折々の記

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日々見たこと、 感じたこと、気づいたことをメモする

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10月31日正午、パナマのクリストバル港、ホーム・ポートに着岸。
カリブ海(大西洋)側のパナマ運河の出入口にあたる。
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早めにランチを済ませておく。
午後1時前、バスに乗り、コロンの駅へ向かう。
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コロンの町中を通る。
この町は中米でも治安の悪いことで知られる。
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パナマ地峡鉄道のコロン駅から乗車し、パナマ・シティまでの列車の旅。
全長77キロの鉄道、世界最短の大陸横断鉄道である。
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カリブ海(大西洋)と太平洋を結ぶ鉄道して
開業したのが1855年のこと。
今から160年ほど前になる安政7年(年の途中で万延元年に)(1860)、
日米修好通商条約の批准書交換のため、
時の徳川幕府は「万延元年遣米使節団」を米国に派遣した。
(以前書いたことのある、小栗上野介忠順が目付として参加)
その一行がサンフランシスコからワシントンへ向かうのに、
サンフランシスコから太平洋をパナマまで船で航行し、
パナマからカリブ海(大西洋側)のコロンまで、この列車を利用した。
コロンからは別の船に乗り、大西洋をワシントンに向かって航行した、
そんな歴史がある。

パナマ運河が1914年に開通して以降は、列車の利用も減り、
現在は一日に一往復運行されている。
我々は逆方向、パナマ・シティに向かう、およそ1時間ちょっとの列車の旅。
温かい飲み物と菓子の詰め合わせが配られる。

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車内と窓からの眺め。
パナマ運河と並行し走るので、時折運河の湖や航行する船も見られる。

乗車した列車

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コロンとは別世界のようなパナマ・シティ。
縦横に完備された舗装道路を車は走り、高層ビルが林立している。
近代都市のごとき光景に驚かされる。
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バスを降りて、保存されている旧市街地を散策する。
サン・ホセ教会。
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旧市街地、通りに面した建物はきれいに保存されている。
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朽ちた教会、そのままに。

階段で遊ぶ可愛らしい子供たち。
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レセップスの胸像と記念塔が建てられている。
スエズ運河を完成させたフランス人の実業家、レセップスは
パナマに運河を通そうと計画スタートしたものの、
黄熱病に悩まされ、難工事や疑獄事件に巻き込まれ、
挫折したまま不帰の人となった。

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クラフト・マーケット(現地人の手工芸品などの販売店が並ぶ)
に立ち寄る。
家内の気に入った生地があるので、同じグループのご婦人たちと
一緒になってネゴし、可成りの値引きで買い求める。
店を出たところ、格好いい男の子を発見。
父親の了解を得て写真を撮らせてもらう。
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旧市街地を再び歩き、バスに乗る。
すでに夕闇迫る。
帰りは高速道路を走り、クリストバル港へ戻る。
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オーバーランド・ツァーというのがある。
クリストバルからは5泊6日の大型ツァーあり、
一つは「クスコ・マチュピチュ」、
もう一つは「ガラパゴス諸島」。
それぞれ参加される方たちは、ここから出発、
次の寄港地、グアテマラ・シティで合流する。
残念ながら今回は見送り。
それにパナマ運河を通るのも今回の目的の一つ。
いよいよ翌日は一日かけて、パナマ運河を航行する。













# by toshi-watanabe | 2017-02-09 11:51 | 旅行 | Comments(2)

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葉室麟さんの最新作を読み終える。
著者にとって
50作目の記念作品となる。

