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百田尚樹さんの原作を映画化した「海賊と呼ばれた男」が
テレビで放映され、録画しておいたので、ゆっくりと鑑賞した。
この作家は、どうも食わず嫌いというのか、まだ一冊もこの作家の
小説を読んでいない。
ただ「海賊と呼ばれた男」は大いに関心があり、
映画はぜひ見てみたいと思っていた。


原作を読まれたり、映画をご覧になられ方も多いと思う。
岡田純一演じる主人公のモデルは、
出光興産の創業者「出光佐三」である。
出光佐三の苦労した若いころから戦後見事発展を遂げる企業の
オーナー経営者となるまでの生涯が描かれている。
岡田准一も見事に主人公になりきっている。


途中のCMを飛ばしながら、録画した映画、大いに楽しんだ。
出光佐三は、荒れ果てた終戦後、他社とは異なり一人も首にせず、
人員整理を行わず、自宅待機の従業員にも給料を払い続けた。
物語の終盤、タンカー「日章丸」がイランから
原油を満載して無事帰国する場面は感動的ですらある。
佐三は昭和56年(1981)に95年の生涯を閉じた。


ところで出光興産は同族会社としてやってきたが、
昭和シェル石油との合併の話が持ち上がり、
紆余曲折を経て、現在合併に向かっている。
本年10月16日には、「株式交換契約締結
及び経営統合に関するお知らせ」が、
両社により公表された。






by toshi-watanabe | 2018-11-12 08:40 | 一般 | Comments(0)


昨18日、映画を観に109シネマズ二子玉川へ出掛ける。
南町田の方が近いのだが、現在ショッピングセンターが再開発中だ。
二子玉川に早めにつき、先ずは腹ごしらえと、「梅の花」へ。
二子玉川高島屋の6階にあるが、ここは以前、
加賀料理の名店「大志満」だった店が改装されて、「梅の花」に。
美味しい豆腐・湯葉料理のランチをいただく。


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時々出かける青葉台の店とはまた違った、
落ち着いた雰囲気の店内である。


さて劇場へ向かう。
映画は「日日是好日」である。


 映画公式サイト →  http://www.nichinichimovie.jp/

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森下典子さんの自伝エッセー『日日是好日-「お茶」が
教えてくれた15のしあわせ』が原作。
先月亡くなられた樹木希林さんと最近テレビに映画に出演の多い
黒木華さんがメインキャストで、評判の映画、


12時半開演だが、観客席はほぼ満員だ。
黒木華演じる大学生の典子が従姉の美智子と一緒に茶道を習いに
茶道教室を訪れる場面から映画は始まる。
茶道教室の武田先生を演じるのが樹木希林さん。
部屋には「日日是好日」の額が掲げられているが、
典子にはその意味が理解できない。


武田先生の指導の下、典子は美智子と共に茶道を学んで行く。
ずぶの素人の二人に「形」から始めて、「心」を入れることを、
穏やかに諭して、武田先生は指導する。
慣れてくると、頭で考えるのではなく、自然と手が動くという。
そんな茶道を通じて典子は心の成長を重ねながら、
彼女の人生の出来事が描かれる。
武田先生と典子とのやり取りが絶妙である。


茶道に象徴される人生と自然の機微を丹念に映像化されている。
映画の物語自体は単調といえば単調かも知れないが、
茶道の先生を演じる樹木希林さんの演技は見事である。






by toshi-watanabe | 2018-10-19 11:04 | 一般 | Comments(4)

映画「散り椿」を観る


9月28日から一般公開された、
映画「散り椿」を公開日に早速観に出かけた。
昨年末他界された葉室麟さんの原作で、
映画化されたのは、「蜩の記」に次いで2作目である。
この映画作品は、名キャメラマンで監督として三作目となる
木村大作さんが撮影そして監督されており、
第42回「モントリオール世界映画祭」で、「審査員特別賞」を受賞。


