29歳、漱石は30歳。

時代は移り、大正5年(1916)、卓は漱石の自宅を訪問し、

再会を果たしている。

興味ある話を拾い読みしても良いと思う。











by toshi-watanabe | 2018-02-24 11:03 | 読書ノート | Comments(0)

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霧島兵庫さんの「信長を生んだ男」を読み終える。

霧島さんは新人作家である。

20回歴史群像大賞優秀賞を受賞され、

2015年、「甲州赤鬼伝」でデビュー。

「信長を生んだ男」は二作目、書き下し作品である。

新潮社より刊行、¥1,600+税。


尾張の武将、織田信秀には男子が12人、女子が2人と

子沢山に恵まれたが、正室の土田御前との間に生まれたのは、

信長、信行、信包、秀孝の男4人とお市の方とされている。

この小説では長男の信長と次男の信行が主人公

(次男、三男という説も)、

そして信長の妻となるまむし斎藤道三の娘、帰蝶が絡んで

物語は進行する。


うつけ者と呼ばれた三郎信長は母親からは疎まれる一方で、

弟の勘十郎信行は母親に可愛がられる。

兄弟二人の性格は全く正反対、お互いに相容れず、

兄は弟をけなし、弟は兄を嫌う時代が続く。

父親は死に際に信長を後継者に指名する。

その後、信行が初陣での働きを機に、

二人の絆が結ばれるのだが、その場面が見事に描かれている。

兄が猛虎なら、己は兄を支える龍になると弟は心中誓う。


上総介を名乗り、天下を狙う信長は次第に非情さが消え、

甘さ弱さを露呈するのを目にした信行は、

兄が「非情の王」となるよう、

家老の柴田権六(のちの勝家)の助けを借りながら、

織田家に尽くす武将と裏切るのではと思われる武将の

洗い出しをするために、色々仕掛けを施す。

時には形の上では信長に対して謀叛を起こす作戦も

信行は敢えてとったりする。

頭のいい信長は、そのあたりのことは感づいている。

信長の若い時にはよい相談相手であった叔父も追いやり、

信長の家老も窮地に追い込むなど、

多くの犠牲者を出しながらも、信行の戦は続く。

信行としては、形式的にでも謀叛を起こした己を

見せしめに処分して欲しいのだが、

すっかり優しくなった信長はあっさりと許してしまう。

これでは織田家の統率が乱れてしまうと、

信行は言いたいのだが、それを知りつつ

信長は手を下さない。


父親同様に重い病に苦しむ信行は、己の寿命が

とだえるのを覚悟し、最後の手段に出る。

帰蝶と信行の死をもって、物語は幕を閉じる。

信行の死後、柴田権六は信長に仕え、勝家として織田家に尽くす

信行の遺児、坊丸は立派な若武者に成長、

権六のよき指導を得て、津田信澄という武将となる。


信長の妻となった帰蝶は、史実がほとんど残っておらず、

色々な説が出ている。

若くして亡くなったという説がある一方、最近では、

信長の死後も長く生きながらえたという説が広まっている。

以前は濃姫として小説に登場していたが、

近頃は帰蝶として登場しているのが多い。

諸田玲子さんが帰蝶を主人公に、「帰蝶」を書かれている。


霧島兵庫さんの作品、初めて読んだが、実に素晴らしい。

何か所か出てくる盛り上がりの場面には、

すっかり感動してしまう。

兄弟の情愛と葛藤、巧みに見事に描かれている。

力作であり、大型新人と言えるのでは。

これからの作品が楽しみである。






by toshi-watanabe | 2018-02-14 11:17 | 読書ノート | Comments(0)

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奥山景布子(きょうこ)さんの最新作「葵の殘葉」を読み終える。
奥山さんの作品を読むのは初めてである。

