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内田康夫さんの著書「龍神の女(ひと)」を読み終える。

「内田康夫と5人の名探偵」とサブタイトルがついている。

最近、福間文庫として出版、650円+税。

200310月に有楽出版社より刊行されたものの再販。

内田さんご本人は短編小説を書くのは嫌いで苦手だと言われているが、

この著書は5編の短編小説から成っている。

いずれの作品も1980年代から90年代初期にかけて

書かれたもので、一部は2003年出版時に初めて公開された。

これらの短編が書かれたころは、浅見光彦シリーズが確立する前の時代で、

浅見光彦の他に幾人かの名探偵が登場していた。

書名になっている「龍神の女」では、和泉教授夫妻が和歌山県の

高野山にほど近い龍神温泉へ向かう途中で事件に巻き込まれる。

龍神温泉は古く、紀州徳川家藩主の湯治場と知られる。

日本三美人湯の一つでもある。

和泉夫妻はその後、気になる女性の後を追って和歌山市加太にある

淡嶋神社へ向かう。

この神社は人形供養の寺として名高く、数十万体にも及ぶ無数の

人形が境内一円に奉納されており、偏に壮観である。

気味の悪い風景ですらあるとも言われる。

和泉教授は素人探偵を装うものの危ない目にも遭ってしまう。

「鏡の女」はこの作品集の中では最も長編で、最も面白く読んだ。

1987年に発表されており、ご存知浅見光彦が登場する。

居候の光彦のところに宅急便で、姫鏡台が届く。

差出人は田園調布の文瀬夏子となっているが見当もつかない。

宛名が書き直されており、最初に書かれた宛名から

文瀬は結婚後の苗字で、元は浅野夏子と判明する。

夏子は光彦が小学校に通っていた時の同級生、

淡い恋心を抱いた女性だった。

夏子は恵まれた結婚生活は送れず、不慮の死を遂げる。

夏子の夫の文瀬には付き合っている別の女性がおり、

夏子の亡くなった後、夫婦約束をしているのだが、

その女のところに宅急便で姫鏡台が送られてくる。

差出人がすでに亡くなっている夏子、差出人の住所が、

夏子の眠る多磨霊園となっている。

光彦のところに届いた姫鏡台は夏子の姉のところで保管されている。

余りのことにその女は狂気となり、病院から飛び降り自殺。

「少女像(ブロンズ)は泣かなかった」は1988年に発刊された。

美人の橋本千晶は車椅子の生活。

静かな住宅地なので、時折車椅子で近隣を散策する。

直ぐ近くに住む牧田家の夫人、美登子と知り合うのだが、

美登子夫人は睡眠薬を飲んで亡くなる。

警察では自殺と処理するものの、千晶は不審に思う。

美登子はいつも一人で自分の部屋に閉じこもり、

飾り棚にはブロンズの少女像を置いている。

お手伝いさんは毎朝、美登子の部屋へ掃除のために入り、

いつも少女像が涙を流したかの如く濡れているのを目にしていた。

所が亡くなった朝、少女像は涙を流していなかった。

それを聞いて、千晶は推理を働かせ、
やがて殺人事件であることを突き止める。

「優しい殺人者」では、奥多摩の美人ママ殺しがテーマ。

登場するのが、警視庁捜査一課の福原太一警部。
警部の姿を見て、「豚腹(ぶたばら)」と揶揄する人も。

いつも半分眠ったような恰好で、担当刑事が報告するのに

耳を傾けているのだが、外目には何を考えているのかさっぱりわからない。

ところが的確に指示を与え、最終的には事件の本筋を突き止めてしまう。

福原警部という、一つのモデルを作り上げている。
似たようなケースでは、「信濃のコロンボ」も何度か内田作品に登場する。

「ルノアールの男」は1984年に発刊された。