最初の場面は、まだ冬の季節、寂しい庭を眺めながら夫婦が語り合っている。
夫はこの物語の主人公、瓜生新兵衛、演じるのは岡田准一。
相手は新兵衛の妻で篠、演じるのは麻生久美子。
二人は寺の庫裏に寄寓して3年、毎年春には、寺の境内に咲く
散り椿をたのしみにしていた篠だが、病の床に就いており、
今年は散り椿が見られそうもない。
自分が亡くなったら、故郷の妻の実家にある散り椿を
見に帰ってほしいと夫の新兵衛に頼む。


18年前に縁を切った扇野藩には二度と帰参することはないと
意を決していた新兵衛だが、亡くなった篠の霊を弔い、故郷へ向かう。
妻の最期の願いを胸に、藩の不正や権力に立ち向かって行く。
かって扇野藩道場の四天王と言われた新兵衛は
同じ四天王の一人で、側用人を勤める幼友達の榊原采女に再会する。
采女を演じるのは西島秀俊。
もう一人の四天王で、既に命を落としているのが
篠の妹、里美の亭主で坂下源之進である。
里美を演じるのは黒木華。
新兵衛は一時源之進を殺害した犯人ではと疑われたこともあるが、
それは事実ではなく、故郷の実家が取り潰しになっている
新兵衛は里美の家に厄介になる。


斬り合いの場面が多く、殺陣については、岡田准一も
かなり力を入れて準備をしたらしい。
迫力満点の殺陣である。
里美の息子、坂下藤吾は次第に新兵衛を理解し親密になって行く。
生前の源之進と気心の知れた同志が篠原三右衛門(四天王の一人)で、
その娘、美鈴と藤吾は婚約しており、物語の終盤で結婚の場面も。


キャメラマン監督の木村さんらしく、
この映画は全編オールロケとの話で、自然の場面が美しい。
富山ロケでは白雪の立山連峰が望める。
滋賀のロケでは彦根城の天守閣が見事な姿を見せる。
長野の松代でもロケが行われる。


新しい若き藩主が扇野藩お国入りとともに、
長きにわたって悪事を働いていた城代家老一派が倒され、
めでたしめでたしとなるのだが、
瓜生新兵衛は一人故郷から旅立って行く。
想いを掛けつつ見送る里美の姿が印象に残る。


原作によれば、京都・地蔵院の境内にある散り椿は、
秀吉が寄進した「五色八重散椿」、
朝鮮出兵の際に、加藤清正が持ち帰ったもの。
椿は花ごとポトリと落ちるのが普通だが、
散り椿は花びらが一枚一枚散っていく。
一木に白から紅まで、さまざまに咲き、艶やか。






by toshi-watanabe | 2018-09-30 10:20 | 一般 | Comments(0)

終活の一歩か?

終活の一歩となるのだろうか、改葬を行った。
最近、墓所に埋葬されていた骨壺を取り出し墓仕舞いを行った。

千葉県松戸市の八柱霊園まで横浜から出かけるのが
段々と難しくなり、自分自身のこともあるので、
改葬を決断し、新たに東京赤坂に墓所を求めた。
先月末、八柱霊園の墓所を墓仕舞い、
両親を含め4人の遺骨を取り出した。
墓石を取り除き、更地にし、霊園に返却した。
亡き父親が生前に建てたお墓だが、致し方なし。

8月23日、赤坂の寺院本堂にて、納骨と、追善供養の法要を営んだ。
3人の遺影の額縁と、4人の位牌を持参。
生花とお供物を供え、若いお坊さんの読経でしめやかに。
久し振りに、「三帰禮文」、「開經文」
そして「般若心經」を唱和させていただいた。

残念ながら、高齢で体調不良などでほとんどの身内の者が参列できず、
参列したのは、我々夫婦と一番下の妹家族3人と少々寂しかったが、
恙なく改葬が終えられて一安心だ。




by toshi-watanabe | 2018-09-08 14:56 | 一般 | Comments(0)

