折々の記

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紫陽花を観に高幡不動へ

今年4月末に訪れたばかりの高幡不動へ、
今月19日に再び出かける。
日野市在住のパソコン勉強仲間のMさんが企画されたもので、
高幡不動尊境内の裏山で今盛りと咲いている
紫陽花の撮影会である。
メンバー6人ばかりが参加する。
早めのランチを駅前の店で簡単に済ませ、いざ参道へ。
参道を抜けると正面には仁王門、左手には五重塔。
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「あじさい祭り」の看板も出ている。
お堂の前の広場には、鉢植えの山紫陽花が展示されている。
中には、ヒマラヤ産の珍しい種類のものも。
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早速、裏山を登り始める。

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つづら折りの山道の両側には、満開の紫陽花が
所狭しと咲き誇っている。
規模としては決して大きくはないが、山紫陽花が殆どで、
花の色、形が豊富で、見ていて飽きない。

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木の間から五重塔。
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撮影会のあとは、Mさんのお誘いをいただいて、お宅にお邪魔する。
すっかり夕刻まで大歓待を受けてしまう。
帰り際に、玉ねぎまでいただく。
この場を借りて、Mさんにお礼申し上げます。







# by toshi-watanabe | 2017-06-21 10:50 | 季節 | Comments(8)

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門井慶喜さんの著書「ゆけ、おりょう」(文芸春秋)を読む。

