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内田康夫さんの作品、「城崎殺人事件」を読み終える。
徳間文庫して最近出版された新装版、640円+税。
徳間文庫として最初に刊行されたのは
1992年、

内田さんの長編小説としては43番目の作品。

この作品は、珍しく母親、浅見雪江のお供で、

光彦が城崎温泉を訪れ、現地の事件に巻き込まれる物語。

母親は専ら城崎温泉名物の七つの外湯めぐりを楽しむ。

若い世代の人たちは伊豆半島の城ケ崎と勘違い

するかも知れないが、兵庫県の日本海に面した

城崎(きのさき)である。

平安時代から城崎温泉の名は知られ、

旅館には内湯がなく宿泊客は外湯を使うのが当たり前だった。

昭和2年に、三木屋旅館の庭から源泉が発見され、

旅館内に内湯を設けたのだが、土地の伝統に反すると

裁判沙汰にまで発展、やっと解決したのが戦後の昭和25年、

各旅館が内湯を持てるようになったのだが、

それも七つの外湯を第一に考え、旅館内の内湯は

小規模にするという条件付きだった。

現在もその流れは続いている。

浅見親子が投宿したのは、上記の「三木屋旅館」。

創業300年の歴史を誇る由緒ある宿。

かって志賀直哉の定宿で、志賀直哉は何度も訪れている。

そこから名作「城の崎にて」が書かれた。

偶々、光彦たちは古びた空き家のままの幽霊ビルの前を通り、

ビル内で死体が発見されたばかりの場面に行きあたる。

例の如く、浅見光彦探偵は不審を抱き、首を突っ込んでしまう。

このビルは、金の先物取引の詐欺事件で悪名高い

保全投資協会が所有している建物。

この詐欺事件の解決に当たって活躍したのが光彦探偵。

とはいえ解決したのは東日本関連の半分だけで、

残りの半分、西日本の部分はまだ不明となっていた。

母親の希望で、光彦はレンタカーを借りて、

日和山(ひよりやま)海岸へ向かう。

因みに日和山という地名は北海道から九州鹿児島まで、

全国津々浦々に多数存在するが、豊岡市の日和山である。

ところが坂道を下りながら、ブレーキが利かないのに気づく。

ハンドル操作をするのが精いっぱい、ようやく登り坂にかかって、

道路わきに寄せ、スピードの落ちたところでガードレールに接触させ、

辛うじて停車、命拾いをする。

明らかに誰かが悪意を持って、ブレーキオイルが漏れるようにしたのか、

点検を怠り整備不良だったと思われる。

だがレンタカー会社は、あらぬ疑いをかけられて憤慨する。

その後、光彦は、ある人物を訪ねて行く途中で、

車が横向きにとめられており、前に進めず、

そして近くで死体が発見される。

被害者はレンタカー会社の主だった。

第一発見者として光彦は警察からは疑いの目で見られることに。

母親のお供で城崎温泉に訪れた旅にすぎないにも拘わらず、

光彦を貶めようとしているのではと、

闇の魔手を光彦自身は気になり始める。

こうして光彦探偵の推理が動き始めるのだが、空回りするばかり、

なかなか解決の糸口がつかめない。

浅見親子が腰を上げて帰途に就こうという直前に、

光彦探偵はあることに気づく。

そして一挙に解決へ向かう。

この小説も伝説シリーズの一作に含まれる。

「土蜘蛛伝説」が絡んでくる。

上古日本において朝廷天皇に恭順しなかった土豪

のことを土蜘蛛と呼んだようだ。

伝説好きの読者には大変興味深いだろう。

結局この小説も一挙に読んでしまう。

小説には登場しないが、城崎温泉には数多くの

文豪が訪れている。

その一人、与謝野晶子の歌を紹介したい。

「日没を 円山川に見てもなほ 夜明けめきたり 城の崎くれば」







by toshi-watanabe | 2018-01-13 11:35 | 読書ノート | Comments(2)



