佐藤 賢一著「遺訓」を読み終える

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佐藤賢一さんの最新作「遺訓」を読み終える。

読み応えのある素晴らしい作品である。

お薦めの一作である。

新潮社発行、1,900円+税。

同姓同名の俳優さんがおられるが、全く関係なし。

作家の佐藤賢一さん、デビュー以来、

中世から近世にかけてのヨーロッパを舞台とした

歴史小説を書かれてこられたが、

最近、日本の歴史小説も手掛けられている。

山形県鶴岡市のご出身だ。

鶴岡市と言えば、藤沢周平さんを思い浮かべる。

藤沢周平さんは、架空の「海坂藩」を舞台に

「蝉しぐれ」や「たそがれ清兵衛」などの時代小説を書かれているが、

この「海坂藩」とは勿論ご当地、庄内地方の「庄内藩」のこと。

「遺訓」に登場するのは、新選組一番隊組長、沖田総司の甥で、

天然理心流の遣い手である沖田芳次郎。

江戸の生まれだが、新徴組隊士となる。

戊辰戦争の折りには、庄内藩士の指揮する

三番隊に加わり政府軍と戦う。

物語は明治維新を迎え、廃藩置県が実施される頃から始まる。

因みに、庄内藩は、酒田県、鶴岡県と変遷後、山形県に組み込まれる。

戊辰戦争後、ともに戦った会津藩は政府から極悪の処分を受ける一方で、

庄内藩は極めて軽い処分で済んでいる。

これには、薩摩の西郷隆盛の意向があったと言われる。

明治の時代に入ってから、庄内藩の旧藩士などが薩摩に派遣されたり、

交流が進むとともに、庄内地方では、西郷が身内の名士の如く

大いに尊敬される。

沖田芳次郎は、庄内藩の家老職を務めた酒井玄蕃の警護を務める。

酒井は戊辰戦争でも庄内藩の大隊を指揮し、連戦連勝を果たし、

政府軍からは「鬼玄蕃」と恐れられる存在だった。

新たな時代になったとはいえ、

政府筋からは恐れられ、常に密偵が玄蕃の動向を見張っていた。

政府の命により、玄蕃は清国へ出向く時も、芳次郎が警護役を務める。

何度か刺殺の危うい目に遭い、芳次郎の力で防ぐものの、

結局、少量づつ毒を盛られ、体力を落とし若死にしてしまう。

政府とは意見を異に、下野して薩摩に帰った西郷隆盛は、

大久保利通など政府の中枢部にとっては邪魔な存在。

密偵が薩摩に送られ、西郷は命を狙われる。

沖田芳次郎は、西郷の警護を依頼されて薩摩入りを果たす。

芳次郎は西郷に気に入られ、

物語の終盤、「西南の役」では、西郷とともに政府軍と戦う。

田原坂の戦いで、芳次郎は負傷するのだが、

政府軍に警視庁の警察官として参加していた、

藤田五郎という男に助けられ、一命をとりとめる。

藤田は改名後の名前で、江戸末期には、新選組三番隊組長の

斎藤一で、斎藤は芳次郎の顔を見た時に、新選組時代の仲間の

沖田総司が生きていたのかと勘違いした。

芳次郎は、叔父の沖田総司に生き写しだったようだ。

終盤、大久保利通が朝、自宅から馬車に乗り出かけ、

紀尾井坂に差し掛かった時に、暴漢に襲われ、殺害される。

この場面に、芳次郎も登場する。

どこかで見たような気がしたが、思いだす。

過日読んだばかりの、伊東潤さんの作品「西郷の首」の

最後の場面だった。

「紀尾井坂の変」として知られる。

「紀尾井坂」は坂の北側に紀州徳川家(現在は清水谷公園と

グランド・プリンス・ホテル赤坂)、坂の南側に尾張徳川家

(現在は上智大学)と彦根藩井伊家(現在はホテルニューオータニ)の

大名屋敷があったため「紀尾井」と呼ばれるようになった。

物語の最後は、庄内藩の旧藩士たちが、西郷隆盛南州翁の遺訓を

「西郷南洲翁遺訓」にまとめる作業に当たっている場面で終わる。

この「遺訓」が書名となっている。



明治22年に、亡き西郷に官位が戻され名誉が回復、

東京上野公園に西郷の銅像が立てれられた。

翌明治23年に「南洲翁遺訓」が発行された。








by toshi-watanabe | 2018-03-10 11:22 | 読書ノート | Comments(0)