折々の記

tnabe.exblog.jp

日々見たこと、 感じたこと、気づいたことをメモする

ブログトップ
d0037233_08394493.jpg

内田康夫さんの著書「ユタが愛した探偵」を、

最近出版された光文社文庫版で読む。

題名からもお分かりの通り、沖縄が舞台の物語。

この作品は199910月に単行本して徳間書店から

発行されているが、著者にとっては記念すべき作品である。

198012月に「死者の木霊」を発表して以来、

全国都道府県に足を残す作品群を書かれてきて、

「旅情ミステリー」と呼ばれた。

名探偵、浅見光彦が現地に出かけ、数々の事件を解決してきた。

およそ20年をかけて、全都道府県を巡り、最後が沖縄県で締めくくる。

著者はあとがきに最後の「聖地」沖縄として解説されている。

じつは、沖縄を書こうという計画はその数年前からありました。

取材も三回を数え、かなりの沖縄通になったつもりでもありましたが、

どうしてもイメージが湧いてこない。

というよりも、書く前から尻込みしているようなところがありました。

沖縄は戯れにエンターテーメントの取材対象などに

してはいけないと思っていました。

その理由はもちろん、あの戦争の被害と、長く米国の

占領下にあった苦難の歴史があるからです。

たんなる観光気分ではなく、真正面から沖縄と向かい合うには、

それ相当の覚悟が必要だと思いました。

そうでなければ沖縄に失礼だと、本気で思っていました。

私自身も正直なところ、沖縄は未知の土地、一度も現地を訪れたことがない。

この小説を読んで、本題のミステリーとは別に、

沖縄について改めて考え直す機会になったように思う。

終戦から丸26年間米国の占領下にあった沖縄、27年目にやっと

日本復帰を果たし、お祝いをし、時の総理大臣は

ノーベル平和賞を受賞したのだが、その後の沖縄には、

米軍の基地はそのまま残り、本土との地域差は埋められることもなく、

変わったのは、車が左側通行になったくらいではと言われる。

琉球王国だった歴史もあり、現在の姿が沖縄の人たちにとって
幸せなのだろうかと疑問を抱いてしまう。

さて作品に登場する「ユタ」という言葉は初めて目にする。

沖縄では当たり前のことのようだ。

沖縄の民俗というか宗教的な風習とでもいうのか、

単なる占術や悪魔祓いではなく、ごく日常的な通過儀礼なのだろう。

ある程度の年齢に達した女性が、「ユタ」になるようだ。

ところが生まれつきというか、幼い時から、幻覚にとらわれ、

普通の人に見えないものを感じ取り、

常識では理解できない能力を有する人がごくわずかだが存在し、

「ユタ」たちからは特に敬われている。

この作品のプロローグでは、物語の主人公となる女性の

幼い頃が登場する。

名前を式香桜里(かおり)という。
小学生時代に彼女は不思議な体験をする。

式という苗字も珍しく、調べてみると、九州地方に比較的多いようだ。

さて本題は、彦根で開催される「ブクブク茶会」の場面から始まる。

ブクブク茶とは沖縄で飲まれている振り茶のこと。

茶会があるのは彦根の清涼寺で、井伊家の菩提寺である。

先代井伊家に嫁いできたのが、沖縄出身、

しかも琉球王・尚家最後の姫君という縁で、

すでに恒例の未亡人となっている元姫君を囲んでの茶会。

この茶会を地元のテレビ局が取材し放映するところから、

沖縄で起きる事件へと進展する。

沖縄からの茶会参加者の一人に成人した式香桜里もいる。

香桜里が幼い頃、母親の運転で両親がある夜出掛ける。

香桜里も誘われるが嫌な予感がして一緒に出掛けるのを断る。

海岸沿いの崖っぷちで運転を誤り、車は海に転落、

両親は二人とも命を落とす。

警察では事故死として処理するのだが、香桜里には事故の現場が

はっきりと見えている。

対向車のライトにより、運転を誤り海に転落した姿が。

警察に調べるように依頼するも相手にされず。

過去にそんな事件があった。

実は対向車は存在し、その車には3人の男が乗っていたのだが、

