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新装版の光文社文庫として出版されたばかりの
「萩殺人事件」を読み終える。
内田康夫の長編推理小説である。
ご存知素人探偵、浅見光彦シリーズの一冊なのだが、
トータルで560ページほどのこの文庫本で
浅見探偵が登場するのは230ページ辺りからだ。
浅見光彦とは大学時代からの親友で、
「独身貴族連盟」を標榜する仲間である
松田将明を中心に物語は始まる。
松田は勤め先の上司からお見合いを勧められて、
山口県へ向かう。
目的地は宇部なのだが、1週間の休暇を取り、のんびりと
萩から、金子みすゞ生誕の地長門市仙崎などを巡る旅に。

萩に向かう列車から見かけた赤い傘の女性に心惹かれ、
列車を降りて彼女が佇んでいた場所を訪れるものの、
すでに姿はなく、そこに落ちていた萩焼のネックレスを拾う。
これが事件の発端となり、殺人事件に巻き込まれて行く。
因みに、女性が佇んでいた場所は、「萩反射炉」(韮山にある
反射炉と同じ形だが、はるかに小型、
今年、ユネスコの世界文化遺産に登録された)
また、その女性こそ松田の見合い相手、
八木康子であることが後でわかる。

松田は無事見合いも上々の結果になったものの、
自分自身も疑われるような殺人事件の
難問解決に行き詰まりを感じていた折、別の目的で山口に来ていた浅見光彦と
偶然落ち合うことになる。
いよいよ浅見探偵の推理と活動により、事件解決の糸口が見つかり、
急展開で物語は進展する。
後半に入ると、すでに読んだ記憶のある場面が出てくる。
「萩殺人事件」を読むのは初めてなのに、どうしたことかと気になり始める。
そこでやっと気が付く。
今年10月に読んだばかりの、内田康夫の作品「汚れちまった道」
(中原中也の詩が盛んに出てくる)に出てくる場面が、
そのまま重複して本書にも登場しているのだ。

著者があとがきでも書かれているが、
本書「萩殺人事件」は光文社から、「汚れちまった道」は
祥伝社から、「ヤマグチ・クロス」と銘打って、
2012年10月に同時刊行された。
非常に珍しいケースというか前代未聞である。
山口県を舞台に、独立した二つの物語が、
登場人物はもちろん、次々に起こる事件が相互に干渉しあいながら
展開し、それぞれの大団円を迎える。
著者によれが、企画段階では予想もしなかった難題にしばしばぶつかり、
取材から出版まで二年有余に及ぶ時間とエネルギーが費やされた。

観光名所が登場するのも、このシリーズの面白い所だと思う。
本書でも山口県内の名所がいろいろと出てくるが、
「赤間硯」の工房を訪ねる場面もある。
案外知られていないが、「赤間硯」と言えば、
宮城県の「雄勝硯」(東日本大震災では巨大津波の被害を受けた)、
山梨県の「雨畑硯(雨端硯)」とともに硯石の日本三大産地である。
山口瑠璃光寺の国宝五重塔は訪れたことがあり、
非常に美しい五重塔である。
日本でも他に例のないような宇部興産専用道路も出てくる。
実際にこ道路を通ったことはないが、偶々旅行中に、そばから見ている。

ファンクラブである「浅見光彦倶楽部」によれば、
「萩殺人事件」と「汚れちまった道」の二冊を
同時進行で読むのがいいらしい。




by toshi-watanabe | 2015-12-30 11:19 | 読書ノート | Comments(2)

「恨み」と「怨み」

「怨恨」という言葉がありますが、どちらも「うらみ」。
「恨み」と「怨み」、どう違うのだろうとウェブサイトを見てみました。
実際は大きな違いはなく、ニュアンスの違い程度ではと思うのですが、
いくつか違いが指摘されていましたので参考までに列挙しますと、

「恨み」は晴らす事が出来ないが、「怨み」は晴らす事が出来る。
「恨み」は行為や選択が対象に対して、「怨み」は人や物が対象。
「恨み」は過去の物事に対して、「怨み」は現在の物事に対して、
等々ですが、果たしてどうでしょうか。

過日の外相会談で決着がついた韓国の慰安婦問題。
取り敢えずの筋道がつけられたということではないでしょうか。
慰安婦の支援団体からは納得できないという声が上がっていますね。
韓国政府は努力するという文言、努力目標で決定ではない。
韓国は「恨(はん)の文化」と、よく言われます。
日本人が考える以上に、韓国人の恨みは根深いようです。
因みに日本は、「和の文化」とか「恥の文化」と言われたりしています。

