秋の群馬倉渕へ

今月8日から15日まで、群馬倉渕で過ごす。
秋の気配も濃厚に。
週の前半は好天に恵まれたものの、
後半は冷たい雨が降り続く。
朝はすっかり濃霧に覆われ、視界が全く効かない。

水曜日のこと、昼頃突然サルの群れが現れる。
6~7匹の群れで、小さな子ザルもいるので、一家なのだろうか。
草地でエサを探したり、いたってのんびりと過ごしている。
柿の実を少しばかりかじったようだ。
小1時間ほど昼休みを終えて、お猿さんたち山へ戻って行く。

柿の実が赤く実っているが、半分ぐらいは無くなっている。
烏も来ているのかもしれない。

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櫨(はぜ)も紅葉し始めている。


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咲いている草花。
コスモスが満開である。

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ススキの下にナンバンギセル。

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ワレモコウ。
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色鮮やかなホトトギス。
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ムラサキシキブの実も色鮮やか。
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暫く姿を見せなかったセイタカアワダチソウ。
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リンドウ。
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ツワブキ。
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フジバカマ。
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コボタンヅル。
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ハナトラノオ。
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シオン。
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サンゴジュの赤い実。
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ギンミズヒキ。
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ゲンノショウコ。
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お茶の花。
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ツユクサ。
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ツリフネソウ。
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そしてヒメツルソバ。
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さて15日早朝、倉渕を発つ。
雨の予報もあったのだが、薄曇りで、霧も出ておらず、ドライブ日和。
しかも日曜日の朝、道路を走る車もまばら。
高崎市内も関越道も、渋滞がなく、快適にドライブできる。
花園IC辺りから雨が降り始め、次第に本降りとなる。
途中の三芳SAにて休憩をとる。
パンの美味しい店があり、サンドイッチなどを買い求めて朝食。
また「食の駅」で、朝採りの野菜や果物などを買い求める。
雨の中を再びドライブ。
都内の幹線道路、環八もウソのように空いており、車もスムースに流れている。

用賀から首都高経由で東名高速に入る。
家の近くの横浜青葉ICで高速を降りる。
ところがとんでもないハップニングに巡り合る。
高速から料金所へ向かうアクセス道路を走っていたのだが、
1車線の幅の狭い道路でカーブが多い。
幾分広くなった、最後のカーブを曲がろうとしたら、
目の前にトラックが止まっている。
そのすぐ左横には乗用車が1台、さらにその乗用車の前には
こちら向きの乗用車(逆走してきたのだろうか)が1台。
危うくトラックに追突しそうになる。
直線道路ではなく、カーブしているので前方が直前まで見えなかったのだが、
幸い速度を落として走っていたので、急ブレーキで追突を免れた。
暫くして、トラックが前進、続いて左側に止まっていた乗用車も前進、
何とか進む事が出来た。
私の車のすぐ後ろに車が続いていなかったのも幸いだった。
こちら向きの乗用車のフロントはどこかにぶつけたのかつぶれていた。
救援の車を待っている様子だった。
最近は高速道路でとんでもない事故が起きており、
本当に用心して運転しなければと、あらためて思い知らされる。

