折々の記

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日々見たこと、 感じたこと、気づいたことをメモする

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「世界らん展2017」展示された蘭紹介の最後のパート、「パート4」です。
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ひな壇(雛飾り)をイメージしている。


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台湾から出展された作品も。

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沖縄美ら海水族館による出展「蘭と水族館の華麗なる共演」。
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日本いけばな三大流派の特別展示。
「華道家元池坊」、「いけばな草月流」、「おけばな小原流」。

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このほかにも紹介できなかった展示作品も数多くある。
例えば、「大使・大使夫人のテーブル・ディスプレイ」、
「ケイ山田のオーキッドガーデン」、
志穂美悦子「阿吽」--あうんーー、
「穴との知らない蘭との出会いーー光合成しない蘭の交配種、
咲かない花をつける蘭、屋久島で発見・新種の蘭」等々である。






# by toshi-watanabe | 2017-02-18 08:59 | 季節 | Comments(2)

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朝井まかての著書「落陽」を読み終える。

時は明治の終わり、20代の後半、瀬尾亮一は、

大学中退後「萬朝報」の記者として暫く働いた後、

零細新聞社の「東都タイムス」で記者をしている。

大新聞とはとても競争できるはずもなく、

専ら通俗的な裏話を聞き出して、新聞に載せている。

東都タイムスの社主兼主筆の武藤笙月もかっては大新聞の記者。

記者は武藤を含めて4名、瀬尾の他には田中と

ただ一人の女性記者、伊東響子。

瀬尾は探索と呼ばれるごろつきの市蔵から情報を得ている。

明治45730日早朝、大新聞各社は号外で「天皇崩御」を告げた。

新天皇は詔書により、新しい元号を「大正」であると宣下。

陸墓は京都の伏見桃山陵とすでに決まっていたため、

東京に、せめて御霊を祀る神社を造営し奉りたいと、

東京市長、商業会議所会頭それに渋沢栄一など有志が運動を起こす。

さらには神社には社殿よりも何よりも、まず鬱蒼と茂る樹林が必要となる。

林学者で帝大農科大学の講師である本郷高徳の見解では、

針葉樹は水が流れる土地を好むのだが、

武蔵野台地は水の得にくい、乾燥気味の土地。

どちらかといえば、常緑広葉樹林帯(椎や樫など)に属している。

東京では日光や伊勢神宮のようには行かない。

しかし色々と経緯を経て、結局代々木の御料地に明治神宮造営の建設が

決定し、本郷講師が指揮を執って樹林計画に入る。

伊東響子はこの件に大いに関心を抱き、取材を続けるべく、

瀬尾を巻き込み、武藤の了解を迫る。

本郷の下働きをしているのが、東京帝大農学部の大学院生、

上野敬二、何かと雑用の多い上野を伊東は手助けする。

それにより情報も早く入手できる。

まともな記事も掲載するようになり、読者も増えて順調かと

思われた東都タイムスだが、武藤の杜撰な経営のため

手形が不渡りとなり新聞社は倒産、武藤は夜逃げしてしまう。

大正4年(1915)430日、貴族院本会議に於いて

明治神宮造営局の官制及び予算が可決。

51日、内務省が造営局官制を公布。

150年先の樹林完成を目指して(データによっては100年先とも)、

本多静六博士が参与、本郷高徳講師が技師、そして

上野敬二が大学院を退学、現場主任を命じられる。

この小説の大半は、明治神宮造営、特に樹林に関する

苦労話に費やされている。

(本郷高徳、上野敬二、お二人とも後に大学で教鞭をとり、

林業の大家として広く知られるようになる)

バラバラになった東都タイムスの記者たちは、

それぞれ新しい道を見つけて歩み始めるが、

一人瀬尾だけは、これといった職につかず、ある課題に取り組んでいる。

それは人間明治天皇がどう生きたかを知りたい。

伝手を頼って、元女官を務めた老女を京都に訪ね、話を聞く。

(女官といっても、明治天皇に仕えたのではなく、昭憲皇太后に仕えた)。

全国から寄せられた献木10万本以上、

植林作業が進む中、本郷に頼んで、

瀬尾は田中、伊東と共に一本の木を植樹する。

その折に、瀬尾は己がまとめた記録文を本郷に読んでほしいと頼む。

神宮造営へと動いた人々についての記録文だが、

幕末から明治という時代を生き抜いた、ある人についても

考察しました、と付け加える。

(ある人とは明治天皇)

