仏像を学ぶ会で伊豆韮山の願成就院(がんじょうじゅいん)を訪れる。
今回初めて神奈川県外に出掛ける。
朝8時前に市ヶ尾駅前に集合し、バスで東名高速を沼津ヘ向かう。

柿田川湧水を見学、伊豆の国・一の宮の三島大社にも立ち寄りお参り。

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伊豆韮山にある願成就院は高野山真言宗、山号は天守君山、本尊は
阿弥陀如来である。
行基が開いたとされる古刹で、鎌倉北条縁りの寺である。
当時の面影はなく、周辺一帯にあった寺院の跡が国指定史跡となっている。
北条政子産湯の井戸というのも近くに残っている。

寺の門をくぐると正面に真新しい宝物館が見える。
この宝物館の正面壇上に本尊の阿弥陀如来坐像(座高 142cm、檜材、
寄木造、彫眼)が安置されている。
脇像は残っていない。

向かって左側の壇上には不動明王立像(像高 136cm、檜材)が、
右側の壇上には毘沙門天立像(像高 149cm、檜材)が安置されている。

いずれの仏像も運慶の作とされ、国指定重要文化財である。

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その他の写真はアルバムで。
# by toshi-watanabe | 2006-06-20 11:46 | 寺院・仏像 | Comments(0)

「智」 「仁」 「勇」

夕刊のコラムで、聖路加国際病院の細谷副院長が子供の頃、
大切にしなければならないものとして、「智」 「仁」 「勇」の
三つの漢字を、父親が丁寧に教えてくれたと、書かれている。

残念ながら私の父親は十分な教育も受けておらず、
これといった言葉を教えてもらった記憶はない。
細谷副院長の書かれた3文字で思い出した事がある。

昭和18年に東京世田谷の松原小学校(当時は国民学校)に入学、
その年の暮れ、まだ東京への米軍の空爆が始まる前に、
両親の故郷、西伊豆の土肥(現在、伊豆市)へ縁故疎開。
そこで終戦の翌年の春まで学んだ。

転入した学校は1学年が4クラスに分かれ、男子が2クラス、
女子が2クラスであった。
男子のクラスは智組と仁組で、私自身は仁組に入れられた。
因みに女子のクラスは優組と禮組であった。
今ではこんなクラス名を使用している学校はないと思うが。
# by toshi-watanabe | 2006-06-15 14:35 | 一般 | Comments(0)

友人との別れ

友人がまた1人亡くなる。
中学、高校と同期だったM君。
昨年11月末に開いた高校の同期会では
一番元気に騒いでいたのに、あっという間に逝くとは
全く信じられない。

2月20日に小脳出血で倒れ、救急病院へ。
手術後余り良い状態ではなかったようで、
入院生活の末、意識も戻らず肺炎を併発して。
6月5日に最期の時を迎えたとか。

12日朝は宿泊先の熱海から一番列車の新幹線で戻り、
告別式に参列、最後の別れに立ち会った。
ただただ故人のご冥福を祈るばかりである。
# by toshi-watanabe | 2006-06-13 10:15 | Comments(0)

恒例の小学校同期会が今回は一泊旅行ということで
6月11日から12日に掛けて熱海で開催。
先生を含め18名ほどが参加。
賑やかな宴会となり、昔話に花が咲いた。

11日は旅館集合まで時間があったので、小田原に下車。
駅近くの小田原城址公園へ出掛けた。
雨模様の中、満開の花菖蒲を見て回った。

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# by toshi-watanabe | 2006-06-13 09:56 | 同期会 | Comments(0)

東善寺に立ち寄る

最近、高崎市倉渕町(旧群馬郡倉渕村)にある東善寺に立ち寄る。
ここは幕末に悲運の最期を遂げた小栗上野介忠順所縁の寺である。
上野介の遺品も色々と保管されている。

すぐ近くの烏川のほとりには処刑された場所が遺跡として
残され、記念碑が建立されている。

境内には上野介の像が立っている
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本堂の屋根と寺の入口
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境内に咲く芍薬
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# by toshi-watanabe | 2006-06-09 14:34 | 寺院・仏像 | Comments(0)

昭和の墓碑銘

最近、新潮新書の「昭和の墓碑銘」を読んだ。
昭和49年から週刊新潮が「墓碑銘」というコラムの掲載をスタート、
その時々の物故者を1人づつ取り上げ、その人物にまつわる話を
短いストーリーとして紹介し、現在も続いているようだ。

昭和49年から64年1月までの昭和時代最後の15年間に
墓碑銘として刻まれた760人の貴重な記録の中から、今回
54人の故人を抜粋して単行本として発行された。

その中に満塩(みつしお)英雄さんが紹介されている。
太平洋戦争中、NHKの”ゼロ・アワー」放送班長として、
東京ローズを育て、米兵向けの謀略放送の番組を担当していた。

米兵から東京ローズと呼ばれた女性アナは実際は10数人いたが、
もっとも有名なのは、アイバ・戸栗・ダキノさん。

1970年代初めに米国シカゴに駐在していた頃、ミシガン湖畔の
リンカーンパーク近くに住んでいた。
その住まいから歩いて10分ぐらいの所に、「戸栗商店(商事?)」という
日本の土産品や雑貨を扱っている店があり、時々出掛けた。
そこで店番をしていたのが、アイバ・戸栗さんで、すでに中年の年頃、
地味な感じを受けた。
当時は米国の市民権も剥奪されたままで、決して楽な生活では
なかったと思う。
その後市民権を回復される事になるが、戦争の犠牲者の1人である。
# by toshi-watanabe | 2006-06-02 16:18 | 米国 | Comments(0)

中学の同期会

5月最後の日曜日、恒例の中学同期会に参加。
会場は神田一ツ橋の如水会館。
恩師を含め40名近くの仲間が集まる。

前夜からの雨も上がり、傘をささずにすむ。
時折り薄日も差す。
会に先立ち、有志数名で皇居東御苑を散策する。
雨上がりで木々の緑も一段と映える。

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          二の丸庭園の池に「コウホネ」が咲いている

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       百人番所の長い建物

最近の少子化に伴い、母校の中学はこの3月で閉校。
現在空き家となった建物が残るのみ。
昭和22年に新制中学として開校、あと1年で60周年をむかえる所だった。
# by toshi-watanabe | 2006-05-29 11:48 | 同期会 | Comments(0)

地下鉄で見た女子高生

大正7年生まれの堀文子さんが、最近の風潮について
批判の目で時折り書かれている。

電車の中で誰はばかることなく化粧を続ける若い女性。
回りを全く気にせずせっせと携帯電話のキーに
指を動かし続ける若者。

全く同感である。

ところで横浜市営地下鉄で遭遇したこと。
時間は午後3時ごろ、仲町台駅から4-5人の女子高生が
賑やかに乗り込んできた。

ドア近くに立って、一人がパンを食べ始めた。
よく見るともう一人は右手に箸を持ち、左手には弁当箱を
広げて持っているではないか。
立ち話をしながら、食べ物をつまんで口に持ってゆく有様。
ただただ呆然と見ているばかり。

終点のあざみ野駅ホームに入ってきても、弁当と箸を持ったまま
出口を塞いで立っている。
降りるほかの客に押されてホームに仕方なく降りるといった体たらく。
# by toshi-watanabe | 2006-05-19 14:13 | 一般 | Comments(0)