地球一周クルージング: 南インド・コーチン
2016年 12月 13日
「オーシャンドリーム号」はアラビア海に面した
南インドのコーチンへ向かう。
西へ向かって航行するので、翌30日に1時間の時差調整、
31日にも1時間の時差調整、さらに9月1日には30分の時差調整。
30日には「洋上映画祭」が開催される。
水先案内人として乗船されている高橋和夫さんの講演会も。
31日には「歴史のなかの世界宗教」(イスラム教、キリスト教、ユダヤ教
の関係を解説される)。
9月1日には「アメリカ大統領選挙と中東」(大統領選挙の争点と
中東とのかかわりを解説される)。
9月3日朝9時、コーチンに入港する。
今回の旅で事前にビザ取得が必要だったのがインドである。
ツァーに参加して、南インドの文化が学べる
「クンバラキ村」を訪問する。
乗車したバスのエアコンが一部故障している。
冷たい空気が出っぱなしで調節できず、
窓のカーテンで覆う始末。
時には新しい建物も目につく。
途中でバスを降りて、オートリキシャ―(タクシー)に分乗する。
信号もない曲がりくねった道路を猛スピードで走るので、
振り落とされないように窓枠などにつかまっていなければならない。
ヤシの木が生い茂り、ヤシの果汁をサービス。
熱帯の蘭などの花が多くみられる。
「カタカリダンス」を見物する。
「カタカリ」はいわばパントマイム劇で、
目にも鮮やかなすごいメーキャップをしている。
その場で籠を一つ購入する。
現役時代だから数十年前になるが、インド出張の折に手元に残った
インドルピーの紙幣を持参、現在はほとんど出回っていない古い紙幣だが、
籠の代金として受け取ってくれた。
バスを乗り継ぎ、次の目的地へ。
コーチン港から離れ、街中に入ると、「コーチン」ではなく「コーチ」という表記。
現在正式にはコーチ市のようだ。
かってはポルトガルの領地だったがその後、オランダ領、イギリス領の歴史がある。
ポルトガル領の時代、ヴァスコ・ダ・ガマは3度目のインド洋航海で、
コーチンに上陸し、この地で病死。
1524年のことである。
彼の遺体が当初葬られたとされるのが「聖フランシス教会」。
だいぶ荒れ果てていて、現在内部を修復中である。
かってはこのネットで魚を取っていたようだが、
今は放置されたまま。
ユダヤ人はほとんど見かけず、現地人ばかり。
気分良く散策できる雰囲気ではない。
適当に切り上げてバスに戻る。
いよいよアラビア海を西へ向かい、欧州への入口、スエズ運河を目指す。
ソマリア沖も通過する。
やはり、インド、熱帯の雰囲気が一杯の写真です。
バンクーバーでも、古いカナダ弗紙幣、使っていませんでしたか?
コメントをいただき有難うございます。
語学の勉強会にも参加していました。
昨年バンクーバー滞在中、ギリシャレストランでしたっけ、旧紙幣で支払いましたね。
今回、英国、米国では旧紙幣駄目でした。
コメントをいただき有難うございます。
現役時代、何度かインドに出張、食べ物や飲み物にはひどい目にあったいるので、今回飲み物には特に気を付けました。
ランチの食べ物、割合口にあい、美味しくいただきました。
混沌とした雑踏の中に、秩序が保たれ、活気あふれるインドの姿でした。
コーチン(コーチ)も近郷を含めると人口2百万人ほどの大都会です。