学校時代成績が悪く、大学を出たものの、真面な職に就けず、

ふらふらしていた鴨田が探偵事務所を立ち上げる。

学校時代のグループに優秀な仲間たちがおり、

彼らが協力して、鴨田探偵事務所を開設するにあたり、

お化けパソコン「ゼニガタ1号」を作って寄贈してくれる。

問題の解決に、このパソコンが手助けしてくれる仕組みだ。

或る時、鴨田は依頼人と喫茶店の「ルノアール」で落ち合うのだが、

とんでもない事件に巻き込まれてしまう。

いずれも内田さん初期の時代の作品、短編小説なので

多少物足りなさもあるが、素人探偵の活躍を含めて、
それなりに興味深い作品集だ。









# by toshi-watanabe | 2017-12-02 09:19 | 読書ノート | Comments(0)

2005年4月にスタートして以来、ブログ「折々の記」が
昨日、アクセス数20万回を達成しました。
皆様のご支援に感謝申し上げます。





これからも続けてまいります。
何卒よろしくお願い申し上げます。





# by toshi-watanabe | 2017-11-30 08:49 | 一般 | Comments(0)




今年最後を締めくくる大相撲11月場所(九州場所)が
11月26日、幕を閉じた。
無事にとはいかない場所だった。
千秋楽の昨日、八角理事長の土俵上からお詫びのスピーチが
あったものの、まさに日本相撲協会の対応のまずさ、遅さを
さらけ出すだけで、むなしい限りだったのは残念。
横綱日馬富士も、今場所には出ずに謹慎すべきだった。

しかも今場所、3横綱1大関をはじめ9名の力士が休場した。
4横綱2大関がいるのに、結局横綱同士、大関同士の取り組みは
一度もなかった。 千秋楽に横綱と大関の一番が
あっただけとは全くファンを馬鹿にしている。
それでも相撲ファンとは有難いもの。
15日間満員御礼が続き、これで今年は、6場所90日間、満員が続いた。
これは21年ぶりのことだという。

会場入場者と会員によるアンケート調査「敢闘精神あふれた力士」が、
今場所も実施され、結果が発表された。
毎日1位から3位まで3名の力士が選ばれる。
1位を3回受けたのが、安美錦と北海富士、2回受けたのが
貴景勝、遠藤、嘉風、そして1回受けたのが阿武咲、松鳳山、豪栄道。
1位、2位、3位の合計回数では、7回の北海富士がトップ。
次いで、6回の貴景勝と遠藤、5回の阿武咲と安美錦、
4回の嘉風、3回の稀勢の里と続く。
白鵬は1回もなし。

白鵬は14勝1敗で、見事40回目という圧倒的な回数の優勝を果たした。
とはいえ、最近の相撲は、立ち合いと同時に張り手かかちあげで、
相手の動きをひるませて有利に進めるやり方が専らで、
横綱相撲というより、勝の相撲に徹しているように感じる。
11日目の対嘉風戦、行司判定に不満を示した態度は
力士としてあるまじきものだろう。
千秋楽の優勝表彰式での態度も疑問。
勝手に力士代表の弁を語り、万歳三唱とは。

さて39歳で再入幕を果たした安美錦、前半は巧みな技で白星を
重ねたものの、中盤からはスタミナ切れか負けが込み、
千秋楽に何とか勝ち越しを決めて、敢闘賞を受賞した。
インタビューでは涙が止まらないままだった。
奥様と3人のお子さんのために頑張ったと、ご本人の弁も感動的。

横綱大関陣が休場する中、若手力士が頑張った。
御嶽海は、今年の6場所すべてで勝ち越しを決めた、唯一の力士。
21歳の貴景勝が幕内筆頭という難しい番付でも、
11勝を挙げ、見事殊勲賞を受賞。
北海富士が技能賞を受賞した。
若手ではないが、隠岐の海が敢闘賞を受賞した。
その一方では、幕内筆頭の玉鷲が11勝を挙げながら、
賞の話が全くなく、ご本人はおやっと思ったらしい。