「葵」と言えば、徳川家の三つ葉葵。

幕末から維新にかけて活躍した「高須四兄弟」の物語。

徳川御三家の筆頭、尾張中納言の尾張徳川家は、

徳川家康の九男、義直を祖とする。

尾張徳川藩2代藩主、光友の時に、美濃国高須藩を復活させ、

光友の次男、松平義行を高須藩主とした。

宗家が嗣子に恵まれない折には、高須松平家は輔弼の役目もあり

実際、高須藩からはたびたび養嗣子として、宗家に養子入り、

藩主となっている。

美濃高須藩の10代藩主、松平義建(よしたつ)は子沢山で、

10人の男子に恵まれていた。

因みに義建の正室、規姫は常陸水戸藩主、徳川斉昭の娘であり、

義建と一橋慶喜とは義兄弟の間柄。

義建の次男の徳川慶勝(よしかつ)、五男の徳川茂栄(もちはる)、

六男の松平容保(かたもり)、八男の松平定敬(さだあき)の

四人が「高須四兄弟」として世に知られている。

小説の序(プロローグ)は、明治11年(187893日、

兄弟4人が銀座二丁目にある二見朝隈写真館に集まり、

記念写真を撮る場面から始まる。

尾張徳川家の分家である美濃の高須の松平家から、

それぞれ、諸家に養子に入り、跡取りとなった兄弟四名、

尾張徳川家当主の徳川慶勝、一橋徳川家当主の徳川茂栄、

会津松平家当主の松平容保、

そして桑名久松松平家当主の松平定敬の面々である。

話は幕末に戻り、慶勝を中心とした物語が展開する。

長男が幼くして亡くなっているので、次男である慶勝が

本来高須藩の跡を継ぐのが自然の成り行きなのだが、

弟たちがそれぞれ他家に養子入り、本人はそのままに据え置かれる。

因みに高須藩を継いだのは、十男の義勇。

結局、慶勝は宗家の養嗣子となり、尾張徳川家の十四代藩主となる。

その後実弟が継ぐのだが、一橋徳川家に養子入りしたため、

再び藩主に、実子に継がせたところ、若くして急逝し、

またまた藩主に戻るという宿命を負わされる慶勝。

徳川家の中枢を担う身分でもあり、アメリカ、イギリス、フランス、

ロシアなどからの外圧と、尊王攘夷の動きに振り回される。

その一方で、尾張藩内では、二派にわかれた派閥抗争に

悩まされる。

藩内で勤王・佐幕の対立が生み出した血の粛清劇

「青松葉事件」はよく知られている。

慶勝は有能な人材を犠牲にしてしまい、後々まで後悔する。

慶勝は外国の事情にもかなり関心を持ち、

地図を入手して、海外事情もある程度熟知していた。

物差しを自ら手造りし、モノを測るのに使用していた。

特に興味を持ったのが写真鏡(現在のカメラ)、

自ら組み立てた写真鏡で、人物や風景の写真を撮っていた。

写真の現像も手掛けていた。

肖像写真の他に、名古屋城もいろいろな角度から撮影した。

西郷吉之助の肖像を写す機会があったのだが、

その場では辞退されて、撮れずじまい。

写真嫌いだったのか、吉之助の写真は現存せず。

実に残念である。

維新後、やっと落ち着いた四人が何年振りかで顔を合わせ、

記念写真を撮るところで、この小説は終わっている。

その時の写真である。

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因みに、徳川慶勝は明治1681日に死去、60歳。

一橋茂栄は明治1736日に死去、54歳。

松平容保は明治26125日に死去、59歳。

松平定敬は明治42721日に死去、63歳。

なお徳川慶勝については、城山三郎が「冬の派閥」を書いている。

幕末の激動の時代を生き抜いた高須四兄弟、

史実を綿密に調べられ、素晴らしい作品に仕上げられている。

徳川家から見た幕末、大変興味深い。








by toshi-watanabe | 2018-02-10 11:22 | 読書ノート | Comments(2)

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内田康夫さんの作品「鯨の哭(な)く海」を読み終える。
名探偵・浅見光彦シリーズの一冊だが、
珍しく「。。。。。。。殺人事件」ではなく、「鯨の哭く海」という
作品名となっている。
とはいえ、埼玉県の秩父と和歌山県の太地で起きる、
殺人事件の物語である。


