折々の記

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春季大祭・国宝まつりが開催されるというのは聞いていたので、
4月28日、「高幡不動尊」へ出かける。
少々遠回りかなと思ったが、渋谷に出て井の頭線に乗り、
明大前で京王線に乗り換える。
高幡不動駅を降りると参道があり、両側は店が並ぶ。
200メートルほど進むと、仁王門の前に出る。
数年前に団体で訪れたときはバスだったので、
参道から仁王門を潜るのは初めてである。
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成田、大山とともに関東三大不動に挙げられる
真言宗智山派別格本山の高幡山明王院金剛寺が正式名。
9世紀後半、貞観年間に清和天皇の勅願により
東関鎮護の霊場として不動堂を建立したのが始まりと言われる。

入母屋造りの仁王門(重要文化財)は、1959年に楼門として復元された。
仁王像と共に、元は室町時代後期の作。
「高幡山」の扁額は、洛東智積院7世運敞の筆で、江戸時代初期のものである。

境内は不動堂、奥殿、五重塔、大日堂と続く。
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丁度稚児練供養があり、可愛い稚児さんたちが並んでいる。

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そして先導するお坊さんたち。
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前回訪れた際は工事中だった、重要文化財の不動堂では護摩修行が営まれている最中。
このお堂には新丈六不動明王像(身代わり本尊)が安置されている。
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御朱印をいただき、奥殿に上がり、重要文化財の本尊、丈六不動明王像を拝観する。
不動明王坐像は寄木造り、漆塗りの2,858メートルの及ぶ巨像である。
頭部と体部は檜材、膝部は榧材で、火焔光背。
正面から拝顔すると圧倒される。
前回訪れた際には、参加者全員で般若心経を唱えた。
両脇には、脇像の矜羯羅(こんがら)童子像と制咤迦(せいたか)童子像
(いずれも重要文化財)は木造漆塗り。
ともに平安時代の作である。

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このお堂では、「宝物展」が開催され、各種の宝物が見られる。
鎌倉時代の鰐口、関東地方で最古のもの、重要文化財。
不動明王像頭部に納められていた古文書、南北朝時代、重要文化財。
平安時代の作で、金剛界大日如来像。
江戸時代の舎利塔。
日本最古と言われる歓喜天像、平安時代の作。
山岡鉄舟の書とか土方歳三直筆の手紙なども展示されている。

大日堂に上がり、柏手を打って鳴り龍に願いを込める。

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運よく年に一日だけだそうだが、五重塔に登る。
心柱のまわりを巡るようにらせん状の狭い階段を上る。
ピサの斜塔を思い出す。
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一番上のところからは周りを展望できる。
丁度藤の花が満開。
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境内の裏山があり、四季の道となっている。
道の両脇にはヤマアジサイの木が植えられており、
紫陽花の季節には見事な紫陽花の花見が出来そうだ。
一輪草、鳴子百合(ホウチャクソウ?)などが咲いている。

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土方歳三の銅像と青々とした新緑を後に、帰途に就く。
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帰りは、調布で乗り換え、橋本に出て、横浜線に乗り長津田経由。









by toshi-watanabe | 2017-04-30 11:05 | 寺院・仏像 | Comments(2)
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内田康夫さんの著書「ユタが愛した探偵」を、