本郷の承諾の返事を受けて歩き出すと、

彼方の空が色を変え、頭上にはまだ透明な青が残り、

雲が白を刷くように流れていく。

やがて太陽は輪郭をくっきりと現し、四方に光を放ち始めた。

雲も木々の葉も金色に輝く。

落陽だ。

沈みながら、天地を照らす。

赤々と、大きな陽が落ちた。

(終わりの部分、ほぼ原文のまま)



# by toshi-watanabe | 2017-02-17 14:34 | 読書ノート | Comments(0)
毎日「船内新聞」が発行される。
前夜に各キャビンに配布されるので、当日のスケジュールなどが
一目でわかる。
寄港地の特徴をうまく捉えて漫画風に描かれたものが、
その都度新聞に掲載されていた。

乗船客で、漫画家を目指す若い女性が描かれたものだというのを後で知る。
19の寄港地の絵を紹介したい。

シンガポール
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インド コーチン
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ギリシャ サントリーニ島
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ギリシャ ピレウス(アテネ)
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イタリア チビタベッキア(ローマ・ヴァチカン)
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イタリア リヴォルノ(フィレンツェ・ピサ)
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フランス マルセーユ
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スペイン バルセロナ
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ポルトガル リスボン
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フランス ル・アーブル
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イギリス ティルベリー(ロンドン)

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ベルギー ゼーブルージュ(ブルージュ)
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オランダ アムステルダム
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アメリカ ニューヨーク
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キューバ ハバナ
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ジャマイカ モンテゴベイ
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グアテマラ プエルトケツァル
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メキシコ マンサニージョ
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ハワイイ ホノルル
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予定通り、11月18日夜ハワイイのホノルルを出港し、
太平洋を西へ一路日本へ向かう。
可成り波の荒い日々が続き、時にはデッキに出ることもできない。
以前にも書いたが、22日は時差調整の関係で1時間だけで終わり。
26日夜は、船長主催のフェアウェルパーティが開催される。
乗船客ごとに船長との最後の記念撮影も。
ディナーパーティでは、食堂でいつもサービスしてくれているメンバーのほかに、
キッチンで働いている、普段顔を合わせる機会のないスタッフも全員
揃って笑顔を振りまきながら登場、一緒に歌を歌ってくれる。
食事のあとは、カクテルパーティにダンスパーティ。

27日からは荷物の整理梱包が始まる。
28日には、横浜下船者の荷物確認、午後からは荷物の運び出しが
開始するはずだったが、あまりに揺れがひどく、真夜中に延期される。
29日早朝には荷物の運び出し終了。
スーツケース3個と段ボール箱4個を宅急便で手配。
朝7時、横浜港大桟橋埠頭に着岸する。
8時半、上階キャビンの乗客から下船開始。
我々6階のキャビンも9時ちょっと過ぎには下船可能となる。

105日間(正確には104日間)の長い船旅も無事終了。
たくさんの思い出を抱いて帰宅する。








     

# by toshi-watanabe | 2017-02-16 10:29 | 旅行 | Comments(8)
メキシコのマンサニージョを出港して、
翌日の11月9日太平洋の素晴らしい夕陽を眼にする。
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11月10日、客船の管制室ともいえる操舵室を見学する。
すべて自動化されており、数名が見守っているだけ、
1日24時間、3交代制とのこと。
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ABCそれぞれを意味する旗が保管されている。

その後1週間太平洋上を西に向かって航行する。
周りには島影一つ見えない。
遠方にクジラが潮を吹いている姿を見たり。

11月17日早朝、ハワイイのホノルル港が見えてくる。
ビルの向こうにはダイアモンドヘッドの姿も。
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今回のクルージングでは、「ハワイ」ではなく、「ハワイイ」。
正式には「ハワイイ」というのが正しいようだ。
7時ごろ着岸し、7時半ごろから船内で入国対面審査が開始。
6グループに分けて、3時間半ほどの予定になっていたが、
ニューヨーク港とは異なり、すんなりと審査は進み、
半分ほどの時間で完了する。

当初昼のツァー参加を予定していたが、すでにキャンセルし、
自由行動に変更した。
港のすぐ近くのバス停で、ローカルのバスに乗り、
ハワイ最大級のショッピングモール
「アラモアナ・ショッピングセンター」の前で下車する。
土産物の買い残しがあり、メイシーズ百貨店などに寄る。
とにかく広いので大変である。
ハワイアン・キルトの店にも寄る。