「おりょう」とは、お気づきだと思うが、

幕末の志士、坂本龍馬の妻である。

この作品は、201410月号から20162月号まで、

「オール読物」に6回にわたって掲載されたものを、

まとめて単行本として、昨年刊行された。

「おりょう、結婚」

「おりょう、下げる女」

「おりょう、離婚」

「おりょう、ハネムーン」

「おりょう、良妻賢母」

「おりょう、龍馬なしでも」

おりょうの父、楢崎將作は町医者をしつつ、

青蓮院宮の侍医もつとめていたので、

家計に恵まれた家庭で、おりょうは育った。

一通りの習いごとをし、しかも評判の美人だった。

ところが、時代は幕末、勤王派の將作は

先代が長州藩士の出でもあり、自宅を隠れ家として

提供したり、志士たちとの交わりをしていた。

それが災いして、安政の大獄に引っかかり過酷な牢生活に。

1年後に放免されたものの、すっかり健康を損ない、

やがて息を引き取る。

突然、一家は生活の糧を失い路頭に迷う。

何もできない母親や4人の弟妹を抱えて、

22歳になる長女のおりょうは一家を支えることに。

京の都、七条新地の料理屋兼旅館「扇岩」で

仲居として働くおりょうは、坂本龍馬と出会う。

おりょう24歳、龍馬30歳、二人は青蓮院塔頭、金蔵寺にて

祝言を挙げる。

夫の龍馬を呼び捨てにする、おりょうは湯水の如く、

酒を浴びるほど飲み、自分の考えをずけずけという、

当時としてはけた外れの女性。

勝海舟にも食ってかかる振る舞いには

龍馬の周囲からは離縁を迫られたり。

門井流の脚色もあるのかもしれないが、

おりょうの姿が生き生きと描かれていて面白い。

寺田屋事件で竜馬の命を救った話はよく知られている。

そして二人は船に乗り、薩摩へ向かう。

日本初のハネムーンと呼ばれている。

面倒を見てあげなければと龍馬の世話を焼いていた

おりょうだが、いつの間にか、すっかり英雄になってしまった

夫の龍馬に、自分は何をしてやれるだろうかと

思いまどうようになる。

龍馬が京に出かけ、おりょうは馬関の伊藤助太夫の

家に厄介になっていたところ、突然、龍馬の訃報が知らされる。

河原町蛸薬師下ルの醤油屋「近江屋」の二階にひそみ、

龍馬は盟友の土佐藩陸援隊隊長の中岡慎太郎と

火鉢にあたりながら、ひたすら話し合いをしていた。

そこを刺客に襲われ、中岡は重傷を負い、龍馬を命を落とす。

享年31歳の、短い生涯だった。

龍馬の死後、おりょうは、人を頼りに移り住むものの落ち着けず、

やがて横須賀にやって来る。

露天商の西村松兵衛と再婚し、おつるを名乗る。

松兵衛とは一緒に27年暮らした後、おつるは一人で

暮らすようになり、3年余り後の明治39年、生涯を終える。

貧しくさびしい晩年だった、享年66歳。

横須賀市の浄土宗・信楽寺(しんぎょうじ)に立派な墓が建てられている。

「贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓」

と、恰も維新の元勲が眠っているごとき

堂々たる隷書体で刻まれている。






# by toshi-watanabe | 2017-06-19 08:19 | 読書ノート | Comments(0)

過日、写真展を見学する

家内の現役時代にお世話になったAさんから
写真展のご案内をいただく。
秦野市にお住まいで、定年後カメラを始められたようだ。
会場は小田急の鶴巻温泉駅前にある、
「秦野市立宮永岳彦記念美術館」。
その葉書を見て驚いた。
出品者の名前の中に、もうひとりのAさんのお名前を発見。
このAさんは、我々夫婦が15年前の7月、12日間のスイスツアーに
参加したときのお仲間である。
住所を確認してみたら、秦野市にお住まい、間違いなく本人だ。

14日は夕刻にOB会の飲み会が中央林間で予定があり、
その時間に間に合うよう、午後鶴巻温泉まで足を延ばす。
駅を降りると、すぐのところにあり、迷うことなく美術館に到着。
ところが、残念なことにお二人のAさん、いずれも今日は来られない、
お二人とも16日には来る予定とのこと。
致し方無し。 こちらの都合できたのだから。
15年ぶりの再会を期待していたのだが。。。。。。

宮永岳彦さんは当初は松坂屋に勤務されていた。
兵役から戻られた宮永さんは、戦後実家のある秦野市にお住まいになられる。
多方面で画家として活躍され、地元を通る小田急からの依頼で、
小田急ロマンスカーのカラーリングを依頼される。
オレンジバーミリオンにシルバーグレーのツートンを基調に、
白帯を配した色調を考案され、現在も此のカラーリングがベースとなっている。

美術館には、宮永さんの作品を展示している常設場の他に、
市民ギャラリーがあり、今回の写真展も、このギャラリーで開催。
16人ほどのメンバーによる、およそ50点の素晴らしい写真が見られる。
二人のAさん、それぞれ3点づつ作品を出されている。
じっくりと観賞させていただく。

美術館と並んで、市営の日帰り温泉施設「弘法の里湯」があり、
美術館の正面入り口を出たところには、
足湯の施設が見られる。
地元の方だろうか、数人が足湯を楽しんでおられる。
この辺りに来ると、大山など山並みがすぐ近くで、
田んぼや畑が広がり、都会を離れて、のんびりとした環境である。
山の一つが「弘法山」のようだ。


夕方6時からは、中央林間駅近くの居酒屋チェーン「魚民」で飲み会。
先月函南の伊豆は岳温泉にて開催されたOB会の
幹事役の反省会という名目でこの近辺侍従の6人が集まる。

それから、昨16日には、別のOB会があり、参加する。
会場はここ数年お世話になっている、銀座4丁目の「がんこ」。
和風料理が美味しいし、いす席の個室がいい。
皆さんに好評である。
9人ばかり集まる。







# by toshi-watanabe | 2017-06-17 09:42 | 一般 | Comments(3)

引き続き、内田康夫さんの作品です。

改版が出たばかりの「熊野古道殺人事件」(中公文庫 ¥600+税)。

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読書ノートを書いたばかりの最新作の「孤道」でも

熊野古道が主要場面になっていたが、

その熊野古道の場面を思い出しながら、この著書を読んだ。

実はこの著書の元になったのは、

「別冊婦人公論」に「南紀ミステリー紀行」と銘打って

掲載された三つの連作短編小説である。

 「帰らざる棺」(1990年 春号)