武人の魂を持ち続けた絵師、海北友松(かいほくゆうしょう)を

主人公に描いた小説「墨龍賦(ぼくりゅうふ)」である。

海北友松は安土桃山時代から江戸時代初期まで絵師として、

名声を博したが、同時代には狩野永徳や長谷川等伯がいる。

等伯は6歳年下、永徳は10歳年下、

3人の絵師は後世に残る多くの最高傑作を残している。

著者は、「デビュー前から、海北友松という男を書きたかった。

もう一つの修羅を生きた男である。

自分らしさはどこにあるかを模索し続け、

晩年に答えを見出した。

そんな友松に、わが身を重ねていたのだ。」

と述べられている。

小説は、京都で細々と絵屋を営んで暮らしていた

絵師の小谷忠左衛門を春日局が江戸に呼び寄せ、

屋敷を与え、将軍家の絵師として働くように伝える

所から始まる。

春日局は忠左衛門に、そなたは海北友松の息子かと訊ねる。

彼が、さようですと答えると、春日局は、友松殿には

昔、たいそう世話になった、この度のことはその恩返しだと。

父親のことを全く知らぬ忠左衛門に、

春日局は友松のことを教えてあげようと語り始める。

忠左衛門はこの後、海北友雪と名乗り、御用絵師となる。

因みに海北家は明治に至るまで海北派絵師の家として続く。

友松は浅井長政の家臣、海北綱親の三男

(五男という説も)として生まれる。

父の死から10年経って、友松は13歳になると、

京都の東福寺の喝食(かつじき)となる。

寺に入ったものの、槍、薙刀の修行に励む。

時折り寺を訪れる幕府御用絵師の狩野水仙(元信)から絵を学ぶ。

狩野元信は、狩野派の祖、正信を継いだ狩野派2代目、

当時、天下一の評判を得ていた絵師であるとともに、

幕府御用絵師としての地位を確立した。

狩野永徳は元信の孫にあたり、永徳を名乗る前は源四郎。

その後、源四郎と友松は何かと接触があり、

お互いの才を認めつつも折り合いの付かない場面もある。

同じ東福寺に入門してくるのが、

恵瓊(えけい)といい友松より6歳年下、竺雲恵心の弟子となる。

抜け目のない男で大きな野望を抱いている。

後に毛利家の最高顧問のような役割を果たす安国寺恵瓊である。

もう一人寺に入ってくるのは尼子勝久。

尼子家再興を目指すが、うまく行かず、若くして生涯を閉じる。

その一方で、友松は1歳年下の斎藤内蔵助利三と知り合う。

その縁で、明智十兵衛光秀とも知己を得る。

光秀はかって斎藤道三に仕えていた。

永徳に誘われ、友松は狩野の屋敷に住んで仕事を始める。

道三が信長に与えたと言われる「美濃譲り状」は

存在しないことを、友松は突き止め、

光秀ではなく、その証拠を帰蝶(道三の娘で信長の正室)に渡す。

光秀、利三率いる一隊が「敵は本能寺にあり」と謀叛を起こす。

信長の死後、狩野の屋敷を出て、しばらくの間諸国を旅する。

その後も恵瓊とは何かと接触が続き、

のちに恵瓊が京都の建仁寺再建に当たって、

障壁画を友松に頼み、友松は依頼に応じて、

方丈の「竹林七賢図」や「山水図」

更には下間二の間に「雲龍図」を描く。

そのまま建仁寺に居つく。

友松64歳の高齢になって、妻を娶る。

名を清月といい、20代の若さである。

仲睦まじくくらし2年後に長男が生まれる。

(この長男が、春日局から目をかけてもらう忠左衛門である。

父のことを全く知らなかったというのも

66歳の時の子供であれば、それも頷ける。

この小説には出ていないが、一説には養子だという説も)

春日局の話の締めくくりには、宮本武蔵が登場する。

友松のところに突然浪人が現れ、絵を習いたいと。

熱心に絵の修行を積み、一羽の鵙が枯れ枝に止まっている絵を仕上げ、

友松のもとを去って行く。

武蔵の名作「枯木鳴鵙図」である。

大阪夏の陣へ向かうという。

時代は移り、江戸時代、利三の娘、福が徳川三代将軍家光の乳母となり、

のちに春日局となる。

大坂夏の陣が終わった、その年、海北友松は息を引き取る。

享年83歳だった。

海北友松という人物像を見事に描き切っている。

上記写真は、本書のカバーで、京都の建仁寺にある
海北友松筆「雲龍図」からのものである。




# by toshi-watanabe | 2017-02-08 11:06 | 読書ノート | Comments(0)
10月29日午前10時、ジャマイカのモンテゴベイ港に接岸する。
ジャマイカはカリブ海に浮かぶ3番目に大きな島。
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ジャマイカというと首都はキングストンだが、
治安が非常に悪く、客船はキングストンを避け、モンテゴベイに。
キングストンが島の南東部なのに対し、
モンテゴベイは北西部に位置している。
モンテゴベイの下町も決して治安がいいとは言えないようだ。
個人の自由行動はできるだけグループで動き、
危険地域は避けるように注意がある。

