2016年 02月 02日
キルト展を見学 Part-1
正式名称は「第15回東京国際キルトフェスティバル」。
プロ作家の作品とともに、キルトコンテスト「日本キルト大賞」の
入賞作品が展示される。
朝ゆっくり出かけたため、会場の東京ドームに着いたのは11時ごろ、
すでに大勢のご婦人たちで会場はいっぱい。
あてにしていたコインロッカーはすでに満杯、空きは全くなし。
致し方なく、厚手のコートを抱えながらの見学と相成る。


「額絵キルト部門」、「バッグ部門」、そして「ジュニア部門」の6部門に分かれ、
今回の応募作眞総数は、1,459点(海外からの応募、51点を含む)。
最終審査の結果、374点(海外16点)が選ばれ、展示されている。
日本キルト大賞は「WOW,BANANAS!」で、神奈川県の最上美和子さんの作品。




















東広島市立黒瀬中学校家庭科部の皆さんが製作されたもの。
審査員賞、優秀賞、企業賞の作品。













Part-2へ続く
2015年 12月 30日
「恨み」と「怨み」
「恨み」と「怨み」、どう違うのだろうとウェブサイトを見てみました。
実際は大きな違いはなく、ニュアンスの違い程度ではと思うのですが、
いくつか違いが指摘されていましたので参考までに列挙しますと、
「恨み」は晴らす事が出来ないが、「怨み」は晴らす事が出来る。
「恨み」は行為や選択が対象に対して、「怨み」は人や物が対象。
「恨み」は過去の物事に対して、「怨み」は現在の物事に対して、
等々ですが、果たしてどうでしょうか。
過日の外相会談で決着がついた韓国の慰安婦問題。
取り敢えずの筋道がつけられたということではないでしょうか。
慰安婦の支援団体からは納得できないという声が上がっていますね。
韓国政府は努力するという文言、努力目標で決定ではない。
韓国は「恨(はん)の文化」と、よく言われます。
日本人が考える以上に、韓国人の恨みは根深いようです。
因みに日本は、「和の文化」とか「恥の文化」と言われたりしています。
話が飛びますが、
瀬戸内寂聴さんはご自身の体験を次のように語られています。
中国では、「怨みに報いるに徳を以て(もって)せよ」
という教えがあります。
私は終戦を北京で迎えたとき、
たぶん日本人は皆殺しにされるだろうと脅(おび)えていました。
ところが、こわごわ門を開けたとき、
前の路地の壁一杯に貼られた赤い短冊(たんざく)の墨痕鮮やかに
「怨みに報いるに徳を以てせよ」と書かれたいました。
そのときのショックは七十年経っても
まだありありと記憶に残っています。
現在の中国ではどうでしょうか。
共産党政権でコントロールされている大国、
中国人本来の徳など、過去の遺物化されているのかもしれません。
2015年 12月 20日
「肉筆浮世絵・美の競艶」を見学する
晴天とはいえ、北風は強く吹き、かなり肌寒さを感じる。
二子玉川あたりからは、白雪をいただいた富士山がくっきりと見える。
「上野の森美術館」にて開催中の「肉筆浮世絵・美の競艶」という
浮世絵の展示会を見学する。


個人コレクションの一部が、今回本邦初めて出展される。
千点以上に及ぶコレクションは、世界有数の規模と質を誇り、
その中から厳選された約130点が出品されている。
この展示会、すでに大阪と長野で開催されている。
4月13日~6月21日 大阪市立美術館
7月11日~10月13日 北斎館(長野県小布施)
江戸初期から明治にかけて、浮世絵の流れがわかるように展示されている。
勝川春草、喜多川歌麿、歌川豊国、葛飾北斎、河鍋暁斎など、
50人を超える絵師による、多彩な美人画が並ぶ。
版画浮世絵とは異なり、肉筆浮世絵は絵師が絹地や紙に筆で直接描く。
貝殻を砕いた胡紛を使って、白粉をはたくように
何度も薄く重ねることにより、白く滑らかな肌が描かれる。
筆で細かく描かれた髪の生え際やうなじの毛筋、睫毛、
唇の紅のぼかし、また薄い着物越しに透けて見える肢体など、
美人の色香を引き立てる精緻な表現が見事である。
華麗な衣装の文様まで、精緻に描かれている。
会場は美人画で満たされているが、特に目立つのが立姿美人画である。
展示作品から数点をご紹介。
喜多川歌麿の「西王母図」
歌麿としては珍しい、中国の伝説上の仙女を描いた作品。
最近発見された作品で、専門家により真筆であると鑑定された。