 「鯨の哭く海」(1990年 秋号)

 「龍神の女」 (1991年 春号)

この三作を合併させて書き直した作品を、

「熊野古道殺人事件」としてノベルス版で

199111月に刊行されたのが始まりで、

その後文庫本として、中公文庫で199510月、

光文社文庫で199910月、角川文庫で20104月、

それぞれ発行されてきた。

さらに改版が本年5月に中公文庫として出された。

著者はその都度、手を加えているようだ。

この作品の面白い所は、作者の内田康夫自身が登場するという設定。

軽井沢在住の内田康夫の依頼により、

ご存知名探偵、浅見光彦は愛車ソアラで熊野へ向かうのだが、

内田本人もこの車に同乗し、行動を共にする。

内田の高校大学を通じての友人であるT大研究室の

松岡正史教授から熊野行きを誘われた内田は浅見を連れて行く。

この物語のクライマックスは「補陀落渡海(ふだらくとかい)」。

南紀熊野那智で古くから行われていた風習だが、

現在では行われていない。

松岡研究室で助手をしている岳野晴信を中心に学生たちが協力し、

この「補陀落渡海」を再現させようというのが今回のイベント。

その見学を主目的に、松岡、内田そして浅見光彦が南紀へ。

岳野自身が渡海上人として渡海船に唯一人乗り込み、

船内の柩の中に入る。

極楽浄土での往生を願い、伴船を従えて沖に向かうが、

突然、岳野晴信が意識を失う。

浜辺に連れ戻すものの、すでに息絶えている。

人々は祟りではないかと恐れるが、毒殺と判明する。

他にも関連した事件が起こるのだが、

熊野古道を巡る旅は、大いに興味を魅かれる。

内田康夫さんは、この著書を書くにあたり

三度南紀を訪れている。

加太の淡島神社や龍神温泉など一度訪れてみたい場所だ。

物語の終わりに近く、緊急事態に直面した内田は断りもなく

浅見のソアラに乗り込み、松岡を助手席に乗せて、

南紀の山道を走る。

ところが前方からの車をよけそこなって崖から落ち、

二人とも大けがをする。

ソアラは無残にも大破。

東京に戻って1か月ばかり後、浅見光彦のところに

ニュー・ソアラが届けられる。

勿論内田康夫の手配したもの。

追記:
井上靖の著書に、「補陀落渡海記」がある。




# by toshi-watanabe | 2017-06-13 14:46 | 読書ノート | Comments(0)
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最近出版された内田康夫さんの「孤道」を読む。