最近出版された光文社文庫版で読む。

題名からもお分かりの通り、沖縄が舞台の物語。

この作品は199910月に単行本して徳間書店から

発行されているが、著者にとっては記念すべき作品である。

198012月に「死者の木霊」を発表して以来、

全国都道府県に足を残す作品群を書かれてきて、

「旅情ミステリー」と呼ばれた。

名探偵、浅見光彦が現地に出かけ、数々の事件を解決してきた。

およそ20年をかけて、全都道府県を巡り、最後が沖縄県で締めくくる。

著者はあとがきに最後の「聖地」沖縄として解説されている。

じつは、沖縄を書こうという計画はその数年前からありました。

取材も三回を数え、かなりの沖縄通になったつもりでもありましたが、

どうしてもイメージが湧いてこない。

というよりも、書く前から尻込みしているようなところがありました。

沖縄は戯れにエンターテーメントの取材対象などに

してはいけないと思っていました。

その理由はもちろん、あの戦争の被害と、長く米国の

占領下にあった苦難の歴史があるからです。

たんなる観光気分ではなく、真正面から沖縄と向かい合うには、

それ相当の覚悟が必要だと思いました。

そうでなければ沖縄に失礼だと、本気で思っていました。

私自身も正直なところ、沖縄は未知の土地、一度も現地を訪れたことがない。

この小説を読んで、本題のミステリーとは別に、

沖縄について改めて考え直す機会になったように思う。

終戦から丸26年間米国の占領下にあった沖縄、27年目にやっと

日本復帰を果たし、お祝いをし、時の総理大臣は

ノーベル平和賞を受賞したのだが、その後の沖縄には、

米軍の基地はそのまま残り、本土との地域差は埋められることもなく、

変わったのは、車が左側通行になったくらいではと言われる。

琉球王国だった歴史もあり、現在の姿が沖縄の人たちにとって
幸せなのだろうかと疑問を抱いてしまう。

さて作品に登場する「ユタ」という言葉は初めて目にする。

沖縄では当たり前のことのようだ。

沖縄の民俗というか宗教的な風習とでもいうのか、

単なる占術や悪魔祓いではなく、ごく日常的な通過儀礼なのだろう。

ある程度の年齢に達した女性が、「ユタ」になるようだ。

ところが生まれつきというか、幼い時から、幻覚にとらわれ、

普通の人に見えないものを感じ取り、

常識では理解できない能力を有する人がごくわずかだが存在し、

「ユタ」たちからは特に敬われている。

この作品のプロローグでは、物語の主人公となる女性の

幼い頃が登場する。

名前を式香桜里(かおり)という。
小学生時代に彼女は不思議な体験をする。

式という苗字も珍しく、調べてみると、九州地方に比較的多いようだ。

さて本題は、彦根で開催される「ブクブク茶会」の場面から始まる。

ブクブク茶とは沖縄で飲まれている振り茶のこと。

茶会があるのは彦根の清涼寺で、井伊家の菩提寺である。

先代井伊家に嫁いできたのが、沖縄出身、

しかも琉球王・尚家最後の姫君という縁で、

すでに恒例の未亡人となっている元姫君を囲んでの茶会。

この茶会を地元のテレビ局が取材し放映するところから、

沖縄で起きる事件へと進展する。

沖縄からの茶会参加者の一人に成人した式香桜里もいる。

香桜里が幼い頃、母親の運転で両親がある夜出掛ける。

香桜里も誘われるが嫌な予感がして一緒に出掛けるのを断る。

海岸沿いの崖っぷちで運転を誤り、車は海に転落、

両親は二人とも命を落とす。

警察では事故死として処理するのだが、香桜里には事故の現場が

はっきりと見えている。

対向車のライトにより、運転を誤り海に転落した姿が。

警察に調べるように依頼するも相手にされず。

過去にそんな事件があった。

実は対向車は存在し、その車には3人の男が乗っていたのだが、

彦根での茶会の後、沖縄で一人の男が遺体で発見される。

その遺体とは、香桜里の両親が事故死したときの

対向車に乗っていた男の一人。

殺人かどうかというのが、このミステリーの面白い所。

浅見光彦も途中から登場し、

推理と行動により、事件を解き明かしていく。

因みに、「題名」にある「ユタ」とは式香桜里、

「探偵」とは無論、浅見光彦のことである。

興味のある方は是非読んでいただきたい。



by toshi-watanabe | 2017-04-30 08:40 | 読書ノート | Comments(0)
4月18日、日本橋室町の三井記念美術館にて開催中の
特別展「奈良西大寺・叡尊と一門の名宝展」を見学に出かける。
6月11日まで、東京で開催された後、
7月29日から9月24日まで、大阪のあべのハルカス美術館にて、
そして10月20日から12月10日まで、山口の山口県立美術館にて
それぞれ開催予定。

さて18日の朝、前夜から明け方まで、可成り雨風が強かったようだが、
朝9時過ぎに家を出るころには、すっかり青空が広がる。
電車に乗ったのだが、田園都市線に事故か何かあったらしく、
途中からのろのろ運転が始まる。
いくつかの駅ではしばらく動かずの状態が続き、
半蔵門線内も同様のノロノロ運転、結局目的地に着いたのは11時過ぎ。
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パンフレットの案内をそのまま転記させていただく。

西大寺は、奈良時代の後期に、女帝孝謙上皇(後に称徳天皇)によって
発願され、平城京の東大寺に相対する位置に建立された西の大寺です。
平安時代には疲弊しますが、鎌倉時代の中頃に叡尊(興正菩薩)という
高僧が、密教と戒律を柱とする宗教活動さらには社会事業を広く
展開して、その一門は大きく発展しました。

