今週外出もせず家で静養している間、
柳宗民さんの小冊子「日本の花」を読み返す。

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柳宗民さんは園芸研究家として活動されておられたが、
民芸運動の創始者・柳宗悦のご子息である。
この著書を出された後すぐに、79歳で亡くなられた。

春夏秋冬に分けて、代表的な日本の花、
日本人がよく知り、日本人が心からその美しさを
愛でている花を紹介している。

プロローグ「花を味わう悦び」と題して、序文を書かれている。
その中に、万葉集(巻八)にある、山上憶良の「秋の七草」を引用。

 萩の花 尾花 葛花 瞿麥(なでしこ)の花 女郎花(おみなえし)
 亦 藤袴(ふじばかま) 朝貌(あさがお)の花

花の名前だけで構成している珍しい和歌である。

「春の花」、「夏の花」、「秋の花」そして「冬の花」と
数々の花が取り上げられているのだが、

それぞれの花の名前の由来、原産地が示され、
現在に至る品種改良の話などがふんだんに盛り込まれており、
とても興味深い話題に溢れている。
楽しい読み物となっている。

「春の花」として挙げられているのが、
 すみれ、さくらそう、あやめ、いちはつ、かたくり、しらん、じんちょうげ、
 つばき、さくら、つつじ、ぼけ、ふじ

「夏の花」として挙げられているのが、
 あさがお、はなしょうぶ、ゆり、まつばぼたん、けいとう、はまゆう、
 さぎそう、あじさい、くちなし、さるすべり、むくげ、はまなし

「秋の花」として挙げられているのが、
 ききょう、ふじばかま、りんどう、ひがんばな、しゅうかいどう、きく、
 こすもす、もくせい、ほととぎす、さざんか、しゅうめいぎく

「冬の花」として挙げられているのが、
 ふくじゅそう、ゆきわりそう、かんあおい、にほんすいせん、かんらん、
 ろうばい、まんさく、うめ、ひいらぎ、あせび、やつで、つわぶき

山上憶良の「秋の七草」の歌に登場する朝貌の花は朝顔ではない。
この和歌が詠まれた時代には、朝顔は中国からまだ渡来していない。
同様にムクゲではという説も時代考証的にあり得ない。
秋の歌でもあり、桔梗であろうといのが通説。

アヤメと花菖蒲の違いもいろいろと説明されている。
春になるとアヤメが咲き始め咲き終わると、
杜若(かきつばた)が咲き、そして梅雨の季節になると、
花菖蒲が咲き始める。
アヤメは水はけのよい向陽地を好み、
杜若や花菖蒲は水気を好む。
「潮来のアヤメ」とよく言われるが、本来は「潮来の花菖蒲」
というべきもので、アヤメではなく、花菖蒲である。
よく混同するのだが、菖蒲湯の菖蒲と花菖蒲は別の種類である。

イチハツはアヤメ類の一種、大風除けのおまじないとして、
古くから藁屋根の上に植えられてきた。
アヤメ類の中でも最初に咲き、「一八」と書かれることも。

カタクリの球根から採れる澱粉は片栗粉として食用になるが、
現在市販されている片栗粉はジャガイモの澱粉が原料。
タネが芽を出してから花がつくまで5年以上の長い年月を要する。

春の到来を告げる、香りのよいのがジンチョウゲで、
秋の到来を告げる、香りのよいのがモクセイで、香りの常緑花木の両横綱。
沈丁花とは名香の沈香と丁字の香りにたとえて日本でつけられた漢字名。
中国では、瑞香あるいは睡香という。
中国から渡来した花はもともとは薬用として日本に入ってきた。
黄華色のモクセイが金木犀、純白色花のモクセイが銀木犀。
静岡県三島市の三嶋大社境内にあるモクセイは
「その香り、一里四方に匂う」と言われ、
天然記念物に指定されている大木、古木。
おそらく日本渡来当時の樹ではないかとみられる。

