葉室 麟著「天翔ける」を読み終える



葉室麟さんの最新作「天翔(あまか)ける」を読み終える。

幕末から明治にかけて時代をリードした一人である

第16代越前福井藩主、松平春嶽(慶永)の物語である。

激動の時代を、春嶽を通して見事に描いた力作だ。

おそらくこの作品が葉室さんの遺作であろう。

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春嶽は徳川御三卿の田安徳川家第3代当主、

徳川斉匡(なりまさ)の八男として生まれ、

第15代越前福井藩主、松平斉善(なりさわ)の養子に。

また時の将軍、徳川家慶の従弟に当たる。

幕末四賢侯の一人に数えられた。

他の三侯とは、伊達宗城(むねなり)(宇和島藩第8代藩主)、

山内容堂(豊信/とよしげ)(土佐藩第15代藩主)、

そして島津斉彬(なりあきら)(薩摩藩第11代藩主)。

島津斉彬が亡くなった後は第12代藩主の父親で、

斉彬の異母弟、島津久光が加えられる。

春嶽は主として江戸屋敷に住み、多くの士と交わり、

幕末の動きを的確にとらえる。

海外からの圧力に対し国の進むべき道が

どうあるべきか真剣に考える。

生まれからして当然のことながら、徳川家を第一に、

徳川家を中心に物事を見てしまうところも。

春嶽の側近として仕えたのが藩士の橋本左内。

左内は適塾で蘭学を学び、水戸藩の藤田東湖、薩摩藩の西郷隆盛、

小浜藩の梅田雲浜や熊本藩の横井小楠などと知己を得る。

春嶽にとって左内は良き相談相手であるばかりでなく、

水戸藩や熊本藩との交流に役立つことに。

ところが、大老となった井伊直弼の「安政の大獄」の折、

将軍継嗣問題に介入したとされて、橋本左内は斬首される。

享年26歳の若さだった。

その後、側近として仕え、春嶽に最も大きな影響を

与えるのが横井小楠。

小楠は元来、熊本藩の藩士なのだが、藩の改革案が通らず、

春嶽の強い要望により、福井藩に招かれ、力を十分に発揮する。

西郷隆盛、勝海舟、坂本龍馬などとも意見を交わす場面もあり、

世の動きを的確に判断する春嶽の立場は重要性を増して行く。

時には大老に推挙される動きもあるものの、春嶽は乗らず。

当初一橋慶喜を支持していた春嶽だが、次第に考え方が違う方向に。

目まぐるしいほどに国内の情勢は動き、

一橋慶喜による太政奉還、そして公武合体と進み、

いよいよ明治の代に移るのだが、

京都で小楠が暗殺される。

春嶽にとっては大きな痛手となる。

明治新政府にも重要な地位を占める春嶽だが、

早々に役職を辞し、晩年は正室の勇姫と共にひっそりと過ごす。

因みに勇姫は熊本の出身である。

田原坂の激戦を最後に幕を閉じた「西南の役」を伝える

新聞に眼を通す春嶽夫妻の姿を描いて、この物語は終わる。

勇姫のところに熊本の実家から手紙が届き、

西郷隆盛が最期まで持っていたカバンの中には

橋本左内の手紙が入っていたと知り、春嶽は感涙する。

明治23年、松平春嶽は東京小石川関口台町邸で逝去。

享年63歳。

辞世の和歌が残されている。

「なき数に よしやいるとも 天翔(あまかけ)り

 御代(みよ)を守らむ 皇國(すめぐに)のため」

著書の題名は、この歌から選んだのだろう。

読者をひきつけてやまない、素晴らしい葉室作品である。

じっくりと読ませていただいた。

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葉室麟さんは、昨年末、12月23日に、

福岡市の病院にて病気のため逝去された。

病名は明かされておらず、葬儀は身内の方々で営まれた。

早すぎる旅立ち、実に惜しい。

改めて故人のご冥福を祈るばかりである。


合掌







by toshi-watanabe | 2018-01-10 14:14 | 読書ノート | Comments(0)