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2泊3日のバス旅行で箱根・伊豆へ(その3)

箱根・伊豆バス旅行も、いよいよ3日目、最終日。


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11月14日朝、朝食を済ませて、伊豆城ケ崎温泉の宿を出発。
伊豆東海岸から伊豆半島の中央、天城山麓へ向かった。
昭和の森会館のある、道の駅で下車。
少しばかり山道を登り、展望台まで。
途中、トリカブトの花が一輪だけ目についた。

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展望台からの富士山の眺め。
静岡県側からは山頂の雪が全然見えず。


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伊豆吉奈温泉の「東府や」にて昼食。
「東府や」は、江戸時代から続く由緒ある宿だ。
敷地が3.6万坪ほどもあり、老舗の和風リゾートといった趣。
庭園があり、色々な建物があり、食事前に散策する。




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食事処「懐石茶や・水音」にて、美味しい会席料理をいただいた。


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午後は修善寺の「修善寺虹の郷」へ向かった。
伊豆の旅行ばかりでなく、田舎の西伊豆へ出かける折など、
修善寺は頻繁に通っているのだが、
「修善寺虹の郷」を訪れるのは初めてだった。
子ども連れのご家族ならば、終日ここで遊べるのだろう。


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今回は園内のカナダ村で紅葉を愛でるのが主目的。
園の入り口を入ったところから、ロムニー鉄道という
トロッコ列車に乗って、カナダ村へ。


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これで予定の訪問先も終わり、いよいよ帰路へ着いた。
ところが修善寺を出るとすぐに渋滞が始まった。
やっと東名高速に乗ったと思ったら、大渋滞。
トイレ休憩で、足柄SAに立ち寄った。
下りのSAからだと富士山が良く見えるのだが、上りのSAからはあまりよく見えない。
それでも何とかカメラに収めた。


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さらにその先も渋滞が続く。
海老名SAにも立ち寄る。
幸いというか、余っていた「Go to トラベル」のクーポン券を、
サービスエリア内の店で土産物などを買い求めて使い切った。

結局、横浜到着は予定の2時間半遅れとなった。
まあ、それでも楽しい2泊3日の旅、思い出もできた。





# by toshi-watanabe | 2020-11-22 09:34 | 旅行 | Comments(4)

2泊3日のバス旅行で箱根・伊豆へ(その2)

2泊3日のバス旅行、2日目は強羅温泉の宿からスタート。


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最初に訪れたのが、今回最も楽しみにしていた「岡田美術館」。


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建物の前に足湯があるのだが、とても入ってのんびりできる時間はない。
入口で、カメラとスマホは持ち込みできずロッカーに保管。
体温測定の後は、手荷物検査とかなり厳重だ。
先ずはエレベーターで最上階の5階まで上がり、
簡単な説明を受けた後、各フロアーの展示を見学しながら下の階へ。


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3階展示室には、特別展の「画遊人・若冲~光琳・応挙・蕭白とともに~」。
若冲の作品は何度も観ているが、見飽きることはない。
岡田美術館が所蔵している若冲の作品全7件を出展している。
30代後半の「花卉雄鶏図」、40歳ごろの「孔雀鳳凰図」、
40代後半の「梅花小禽図」、「雪中雄鶏図」、「笠に鶏図」、「月に叭々鳥図」、
晩年の「三十六歌仙図屏風」の着色画と水墨画である。

2階展示室には、喜多川歌麿の「深川の雪」、「品川の月」、「吉原の花」が展示されている。
以前から観たいと思いつつ始めた見学した。
いずれも複製画だが、実に奇麗だ。
このうち1点を岡田美術館が所蔵し、残りの2点は、米国の美術館所蔵。

残念ながら時間に制約があり、ゆっくりと全フォロアーを鑑賞する時間なし。
いずれ改めて見学に訪れたい。

裏山に素晴らしい庭園が広がる。
紅葉も見ごろだ。



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次いで訪れたのが、「箱根美術館」。



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美術館内はスキップして、庭園を散策する。
小川の流れがある所に竜胆の花も咲いている。


