堺屋 太一著「三人の二代目(上・下)」を読み終える

d0037233_08551811.jpg
d0037233_08553327.jpg

堺屋太一さんの作品「三人の二代目」を読み終える。

20115月に単行本として講談社から刊行されているが、

最近、文庫本(上下2冊)として出版された。

講談社α文庫(上下各900円+税)。

三人の二代目とは、織田信長から豊臣秀吉へと移り変わる

激動の戦国時代、二代目として登場した三人の武将。

1人は、上杉謙信を継いだ上杉景勝、

2人目は、毛利元就を継いだ毛利輝元、

そして3人目は宇喜多直家を継いだ宇喜多秀家である。

戦国の乱世に、偉大な先代の跡を継いで家長となった

三人の二代目の苦労とその失敗の本質を深く抉った物語だ。

登場人物の多様さ、舞台の広さ、そして情報、策略、戦闘と

続く対象の豊富さにおいて、歴史小説の会心作であると同時に、

現代社会に通じる内容となっている。

堺屋太一流に三人の生き様を見事に捉えている。

読んでいるうちに、現代社会での初代創業者と2代目社長の

違いが見えてくるような気がする。

天正6年(1578)、物語の初めである。

越後の春日山城にいるのは上杉景勝、24歳。

上杉謙信は生涯独身を貫き通し、子供がおらず、

2歳違いの姉、仙桃院の息子、景勝を養子にするが、

景勝の姉の婿の景虎(北条氏康の七男)も謙信に気に入られ

養子に迎えられている。

この年に謙信が亡くなり、跡目相続のために

景勝と景虎との争いが始まる(御館の乱)。

謙信の本心としては、景虎を跡目に考えていたらしいのだが、

実際は、実母の仙桃院のサポートが大きくかかわりを持ち、

景勝が景虎の陣営を破り二代目となる。

謙信公倒れるの情報は直ぐに安土の織田信長の元に届き、
あっと言う間に各地へ知らされる。

謙信の死の10日後には、早くもこの情報が備前岡山城の城主、

宇喜多直家の元にも届いている。

50歳になる初老の直家のそばにいるのは、数えで6歳になる

一人息子の八郎、そして見守る女性は母のお福、30歳。

八郎は羽柴秀吉の元に預けられ、やがて宇喜多秀家を名乗る。

秀吉の元にやはり預けられていた前田家の豪姫との縁組も整い、

前田家と姻戚関係になる。

秀家の支えとなったのは、母親のお福である。

直家の死後、お福は秀吉に気に入られ側室になったと言われる。

同じ年、毛利輝元は播磨西端の上月城を目の前にした陣屋に。

7年前、19歳の時に、毛利元就は家督を嫡孫の輝元に譲った。

元就には3人の息子がいたが、長男の隆元は若くして亡くなり、

隆元の息子、輝元が跡を継いだ。

元就はその際、大事なことは必ず二人の叔父(隆元の弟)、

吉川元春と小早川隆景に相談せよと言い残した。

輝元にとっては、両川と呼ばれる二人の叔父が

どちらかと言えば足枷となってしまう。

物語は進展し、天正10年(1582)には、本能寺の変で信長が

光秀に討たれ、中国返しの秀吉により光秀は討たれ

(山崎の合戦)、清洲会議と続く。

更に翌天正11年(1583)には、賤ケ岳の戦いなどで、柴田勝家が

秀吉に討たれる。

天正18年(1590)には小田原征伐(小田原城開城)により

秀吉の天下統一が成る。

世に名高い小田原評定を著者は

現代風には「情報収集と情勢分析」だろうと書かれている。

結論の出ない会議だったが、なるほどと思う。

豊臣姓を名乗る秀吉が亡くなったのは慶長3年(1598)、

そして2年後の慶長5年(1600)、関ケ原の戦いとなる。

太閤秀吉の晩年には天下の大老となった2代目の3人だが、

天下分け目の関ヶ原では、いずれも負け組に属し、

家庭を失い、敗者として追われる。

家を起こし領土を広げた偉大な初代の無理や因縁が、

二代目にとっては選択の余地を狭め、破滅へと追いやったのではないだろうか。

上杉景勝は元和9年(1623)米沢にて亡くなる、享年69歳。

毛利輝元は宝永2年(1625)萩にて亡くなる、享年73歳。

宇喜多秀家は流人として八丈島に配流され、

八丈島にて亡くなる、享年84歳、

すでに徳川4代将軍家綱の治世だった。

三人とも、当時としては長生きしている。



by toshi-watanabe | 2017-11-10 09:02 | 読書ノート | Comments(0)