24葉あるうちの1葉。




見学者が見やすいように、薄型の陳列ケースを特別にあつらえている。
LED照明の採用はもちろん、薄型で面発光の有機EL照明を取り入れ、
透明度が高く反射の少ないアクリルパネルを使用している。
「上野の森美術館」での展示会は、
2016年1月17日まで開催されている。
浮世絵に興味のある方には、お薦めの展示会である。
美術館を出ると、すぐ目の前に十月桜の木が一本、
小さな愛らしい花を咲かせている。


2015年 11月 07日
センターまつりにて人形展
あざみ野駅近くの山内地区センターにて
今年度の「山内地区センターまつり」が開催される。
例年通り、水彩画、書道、絵手紙、七宝焼き、カリグラフィー、
貼り絵、写真、短歌、ポーセリン等々、
数多くの作品が出展されている。
またチャリティバザー、お茶席、飲食コーナーも用意されている。
各種イベントも開かれる。
家内が参加している「人形の会」でも、
会員による手作りの人形を展示している。






















2015年 08月 01日
「アール・ヌーヴォーのガラス展」を見学
会場は新橋汐留、「パナソニック汐留ミュージアム」である。
この美術館を訪れるのは、今回初めて。
調べてみると、松下電工(当時)が収集・所蔵してきた、フランスの画家
ジョルジュ・ルソーの絵画作品を一般公開しようと、
2003年4月、東京本社ビルの建設を機に、ビルの4階にミュージアムを
開館したのが始まり。
その後何度か名称が変わり、2012年1月、「パナソニック汐留ミュージアム」となった。
新橋駅から汐留のビル群までは、地下が通じており、
外を歩かずに会場まで行けるのは助かる。
汐留地区にはモダンな高層ビルが立ち並んでいる。
浜離宮もすぐ近くである。
さて、「アール・ヌーヴォーのガラス展」である。

寄贈されたゲルダ・ケプフ夫人のガラス器コレクションが、
ドイツ国外では初めてまとまった形で公開されたものである。
実業家のケプフ夫人は、最初単に美しい作品に魅かれて、ガラス器を購入していたが、
やがて旺盛な好奇心からガラスという素材の特質や技法を学び、的確に理解し、
優れた審美眼と洞察力で、アール・ヌーヴォーの本質を体現する
第一級のコレクションを築いていった。
第1章「パリ」と第2章「アルザス=ロレーヌ地方」に
大きく分けられた展示となっている。
第1章では、ジャポニズムを色濃く反映したパリのガラス工芸家たちの作品群、
約20点が展示されている。



ガラス工芸家の作品群が展示され、約50点のエミール・ガレの作品、
ガレに協力したマイゼンタールの工芸家の作品が10数点、
さらにドーモ兄弟の作品40点などが部屋を分けて展示されている。
アルザス=ロレーヌ地方は、古くから手工業が盛んで、
森林資源、鉱物資源に恵まれた土地、ガラス制作には大変適した場所がらだった。
動植物を自然のままに表現し、花や風景を主なテーマとして
花器などのガラス器が製作された。
エミール・ガレの作品から。