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一面の苔と紅葉が好対照である。
竹林も素晴らしい。

昼食は、箱根芦ノ湖を見下ろす「山のホテル」のレストラン「ヴェル・ボワ」にて、
フランス料理にフルコースを楽しんだ。
スモークサーモンのサラダ仕立て、南瓜のポタージュ、
そしてメインの料理は白身魚のヴァプール・ソースブールブラン、
デザートはチョコレートムースと柚子シャーペット。
芦ノ湖を眺めながら美味しくいただいた。


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2日目最後の訪問地は「箱根神社」で、お参りを済ませた。
エレベーターがあるとは初めて知った。


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2日目の宿は、伊豆城ケ崎温泉。


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メインの建物(ロビーであり食堂でもある)の他に、
4カ所のセクションに14ほどの離れが点在している。
広い庭が整備されている。
大浴場はなく、源泉かけ流しの家族浴場が7カ所ある。
夕食前、就寝前、翌朝と3か所の浴場に入ることが出来た。
いずれも外の庭が眺められ、露天風呂のあるところも。


夕食を堪能した。


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。。。。。。3日目の旅に続く




# by toshi-watanabe | 2020-11-21 10:39 | 旅行 | Comments(2)

2泊3日のバス旅行で箱根・伊豆へ

新型コロナウイルスの感染はまだ一向に衰えないが、
「Go to トラベル」を利用して、バス旅行に出かけた。
毎朝体温を測り、健康状態のレポートなど、コロナ対策はしっかりと。
箱根の強羅温泉に1泊、伊豆の城ケ崎温泉に1泊、2泊3日の旅。
出発は11月12日、東京から出たバスに朝10時、横浜駅前のシェラトンホテル前で乗車。
東京からは3組8人、横浜からは我々夫婦を含め4人、合計12名だ。
バスは「ロイヤルクルーザー」と呼ばれる観光バスで、
横3席で前後7列にトイレ付の、ゆとりある座席の豪華版。
参加者がそれぞれ窓際に座り、逆に会話もできず静かな車内。

途中東名高速を走り、海老名SAにて休憩をとると一路小田原へ。
蒲鉾で有名な鈴廣の「千世倭樓」にてランチをいただいた。
四季の華オリジナルメニューの和食。
午後最初に訪れたのは、「箱根ラリック美術館」。
アール・ヌーヴォー、アール・デコの二つの美術様式を彩った
ルネ・ラリックの作品が展示されている。
開館15周年、ルネ・ラリック生誕160年を記念した出展も。


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ラリック美術館の庭園を散策した。


次いで訪れたのが、箱根仙石原の龍虎山長安寺である。
本堂でお参りし、御朱印をいただいた。
裏山に登ると五百羅漢が出迎えてくれた。
樹々の間からは紅葉が見られた。



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岩陰にイワシャジンの花を見かけた。


初日最後の訪問地は仙石原である。
一面見事な黄金色に輝くススキの原だ。


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夕方早めに箱根強羅温泉の宿に到着。
温泉の大浴場で疲れを癒し、夕食の場に。
生ビールを飲み、美味しい会席料理に舌鼓。


。。。。。二日目の旅に続く。









# by toshi-watanabe | 2020-11-20 10:40 | 旅行 | Comments(6)

上田 秀人著「陽眠る」を読み終える

上田秀人さんの最新作品「陽眠る」を読み終える。

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幕末、徳川家存続のために命を懸けた男たちの物語。
榎本武揚、澤太郎左衛門、勝海舟や土方歳三などが登場する。
「男の意地」、「武士の矜持」に「徳川の無念」が描かれている。
そして物語の進展に登場し、重要な役割を果たすのが軍艦「開陽丸」である。

開陽丸は徳川家がオランダに特注し、慶応2年(1866)7月に竣工、
同年10月にオランダを出港、日本へ向かう。
この船には、オランダに留学していた榎本釜次郎(武揚)と、澤太郎左衛門が乗船していた
。木造造りの船だが、最新の一軸スクリュー推進を備えていた。
武装も画期的なもので、大砲を26門備えていた。
日本に到着したのは翌年、慶応3年(1867)3月だった。

