d0037233_08553137.jpg



秋山香乃(あきやまかの)さんの最新作「龍が哭く(なく)」を読む。
PHP研究所出版、¥2,100+税。

525ページに及ぶ大作である。

20152月から20173月まで、新潟日報など10紙で連載された話題作。

主人公は、新潟特に長岡出身の方ならだれでもよくご存知の河合継之助、

幕末困窮を極めた長岡藩を立て直した人物である。

著者は1968年、北九州市生まれ。

2001年、「歳三 往きてまた」でデビューし、

新選組関連をはじめ時代小説を数多く書かれている。

因みに秋山さんは柳生新陰流居合道の四段である。

黒船来航前の嘉永3年(1859)、24歳の継之助は

16歳のすが子と夫婦となる。

すが子の実家、梛野家(なぎのけ)に縁談の話が持ち込まれたとき、

すが子は自分の将来の夫が、城下でも大変な変わり者で

通っていることを知っていた。

継之助の父、河井代右衛門は長岡藩庁に勘定方として出仕していた。

継之助26歳の折、すが子を家元に置いたまま、江戸へ飛び立つ。

江戸遊学2年目、27歳の継之助は建白書が認められ、

家老を補佐する立場の評定方随役に大抜擢される。

藩政の愚を激しく批判し、時事を論じ、現状に沿った

改革案を述べた本人にとっては、驚きでもあった。

思い切った人材登用を断行した越後長岡藩藩主の期待に応えるべく

気負ったものの、何の力も発揮できぬまま、

あっと言う間に辞職に追い込まれる。

門閥の家老たちが、ことごとく継之助を無視したためだ。

藩の許しを得て、継之助は山田方谷の教えを乞うべく、備中松山へ向かう。

百姓の出自である方谷は、非協力的な環境、四面楚歌の中を、

松山藩の財政赤字を黒字に見事な逆転劇を演じた。

いったいどうやって己の理想を実際の政の中に落とし込み、

腐りかけた藩を、一つ一つどうやって方谷が変えていったのか、

継之助はどうしても知りたかった。

方谷の意見を取り入れて、支援した第7代藩主板倉勝静の力が大きかったが、

方谷の進め方を継之助は学び、納得する。

因みに、板倉勝静はのちに江戸幕府の老中首座となる。

方谷の元を訪れる数多くの人物との巡り合いにより、

新たな知識や情報を得た継之助は長崎を訪れる機会もあり、

多くの知己も得られる。

江戸に戻る折には横浜に立ち寄り、海外から押し寄せる

新たな展開を目の当たりにする。

文久4年(2月に元治元年)(1864)、継之助は38歳、

山田方谷のもとを訪ねてから4年半が過ぎていた。

そんな継之助のもとに、越後長岡第11代藩主、牧野忠恭(ただゆき)から

「江戸へ出て、我が為に尽力せよ」と声が掛かった。

その後一度は挫折、辞職するものの、

国家老に呼ばれ、外様吟味役を申し付けられる。

およそ1年ぶりのお役目復帰である。

こののち継之助は藩の改革のために生涯を尽くす。

外様吟味役から、郡奉行、町奉行、そして年寄役(中老)、

家老、長岡藩家老上席まで上り詰める。

その間、風紀粛正、農政改革、灌漑工事、兵制改革を実施、

藩の財政を見事立て直す。

ところが外国からの開国要求が強くなる一方で、

徳川幕府15代慶喜による太政奉還が行われ、

力をつけた薩長を中心とした新政府軍の勢いに江戸城開城となる。

長岡藩を独立した形で存続するのを継之助は目指すのだが、

新政府軍との話し合いは決裂する。

会津を中心として奥州列藩同盟との戊辰戦争に突入。

長岡では北越戦争が始まる。

河井継之助の指揮のもとに、新政府軍との戦いに入るが、惨憺たる姿で敗れる。

新政府軍に略奪された長岡城を何とか取り返すものの、

軍事力の差はあまりに大きく、長岡藩は新政府軍に敗れる。

戦の際の負傷が元で、継之助は41歳の若さで命を落とす。

長岡藩を見事に立て直した河井継之助なのだが、

長岡の街をすっかり廃墟と化してしまった戦争責任者として、

継之助を非難する声は今も一部に残っていると聞く。

河井継之助を取り上げた小説は数多くある。

その中でも傑作は、司馬遼太郎の「峠」だろう。

読み比べてみるのも面白い。





by toshi-watanabe | 2017-07-29 09:00 | 読書ノート | Comments(2)



