折々の記

tnabe.exblog.jp

日々見たこと、 感じたこと、気づいたことをメモする

ブログトップ

<   2016年 06月 ( 7 )   > この月の画像一覧

6月29日、上野公園の東京国立博物館へ出かける。
開催中の特別展「ほほえみの御仏」を見学するためである。
ぜひとも見たいと思っていた展示会。

d0037233_10143777.jpg
昨年、日韓国交正常化50周年を迎え、その記念事業の一環として、
日韓両国の国宝、半跏思惟像が一堂に会することになった。
韓国では、5月24日から6月12日まで、ソウル市の国立中央博物館で展示された。
日本では、6月21日から7月10日まで、「ほほえみの御仏」展として、
東京国立博物館で公開されている。

d0037233_10230995.jpg
d0037233_10232212.jpg

7世紀の飛鳥時代に楠の木で彫像された奈良・中宮寺の国宝・半跏思惟像。
何かを思案するように右頬にそっと指を当てるしぐさ、
右足を左足の上に乗せて半分だけ座禅を組んでいる。

d0037233_10233687.jpg
d0037233_10234763.jpg
三国時代の朝鮮半島で盛んに造られた仏像の様式と技法が
日本に伝わり、独自の柔和さが加わった。
その歴史をしのばせるのが、韓国で国宝78号として
親しまれる金銅製の」半跏思惟像である。
中宮寺の像に先立つ6世紀後半の作品だが、
姿形はよく似ている。

時を経て初めて日韓両国で並ぶことになった。

入場券を買い求めるのに、10分ほど列に並んだが、大したことはない。
入場に当たっては手荷物検査を受ける。
本館を入って正面奥の部屋が展示場となっている。
明かりを暗くした広い部屋に入ると、右側に韓国の半跏思惟像、
左側に中宮寺の半跏思惟像があるだけで、他に展示物は一切なし。
(これで入場料千円とは、思った見学者がいるのかもしれない)

韓国国宝78号の半跏思惟像は像高83.2cm、台座高30.8cmと
小型だが、銅造に鍍金が施され、見事な光沢をかがやせている。
正面から見ると、優しげな微笑み、ちょっと横の方へ視線を移すと、
何かに思いに耽る表情が感じ取れる。
人々の救済を願いながら、瞑想する姿そのものである。
朝鮮半島では特に信仰が盛んだった弥勒菩薩として作られたとみられる。
もう一体国宝83号半跏思惟像があり、国立中央博物館に収蔵されている。

中宮寺の国宝半跏思惟像は像高126.1㎝、台座高79.6㎝と
韓国の像に比べると、かなり大きく見える。
楠の木造で、彩色が施されている。
普段は中宮寺本堂にご本尊として安置されており、
如意輪観音菩薩として知られている。
飛鳥時代の最高傑作であり、その高貴な微笑みは「アルカイックスマイル」の
典型として評価される。

日本と韓国の間の長い歴史をしのぶ意味でも、
大変貴重な機会ではないかと思う。
ぜひとも進めたい特別展である。









by toshi-watanabe | 2016-06-30 10:54 | 寺院・仏像 | Comments(2)
d0037233_14500507.jpg


内田康夫さんの著書「しまなみ幻想」を読む。
最近、実業之日本社文庫として出版されたが、
すでに2002年11月、単行本が光文社から発行されている。
書名にある通り、本州四国を結ぶ3本目の連絡高速道路、
通称「しまなみ海道」で起きる事件がテーマ。
正式には「西瀬戸自動車道」で、広島県の尾道と
愛媛県の今治をそれぞれ起点とし、
向島、因島、生口島、大三島、伯方島、大島などを巡り
海峡部に10本の橋梁(尾道大橋を含めて11本とも)を渡る。

この作品が書かれたときには、「しまなみ海道」が開通していたものの、
島嶼部自動車専用道路の一部が未整備、
その後、2006年に全面開通となった。
「しまなみ海道」は自動車専用道路のほかに、
歩行者、自転車のための専用道路も併設されている。
歩行者の通行料金は無料、また自転車も現在期限限定で無料。
数年前に、四国巡りのツァーの折に、この海道を通り、
瀬戸内の素晴らしい眺めに感嘆したものである。

因島はかって村上水軍(海賊)の拠点だったところ。
この作品でも、その末裔に当たるのか、村上姓の人物が登場。
生口島には、「西の日光」と言われる重要文化財の宝庫の、
「耕三寺」がある。
大三島は「神の島」と呼ばれ、この作品にも登場する
「大山祇(おおやまづみ)神社」が鎮座している。
伯方島は、「伯方の塩」で名高い。