お馴染みの浅見光彦名探偵が登場する。

内田さんの新作著書は、3年前の2014年の7月に出版された、

「遺譜」が最後で、久しぶりの作品を手にした。

因みに「遺譜」をもって、浅見光彦シリーズは

幕を閉じたのだと思っていた。

実はこの作品「孤道」、毎日新聞に2014124日から

連載されていたのだが、2015年夏、内田さんが脳梗塞で倒れ、

命はとりとめたものの左半身のマヒが残った。

そのために毎日新聞の連載は2015812日を最後に、

未完のままになっていた。

その後リハビリに励まれたが、現在に至るも

思うようにいかず、小説を続けることは困難に。

内田さんは筆を折る決意をされたようだ。

未完のまま、今回単行本として出版され、

未だ世に出られずにいる才能のある方に完結を託す決断をされた。

関係者が共同で「孤道」完結プロジェクトを発足させた。

この書の終わりには、

「孤道」完結編の募集要項が載っている。

締め切りは20184月末日である。


熊野古道を舞台に繰り広げる、壮大な歴史ロマンミステリー。

実際に起きた事件などを軸に、筋立ても大変興味深い。

物語が盛り上がったところで、未完とは実に残念だ。

大毎新聞に入社した鳥羽映佑は和歌山支局、そして

和歌山県田辺市の田辺通信部勤務となり、暇を持て余している。

熊野古道の「箸折峠」にある牛馬童子像の首がのこぎりで切られて

持ち去られるという事件が起きる。

熊野古道でも人気スポットの一つで、牛と馬の背に一体のように

跨った法衣姿の童子像、高さ60センチ足らずだが、

とりわけ女性ファンに人気がある。

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この特ダネをものにした鳥羽は第一報を支局に届け、

全国紙にも掲載され報道される。

この特ダネを知らせてくれたのが、田辺市役所の鈴木真代である。

彼女は市役所に勤めながら観光ガイドも行い、

新米の鳥羽の面倒を見て、色々な情報源となっている。

ところが、真代の主人、鈴木義弘が大阪天満橋近くで殺害される。

八軒家殺人事件と呼ばれる。

殺害された土地は、熊野古道の出発点の一つ。

鈴木義弘は、妻の真代とともに田辺市役所に勤めていたのだが、

8年前に父親が急逝したために、海南市の実家に戻り、

家業である不動産業を継いでいる。

鈴木家はかっては、海南市や和歌山市付近ばかりでなく、

大阪の市街地にもかなりの土地を持っていたらしい。

全国に散らばる鈴木姓の御本家になるとか。

そこへ登場するのが、浅見光彦である。

浅見は鳥羽の大学の先輩であり、旧知の間柄。

この後、牛馬童子像の首は発見されるが、

誰が何のために首を持ち去ったのかは不明。

また八軒家殺人事件も未解決のまま。

藤原鎌足と阿武山古墳の話などが出てくる。

古墳に興味のある方には面白い読み物だろう。

中途半端な読書ノートになってしまった。

内田康夫さんのご回復を切に祈るものである。

できれば、内田さんにより

この作品が完結されればと願うばかり。





# by toshi-watanabe | 2017-06-11 09:19 | 読書ノート | Comments(0)


今週日曜日、6月4日、熱海温泉の「健光荘」にて、
小学校の同期会があり、参加する。
6月の第1日曜日と決めている小学校の同期会、
ここ7,8年は同じ熱海の温泉宿で行われている。

午後3時、宿にて集合。
今回も朝、横浜の家を出て、小田原で下車し、
小田原近辺を散策する。

山縣有朋が別荘としていた「古稀庵」を訪れて庭園を見学。
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70歳(古稀)の時に建造したので、「古稀庵」という。
東京目白の「椿山荘」、京都の「無鄰菴」と共に
庭園づくりに関心の強かった山縣有朋の三庭園として知られる。
訪れる人も少なく、静かな庭園である。
ほとんど人影もなし。

日曜日のみ公開されている。

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次いで、電力王として名高い松永安左エ門が、
晩年の25年間、夫人とともに過ごした
「老欅荘(ろうきょそう)」を訪れる。
現在は松永記念館の敷地の中にある。

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老欅荘へ向かう石段の途中にある、「下り龍」の石塔。

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老欅荘の居室と庭を見学する。
今日は他に訪れる人もなく閑散としている。

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老欅荘の謂れとなった欅の老木。

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因みに松永安左エ門は、亡くなる際に葬儀法要など一切執り行わないように、
そして法名不要と遺言。
埼玉県新座の平林寺に本人と夫人の二つの墓がひっそりと並んでいる。
ごくありふれた普通の墓石で、名前のみ刻まれている。


小田原駅に戻り、駅前のソバ屋で簡単な昼食を済ませ、
宿に向かうのにはまだ時間があるので、
小田原城址公園に向かう。

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泰山木が大きな白い花をつけている。

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花菖蒲が見ごろを迎えている。

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紫陽花の花は未だこれからといった風情。

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天守閣は改装を終えたばかり、真新しい姿を見せている。

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さて小学校の同期会、卒業して68年、年々参加者が減るのも致し方なし。
今回は男性6名に女性2名。
昨年までご参加下さっていたT先生、今年は残念ながらおられず。
昨年12月9日に入院され、元気を取り戻されるかと思われたのだが、
本年3月10日に90年の生涯を終えられた。
T先生は、恩師であるとともに同期生にとって姉のよう存在だった。
戦時中、群馬県への集団疎開を引率された。
当時まだ20歳未満だったのでは。
もう優しい笑顔を見ることはできない。
衷心よりご冥福を祈るばかりである。
合掌