ドライブの最後にとんでもない出来事があったものの、
朝9時半には我が家に到着。
通常より2時間前後早く帰れたのは有難い。











# by toshi-watanabe | 2017-10-17 09:58 | 草花 | Comments(4)

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伊東潤さんの最新作「西郷の首」を読み終える。

角川書店、1,800円+税。

読み応えのある作品で、圧巻の歴史長編小説である。

幕末から明治維新へ、時代の激変期に生きた

二人の青年の友情と離別の物語であり、

加賀藩と二人の藩士を通して、

幕末から明治維新への歴史を物語っている。


百万石の雄藩、加賀藩藩士の島田一郎と千田文次郎登文(のりふみ)は、

足軽の子弟で、ほぼ同い年、親友の間柄だった。

目指すところが異なり、時に意見が対立し、激論となることも。

加賀藩は百万石の雄藩でありながら、幕末は中立的立場をとり、

藩としては幕末維新の動きにすっかり乗り遅れてしまう。

仲のよかった二人も藩上層部の動きに不満を抱きつつ、

それぞれ別の道を求め歩み始める。

明治政府に人材を送ることのできなかった加賀藩の旧藩士として

島田一郎は、反政府活動に傾倒し、武装蜂起を企てる。

一方千田文次郎登文は、陸軍の道に入り、

やがて陸軍軍人として、西南戦争に赴く。

薩摩軍が隠した西郷隆盛の首をたまたま発見するのが千田文次郎登文。

ところで、作品の題名は「西郷の首」となっているが、

西郷が登場するのはほんのわずかである。

もしも西郷の首が発見されないままであったら、

西郷隆盛はどこかでまだ生きているのではないかと、

不満を抱く旧藩士の生きがいになっていたかもしれない。

時代の流れの象徴的なこととして、「西郷の首」の発見が

小説の題名となったのだろう。

最後の場面、島田一郎と仲間たちは、大久保利通が

いつもの通り、朝仮御所へ出かけるのを途中で待ち伏せし、

大久保を殺害する。

いわゆる紀尾井坂事件と呼ばれる。

処刑された島田一郎の遺骸を、文次郎は引き取り、

谷中天王寺の霊園に葬る。

筋立てと言い、実に面白い小説である。

因みに、時代小説・歴史小説の分野を得意とする文芸評論家の

縄田一男さんも激賞されている。

「物語は、加賀藩の実在の人物――島田一郎と千田文次郎の

二人の目を通した幕末維新というかたちを取り、

西郷との必然性も完璧。

読了した後に残るのは、作者の目の付け所に完敗したという

清々しいまでの敗北感である。

 あと三カ月、よほどの作品が登場しない限り

今年のベストワンだろう。」

と縄田さんは大きな評価を与えている。

小説のエピローグには、千田文次郎登文のその後が書かれている。

文次郎は、紀尾井坂事件からほどなくして結婚し、

四男六女に恵まれる。

陸軍の軍人として出世街道をたどる。

昭和4年(1929)416日、自宅で眠るように息を引き取った。

翌朝の北陸毎日新聞は、

「大西郷首斬りの、千田翁逝く、線香の代わりに徳利をと、

剣道と酒の八十三年」という見出しを掲げた。

金沢の街を見守る野田山に葬られている。

私もお薦めしたい一冊である。







# by toshi-watanabe | 2017-10-07 14:22 | 読書ノート | Comments(2)

近くの公園にて


地元の駅のすぐ裏側に小さな公園があり、
ボランティアの方たちが普段から手入れをされており、
四季折々の草花が目を楽しませてくれるのは有難い。
花の咲く樹木もいろいろとあり、よく手入れされている。
公園の中央部に池(水を浄化して回転させているのだが、あまりきれいではない)があり、
その周りが散策路となっている。

コルチカムが、きれいな桃色グラデーションの花をつけている。
葉がなく未だ茎だけなので、花が際立っている。
イヌサフランを園芸用に品種改良したのがコルチカムである。
イヌサフラン科の植物で、アヤメ科のサフランとは名前が似ているが別の種類。

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酔芙蓉の花も見ごろである。
八重の芙蓉で、花は白色から桃色に変化する。

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池の周りに秋海棠が群生しており、花が今盛り。

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あまりきれいではないのだが、ホトトギスの花も咲いている。

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木陰も多く、ほっとさせられる。
午前中には、近くの保育園児たちがやってきて賑やかになる。







# by toshi-watanabe | 2017-10-03 08:42 | 草花 | Comments(4)

論語の勉強会

「論語」と言えば、よく知られているように、
孔子の死後、孔子の弟子たちが師の教え、言葉をまとめたものである。
過日、日経新聞の夕刊にあるコラム「こころの玉手箱」に
目を通していたら、名古屋銀行会長の要職にある加藤千麿さんが、
「論語を学ぶ会」について書かれていた。
親しい地元の経済人が集まっていた折、食事会だけでなく、
何か勉強しようという話になり、「論語を学ぶ会」を始められた。
「寺子屋塾」と名付けてスタートし、人生や経営の指針となることが
多く学べたと書かれている。