慶応4年(1868)、鳥羽・伏見の戦いに敗れた
徳川15代将軍慶喜は軍艦「開陽丸」にて江戸に逃げ帰った。
副将の澤太郎左衛門は乗船していたが、艦将の榎本釜次郎は大阪にいたままで、
気が付いた時には開陽丸は大阪の港には姿が見えず。

慶応4年(1868)8月、榎本釜次郎は、旧徳川海軍脱走艦隊を率いて、
錨を上げて品川沖から離れた。
榎本釜次郎と澤太郎左衛門の乗船する開陽丸をはじめ、8隻の軍艦である。
箱館へ向かう途中、嵐に遭遇し、数隻の船は座礁したり故障したり。
開陽丸自体も船体の一部破損したままの厳しい航海となった。
箱館五稜郭を占拠したものの、そこまでだった。
戊辰戦争最後の戦いの場となった箱館五稜郭。
軍を率いていた土方歳三らは戦死。
榎本釜次郎と澤太郎左衛門は新政府軍に捕らわれの身となった。


開陽丸は座礁沈没。この物語も幕となる。





# by toshi-watanabe | 2020-11-08 10:02 | 読書ノート | Comments(0)

諸田 玲子著「ちよぼ」を読み終える

諸田玲子さんの最新作「ちよぼ」を読み終える。
新潮社出版、1,500円+税。
「小説新潮」に掲載された作品が、今回まとめて単行本として発刊された。


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「ちよぼ」とは、この物語の主人公。
前田利家の側室のひとりであり、
後に前田家第3代、加賀藩第2代藩主となる前田利常の生母、寿福院である。
NHK大河ドラマ「利家とまつ」が以前放映されたが、
この主人公の寿福院が登場したかどうかは記憶にない。
著者の諸田さんは、「ちよぼ」と呼ばれた利家の側室に
光を当てて。見事な作品に仕上げている。

天正元年に越前の朝倉氏が滅亡して朝倉家臣の上木家が落ち延びた時、
上木家の三女、幾世はまだ4歳だった。
この物語では、ある時童女の幾世は大兵の武士と巡り合う。
その時幾世にはわからなったが、その武士こそ前田利家だった。
その折に利家は、「めでたしめでたしの千世八千代・・・・・
千世(ちよ)という名を授けてやろう。
千世、鬼の顔が見とうなったら城へ来い」と幾世に声をかけた。
その後、9歳で幾世は府中城へ上がり、城ではじめのうち千世と呼ばれていたが、
前田家正室まつに千世姫がいたため、「千代保(ちよぼ)」と
呼ばれるようになった。

ちよぼは前田家の奥女中として仕えていたが、
文禄・慶長の役、秀吉の命により、利家は名護屋へ出陣する。
正室のまつは加賀にとどまり、利家の身の回り世話役として、
ちよぼが選ばれて利家のお供をする。
ちよぼは懐妊し加賀へ戻る。
総大将の秀吉に似たようなものだ。
そして、ちよぼは利家の側室となる。
利家には側室は名前の分かっているだけで5人。
正室、側室合わせて、名前の分かっている子供だけでも六男九女。
家系図を見ながら読まないと、話がこんがらかってくる。

正室まつの長男、利長が前田家第2代、そして加賀藩初代藩主となるのだが、
病弱で子供に恵まれず、ちよぼの息子、猿千代が利長の養子となり、
利常を名乗り、加賀藩第2代藩主となる。
利常の夫人は、徳川秀忠の次女、珠姫。
ちよぼは寿福院となり、利常が加賀藩主となると同時に、
人質として江戸へ下り、加賀へ戻ることはなかった。
同時に、それまで人質として江戸で暮らしていたまつ(芳春院)が加賀へ戻る。
ちよぼは奥女中としていた頃は、まつもちよぼを可愛がっていたのだが、
人質交換の頃には、お互い全く口も利かない間柄になっていた。

寿福院(ちよぼ)の生き様が見事に描かれた作品だ。
時代歴史小説の分野では定評のある文芸評論家の
縄田一男さんが絶賛されている。
正統的歴史小説のベスト作品と評されている。