この作品のテーマは、人が亡くなる事件の発生に対して、
警察が十分に調べもせずに事故あるいは自殺として
処分している現実に視点を当てたもの。
しまなみ海道の橋から女性が墜落死する事件が発生。
捜査本部が設けられたものの、自殺として処理される。
ところが、墜落死した女性が橋の上を歩いている姿を見たという
目撃者が2年後に橋から飛び込んだのか、遺体が海上で見つかる。
不審な点が次から次と表面化してくるのだが。

今治で手広く造船会社を営む村上家に嫁いだ美和が最初の犠牲者。
美和の娘、村上咲枝は今15歳の中学生、ピアノが得意で、
週末東京の駒込までピアノの指導を受けに出かけている。
ピアノの指導に当たる、島崎香代子は村上美和と
音大時代の親友、プロの演奏家として名を成すものの、
事故に遭遇しプロをあきらめピアノを教えている。
美和の依頼を受けて、香代子は咲江の指導を引き受けた。

浅見光彦シリーズで時折登場する、
東京北区上中里にある「平塚亭」に香代子が散歩がてら
咲枝を連れてやってくると、偶然光彦と顔を合わせる。
香代子は光彦と光彦の母親雪江とすでに顔なじみ。
特に雪江は香代子の若いころから知っている。
そこで話を交わしているうちに、咲枝は母親の美和が
2年前に不慮の死を遂げているのを口にする。
自殺として処理されていることに疑問を感じており、
母親が自殺するはずはないと、光彦に話す。
光彦探偵は村上美和の死に関心を抱き、
事件当時の地方紙を調べ、いよいよ現地へ出かける。

村上咲枝が誘拐され、危うい場面もあるが、
殺人事件の犯人を突き止め、見事事件を解決する。

作者がしまなみ海道を舞台にした作品を書いた背景には、
当時の愛媛県知事のお墨付きがあった。
しまなみ海道が全通した(実際はまだ一部は一般道を
通過していたのだが)のを機会に、
一種の村おこし的な効果を狙えるミステリーを
書いてくれないかーーーという知事の発言があったようだ。

因みに、愛媛県から東京までピアノを習いに通うなど、
現実離れした発想だと思うが、「浅見光彦倶楽部」の会員に
モデルぴったりの埼玉在住の女性がいたとか。
その女性は子供の頃、愛媛県新居浜から東京に通っていた。



by toshi-watanabe | 2016-06-28 14:50 | 読書ノート | Comments(0)

OB会で那須温泉へ


6月22日、1年ぶりのOB会があり、那須高原に出かけた。
朝ゆっくりと家を出、東京駅の地下街で弁当を仕入れ、東北新幹線に乗車。
約1時間ちょっとで那須塩原駅に到着、宿の出迎えの車に乗る。
ゴルフをやらないので宿直行である。
山道を登ること約半時間、3時半ごろには目的地に到着。
那須連山の主峰茶臼岳の山麓に位置する那須温泉「山楽」である。
曇り空のため、残念ながら山は望めず。

大正12年創業の由緒ある宿で、皇族の方も来館されている。
森に囲まれた4階建ての瀟洒な和風旅館。
ロビーラウンジからの庭の眺め、芝生がきれいに刈り込まれている。
d0037233_10403763.jpg

ゴルフコンペの連中はまだ到着しておらず、早速大浴場へ。
源泉かけ流しの温泉、少々熱めだが、広々として気分がいい。
特に広大な露天風呂が素晴らしい。
周りは緑で囲まれ、自然と一体化している。
風呂からあがるころ、雨が降り始める。

このOB会「Sの会」という名称がついており、メンバーは20人ほど。
今回は急に体調を崩したり、都合が悪かったりで、
参加したのは12名と予想外に少なくなる。
ゴルフ場もゲームが終わりクラブハウスに入ったころに
雨が降り始めたとか。
5時ごろには全員そろい、6時から大宴会がスタート。
「紫陽花咲く頃の御献立」と銘うった懐石料理。
宇都宮から来ていただいた、ぴちぴちしたコンパニオンも二人、
座を和ませてくれる。
飲むほどに、酔いも進み、すっかり賑やかに。
カラオケの用意もあり、のど自慢が得意ののどを聴かせたり。
宴会のあとは部屋で二次会。

翌日は前夜からの雨が上がらず、どうにも止みそうもない。
早朝、雨に濡れながら露天風呂に入るものの、長くは入っていられない。
個人的に、「平成の森」を歩くつもりでリュックを背負ってきたのだが、
諦めざるを得ず、東京方面に向かうほかの人たちと一緒に、
車で送っていただき
那須塩原駅から乗車、帰途に就く。