11時頃には港から観光バスに乗り、モンテゴベイの町中に出かける。
下町の通りに面した家並みと丘の上の高級住宅地との
大きな落差を垣間見る。
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モンテゴベイ近辺は素晴らしいビーチに恵まれており、
広大な敷地とホテル、ゴルフ場を有するリゾート地帯となっている。
ビーチを楽しむリゾートの一つに出かけ、
ランチを済ませた後はビーチで遊ぶ。
久し振りに水着に着替えて海に入る。
岩場には雲丹が見える。
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南国の花も色鮮やかに。
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プール。

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ゴルフ場やホテルのホールとの連絡に使われているカート。
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ビーチでのんびり過ごしてから、「ローズ・ホール・グレイトハウス」へ向かう。
18世紀末、英国人の農園主が開拓し、広大なプランテーションを築いた。
一時は数百人もの奴隷を使っていた。
その名残で、邸宅は一般公開されている。
小高い丘の上に建てられ、邸宅の前からは海が望める。
ミステリアスな物語が言い伝えられており、
専任のガイドさんが、邸内を案内しながら説明してくれる。

19世紀、女主のアニー・ハンマーは夫を殺害し、
更に愛人であった奴隷を数人殺害した。
その為、アニーは「ローズ・ホールの白い悪魔」と呼ばれるように。
今でも館の2階では、時折り彼女の幽霊が現れるという。
2階にあるアニーの部屋には、年代物の家具や内装が見られる。
気味の悪い話を聞いて邸内を巡った後、
地下室に行くと、そこはバーになっていて、
ラム酒のカクテルが出される。
カクテルを飲みながら、ギター片手に歌う男性に耳を傾ける。
「バナナ・ボート」などを歌ってくれる。
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港に戻る前に、野外のクラフト・マーケットによる。

ジャマイカといえば、レゲエ、そしてレゲエ・ミュージッシャンの
ボブ・マーリー、36歳の若さで亡くなっている。
夜、野外ラゲエライブ体験があったが参加せず。

船は夜9時過ぎにモンテゴベイを出港し、
次の寄港地、パナマのクリストバルへ向かう。











# by toshi-watanabe | 2017-02-07 10:28 | 旅行 | Comments(2)
10月27日、キューバ・ハバナの2日目。
朝8時には出発する。
ターミナルを出ると、そのまま旧市街地を歩く。
公衆トイレはないので、出かける前に済ませておく。
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直ぐ最初の広場に出る。
どっしりした古い建物、銅像も見える。
南国の花も咲いている。
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木製のタイルを使った建物とのこと。

横丁に入ると、コンクリの壁に描かれた見事な絵が目に付く。
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奥にパティオ。
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屋外のカフェテリア。
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シモン・ボリバルの銅像がある。
ボリバルは現在のベネズエラの首都、カラカス出身。
"El Libertador"(解放者)とも呼ばれ、
南米5か国をスペインから独立へと導いた英雄である。
因みに南米ボリビアの国名は彼の名前からとっている。
コロンビアのボゴタやベネズエラのカラカスで彼の銅像を見ている。
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大きな広場に出る。
銅像の横に座ったり、立ったりしてツーショット。
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歴史的な建造物が広場の周りを囲む。
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メイン通りを通ると、
ノーベル文学賞を受賞している、アーネスト・ヘミングウエイが
常宿としていた、「アンボス・ムンドス・ホテル」の前に。
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ヘミングウエイの住んでいた屋敷は現在、博物館となっている。

広場では、小学生がゲームをしたり、運動したり、賑やか。
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2,3質問すると、子供達笑顔で答えてくれる。

日本からの寄付により開設された施設もあるようだ。
旧市街地を散策して、昼前には船に戻る。
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正午には、ハバナ港を出発、次の寄港地、ジャマイカのモンテゴベイに向かう。













# by toshi-watanabe | 2017-02-06 10:23 | 旅行 | Comments(8)
10月26日早朝、待望のキューバ、ハバナが見えてくる。
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米国と国交快復したばかりのキューバ、
今回のクルージングで訪れるのを大いに楽しみにしていた国だ。
7時ごろハバナ港に接岸する。
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港のターミナルにて、入国対面審査が行われる。
ニューヨーク港ではひどい目に逢ったが、
ハバナでは心配するほどのこともなくスムースに審査も進行する。
まったく右も左もわからない土地、
二日間、観光ツァーに参加する。

