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浅田次郎さんの最新作「おもかげ」を読み終える。

この作品は、一昨年から昨年にかけて毎日新聞に連載され、

ハードカバーとして昨年末に出版された。

主人公の竹脇正一(たけわきまさかず)の入院先を

旧友の堀田憲雄が訪れるところから、物語は始まる。

二人は同期入社で社宅住まい以来仲の良い間柄

であったのだが、堀田は今や本社の社長。

竹脇は60歳の定年前に関連会社の役員として転出し、

新しい勤務先のトップとして5年の務めを無事果たす。

送別会が開かれ、花束を抱えて荻窪の自宅へ帰る途中、

お供の車を断り、通いなれた地下鉄丸ノ内線に乗ったのだが、

竹脇は車内で倒れ、そのまま中野の病院へ緊急搬送される。

倒れた原因は脳出血、出血がひどく手術は無理、

意識がないまま集中治療室のベッドに眠る竹脇のそばには

妻の節子が見守っていた。

この小説は、主人公が意識の戻らないまま、

眠るように最期のときを迎えて幕を閉じるのだが、

色々な人物が登場し、病人を連れだしたりして、

と言っても意識のない病人が出歩けるわけもなく、

分身というのかもう一人の竹脇が誘われて外出する。

そこで思わぬことを体験したり、昔話が出て、

次第に竹脇正一という人物像が解き明かされて行く。

読者を混乱させることもなく、

物語の中に入って行ける、面白い筋立てとなっている。

戦後の昭和20年代の混乱時代に生まれた竹脇は、

両親の顔も知らず、どういう事情があったのかもわからず、

赤ん坊の時から養護施設(当時の孤児院)で育つ。

能力は優れ、高校から奨学金の得られやすい国立大学へ。

そして運よく一流企業に就職できた。

妻の節子と結婚する際、空白の戸籍謄本を見せたものの、

節子からも特に聞かれることもなく何も説明せずのまま。

一方節子は、両親が離婚、その後は父親も母親も好きな相手と

一緒になり、節子は無視され父方の祖母に育てられ、

両親とは血縁にありながら、一切の交信もなし。

正一が施設で暮らしていた時に仲のよかった仲間が

永山徹という男で、今では土木関連の仕事を請け負う親方。

二人は同い年で気が合い、今でも付き合いがある。

徹のところで働く若者、大野武志(タケシ)は縁あって、

正一の娘、茜(あかね)と所帯を持ち、すでに二人の娘がいる。

正一と節子にとっては孫娘である。

タケシの母親はシングルマザー。息子の面倒をみずに

男のところへ出掛け好き勝手、ぐれたタケシは少年院入り。

その後、永山徹のお陰で、まっとうな生活ができるように育った。

実の母親の居場所は知っているものの、口にはせず。

集中治療室ICUの部屋はパーティションとカーテンで仕切られ、

もう一人の患者がベッドに横たわり、命が尽きようとしている。

榊原勝男という老人で、年齢は80歳。

息子が大阪にいるらしいが、連絡をしてもアクションを起こさず。

榊原は竹脇に声をかけ、二人で出かけようと誘う。

これからはあり得ない話だが、病院を抜け出して行く。

榊原馴染みの銭湯に入りひと風呂浴び、湯上りには

近くの公園に店開きしている屋台、リヤカーを改造した

古式豊かな屋台に立ち寄り、一杯遣りながら、

昔話を続ける。

榊原は昭和20310日の東京大空襲で、家族を失い戦災孤児となる。

その日のことは全く記憶にないと本人は語る。

孤児たちがグループを作り、盗みなどいろいろと悪さをしたらしい。

ちょっとませた峰子という女の子がグループのリーダー格だった。

物語の終盤で、この峰子が登場する。

戦後進駐軍の目立つ頃、彼女は15歳の若さで妊娠、

父親もわからぬまま男の子を出産、