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2016年12月7日撮影したもの

江戸時代に観賞用として品種改良が幅広く行われたのが朝顔と菊。
菊では、東北の奥州菊、江戸の江戸菊、美濃の美濃菊、
伊勢松阪の伊勢菊、京都の嵯峨菊、九州の肥後菊などが生まれる。

アジサイは日本古来の花である。
古くは集真藍(アズサイ)だったのが、現代では紫陽花(アジサイ)。
紫陽花という漢字当てられているのも本来おかしい。
平安貴族に愛誦された白楽天の漢詩の中に出てくる紫陽花という花を
時の歌人、源順(みなもとのしたごう)がアジサイと思い込んだのが始まり。

世間一般では、「ハマナシ」とは言わず「ハマナス」という。
浜梨(ハマナシ)が正しい。
東北地方では、「シ」の発音が「ス」となる。
北海道も同様。
森繁久彌の歌で知られる「知床旅情」の中で、
「ハマナス」と歌われ、すっかりこの呼び名で定着してしまった。

彼岸花は曼殊沙華とも「ハミズハナミズ」とも言われる。
「葉見ず、花見ず」で、
葉が出る前にいきなり花茎を伸ばして花を咲かせ、
花がなくなると葉が出てくる。
球根には有毒物質が含まれるが、同時に含まれる澱粉は自体は無害、
昔は有毒部を除き食用に持ち歩いていた。