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12日夜9時から、NHKのスペシャル番組「”駅の子”の闘い 
〜語り始めた戦争孤児〜」を観て、終戦直後を思い出す。

 番組の案内  →   http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20180812

3年間にわたって、NHKのスタッフが調査して番組にまとめたもの。

私が疎開先から東京に戻ったのは、終戦の翌年、
昭和21年の春、桜の咲く頃、当時9歳だった。
東京の下町は焼け野原、駅前には闇市が。
上野駅に行くと、自分と同じ年頃やもっと小さな子供たちが、
暗い駅地下道にたむろしていたのが、今でも目に焼き付いている。
親を失い家を失い、路頭に迷う戦争孤児たちだった。

番組を見ると、誰も子供たちに手を差し伸べる人はおらず、
当時大人も自分が生きるのに精いっぱいで戦争孤児にまで
目を向けられなかったのだろうが、
まるで野良犬を追い払うような態度をとる人が多かったとは。
その後ぐれてしまい、悪の世界に入り、
殺人を犯して死刑になった孤児もいるとか。

空襲を逃れ、家族も無事で、戦前の住まいに戻ることはできなかったが、
戦後新しい住まいに家族ともに住む事が出来たのは、幸運だ。

戦後住んだところは、戦時中軍の施設があったところ。
マッチ箱のような営団住宅だったが、すぐ近くに建ったのが、
イタリアのサレジアン・シスターズ系のミッションスクール「星美学園」。
幼稚園、小学校からスタートしたが、現在では短期大学まである。
学園が始まったのが昭和22年、
この学園でも戦争孤児を受け入れていて、
次第に地元に馴染んでいった。




by toshi-watanabe | 2018-08-14 15:07 | 一般 | Comments(0)

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過日、近所のSさんと会食をした際、
以前スペイン語を勉強していたと話をしたら、
古いスペイン映画のDVDがあるからと、親切に貸してくれた。
そのままにしておいたのだが、先日このDVDの映画を鑑賞した。


映画は1955年制作の「汚れなき悪戯」だ。
ご覧になられた方も結構おられると思うが、懐かしのモノクロ映画である。
日本語の字幕付きだが、スペイン語の単語が耳に入ってくる。
スペイン語の原名は「Marcelino Pan y Vino」。
修道院の前において行かれた赤ちゃん、
面倒を看てくれる村人も見つからず、12人の修道士が
この赤ちゃんを育てる。
男の子は洗礼を受け、マルセリーノと名付けられる。
悪戯好きのマルセリーノと12人の修道士の、ほのぼのとした物語。


「夢見よマルセリーノ 静かな寝顔」で始まる主題歌、
「マルセリーノの歌」は当時、日本でもずいぶん流行ったもので、
この主題歌を聴いて、私もすっかり思い出した。


最後に奇跡が起きる。
「パンとワインのマルセリーノ」と呼ばれ、
マルセリーノは顔も知らぬ母親のいる天国へ召されて行く。
感動的なフィナーレの場面である。
因みに映画の英語版タイトルは「Miracle of Marcelino」。
残念ながら、スペイン語の勉強にはならなかった。











by toshi-watanabe | 2018-08-03 09:34 | 一般 | Comments(0)


日曜朝はEテレの「NHK俳句」が楽しみで、
今週日曜の朝もこの番組を観た。
今回はいつもと趣が全く異なり興味深い内容だった。
通常は担当の俳句の先生が出演され、
応募作品の中から優れた作品を選び、解説をされている。

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今朝の番組は、桜井洋子さんが京都の寂庵に
瀬戸内寂聴さんを訪ねて色々とお話を伺ったもの。
昨年出版された初めての句集「ひとり」に詠まれている俳句を
テーマにしながら、寂聴さんの人生観が語られていた。
番組の途中からは、俳人の黒田杏子さんが加わり、
話題も一段と盛り上がる。