とても育てることもできず、地下鉄の車内に赤ん坊を置いたまま

行方をくらましてしまう。

読者の想像に任せるだけだが、この赤ちゃんが孤児院に引き取られ、

そのまま成長していればちょうど65歳になる。

主人公はそのまま眠りについて、物語は終わる。

平成もあと1年ちょっとで幕を閉じるが、

昭和の時代もすっかり遠くになった。

浅田文学の傑作の一つだと思う。






# by toshi-watanabe | 2018-01-22 13:11 | 読書ノート | Comments(0)


眼鏡店「パリーミキ」の日本橋本店に立ち寄り、
最近緩くなった眼鏡のつるを調整していただく。
ついでにクリーニングも。
この店でお世話になるのも、もう40年以上になる。
何度眼鏡を新調したことか。


眼鏡がすっきりしたところで、三越の日本橋本店にも立ち寄る。
新館の7階催物会場にて
写真展「オードリー・ヘプバーン」
が開催されているので、覗いてみる。
ご婦人方、それも我々年代の方たちで会場内は込み合っている。




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写真はパンフレットより。


オードリー・ヘプバーンは憧れの女優さんだった。
最初に見た映画が「ローマの休日」、実に楽しい映画だった。
相手役はグレゴリー・ペック、まさにローマの休日。
この映画で、オードリーはアカデミー主演女優賞を受賞。
その後も、「麗しのサブリナ」、「戦争と平和」、
「昼下がりの情事」、「緑の館」、「尼僧物語」、
「許されざる者」、「ティファニーで朝食を」、「噂の二人」、
「シャレード」、「マイ・フェア・レディ」と
ずいぶん彼女の主演映画を観ている。


今回の写真展でも、それぞれの映画作品に関連した
写真が展示されており、色々と場面を懐かしく思いだす。
「昼下がりの情事」での相手役はゲイリー・クーパー、
最後のリヨン駅での場面は印象的だ。
テーマ曲は「魅惑のワルツ Fascination 」。
「ティファニーで朝食を」のテーマ曲となったのが、
「ムーン・リバー」、オードリーが映画の中で歌っており、
この曲はアカデミー歌曲賞を受賞。
ヘンリー・マンシーニ―はオードリーをイメージして、
作曲したと説明書きがあり。
アンディ・ウイリアムスの歌う「ムーン・リバー」がポピュラー。


1966年、初めて米国に渡り、1週間ほどニューヨークに滞在中、
偶然ラジオシティミュージックホールに入ったのだが、
上映していた映画が、「おしゃれ泥棒」、
元の題名は "How to Steel a Million"
初めて字幕なしの英語の映画を観たわけで、
英語に戸惑ったが、分かり易い内容だったので、
大変面白く観たのを記憶している。
劇場がまた素晴らしかったし、ロケッツのラインダンスも見事だった。


その後も「暗くなるまで待って」を観ている。
オードリー・ヘプバーンは、一時映画界から離れていたが、
再びスクリーンに姿が現れたのが、「ロビンとマリアン」、
彼女が出演した唯一の西部劇だろう、
可成り老いたショーン・コネリーとの共演だった。


オードリー・ヘプバーンファンにとっては、
見逃せない写真展だろう。
























# by toshi-watanabe | 2018-01-20 10:16 | 一般 | Comments(2)

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内田康夫さんの作品、「城崎殺人事件」を読み終える。
徳間文庫して最近出版された新装版、640円+税。
徳間文庫として最初に刊行されたのは
1992年、