本展覧会は、西大寺創建1,250年を記念する展覧会です。
展覧会の構成は、まず昨年国宝に指定された興生菩薩像をはじめ
優れた彫刻・絵画・工芸品・典籍など総本山西大寺の寺宝を展示します。
次にその展開として、元興寺・浄瑠璃寺・白毫寺・岩船寺・
般若寺・不退寺・法華寺など著名な一門の古刹が所蔵する
貴重な宝物が多数出品されます。
そして最後に真言律宗のひろがりが分かる地方の寺院、
三井記念美術館では東国の鎌倉極楽寺、さらに稱名寺などの
名宝を一堂に展観いたします。

出展されたものの中からいくつか紹介したい。

国宝「金銅透彫舎利容器」
鎌倉時代、金銅製、高さは37.0㎝。
外部を透かし彫りの燈籠形とした舎利容器で、内部に舎利瓶を納める。
燈籠形の頂上には水晶入りの火焔宝珠形舎利容器を置き、屋根は六花形で
雲龍と蓮華唐草紋を肉薄に鋤彫りし、火袋は6間に分かち、
最上段を透かし彫りの欄間とし、中断は透かし彫りした花菱形の高欄を付け
吹玉を連ねた瓔珞を垂らす。
下段は雲龍や牡丹・蓮華などの草花文を肉薄に透かし彫りし、
株の格狭間には獅子・牡丹を透かし彫りする。
内部の舎利瓶は、蓋付きで中に金剛界大日如来を安置する。


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国宝「興生菩薩坐像」
鎌倉時代、木造彩色、像高は91.0㎝、作者は善春。
西大寺を中興し南都律宗の振興に寄与した興生菩薩・叡尊の精神性を、
見事なまでに写し伝えた肖像である。
本像は叡尊を慕う門弟たちが合力で造立した叡尊80歳の寿像だある。
垂れさがったた眉毛に窪んだ眼孔、大きく丸い鼻に結んだ口元の迫真的な相貌表現は、
まさに叡尊の真を写したと言っても過言ではない。


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重要文化財「愛染明王坐像」
鎌倉時代、木造彩色、像高は31.8㎝、愛染堂安置。
愛染堂の厨子内に安置される秘仏愛染明王坐像である。
宝瓶に支えられた大円相内の赤色蓮華座上に坐しており、
三目六臂で瞋目、頭髪は焔髪を逆立て、
獅子冠を載せ、獅子頭に五鈷鈎を置く。
檜材寄木造、玉眼嵌入で、截金彩色をはじめ持仏・装身具ともに
造像当初のままを伝えている。

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国宝「月輪牡丹蒔絵経箱」
鎌倉時代、蒔絵、縦32.7㎝、横20.3㎝、高さは14.0㎝。
「金光明最勝王経」を納める長方形の二段重ねの経箱である。
蓋には緩やかな甲盛りがあり、金の研出蒔絵の技法を用いて、
蓮華座の上に大きく月輪をあらわし、輪郭には細かい粉を密に蒔くき、
月輪の内側には荒目に粉を疎らに蒔いて、強弱を表現する。
総体黒漆塗で、側面から蓋鬘にかけて牡丹の花枝を大きく描き、
蓋裏には蝶々をあらわす。

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重要文化財「文殊菩薩騎獅座像(及び四侍者像)」
鎌倉時代、木造彩色、像高82.5㎝、本堂安置。
右手に宝剣、左手には経巻を載せた蓮華茎を持ち、
獅子の背中の蓮華座上に結跏趺坐して騎乗する文殊菩薩像である。
高く髻を結い、肉身は金泥による紛溜塗とし、
衣は盛上彩色にによって華麗ンいあらわされ、衣文のしのぎも高く、
総じて鎌倉時代後期の装飾性が見られる。
造像仏師の名は明らかでない。
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重要文化財「大黒天立像」
鎌倉時代、木造彩色、像高は82.7㎝。
頭に烏帽子を被り、袴姿で左肩に大きな袋を背負い、
右手の拳を握って腰に当てて、草鞋を履いて直立する姿に亞ラわされる。
わが国では鎌倉時代以降、厨房神・財神として祀られる場合が多い。
像内には木造大黒天の小像他の納入品が納められていた。


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重要文化財「聖徳太子立像(孝養像)」
鎌倉時代、木造彩色、玉眼、像高は119.7㎝、元興寺蔵。
父用明天皇の病気平癒を祈る16歳の聖徳太子の姿を
あらわした孝養太子像。
像内納入品中の文書に、木像を造った善春以下9人の仏師と
11人の絵仏師の名が記されている。
1268年(文永5年9の作。