サザンカを「山茶花」と書くのは間違いで、「茶山花」が正しい。
中国では、茶梅と呼び、山茶とはツバキのことである。

こういう具合に色々と面白い話が出てくる。

柳宗民さんは、「雑草ノオト」という小冊子も2冊出されており、
この著書も大変面白い。

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以上ご紹介まで。




# by toshi-watanabe | 2017-08-26 11:39 | 読書ノート | Comments(2)

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久し振りに山本一力さんの著書「紅けむり」を読む。

この作品は20144月、単行本として出版されている。

今回大幅に加筆修正のうえ、文庫本として出された。

双葉文庫、778円+税。

江戸時代末期、時は寛政の頃、肥前の国、有田皿山では、

外国向けの有田焼(伊万里焼)の一手販売先だった

東インド会社が閉鎖するということで、

厳しい状況にさらされていた。

そんな矢先、江戸日本橋駿河町の伊万里屋五郎兵衛から、

仕入れ商談に伺いたいと、

飛脚便が伊万里湊の焼物大店、東島屋伊兵衛の元に届く。

伊万里屋は肥前有田の磁器、伊万里焼の大問屋、

初代五郎兵衛が伊万里から江戸に出て店開きをしたもの。

オランダ東インド会社が買い付けていた焼物は、

特級品と普及品の二種類だが、数は圧倒的に普及品が多かった。

所が伊万里屋などでは、伊万里焼の評判を保つために、

出来のよくない皿や鉢は、出荷せずに壊していた。

膨大な数の普及品が、売り先を失くしてしまう。

そこに目を付けた悪知恵の働く闇の連中がいる。

幕府は皿山に隠密を差し向けて、探索に当たらせる。

特に鍋島藩が裏で画策しているのではという疑いもあるためだ。

色々と事件が起きるのだが、
結局陰謀をたくらんだ一味は壊滅する。

また鍋島藩の公儀への謀叛兆候もなしと判断される。

ところが禁制品の黒色火薬の密輸実態が明らかになってくる。
海運で江戸に運ばれた黒色火薬の大捕物で
この物語は幕を閉じる。


可成りの長編時代小説で、読み終えるのに時間が掛かった。



# by toshi-watanabe | 2017-08-21 09:04 | 読書ノート | Comments(0)

。。。。。。。。。。パート1の続き。

アボイギキョウ。
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名前の分からない白い花。
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フシグロセンノウ。
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コバキボウシ。
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コバギボウシとヒマワリ一輪。
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シシウド。
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名前の分からない花。
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3匹の山羊と戯れる子供たち。
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ヤマユリ。
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レンゲショウマ。
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タカネバラ。
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ワレモコウ。
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シムツケ。
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あやめヶ池からリフトに乗る。
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見晴台。
湯沢の街が見渡せる。
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名前の分からない白い花。
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色とりどりの百合の花が今満開。
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樹木の苗を養生しているのだろうか?
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丁度夏休み、家族連れが大勢来られている。
ボブスレーのところなどは長い行列。
今回は歩かなかったが、
湯沢高原には、トレッキングコースもある。
幸い雨にも降られず、カンカン照りでもなく、丁度良い気候、
すっかり高山植物とまわりに広がる山並みを
大いに堪能して下山する。










# by toshi-watanabe | 2017-08-18 15:12 | 草花 | Comments(0)

8月12日から3日ほど、新盆があり越後湯沢に出かける。
その折に、湯沢高原ロープウェイに乗って、「アルプの里へ」。
偶々姪から招待券をいただく。
湯沢高原ロープウェイは166人乗りで、世界最大級である。
20分ごとに運行され、片道7分ほど。
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頂上駅を降りると、そこにはお花畑が広がる。
下には湯沢の街が見渡せる。
白い建物は、JRの越後湯沢駅。
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高山植物が数多く見られるロックガーデンに向かって歩き始める。
途中で、ハクチョウソウとキツリフネが群生している。
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あやめヶ池に来る。
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ヒメイヌゴマ。
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タイレンハマシャジン。
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ヘメロカリス。
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ロックガーデンにやって来る。
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オオバギボウシ。
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ハクサンオミナエシ。
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名前の分からない白い花。
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ツリガネニンジン。
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ハナツリフネソウ。
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ウンナンショウマ。
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キンロバイ。
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名前の分からない白い花。
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これも名前の分からないピンク色の花。
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イブキトラノオ。
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アサギリソウ。
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キンシバイ。
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ウスユキソウ。
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名前の分からないピンク色の花。
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この後、パート2に続く。。。。。。。。。。







# by toshi-watanabe | 2017-08-18 14:50 | 草花 | Comments(0)

今月も群馬倉渕へ


8月6日、車で群馬倉渕へ出掛ける。
日曜日は関越自動車道も比較的すいている。
予定通り昼前に倉渕に到着。
1か月ぶりだが、雑草がかなり伸びている。
残念ながらあまり快晴には恵まれず、庭の手入れもはかどらず。

日差しが少なく、夏の草花も開花が遅れ気味のようだ。

待宵草(マツヨイグサ)
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茗荷(ミョウガ)の花

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朝顔

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紫苑(シオン)


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擬宝珠(ギボウシ)
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段菊(ダンギク)


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花虎の尾(ハナトラノオ(
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山紫陽花(ヤマアジサイ)花のあと。
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屁糞鬘(ヘクソカズラ)
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黄釣船(キツリフネ)
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男郎花(オトコエシ)
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高砂百合(タカサゴユリ)

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家内のすぐ上の兄が本年5月に他界、
新盆のため12日には、越後湯沢へ向かう。
時間があるので、南魚沼にある、外山康雄さんの
「野の花館」を久しぶりに訪れる。

館内の展示の一部をご紹介したい。
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外山ご夫妻としばらく歓談し、野の花館を後に越後湯沢へ向かう。