菩提寺として建立された、能登の妙成寺には機会があれば訪れたい。
建立に力を尽くした寿福院が完成した姿を見られなかった五重塔を含めて、
数多くの立派な伽藍(重文)が立ち並んでいる。








# by toshi-watanabe | 2020-10-13 14:11 | 読書ノート | Comments(0)

池井戸 潤著「アルルカンと道化師」を読み終える

池井戸潤さんの書下ろし最新作「アルルカンと道化師」を読み終える。
講談社出版、1,600円+税。


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お馴染み半沢直樹の物語である。
東京中央銀行・大阪西支店の融資課長として登場。
銀行トップの M & A 事業を進めようという方針に従い、
大阪営業本部では強引な買収工作をする。
急激に事業を伸ばした大手I T 企業のジャッカルが、
業績低迷中の美術系出版社の仙波工藝社を買収するという案件。
強引に買収を進めたい大阪営業本部の背後には、
業務統括部長宝田がいる。
大阪西支店の浅野支店長も上層部の意のままに動く。
例の如く、半沢直樹が、仙波工藝社の仙波社長が望んでいる、
企業立て直しのための融資に応じるべく、唯一人大奮闘する。

銀行内で起きる赤裸々な物語がテーマなのだが、
この作品で興味を持ったのは、
若い二人の日本人画家が描いた「アルルカンと道化師(ピエロ)」の話。
アルルカンとは、ピエロとともに伝統的なイタリア喜劇に
登場する人気のキャラクターである。
ずる賢いアルルカンと純粋なピエロの対比は、
画家たちが好んで取り上げるテーマの一つになっている。
因みに、フランスの画家、アンドレ・ドランが描いた
「アルルカンとピエロ」がパリのオランジュリー美術館に展示されている。
格子模様の服に三日月の帽子をかぶったアルルカンと
白い服に黒い帽子をかぶったピエロの絵である。

若くして亡くなった二人の画家、仁科譲と佐伯陽彦が描いた
「アルルカンと道化師」をめぐって真実を探る
半沢直樹の活躍はまさに探偵、作品は推理小説的な面でも
読者をひきつける。
絵画「アルルカンと道化師」がこの物語の主人公でもある。

この作品もいずれドラマ化されテレビ放映されることだろう。





# by toshi-watanabe | 2020-10-05 09:37 | 読書ノート | Comments(2)

門井 慶喜著「銀閣の人」を読み終える

門井慶喜さんの著書「銀閣の人」を読み終える。
京都観光で必ず訪れるのが金閣寺と銀閣寺。
いずれも臨済宗相国寺派の塔頭寺院である。
金閣寺は正確には「鹿苑寺」、銀閣寺は「慈照寺」。
この作品は、銀閣・慈照寺を建てた
室町幕府の第8代将軍、足利義政の物語だ。

角川書店出版、1,800円+税。


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よく耳にするのだが、京都の人に、この前の戦争はと聞くと、
太平洋戦争の事ではなく、応仁の乱だという。
「応仁の乱」は室町時代、応仁元年(1467)に始まり、
11年の長きにわたり戦乱は続き、京都の町を焦土と化した。
足利義政は室町幕府の3代将軍義満の孫にあたる。
義満の息子である義教が第6代将軍、そして義教の息子で
第8代将軍となったのが義政である。
義政は幼き日に父親の無残な死様を目の当たりにし、
応仁の乱の最中、政には嫌気をさし、まだ幼い息子に将軍を移譲、
政はすべて正妻の日野富子に委ねた。

孤独な義政は東山殿(銀閣)の創建を構想する。
祖父が創建した北山殿(金閣)への反発も含まれる。
作庭に詳しい善阿弥(ぜんな)の助けを得るとともに、
僧侶で茶人の村田珠光と連歌師の宗祇が
義政にとって良き相談相手となる。
因みに村田珠光の茶道は武野紹鷗そして千利休に継がれ確立。

色々事件に巻き込まれながら、東山殿の創建に向かう。
義政が最も期待したのが、現在も残る「東求堂(とうぐどう)」で、
その建屋にある「同仁斎」、わずか四畳半の部屋である。
義政がまさに求めたもので、これが「わび」の境地だという。
更に時の移りとともに至るのが「さび」の境地。
残念ながら、「さび」の境地にならずに、義政はこの世を去った。
にちに「東山文化」と呼ばれる。