寂聴さんは御年96歳、まだまだお元気である。
黒田さんは、東京女子大学のご出身で、
寂聴さんとは同大学の同窓生で、16年ほど後輩にあたる。
黒田さんがまだ博報堂勤務時代、取材で寂庵に訪れたのが、
お二人の最初の出会いだ。
黒田さんが学生時代から俳句をやっているのを知ると、
寂庵で句会を始めてはと寂聴さんは勧め、
それから「あんず句会」がスタートしたとか。
因みに黒田杏子さんは、今テレビで売れっ子の夏井なつきさんの
俳句の師匠でもある。

黒田さんのお話によれば、寂聴さんは書き留めている俳句は、
死後一周忌の時にでも句集に纏めてほしいと言われて居たのに、
生前に句集を出されてしまったと。
寂聴さん曰く、死ぬまでにもう一冊、句集を出したいと、意欲十分。
また黒田さんが言われているように、
寂聴さんの作品(俳句)はまさに絵草紙、
一つ一つの言葉が無駄なく見事に生かされ、
完成度が高く実に素晴らしい。
句集「ひとり」は星野立子賞を受賞されている。

とても面白い興味深い番組だった。

参考までに、明日の8月1日(水)午後3時から再放送される。





by toshi-watanabe | 2018-07-31 08:44 | 一般 | Comments(2)