暑い盛りの名古屋場所が23日の日曜日、幕を閉じる。
終わってみれば、白鵬が39回目の優勝を果たす。
平成の大横綱である。
上位陣が苦戦するなか、平幕の碧山が大活躍、
あわや白鵬との優勝決定戦になるのではとの期待も。
碧山は2度目の敢闘賞を受賞する。
横綱白鵬に唯一の黒星を与えた新関脇の御嶽海が2回連続の殊勲賞。
今場所会場を大いに沸かしたのが、小柄力士でいろいろな手を使う
技巧派の宇良と石浦、特に宇良は人気者。

怪我などで途中休場したのが稀勢の里と鶴竜の両横綱、
大関の照ノ富士、それに人気抜群の遠藤の4力士。
しっかり養生して、次の場所に備えてもらいたい。
完全に相撲を取れる体調でなければ、本場所には出場すべきではない。

恒例の来場者と有料会員による「敢闘精神あふれる力士」が公表されている。
毎日1位、2位、3位の力士が発表されているが、
1位に3回選ばれたのが宇良と北勝富士、2回選ばれたのが嘉風。
1位から3位までの合計回数で見ると、
トップは宇良の8回、次いで御嶽海と北勝富士の6回、嘉風と石浦の4回、
高安と栃ノ心の3回と続く。
因みに横綱の白鵬と日馬富士は1回づつ選ばれている。

新大関の高安は両横綱に敗れたものの、9勝6敗の成績。
新関脇の御嶽海は上位陣を相手に勝ち越しを決める。
その一方で、大関の豪栄道、関脇の玉鷲、小結の琴奨菊は負け越し。

ほぼ毎日テレビ観戦していたが、会場は如何にも暑そう。
とにかく団扇や扇子が目に付く。
登場する力士も汗びっしょり。
今場所会場に姿を見せた有名人をテレビカメラがとらえる。
すっかり名を挙げた将棋の藤井4段や
フィギュアスケートの浅田真央さんなどが映し出される。
テレビ中継のゲストには、宮崎美子さんが登場。

次の場所には、4横綱、3大関揃っての活躍を期待したいもの。



by toshi-watanabe | 2017-07-25 14:42 | 季節 | Comments(0)

d0037233_09024277.jpg


葉室麟さんのエッセイ集「古都再見」を読み終える。

葉室さんは2年前の2月、仕事場を京都に移して執筆活動をされている。

学生時代に京都を訪れておられるので、再見と題されたのだろう。

京都近辺を散策しながら、感じられたことを書き留められ、

「週刊新潮」の20158月から201612月まで連載された

エッセイをまとめられ、今回単行本として出版された。

(新潮社 ¥1,600+税)