# by toshi-watanabe | 2017-08-16 15:45 | 草花 | Comments(0)

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葉室麟さんの最新作「嵯峨野花譜」を読む。

江戸後期の京都、

四季折々の美しい花に彩られた少年僧の成長物語。

丁寧に書かれた、感動の作品である。

華道流派、未生流の二代目当主不濁斎広甫が

真言宗大覚寺派大本山の大覚寺の花務職に任じられた翌年、

40歳の頃、この物語は始まる。

直ぐ近くには嵯峨野の大沢池があり、

池畔には、活花に活ける草花や花木が見られる。

大覚寺はかって嵯峨御所とも呼ばれ、

嵯峨天皇の皇太子時代の山荘だった。

その後、離宮となっていた嵯峨院を皇女である

淳和天皇皇后正子が寺院とした門跡寺院だ。

広甫(こうほ)の元には、20歳を過ぎたばかりの3人の門人、

立甫、祐甫、楼甫の他に、まだ10代半ばの幼さの残る

少年僧、胤舜(いんしゅん)、さらに30代後半の寺男源助。

胤舜がこの物語の主人公で、もともとは武士であった源助が

何かと胤舜の手助けをする。

年若くして活花の名手と評判の高い胤舜をめぐって

10章の物語が展開する。

1. 忘れ花

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   白磁の壺に、松の枝と二輪の白椿を活ける。

   胤舜は別れ別れになっていた母親の萩尾を目の前にして。

2. 利休の椿

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   常滑の大壺を広間に置いて蝋梅を活ける。

   日を改め、床の間の竹の花入れに淡紅色の椿をさりげなく。

3・ 花くらべ

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   公家の橋本家姉妹との花くらべ。

   活ける花は枝垂れ桜と山桜。

   姉の伊与子は大奥として第11代将軍家斎から

   第12代将軍家慶の治世まで務め、

   姉小路局として君臨する。

   妹の理子は水戸家の奥女中として活動、花野井と名乗る。

4. 闇の花

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   闇の中で竹筒の花入れに手探りで山梔(くちなし)の花を活ける。

   客人は目が見えない。

5. 花筐(はながたみ)

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   青銅王子形水瓶に桔梗を活ける。

   万葉集では、桔梗のことを朝顔の花という。

   ところが客人は活花を台無しにしてしまう。

   日を改めて、萩の花を活けるも、これも台無しに。

   また翌日、雁金草を活ける。

   桔梗同様に、雁金草にも別の呼び名があるのではと

   胤舜が聞くと、雁金草は帆掛船のような花の形をしているので。

   そこまで聞いて、胤舜は曾祖母の房野と確信する。

   母、萩尾の祖母に当たる。

6. 西行桜

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   胤舜は師の広甫から西行法師の桜を活けよ、と難題を与えられる。

   白磁の壺に桜の一枝だけを活ける。

   桜は未だ花弁を開いていない、蕾のまま。

7. 祇王の舞

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   江戸城西の丸、水野忠邦の家臣、椎葉左近と名乗る武士が、

七人の伴を連れて、大覚寺を訪れる。

祇王寺で床の間の青磁の壺に青紅葉の一枝を活ける。

左近と名乗った武士は偽名で、実は水野忠邦本人。

胤舜にとっては実の父親で、妻の萩尾の様子を見に来たもの。

忠邦は肥前唐津六万石の藩主だったが、出世街道に乗り、

身内のものを犠牲にしてまでも、西の丸老中に上り詰めた。

天保の改革でよく知られている。

萩尾は水野家に奥女中として仕えていた時に、

忠邦の手がつき、生まれたのが胤舜だった。

8. 朝顔草紙

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   竹筒に、まだ瑞々しく咲いている青い朝顔を活ける。

   十字の枝に朝顔の蔓が巻き付けられ、ちょうど十字の結び目

   あたりに朝顔の花が来ている。

9. 芙蓉の夕

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   大覚寺の庭先で摘んだ酔芙蓉の花を仏壇の供花として活ける。

10.花のいのち

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   大覚寺に引き取られた胤舜の母、萩尾は重篤な容態が続き、