この小説は2001年に祥伝社から出版されて以来、
文庫本としても何度か出されている。
今回初めて角川文庫として出版された。
2018
1月発行、720円+税。


書名の通り、鯨の話が一つのテーマを構成している。
浅見家の夕食の場で、鯨を食べる話が話題になる。
光彦の姪に当たる智美(高校1年生)が突然、
「日本人は鯨を食べるの?」と聞く。
光彦の母親(智美にとっては祖母)の雪江は言う。
「昔は戴きましたよ。 わたくしばかりじゃないのよ。
あなたのお父様、陽一郎さんも、

それに和子さんも召し上がったでしょう。」
和子は智美の母親で、浅見家長男陽一郎の妻だが、
「そうよ、学校の給食に必ずと言っていいくらい、
クジラが出ましたもの、竜田揚げとか、大和煮とか。」

戦後は給食でクジラのベーコンなども出されていた。

現在はクジラと言えばウォッチングの対象となっており、

若い世代では食用とは思っていないのだろう。
鯨に関してはこれだけジェネレーションギャップがある。


例の如く、「旅と歴史」の藤田編集長から、渋谷にある
鯨料理の店(実際に現在も営業している)に誘われ、

鯨をテーマに原稿を書くように依頼される。
真実なのかどうかは不明だが、藤田は語る。
「ある調査によると、世界中の人類が1年間に食う水産物は

およそ9千万トン、その一方クジラが捕食する海洋資源は

28千万トンから5億トンと言われている。
しかもクジラは毎年4パーセント増殖しつつあるので、
このまま放っておくと、やがて人類の食う水産物は逼迫してしまう。
したがって商業捕鯨を再開し、適正量のクジラを

捕獲しなければならない。」
この辺りも含めて日本人と鯨について調査を依頼される。

この小説の書かれた後、米国やオーストラリアの動物愛護団体の
反捕鯨活動は活発化した。
日本の調査捕鯨船を邪魔したシーシェパートや
グリーンピースなど良く知られている。

また2009年には和歌山県太地のイルカ漁批判を
テーマに映画「ザ・コーヴ」を制作、全世界に公開し、
翌年にはアカデミー賞を受賞。
続編を企画中とか最近報道を目にした。


浅見光彦は、出張手当をいただき、和歌山県太地町へ出かける。
「太地」は「たいじ」と読み、本州の南端、紀伊半島の東部に位置する。
古式捕鯨の発祥の地である。
現地を見て回るうちに、6年前に若い男女が海に飛び込んだ事件の

話を耳にする。
警察では心中として一件落着となっているのだが、
光彦は疑問を感じる。
「くじらの博物館」を見学中、謎の女性を目にし、
更に女性がじっと見ていた先には、勢子船の模型が置かれ、
模型にある15人の漁師の一人(船首で銛を備えた勢子)に、
銛が突き刺さっており、光彦は唖然とする。


6
年前の数年後に、若者が背中に銛を突き刺されて殺害された

事件があり、 未解決のままとなっていた。

博物館で目にしたことがすでに現地で起きていたのだ。
光彦は二つの事件に接点を見つけ出し、推理を働かせる。
心中と処理された事件は実は殺人事件だと推理した
光彦は現地の警察に働きかけながら、解明をしようとする。
心中事件の女性の方は地元の女性、
男性の方は秩父出身の新聞記者だった。
二人は女性の両親の反対を押し切って結婚の約束。
銛で背中を突き刺されて死んだ男性はこの女性に
結婚を迫ったことがあると、こうした背景が明らかに。


ところが、今度は秩父で殺人事件が発生する。
事件の連続なのだが、事件の解明される中での、
太地における捕鯨の話など、 鯨に関連する話が大変興味深い。
明治11年(1878)に起きた「大皆美流れ」という事件、初めて知る。
当時、暫く不良が続いていたため、
母と子供連れのクジラは捕獲しないというしきたりを破って、
太地の漁師たちは海へ出漁する。