内田さんの長編小説としては43番目の作品。

この作品は、珍しく母親、浅見雪江のお供で、

光彦が城崎温泉を訪れ、現地の事件に巻き込まれる物語。

母親は専ら城崎温泉名物の七つの外湯めぐりを楽しむ。

若い世代の人たちは伊豆半島の城ケ崎と勘違い

するかも知れないが、兵庫県の日本海に面した

城崎(きのさき)である。

平安時代から城崎温泉の名は知られ、

旅館には内湯がなく宿泊客は外湯を使うのが当たり前だった。

昭和2年に、三木屋旅館の庭から源泉が発見され、

旅館内に内湯を設けたのだが、土地の伝統に反すると

裁判沙汰にまで発展、やっと解決したのが戦後の昭和25年、

各旅館が内湯を持てるようになったのだが、

それも七つの外湯を第一に考え、旅館内の内湯は

小規模にするという条件付きだった。

現在もその流れは続いている。

浅見親子が投宿したのは、上記の「三木屋旅館」。

創業300年の歴史を誇る由緒ある宿。

かって志賀直哉の定宿で、志賀直哉は何度も訪れている。

そこから名作「城の崎にて」が書かれた。

偶々、光彦たちは古びた空き家のままの幽霊ビルの前を通り、

ビル内で死体が発見されたばかりの場面に行きあたる。

例の如く、浅見光彦探偵は不審を抱き、首を突っ込んでしまう。

このビルは、金の先物取引の詐欺事件で悪名高い

保全投資協会が所有している建物。

この詐欺事件の解決に当たって活躍したのが光彦探偵。

とはいえ解決したのは東日本関連の半分だけで、

残りの半分、西日本の部分はまだ不明となっていた。

母親の希望で、光彦はレンタカーを借りて、

日和山(ひよりやま)海岸へ向かう。

因みに日和山という地名は北海道から九州鹿児島まで、

全国津々浦々に多数存在するが、豊岡市の日和山である。

ところが坂道を下りながら、ブレーキが利かないのに気づく。

ハンドル操作をするのが精いっぱい、ようやく登り坂にかかって、

道路わきに寄せ、スピードの落ちたところでガードレールに接触させ、

辛うじて停車、命拾いをする。

明らかに誰かが悪意を持って、ブレーキオイルが漏れるようにしたのか、

点検を怠り整備不良だったと思われる。

だがレンタカー会社は、あらぬ疑いをかけられて憤慨する。

その後、光彦は、ある人物を訪ねて行く途中で、

車が横向きにとめられており、前に進めず、

そして近くで死体が発見される。

被害者はレンタカー会社の主だった。

第一発見者として光彦は警察からは疑いの目で見られることに。

母親のお供で城崎温泉に訪れた旅にすぎないにも拘わらず、

光彦を貶めようとしているのではと、

闇の魔手を光彦自身は気になり始める。

こうして光彦探偵の推理が動き始めるのだが、空回りするばかり、

なかなか解決の糸口がつかめない。

浅見親子が腰を上げて帰途に就こうという直前に、

光彦探偵はあることに気づく。

そして一挙に解決へ向かう。

この小説も伝説シリーズの一作に含まれる。

「土蜘蛛伝説」が絡んでくる。

上古日本において朝廷天皇に恭順しなかった土豪

のことを土蜘蛛と呼んだようだ。

伝説好きの読者には大変興味深いだろう。

結局この小説も一挙に読んでしまう。

小説には登場しないが、城崎温泉には数多くの

文豪が訪れている。

その一人、与謝野晶子の歌を紹介したい。

「日没を 円山川に見てもなほ 夜明けめきたり 城の崎くれば」







# by toshi-watanabe | 2018-01-13 11:35 | 読書ノート | Comments(2)



葉室麟さんの最新作「天翔(あまか)ける」を読み終える。

幕末から明治にかけて時代をリードした一人である

第16代越前福井藩主、松平春嶽(慶永)の物語である。

激動の時代を、春嶽を通して見事に描いた力作だ。

おそらくこの作品が葉室さんの遺作であろう。

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春嶽は徳川御三卿の田安徳川家第3代当主、