彦根での茶会の後、沖縄で一人の男が遺体で発見される。

その遺体とは、香桜里の両親が事故死したときの

対向車に乗っていた男の一人。

殺人かどうかというのが、このミステリーの面白い所。

浅見光彦も途中から登場し、

推理と行動により、事件を解き明かしていく。

因みに、「題名」にある「ユタ」とは式香桜里、

「探偵」とは無論、浅見光彦のことである。

興味のある方は是非読んでいただきたい。



# by toshi-watanabe | 2017-04-30 08:40 | 読書ノート | Comments(0)
4月18日、日本橋室町の三井記念美術館にて開催中の
特別展「奈良西大寺・叡尊と一門の名宝展」を見学に出かける。
6月11日まで、東京で開催された後、
7月29日から9月24日まで、大阪のあべのハルカス美術館にて、
そして10月20日から12月10日まで、山口の山口県立美術館にて
それぞれ開催予定。

さて18日の朝、前夜から明け方まで、可成り雨風が強かったようだが、
朝9時過ぎに家を出るころには、すっかり青空が広がる。
電車に乗ったのだが、田園都市線に事故か何かあったらしく、
途中からのろのろ運転が始まる。
いくつかの駅ではしばらく動かずの状態が続き、
半蔵門線内も同様のノロノロ運転、結局目的地に着いたのは11時過ぎ。
d0037233_14060813.jpg
パンフレットの案内をそのまま転記させていただく。

西大寺は、奈良時代の後期に、女帝孝謙上皇(後に称徳天皇)によって
発願され、平城京の東大寺に相対する位置に建立された西の大寺です。
平安時代には疲弊しますが、鎌倉時代の中頃に叡尊(興正菩薩)という
高僧が、密教と戒律を柱とする宗教活動さらには社会事業を広く
展開して、その一門は大きく発展しました。

本展覧会は、西大寺創建1,250年を記念する展覧会です。
展覧会の構成は、まず昨年国宝に指定された興生菩薩像をはじめ
優れた彫刻・絵画・工芸品・典籍など総本山西大寺の寺宝を展示します。
次にその展開として、元興寺・浄瑠璃寺・白毫寺・岩船寺・
般若寺・不退寺・法華寺など著名な一門の古刹が所蔵する
貴重な宝物が多数出品されます。
そして最後に真言律宗のひろがりが分かる地方の寺院、
三井記念美術館では東国の鎌倉極楽寺、さらに稱名寺などの
名宝を一堂に展観いたします。

出展されたものの中からいくつか紹介したい。

国宝「金銅透彫舎利容器」
鎌倉時代、金銅製、高さは37.0㎝。
外部を透かし彫りの燈籠形とした舎利容器で、内部に舎利瓶を納める。
燈籠形の頂上には水晶入りの火焔宝珠形舎利容器を置き、屋根は六花形で
雲龍と蓮華唐草紋を肉薄に鋤彫りし、火袋は6間に分かち、
最上段を透かし彫りの欄間とし、中断は透かし彫りした花菱形の高欄を付け
吹玉を連ねた瓔珞を垂らす。
下段は雲龍や牡丹・蓮華などの草花文を肉薄に透かし彫りし、
株の格狭間には獅子・牡丹を透かし彫りする。
内部の舎利瓶は、蓋付きで中に金剛界大日如来を安置する。


d0037233_14445082.jpg
国宝「興生菩薩坐像」
鎌倉時代、木造彩色、像高は91.0㎝、作者は善春。
西大寺を中興し南都律宗の振興に寄与した興生菩薩・叡尊の精神性を、
見事なまでに写し伝えた肖像である。
本像は叡尊を慕う門弟たちが合力で造立した叡尊80歳の寿像だある。
垂れさがったた眉毛に窪んだ眼孔、大きく丸い鼻に結んだ口元の迫真的な相貌表現は、
まさに叡尊の真を写したと言っても過言ではない。


d0037233_14475920.jpg
d0037233_14481218.jpg
重要文化財「愛染明王坐像」
鎌倉時代、木造彩色、像高は31.8㎝、愛染堂安置。
愛染堂の厨子内に安置される秘仏愛染明王坐像である。
宝瓶に支えられた大円相内の赤色蓮華座上に坐しており、
三目六臂で瞋目、頭髪は焔髪を逆立て、
獅子冠を載せ、獅子頭に五鈷鈎を置く。
檜材寄木造、玉眼嵌入で、截金彩色をはじめ持仏・装身具ともに
造像当初のままを伝えている。