この六月後半は忙しく


この六月後半は、何かと外出が続き忙しい日々だった。

群馬倉渕から帰ってきたのが17日(日)。

18日(月)は、M社の株主総会に出席を予定していたが、

溜まった新聞に目を通したり、メールをチェックしたりで、

出掛けるのをやめた。

19日(火)は、夕方青葉台の「梅の花」へ出かける。

家内の誕生日は22日なのだが、その日には別件の予定があり、

早目の誕生日祝いの会食となった。

緑に囲まれた平屋の店は、駅のすぐ近くにしては、

高級料亭の雰囲気があり、落ち着いた雰囲気の個室も良い。

窓からは中庭が見える。

「梅の花 関東」という季節のコース料理。

メインは「湯豆腐と豚の豆乳しゃぶしゃぶ」。

豆乳は身体によさそうだし、美味しくいただく。

家内は牛肉が駄目なので、専ら豚肉となる。

飲み物は久しぶりに「八海山」の冷やにする。

20日(水)は、近所のお仲間との恒例の昼食会。

参加者は私を含めて4名に落ち着いている。

会場は久しぶりに若草台(バス停は桂台)の「せんざん」。

海鮮料理が売り物で、4人とも「いろどり御膳」を注文。

他の方たちは医者にとめられておりアルコールは駄目、

私一人だけグラスの赤ワインをいただく。

個室風に仕切られているので、他の客を気にせずに

話ができるのは有難い。

21日(木)は、同じ敷地内にお住まいのTさんとの会食、

というより飲み会、久し振りのことだ。

何度か書き込んでいると思うが、Tさんは東京北区の赤羽にあった

区立中学(実は合併により、現存しない)の一年先輩である。

丁度3年前、インドネシアの島へ
スキューバダイビングに出かけられ、

脳梗塞で倒れ、現地からシンガポールの病院まで
運ばれて入院手術。

手術と言っても緊急の処置だったのだろう。

数週間後、日本に運ばれ、虎ノ門病院に入院され、6カ月余り。

退院後もリハビリを続けられ、一時は腰を痛められ、
全く歩けない状態に。

その後もリハビリを続けられ、杖を使い、
手すりがあれば歩けるように。

一応快気祝いだと、T先輩の方から声を掛けられ、

家から直ぐ近くに昨年開店したばかりの「びすとろ 和芯」へ。

私と同じで補聴器を付けておられるが、

頭の回転もよく、多少ゆっくりだが、しっかりと話もされる。

アルコールは心配したのだが、燗酒をちびりちびりと飲まれる。

私は芋焼酎のオンザロックとグラスの氷水をいただく。

結局4時から4時間余り、店で過ごしてしまう。

ミニステーキがやわらかで美味しかった。

帰りは私の肩を支えにしてもらい、玄関までお送りする。

22日(金)は現役時代同じ部署で仕事を共にした連中のOB会が

「がんこ 銀在1丁目店」にて開催、夕方5時半に集合。

今まで同じチェーン店の4丁目店が行きつけだったのだが、

昨年末に閉店となった。

私より2歳年上の長老格のTさんは前日、体調不良を訴え、

残念ながら今回は欠席、参加者は14名。

豚しゃぶのコース料理に飲み放題、大いに飲んで大いにしゃべり、

3時間ばかりの宴会となった。

24日(日)は、三保町の家に、家内の姉妹と連れ合いが集まる。家内のすぐ上の兄(3人いる兄の3番目)が1年前に亡くなり、

この前一周忌で越後湯沢まで出かけているのだが、

来年の三回忌の機会に、故人を偲ぶ文集を作りたいとの
提案が出て、皆でその相談があった。

義兄は生まれながらにして小児麻痺のハンディを背負い、

80歳近くまで長生きをされた。

車椅子で手も十分に使えず、1人では何もできない生活ながら、

色々な趣味を持たれ、ワープロやスマホにも挑戦、

書道でも素晴らしい才能を発揮された。
厚生大臣賞を受賞されている。

原稿もすでに20件以上集まっており、
私も皆さんの書かれた原稿の一部のパソコン入力を
お手伝いすることに。

25日(月)午後、青葉台のドコモショップへ。

未だ持っていないタブレットの勉強会に参加する。

ある程度は見当がついているのだが、実際に手に持って、

色々な操作を体験させてもらう。

数人のグループだと思っていたら、参加したのは私と

もう一人の中高年の女性だけ。
彼女はご自分のタブレットを持参される。
娘さんのご家族の動画を見せてくれる。
すでにお使いなのだ。

個人指導みたいなもので、
説明されるドコモの女性に何でも質問できて有難かった。

写真を撮るのも観るのも、スマホに比べてサイズが
大きいし、格段に機能がよい。

旅行の際には持参したらいいだろうなあ、
とつくづく思ってしまう。

26日(火)は、A社の株主総会があり、帝国ホテルへ。

個人株主が増加傾向にあるのか、早目に出かけたつもりだが、

受付では長蛇の列、会場もほぼ満席状態。

中にはお土産だけもらって、さっさと帰られる株主さんも。

A社は業績も順調に推移しており、特に問題を抱えておらず、

予定通り総会も終了。

27日(水)はパソコンの勉強会が国立である。

当初から比べると、参加者もかなり減少。

毎回必ず参加するメンバーも6人となり、

スペースの借り賃も一人当たりの負担が多くなってきた。

Wi-Fiが完備し、数台のパソコンが使えて、

プロジェクターで大型画面に映せる設備が必要となると、

場所探しも大変だ。

国立市の公民館なども今度検討することに。

SkypeとLineを使ってのコミュニケーション、

バンクーバー在住のFさんも加わって、楽しくやる。
勉強会後のお茶会は失礼する。


28日(木)は、高校のクラス会がある。

今回から昼の集まりとなる。

従来利用していた高田馬場の「酒房弁慶」に交渉してみたが、

正午から店を空けるわけには行かぬと断わられる。

新たに探し出したのが、御茶ノ水駅近くの「鳥どり」。

串焼きがメインの店だが、コースがあり、それなりの料理もある。

正午集合だが、私は早めに家を出て、御茶ノ水駅近辺を散策する。

聖橋を渡ると「湯島聖堂」、そこから少しばかり歩けば
「神田明神」だ。

「湯島聖堂」は、元禄3年(1690)、徳川五代将軍、綱吉が創建。

孔子廟だが、100年後には昌平坂学問所となる。

「入徳門」は大正12年(1923)の関東大震災の際にほとんどの

建物が焼失した中で、水屋と共に唯一焼失を免れた。

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門に掲げられている額「入徳門」は江戸中期、藤原基輔の筆。