横綱審議会も開かれたが、結論は先延ばし。
日馬富士の暴行事件、早急に解決してほしい。
相撲ファンが逃げてしまう。





# by toshi-watanabe | 2017-11-28 09:38 | 一般 | Comments(0)

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葉室麟さんの新作「大獄 - 西郷晴嵐賦」を読み終える。

文芸春秋発行、1,700円+税。

来年は明治維新から150年、NHKの大河ドラマは

「西郷(せご)どん」、林真理子の原作が脚本化され、

西郷隆盛を主人公に放映される。

この原作の他にも、数多くの西郷隆盛を取り上げた

著書が現在書店に並んでいる。

葉室さんの作品も、西郷隆盛の物語だが、

西郷吉之助として登場する。

時は弘化3年(1846)、薩摩藩世子の島津斉彬が江戸より帰国。

斉彬は38歳、父の藩主斉興は未だ家督を譲らず。

藩士の大久保利世の問いに応えて斉彬は答える。

「世が使うのは、仁勇の者だ」

「百才あって一誠なし、不仁であるがゆえにひとの心を得られぬ。

 それゆえ、どれだけ働こうとも、ひとの恨みを残すだけだろう。

 世の中をまことに動かすのは、仁を行う勇を持った者であろう。」

利世には、この言葉に似つかわしい若者の顔が脳裏に浮かんだ。

その若者こそ、西郷吉之助である。

薩摩藩では子弟の教育は居住地ごとの郷中(ごじゅう)で行う。

青少年の先輩が後輩を指導する体制で、

指導に当たるのが二才頭(にさいがしら)である。

丁度20歳になったばかりの吉之助は二才頭を務め、

同時に郡方書役として出仕していた。

嘉永4年(1851)に島津斉興は隠居の身となり、

斉彬がいよいよ薩摩藩主の座に就く。

吉之助の器量を見抜いた斉彬は、嘉永7年(安政元年)(1854)、

参勤交代の折りに、吉之助を伴う。

江戸の藩邸では、お庭方を拝命。

卑職だが、主君と直接、言葉を交わす事が出来る。

このため幕府でのお庭番は将軍の密命を受ける

隠密の役目を果たしていた。

水戸藩へ使いを命じられた吉之助は藤田東湖や

戸田蓬軒と面識を得る。

その後、多くの名士と知己を得る。

水戸藩の武田耕雲斎、安島帯刀、越前福井藩の橋本佐内、中根雪江、

肥後の長岡監物、長州の益田弾正、土浦の大久保要、尾張の田宮如雲等々。

安政5年(1858)、彦根藩主・井伊直弼なおすけ)が大老に就任する。

その陰には紀州の付家老・水野忠央(ただなか)の画策がある。

徳川幕府12代将軍・家慶が亡くなった後を継いだ13代将軍・家定は

家慶の四男だったが病弱な体質、先が危ぶまれ、水野忠央は血筋の最も近い

紀州藩主・慶福(よしとみ)を将軍継嗣に押していた。
後の14代将軍・家茂、その時まだ12歳。

所謂“南紀派”である。

井伊大老は家臣の長野主膳を京へ派遣して、

慶福将軍実現のための活動を開始する。

その一方で、当時の世情から見て、一橋慶喜が次期将軍に

最もふさわしいと考える、水戸斉昭を中心とする一派、

所謂“一橋派”があり、越前の松平春嶽などとともに、

島津斉彬も水戸斉昭を支持していた。

近衛家の娘として将軍家定の元に薩摩から嫁いでいた篤姫を通じて、

吉之助は藩主の意向に沿った工作をしていたのだが、

家定は篤姫と話をしようとせず、母親である本寿院、幼い頃に教育係だった

歌橋、いずれも南紀派の婦人たちに言われるまま、次期将軍には、

紀州の慶福と宣言し、一橋派の敗北となった。

この結果、「安政の大獄」が厳しく行われることに。
一橋派の主だった人たちが処罰やひどい仕打ちを受けた。

書名の「大獄」とはまさに、この「安政の大獄」。

因みに、1963年に放映されたNHK大河ドラマの第一作、

「花の生涯」は井伊大老の生涯を描いた作品だった。

折りしも斉彬は薩摩軍を率いて江戸に向かおうとしていたのだが、

病で突然亡くなり、薩摩藩主は斉彬の異母弟の息子、茂久が継ぐ。

実際には、茂久の父親、島津久光が実力者として

薩摩藩を引っ張ってゆくことに。

西郷吉之助は京で斉彬の訃報を耳にして殉死をと考えるのだが、

京において公家との間の交渉役をしていた、尊王攘夷派の

僧侶・月照らに思いとどまるように言われ、斉彬の遺志を継ぐ決意をする。

「安政の大獄」のあおりを受けて、吉之助は藩の計らいで、

菊池源吾と名前を変えて、奄美大島に潜居する。

所謂島流しとは異なり、島では普通の生活をする。

3年後藩の許しが出て吉之助は島から薩摩へ帰るところで、
この作品は終えている。

包容力のある西郷吉之助が見事に描かれた作品である。

周りの人たちに安心感を与えずにはおかない、

如何にも大人物というイメージが目に浮かぶ。

吉之助にとって子供の頃からの友達というか仲間の中でも、

特に仲のよかった3歳年下の大久保一蔵(のちの利通)が登場する。

大久保利世の息子、一蔵は吉之助を尊敬し、兄のように慕っていたのだが、

心の中では、いつかは吉之助を飛び越えようと考えていた。

吉之助が奄美大島に流されていた間、新たな薩摩藩の実力者

となった島津久光に接近し、吉之助と斉彬との間にあったような

関係を自分も持とうとし、実現に向かって活動する。

ただ、吉之助はそのあたりのことをすでに感知していた。

吉之助と斉彬との間には、同じ考えを持った信頼関係があったのに対して、

一蔵と久光の間には信頼関係が全くなく、

お互いの力をただ利用し合う、打算的な関係であると見抜いていた。
明治に入り、西郷と大久保は敵対する関係になるのだが、
すでにその前兆が出ていた。


西郷隆盛を扱った小説は数多く出ているが、

葉室麟さんの「大獄」は西郷隆盛という人物を見事に描いた
実に素晴らしい作品である。

葉室ファンとして、大いに感動を与えていただいた。











# by toshi-watanabe | 2017-11-28 09:11 | 読書ノート | Comments(0)

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浮穴みみさんの新作「鳳凰(ほうおう)の船」を読み終える。