京都の観光ガイドブックとは全く趣を異にしている。

人生の幕が下りる、その前に見るべきものを見ておきたいと、

少々大げさな言い方だが、

訪れた先で、かっての出来事に思いを馳せ、

或いは、その時代の登場人物の生きざまを考えたり、

著者流の歴史的思索をうかがい知ることができ、

京の街角から日本史の旅へ、大変興味深い読み物となっている。

68編のエッセイで構成。

1章は「薪能」と題したエッセイ。

夏祭りの季節、6月の京都、平安神宮での薪能の話。

能、狂言が演じられ、最後は「小鍛冶」でしめる。

能を見物した後、小さな店で酒を飲みながら、

著者が思いだしたのは山本兼一さんのこと。

それは「いっしん虎徹」や「おれは清磨」などを主人公にした

山本さんの作品があり、刀を鍛え上げる刀工の

火が噴き出るような気迫は山本作品ならではのもの。

著者が初めて直木賞候補になった時、「利休にたずねよ」で

山本兼一さんが直木賞を受賞した思い出に触れる。

「大徳寺」と題したエッセイでは。

紫野にある大徳寺の茶会に招かれる。

茶道と関わりが深いことから「大徳寺の茶面」と呼ぶ。

三門に千利休の木像を置いて、豊臣秀吉の怒りを買ったことで知られる。

千利休始め、山上宗二、古田織部など名だたる茶人が

非業の死を遂げたのはなぜだろうかと、疑問を抱く。

著者は茶をいただきながら、一杯の茶に心の平穏を求める

茶人が修羅の最期を遂げる姿に思いを馳せる。

「漱石の失恋」と題したエッセイでは。

鴨川に沿って京都の市中を流れるのが高瀬川。

罪人を乗せて大阪へ向かう「高瀬舟」、森鴎外の短編で知られる。

鴎外と並び立つ文豪、夏目漱石も高瀬川の近くの宿に

滞在したことがある。

「虞美人草」の取材などで4回、京都を訪れている。

随筆「硝子戸の中」を書き終えた直後、4度目の京への旅。

宿は御池通木屋町の旅館「北大嘉」。

友人の紹介で、祇園の茶屋「大友」女将、「御多佳さん」と知り合う。

文芸の素養が深く、書画、骨董にも詳しい磯田多佳で、

谷崎潤一郎や吉井勇とも親交があったという。

漱石、48歳、多佳、36歳、二人は天神様(北野天満宮)に

梅を見に行こうと約束したのだが、漱石はすっぽかされる。

色々と興味深い話題が次から次と登場するのだが、

最後にもう一遍、「檸檬」を紹介したい。

ご存知、梶井基次郎の名作「檸檬」の舞台となったのが、

京都の書店、丸善である。

丸善の書棚にレモンを置いて立ち去るというのが小説の最後の場面。

梶井の処女作でもある。

梶井が京都に居住したのは、大正8年、第三高等学校に入学し、

肋膜炎で休学した後、大正13年卒業するまでの5年間。

借金が重なって下宿から逃亡し、自殺を企てるなど

放蕩無頼の時期を過ごした。

梶井は、荒れることで人間の真実を探ろうとしていたのではないか、

神経を張り詰めて人生と対峙する緊張感から疲労困憊し、

時に逆上して暴走を重ねたのだろうと、著者は考える。

ところで、京都の丸善は平成17年にいったん閉店。

この時、文学ファンたちが閉店を惜しみ、「檸檬」を真似て、

店内にレモンを置くのが話題になった。

そして平成278月、10年ぶりに河原町通三条下ル山崎町の

商業ビルで丸善が再開。

再オープンの日は、店内にレモン専用のカゴが置かれ、

「レモンを置きたい」という人の要望に応えた。

著者は丸善を訪れる。

店内で新潮文庫の「檸檬」を買い求め、

店内に併設されたカフェに入り、紅茶とレモンケーキを注文。

気軽に読めるエッセイ集である。




by toshi-watanabe | 2017-07-21 09:04 | 読書ノート | Comments(0)

初夏の群馬倉渕の山里へ

7月9日から16日まで約1週間、群馬倉渕へ出掛ける。
丁度お盆の季節でもあり、お墓参りに立ち寄る。
少々遠回りになるのだが致し方無し。
千葉県松戸市にある東京都管理の八柱霊園。
お彼岸やお盆には車の通用門が早朝早めに開く。
ところがお盆にまだ間があるせいか、7時ちょっと過ぎに到着
したものの、まだ開門されず、道路上に車列が出来ている。
通常の7時半開門とのこと、しばらく待たされる。
とにかく広い霊園で、正門から我が家の墓地まで歩くと、15分かかる。
今は車で来られるが、運転できなくなると電車利用、大変である。

墓地のまわりをきれいに掃除し、お参りを済ませる。

10年近く前だったか、高崎市に合併されたものの、
依然として村のままの倉渕である。
谷川に沿って少し山に入ったところ。
都会より涼しいはずなのだが、今年は暑さが厳しい。
緑の風が吹き抜けると涼しく心地よい。
風が入って来なくなると、途端に蒸し暑くなる。

