葉室 麟著「陽炎の門」を読み終える
2016年 05月 19日
最近講談社文庫として発刊された、
葉室麟さんの著書「陽炎(かげろう)の門」を読む。
九州、豊後鶴ヶ江に六万石を有する黒島藩が作品の舞台。
黒島藩は伊予国来島水軍の中でも黒島衆と称された
黒島興正を藩祖とする。
葉室作品では、「山月庵茶会記」と「紫匂う」にも
登場する黒島藩、もちろん架空の藩である。
家禄五十石の家に生まれた桐谷主水(きりやもんど)は、
両親を若くして亡くし、天涯孤独の身だが、
苦難を重ねながら精進し、37歳の若さで
黒島藩の執政の一人に推挙された。
十年前、先の藩主黒島興嗣の時代に
藩内で激しい派閥闘争があり、その折り主水の友でライバルでもあった
芳村綱四郎が藩主興嗣を中傷する落書を書いた張本人とされ、咎めを受けた。
落書の筆跡が綱四郎のものだと証言したのが、主水だった。
この証言が決め手となり、綱四郎の切腹が決まり、
何故か綱四郎は主水に介錯の労を望んだ。
このことが主水の心深くに大きな傷跡として残り、
綱四郎への負い目をおいながら生きてきた。
綱四郎の切腹後、興嗣は卒中で倒れ、間もなくして逝去。
家督を継いだのが興嗣の世子、興世で新たな藩主となった。
派閥争いで死者を出した事態を憂慮、喧嘩両成敗として、
家老職にあった熊谷太郎左衛門と森脇監物が隠居させられた。
新たに家老職についた尾石平兵衛のもと、
藩内は平穏に保たれていたかに見えた。
色々と事情があって、主水は綱四郎の遺児である娘の由布(ゆう)を、
親子ほどの年齢差があるものの、妻として迎えた。
ところが江戸の他家で養われていた由布の弟、芳村喬之助が
突然父の敵討ちを藩に願い出て、江戸から黒島藩に向かった。
主水の身辺が急に不穏な空気に包まれることとなる。
主水は綱四郎が書いたとされる落書のことが気にかかり、
ひそかに調べ始めた。
家老の指示なのか、江戸から呼び寄せられた、
早瀬与一郎という若い武士が主水の行動を監視。
落書の終わりの部分に、綱四郎の手跡とは異なる書名
「百足」が加えられており、
百足と名乗る人物が、実は10年前の事件を引き起こした
黒幕なのではと疑問を持つようになる。
派閥争いのさらに10年前、藩を支える二つの道場がいがみ合い、
御世河原で大乱闘となる事件があった。
御世河原騒動と呼ばれ、多くの犠牲者をもたらした。
その時の恨みが10年経って、芳村綱四郎の切腹につながるという、
一種の推理小説ともいえる物語が進展する。
敵か味方かわからない与十郎と主水の絡みがすっと続く。
城の奥庭に臥龍亭(茶室)が池に面して建てられている。
臥龍亭を訪れた主水は、茶室にかけられた扁額を見てはっとする。
額には「百戦一足不去」とあり、署名は「曙山」。
曙山とは藩主黒島興世のことである。
「百足」とは誰だったのかを悟る瞬間だった。
事件が解決し、桐谷主水は四十歳にて次席家老となる。
登城する主水は潮見櫓の門を潜ると立ち止まって
「出世桜」に目を向けた。
一陣の風が吹き寄せて桜の花びらが風に舞った。
その時、主水はささやくような声を耳にした。
―――― 桐谷様 ――――
振り返ると、門の向こうの石段に若い武士が立っている。
武士が早瀬与十郎だとわかった。
「与十郎、いかがした」
思わず主水は声をかけた。
若い武士ははにかんで少し笑ったように見えた。
その時、武士の姿は立ち昇る陽炎にゆらいだ。
主水がはっと気がつけば、そこには誰もいなかった。
「陽炎の門」の幕が下りる。