捕獲したものの、母親クジラは必死に暴れ、
しかも天候不順で海はあれており、船は転覆、
100
名以上の漁師が亡くなるという悲劇があったようだ。

事件の解決につながる推理と共に鯨の話、

大変興味深い作品である。










第2回プラチナブロガーコンテスト



by toshi-watanabe | 2018-02-04 14:35 | 読書ノート | Comments(4)

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葉室麟さんの作品「玄鳥(げんちょう)さりて」を読み終える。
本の帯には「追悼 葉室麟」と記されている。

単行本として発行されたのは、この著書の方が新しいが、

この前に出された「天翔ける」よりも先に書かれている。

新潮社発行、1500円+税。

九州肥前(?)の蓮乗寺藩が舞台である。

忍坂藩の支藩であり、藩主は忍坂藩から来ている。

実在せず、葉室さんが設定した架空の藩である。

以前、蓮乗寺藩のお家騒動を取り上げた物語もある。

主人公の三浦圭吾は、少年の頃、城下の林崎夢想流、

正木十郎左衛門の道場に通っていた。

八歳年上で20歳を越していた樋口六郎兵衛は

道場でも「精妙随一」と謳われ、道場一の腕前だったが、

どういう訳か、圭吾を稽古の相手に選んでいた。

六郎兵衛は三十石の軽格、一方の圭吾の家は

百五十石で身分が合わず、本来あり得ないのだが。

そのわけは後で明らかになる。

圭吾はやがて、城下町の富商、津島屋の一人娘、美津を娶る。

一方の六郎兵衛は諍いが元で、島流しの身に。

津島屋の後ろ盾も得て、家老に認められ出世を遂げる三浦圭吾。

十年を経て罪を許され帰藩した剣の達人、樋口六郎兵衛は、

静かな暮らしを望むのだが、親政を目論む藩主の企てにより、

圭吾に敵対するよう仕立てられて行く。

疲弊した藩の財政改革に取り組む圭吾だが、

藩の家老らの派閥争いに、藩主の陰謀が絡み、

圭吾の努力も実らず、藩政にただ翻弄されるだけである。

圭吾は幾度となく危ない目に合うものの、

その度に献身的に助けてくれるのが六郎兵衛。

藩主の眼前で、圭吾と六郎兵衛が決闘することになり、

妻の美津に別れを告げて圭吾は決闘の場へ。

ところが、決闘の場面で六郎兵衛は圭吾を川岸に誘い込み、

用意された小舟に乗るよう指示する。

小舟には美津と子供たちが待っている。

大阪に出た圭吾は箭内仙庵という学者の塾に入り、

学問を究め、「燕堂」と号した。

六郎兵衛はその後行方知れず。

互いを思いやりながらも、藩政に翻弄される

男たちの葛藤と覚悟が見事に描かれている。

現代社会に通じるものを感じ取る。

玄鳥とは、ツバメの異称である。

この小説の題名は、樋口六郎兵衛のことを指すのだろう。

圭吾が後に「燕堂」と名乗るのも面白い。

玄鳥と言えば、藤沢周平さんの時代小説短編集「玄鳥」が知られる。

葉室麟さんには、書きたいことがまだまだあったのだろうと、

推察するばかりである。

実に早すぎる旅立ちだったと、改めて考えてしまう。




by toshi-watanabe | 2018-01-25 11:02 | 読書ノート | Comments(0)