   いよいよ最期の時を迎える。

   仙洞御所にて、光格上皇主催の立花会が催される。

   未生流を代表して胤舜が参加する。

   青竹の筒に白萩を活けた活花が上皇の目に留まる。

   傍らに置かれた短冊には「泰山府君」とある。

   胤舜の活花が第一番に選ばれ、宴席が開かれるが、

   「そなたの思いを母は知らねばならぬ時が近づいているようじゃ」と、

   帝の言葉を聞いて、胤舜は、はっとして大覚寺へ急ぐ。

萩尾の死後2カ月たって、水野忠邦が墓参りに
   大徳寺を訪れる。
   胤俊は母からの遺言があるからと、奥の部屋に忠邦を案内。
   鉄瓶に柘植の枝を入れ、それに絡めるようにして、
   白菊が活けられている。
   萩尾への手向けの花かと、忠邦がつぶやくと、
   胤舜は、影向の花でもございますと、応じる。

この作品は、2015年から2017年にかけて、

「オール読物」に掲載されたもので、今回単行本として、

文芸春秋から出版された。

1,700+税。

お薦めの葉室作品の一冊である。






# by toshi-watanabe | 2017-08-03 08:54 | 読書ノート | Comments(0)

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秋山香乃(あきやまかの)さんの最新作「龍が哭く(なく)」を読む。
PHP研究所出版、¥2,100+税。