徳川斉匡(なりまさ)の八男として生まれ、

第15代越前福井藩主、松平斉善(なりさわ)の養子に。

また時の将軍、徳川家慶の従弟に当たる。

幕末四賢侯の一人に数えられた。

他の三侯とは、伊達宗城(むねなり)(宇和島藩第8代藩主)、

山内容堂(豊信/とよしげ)(土佐藩第15代藩主)、

そして島津斉彬(なりあきら)(薩摩藩第11代藩主)。

島津斉彬が亡くなった後は第12代藩主の父親で、

斉彬の異母弟、島津久光が加えられる。

春嶽は主として江戸屋敷に住み、多くの士と交わり、

幕末の動きを的確にとらえる。

海外からの圧力に対し国の進むべき道が

どうあるべきか真剣に考える。

生まれからして当然のことながら、徳川家を第一に、

徳川家を中心に物事を見てしまうところも。

春嶽の側近として仕えたのが藩士の橋本左内。

左内は適塾で蘭学を学び、水戸藩の藤田東湖、薩摩藩の西郷隆盛、

小浜藩の梅田雲浜や熊本藩の横井小楠などと知己を得る。

春嶽にとって左内は良き相談相手であるばかりでなく、

水戸藩や熊本藩との交流に役立つことに。

ところが、大老となった井伊直弼の「安政の大獄」の折、

将軍継嗣問題に介入したとされて、橋本左内は斬首される。

享年26歳の若さだった。

その後、側近として仕え、春嶽に最も大きな影響を

与えるのが横井小楠。

小楠は元来、熊本藩の藩士なのだが、藩の改革案が通らず、

春嶽の強い要望により、福井藩に招かれ、力を十分に発揮する。

西郷隆盛、勝海舟、坂本龍馬などとも意見を交わす場面もあり、

世の動きを的確に判断する春嶽の立場は重要性を増して行く。

時には大老に推挙される動きもあるものの、春嶽は乗らず。

当初一橋慶喜を支持していた春嶽だが、次第に考え方が違う方向に。

目まぐるしいほどに国内の情勢は動き、

一橋慶喜による太政奉還、そして公武合体と進み、

いよいよ明治の代に移るのだが、

京都で小楠が暗殺される。

春嶽にとっては大きな痛手となる。

明治新政府にも重要な地位を占める春嶽だが、

早々に役職を辞し、晩年は正室の勇姫と共にひっそりと過ごす。

因みに勇姫は熊本の出身である。

田原坂の激戦を最後に幕を閉じた「西南の役」を伝える

新聞に眼を通す春嶽夫妻の姿を描いて、この物語は終わる。

勇姫のところに熊本の実家から手紙が届き、

西郷隆盛が最期まで持っていたカバンの中には

橋本左内の手紙が入っていたと知り、春嶽は感涙する。

明治23年、松平春嶽は東京小石川関口台町邸で逝去。

享年63歳。

辞世の和歌が残されている。

「なき数に よしやいるとも 天翔(あまかけ)り

 御代(みよ)を守らむ 皇國(すめぐに)のため」

著書の題名は、この歌から選んだのだろう。

読者をひきつけてやまない、素晴らしい葉室作品である。

じっくりと読ませていただいた。

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葉室麟さんは、昨年末、12月23日に、

福岡市の病院にて病気のため逝去された。

病名は明かされておらず、葬儀は身内の方々で営まれた。

早すぎる旅立ち、実に惜しい。

改めて故人のご冥福を祈るばかりである。


合掌







# by toshi-watanabe | 2018-01-10 14:14 | 読書ノート | Comments(0)


平成30年が幕開け、昨日1月5日は「寒の入り」だった。
「小寒」ともいい、1年で最も寒い時期に入る。
実際、昨日はかなり冷え込み、寒い1日。
午前11時ごろ、スマホがけたたましく鳴り響いたのには驚かされた。
関東地方だけだったようだが、誤作動で、緊急地震警報が発せられたと判明。
とんでもないはた迷惑だが、唯うろうろするだけで、
何も対応できなかった己を顧みて、大いに反省。
真夜中には地震が発生し、可成りの揺れを感じた。
わが地元では、震度4を記録、巨大地震対策が肝要だ。