その後足利家は衰耗し、室町幕府は気息奄々となり、
東山殿は野武士の占拠するところとなった。
東山殿を構成するほとんどの建物が焼かれ、荒れ放題となったのだが、
「東求堂」と本堂の「観音堂」だけが無事生き残った。
平和な徳川の世を迎え、整備され、現在の銀閣寺の姿となる。



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「慈照寺」の名前は、足利義政の法名「慈照院殿喜山道慶大」から取られている。



# by toshi-watanabe | 2020-09-25 14:23 | 読書ノート | Comments(0)

朝井 まかて著「類」を読み終える


朝井まかてさんの著書「類」を読み終える。
この作品は雑誌「小説すばる」(2017年12月号 ~ 2020年2月号)に
掲載され、8月30日に単行本として出版されたばかりだ。
集英社、1,900円+税。
500頁近い長編大作である。


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作品名が「類」となっているが、これでピンとくる方は、
文学に詳しい方だと思う。
類とは明治の文豪、森鷗外(林太郎)の末子の名前である。
明治44年に生まれた森類が家族、特に二人の姉との
強いかかわりを持ちながら、大正昭和と生き抜き、
平成3年に80歳で亡くなるまでの物語。

類には21歳年上の兄、於菟(オト)がいるが、
この兄だけが鷗外の先妻、登志子の子供である。
於菟が生まれてすぐに離婚している。
その後、鴎外は志げと再婚し、長女、茉莉(マリ)、次男、不律(フリツ)、
次女、杏奴(アンヌ)、そして末子の類(ルイ)が生まれる。
不律は生まれれて直ぐ亡くなった。
長兄の於菟は義母の志げとうまく行かず、歳も離れており、
類は兄弟らしい付き合いをしていない。
父親の鷗外にはかわいがられたのだが、
類が11歳の時に他界したので、幼い時の思い出しかない。
子供のころから、類は2歳年上の杏奴と仲が良かった。

学校生活になじめない類は中学を途中で退学。
他にやることも見つからず、絵描きになろうと自宅で絵の勉強を始めた。
青年時代の類は杏奴とともに2年ほど、パリへ出かけ、パリの生活を満喫したり。
8歳年上の長女、茉莉は、二度の結婚に失敗したものの、
実家に帰り気ままな生活。
杏奴が小堀家に嫁いだ後は、類は茉莉の面倒を見たりして、
お互いに理解しあう間柄となった。
その間、類は美穂を妻に迎え、一男三女に恵まれた。
父親の遺産でのんきに生活してきた類の家族だが、
終戦となり、貨幣価値がすっかり変わり、
父親の残した印税だけでは暮らして行けなくなった。
出版社に勤めても務まらず、
心機一転、書店を開業したり、
やがて分筆家の道へ進んでいった。

於菟をはじめ、茉莉、杏奴もそして類も父親や家族のことを
それぞれ書いたものが何冊か出版されている。
類の書いた「鷗外の子供たち あとに残されたものの記録」が
この著書の終盤に登場するが、
朝井まかてさんは、大いに参考にされているのではと思う。

サラリーマン生活を送ってきた我々には、
森鷗外の子供たちの生活ぶりは、とても信じ難いものが、
宿命とは言え、宿命と格闘した生涯だったのかもしれない。
それでも、姉たち森茉莉、小堀杏奴と森類の物語、実に面白い。

森類は子供たちが立派に育った後だが、
妻の美穂に先立たれ、しばらくして再婚するところで、
物語は終わっている。

(追記)
上野池之端にある「水月ホテル鴎外荘」は
かって森鴎外一家の住まいがあったところで、
都内第1号の天然温泉もあるのだが、
コロナ禍の影響もあり、本年5月31日を以て閉館した。
中学の同期会を開催したこともある場所で、本当に残念だ。








# by toshi-watanabe | 2020-09-07 14:40 | 読書ノート | Comments(0)

日々見たこと、 感じたこと、気づいたことをメモする


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