さて、昨年地球一周クルージングに参加した折、
船上で千葉県袖ケ浦市からお越しのIさんご夫妻と偶々巡り合った。
Iさんは、近くの小学生を集めて、論語の素読会をやられている由、
色々と興味深い話を伺った。
今も残る史跡足利学校で出されている「論語抄」を何冊か持参されておられた。

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それでは「論語の勉強会」を立ち上げようという話になり、
案内を出して、第一回目の会を開いたところ、20人ばかりが集まった。
上記の「論語抄」を教科書として進めることになった。
毎回ポスターの裏面の白紙を利用して、孔子の言葉、二つか三つ選んで
書き込んだものを用意し、とにかく全員で唱和する。
それから言葉の意味を学び、各自が思うことを述べたりし、
再び全員で唱和を繰り返す。
素読である。
結局前半10回、後半10回、合計20回の勉強会を行った。
二つばかり紹介したい。

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いずれも皆さんよくご存じの言葉である。
子曰く(しいわく)の子はもちろん孔子のこと。
子供の頃は (しのたまわく)と習ったような気がする。
君子とは、学問も道徳性も、ともにすぐれた人のことで、
学問・道徳性ともにすぐれた優れた君子になろうとして
努力している人を言う場合もある。
対して、小人とは学問はあるが、道徳性のない人を言う。
曽子とは孔子の弟子であり、もちろん師の孔子が言ったことを
曽子が代弁して書かれている。


最後はビールで乾杯して、和やかな懇親会を催した。


会の幹事兼講師として会を引っ張っていただいたIさんには改めてお礼申し上げたい。
洋上で、こんな素晴らしい勉強会を持てたのは実に有難く、
今も感謝の念で一杯である。











# by toshi-watanabe | 2017-10-02 09:52 | 一般 | Comments(4)

運転免許の更新

3年間有効の運転免許証が来年1月、再び更新時期である。
本来ならば免許証の自主返納という年齢に達しているのだが、
もう一回更新することにした。

神奈川県だけかもしれないが、今年から規定が変更になったらしく、
ずいぶん早く、8月初めに更新前の手続き案内状が届く。
後期高齢者の場合は、認知機能検査を受けなさいとの通知である。
早速予約を入れ、8月19日に近くの会場のA自動車学校にて
認知機能検査を受検した。
12人ばかり来られていたが、お一人背の高い外国人があおられた。
4枚のボードに描かれた16の絵を見せられ、しばらく間をおいてから、
その16品目をリストアップするのがメインで記憶力の検査である。
乗り物あり、動物あり、花あり、昆虫あり、家具あり、色々だが、
関連付けて覚えるようにヒントをくれる。
その外人さんは答えを英語で書いてよいと言われていた。
検査の結果は3段階に区分され、一番下のランク付けになると、
医師の診断書を持参して警察に行かねばならないとか。

9月初めに検査結果を知らせるのと同時に、高齢者講習の案内状が届く。

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検査結果は幸い、総合点94という高得点をいただく。
9月30日に予約を入れ、高齢者講習に出かけた。
A自動車学校が会場で、今回も12人が参加、内ご婦人が4人おられた。
2組に分けられ、1時間は実地運転、あとの1時間は視力など眼の検査。

視力検査は、やっと0.7のはずだが、どういう訳か1.5という予想外の高目の数字。
まさか視力が改善したとは思えぬが。
その一方、動体視力、視力回復時間(暗い所に入り目が慣れるまでの時間)、
それに視野となると、非常に悪い結果が出た。
スピードは出さないように、夜間などはなるべく運転しないように、
また左折や右折の際は十分注意しろということだろう。