入国審査と手荷物検査を終えて、ターミナル内を歩きだすと、
子供たちを含む現地の人たちの大歓迎を受ける。
軽快なリズムでサルサを踊り始め、つい仲間入りしてしまう。
とてもいい雰囲気だ。
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初日は観光バスに乗り、市内見学に出かける。
港町の眺め、そして街中を通る。
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国会議事堂の前を通過し、さらに町の中を走る。
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高台に登り、港方面が望める。
最初の目的地、「カバーニャ要塞」に到着する。
かって、カリブ海には海賊が跋扈していたため、どの島でも要塞を築いて、
海からの攻撃を防いだ。
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毎日二回、兵士による儀式が行われる。
兵士は行進しながら、砲台のところへ向かう。
そして火をつけ発砲する。
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ところが、発砲の瞬間、真正面でカメラを構えていた私は、
耳をふさぐ間もなく、爆音に耳をやられてしまう。
暫くは全く聞こえない状況に。
やっと治まったものの、以前から耳が遠かったところに、
すっかり難聴、他人の話が聞き取りにくくなる。
(実は今も近くの耳鼻咽喉科に通院している)

要塞のある高台を下って、再び町中へ。
話には聞いていたが、米国の大型クラシックカーが走り回っている。
現在タクシーとして活躍している。
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古い車を走らせるために、キューバ政府は自動車修理エンジニアを
大勢養成し、メンテをしっかり行っているので、
車は問題なく、十分走れるとのこと。

ランチタイムになり、レストランに案内される。
これが素敵な店で、何と生バンドの演奏が楽しめる。
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以前来られた日本人観光客の皆さんだろうか、
寄せ書きされた色紙が壁に飾られている。

午後は革命広場に向かう。
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我々が訪れた後に、フィデル・カストロが亡くなり、
その霊を慰めるために国民が集まったのが、この広場である。

再び町中へ。
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そして、革命博物館へ。
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初日の最後は、「民芸品市場」に立ち寄る。
外国人観光客用の土産店がずらりと並んでいる。
ショッピングを楽しんで、初日昼の観光を終える。

船内で夕食をすませて、夜は「サルサ・フェスティバル」へ出かける。
広い庭に設えた会場で、サルサ一色。
キューバの人たちに教えてもらいながら一緒にサルサを踊る。
飲み物は「クーバ・リーブレ(Cuba Libre)」
ラム酒をコカコーラで割った飲み物。
口当たりがいいので飲みすぎてしまう。
残念ながらカメラ持参せず。

ターミナルでユーロを現地通貨に交換しておく。
現地通貨には2種類あり、我々が使用できる通貨と
現地人が普段使っている通貨とでは異なる。
二本立てとなっている。
店によってはユーロが使用可能。
米ドルが使えないというのが面白いところ。

2日目のパート2に続く。















# by toshi-watanabe | 2017-02-05 15:36 | 旅行 | Comments(6)
アムステルダムから乗船された水先案内人(ピースボートでは、
船内の講演で講師をされる方を水先案内人と呼ぶ)のお一人、
細川佳代子(細川護熙元総理の夫人)さんが、ニューヨークで下船された。
2週間余りの乗船中には、「細川家の歴史」など、
興味深い話を多少脱線気味に講演されたり、
フラダンスの同好会に仲間入りされ、
発表会では一緒にステージで踊られた。


乗船してから2か月超、散髪しておらずだいぶ髪が伸びたのを気にしていたところ、
(船内には美容室があり、予約制で散髪可能なのだが)、
偶々知り合いになった、福岡で理髪店をされているTさんが
散髪してあげましょうと、部屋まで来てくれて散髪していただく。
ご主人は店を空けられないので残り、奥様だけがお一人で今回乗船される。
散髪料ただという訳にもいかないので、
日を改めて、船内の居酒屋「なみへい」にて飲み会をする。
焼酎をボトルでキープしていた。


さて横道にそれてしまったが、
10月24日昼前の11時に、バハマ諸島のナッソーに入港。
いよいよカリブ海のクルージングがスタートする。
カリブ海には、たくさんの米国人観光客が乗船した
豪華客船が行きかっている。

ナッソー港の光景。
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南国の避暑地、観光地である。
半日しか滞在しないので、バハマ諸島の雰囲気を少しばかり味わう。
観光バスに乗りショートコースの観光ツァーに参加。

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ナッソーの町を見下ろす丘の上にある、
「シャーロット砦」をまず訪れる。
民族衣装のような制服を身に着けた兵士の入場行進。
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次いで訪れたのが、「ジョン・ワトリングス・ラム酒工場。
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バスの運転手さん、時折車を止めて降りたと思うと、
薬草を引っこ抜いてきて、説明してくれる。
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最後の目的地、パラダイス島へ。
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半日コースを回り、夕方帰船する。
夜10時ごろ、出港し、次の寄港地、キューバのハバナへ向かう。
待望のキューバである。