昨日の曇空を除き、関東平野は元日以来快晴に恵まれている。
関東でも群馬県北部の水上や草津方面では、
日本海側からの雪が降っている。
米国の東部、ニューヨークやニュージャージーでは、
寒波に見舞われ大雪、空港が閉鎖されたり。
一方欧州では、大雨で、ライン川なども水があふれそうとか。
世界的に異常気象のようだ。
好天候に恵まれた我々は本当に幸いである。

我が家のベランダからの初日の出。

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通路からの富士山の遠望。
手前に建物など、丹沢の山並み(?)もあり、
富士山の極上部だけだが。

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1月2日の夜は満月、スーパームーンが見られた。

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お節、雑煮にお屠蘇は例年通り。
日本酒は越後の銘酒「〆張鶴」をいただく。
どこも出かけず、駅伝をテレビ観戦したり、家でのんびりと過ごす。

寒さにめげず、ベランダのシャコバサボテンとキルタンサスの花が咲いている。


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本年もよろしくお付き合いのほど、お願い申し上げます。










# by toshi-watanabe | 2018-01-06 09:54 | 季節 | Comments(4)

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諸田玲子さんの最新作「森家の討ち入り」を読み終える。

「忠臣蔵」は数多くの作家により数多くの作品が出ているが、

この作品は、三人の義士に的を絞った歴史小説である。

美作国津山城を居城とする津山森家は

十八万六千五百石の大名だったのだが、

内記長継(大隠居)のあとを継いだ嫡男の忠継が

早世してしまったことから、森家のお家騒動が始まった。

改易の悲劇に見舞われた後、備中国西江原二万石を与えられ、

森家の名跡は遺された。

この騒動に伴い、津山森家の多くの家臣は職を失った。

森家の家臣の中で三人がすぐ隣の赤穂浅野家に

新たに仕える身となった。

神崎与五郎、茅野和助、そして横川勘平である。

彼等三人は、かって江戸郊外中野村の御囲築造にともに

従事するという不思議な縁を持つ仲間でもあった。

御囲とは、当時の五代将軍、犬公方と呼ばれた徳川綱吉の

「生類憐みの令」により野犬保護のために築造されたもの。

さて元禄151214日、

吉良邸に討ち入りを果たした赤穂四十七士の中に

浅野家に仕えるようになって間のない三人がいた。

プロローグの「長直の饅頭」とエピローグの「お道の塩」に

挟まれて、「与五郎の妻」で神崎与五郎を、

「和助の恋」で、茅野和助を、「里和と勘平」で横川勘平と

陰で支えた女性たちとの生き様が描かれている。

命を懸けて戦い抜いた、壮絶な人生であった。

討ち入り後、赤穂四十七士は四か所に別れて預けられ、

沙汰を待っていた。

与五郎、和助、勘平の三人が預けられたのは

三河国岡崎水野家の江戸中屋敷だった。

備中国西江原森家二万石の当主長直は、

この正月に32歳になったばかり、

かっては津山森家の家臣であった三人に饅頭を届けようと思案する。

長直は、宗家の津山森家二代長継の八男に生まれたが、

三代、四代の反目や四代の早世、つづく養嗣子の廃嫡と

お家お取り潰し等々の森家不幸が続き、西江原森家の当主になった。


赤穂浅野家がお家取り潰しとなった後、

奇遇にも、その数年後に長直は赤穂城主となった。

長直は赤穂の塩田に目を開かれ、

精魂込めて、日の本一の塩を造り、将軍家へ献上する。
因みに赤穂森家は明治の初めまで続く。


諸田さんらしい、きめ細かな素晴らしい物語となっている。





# by toshi-watanabe | 2018-01-05 08:55 | 読書ノート | Comments(0)



今年最後のパソコン勉強会があり、今週水曜日、国立まで出かけた。
国立は「くにたち」と読み、駅前の広い大学通りは
一橋大学のキャンパスに通じる。
勉強会の会場は、大学とは関係のない、小さな貸しスタジオである。
ノートパソコンは各自持参、Wi-Fi設備は整っている。
プロジェクターとスクリーンはお借りする。