昼食は、広いフードコートで、久しぶりに日本のラーメンを食べる。

モールの中を歩くだけで時間が過ぎ、
ワイキキまで行くのは諦め、船に戻る。

夜は「サンセット・ディナークルーズ」に参加する。
夕方4時半には港を出発、目的地へ向かう。
クルーズ船は別の港から出ている。
「マジェスティック号」に乗船、湾内クルーズに出発。
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ダイヤモンドヘッド、そしてワイキキの景色が見える。
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船上から望む夕陽。
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すっかり暗くなり、
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停泊中のピースボートの「オーシャンドリーム号」も望める。

フルコースの後、特別にロブスターが追加サービス。
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船内では生バンドの演奏とダンスが演じられる。


翌日の11月18日は、ハワイイ最大の博物館訪問と
ハワイイ文化体験という、ツァーに参加する。
「ビショップ美術館」正式には「バーニス・P・ビショップ美術館」は
ポリネシア人がハワイイ諸島を発見してから
19世紀のハワイイ王朝繁栄までの文化史に関わる資料を展示している。
本館の「ハワイアンホール」から見学する。
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実物大サイズのクジラの模型は如何にも迫力がある。

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庭はきれいに整備され、いろいろな土地の植物がみられる。
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ビショップ博物館を後に、ハワイイ文化体験に。
文化体験とは、農家を訪れ、その活動に触れるというもの。
ホノルルの町を離れ、山麓地帯へ向かう。
訪れたのは「マカハ農園」、農園を運営しているジジさんが出迎えてくれる。
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木造の平屋が食堂になっていて、ランチをご馳走になる。
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食材はすべて農園で収穫した野菜、穀物で、
食堂に併設されたキッチンで料理されたもの。
ハワイイ料理を美味しくいただく。
小学生たちがやってきて交流する。

隣接する小学校の子供たちを放課後に農園に招き、
農作業を指導している。
学年ごとに畑を割り当てられ、子供たちは自分たちの手で
野菜を育てている。
子供たちの教育の一環として自然に触れさせている。
素晴らしい活動だと思う。

因みに、この農園は非営利事業として運営されているとのこと。

食事のあとは、小学生たちと畑を見て回り、交流を図る。
近くにお住まいの女性が来られ、フラダンスを演じてくれる。

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通常のツァーとは異なる、大変有益なツァーを楽しみ、
夕方港へ戻る。

夜7時ごろホノルルを出港する。
これから10日ばかり洋上生活が続き、横浜港へ。
21日の夜24時になると、時間を23時に戻し、
再び24時になったら、日付は23日になる。
西回りを続け、1時間ずつ時間調整を繰り返してきたのが、
ここで一挙に1日失うことに。










# by toshi-watanabe | 2017-02-15 09:43 | 旅行 | Comments(4)
11月8日の朝9時にメキシコのマンサニージョ港に着岸する。
メキシコの太平洋側港といえばアカプルコだが、
今回のクルージングではマンサニージョに寄港。
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10時前に港を出発、観光バスに乗り、「ペニャ・ブランカ」へ。
テキーラの原料となる、リュウゼツランのプランテーション畑を見学する。
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大きく成長したリュウゼツランのアガベを根元から引き抜き、
原料となる部分だけを取り出す手作業を実演。
見学後は、野外の仮設食堂の席に着き、昼食。
ラム酒を3種類試飲させてくれる。
ストレートではかなり強い。
1本買い求める。
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「100% DE AGAVE」と明記されている。
ブルーアガベというリュウゼツラン100%のプレミアム・テキーラ、
通常のテキーラより高級のテキーラということらしい。

ステージでは、民族舞踊が始まる。
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プランテーションを後に、街中に戻る。
ビーチが窓外に見える。
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サーフィン、スキューバダイビング、フィッシングなどなど、
海のスポーツを楽しむ人たちの天国。

通りで見かけたおばさん。
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アカプルコ同様、ここもリゾート地で、
海辺から丘の上にかけて眺めの良い所に、
リゾートホテルやマンションなど白い建物がいっぱい。

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映画のロケにも使われたとのガイドさんの説明あり。

そのあと、イグアナを育成している「イグアナ園」に立ち寄る。
個人が趣味で始めたものの、どんどんイグアナが増えてしまい、
どうしようもなくなってしまったらしい。
あまり気分のいいものではない。
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次いで、ショッピングセンターに立ち寄る。
未だ出来立てか真新しい大型のショッピングセンターである。
日用品でほしかった品があるので、スーパーに入る。
米国に近いせいか、棚に並ぶ品は豊富、一部日本製も見える。
レジに行き、米ドルで支払ったら、当然とはいえメキシコペソでお釣り、
そのお釣りも結構な金額になるので、
もう一度店に入り、お菓子やつまみなどを買い求める。