様式はガラス工芸のジャンルでも画期的な変革をもたらした。
曲線的な装飾文様とともに、植物や小動物を造形した
色彩豊かなガラス器には大いなる感動を呼ぶ。
今展示会の目玉は何といっても、エミール・ガレとドーモ兄弟の傑作の数々。
あらかじめ形づくられたガラス片を本体に溶着するマルケトリ技法により、
花や鳥、昆虫の生き生きとした姿を浮き立たせたガレは優れたガラス工芸家といえよう。
東京での展覧会は9月6日までで、
その後は名古屋、福岡、萩、高知へ巡回展示される。
上記の作品の写真は、パンフレットからスキャンさせていただいた。
出展作品リスト → http://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/15/150704/pdf/list.pdf
2015年 07月 15日
暁斎展を見学する
(幕末明治のスター絵師と弟子コンドル)展」を見学する。

会場は東京丸の内「三菱一号館美術館」で、今回初めて訪れる。
英国人建築家、ジョサイア・コンドルが設計建てられた
三菱一号館は老朽化のため、昭和43年(1968)、解体されたが、
40年の時を経て同じ場所に、コンドルの設計図を基に新築、ほぼ原形を再現。
平成22年(2010)、「三菱一号館美術館」として新たなスタート。



あらゆる分野の絵をこなした、幕末明治の絵師、暁斎に惚れ込み、
弟子入りした英国人建築家ジョサイア・コンドル。
二人の交流から、江戸美術の粋を後世に伝えようとする熱い思いが見えてくる。
絵師・河鍋暁斎(1831-1889)は江戸末期の天保2年(1831)、
下総國古河の武家に生まれた。 幼名は周三郎。
幼い頃より絵を得意とし、天保8年(1837)、6歳で浮世絵師の歌川国芳に入門。
9歳の頃、幕府の御用絵師を務める駿河台狩野家に移る。
20代前半には、様々な流儀の絵を模写して、自分のものにする。
20代後半、江戸琳派の絵師、鈴木其一の娘と結婚して独立。
幕末から明治にかけて、「画鬼」と称され、人気を博す。
暁斎の名声が不動のものになるのは、50歳を迎えた明治14年(1881)、
東京上野で開かれた第2回内国勧業博覧会へ出品した
水墨の花鳥図が、最高の賞を得たからだ。
「鹿鳴館」「三菱一号館」などの設計で知られる
英国人建築家ジョサイア・コンドル(1852-1920)は、政府に招かれ、
明治10年(1877)に来日、日本の近代建築に多大な功績を遺した。
コンドルは日本美術愛好家でもあり、暁斎の弟子入りして絵を学び、
師の作品を広く海外に紹介した。
今回の展示会場には、鹿鳴館の階段、手すりの一部が展示されている。
またコンドルが海外に紹介した、立派な暁斎作品集なども出展され、
暁斎の作品を調べる貴重な資料となっている。
出品作品の一部を紹介。
二曲一隻、屏風絵「大和美人図屏風」

日本の稲作の様子が丁寧に描かれ、また漆器や畳など、
日本独特の文化が描かれている。
ジョサイア・コンドルの旧蔵、現在は京都国立博物館に寄託されている。
二人は師匠と弟子の関係であると同時に、お互いを理解する良き友人関係でもあった。
日光などに写生旅行に度々出かけ、暁斎は手本を示して、コンドルに絵の手ほどきをし、
コンドルに「暁英」という名を与えている。
暁斎の「鯉魚遊泳図」とコンドルの「鯉之図」