双葉社発行、1,500円+税。

因みに浮穴みみさんは北海道旭川生まれで現在は札幌在住。

江戸から明治へ、時代の狭間に函館で生きた人たちの

逡巡と悔悟、そして決意の物語が散りばめられている。

書名となっている「鳳凰の船」の他に4篇の物語、

「川の残映(なごり)」、「野火」、「函館札(はこだてさつ)」

そして「彷徨(さまよ)える砦」から成る。

それぞれ独立した形をとっているが、

時代の流れとともにつながりもある。

「鳳凰の船」に登場するのは、

函館に手様式帆船づくりの名匠と謳われた船大工の続豊治。

だがある不運から、船大工の職を離れ、仏壇師として、

また慰めに木彫りをしたりして20余年余りが過ぎる。

世は明治へと移り変わり、ひっそりと暮らす豊治の元を

伊豆の船匠、上田寅吉が訪ねてくる。

嘉永七年、下田沖に停泊中のロシア軍艦ディアナ号が

大津波により沈没、幕府経由で依頼された新船製造に

尽力したのが、伊豆戸田村の船大工だった寅吉。

様式帆船ヘダ号を手掛けたのが寅吉、

この様式は君沢型スクーネルと呼ばれ、寅吉の名は広く知られた。

実は、榎本釜次郎率いる脱走軍の旗艦開陽丸に乗船して、

函館に来たのだが、その開陽丸が江刺港で暴風雨にあって座礁沈没。

「川の残映」に登場するのは、お雇い外国人のジョン・ミルンと

結婚した堀川とね、本願寺派函館別院、願乗寺の娘。

明治の半ばに英国へ渡ってから二十五年、

七年前にミルンが亡くなり、とねは大正9年、

ふるさとの函館に一人帰ってきた。

実家の前の川はすでになくなっている。

に乗ったとねが招魂坂に近づくと目の前にお屋敷、

それは30年前には築島にあった旧ブラキストン邸が移築されたもの。

当時のことをとねは思いだす。

アメリカから招聘されたお雇い外国人のエドウィン・ダンそして、

ダンと結婚した鶴のことなど。

「野火」に登場するのは、福士五郎成豊で、北海道庁

初代長官・岩村通俊に仕える。

福士は「鳳凰の船」に登場した船大工豊治の実の息子、

幼い時に養子に出され、姓が異なる。

福士は、「川の残映」に登場する、イギリス商人、

トマス・ブラキストンと親しくしていた頃、

英語はもちろん、鳥類学から気象観測術や

測量術まで手ほどきを受けていた。

開拓使として測量業務に従事し北海道を調べ上げた。

岩村長官は福士の手腕を大いに評価する。

福士は、野火になり、燃えて駆け巡り、炎の命を

土壌へ授けるのだと決意する。

「函館札」の主人公は、キャプテン・ブラキストン。

独身を貫き通しいたイギリス人商人、ブラキストンと

屋敷で下働きをする、おそのと若いれんの物語。

「彷徨える砦」には函館港改良工事を指揮する廣井勇が登場。

大型船が停泊できるように函館港の改築に取り組む。

ところが、弁天台場の解体工事が予想外の難作業。

幕末安政の時代、陸上の五稜郭とともに、七年の歳月を

費やして築かれたのが弁天台場、海上防備の要。

台場の設計から監督までを、一手に引き受けたのは、

幕臣・武田斐三郎、蘭学者で砲術家、当時一流の科学技術者だった。

難工事の最中、クリスチャンでもある廣井は若い頃世話になった、

フランス人貿易商ピエールと妻の志津を訪ねる。

函館に住む夫妻は近いうちに日本を離れるという。

ピエールは弁天台場を築くにはフランスも支援したものであり、

貴重な遺産として、破壊すべきではないと主張するのだが、

廣井は解体工事を進めざるを得ない。

弁天台場は跡形もなく消え去るが、弁天台場に使われていた

石垣は防波堤の一部に生まれ変わる。

素晴らしい筆者の筆致で、読むものをぐいぐい引き込んで行く、

感動の作品である。

文芸評論家の縄田一男氏も絶賛している。



# by toshi-watanabe | 2017-11-24 08:33 | 読書ノート | Comments(0)


11月11日(土)~12日)日)の2日間、
横浜市青葉区の山内地区センターにおいて、「センターまつり」が開催される。
作品展として、絵画、書道、短歌、俳句、手工芸、絵手紙、書道、写真等々、
素晴らしい作品が出展される。
発表会としては、日ごろの練習を積まれた合唱、合奏、民謡、ダンスなどが演じられる。
さらにバザー、飲食コーナー、お茶席、お香席なども設けらる。
家内が参加している人形の会でも、作品を出展。