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浅田次郎さんの最新作「おもかげ」を読み終える。

この作品は、一昨年から昨年にかけて毎日新聞に連載され、

ハードカバーとして昨年末に出版された。

主人公の竹脇正一(たけわきまさかず)の入院先を

旧友の堀田憲雄が訪れるところから、物語は始まる。

二人は同期入社で社宅住まい以来仲の良い間柄

であったのだが、堀田は今や本社の社長。

竹脇は60歳の定年前に関連会社の役員として転出し、

新しい勤務先のトップとして5年の務めを無事果たす。

送別会が開かれ、花束を抱えて荻窪の自宅へ帰る途中、

お供の車を断り、通いなれた地下鉄丸ノ内線に乗ったのだが、

竹脇は車内で倒れ、そのまま中野の病院へ緊急搬送される。

倒れた原因は脳出血、出血がひどく手術は無理、

意識がないまま集中治療室のベッドに眠る竹脇のそばには

妻の節子が見守っていた。

この小説は、主人公が意識の戻らないまま、

眠るように最期のときを迎えて幕を閉じるのだが、

色々な人物が登場し、病人を連れだしたりして、

と言っても意識のない病人が出歩けるわけもなく、

分身というのかもう一人の竹脇が誘われて外出する。

そこで思わぬことを体験したり、昔話が出て、

次第に竹脇正一という人物像が解き明かされて行く。

読者を混乱させることもなく、

物語の中に入って行ける、面白い筋立てとなっている。

戦後の昭和20年代の混乱時代に生まれた竹脇は、

両親の顔も知らず、どういう事情があったのかもわからず、

赤ん坊の時から養護施設(当時の孤児院)で育つ。

能力は優れ、高校から奨学金の得られやすい国立大学へ。

そして運よく一流企業に就職できた。

妻の節子と結婚する際、空白の戸籍謄本を見せたものの、

節子からも特に聞かれることもなく何も説明せずのまま。

一方節子は、両親が離婚、その後は父親も母親も好きな相手と

一緒になり、節子は無視され父方の祖母に育てられ、

両親とは血縁にありながら、一切の交信もなし。

正一が施設で暮らしていた時に仲のよかった仲間が

永山徹という男で、今では土木関連の仕事を請け負う親方。

二人は同い年で気が合い、今でも付き合いがある。

徹のところで働く若者、大野武志(タケシ)は縁あって、

正一の娘、茜(あかね)と所帯を持ち、すでに二人の娘がいる。

正一と節子にとっては孫娘である。

タケシの母親はシングルマザー。息子の面倒をみずに

男のところへ出掛け好き勝手、ぐれたタケシは少年院入り。

その後、永山徹のお陰で、まっとうな生活ができるように育った。

実の母親の居場所は知っているものの、口にはせず。

集中治療室ICUの部屋はパーティションとカーテンで仕切られ、

もう一人の患者がベッドに横たわり、命が尽きようとしている。

榊原勝男という老人で、年齢は80歳。

息子が大阪にいるらしいが、連絡をしてもアクションを起こさず。

榊原は竹脇に声をかけ、二人で出かけようと誘う。

これからはあり得ない話だが、病院を抜け出して行く。

榊原馴染みの銭湯に入りひと風呂浴び、湯上りには

近くの公園に店開きしている屋台、リヤカーを改造した

古式豊かな屋台に立ち寄り、一杯遣りながら、

昔話を続ける。

榊原は昭和20310日の東京大空襲で、家族を失い戦災孤児となる。

その日のことは全く記憶にないと本人は語る。

孤児たちがグループを作り、盗みなどいろいろと悪さをしたらしい。

ちょっとませた峰子という女の子がグループのリーダー格だった。

物語の終盤で、この峰子が登場する。

戦後進駐軍の目立つ頃、彼女は15歳の若さで妊娠、

父親もわからぬまま男の子を出産、

とても育てることもできず、地下鉄の車内に赤ん坊を置いたまま

行方をくらましてしまう。

読者の想像に任せるだけだが、この赤ちゃんが孤児院に引き取られ、

そのまま成長していればちょうど65歳になる。

主人公はそのまま眠りについて、物語は終わる。

平成もあと1年ちょっとで幕を閉じるが、

昭和の時代もすっかり遠くになった。

浅田文学の傑作の一つだと思う。






by toshi-watanabe | 2018-01-22 13:11 | 読書ノート | Comments(0)