火曜日だったか、午後から大雨となる。
3時半までの1時間当たり113ミリの記録的な降雨と報じられていた。
後はほとんど雨が降らず、カンカン照りの日が続く。

草花が色濃く咲き誇っている。

五色葉蕺(ゴシキバドクダミ、カメレオンとも呼ばれる)
d0037233_09023840.jpg
八重蕺(八重のドクダミ)
d0037233_09033755.jpg
白と赤の酔仙翁(スイセンノウ、フランネル草)
d0037233_09040374.jpg
d0037233_09045376.jpg
下野(シモツケ)
d0037233_09051325.jpg
瑠璃草(ルリソウ、江戸紫、ストケシアとも)
d0037233_09072578.jpg
白花鋸草(シロバナノコギリソウ、羽衣草とも)
d0037233_09074030.jpg
河原撫子(カワラナデシコ)
d0037233_09075445.jpg
珍しく山百合(ヤマユリ)の花が咲く。
d0037233_09080807.jpg
蛍袋(ホタルブクロ)がまだ咲いている。
d0037233_09082136.jpg
d0037233_09133316.jpg
岡虎の尾(オカトラノオ)
d0037233_09134657.jpg
昼咲月見草(ヒルザキツキミソウ)
d0037233_09140430.jpg
一輪だけ山苧環(ヤマオダマキ)が残っている。
d0037233_09142093.jpg
紫苑(シオン、十五夜草とも)
d0037233_09143463.jpg
唐菖蒲(カラショウブ、グラジオラス)
d0037233_09181017.jpg
山紫陽花(ヤマアジサイ)
d0037233_09182623.jpg
花魁草(オイランソウ、フロックス)
d0037233_09184697.jpg
姫檜扇水仙(ヒメヒオウギスイセン、クロコスミア、モントブレチア)
d0037233_09191885.jpg
紫露草(ムラサキツユクサ)
d0037233_09195725.jpg
捩花(ネジバナ)
d0037233_09240841.jpg
d0037233_09242643.jpg
合歓木(ネムノキ)の花
d0037233_09244263.jpg
木天蓼(またたび)の白い葉
d0037233_09245834.jpg
藪柑子(ヤブコウジ)
d0037233_09251880.jpg
夏椿(ナツツバキ)
d0037233_09253621.jpg
矢車草(ヤグルマソウ)
d0037233_09255573.jpg

あっと言う間に過ぎたというのが実感の1週間。
新聞には一切触れない1週間でもあった。




by toshi-watanabe | 2017-07-19 09:31 | 草花 | Comments(2)

d0037233_08443128.jpg


佐藤厳太郎さんの著書「会津執権の栄誉」を読み終える。

著者は、「夢幻の扉」で「オール読物新人賞」を受賞して以来、

注目されている新進の作家である。

文芸評論家の評価も高く、直木賞の呼び声も出ている。

東北会津の名家、芦名氏の滅亡までを熱く、克明に描いている。

芦名氏は、会津守護だが、鎌倉幕府の御家人、三浦氏の後裔。

四百年近くの長きにわたり、会津を領有してきた名跡だ。

その芦名家に、凶兆が現れた。

十八代当主盛隆が、家臣に襲われ惨殺されてしまう。

その後を継いで生後一ヵ月で当主となった一子、

亀王丸隆氏も、わずか三歳で疱瘡を病んで没した。

相次ぐ当主の死により、芦名家嫡流の男児が絶える。

残された遺児に、十七代当主盛興の娘の岩姫がいた。

岩姫の婚姻相手として婿養子を他家から迎え、

当主に据えることになった。

ここから家中の軋轢が生まれる。

この小説の発端でもある。

常陸の佐竹義重の次男義広か、伊達政宗の弟小次郎かで、

家臣団が対立したのだが、佐竹義広を当主に迎えることに決まる。

ただ問題なのは、義広がまだ幼さの残る十二歳の少年だった。

一門の家臣が集まって評定の上決めたことだが、

その決定を下した芦名家家臣筆頭の金上遠江守盛備の家臣団と、

伊達小次郎を強く推した猪苗代(弾正)盛国との間では、

しこりが残る。

盛国は芦名氏の血族で、芦名家重臣であるとともに猪苗代氏の当主。

その一方では、義広の入嗣に伴い、佐竹から来た家臣団とも

衝突が生じて、家臣同士の殺傷沙汰にまで発展する始末。

やがて伊達政宗が会津に侵攻、猪苗代盛国が寝返り、

佐竹からの支援も思うように行かず、

最後の砦となった家臣筆頭の金上盛備も戦いに敗れ、

遂に芦名氏は終焉を迎える。

「湖の武将」

「報復の仕来り」

「芦名の陣立て」

「退路の果ての橋」

「会津執権の栄誉」

5章で構成されているが、

これらは20138月号から201611月号まで、

「オール読物」に掲載された。

この5章に、書き下しの「政宗の代償」が加えられ、

今回「会津執権の栄誉」として出版された。

(文芸春秋 ¥1,450+税)