d0037233_14580719.jpg
d0037233_14583131.jpg
国宝「月輪牡丹蒔絵経箱」
鎌倉時代、蒔絵、縦32.7㎝、横20.3㎝、高さは14.0㎝。
「金光明最勝王経」を納める長方形の二段重ねの経箱である。
蓋には緩やかな甲盛りがあり、金の研出蒔絵の技法を用いて、
蓮華座の上に大きく月輪をあらわし、輪郭には細かい粉を密に蒔くき、
月輪の内側には荒目に粉を疎らに蒔いて、強弱を表現する。
総体黒漆塗で、側面から蓋鬘にかけて牡丹の花枝を大きく描き、
蓋裏には蝶々をあらわす。

d0037233_15192454.jpg
重要文化財「文殊菩薩騎獅座像(及び四侍者像)」
鎌倉時代、木造彩色、像高82.5㎝、本堂安置。
右手に宝剣、左手には経巻を載せた蓮華茎を持ち、
獅子の背中の蓮華座上に結跏趺坐して騎乗する文殊菩薩像である。
高く髻を結い、肉身は金泥による紛溜塗とし、
衣は盛上彩色にによって華麗ンいあらわされ、衣文のしのぎも高く、
総じて鎌倉時代後期の装飾性が見られる。
造像仏師の名は明らかでない。
d0037233_15370975.jpg
d0037233_15372406.jpg
重要文化財「大黒天立像」
鎌倉時代、木造彩色、像高は82.7㎝。
頭に烏帽子を被り、袴姿で左肩に大きな袋を背負い、
右手の拳を握って腰に当てて、草鞋を履いて直立する姿に亞ラわされる。
わが国では鎌倉時代以降、厨房神・財神として祀られる場合が多い。
像内には木造大黒天の小像他の納入品が納められていた。


d0037233_15465726.jpg

重要文化財「聖徳太子立像(孝養像)」
鎌倉時代、木造彩色、玉眼、像高は119.7㎝、元興寺蔵。
父用明天皇の病気平癒を祈る16歳の聖徳太子の姿を
あらわした孝養太子像。
像内納入品中の文書に、木像を造った善春以下9人の仏師と
11人の絵仏師の名が記されている。
1268年(文永5年9の作。

d0037233_15563735.jpg
まだまだ数多くの仏像その他が出展されている。

愛染明王像について追記:
上記の愛染明王坐像は秘仏で、西大寺で参観できるのは、
1月15日~2月4日と10月25日~11月15日の期間に限定されている。
普段愛染堂で観られるのは御前立像の愛染明王坐像(江戸時代の作)である。
西大寺にはもう一体、鎌倉時代の作で、重要文化財の愛染明王坐像が
安置されていたのだが、現在は奈良国立博物館が保管している。
京都高雄の神護寺にも鎌倉時代の作で重要文化財、愛染明王坐像が
安置されていたのだが、現在は東京国立博物館が保管している。