実地運転では、右折の場合、右のラインぎりぎりまで寄せること、
左折の場合は、できるだけ左側に寄せること、
左折のときに、大回りしすぎるとの注意も受けた。
アクセルを強く踏んで縁石に乗り上げて、すぐにブレーキを踏む操作が、
どうもうまく行かなかった、
段差がかなりあるので、思い切ってアクセルを踏む必要があり、
その結果、ブレーキの反応が遅く、前に立っているポールに触れてしまった。
注意を受けたが、致し方なし。
そのほかのバックでの車庫入れやS字通路の通行は問題なくクリア。

何とか講習も無事終了。
「高齢者講習修了証明書」をいただき、帰宅する。
後は年末に、警察署へ行くだけである。








# by toshi-watanabe | 2017-10-01 12:00 | 一般 | Comments(2)

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内田康夫さんの著書「不等辺三角形」を読み終える。

幻冬舎文庫、650円+税。

どうも妙な題名である。

二等辺三角形と正三角形を除けば、

どの三角形も不等辺三角形であり、あえて不等辺三角形というのも面白い。

この不等辺三角形が出てくるのが丁度小説の真ん中あたり、

やっと題名の意味が分かってくる。

先ず登場するのが「陽奇荘」、

正岡家という、名古屋で一、二を争う富豪の別荘である。

戦災で本宅が消失して以来、正岡家は四十数年にわたって、

住居として使用していたのが別荘の陽奇荘。

その後、新たに本宅が再建されて、家族全員が移転した。

以来二十年間、空き家状態になっていたが、

管理人などが陽奇荘の保全管理を続けていた。

家具などすべて処分されたのだが、唯一、仙台箪笥が

地下室に残されていた。

この仙台箪笥が、これから起こる殺人事件に絡んでくるのだが、

先々代の奥様が嫁入り道具として持参した品物で、

一番大事にしていて、ここに残しておいてほしいとの遺言。

40歳代の半ばで他界したのだが、箪笥のところにその奥様が現れるという

噂話が出て、幽霊箪笥と呼ばれるように。

宮城県の東松島市にある井上箪笥工房のところに箪笥の修理依頼が届く。

仙台箪笥の腕の良い職人と知られる工房の主は

娘を伴い、名古屋の陽奇荘まで車で箪笥を引き取りに行く。

東北地方の箪笥と言えば、岩手県の岩屋堂の桐箪笥がよく知られるが、

仙台箪笥も欅づくりの素晴らしい和箪笥である。

取り付けられた金具が精巧な作りでこれまた素晴らしい。

著者は、陽奇荘のある名古屋、仙台箪笥の工房がある奥松島、

それに正岡家の先々代の奥様の出身地、宮城県の丸森町、

この三か所を頂点とする、不等辺三角形をイメージして書き始めたらしい。

奥松島とは、観光地として名高い松島の奥に位置する東松島市にある、

風光明媚な海岸沿いである。

丸森町は宮城県の最南端で、福島県に接し、近くを阿武隈川が流れる。

現在観光地としても知られる。

だが著者は小説を書いている途中で、三角形のイメージをがらりと変える。

問題の仙台箪笥には隠し棚があり、1枚の紙きれが入っていた。

そこには漢詩の手書きがあり、さらに隠し棚の蓋の裏側には、

「不等辺三角形之重心」と記されていた。

ここから謎解きが始まるのだが、二件の殺人事件が発生する。

中川区にある松重閘門で遺体が発見される。

殺害されたのは、自発的に陽奇荘を管理していた、古くから正岡家に

仕える男で、仙台箪笥を引き渡した、その日の夜に事件は起きていた。

その後、問題の仙台箪笥を見せてほしいと奥松島の箪笥工房を

訪れた男も、近くの野蒜海岸で遺体で発見される。

正岡家の主が浅見陽一郎を訪ねてくる。

2人は大学時代の同級生の仲。

正岡家が所有している陽奇荘の箪笥に絡んでの殺人事件発生に