展示されている作品も見られる。
上記の「うずくまる猿」も、その中の1点だある。
この展示会、前期と後期で、展示替えがある。
現在公開中の前期は、8月2日まで、後期は8月4日から9月6日まで。
余談だが、春画のコーナーもある。
未成年者にはオフリミット、カーテンで遮っている。
2015年 04月 12日
「オーシャン・ドリーム号」見学、そして会食
朝から横浜の港へ出かける。
小雨が降り、風も強く、春とは思えぬ寒さ。
大桟橋に停泊中のピースボートの「オーシャン・ドリーム号」を見学する。
「飛鳥Ⅱ」や「にっぽん丸」のような豪華客船ではないが、
年に数度、世界一周クルージングを実施している。
総トン数は35,265トン。
全長205メートル、幅26.5メートル。
乗船客の定数は1,422人となっている。
あいにくの雨模様のため、デッキからの見晴らしもよくなく、
港の風景も霞んでいる。
見学後、県民ホールの6階にある
レストラン「英一番館」で昼食をとる。
幸い窓際の席に案内される。
窓からは港が一望できる。
天気がよければ、景色もきれいなのだが。
大桟橋に停泊中の「オーシャン・ドリーム号」。


手前の緑は山下公園の木々。
既に新緑、街路樹の銀杏も芽生え始めている。

和食もメニューにある。
サラダバーがあり、サラダとスープのセルフサービスがあるのは有難い。
夜景も素晴らしいらしい。
さて腹ごしらえもでき、雨も上がり、
横浜公園に向かう。
丁度「スプリングフェア2015」が開催中。
4月10日から5月6日まで。
花と緑の園芸館など、仮設のブースができており、
展示会や山野草、鉢植え、つるや竹の手作りなど即売会が行われている。
満開の16万本のチューリップも見られる。












5時半から7時までだが、6時半に途中で失礼する。
家内の姪が二人、越後湯沢から遊びに来ており、
横浜市内に住む家内の姉妹と連れ合いが集まり、歓迎の会食。
会場は霧が丘の「木曽路」。
この店、昼食では近所の仲間とよく利用しているのだが、
夜は初めてである。
10人が集まり、個室を事前予約済み。
土曜日ということもあるのか、満席である。
7人がしゃぶしゃぶのコース、3人が懐石コース。
皆さん、美味しい美味しいと大満足。
ちょっと食べ過ぎ気味。
他の9人は全くアルコール抜き、
私1人だけ、生ビールのあと、「大七」の冷をいただく。
3時間超、賑やかな集まりとなる。
何とも忙しい一日だった。
2015年 03月 29日
「若冲と蕪村」展を見学する
六本木の東京ミッドタウン、ガレリアの3階にある。
同い年の天才絵師、伊藤若冲と与謝蕪村の
生誕三百年記念の特別展「若冲と蕪村」展が
3月18日から始まり、5月10日まで開催中である。
午前中、芝公園の方に用事があり、
赤羽橋に出て、地下鉄の都営大江戸線に乗車する。
赤羽橋方面からは真正面に東京タワーが見える。
春爛漫の青空にタワーは美しく映える。


六本木駅の改札を出ると、ミッドタウンに直結。
若冲と蕪村が同年に生まれていたのを初めて知る。
江戸時代中期の1716年、7代将軍家継がなくなり、
吉宗が徳川8代将軍に就いた年である。
元号が正徳6年から享保元年となる。
この年にはまた尾形光琳が亡くなっている。
若冲は京都錦小路の青物問屋「桝屋」の長男として生まれる。
23歳の時に家業を継ぐものの、30代中頃には参禅して
「若冲居士」の号を与えられる。
40歳になると、家業を弟に譲り隠居の身に。
絵を描くことに本格的に専念する。
一方、蕪村は大阪東成郡毛馬村の農家に生まれる。
20歳ころには江戸へ出て、俳諧を学ぶ。
27歳の時、俳諧の師匠の逝去を機に、
北関東や東北地方を、およそ10年間遊歴する。
40歳になると、京都へ居を移し、俳諧と絵画の両分野で
活動をする。
若冲と蕪村は、40歳ごろからは、京の都に住み、
しかもお互いの住まいは極めて近かったと思われるのだが、
直接の交流を示す作品も資料も見つかっていない。
両者とも優れた絵師として活躍し、
共通の友人、知人と交流しており、
実際、同じ禅僧、学者から作品の絵画に賛を得ている。
当時、活動していた池大雅、上田秋成、円山応挙などと
二人とも交流しているのは事実。
お互いの作品を目にしているのは間違いない処だろう。
先達の松尾芭蕉からは学ぶところがあり、影響を受けているのだろう。
若冲は芭蕉の自画像を描いており、今回も出展されている。
最も興味深いのは、
蕪村の「奥の細道図鑑」(重要文化財に指定)
巻物に芭蕉の「奥の細道」をそっくり書き写し、
要所要所に蕪村が絵を描き添えている。
素晴らしい作品である。
今回の展示会で目にすることができる。