東京駅で下車、すっかり模様替えした地下街に行くも、
めぼしい店がなく、八重洲口に出て、
和食の店を見つけ、5人ばかりで昼食をとる。
食前のグラスビールがのどを潤してくれる。

来年の再会を約して皆と別れる。







by toshi-watanabe | 2016-06-25 10:50 | 旅行 | Comments(4)

d0037233_09052379.jpg

朝井まかてさんの最新作「残り者」を読み終える。
因みに著書カバーの挿画は瀬知エリカさん。
時は慶応4年(1868)の4月10日、
天璋院はいよいよ江戸城西丸の大奥を立ち退き、
御三卿の一家である一橋邸に引き移る。
その二日前の8日、大総督府から徳川家へ
「江戸城明け渡し」の沙汰があったばかり。

天璋院とは、島津家の養女、さらに近衛家の養女となり、
徳川13代将軍、家定三度目の御台所として江戸城に迎えられた篤姫、
家定亡き後、天璋院となる。
14代将軍、家茂の御台所、和宮は家茂亡き後、静寛院宮となり、
すでに前日、西丸を出て御三家の一家、田安邸に移っている。
当時西丸には天璋院、静寛院宮のほかに、家定公の御生母、
本寿院、家茂公の御生母、実成院も暮らしていた。
しかも各々が数十人から百数十人の奥女中を召し抱え、
奥女中らはまたそれぞれ部屋方という下女を雇っていた。

大広間に集められた百七十人ほどの奥女中を前に姿を現したのが
天璋院で一同をお目通りする。
天璋院と高位の奥女中が第一陣として、
中級の御目見得である、この物語の主人公りつなどの奥女中は
第二陣として退去し、一橋邸に向かうことになっている。
天璋院は「ゆるゆると、急げ」と一同に伝えると、
瞬きもせずにもう一度広間を見まわして、御上段の間から下りた。
天璋院が召した上掛は、呉服之間に奉公するりつが縫い上げたもの。
銀糸や色糸で葵と七宝文様を配した黒綸子地で、
りつの手は綸子特有の粘りけと膨らみをはっきりと覚えている。

この小説は5人の女性が江戸城を引き上げる最後の一日を、
朝井さん流のきめ細かなタッチで描かれている。
りつの生家、阿藤家は直参旗本である。
とはいっても提灯や煙草盆作りで家計をやっと支えるような家庭。
りつは15歳になった折、伯母の口利きで本丸大奥、
御台所様付きの女中奉公に上がった。
呉服の間はりつの役職の名であり、働く場の名でもある。
西丸大奥の北西に呉服の間は二部屋が並んでいて、
一部屋はりつら天璋院付きが七人、もう一部屋には
静寛院宮付きの五人が詰めていた。
呉服の間の静寛院宮付きの一人が、
この物語に登場し、りつのライバルでもある、もみぢである。
ほかに登場するのは、御中臈のふきと、御三之間のちか、
御膳所のお蛸。三人の女性たちである。
天璋院が可愛がっていた、猫のサト姫が逃げ出し、
サト姫の面倒を見ていたお蛸が一生懸命に探し、
りつとちかが手伝い、退去に手間取っているうちに、
ふきともみぢに出会い、5人の女性はとうとう
その日のうちに退去できず、西丸内で夜明かししてしまう。

翌朝江戸城を退去する終盤の場面は圧巻で、
素晴らしい筆致で描かれている。

エピローグという形で、
新しい明治時代、5人の女性が久し振りに
顔を合わせる場面が描かれている。




by toshi-watanabe | 2016-06-18 09:08 | 読書ノート | Comments(0)
d0037233_13302344.jpg

つい最近、新装版文庫として講談社から出版された、
内田康夫さんの「死者の木霊(こだま)」を読む。
実は、この作品は内田さんの第一作、デビュー作品である。
書かれたのは昭和55年(1980)、
当時無名だった内田さん、この作品は自費出版された。
翌年、朝日新聞の読書欄で作品が紹介され、知られるようになる。
商業ベースで講談社文庫として世に出たのは、昭和58年(1983)だった。

木曽山脈を水源地として、長野県飯田市の南縁に沿って流れる松川、
かっては「あばれ松川」の異名を持つ河川だったが、
治水のためにダムが建設された。
その松川ダムで七つの部分に切り分けられた、バラバラ死体が
発見されたのが事件の発端。
地元の飯田署に捜査本部が置かれ、
捜査主任に選ばれたのが、竹村岩男巡査部長。
この作品のあと、竹村警部シリーズの作品が書かれ、
“信濃のコロンボ”と呼ばれ、のちには浅見光彦とも巡り合う。
当然、この作品には浅見探偵はまだ登場しない。