「政宗の代償」は、芦名氏が滅び、

伊達政宗が会津を己の領地にしてからの話である。

北条氏の立てこもる小田原城攻めで全国各地の諸大名が

秀吉のもとに馳せ参じ、その数22万の兵力が集結している。

様子を見るかのごとく、腰を一向に上げない政宗に

秀吉はいらいらしている。

家康が間に入り政宗を説得する。

政宗は片倉小十郎を伴い小田原へ向かう。

芦名氏を攻め、会津を己の領地としたことは、

関白殿下の惣無事の儀に背く事であり、

政宗は 覚悟を決めて、短刀を隠し持ち、白装束で秀吉の前に出る。

謁見は無事済み、秀吉は遅参した政宗を許す。

占領した会津、安積、岩瀬は取り上げられ、

会津黒川城から退去することになる。

それ以外の本領は安堵され、伊達家の所領は七十万石ほどのまま。

途中からは一気に読んでしまう。

大変面白い小説、お薦めの一冊である。






by toshi-watanabe | 2017-07-04 08:45 | 読書ノート | Comments(0)


横浜そごう美術館で開催中の「没我20年 司馬遼太郎展」を昨日見学する。
副題として「21世紀”未来の街角”で」。
この特別展は全国を巡回しているようだが、
首都圏での開催は、現在開催中の横浜だけとのこと。
また「横浜開港158周年」にもあたり、横浜関連のコーナーもある。

d0037233_11054905.jpg

展示は、「戦国動乱 16世紀の街角」に始まり、
「維新回天 19世紀の街角」、そして「裸眼の思索 21世紀の街角」と
大きな時代の流れに沿っている。
「あなたが今歩いている21世紀とは、どんな世の中でしょう」と
問いかけているかのようである。

関東大震災が起きた大正12年(1923)に大阪で生まれた
司馬遼太郎さんは平成8年(1996)に72歳で亡くなられている。
秀吉の時代の伊賀忍者を主人公に描いた
「梟の城」が昭和35年(1960)(私が社会人になった年)に
「直木賞」を受賞される。
その後約36年間、戦国時代から明治に至る時代に登場した
人物に光を当てて数々の作品を書かれてきた。

初版本が並べられ、作品のテーマとなっている人物や時代背景に関連する
資料が作品の自筆原稿と共に見る事が出来る。
因みに、幻の自筆原稿と言われる「竜馬がゆく」の全自筆原稿と
「坂の上の雲」の欠落自筆原稿が最近見つかり、
「司馬遼太郎記念館」で期日限定で公開されると報じられている。
またいくつかの作品の挿絵の原画も見られる。
司馬遼太郎記念館は東大阪市にあり、安藤忠雄さんの設計による。

司馬遼太郎さんは、資料集めへの執念がすさまじく、
一度に何千万円単位という巨額を投じて買い集めたと言われる。
司馬さんが資料を集め始めると、関連する古書が業界から払底したという逸話。
同じ題材の戯曲を書いていた井上ひさしさんが古書店に出かけたところ、
資料がすべてなかったという逸話もある。

数多くの作品の中から、皆さんもよくご存じのものを列記すると、

「竜馬がゆく」 坂本龍馬と中岡慎太郎(坂本龍馬が世に知られるきっかけとなる)
「燃えよ剣」 土方歳三
「功名が辻」 山内一豊と妻の千代
「国盗り物語」 斎藤道三、織田信長、明智光秀
「関ケ原」 島左近 石田三成 徳川家康(屏風絵巻が展示)
「峠」 長岡藩の河井継之助
「坂の上の雲」 秋山好古・真之兄弟と正岡子規
「世に棲む日日」 吉田松陰 高杉晋作
「城塞」 大坂冬の陣 大坂夏の陣(屏風絵巻が展示)
「花神」 村田蔵六のちの大村益次郎
「覇王の家」 徳川家康
「播磨灘物語」 黒田官兵衛のちの黒田如水
「翔ぶが如く」 西郷隆盛 大久保利通(西南戦争)
「胡蝶の夢」 司馬凌海 松本良順 関寛斎
「菜の花の沖」 高田屋嘉兵衛
「箱根の坂」 北条早雲

いずれも司馬さん好みの人物なのだろう。

「歴史を紀行する」「街道をゆく」など、
散歩・街道シリーズも数多くの作品を書かれている。
横浜も取り上げている。

d0037233_11065368.jpg
d0037233_11062473.jpg

海外もニューヨークや欧州にも。
台湾では、学徒出陣の同期生という縁もあって、
元台湾総統の李登輝さんが、現地を案内されている。

子供たちのために書かれた「二十一世紀に生きる君たちへ」が
全文パネルになって展示されている。
胸を打つ、非常に素晴らしい文章である。

(会場内は撮影禁止)






by toshi-watanabe | 2017-07-01 11:08 | 一般 | Comments(4)