今回の展示会は7章の構成となっている。
第1章: 18世紀の京都ルネッサンス
第2章: 出発と修行の時代
第3章: 画風の確立
第4章: 新たな挑戦
第5章: 中国・朝鮮絵画からの影響
第6章: 隣り合う若冲と蕪村・交差する交友関係
第7章: 翁の時代
幾つかの作品を紹介したい。
(展示会チラシよりスキャンしたもの)
若冲の作品から。
「象と鯨図屏風」





「山水画屏風」






最後の章が「翁の時代」となっているが、
米一斗で一枚絵を描くとして、若冲は「米斗翁」と名乗り、
夜半亭の二世を継いだ蕪村は「夜半翁」と名乗る。
若冲は彩色あざやかな花鳥図や動物を描いが水墨画が多く見られるが、
蕪村は中国の文人画の技法による山水画を描き、
簡単な筆遣いで、俳句と絵が響き合う俳画を得意とした。
若冲が世に広く知られるきっかけとなったのは、
伊藤若冲没後二百年記念展示会が平成12年(2000年)、
京都国立博物館で開催されたことによる。
その後、平成18年(2006年)には全国各地で巡回展示。
平成19年(2007年)、宮内庁所蔵の動植綵絵三十幅が
若冲ゆかりの京都の相国寺内にある承天閣美術館にて
釈迦三尊像などとともに展示され、
この展示会は見学している。
そのスケールの大きさと、斬新な意匠には圧倒される。
若冲ファンはこれからも増えて行くと思う。
2015年 03月 21日
ブログを始めてちょうど10年
丁度丸10年を迎えることになります。
皆様のご支援の賜物と、心より感謝申し上げます。
これからも精進してまいりますので、宜しくお願いします。
お陰様で、アクセスも昨日、10万件を超えました。
最近は読書ノートにかなり力を入れておりますが、
旅行記や仏像そして草花の写真も、引き続きアップしてまいります。
最近近所で目にした春の花です。
どこからとも香りが漂ってくる沈丁花の花。









今後ともよろしく。
2015年 03月 16日
群馬倉渕へ出かける
冬の間は3カ月ほどご無沙汰したので、今年初めてである。
都内の環八から関越道に入るコースで行く。
日曜の早朝は道路の渋滞もなく、高坂SAまで一走りして休憩、
榛名のショッピングセンターにも立ち寄り、
ほぼ予定通り現地到着。
圏央道経由に比べ、多少時間はかかるものの、
高速料金が大幅にセイブできる。
3月に入ったとはいえ、上州の山里はまだ冬景色。
晴れていた空が急に雲で覆われたかと思う間に、
雪がちらちら舞い始める。
日中も日が差さないと、寒さが身に染みる。
11日の朝、起きてみると一面雪の薄化粧。


燃え上がる薪の火は気分を和らげてくれる。
これといった花はまだ見られないのだが、
蝋梅の花が今を盛りと咲いている。
青空に鮮やかに映える。
つぼみや花が地面にだいぶ落ちているのは強風のためだろう。



これからといったところ。
近くの白梅。










帰途も関越道から環八に入るが、トラックの交通量も多く、
かなりの渋滞に巻き込まれる。
無事事故もなく、ほぼ予定通り横浜のわが家に到着。