余り公にしたくなく、警察とは別に、陽一郎の弟に調査をしてほしいとの依頼。

我が名探偵、浅見光彦の登場となる。

浅見光彦は依頼を引き受け、名古屋市東区白壁の高級住宅街にある

正岡家を訪れて、度肝を抜かれる。

一室を与えられ、陽奇荘を調べ、さらに奥松島、丸森町と

足を延ばして、警察署とも連絡を取りながら調査を続ける。

漢詩とは、

   春 水 満 四 澤

   夏 雲 多 奇 峰

   秋 月 如 陽 輝

   冬 嶺 秀 孤 岩

手書きをしたのは、陽奇荘に滞在したことのある

汪兆銘だろうと推測され、陽奇荘の庭園で三角形の重心にあたる部分に

何か重要なものを埋めて隠したのではないかと思われる。

これも謎解きである。

作者の内田さんは、5年にわたり現地を訪れている。

名古屋の陽奇荘は実在し、松坂屋の初代社長、15代伊藤次郎左衛門祐民の

別荘で、「揚輝荘」というのが実際の名称である。

現在は整備されて一般公開され、文化的なイベントなども開催されている。

千草区覚王山の閑静な丘陵地にある。

最初に建てられてから100周年を迎える。

因みに上坂冬子さんが著書「揚輝荘、アジアに開いた志 

選ばれた留学生の館」を出されている。

浅見光彦探偵の推理と行動力、いつものことながら面白く、

ついつい読み続けてしまう。

一緒に推理しながら読むのも楽しみである。

私自身、松島へは何度か訪れているが、奥松島を訪れたことはない。

ご存知の通り、東日本大震災では巨大津波により大きな災害を受けている。

モデルとなった、仙台箪笥の工房の皆さんも大被害を受けたが、

無事に過ごされているとのこと。

元の町並みが戻るのを祈るばかりである。

修理を終えた仙台箪笥は車で名古屋まで届けられるのだが、

その途中東京の浅見家に立ち寄り、光彦を含む浅見家の人たちは、

その素晴らしい箪笥に目を奪われる。






# by toshi-watanabe | 2017-09-29 15:20 | 読書ノート | Comments(0)



大相撲秋場所(9月場所)が幕を閉じた。


初日から3横綱が休場、そして途中から2大関が休場という異常事態。
一人横綱出場の日馬富士が初戦から黒星続きでかわいそうなスタートだった。
秋場所ならぬ空場所と揶揄されたり。
それでも相撲ファンは有難いもので、
入場券発売日にはすべてのチケット完売、当日分も札止め、
15日間「満員御礼」の垂れ幕。



終盤までほぼ独走態勢だった大関豪栄道が、
12日目、13日目と立て続けに平幕力士に敗れ、
あっと言う間に横綱日馬富士と星一つの差に。
千秋楽に持ち込まれた優勝の行方は、
結局、日馬富士が本割、優勝決定戦共に豪栄道を押し出し、
7場所ぶり、9回目の優勝を果たした。
経験豊かな日馬富士が気力でも圧倒していた。
豪栄道は全く相手にならず。



今場所も、アンケート調査が行われ、「敢闘精神あふれる力士」が
毎日発表されていた。
第1位に選ばれた回数を見ると、
阿武咲(敢闘賞を受賞)が5回、豪栄道と嘉風(技能賞受賞)がそれぞれ3回、
貴景勝(横綱大関に土を付けており殊勲賞受賞)が2回、
日馬富士と北勝富士がそれぞれ1回。
日馬富士の1回は千秋楽の相撲に対してである。
1位、2位、3位の合計回数で見ると、
阿武咲の9回、豪栄道の7回、日馬富士の5回と続き、
嘉風と朝之山(新入幕で見事敢闘賞受賞)がそれぞれ4回、
貴景勝、遠藤、北勝富士がそれぞれ3回となっている。
2回選ばれているのが、御嶽海(辛うじて勝ち越しを決めた)、
千代大龍、そして琴奨菊。
幕内筆頭まで落ちた琴奨菊、今場所は1横綱2大関を破り、
殊勲賞の声も上がったようだが、元大関に対しては失礼ではと、
受賞とはならなかった。