# by toshi-watanabe | 2017-04-19 15:59 | 寺院・仏像 | Comments(2)

d0037233_09373389.jpg


講談社文庫の伊東潤著「峠越え」を読み終える。
昨年「天下人の茶」(すでに読書ノート書き込みあり)にて
著者は直木賞受賞を受賞されている。

作品「峠越え」は2014年に中山義秀文学賞を受賞されている。

「峠越え」とは勿論、徳川家康の伊賀越えの話である。

凡庸を絵にかいたような竹千代(のちの家康)は

今川家の人質として過ごした幼き頃、

通称大師と言われる名僧太原雪斎の教えを受け、

師の教えを竹千代は生涯忘れることはなかった。

今川義元に偏諱をもらい元信、次いで元康と名乗るが、

今川氏から独立した後に今川家からの独立を明示するため

「元」を返上して家康に改める。

家康は信長と同盟関係を結んだとはいえ、

頭の回転の速い信長の考えることや信長の行動について行けない。

信長の方は、部下でもない家康を信用せず、あれこれと試す。

あらぬ疑いをかけられ、家康は正室瀬名(築山殿)を殺害、

嫡男松平信康を自刃に追いやる。

越前の朝倉義景に上洛するよう求めるが、無視されたため、

信長は援軍要請に応じた家康一行も含め、

義景討伐軍3万を率いて越前の国へ入る。

ところが信長の義弟、浅井長政が寝返り、退路を断たれる。

挟み撃ちになっては面倒と、信長は即退却を決意する。

名乗り出た秀吉と共に、家康が殿軍に加わるようにと信長は言う。

家康を試そうとした、信長の真意を後になって家康は気付く。

信長に呼ばれて安土を訪れた家康は、接待を受けるが、

鯛の刺身が傷んでおり、家康は食すのをやめる。

目ざとく気づいた信長は怒り心頭、饗応役の明智光秀を

足蹴にする。

このことが光秀の恨みを引き起こし、本能寺の変に至ると

通常言われている話である。

ところが本書では、異なる見方をしている。

信長と光秀は、家康の前で芝居を打ち、

これが家康を陥れる仕掛けになるはずだった。

その後家康は信長の勧めもあり、大阪、堺見物に出かける。

堺の今井宗久邸でお茶をいただいていると、

信長が京に到着との急な知らせが入り、直ちに家康に

京に来るようにとの伝言が届く。

ほかの茶会にも呼ばれており、旅の疲労もあり、

その夜はゆっくり休みを取り翌朝、京へ向かうことにする。

ところが、その夜。明智光秀の一隊が信長の滞在している

本能寺に攻め込み、信長は非業の死を遂げる。

実は、その夜、信長は家康を招いて茶会を催し、

途中で信長は本能寺を抜け出し、家康一行が残る本能寺に

光秀たちが攻め込む手筈になっていた。

家康は信長の殺意を事前に把握して、

運よく己の命を落とさずに済んだのである。

危うく危機を逃れたものの、家康一行は堺からの逃避行が始まる。

所謂「伊賀越え」で、家康にとっては生涯で最も苦難に満ちた、

命からがらの逃避行であった。

この物語のクライマックスである。

堺→和泉→平野→八尾→飯盛→尊延寺→草内→郷ノ口

→山口→朝宮→信楽→神山→多羅尾→御伽峠→西山

→丸柱→河合→柘植→加太→関→亀山→白子、
命を狙われながらも無事峠を越えて、

白子からは船に乗り大浜へ、そして陸路で岡崎へ戻る。

部下にも呆れられる凡庸な武将、家康にのしかかっていた、

今川、武田、織田の強大な勢力の重石がなくなり、

いよいよ天下人としての家康への第一歩が、

これから始まる。



# by toshi-watanabe | 2017-04-11 09:38 | 読書ノート | Comments(0)

新宿御苑でお花見

昨4月6日は朝から晴れ間も見え、お花見に出かける。
新宿御苑の新宿口に行くと、入口の門のところには大勢の人たち、
列もみだれて大混雑の様相。
手荷物検査が行われており、特にアルコール飲料の持ち込みは厳禁。
検査が済むと、今度は入場券の販売窓口に長蛇の列。
大人一人、入場料は200円也。

58ヘクタールもの広々とした苑内だが、すでに大勢の見物客が見られる。
皆さん、お花見日和を逃すまいと、やって来られているのだろう。
誰もが思いは同じ。
海外から来られている方たちもずいぶんと目につく。
東京九段、靖国神社のソメイヨシノの開花宣言があったのが、
確か3月21日、すでに2週間を超えている。
桜の花は満開、まさに春爛漫の桜一色である。

d0037233_14411237.jpg
d0037233_14411948.jpg
ソメイヨシノが最も多いが、御苑には60種類以上の桜の樹がある。
満開になったばかりなのが、「アメリカ」。
かって米国に送られたソメイヨシノの実生から生まれた品種で、
ソメイヨシノに比べて花が大きい。
現地では「曙」と呼ばれたが、日本国内にはすでに同名のものがあり、
「アメリカ」とされた。

d0037233_14412738.jpg
d0037233_14413340.jpg
d0037233_14414126.jpg
もう峠を過ぎた感じの「陽光」。
d0037233_14460116.jpg
「シュゼンジカンザクラ」(河津桜のような品種)や「ヒマラヤヒザクラ」
等はすでに花の時期を終えている。
苑内を散策すると、いたるところに「ソメイヨシノ」。
枝を地面に届くほどに伸ばし、数えきれない花をつけている。
d0037233_14461291.jpg
d0037233_14462377.jpg
d0037233_14463314.jpg
d0037233_14464281.jpg
d0037233_14513943.jpg
これから満開の時期を迎える「枝垂桜」や「八重紅枝垂」。
d0037233_14514884.jpg
d0037233_14515626.jpg
d0037233_14520444.jpg
満開の時期を過ぎたと思われる「大島桜」。