遺体の身元は判明し、遺体を運んだとされる人物も割り出される。
遺体を切り分けた現場も確認できたのだが、
殺人犯と目される人物(遺体の甥)とその妻は行方不明。
数日後に、その夫婦が戸隠キャンプ場近くの川に架かる橋に
首つり自殺をしているのが発見される。
これで一件落着とされて、捜査本部は解散。

ところが竹村巡査部長は疑念が晴れず、
上司の指示を無視して、勝手に動き始める。
ある会社の社長の秘書を務める女性から情報を得ようとする。
その女性の結婚式場に乗り込み、花嫁の着替え室に入り、
話しを聞きたいと竹村は強引に詰め寄ると、
花嫁は挙式のあとにしてほしいと伝える。
式の始まる前に、花嫁衣裳のまま女性は飛び降り自殺。

週刊誌にも取り上げられ、
竹村巡査部長は、停職1カ月、減給百分の十、十二カ月という
処分を受けてしまう。
処分にもめげず、自費を使って事件の現場を飛びまわる竹村。
鉄壁の隠蔽工作を見事崩し、事件を解明、
真犯人の逮捕に至る。

小説の舞台は、飯田、東京、青森、戸隠、鳥羽、軽井沢、
松阪と転移させながら、季節感に合わせた風物描写にも
筆が行き届いて、殺人事件の陰惨な空気を和らげている。

竹村刑事部長には2階級特進の話も。

内田作品のまさに原点といえる作品である。



by toshi-watanabe | 2016-06-09 13:30 | 読書ノート | Comments(0)

同期会が続く

このところ同期会が続いた。
5月の最終日曜日、29日には、中学の同期会が開かれた。
新制中学の三期生の集まりである。
昭和24年、まだ中学の校舎が出来上がらず、一時は近くの旧制女学校
の校舎を借りて授業が行われた。
一学年の一学期は三クラスあり、一クラス80人、とても勉強する場ではなかった。
その後疎開先から戻ってきたり、海外から引き上げて来た子供たちが加わり、
昭和27年の卒業時には、五クラス、約270名の同期生だった。

年々同期会への参加者は減少し、今回は同期生21名、恩師1名。
会場は前年と同じ、王子駅近くの「北とぴあ」、26階にある宴会場。

d0037233_13392623.jpg
窓から外を眺めると、東京スカイツリーが望める。
下の方には、新幹線がちょうど走っている。
左側に小さく見える一両の電車は、都内唯一残る路面電車の都電「荒川線」である。
右側の緑の森は、桜の名所「飛鳥山公園」。

d0037233_13393748.jpg
d0037233_13395592.jpg
今まで5クラスから1人づつ幹事を出していたが、
このまま続けるのも大変で、自発的に面倒を見てくれそうな
男性二人にお願いし、今後同期会をどうするか検討していただくことにする。
どういう形になるかわからないが、来年も開催されることになるだろう。


さて今週、6月5日(日)から6日(月)にかけて、小学校の同期会があった。
関東地方も梅雨入り、朝からあいにくの雨模様となる。
小学校の同期会は、10年ぐらい前からだろうか、
この時期に熱海温泉で泊りがけで行われている。
昨年は参加できなかったので、私にとっては2年ぶりの参加である。
宿の集合時間は午後3時、いつものことだが、宿に付く前にどこかに立ち寄ることにしている。
今回も小田原で下車して、「小田原城址公園」へ。
傘をさしての散策となる。
小田原城天守閣は、リニューアルが終わり、最近再公開したばかり。

d0037233_13515869.jpg
d0037233_13521661.jpg
花菖蒲と紫陽花の名所となっている。
花菖蒲は幾分時期が早いのか、少々寂しい感じだが、
雨に濡れて、色合いも鮮やかである。

d0037233_13540418.jpg
d0037233_13541564.jpg
d0037233_13542700.jpg
d0037233_13543670.jpg
d0037233_13544477.jpg
d0037233_13545458.jpg

d0037233_13552866.jpg
d0037233_13553842.jpg
d0037233_13560178.jpg
d0037233_13561306.jpg
d0037233_13563417.jpg
d0037233_13564543.jpg
d0037233_13565415.jpg
d0037233_13570487.jpg
d0037233_13571605.jpg
d0037233_13582668.jpg