宴会は午後7時から始まり、船盛も登場、場も盛り上がる。
宴が終わると、カラオケを少しばかり楽しみ、
部屋に集まり、二次会となる。

翌朝はゆっくりと8時に朝食、9時半に解散。
熱海からは結局皆同じ列車に乗り込む。

1年後にも同じ場所で開催予定だ。





# by toshi-watanabe | 2017-06-08 10:32 | 同期会 | Comments(4)
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葉室麟さんの新著「潮騒はるか」を読む。

この作品は、「ポンツーン」の平成281月号~

平成2812月号に連載されたものに、

加筆・修正し、今回単行本として幻冬舎より出版された。

「ポンツーン」は幻冬舎が出している月刊PR誌である。


本の帯カバーには、「女に残されたのはかなわぬ想いと
生き抜く覚悟」そして『風かおる』の感動再び!とある。
『風かおる』は2015年9月に出版されている。



時代は幕末、長崎が舞台となっている。

筑前博多で鍼灸医をしていた菜摘(なつみ)が

弟の渡辺誠之助、博多の眼科医稲葉照庵の娘、千沙を伴い、

長崎で蘭学を学んでいる夫の佐久良亮のもとにやって来る。

腕を見込まれ、菜摘は長崎で鍼灸医として仕事を始める。

長崎奉行所を預かる岡部駿河守長常の妻香乃は病い勝ちで、

長常から依頼があり、菜摘は香乃の手当てを引き受ける。

奉行所の牢には女牢がおり、病人が出たときには、

男の医者では何かと不都合と菜摘が女牢の病人も

診るようになる。

菜摘の鍼医療に興味を抱いた、シーボルトの娘いねが登場する。

千沙には佐奈という姉がいるのだが、

夫が毒物による不審死の後、佐奈は行方をくらましている。

その佐奈らしき女人に奉行所の牢で、菜摘は巡り合う。

女医のいねに頼んで、此の女牢の病状を診察してもらう。

佐奈であることは間違いないとわかるものの、

妊娠しており、長崎に来るまでの疲労が重なり、

このままでは、命が危ない、何とか牢から出す方法は

ないものかと、関係者で思案する。

色々手立てを考え、奉行の了解を得て、

佐奈を牢から出す事が出来る。

佐奈の夫の死、そして佐奈が家を出奔した理由などが、

次第に明らかになっていく。

物語の途中では、勝海舟も登場する。

やがて佐奈は女の子を産み、ゆめと名付ける。

佐奈は国(くに)と名をあらためて、

いねのもとで医者の修行をし、産科医となる。

菜摘はその後も長崎で鍼灸医として働き続ける。

長崎奉行の岡部長常からの話もあり、「時雨堂」という看板を掲げる。

物語の最後の部分の文章をそのまま引用したい。

人は苦難の中にあっても、負けずに進み続づけるならば、

やがて天から慈雨が降り注ぐのだ、と菜摘は思った。

よく晴れた日だった。 菜摘は青空を見上げた。

風に乗って潮鳴りが聞こえてくる。


追記:

ポンツーンとはPontoon、船橋、浮橋、ポントン橋のことである。
小舟を横に並べて、その上に板を渡して橋として使うのだが、
もともとは軍隊で用いられたもののようだ。
以前プエルトリコにいた折に、カリブ海のキュラソーへ、
遊びに行ったことがある。
そのキュラソーにポントン橋があった。
寄港する観光客船などが通るたびに、
船橋は陸地に移動(エンジン起動)する。
船が通り過ぎるまでの間、人も車も橋の袂で待たされる。
ビールを飲んだり、人とおしゃべりしたり、
現地の人たちは、のんびりと橋が通れるようになるまで待っている。