d0037233_14521114.jpg
d0037233_14563657.jpg
「太白」。
d0037233_14564558.jpg
「白妙」。
d0037233_14565463.jpg
「朱雀」。
d0037233_14570249.jpg
同じ桜でも、「ウコン」、「関山」、「御衣黄」、「フゲンゾウ」、
「一葉」などは、未だ固い蕾のまま。

桜以外にも、春の花が見られる。
「花海棠」。
d0037233_14571016.jpg
「木瓜」。
d0037233_14594896.jpg
壁面の如く、「深紅の椿」がぎっしりと咲いている。
d0037233_14595737.jpg
「土佐水木」と「支那水木」の黄色い花。
d0037233_15000709.jpg
d0037233_15002182.jpg
「花梨」。
d0037233_15003092.jpg
草花も咲いている。
「射干」。
d0037233_15044288.jpg
「花韮」。
d0037233_15045012.jpg
「クリスマスローズ」。
d0037233_15050075.jpg
ピンクと白色の「踊子草」が群生している。
d0037233_15050871.jpg
d0037233_15051668.jpg
「一輪草」も。
d0037233_15052420.jpg
途中、エコハウスの「レストランゆりのき」にて、昼食をとり、
すっかり苑内の散策を満喫する。












# by toshi-watanabe | 2017-04-07 15:08 | 季節 | Comments(0)

d0037233_10564339.jpg


幸田真音さんの最新作「大暴落 ガラ」を読み終える。
「ガラ」とは、相場用語で急激にすべてが値を下げること。

暴落よりもさらに恐怖感をともなう強烈な下げを意味し、

通常は回復までに長時間を要する。

時は今から2年後、この物語の主人公、

三崎晧子(みさきこうこ)が日本初の女性総理大臣に

就任したところから、この物語は始まる。

前総理の山城泰三が病のために続投不能に陥り、

次期総理選出のため、突然政権与党内の総裁選挙へ突入。

候補者5名のなか晧子は紅一点、大接戦の末、

晧子を破って与党の新総裁に選ばれたのは小関嗣郎、

前評判通りの結果で与党の古株である。

ところが周囲の予想に反して、内閣総理大臣への

首班指名されたのは三崎晧子だった。

本来であれば、与党の総裁がそのまま総理大臣になるのが

通例なのに、思いがけなく与党の一部に加えて野党側の支持を受け、

晧子が選ばれ、大騒ぎとなる。

組閣人事を進めている最中に、東京に巨大な自然災害の発生が

起こりそうな気配になる。

東京の下町を流れる荒川の上流、埼玉県の秩父地方に大雨警報が出、

猛烈な勢いで増水し東京に向かって流れ始め、しかも大型台風が二つ、

東京方面に近づいているという深刻な状況にあり、

荒川の堤防が決壊する恐れが出てきた。

東京の下町一帯が浸水するばかりでなく、地下鉄などの地下に

大量の水が流れ込んでは大変な事態になる。

総理は緊急非常事態の宣言に追い込まれる。

時を同じくして、ロンドン為替市場で突然円売りが始まり、

中央銀行である日本銀行の債務超過が危惧されたのか、

日本の通貨の失墜がどこまで行くのか、金融関係者に激震が走る。

新規国債の入札にも応じる金融機関もなく延期となる。

若い頃、米国系の投資銀行に在籍した経験のある晧子も懸念する。

東京の大災害が起こった場合には、さらに事態を悪くする。

過去にハリケーンによる大災害がニューヨークの金融市場に

ダメージを与えたこともある。

現場では夜を徹して最大限の対策をたてたのだが、荒川は氾濫し、

結局700名近い犠牲者を出してしまう。

総理の指揮にも拘らず、担当大臣の動きは鈍く、

与野党ともに防災に無関心で行動せずの状況だった。

それにも拘らず、トップの初動が手遅れだったと非難するばかり。

船会社のクルージング船に被災者を避難させたり、

総理自ら色々と手を尽くし、犠牲者を増やさずに済んだ。

天候の回復とともに、復興作業は直ちに開始、円安も収まり、

心配されていた国債入札も再開される。

大暴落になる事態は何とか防げた。

臨時国会が召集され、冒頭に三崎晧子総理大臣は

所信表明演説を始める。

野党からの嫌がらせやヤジが盛んに飛ぶ中、晧子は滔々と思いを語る。

この場面が物語終盤のハイライト、この小説の最も面白い場面である。

現実に即した場面もあり、

巨大な自然災害が首都東京に起きたら、どうなるのだろうと、