525ページに及ぶ大作である。

20152月から20173月まで、新潟日報など10紙で連載された話題作。

主人公は、新潟特に長岡出身の方ならだれでもよくご存知の河合継之助、

幕末困窮を極めた長岡藩を立て直した人物である。

著者は1968年、北九州市生まれ。

2001年、「歳三 往きてまた」でデビューし、

新選組関連をはじめ時代小説を数多く書かれている。

因みに秋山さんは柳生新陰流居合道の四段である。

黒船来航前の嘉永3年(1859)、24歳の継之助は

16歳のすが子と夫婦となる。

すが子の実家、梛野家(なぎのけ)に縁談の話が持ち込まれたとき、

すが子は自分の将来の夫が、城下でも大変な変わり者で

通っていることを知っていた。

継之助の父、河井代右衛門は長岡藩庁に勘定方として出仕していた。

継之助26歳の折、すが子を家元に置いたまま、江戸へ飛び立つ。

江戸遊学2年目、27歳の継之助は建白書が認められ、

家老を補佐する立場の評定方随役に大抜擢される。

藩政の愚を激しく批判し、時事を論じ、現状に沿った

改革案を述べた本人にとっては、驚きでもあった。

思い切った人材登用を断行した越後長岡藩藩主の期待に応えるべく

気負ったものの、何の力も発揮できぬまま、

あっと言う間に辞職に追い込まれる。

門閥の家老たちが、ことごとく継之助を無視したためだ。

藩の許しを得て、継之助は山田方谷の教えを乞うべく、備中松山へ向かう。

百姓の出自である方谷は、非協力的な環境、四面楚歌の中を、

松山藩の財政赤字を黒字に見事な逆転劇を演じた。

いったいどうやって己の理想を実際の政の中に落とし込み、

腐りかけた藩を、一つ一つどうやって方谷が変えていったのか、

継之助はどうしても知りたかった。

方谷の意見を取り入れて、支援した第7代藩主板倉勝静の力が大きかったが、

方谷の進め方を継之助は学び、納得する。

因みに、板倉勝静はのちに江戸幕府の老中首座となる。

方谷の元を訪れる数多くの人物との巡り合いにより、

新たな知識や情報を得た継之助は長崎を訪れる機会もあり、

多くの知己も得られる。

江戸に戻る折には横浜に立ち寄り、海外から押し寄せる

新たな展開を目の当たりにする。

文久4年(2月に元治元年)(1864)、継之助は38歳、

山田方谷のもとを訪ねてから4年半が過ぎていた。

そんな継之助のもとに、越後長岡第11代藩主、牧野忠恭(ただゆき)から

「江戸へ出て、我が為に尽力せよ」と声が掛かった。

その後一度は挫折、辞職するものの、

国家老に呼ばれ、外様吟味役を申し付けられる。

およそ1年ぶりのお役目復帰である。

こののち継之助は藩の改革のために生涯を尽くす。

外様吟味役から、郡奉行、町奉行、そして年寄役(中老)、

家老、長岡藩家老上席まで上り詰める。

その間、風紀粛正、農政改革、灌漑工事、兵制改革を実施、

藩の財政を見事立て直す。

ところが外国からの開国要求が強くなる一方で、

徳川幕府15代慶喜による太政奉還が行われ、

力をつけた薩長を中心とした新政府軍の勢いに江戸城開城となる。

長岡藩を独立した形で存続するのを継之助は目指すのだが、

新政府軍との話し合いは決裂する。

会津を中心として奥州列藩同盟との戊辰戦争に突入。

長岡では北越戦争が始まる。

河井継之助の指揮のもとに、新政府軍との戦いに入るが、惨憺たる姿で敗れる。

新政府軍に略奪された長岡城を何とか取り返すものの、

軍事力の差はあまりに大きく、長岡藩は新政府軍に敗れる。

戦の際の負傷が元で、継之助は41歳の若さで命を落とす。

長岡藩を見事に立て直した河井継之助なのだが、

長岡の街をすっかり廃墟と化してしまった戦争責任者として、

継之助を非難する声は今も一部に残っていると聞く。

河井継之助を取り上げた小説は数多くある。

その中でも傑作は、司馬遼太郎の「峠」だろう。

読み比べてみるのも面白い。





# by toshi-watanabe | 2017-07-29 09:00 | 読書ノート | Comments(2)



暑い盛りの名古屋場所が23日の日曜日、幕を閉じる。
終わってみれば、白鵬が39回目の優勝を果たす。
平成の大横綱である。
上位陣が苦戦するなか、平幕の碧山が大活躍、
あわや白鵬との優勝決定戦になるのではとの期待も。
碧山は2度目の敢闘賞を受賞する。
横綱白鵬に唯一の黒星を与えた新関脇の御嶽海が2回連続の殊勲賞。
今場所会場を大いに沸かしたのが、小柄力士でいろいろな手を使う
技巧派の宇良と石浦、特に宇良は人気者。

怪我などで途中休場したのが稀勢の里と鶴竜の両横綱、
大関の照ノ富士、それに人気抜群の遠藤の4力士。
しっかり養生して、次の場所に備えてもらいたい。
完全に相撲を取れる体調でなければ、本場所には出場すべきではない。

恒例の来場者と有料会員による「敢闘精神あふれる力士」が公表されている。
毎日1位、2位、3位の力士が発表されているが、
1位に3回選ばれたのが宇良と北勝富士、2回選ばれたのが嘉風。
1位から3位までの合計回数で見ると、
トップは宇良の8回、次いで御嶽海と北勝富士の6回、嘉風と石浦の4回、
高安と栃ノ心の3回と続く。
因みに横綱の白鵬と日馬富士は1回づつ選ばれている。

新大関の高安は両横綱に敗れたものの、9勝6敗の成績。
新関脇の御嶽海は上位陣を相手に勝ち越しを決める。
その一方で、大関の豪栄道、関脇の玉鷲、小結の琴奨菊は負け越し。

ほぼ毎日テレビ観戦していたが、会場は如何にも暑そう。
とにかく団扇や扇子が目に付く。
登場する力士も汗びっしょり。
今場所会場に姿を見せた有名人をテレビカメラがとらえる。
すっかり名を挙げた将棋の藤井4段や
フィギュアスケートの浅田真央さんなどが映し出される。
テレビ中継のゲストには、宮崎美子さんが登場。

次の場所には、4横綱、3大関揃っての活躍を期待したいもの。



# by toshi-watanabe | 2017-07-25 14:42 | 季節 | Comments(0)