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# by toshi-watanabe | 2017-06-06 10:00 | 読書ノート | Comments(0)
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久々に、池井戸潤さんの作品を読み終える。

「アキラとあきら」(徳間文庫、\1000+税)である。

現在書店に行くと、山積され、大々的に宣伝されている。

実は、この作品200612月号から20094月号まで、

「問題小説」に連載されていたもので、大幅に加筆、修正し、

今回単行本として出版された、オリジナル文庫である。

池井戸ファンにとっては待望の作品と言える。 705頁もの大作である。

本来は直木賞受賞作「下町のロケット」の前に書かれていた作品。

題名にある通り、二人のあきらが主人公。

同い年の二人、1人は東伊豆にある零細工場の息子、山崎瑛(やまざきあきら)、

もう1人は大手海運会社、東海郵船の御曹司、皆堂彬(かいどうあきら)。

最初の部分は二人がそれぞれの環境の中、

小学高学年から大学に進学するまでの物語が進行する。

その間唯一度、二人がすれ違う場面があるが、二人の間には全く接点はない。

山崎瑛の父親孝造は下請けの町工場を営んでいたが、

不良品の付けを回され、経営が立ち行かなくなる。

取引銀行からの融資も断られ、夜逃げ同然で母親の実家へ。

大学進学をあきらめていた瑛だが、父親の勧めもあり進学する。

階堂彬の祖父雅恒は東海郵船の事業を拡大し、長男の一磨が事業を継ぐのだが、

雅恒の遺志により、本体の海運部門を一磨が引き継ぎ、

一磨の次の弟、晋が東海商会、そして末弟の崇が東海観光を

それぞれ分社化して経営を任せられる。

一磨は彬の父親であり、晋と崇は叔父にあたる。

彬は本来であれば、長男として家業を引き継ぐ立場なのだが、

その気は全くない。

山崎瑛と階堂彬はともに、東京大学に合格、入学する。

さて話は一気に二人が大学卒業の時期、就職活動の場面に。

二人は同じ大学で、優秀な成績を上げている。

ご存知の半沢直樹は、この作品には登場しないが、

半沢直樹と言えば、産業中央銀行。

その産業中央銀行に、二人のあきらは就職する。

二人とも、金融業へのこだわりがあり、

敢えてトップ銀行である産業中央銀行を就職先として決めた。

その年、産業中央銀行に入行した新卒の新入社員は約300名。

恒例の三週間に及ぶ新人研修が行われる。

その目玉が、最後の五日間に行われる融資戦略研修。

新入行員が三人一組になって、実戦に近い取引先データを元に、

与信判断で優劣を競う。

百組ものチームが二日間にわたり検討し、提出される稟議書を審査し、

上位の二チームを選び出す。

選ばれた二チームが本店の講堂で行われるファイナルに登場するのだが、

山崎瑛のチームと階堂彬のチームである。

この場面が何とも面白い。

この物語で、二人のあきらの活躍を示唆するかの如く。

経営感覚のない叔父の二人がロイヤルマリン下田というリゾート施設を

立ち上げたものの、バブルが崩壊する時期にもあたり、

赤字が続き、事業として全く成り立たない状況に。

悪いことに、東海郵船は債務保証をしている。

ところが一磨が倒れ、長男の彬は事業を継ぐ意思が全くなく、

次男の龍馬が継ぐことになるものの、まだ経験も浅く、経営センスにも欠ける。

最終的には、彬が銀行を辞めて、東海郵船グループの立ち直りのために、

東海郵船の社長に就くのだが、銀行と企業とのやり取りが

池井戸流の筋書きで、物語に引き込まれてしまう。

この作品は、すでにドラマ化が決定しているとか。

ドラマで観るのも楽しみである。





# by toshi-watanabe | 2017-06-02 10:36 | 読書ノート | Comments(4)