葉室麟さんの最新作「天翔(あまか)ける」を読み終える。

幕末から明治にかけて時代をリードした一人である

第16代越前福井藩主、松平春嶽(慶永)の物語である。

激動の時代を、春嶽を通して見事に描いた力作だ。

おそらくこの作品が葉室さんの遺作であろう。

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春嶽は徳川御三卿の田安徳川家第3代当主、

徳川斉匡(なりまさ)の八男として生まれ、

第15代越前福井藩主、松平斉善(なりさわ)の養子に。

また時の将軍、徳川家慶の従弟に当たる。

幕末四賢侯の一人に数えられた。

他の三侯とは、伊達宗城(むねなり)(宇和島藩第8代藩主)、

山内容堂(豊信/とよしげ)(土佐藩第15代藩主)、

そして島津斉彬(なりあきら)(薩摩藩第11代藩主)。

島津斉彬が亡くなった後は第12代藩主の父親で、

斉彬の異母弟、島津久光が加えられる。

春嶽は主として江戸屋敷に住み、多くの士と交わり、

幕末の動きを的確にとらえる。

海外からの圧力に対し国の進むべき道が

どうあるべきか真剣に考える。

生まれからして当然のことながら、徳川家を第一に、

徳川家を中心に物事を見てしまうところも。

春嶽の側近として仕えたのが藩士の橋本左内。

左内は適塾で蘭学を学び、水戸藩の藤田東湖、薩摩藩の西郷隆盛、

小浜藩の梅田雲浜や熊本藩の横井小楠などと知己を得る。

春嶽にとって左内は良き相談相手であるばかりでなく、

水戸藩や熊本藩との交流に役立つことに。

ところが、大老となった井伊直弼の「安政の大獄」の折、

将軍継嗣問題に介入したとされて、橋本左内は斬首される。

享年26歳の若さだった。

その後、側近として仕え、春嶽に最も大きな影響を

与えるのが横井小楠。

小楠は元来、熊本藩の藩士なのだが、藩の改革案が通らず、

春嶽の強い要望により、福井藩に招かれ、力を十分に発揮する。

西郷隆盛、勝海舟、坂本龍馬などとも意見を交わす場面もあり、

世の動きを的確に判断する春嶽の立場は重要性を増して行く。

時には大老に推挙される動きもあるものの、春嶽は乗らず。

当初一橋慶喜を支持していた春嶽だが、次第に考え方が違う方向に。

目まぐるしいほどに国内の情勢は動き、

一橋慶喜による太政奉還、そして公武合体と進み、

いよいよ明治の代に移るのだが、

京都で小楠が暗殺される。

春嶽にとっては大きな痛手となる。

明治新政府にも重要な地位を占める春嶽だが、

早々に役職を辞し、晩年は正室の勇姫と共にひっそりと過ごす。

因みに勇姫は熊本の出身である。

田原坂の激戦を最後に幕を閉じた「西南の役」を伝える

新聞に眼を通す春嶽夫妻の姿を描いて、この物語は終わる。

勇姫のところに熊本の実家から手紙が届き、

西郷隆盛が最期まで持っていたカバンの中には

橋本左内の手紙が入っていたと知り、春嶽は感涙する。

明治23年、松平春嶽は東京小石川関口台町邸で逝去。

享年63歳。

辞世の和歌が残されている。

「なき数に よしやいるとも 天翔(あまかけ)り

 御代(みよ)を守らむ 皇國(すめぐに)のため」

著書の題名は、この歌から選んだのだろう。

読者をひきつけてやまない、素晴らしい葉室作品である。

じっくりと読ませていただいた。

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葉室麟さんは、昨年末、12月23日に、

福岡市の病院にて病気のため逝去された。

病名は明かされておらず、葬儀は身内の方々で営まれた。

早すぎる旅立ち、実に惜しい。

改めて故人のご冥福を祈るばかりである。


合掌







by toshi-watanabe | 2018-01-10 14:14 | 読書ノート | Comments(0)