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まだまだ数多くの仏像その他が出展されている。

愛染明王像について追記:
上記の愛染明王坐像は秘仏で、西大寺で参観できるのは、
1月15日~2月4日と10月25日~11月15日の期間に限定されている。
普段愛染堂で観られるのは御前立像の愛染明王坐像(江戸時代の作)である。
西大寺にはもう一体、鎌倉時代の作で、重要文化財の愛染明王坐像が
安置されていたのだが、現在は奈良国立博物館が保管している。
京都高雄の神護寺にも鎌倉時代の作で重要文化財、愛染明王坐像が
安置されていたのだが、現在は東京国立博物館が保管している。


by toshi-watanabe | 2017-04-19 15:59 | 寺院・仏像 | Comments(2)

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講談社文庫の伊東潤著「峠越え」を読み終える。
昨年「天下人の茶」(すでに読書ノート書き込みあり)にて
著者は直木賞受賞を受賞されている。

作品「峠越え」は2014年に中山義秀文学賞を受賞されている。

「峠越え」とは勿論、徳川家康の伊賀越えの話である。

凡庸を絵にかいたような竹千代(のちの家康)は

今川家の人質として過ごした幼き頃、

通称大師と言われる名僧太原雪斎の教えを受け、

師の教えを竹千代は生涯忘れることはなかった。

今川義元に偏諱をもらい元信、次いで元康と名乗るが、

今川氏から独立した後に今川家からの独立を明示するため

「元」を返上して家康に改める。

家康は信長と同盟関係を結んだとはいえ、

頭の回転の速い信長の考えることや信長の行動について行けない。

信長の方は、部下でもない家康を信用せず、あれこれと試す。

あらぬ疑いをかけられ、家康は正室瀬名(築山殿)を殺害、

嫡男松平信康を自刃に追いやる。

越前の朝倉義景に上洛するよう求めるが、無視されたため、

信長は援軍要請に応じた家康一行も含め、

義景討伐軍3万を率いて越前の国へ入る。

ところが信長の義弟、浅井長政が寝返り、退路を断たれる。

挟み撃ちになっては面倒と、信長は即退却を決意する。

名乗り出た秀吉と共に、家康が殿軍に加わるようにと信長は言う。

家康を試そうとした、信長の真意を後になって家康は気付く。

信長に呼ばれて安土を訪れた家康は、接待を受けるが、

鯛の刺身が傷んでおり、家康は食すのをやめる。

目ざとく気づいた信長は怒り心頭、饗応役の明智光秀を

足蹴にする。

このことが光秀の恨みを引き起こし、本能寺の変に至ると

通常言われている話である。

ところが本書では、異なる見方をしている。

信長と光秀は、家康の前で芝居を打ち、

これが家康を陥れる仕掛けになるはずだった。

その後家康は信長の勧めもあり、大阪、堺見物に出かける。

堺の今井宗久邸でお茶をいただいていると、

信長が京に到着との急な知らせが入り、直ちに家康に

京に来るようにとの伝言が届く。

ほかの茶会にも呼ばれており、旅の疲労もあり、

その夜はゆっくり休みを取り翌朝、京へ向かうことにする。

ところが、その夜。明智光秀の一隊が信長の滞在している

本能寺に攻め込み、信長は非業の死を遂げる。

実は、その夜、信長は家康を招いて茶会を催し、

途中で信長は本能寺を抜け出し、家康一行が残る本能寺に

光秀たちが攻め込む手筈になっていた。

家康は信長の殺意を事前に把握して、

運よく己の命を落とさずに済んだのである。

危うく危機を逃れたものの、家康一行は堺からの逃避行が始まる。

所謂「伊賀越え」で、家康にとっては生涯で最も苦難に満ちた、

命からがらの逃避行であった。

この物語のクライマックスである。

堺→和泉→平野→八尾→飯盛→尊延寺→草内→郷ノ口

→山口→朝宮→信楽→神山→多羅尾→御伽峠→西山

→丸柱→河合→柘植→加太→関→亀山→白子、
命を狙われながらも無事峠を越えて、

白子からは船に乗り大浜へ、そして陸路で岡崎へ戻る。

部下にも呆れられる凡庸な武将、家康にのしかかっていた、

今川、武田、織田の強大な勢力の重石がなくなり、

いよいよ天下人としての家康への第一歩が、

これから始まる。



by toshi-watanabe | 2017-04-11 09:38 | 読書ノート | Comments(0)