紫陽花は見ごろを迎えている。

d0037233_13585063.jpg
d0037233_13590489.jpg
d0037233_13591315.jpg
d0037233_13592188.jpg
d0037233_13593557.jpg
d0037233_13594789.jpg
d0037233_14004024.jpg
d0037233_14005303.jpg
d0037233_14010293.jpg
d0037233_14012377.jpg
d0037233_14015420.jpg
d0037233_14020535.jpg
d0037233_14022897.jpg
宿に着くと、温泉にのんびりとつかり、部屋に落ち着きビールを一杯。
今回の参加者は、男性7名女性3名、それに恩師が1名と、
ここの会の集まりも年々減少の一途。
特に女性の参加者が少ないのは残念。
何しろわが同期生、今年傘寿を迎える年代、体調を崩したり、
パートナーの介護やら、一泊旅行への参加が難しい人たちも。
ほぼ毎回参加していただく、恩師のT先生は今年卒寿を迎えられ、
確か2、3年前にご主人に先立たれている。
毎年干支の折り紙をいただいている。
我々が小学校を卒業して、早や67年。
戦時中の学童疎開にも引率されたT先生、70年超のお付き合いということになる。
いつまでもお元気でおられるよう、祈るばかりである。

何度も訪れている、この宿、珍しく他に宿泊客がなく、
我々だけの貸し切りで、他の客への遠慮も不要、
夕食会も大いに盛り上がる。
湊が近く、新鮮な魚介類がふんだんにテーブルの登場し、
アルコールの量も、ついつい増えてしまう。

6日の朝9時過ぎ、宿で解散。
干物のお土産までいただく。



by toshi-watanabe | 2016-06-07 14:14 | 季節 | Comments(2)
d0037233_11020112.jpg


葉室麟さんの最新作「秋霜」を読み終える。
豊後羽根藩(ぶんごうねはん)の第4弾である。
羽根藩が著者の作品にはじめて登場したのが、
直木賞受賞作で映画化され好評を得た「蜩(ひぐらし)の記」だ。

読み始めてすぐ気が付いた。
「秋霜」は昨年3月に出版された、葉室作品「春雷」の続編。
「春雷」は羽根藩シリーズの第3作で、
主人公は鬼隼人とも呼ばれた多聞隼人。

多聞隼人はすでに亡く、
事情があって多聞隼人から離縁された楓が、おりうとともに、
身寄りのない子供たちの面倒を見乍ら羽根藩領内の欅屋敷に住んで、
平穏な生活を送っている。
欅屋敷には前作にも登場した千々岩臥雲という
学者が学問を教えている。
大酒のみで、屋敷では全く役立たず。
同じく前作に登場した修験者の玄鬼坊も時折屋敷に顔を出す。

そんな折、一見武士風、32,3歳の若者が欅屋敷に
紹介状を持って訪れる。
草薙小平太という、ある使命を帯びている。
屋敷の主ともいえる楓はまだ36歳、美しい婦人である。
小平太は屋敷で下男のような仕事を快く受け負い、
力仕事は何でもこなす。
楓をはじめ、子供達とも気心が通うようになる。
同時に楓のためには何でもしようという思いに至る。

江戸幕府から巡見使が羽根藩に向かう。
多聞隼人が直訴した結果、先の藩主三浦兼清は隠居し、
新しい藩主、新しい家老となっているものの(前作で書かれている)、
幕府の疑念が晴れない、ある事情があった。
それを恐れた前藩主は巡見使が藩入りをする前に
関係者を口止めする必要があり、
家老の兵衛を使って色々と手を打つことに。
その一つとして、小平太も欅屋敷に送り込まれたのである。

事態は急を告げ、結局臥雲が犠牲者となるものの、
楓や子供たちが無事羽根藩を逃れて行くところまで、
葉室流の見事な筆致により、
読者は物語に引き込まれてしまう。

原文の一部をそのまま紹介したい。

羽根藩存続のために、已む無く藩主兼清を斬った
家老職の兵衛に向かってお付きの佐十郎は
真剣な表情で言う。

「旦那様は、まことに厳しきお覚悟をされておられます。
 されど、羽根藩のため、これからもなさねばならぬことが
 おありだと存じます。
 大殿を殺めたのはそれがしということにしてはいただけませぬか。」

苦笑して兵衛は答える。

「わしがさような誤魔化しが嫌いであることは知っておろう。
 秋霜のごとく、ひとに苛烈にあたるからには、
 おのれにも厳しくあらねばなるまい。
 遅れれば未練が増す。
 介錯を頼むぞ。」

by toshi-watanabe | 2016-06-02 11:03 | 読書ノート | Comments(0)