大いに考えさせられた。

過去の災害を思い返してみても、いつも後手後手にまわっている。

反省総括はするものの、

その後この経験が対策に全く生かされていないのが実情。

同じことの繰り返し、情けない限りだ。

この小説、日本初の女性総理を主人公に持ってきたところが、

一つのポイントなのだろう。

小池百合子東京都知事とダブるようなところも見られた。




# by toshi-watanabe | 2017-04-04 10:56 | 読書ノート | Comments(0)
3月31日はパソコン勉強会の仲間とお花見撮影会。
午前10時半、JR中央線の武蔵小金井駅の改札口にて集合。
今回は6名が参加する。
駅前からバスに乗車し、5分ほどの距離、
玉川上水を通り越せば、目的地の「小金井公園」である。

私にとっては初めての場所だが、
女性のMさんがご存じで、計画を立てていただいた。
昭和29年(1954)に開園した東京都立の公園、
80ヘクタールほどの広さがある。

d0037233_14133705.jpg
入口を入ると、そこは「桜の園」、
すくなくともソメイヨシノは今頃満開のはずだったのだが。
ちらほら花の咲いている樹木が数本見えるだけ。

d0037233_14140978.jpg
菜の花は今まさに満開である。
d0037233_14143546.jpg
d0037233_14144833.jpg
わずかに咲いているソメイヨシノ。

d0037233_14182780.jpg
d0037233_14184847.jpg
d0037233_14185711.jpg
辛夷の花が咲いている。
d0037233_14193422.jpg
桜の一種「陽光」、ピンク色の花が満開。
d0037233_14211795.jpg
d0037233_14210756.jpg
すでに咲き終えている「大漁桜」。
d0037233_14215482.jpg
これから花の開く桜の樹木。
d0037233_14214694.jpg
d0037233_14243377.jpg
d0037233_14251625.jpg


どんよりとした曇り空で、外は寒い。
公園内にある「江戸東京たてもの園」に入る。
ここは有料となっている。
シニア向けの特別料金もあり。
平成5年(1993)に江戸東京博物館の分館として発足。
江戸東京たてもの園の敷地面積は約7ヘクタールある。
東京の歴史的な建造物が失われつつあるのを防ぐため、
現地保存の難しい文化価値の高い歴史的建造物を移築し、
復元・保存・展示するとともに、
貴重な文化遺産として時代に継承することを目指している。

先ずは腹ごしらえと、
復元建造物の一つ「デ・ラランデ邸」内にある
カフェ「武蔵野茶房」に入り食事をとる。
私自身は、カレーライスと生ビールをいただく。
d0037233_14255296.jpg

食後は、園内の復元建造物を巡る。
「三井八郎右衛門邸」の庭を散策する。

d0037233_14405470.jpg
庭から屋敷を望む。
d0037233_14411517.jpg
見事な枝垂れ桜が満開である。
d0037233_14411974.jpg
d0037233_14413424.jpg
山茱萸も満開。
d0037233_14414413.jpg
蕗の薹と馬酔木。
d0037233_14434102.jpg
「高橋是清邸」の前には、原っぱが広がり、
今を盛りと「紫花菜(むらさきはなな)」の大群生。
d0037233_14432755.jpg
d0037233_14435937.jpg
「高橋是清邸」を見学する。
二階の居間からは手入れの行き届いた庭が見渡せる。
2・26事件の際に高橋是清蔵相が殺害された部屋もそのまま。
硝子戸のガラスは明治時代のもの。
d0037233_14441734.jpg
d0037233_14495942.jpg
d0037233_14500496.jpg
園内の道を歩いていると、山野草などが目に付く。
富貴草、破れ傘、それに朱い色の馬酔木。
d0037233_14503072.jpg
東ゾーンの一角は、昔の商家(荒物屋、乾物屋、醤油店)、銭湯、居酒屋などが立ち並ぶ。
d0037233_14522500.jpg
d0037233_14530370.jpg
d0037233_14532192.jpg
旧自証院霊屋、皇居正門石橋飾電燈、下谷消防署の望楼上部なども見られる。
d0037233_14533485.jpg
未だ見学できなかった建造物も多々あり、
もう一度訪れてみたいと思う。