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内田康夫さんの作品、「城崎殺人事件」を読み終える。
徳間文庫して最近出版された新装版、640円+税。
徳間文庫として最初に刊行されたのは
1992年、

内田さんの長編小説としては43番目の作品。

この作品は、珍しく母親、浅見雪江のお供で、

光彦が城崎温泉を訪れ、現地の事件に巻き込まれる物語。

母親は専ら城崎温泉名物の七つの外湯めぐりを楽しむ。

若い世代の人たちは伊豆半島の城ケ崎と勘違い

するかも知れないが、兵庫県の日本海に面した

城崎(きのさき)である。

平安時代から城崎温泉の名は知られ、

旅館には内湯がなく宿泊客は外湯を使うのが当たり前だった。

昭和2年に、三木屋旅館の庭から源泉が発見され、

旅館内に内湯を設けたのだが、土地の伝統に反すると

裁判沙汰にまで発展、やっと解決したのが戦後の昭和25年、

各旅館が内湯を持てるようになったのだが、

それも七つの外湯を第一に考え、旅館内の内湯は

小規模にするという条件付きだった。

現在もその流れは続いている。

浅見親子が投宿したのは、上記の「三木屋旅館」。

創業300年の歴史を誇る由緒ある宿。

かって志賀直哉の定宿で、志賀直哉は何度も訪れている。

そこから名作「城の崎にて」が書かれた。

偶々、光彦たちは古びた空き家のままの幽霊ビルの前を通り、

ビル内で死体が発見されたばかりの場面に行きあたる。

例の如く、浅見光彦探偵は不審を抱き、首を突っ込んでしまう。

このビルは、金の先物取引の詐欺事件で悪名高い

保全投資協会が所有している建物。

この詐欺事件の解決に当たって活躍したのが光彦探偵。

とはいえ解決したのは東日本関連の半分だけで、

残りの半分、西日本の部分はまだ不明となっていた。

母親の希望で、光彦はレンタカーを借りて、

日和山(ひよりやま)海岸へ向かう。

因みに日和山という地名は北海道から九州鹿児島まで、

全国津々浦々に多数存在するが、豊岡市の日和山である。

ところが坂道を下りながら、ブレーキが利かないのに気づく。

ハンドル操作をするのが精いっぱい、ようやく登り坂にかかって、

道路わきに寄せ、スピードの落ちたところでガードレールに接触させ、

辛うじて停車、命拾いをする。

明らかに誰かが悪意を持って、ブレーキオイルが漏れるようにしたのか、

点検を怠り整備不良だったと思われる。

だがレンタカー会社は、あらぬ疑いをかけられて憤慨する。

その後、光彦は、ある人物を訪ねて行く途中で、

車が横向きにとめられており、前に進めず、

そして近くで死体が発見される。

被害者はレンタカー会社の主だった。

第一発見者として光彦は警察からは疑いの目で見られることに。

母親のお供で城崎温泉に訪れた旅にすぎないにも拘わらず、

光彦を貶めようとしているのではと、

闇の魔手を光彦自身は気になり始める。

こうして光彦探偵の推理が動き始めるのだが、空回りするばかり、

なかなか解決の糸口がつかめない。

浅見親子が腰を上げて帰途に就こうという直前に、

光彦探偵はあることに気づく。

そして一挙に解決へ向かう。

この小説も伝説シリーズの一作に含まれる。

「土蜘蛛伝説」が絡んでくる。

上古日本において朝廷天皇に恭順しなかった土豪

のことを土蜘蛛と呼んだようだ。

伝説好きの読者には大変興味深いだろう。

結局この小説も一挙に読んでしまう。

小説には登場しないが、城崎温泉には数多くの

文豪が訪れている。

その一人、与謝野晶子の歌を紹介したい。

「日没を 円山川に見てもなほ 夜明けめきたり 城の崎くれば」







by toshi-watanabe | 2018-01-13 11:35 | 読書ノート | Comments(2)