宝永元年(1704)に建造された木造建築物だ。

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「大成殿」の大成とは、孔子廟の正殿の名称である。

額は元々、綱吉の書だったのだが、現在あるものは、

日本海軍の長老、伏見宮博恭王の筆である。

現在も、論語素読など論語の勉強会が毎日開かれている。

楷(かい)の木は、曲阜にある孔子の墓所に植えられている名木。

大正時代の初めに種子が日本にもたらされ、

その後湯島聖堂の庭にも苗木が植えられた。

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孔子銅像は、昭和50年(1975)に台湾台北市のライオンズ・クラブ

により寄贈されたもの。

孔子の銅像としては世界最大級である。

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神田明神は、江戸東京に鎮座して1,300年近く、

江戸時代では「江戸総鎮守」だった。

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千代田区など都心部の108町の町会の総氏神様だ。

「一之宮」が大黒様で縁結びの神様。

「二之宮」が恵比寿様で商売繁盛の神様。

そして「三之宮」が平将門命で、防災厄除の神様だ。

最近流行りのキャラを描いた絵馬も社務所で売られている。

さて高校のクラス会。

幹事を仰せつかっているので、少し早めに店に行くと、

すでに半数の皆さん、特にご婦人方がすでに来ておられる。

今回集まったのは、女性8名に男性6名の計14名、
卒業時、40名だったクラスなので、出席率はよい。

予約した個室も丁度よい広さ。

丁度昼時で、店内はお客で混雑している。

コース料理に飲み放題、2時間に30分延長で、

一人当たり4,500円也。

会のスタートに当たって、5月末に亡くなったばかりの
級友、S君のご冥福を祈って献杯。

昨年の12月、熱海温泉での1泊クラス会には、
お元気なS君も参加されたのだが、

心臓に持病がるとかで、とうとう温泉大浴場に入らず。

それでも、結構飲んで、仲間と大いにしゃべりながら

楽しんでいたのに、あっという間に旅立って逝かれた。

奥様からは心筋梗塞と伺った。

すっかり宴も盛り上がり、時間になっても皆さん帰りそうもなく、

店のマスターに紹介してもらい、すぐ隣のカラオケへ。

正午から開始したクラス会も、夕方まで続いて解散。

酔い覚ましも兼ねて、私は駿河台の坂を下り、神保町まで歩く。

久し振りに古書店街をぶらついて帰宅の途に就く。

本当に忙しい2週間だった。






by toshi-watanabe | 2018-07-02 11:38 | 一般 | Comments(2)

津本陽さんを悼む


歴史・時代小説を得意とされた作家の津本陽さんが、
5月26日に亡くなられた。
享年89歳。
遺族の皆さんにお悔やみを申し上げ、
故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

合掌


津本さんは、昭和4年(1929)3月、和歌山市のお生まれ。
戦時中は勤労動員で、明石市の工場で働いていた折に
空襲に遭われ、大変悲惨な目に遭われた。
戦後はサラリーマン生活を13年ばかり。
文筆生活に入ったのは遅い方。
49歳の時に、故郷の和歌山に題材を得た「深重の海」で直木賞受賞。
本格的に作家生活に入られた。

今から30年ほど前の1989年、日本経済新聞の朝刊に
連載されたのが、織田信長の生涯を描いた「下天は夢か」。
朝のラッシュアワーの通勤電車の中で、読みふけったのを思い出す。
その後単行本として出版されてベストセラーとなった。
津本さんは信長をこう見ている。
「信長はヨーロッパより百年はやく政教分離を実現し、
 中世社会の陋習、偶像を破壊する一生であったが、
 彼の足跡には出生物語のにぎやかな気配はなく、
 明晰な認識者の孤独感ともいうような虚無のにおいが漂っている。」

その後、豊臣秀吉を描いた「夢のまた夢」、徳川家康を描いた「乾坤の夢」
の夢三部作を執筆された。
戦国武将、戦国大名あるいは剣豪、歴史上に登場する人物を
ほとんどすべて網羅して、小説を書かれている。
幕末、明治に活躍した人物にもスポットを当てている。
兎に角多作、すごい筆力だった。
1981年から2010年前後まで、200冊に及ぶかという、
数多の作品を書かれている。
最近は、新作が出ないなと思っていたところ、
過日の新聞で訃報を知る。