平成30年が幕開け、昨日1月5日は「寒の入り」だった。
「小寒」ともいい、1年で最も寒い時期に入る。
実際、昨日はかなり冷え込み、寒い1日。
午前11時ごろ、スマホがけたたましく鳴り響いたのには驚かされた。
関東地方だけだったようだが、誤作動で、緊急地震警報が発せられたと判明。
とんでもないはた迷惑だが、唯うろうろするだけで、
何も対応できなかった己を顧みて、大いに反省。
真夜中には地震が発生し、可成りの揺れを感じた。
わが地元では、震度4を記録、巨大地震対策が肝要だ。

昨日の曇空を除き、関東平野は元日以来快晴に恵まれている。
関東でも群馬県北部の水上や草津方面では、
日本海側からの雪が降っている。
米国の東部、ニューヨークやニュージャージーでは、
寒波に見舞われ大雪、空港が閉鎖されたり。
一方欧州では、大雨で、ライン川なども水があふれそうとか。
世界的に異常気象のようだ。
好天候に恵まれた我々は本当に幸いである。

我が家のベランダからの初日の出。

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通路からの富士山の遠望。
手前に建物など、丹沢の山並み(?)もあり、
富士山の極上部だけだが。

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1月2日の夜は満月、スーパームーンが見られた。

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お節、雑煮にお屠蘇は例年通り。
日本酒は越後の銘酒「〆張鶴」をいただく。
どこも出かけず、駅伝をテレビ観戦したり、家でのんびりと過ごす。

寒さにめげず、ベランダのシャコバサボテンとキルタンサスの花が咲いている。


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本年もよろしくお付き合いのほど、お願い申し上げます。










by toshi-watanabe | 2018-01-06 09:54 | 季節 | Comments(4)

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諸田玲子さんの最新作「森家の討ち入り」を読み終える。

「忠臣蔵」は数多くの作家により数多くの作品が出ているが、

この作品は、三人の義士に的を絞った歴史小説である。

美作国津山城を居城とする津山森家は

十八万六千五百石の大名だったのだが、

内記長継(大隠居)のあとを継いだ嫡男の忠継が

早世してしまったことから、森家のお家騒動が始まった。

改易の悲劇に見舞われた後、備中国西江原二万石を与えられ、

森家の名跡は遺された。

この騒動に伴い、津山森家の多くの家臣は職を失った。

森家の家臣の中で三人がすぐ隣の赤穂浅野家に

新たに仕える身となった。

神崎与五郎、茅野和助、そして横川勘平である。

彼等三人は、かって江戸郊外中野村の御囲築造にともに

従事するという不思議な縁を持つ仲間でもあった。

御囲とは、当時の五代将軍、犬公方と呼ばれた徳川綱吉の

「生類憐みの令」により野犬保護のために築造されたもの。

さて元禄151214日、

吉良邸に討ち入りを果たした赤穂四十七士の中に

浅野家に仕えるようになって間のない三人がいた。

プロローグの「長直の饅頭」とエピローグの「お道の塩」に

挟まれて、「与五郎の妻」で神崎与五郎を、

「和助の恋」で、茅野和助を、「里和と勘平」で横川勘平と

陰で支えた女性たちとの生き様が描かれている。

命を懸けて戦い抜いた、壮絶な人生であった。

討ち入り後、赤穂四十七士は四か所に別れて預けられ、

沙汰を待っていた。

与五郎、和助、勘平の三人が預けられたのは

三河国岡崎水野家の江戸中屋敷だった。

備中国西江原森家二万石の当主長直は、

この正月に32歳になったばかり、

かっては津山森家の家臣であった三人に饅頭を届けようと思案する。

長直は、宗家の津山森家二代長継の八男に生まれたが、

三代、四代の反目や四代の早世、つづく養嗣子の廃嫡と

お家お取り潰し等々の森家不幸が続き、西江原森家の当主になった。


赤穂浅野家がお家取り潰しとなった後、

奇遇にも、その数年後に長直は赤穂城主となった。

長直は赤穂の塩田に目を開かれ、

精魂込めて、日の本一の塩を造り、将軍家へ献上する。
因みに赤穂森家は明治の初めまで続く。


諸田さんらしい、きめ細かな素晴らしい物語となっている。





by toshi-watanabe | 2018-01-05 08:55 | 読書ノート | Comments(0)