# by toshi-watanabe | 2017-04-02 15:03 | 季節 | Comments(2)
春のお彼岸、墓参りに3月23日早朝出掛ける。
朝6時に出発したのだが、平日でもあり、走る車の量も多い。
東名から首都高3号線に入る用賀料金所手前で先ず渋滞が始まる。
千葉県松戸市にある都営八柱霊園には7時半ごろ到着。
暫く誰も墓参りに来ていないと見えて、だいぶ荒れ放題。
周りをきれいにして、生花を供え、香を焚き、お祈りする。
朝食に持参したサンドイッチなどを食べて、
9時ごろ霊園を発つ。
霊園裏の桜並木のトンネルは未だ固い蕾のまま。

東京外環道から関越道へ。
多少渋滞はしているものの、車の流れはいい方か。
途中の高坂SAでトイレ休憩。
前橋ICで高速を降り、17号線から高崎環状線に入る。
この環状線の両側は、白木蓮の並木が続く。
今ちょうど満開を迎えている。
フルーツ街道と呼ばれる406号線に入る。
榛名町に入り、いつもの通りパワーセンター・ショッピングセンターに
立ち寄り、食料品や雑貨を仕入れる。
長時間のドライブの末、午後1時過ぎに倉渕に到着する。

遅いランチを済ませて外を眺めると、
青空なのに、雪がちらちら舞っている。
まだまだ春には遠い気候だ。
夕方には、薪ストーブに火を入れる。

それでも早春の花が咲いている。

春蘭。

d0037233_15145589.jpg
クリスマスローズ。
d0037233_15154519.jpg
d0037233_15155444.jpg
ロウバイがまだ咲いている。

d0037233_15164673.jpg
d0037233_15165675.jpg
水仙。

d0037233_15173540.jpg
d0037233_15174540.jpg
d0037233_15175439.jpg
ムスカリ。

d0037233_15184617.jpg
菫。
d0037233_15185455.jpg
翁草が早くも咲き始め。

d0037233_15195820.jpg
可憐な雪割草。

d0037233_15202760.jpg
d0037233_15203893.jpg
山茱萸。

d0037233_15212137.jpg
d0037233_15212964.jpg
韮花。

d0037233_15215639.jpg
蕗の薹。
d0037233_15220563.jpg
紅梅と白梅。

d0037233_15225872.jpg
d0037233_15230617.jpg
24日も寒かったが、25日は終日快晴で日中は春の暖かさ、気分もよくなる。
所が翌る26日の朝、起きだして外を眺めると、何と一面の銀世界。
雪が深々と降り続いているではないか。
積雪で車がスリップするようなことにはなっては大変と、
(急な山道の上り下りがあるので)
予定を一日早めて、朝食後に帰ることにする。
d0037233_15274203.jpg
d0037233_15275208.jpg
d0037233_15280155.jpg
思いもよらぬ春の雪だった。