またまた歴史・時代小説の作家が黄泉の世界に旅立たれ、
さびしい限りである。







by toshi-watanabe | 2018-05-31 09:57 | 一般 | Comments(2)

あいにくの空模様だったが、
去る5月13日の日曜日、神奈川県立歴史博物館の特別見学会に
お招きをいただき参加する。


明治37年に横浜正金銀行本店として開館した建物が、
その後、昭和42年に神奈川県立博物館として再興されて、
昨年はちょうど50周年。
それに合わせて、一昨年の6月から空調設備などの改修工事が実施され、
暫く休館だったが、本年4月28日に再開館の運びに。
現在特別展も開催されている。
因みに平成7年からは、神奈川県立歴史博物館となる。

横浜正金銀行は、外国為替を専門とする銀行として、
明治13年(1880)に営業を開始した。
戦前は、邦人が海外に出かけて頼りとなるのが、
大使館、公使館、領事館を別にして、
商事(三菱商事)、郵船(日本郵船)、そして横浜正金銀行と言われ、
何かと世話になった日本人は多いようだ。
明治37年(1904)7月に、横浜正金銀行本店が建設された。
明治建築界の巨頭、妻木頼黄が設計し、外壁に石材を使用した煉瓦造り、
地上3階地下1階建ての建物は
コリント式の重厚な石造彫刻の柱頭飾りを持つ。
正面には巨大なドーム、径11メートル、高さ10メートル。
ネオ・バロック様式とされる威厳ある外観を呈している。
現在の県立歴史博物館の旧館部分であり、
国の重要文化財・史跡に指定されている。

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大正12(1923)年の関東大震災では、1階から3階までの内装と
屋上のドームを焼失。
震災後に復旧工事が行われ、戦後まで銀行として使用されていた。
昭和21年(1946)、横浜正金銀行としての.
外国為替専門としての銀行業務を停止。
翌年の昭和22年(1947)、
通常の銀行業務を行う銀行としてスタートした。
東京銀行の誕生である。

昭和42年(1967)、建物のシンボルであるドームを復元して、
旧横浜正金銀行本店の建物は神奈川県立博物館となった。
同時に新館が建設され、旧館と合わせて現在の建物となっている。
東京銀行は、平成8年(1996)に三菱銀行と合併し、東京三菱銀行に。
更に平成18年(2006)、UFJ銀行と合併し、
三菱東京UFJ銀行となったが、
本年4月1日付で、東京の文字が銀行名から消える。

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横浜正金銀行と言えば、文豪の永井荷風が米国の支店と
フランスの支店に勤務し、帰国後「あめりか物語」と
「ふらんす物語」を書いている。

以前、この歴史博物館について、
見学記をブログに書き込んだことがあるのだが、

その記事が関係者の目に留まったようで、
今回の改修リニューアルが完了、同時に博物館開館50周年に合わせて、
昨日の特別見学会にお招きいただいた。

横浜市営地下鉄の関内駅で下車、
馬車道をまっすぐ行けばたどり着く。
この通りを散策するのも楽しい。

会議室で簡単なレクチャーを受けた後、
先ずは外に出て、正面から建物の説明を受ける。

普段入ることのできない、屋上に案内され、名所のドームの中も見学。
ドームの中はがらんどうだ。


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さらに地下にも案内されて、明治の面影を残す
金庫の扉やレンガの壁面を見学できた。
白色のレンガは、一見タイルのように見え、大変興味深い。
壁だけでなく天井も。

1時間45分ばかりの見学会も無事に終わる。

博物館を出たら、すでに土砂降りの雨。
残念ながら散策する気も起きず、そのまま帰途に就く。









by toshi-watanabe | 2018-05-15 11:40 | 一般 | Comments(0)