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出品作品を紹介したい。
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以上、ご紹介まで








# by toshi-watanabe | 2017-11-20 11:12 | 一般 | Comments(4)

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お馴染み「髪ゆい猫字屋繁盛記」シリーズの最終巻
となった「残りの秋」を読み終える。
角川文庫、600円+税。

2015年にステージ4の乳がんを宣告された今井さん、
その後療養しながら執筆をつづけられていたが、
本年10月8日、病院で息を引き取られた。
享年72歳。
この場を借りてご冥福を祈るばかりである。
合掌

この作品は書き下しで今井さん最後の著作となった。
日本橋北内神田の照降町にある髪結床猫字屋がメインの舞台である。
そこには仕舞屋の住人や裏店に住む町人たちが日々集う。
江戸の長屋に息づく情景が見事に描かれている。
猫字屋を取り仕切っているのが女主のおたみ。
倅の佐吉は、廻り髪結いをしながら、お上から十手を預かる身。
自分の娘として育てたおよしとおけいもいる。

およしが嫁入りしたのが、紅師として身を立て独立、
坂本町に紅藤という見世を出している藤吉。
1人男児に恵まれ、二番目の子供が腹の中に。
ところが突然、大金を手に藤吉がどことも知れず出かけたまま。
結局、藤吉が幼い頃に生き別れとなっていた母親が
見つかり、その面倒を見るためだったとわかる。
母の最期を看取り、遺骨を手に、いざ帰ろうとした
藤吉のところに、見世の使いが急いで駆けつける。
およしはお産がうまく行かず大変な事態になっていると知らされる。
産婆では手に負えず、医者を呼んだと言われる。

猫字屋の面々や普段付き合いのある人たちが、
何かと手助けし、困ったことがあれば親身になって面倒を見る、
人情味溢れた話が盛りだくさん。
おたみをはじめ、登場する人物が交わす、
気風のいい江戸言葉がたまらなくいい。
初代水谷八重子演じる新派の舞台を見ているようだ。

とにかくほろっとさせられる、感動の一編である。






# by toshi-watanabe | 2017-11-20 08:54 | 読書ノート | Comments(2)

中学時代の恩師が旅立つ



中学時代の恩師、H先生が11月5日に亡くなり、
昨夕、肌寒い秋雨降る中を、お通夜に参列する。
葬儀は五反田の桐ケ谷斎場で営まれ、
目黒線の不動前駅から歩く。

奥様の話では、自宅療養され、1人では動けない状態でしたが、
亡くなる前夜、奥様と話を交わされ、お茶を飲んでおいしいと、
言われたりされていたそうです。
そのままお休みになり、翌朝、一杯の水を飲まれ、
再び眠りにつき、夜11時、そのまま息を引き取られたとか。
全く苦しまずに旅立たれ、大往生と言えるのかも。
享年88歳だった。

我々は新制中学の第3期生、校舎もまだ未完成で、
入学当時は一クラス80名という大所帯。
とても勉強するなどという環境ではなかった。
教師も足らなかったようで、
中学2年のときに担任となられたH先生は、
昼間授業を担当され、夜は大学に通っておられた、
教師見習いでした。
我々が卒業後に、正式に教員になられたのではないだろうか。

それで我々と年齢差も7〜8歳、
先生というより兄貴といった存在だった。
同期会にも3年前までは毎回お出で頂き、
若作りのH先生と生徒のOBとでは、どっちが年上かわからないほど。

一年上のTさんが、我が家のすぐ近くにお住まいで、
時折り、一升瓶を下げて、一緒に旗の台にあるH先生のお宅に
お邪魔したのも、懐かしい思い出である。
また同級生の一人が白樺湖畔のホテルの総支配人をされていたころ、
ご一緒に信州の白樺湖へ出かけたこともある。

ご遺族の方々に弔意を表し、
故人のご冥福を衷心よりお祈りするばかりである。

合掌




# by toshi-watanabe | 2017-11-15 09:37 | 一般 | Comments(0)