# by toshi-watanabe | 2017-03-28 15:28 | 季節 | Comments(4)

d0037233_09101237.jpg


火坂雅志の著書「気骨稜々なり - 島井宗室」を読む。
急性膵炎のため58歳で亡くなられた火坂さん、
ついひと月前に三回忌を迎えたばかりである。

日経新聞夕刊に2013年から14年にかけて連載された

長編作品「天下 家康伝」が遺作となり、

これから大いに期待されていただけに早い旅立ちを惜しまれた。

本作品は、201310月にハードカバーで出版されているが、

最近、小学館文庫として出された改訂最新刊を手にする。

博多の三傑と称される、豪商で茶人の鳥井宗室の話である。

鳥井徳太夫、のちの宗室の父、茂久は博多練酒(乳酸発酵

させた香りのいい白酒)の造り酒屋を営んでいたものの、

根っからの放蕩者で、妓楼などに通い詰めるなど、

散財を繰り返し、店も傾き人手に渡り、

借金取りに追われ、いずこかへ行方をくらました。

母は苦労の末に、病で世を去った。

残された徳太夫の前には、借財の山だけが重くのしかかった。

17歳の時、徳太夫は店と家財を売り払い、ほとんど夜逃げ同然、

船に乗り込んで朝鮮に渡った。

釜山の港町で目を付けたのが茶道具。

この頃、日本では武家や豪商の間で茶の湯が大流行し、

人々は金に糸目をつけず、茶壺、茶入、水指、茶碗などの

茶道具を買い求めていた。

茶道具の目利きの腕を上げ、次第に販路を広げ、

博多に大店を持つまでになる。

堺にも出かけ、津田宗及、千宗易、今井宗久らとも知り合う。

特に、宗及の叔父にあたる津田道叱には目をかけられる。

北九州東部で勢威を誇り、九州一の富裕を誇る

大友義鎮(宗麟)の元を道叱と共に訪れ、

大井戸茶碗を持ち込む。

一目見て気に入った義鎮は、五千貫文でもそなたの言い値で

買い上げて遣わすというのだが、折角ですがお売りできませぬと、

徳太夫は言う。

二人の間で丁々発止と交わされる会話の場面は

絶秒に描かれており実に面白い。

最後には、

「金を積まれて、より高い方に品を流すとあっては、

商客の誇りが許しませぬ。 代金は無用、

大友さまに献上させていただきます」

と、小面憎いほど落ち着いた態度で、徳太夫は言った。

これですっかり大友宗麟に気に入られた徳太夫は、藩の御用商人となる。

徳太夫は唐舟を手に入れ、永寿丸と名付けて、

朝鮮や明ばかりでなく、琉球から安南その他南方まで商圏を広げる。

博多は地の利も得て一段と栄えるのだが、毛利氏、島津氏など、

領土を狙う戦国時代、五度にわたって、兵士が火をつけて、

繰り返し博多の町は焦土と化してしまう。

店を任せていた妻の美音(対馬の商人梅岩の娘)も、

店ともども焼死する。

徳太夫は悲嘆を乗り越え、そして博多の町も活気を取り戻す。

世に名高い楢柴肩衝の話も出てくる。

天下の三大名物肩衝の一つで、残る二つは初花肩衝と新田肩衝。

楢柴肩衝を手に入れた徳太夫は町を救うために、

秋月種美に無償で献上する。

後に秀吉が手に入れるところとなる。

(さらには家康の手になるが、江戸の大火により焼失)

著者が茶道具についてかなり調べられているのがよくわかる。

徳太夫49歳の時に三成の勧めで、二度目の妻を迎える。

博多の年行司(町衆の代表)の一人、神谷宗湛の養女で

名をお鶴という。

徳太夫は若い頃の宗湛(貞清)の面倒をよく見たものだが、

自分自身も年行司となり、ともに博多を代表する豪商となった。

武家にならぬかとの誘いを断り、

やがて京の大徳寺大仙院にて、津田道叱の紹介を得、

古渓宗陳の導きで、徳太夫は剃髪し出家する。

道叱の一字をもらい、宗叱に、そして宗室となる。

物語を最後に盛り上げるのが、秀吉との対面。

唐入りを目指す秀吉は、十八万人もの大軍を朝鮮国へ派遣すべく、

朝鮮の内情を知るために徳太夫を京の聚楽帝に呼び出す。

上段には秀吉、中段には家康、利家、景勝、秀家、輝元と、

豊臣家に連なる大名たちが居並ぶ。

下段の鳥井宗室は朝鮮の地理や内情を説明するが、

朝鮮経由で明国入りを目指す秀吉の意図に強く反論する。

居並ぶ武将たちは口を出さず黙ったまま、

秀吉はついに激昂、あわや刀に手をかけるという場面、

この物語も最高潮となる。

実子のいなかった宗室は養子を迎え、名を信吉という。

鳥井家十七か条の遺訓を残す。

元和元年(1615)824日、鳥井宗室は77歳の生涯を閉じた。


著者の三回忌に当たり、ご冥福を祈るばかりである。

合掌



# by toshi-watanabe | 2017-03-22 09:13 | 読書ノート | Comments(0)