Skypeで挨拶を交換する。
少々雑音が入るのも致し方なしか。
バンクーバー在住のFさんも現地から参加し、8人のパソコンが同時につながる。

秋のウィンドウズ10大型更新の際、
「フォト」に新たな機能が追加となった。
「Remix」と呼ばれる機能で、写真静止画を何枚か組み合わせて、
動画(ビデオ)が作成できる。
試行錯誤しながら、動画作成を勉強する。
動画作成には、すでに色々な方法があり、果たして優れものかどうかは、
まだよくわからない。
暫く試す必要がある。

4時間の勉強会のあとは、例の通り、駅前近くの
「ロジーナ茶房」にてお茶会となる。
かっては山口瞳や滝田ゆうなどがよく通っていた店である。
私を含め男性3人は、ハウスワインの赤をいただく。

数年前にご主人に先立たれ独り住まいのFさんは先月、
妹さんとお二人でニュージーランドへ10日間の旅を楽しまれた。
私と同じ年、お元気である。
南から北へ縦断され、広い草原を羊が駆け巡る
大自然を楽しまれてきたようだ。

女性のMさんは、お嬢さんの家族が仕事の関係でドーハに居られるのだが、
年末から新年にかけて、孫の面倒も兼ねて現地へ出掛けられた。
ところが、現地滞在中に突然、日本から急な悲しい知らせ。
奥多摩で一人住まいのMさんの実母が息を引き取られたとのこと。
急きょ帰国され、不参加の予定だった勉強会にも顔を見せられた。
享年97歳と、大往生ということもあり、Mさんもさっぱりした顔をされていた
のでほっとさせられた。
悲しみはこれからじわじわと出て来るのだろう。

さて6時半過ぎに帰宅すると、OB会の幹事Cさんから電話が入っていた。
折り返し電話すると、同じOB会の幹事をされているYさんの
奥様が、今月14日に亡くなられていたとのこと。
すでに葬儀も済まされていた。
12月に入り、知り合いの関連で訃報に接することに。
今年は多くの人を見送ることになったようだ。


合掌



# by toshi-watanabe | 2017-12-30 11:03 | 一般 | Comments(2)

作家の葉室麟さん逝く

葉室麟さんが12月23日に逝去されたとの訃報に接して、
突然のことで驚いている。

葉室さんは54歳の時に、作品「乾山晩愁」で
歴史文学賞を受賞されて作家生活にデビューされた。
江戸期の陶芸家、尾形乾山を描いた。

どちらかと言えば遅いスタートだった。
何度か直木賞候補になり、ついに「蜩の記」で直木賞を受賞された。
不祥事を理由に幽閉され、10年後の切腹を命じられた武士の物語。
この作品は映画化され、大きな評価を得ている。
享年66歳、わずか12年の作家生活だったが、
その間、50作を超える数多くの作品を世に送り出した。

作家になる前は、地方紙の記者などをしていた。
好んだのは、市井の人々に話を聞く「街ネタ」だったという。
それが歴史・時代小説においても、日々の暮らしへの
関心に繋がったようだ。

2015年には福岡以外に京都にも仕事場を構えた。
今年刊行した「墨龍賦」は京都を舞台に活躍した
江戸期の絵師、海北友松を主人公としており、
その成果と言えるだろう。
また「古都再見」も書かれている。

大好きな作家のひとりで、葉室さんの作品はほとんど読んでいる。
ファンとして、本当に残念である。
「まだまだ描きたい作品はある」と話していただけに、
早すぎる死が惜しまれる。

故人のご冥福を心より祈るばかりである。


合掌






# by toshi-watanabe | 2017-12-28 10:07 | 一般 | Comments(2)