新宿御苑でお花見

昨4月6日は朝から晴れ間も見え、お花見に出かける。
新宿御苑の新宿口に行くと、入口の門のところには大勢の人たち、
列もみだれて大混雑の様相。
手荷物検査が行われており、特にアルコール飲料の持ち込みは厳禁。
検査が済むと、今度は入場券の販売窓口に長蛇の列。
大人一人、入場料は200円也。

58ヘクタールもの広々とした苑内だが、すでに大勢の見物客が見られる。
皆さん、お花見日和を逃すまいと、やって来られているのだろう。
誰もが思いは同じ。
海外から来られている方たちもずいぶんと目につく。
東京九段、靖国神社のソメイヨシノの開花宣言があったのが、
確か3月21日、すでに2週間を超えている。
桜の花は満開、まさに春爛漫の桜一色である。

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ソメイヨシノが最も多いが、御苑には60種類以上の桜の樹がある。
満開になったばかりなのが、「アメリカ」。
かって米国に送られたソメイヨシノの実生から生まれた品種で、
ソメイヨシノに比べて花が大きい。
現地では「曙」と呼ばれたが、日本国内にはすでに同名のものがあり、
「アメリカ」とされた。

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もう峠を過ぎた感じの「陽光」。
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「シュゼンジカンザクラ」(河津桜のような品種)や「ヒマラヤヒザクラ」
等はすでに花の時期を終えている。
苑内を散策すると、いたるところに「ソメイヨシノ」。
枝を地面に届くほどに伸ばし、数えきれない花をつけている。
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これから満開の時期を迎える「枝垂桜」や「八重紅枝垂」。
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満開の時期を過ぎたと思われる「大島桜」。

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「太白」。
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「白妙」。
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「朱雀」。
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同じ桜でも、「ウコン」、「関山」、「御衣黄」、「フゲンゾウ」、
「一葉」などは、未だ固い蕾のまま。

桜以外にも、春の花が見られる。
「花海棠」。
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「木瓜」。
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壁面の如く、「深紅の椿」がぎっしりと咲いている。
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「土佐水木」と「支那水木」の黄色い花。
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「花梨」。
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草花も咲いている。
「射干」。
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「花韮」。
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「クリスマスローズ」。
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ピンクと白色の「踊子草」が群生している。
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「一輪草」も。
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途中、エコハウスの「レストランゆりのき」にて、昼食をとり、
すっかり苑内の散策を満喫する。












by toshi-watanabe | 2017-04-07 15:08 | 季節 | Comments(0)

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幸田真音さんの最新作「大暴落 ガラ」を読み終える。
「ガラ」とは、相場用語で急激にすべてが値を下げること。