ツァーの最後は、海辺の中央広場へ。
シティホールも広場に面している。
広場には、大きなカジキの彫刻が立っている。
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マンサニージョは、バショウカジキの首都と言われている。
毎年、釣りの国際大会がこの地で開催され、
カジキのシンボルとして、この彫刻が建てられている。
ブルーの色も鮮やかである。

夕方には帰船する。
夜8時過ぎに港を出発、太平洋を西に向かう。
クルージング最後の寄港地、ハワイのホノルルを目指す。













# by toshi-watanabe | 2017-02-14 10:04 | 旅行 | Comments(2)
11月4日の晩は、マヤ系住民が多く住む
パナハッチェルの湖畔の宿、ポルタ・ホテル・デル・ラゴに宿泊。
宿の部屋から湖水方面を望む。
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中央の山はトリマン山である。
ホテルのロビーには手作りのたペストリー、
そしてレストランへ向かう通路には手作りの人形さんたち。
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朝8時には、観光バスに乗り、宿を出発、
古都のアンティグア・グアテマラへ向かう。
再び3時間半の長旅である。

途中の見晴らしの良い展望台があり、
ドライバーさんがバスを止めてくれる。
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峠を越えて、グアテマラ高地のアンティグアの町に入る。
かってはグアテマラの首都であったが、
18世紀に2度の大地震に見舞われ、ほとんどの建物が崩壊、
すっかり廃墟と化した。
ヌエバ・グアテマラ(新しい都)が開かれ、現在のグアテマラ・シティに。
その後建物は再建されたが、一部は廃墟のままのところも。
植民地時代に建てらた教会の遺構が見受けられる。
スペインのムデハル様式の影響を受けたバロック建築。
世界文化遺産に登録されている。

4時間ばかりかけて、市街地を散策する。

まずはサン・フランシスコ教会を訪れる。
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アンティグア市街地の観光案内地図。
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教会の前では、手作り民芸品の市が出ている。

カプチナス修道院を訪れる。
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宇治平等院の雲中供養菩薩像を思い出させる吊るされた像。

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中庭で遊ぶ子供たち。
ご家族の方の了解を得て撮影する。
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中庭に咲く色とりどりの花。
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修道院を出て、ランチの場所へ。
市内のモダンなホテルの中庭に設えられたレストランで食事。
海外からの観光客が宿泊するホテルのようだ。

食後中庭を散策していると、花が咲き乱れる中に、
きれいな鳥を見かける。
多分国鳥のケツァールらしい。
通貨の単位になっているし、コインの図柄として描かれている。
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サン・ホセ大聖堂(カテドラル)。
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広場に出て、自由行動の時間となる。
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広場に面したメルセー教会。
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通りをぶらぶら散策する。
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公衆トイレが見つからない。
ガイドさんもどこにいるのかわからず、集合時間までは待てない。
致し方なく、珈琲ショップに飛び込み、トイレを借りる。
しかも間の悪いもので、現地通貨の持ち合わせなく、
(買い物は、米ドルで済ませていた)
米ドル紙幣で支払おうと思ったら、細かいお金は
1ドル札が1枚しか手持ち無し、
困った顔をしていたら、店員が1ドルでいいよという。
本当に助かった。

夕方5時半、港に帰着。
夜9時にはプエルトケツァル港を出発、次の寄港地、
メキシコのマンサニージョに向かう。









# by toshi-watanabe | 2017-02-12 10:08 | 旅行 | Comments(2)
11月3日は洋上、折から虹が見える。
チョット薄くて見えにくいが2重の虹である。
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同日の夕方、何度目かの素晴らしい夕陽が見える。
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11月4日早朝7時、グアテマラのプエルトケツァル港に着岸する。
プエルトはスペイン語で港の意、ケツァルはグアテマラの国鳥である。
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富士山によく似た姿のパカヤ山が眼前に。
標高2,552メートルの活火山である。
登山コースもある。
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8時半には観光バスに乗り、1泊2日のツァーに参加する。
次第に高度を増して行くが、道路の両側はサトウキビ、コーヒー、
そしてバナナの畑が続く。
3時間半の長旅、途中でトイレ休憩。
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かなり登ったところに町があり、レストランに入る。
小高い丘の上なので、下には真っ青な湖が見渡せる。
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土地の音楽を生演奏で聞かせてくれる。
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マヤ文明が栄えたグアテマラ、
現在も国民の過半数はマヤ系のインディヘナ(インディオ)である。
教育程度も低く、産業もなく、農作業などで細々と生計を立て、
殆どの人たちは貧しい暮らしをしている。