11月の九州場所には、4横綱揃って元気な姿を見せて
力の入った相撲を取ってもらいたい。




# by toshi-watanabe | 2017-09-26 09:53 | 季節 | Comments(0)

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最近出版された文庫本、朝井まかてさんの作品
「御松茸騒動(おまったけそうどう)」を読み終える。

徳間文庫、640円+税。

江戸時代中期、徳川幕府は八代将軍徳川吉宗の時代。

吉宗は質素倹約を旨とし、「享保の改革」を実施した。

徳川御三家の筆頭、尾張藩の藩士、榊原小四郎は

父親の清之介が定府藩士となり江戸藩邸で勤めていたので、

江戸で生まれ江戸で育った。

小四郎が家督を継いで間もなく、病の床にあった父親は亡くなる。

用人手代を務めていた小四郎は、突然「御松茸同心」を命じられる。

小四郎には、その任務がさっぱりわからない。

領内の御林に生う御松茸が不作続きで大難渋している。

御松茸は尾張藩の特産品で、大樹様や大奥、諸藩への進物、
返礼品として欠かせぬものである。

国表の御林奉行の配下に就いて、
3
年かけて御松茸の不作を何とかせよと命じられる。

時に小四郎、19歳の砌であった。

松茸について全く知識がなく、小四郎の苦労が始まる。

廃棄処分になるはずの書物を偶然手にした小四郎は、

その書物の中に松茸に関する情報を見つける。

実は、小四郎の父、清之介は先の尾張徳川家の第七代藩主、

徳川宗春の小姓を務めていたことがあり、

藩主のお供をした折などに、藩主のお言葉を書き残していたのが、

この書物だった。

そのことを後になって小四郎は知る。

宗春は将軍吉宗の質素倹約とは正反対の規制緩和策をとり、

尾張藩内は活気のある町となり、
藩主は領民から敬われていたのだが、

吉宗からは嫌がられ、宗春には幕閣を通じて隠居謹慎命令が下る。

吉宗が亡くなった後も、宗春の隠居謹慎は解かれぬまま。

今は御下屋敷(藩主の隠居屋敷)にて隠居暮らしをしている。

小四郎たちの努力により、上野御林を回復させる。

すでに10年の歳月がたっていた。

以前は村人が御林に入って手入れをしていたのが禁じられ、

御林が荒れ放題になったため、松茸が生えなくなっていた。

雑木をそのままにしておくと、
林床に陽が届かず、松茸の窠(す)を枯らしてしまい、

死んだものは、そのまま腐敗し、松茸の生えぬ土壌になる。

赤松と松茸菌は双方の利をもって生きている。

松茸菌は赤松の根から養分を取り、
赤松は松茸菌から養分を取っている。

ところが、地表に松葉や枯葉が溜まると、
松茸菌は手近なところから養分を取り、

赤松の根のことを忘れてしまう。

やがて赤松はやせ衰え、
松茸菌の窠もいずれは地表の腐れによって腐敗する。

赤松と松茸菌のかかわりが続くように手入れが肝要。

松葉や枯葉がそのまま肥料となると思いがちになるが、
それは逆で、松葉や枯葉を取り除いて
地表をクリーンにしておかなければならぬ。

一般の草木とは異なるところ。

江戸時代、松茸が藩にとって重要な財源であったとは、
大変興味深い。

また松茸が毎年十分に得られるためには、

赤松林の手入れが十分行われることが肝要とは、初めて知った。

現在実際どうなっているのかはよく知らないが。

小説の最後の場面は、年老いて蟄居中の徳川宗春が
尾張徳川藩所縁の興正寺へ参拝することになり、
その折りに寺域にある林で、

松茸狩りをしたいとの話が小四郎のところに届く。

荒れ放題の林に松茸が生えているわけもなく、
ここで小四郎は思案する。

どうしたかは、この本を読んでのお楽しみ。



話が飛ぶが、朝井まかてさんの作品「眩」(葛飾北斎の娘)の

ドラマと北斎の娘の特集番組がNHKで放映されたばかり。








# by toshi-watanabe | 2017-09-26 09:13 | 読書ノート | Comments(0)