暴落よりもさらに恐怖感をともなう強烈な下げを意味し、

通常は回復までに長時間を要する。

時は今から2年後、この物語の主人公、

三崎晧子(みさきこうこ)が日本初の女性総理大臣に

就任したところから、この物語は始まる。

前総理の山城泰三が病のために続投不能に陥り、

次期総理選出のため、突然政権与党内の総裁選挙へ突入。

候補者5名のなか晧子は紅一点、大接戦の末、

晧子を破って与党の新総裁に選ばれたのは小関嗣郎、

前評判通りの結果で与党の古株である。

ところが周囲の予想に反して、内閣総理大臣への

首班指名されたのは三崎晧子だった。

本来であれば、与党の総裁がそのまま総理大臣になるのが

通例なのに、思いがけなく与党の一部に加えて野党側の支持を受け、

晧子が選ばれ、大騒ぎとなる。

組閣人事を進めている最中に、東京に巨大な自然災害の発生が

起こりそうな気配になる。

東京の下町を流れる荒川の上流、埼玉県の秩父地方に大雨警報が出、

猛烈な勢いで増水し東京に向かって流れ始め、しかも大型台風が二つ、

東京方面に近づいているという深刻な状況にあり、

荒川の堤防が決壊する恐れが出てきた。

東京の下町一帯が浸水するばかりでなく、地下鉄などの地下に

大量の水が流れ込んでは大変な事態になる。

総理は緊急非常事態の宣言に追い込まれる。

時を同じくして、ロンドン為替市場で突然円売りが始まり、

中央銀行である日本銀行の債務超過が危惧されたのか、

日本の通貨の失墜がどこまで行くのか、金融関係者に激震が走る。

新規国債の入札にも応じる金融機関もなく延期となる。

若い頃、米国系の投資銀行に在籍した経験のある晧子も懸念する。

東京の大災害が起こった場合には、さらに事態を悪くする。

過去にハリケーンによる大災害がニューヨークの金融市場に

ダメージを与えたこともある。

現場では夜を徹して最大限の対策をたてたのだが、荒川は氾濫し、

結局700名近い犠牲者を出してしまう。

総理の指揮にも拘らず、担当大臣の動きは鈍く、

与野党ともに防災に無関心で行動せずの状況だった。

それにも拘らず、トップの初動が手遅れだったと非難するばかり。

船会社のクルージング船に被災者を避難させたり、

総理自ら色々と手を尽くし、犠牲者を増やさずに済んだ。

天候の回復とともに、復興作業は直ちに開始、円安も収まり、

心配されていた国債入札も再開される。

大暴落になる事態は何とか防げた。

臨時国会が召集され、冒頭に三崎晧子総理大臣は

所信表明演説を始める。

野党からの嫌がらせやヤジが盛んに飛ぶ中、晧子は滔々と思いを語る。

この場面が物語終盤のハイライト、この小説の最も面白い場面である。

現実に即した場面もあり、

巨大な自然災害が首都東京に起きたら、どうなるのだろうと、

大いに考えさせられた。

過去の災害を思い返してみても、いつも後手後手にまわっている。

反省総括はするものの、

その後この経験が対策に全く生かされていないのが実情。

同じことの繰り返し、情けない限りだ。

この小説、日本初の女性総理を主人公に持ってきたところが、

一つのポイントなのだろう。

小池百合子東京都知事とダブるようなところも見られた。




by toshi-watanabe | 2017-04-04 10:56 | 読書ノート | Comments(0)
3月31日はパソコン勉強会の仲間とお花見撮影会。
午前10時半、JR中央線の武蔵小金井駅の改札口にて集合。
今回は6名が参加する。
駅前からバスに乗車し、5分ほどの距離、
玉川上水を通り越せば、目的地の「小金井公園」である。

私にとっては初めての場所だが、
女性のMさんがご存じで、計画を立てていただいた。
昭和29年(1954)に開園した東京都立の公園、
80ヘクタールほどの広さがある。

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入口を入ると、そこは「桜の園」、
すくなくともソメイヨシノは今頃満開のはずだったのだが。
ちらほら花の咲いている樹木が数本見えるだけ。

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菜の花は今まさに満開である。
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わずかに咲いているソメイヨシノ。

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辛夷の花が咲いている。
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桜の一種「陽光」、ピンク色の花が満開。
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すでに咲き終えている「大漁桜」。
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これから花の開く桜の樹木。
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どんよりとした曇り空で、外は寒い。
公園内にある「江戸東京たてもの園」に入る。
ここは有料となっている。
シニア向けの特別料金もあり。
平成5年(1993)に江戸東京博物館の分館として発足。
江戸東京たてもの園の敷地面積は約7ヘクタールある。
東京の歴史的な建造物が失われつつあるのを防ぐため、
現地保存の難しい文化価値の高い歴史的建造物を移築し、
復元・保存・展示するとともに、
貴重な文化遺産として時代に継承することを目指している。

先ずは腹ごしらえと、
復元建造物の一つ「デ・ラランデ邸」内にある
カフェ「武蔵野茶房」に入り食事をとる。
私自身は、カレーライスと生ビールをいただく。
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食後は、園内の復元建造物を巡る。
「三井八郎右衛門邸」の庭を散策する。

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庭から屋敷を望む。
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見事な枝垂れ桜が満開である。
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山茱萸も満開。
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蕗の薹と馬酔木。
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「高橋是清邸」の前には、原っぱが広がり、
今を盛りと「紫花菜(むらさきはなな)」の大群生。
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「高橋是清邸」を見学する。
二階の居間からは手入れの行き届いた庭が見渡せる。
2・26事件の際に高橋是清蔵相が殺害された部屋もそのまま。
硝子戸のガラスは明治時代のもの。
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園内の道を歩いていると、山野草などが目に付く。
富貴草、破れ傘、それに朱い色の馬酔木。
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東ゾーンの一角は、昔の商家(荒物屋、乾物屋、醤油店)、銭湯、居酒屋などが立ち並ぶ。
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旧自証院霊屋、皇居正門石橋飾電燈、下谷消防署の望楼上部なども見られる。
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未だ見学できなかった建造物も多々あり、
もう一度訪れてみたいと思う。










by toshi-watanabe | 2017-04-02 15:03 | 季節 | Comments(2)