この湖は世界で最も美しい湖ともいわれる
アティトラン湖、湖のまわりには、
インディヘナのコミュニティが散らばっている。

レストランにはプールがあり、そして南国の花が咲き乱れている。
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ランチを済ませて、湖畔からボートに乗り、対岸へ向かう。
アティトラン湖は126平方キロとかなりの広さがある。
周りは自然の風景に囲まれている。
結構波が荒くボートも揺れる。
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インディヘナのコミュニティのある、比較的大きな町に接岸する。
パナハッチェルという地域。
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民芸品を並べた店の並ぶ中を歩き、
町の守護神ともいえる教会を訪れる。
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民芸品店を覗いたりしながら、桟橋へ戻る。
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桟橋から再びボートにより、宿のある別の桟橋まで。
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湖の向こう側に聳え立つ山はトリマン山、
標高は3,158メートル。
因みに、北部メキシコとの国境付近には、4千メートル超の高山も。
トリマン山の他に、アティトラン山とサン・ペドロ山が湖を囲んでいる。
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桟橋を降りたところで、野生のポインセチアを見つける。
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しばらく歩き、宿に到着。
部屋からはアティトラン湖、そして山の姿が望め、
絶好の景色展望ができる。
久し振りに湯船につかり、疲れを癒す。
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明朝は世界文化遺産に登録されている
古都のアンティグア・グアテマラを訪れる。






# by toshi-watanabe | 2017-02-11 11:03 | 旅行 | Comments(2)
11月1日早朝、船はクリストバルを出港し、
いよいよパナマ運河に入る。
パナマ運河の全長は81.6キロ。
10年の歳月をかけて、1914年に開通した。
米国管理下にあったが、
1999年12月31日正午を以て、パナマに完全返却された。
年間14,500隻、一日平均40隻が運河を航行している。
従来からのパナマックスは双方向各1ルート、
我々はこのルートを通る。
順番待ちの客船や貨物船などが列をなして順番待ち、
我々の船は比較的前の方に位置している。
昨年夏、第3のルートがオープン、10万トン級の大型客船や
大型タンカーなどは、ニューパナマックスと呼ばれる、
この新しいルートを通る。

最初の閘門、ガトゥン閘門にやってくる。
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手前の水門が開く。
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船は第1閘門の中へ入ると、
手前の水門は閉じられ、水が入ってきて、船を押し上げる。
前方の水面と同じ高さになると、前方の水門が開く。
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船は第1閘門を抜け、タグボートが牽引する。
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第2閘門に来る。
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閘門内は狭く、船は自力では前に進めず、
専用の電気機関車を用いて牽引する。
両側の機関車からそれぞれワイヤーを連結し、
水路の中央になるよう保ちながら、船を牽引する。
船の前方甲板と両サイドの機関車にワイヤーをつなげる作業は、
見ていて大変興味深い。
牽引する機関車の動きも面白い。
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この電気機関車は日本の川崎重工製の車両である。
因みに駆動用ギアケースは三菱重工製、
インバーター・モーター及びウインドグラスは東洋電機製造。
機関車の進むところは最大50%の急勾配(約27度)あり、
その勾配を走るために、運河の両側に
ラック式の線路が敷設されている。

降っていた雨が上がり、
晴れ間に大きな虹が現れる。
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ガトゥン閘門、最後の閘門。
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3段階の閘門を抜けて、ガトゥン湖に出る。
川をせき止めてダム湖として誕生したのがガトゥン湖、
425キロ平米の広大な面積を有する人造湖である。
このガトゥン湖は海抜26メートルあるので、
閘門方式をとって船を押し上げている。

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小高い山だったところが島となっている。

センテニアル橋が見えてくる。
自動車専用橋で、北米大陸と南米大陸を結ぶ
「パン・アメリカン・ハイウェイ」の一部である。
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ペドロ・ミゲル閘門、そしてミラ・フローレス閘門を通過し、
太平洋への運河出口へ向かう。
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奥の方に見える高速道路はパナマ運河をまたぐアメリカ橋へ続く。
パナマ・シティの街並みも見え始める。
ほぼ1日かけてのパナマ運河航行も終わる。

余談だが、中国がパナマ運河をしのぐ規模の「ニカラグア運河」
の工事に着手している。
ニカラグア湖を利用し、パナマ運河の3倍超となる
278キロに及ぶ長さの運河である。

この後は太平洋を北上し、
グアテマラのプエルトケツァル港を目指す。









# by toshi-watanabe | 2017-02-10 14:19 | 旅行 | Comments(4)