# by toshi-watanabe | 2017-02-04 10:47 | 旅行 | Comments(4)
10月21日、ニューヨーク2日目。
自由行動でマンハッタンを散策することに。
まずはメトロポリタン美術館を目指す。
港から歩き始めると、雨が降り始め、どうやら本格的な雨降り。
雨の中をサードアヴェニューまで歩きサブウェイに乗る。
セントラルパークの東側をミッドタウンからアップタウン方面に
行くサブウェイの路線は、サードアヴェニューを通る4、5、6番線しかない。
朝のラッシュアワーと見えて、ものすごい混みよう、
東京近辺の朝と変わりない。
無理矢理に乗り込んだら、黒人のおばさんににらまれてしまう。
三つばかり駅を過ぎるとだい車内も空き、
下車するときにはガラガラ状態に。
雨は全くやみそうもなく、さらに激しく降る。

因みに、長年の夢だったセカンドアヴェニューの路線が
この1月に開通したと報じられていた。

メトロポリタン美術館の前に行くと、すでに大勢の人が待っている。
早く来すぎてしまい、開館は10時だという。
結局雨の中を30分ばかり待たされる。
年間600万から700万人が入場するという世界有数の美術館。
開館時にはかなりの入場者を数える。

入場料は希望額となっている。
生活に困っている人は払わなくてもいいらしいし、
余裕のある人は高額払っても構わない(寄付は大歓迎)。
びしょ濡れのコートをロッカーに入れ、
余り欲張っても致し方ないので、メインフロアを重点的に見学する。

エジプト美術。
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ギリシャ・ローマ美術。
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アフリカ・オセアニア・南北アメリカ美術。
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ヨーロッパ彫刻・装飾美術。
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中央ホール。

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早めにカフェテリアで昼食をとる。
サブマリーンというか、大きなサンドイッチとコーヒー。

ロバート・リーマン・コレクション。
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中央ホールに戻り、ステンドグラス。
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デンドゥール神殿(古代エジプト、紀元前1世紀ごろ)。
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2階、3階の絵画展示場をさっと見て回る。
数少ないフェルメールの作品が5点観られる。

「水差しを持つ若い女」
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「少女」
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「リュートを調弦する女」
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「信仰の寓意」
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「眠る女」
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日本人にはお馴染みの、
尾形光琳の「八橋図屏風」や鈴木其一の「朝顔図屏風」も展示されている。

美術館を後に、セントラルパークへ。
幾分小降りになったようだが、雨降る中、公園を散策する。
逆に歩く人も走る人も少なく、ひっそりとして静かである。

「不思議の国のアリス像」
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秋の気配も感じられる。
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可成りの距離を歩き、五番街の60丁目、公園の入口にたどり着く。
目の前には、かってのプラザホテル。
五番街を下る。
トランプタワーを覗いてみる。
ロビの一面の壁には滝のように水が流れ落ちている。
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ケネディ元大統領の葬儀も営まれた、「セントパトリック・カテドラル」。
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五番街に面した、「サックスフィフスアヴェニュー」や「ユニクロ」にも立ち寄る。
他にも寄りたいところがあったのだが時間切れ。
午後3時半が帰船リミットなので、急いで港へ戻る。
悔しいことに雨もすっかり上がり、日差しも出てくる。

夕方5時ごろに出港する。
マンハッタンの高層ビル群を後に、再びヴェラザノ=ナローズ・ブリッジを潜る。
ニューヨークはマンハッタンのホテルに一泊すればよかったかなと反省。
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次の寄港地、バハマのナッソーに向かう。









# by toshi-watanabe | 2017-02-03 10:59 | 旅行 | Comments(6)
10月20日まだ夜が明けぬうちに、
客船はニューヨーク湾に入る。
「自由の女神像」が見えてくる。
カメラを向けるが、可成りぼけた写真。
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右手に灯火を高々と掲げ、左手には独立宣言書を抱え、
我々を迎えてくれる。

スタテンアイランドとブルックリンを結ぶ
「ヴェラザノ=ナローズ・ブリッジ」の下をくぐる。
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この橋が開通したときには、世界一長い吊り橋だった。
自動車専用の吊り橋である。

