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河治和香著「どぜう屋助七」を読む

河治和香さんの著書、「どぜう屋助七」を読み終える。
河治和香(かわじわか)さんの書かれた作品を読むのは
初めてである。
どのような経歴の方なのかもよく知らない。

東京にお住まいの方なら、
よくご存じの浅草の名店「駒形どぜう」の話である。
読み始めると、止まらなくなり、
ほとんど一気に読んでしまう。

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書籍の帯に、初代林家三平夫人の
海老名香葉子さんが書かれており、

「この本を読んでご覧なさいまし。
 江戸の下町の息吹がジンジン伝わり、
 お店ののれんをくぐりたくなります。
 二百年前からの匂いがし、言葉が聞こえてきますよ。」

と絶賛されている。

安永5年(1776)、武蔵国北葛飾郡松伏領広島村
(現在の埼玉県吉川市広島)に生まれた助七は、
寛政の頃、江戸へ出てきて丁稚奉公を務め、
享和元年(1801)、浅草の駒形に
ドジョウ屋を開業した。
越後屋助七と名乗る。
生まれ故郷は、鰻や鯰など川魚の捕れる土地で、
故郷の味、ドジョウ一膳飯屋をと考えた。
ドジョウは旧仮名遣いでは「どぢやう」と書く。
当初は「どぢやう」と書いた暖簾を出していたが、
店を出して、わずか5年後に繁盛していた店が
火事で類焼してしまった。
四文字は「死文字」に通じ、偶数は忌み嫌われたことから、
縁起のいいとされる奇数の「どぜう」を思いついた
助七はその頃名高かった看板書きの
撞木屋仙吉に看板を描いてもらい、
五巾暖簾(いつはばのれん)の真ん中に、
太々と「どぜう」と染め抜いて掲げたところ、
これが評判になった。

物語は幕末のころ、越後屋の当主は3代目助七の時代。
寛永7年(1854)4月、
江戸近郊は荏原郡の小山の出である
16歳になる伊代という小娘が、
浅蜊河岸(現在の新富町)の金七から紹介されて、
「どぜう」の店先にやって来るところから始まる。

度重なる江戸の大火に見舞われ、
幕末の動乱に巻き込まれ、
そのたびに、しぶとく店を開き続け、
明治維新を迎える。
浅草寺参りの参拝客、吉原通いの客などで
地理的にも恵まれた。

明治4年5月、高熱がもとで3代目助七が急死という
場面で物語は終わっている。
幕末から維新にかけて、江戸の町民がいかにたくましく
生き抜いたか、ひしひしと伝わってくる。
主人公の助七と、彼を取り巻く人物の生活が
目に浮かぶように描かれている。

著者が「あとがき」に書かれているが、
「駒形どぜう」は、今でも浅草駒形にある。
実際私もドジョウを食べに行ったことがある。
身が柔らかく、美味しいドジョウである。
いまだに、店先には、「どぜう」という暖簾を掲げているだけ。
撞木屋仙吉の文字がそのまま使われている。

この作品を書くにあたり、参考にした基本的資料は、
明治40年、創業百周年を迎えた時、 k
時の当主4代目助七(渡邉七三郎氏、小説にも登場する)
によって書かれた「渡邉家沿革誌」と、
その後の百年については、5代目当主、
渡邉繁三氏の「駒形どぜう噺」に拠るが、
歴史の中で齟齬を生じる場合には、
現在の6代目当主、渡邉孝之氏の記憶を優先。
著者はこの書を出すにあたり、6代目当主と一緒に、
初代の出身地を訪れ、墓を探し出している。

因みに、伊代は乞われて金七の嫁になリ、
二人で鰻屋を始める。
この鰻屋が、現在ウナギの名店「竹葉亭」である。
現在の「竹葉亭」の女将は「駒形どぜう」6代目の
妹、まことに不思議な因縁。

お奨めの一冊である。
Commented by banban0501 at 2014-02-22 15:41
こういう本の紹介 うれしいですね

↓のご本とともに ゆっくりと書店めぐりも
できない私には おお助かりで参考になりますよ

今もその店が実在し いろいろ調べて
書かれている作品は リアル感があっていいですね
Commented by toshi-watanabe at 2014-02-23 08:17
banbanさん、
コメント頂き有難うございます。
読み終え、そして感動した作品について、
感想などを書いてみようと、読書ノートを始めました。
多少でもご参考になれば幸いです。
by toshi-watanabe | 2014-02-22 15:12 | 読書ノート | Comments(2)

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