ハドソン川の河口に来ると、マンハッタンの高層ビル群の夜景が目に入る。
大都会に来たという感を強くする。
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7時には、ハドソン川を上ったマンハッタン・クルーズ・ターミナルのある
90番埠頭、#4に着岸する。
8時からターミナルビル内で入国対面審査が始まる。
6人ほどの審査官が対応するものの、
可成り念入りに審査が行われる。
一人一人、指紋を取られたり、帽子、眼鏡をはずして、
カメラで見られたり(写真撮影?)で時間が掛かる。
私の場合は、以前米国に長期間住んでいたこともあるためか、
あっと言う間に通過してしまう。

我々は比較的早い時間に審査を終えたのだが、
上陸関係なく、全ての乗船客を審査を受けなければならない。
自由行動の人たちは審査を受けた後、
そのままニューヨークの町へ出かけられる。
我々のように午後観光ツァーを予定している者は
取り敢えずパスポートと入出国カードだけ持参し、
審査が終わり次第船に戻るつもりでいた。
ところが、全員審査が終わらぬ限り、船に戻れない。
関係者に聞いてみると、全員審査が終わるまで
あと3時間はかかるだろうという。

待合室で待っているのも嫌なので、マンハッタンの町に出かける。
手ぶらなので買い物もできないのだが。
五番街の「ロックフェラーセンター」の辺りまで歩き、
しばらくぶらついてから港のターミナルまで戻る。
未だ審査が続いているのにはびっくり。
やっと11時過ぎに船に戻れる。

昼食後、予定より少し遅れでバスに乗車、観光に出かける。
バスはまっすぐ東に向かい、セントラルパークの南側に出る。
可成りの交通渋滞となっている。
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五番街を南に向かう。
トランプタワーの前を通ると、上半身裸の若者が、
ギターを弾きながら、声を張り上げている。
警官の姿も見え、通行人が足を止めて見ている。
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42丁目を東へ、中央駅の一つ、
「グランドセントラルステーション」の前を通過する。
映画にも登場したことのある大時計。
駅構内には名高い「オイスターバー」がある。
裏側に聳え立つビルは、かっての「パンナムビル」、
今は保険会社のビルとなっている。

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イーストサイドには高級アパートがある。

最初の目的地、国連本部に到着、外からの見学だけである。
内部は以前見学したことがある。
中庭には日本から寄贈された平和の鐘。
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再び五番街に戻り、34丁目にある「エンパイアステートビル」へ向かう。
途中で見かけた観光バス。
変わった形の尖塔のあるビルは「クライスラービル」。
このビルが出来たときには、米国一高いビルだった。
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だいぶ待たされると聞いていたのだが、
団体予約のためか、ほとんど待つこともなくスムースに展望台へ向かう。
曇りがちの空模様だが、眺望は素晴らしい。
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ミッドタウンからダウンタウンへ。
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「グラウンド・ゼロ」エリアに到着する。
2001年9月11日に起こった未曽有のテロ事件。
ワールドトレードセンターの跡地はどうなっているのか、
見ておきたかった場所である。
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白い変わった形の建物はPATH(隣のニュージャージー方面と結ぶ鉄道)の
新たに建てられたターミナルで、此の地下深くに電車の
プラットホームがある)。
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以前ツインタワーが立っていたところには、ほぼ正方形のプール(池)が
造られ、その周りには犠牲者の名前が刻まれている。
日本人犠牲者の名前も見られる。
一帯は公園となっており、観光客ばかりでなく地元のニューヨーカーの
憩いの場ともなっている。
7つの新しい高層ビルが建設されることになっているが、
すでに完成したのは、最も高いWTCタワー1(541メートル)、
日本人アーキテクトの槇文彦さんが設計したWTCタワー4(297メートル)、
それにWTCタワー7(226メートル)の3つのビル。
数年のうちに完成予定なのが、あと2つのビルとなっている。
残りは計画も未定。

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半日の観光ツァーを終え、タイムズスクエアのレストランで夕食。
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いかにもアメリカ風というか、店内の壁や天井に
かって活躍した映画俳優のポスターなどがべたべたと貼られている。

夕食後は、すぐ近くのジャズバーに行き、
グラスを傾けながら、生演奏のジャズに酔いしれる。
カクテルのジンギムレットなどを楽しむ。

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タイムズスクエア付近の夜はにぎやかだ。
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ニューヨークの二日目は、個人で自由に動くことにする。

続く。。。。。












# by toshi-watanabe | 2017-02-02 15:44 | 旅行 | Comments(2)