話が飛びますが、
瀬戸内寂聴さんはご自身の体験を次のように語られています。

中国では、「怨みに報いるに徳を以て(もって)せよ」
という教えがあります。
私は終戦を北京で迎えたとき、
たぶん日本人は皆殺しにされるだろうと脅(おび)えていました。
ところが、こわごわ門を開けたとき、
前の路地の壁一杯に貼られた赤い短冊(たんざく)の墨痕鮮やかに
「怨みに報いるに徳を以てせよ」と書かれたいました。
そのときのショックは七十年経っても
まだありありと記憶に残っています。

現在の中国ではどうでしょうか。
共産党政権でコントロールされている大国、
中国人本来の徳など、過去の遺物化されているのかもしれません。




by toshi-watanabe | 2015-12-30 11:11 | 一般 | Comments(0)

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伊東潤の「天下人の茶」を読み終える。
帯カバーに「究極の美を求めた男・千利休の死の謎」とある通り、
千宗易(利休)が主人公の時代小説である。
ところが、千宗易自身は序盤と終盤に登場するだけ。

「天下人茶 第一部」
天下人となった秀吉は禁中能を催し、紫宸殿に後陽成帝を迎え、
「明智討」を舞いながら、宗易と初めての出会いのことを
思い出すところから物語は始まる。
信長の天下統一事業が着々と進む天正4年、
信長は妙覚寺方丈で茶会の席を設けた。
左手に3人の武将、右手に3人の商人が居並ぶ。
武将とは、丹羽長秀、明智光秀、そして秀吉。
商人とは、堺の茶匠、今井宗久、津田宗及、そして宗易。
この席で信長は難問をいとも簡単に解決、その知恵に舌を巻いたと、
大げさに宗易をほめちぎるのを聞いて、秀吉は驚く。
茶会の帰り際に二人は言葉を交わす。
宗易の顔つきは愚鈍そのものだが、虚けではないと、秀吉は見抜く。
宗易は堺で生まれ、年齢は信長より12歳、秀吉より14歳上である。
生家は、「魚屋」と呼ばれる納屋業(倉庫業)及び、干し魚の卸業を
営む豪商で、地下請け(自治)を始めていた会合衆の一員として、
堺でも有数の家柄だった。

「奇道なり兵部」
宗易を尊師と仰ぐ、牧村兵部の話である。
渡海軍の一将として朝鮮半島、慶尚南道東端の地に陣を布き、
加藤清正率いる隊の警備に当たっていた。
師の利休居士が亡くなられたとの知らせを受けるものの信じない。
そして師の教えを思い出す。
「数寄の道に常道は邪道」
「奇道こそ侘茶の境地」
「人のたどった道、すなわち常道を行こうとする者に、奇道は見えてきません」
戦の最中、高麗の碗を目にし、これぞ真の侘びと、高麗の碗を
血眼になって探し始める。
「歪み茶碗」を収集できるのだが、角弓の矢を受け、命を落とす。

「過ぎたる人」
利休を尊敬する瀬田掃部は自信作の茶杓を利休に見せると、
削る者の心が映されている、いよいよ一つの
境地に達せられたようだと褒められる。
利休の師匠に当たる武野紹鷗の時代には、
茶杓の真の格は象牙で、草の格は竹と言われていたが、
象牙は高価で、手に入らず、紹鷗は竹を使い、
真の格と草の格の垣根を取り除いた。
その年、利休に感謝の意を示すために、大徳寺の山門に
利休の等身大の木像が飾られたのだが、
これが秀吉の勘気に触れ、利休は蟄居謹慎を命じられる。
そして利休は自害して果てる。
そんな折り、秀吉の姉の子で、秀吉の養子となっていた秀次は、
秀吉との間に隙間風が吹くのを感じるようになる。
秀次と掃部は密談し、ある計画を立てる。
秀次は掃部を使者として秀吉のもとに派遣し、
仲直りの茶会を行いたい旨を告げると、秀吉は提案を受ける。
石田三成が外で警戒する中、茶会の席に秀吉は一人で向かい、
秀次と掃部が対坐する。
象牙の茶杓を準備していたのだが、うまく行かず、
錯乱した秀次は手順を間違え、掃部が秀吉を刺す前に、
掃部を刺してしまう。

「ひつみて候」
古田織部と小堀遠州の話である。
利休が自害の場に向かう船着き場で、最後に会ったのが、
織部であり、利休の跡継ぎとして最も信頼していたのが織部。
秀吉も織部を信頼し、死の直前に二人は話を交わしている。
大坂冬の陣、豊臣家の安泰を願って奔走する織部なのだが、
それが裏目に出て、切腹することに。
介添えをするのが、織部の弟子となっていた遠州。
織部は遠州の能力を認めていなかったのだが、
遠州は徳川将軍家に取り入り、織部流の茶の湯を根絶し、
自分流の茶の湯を進めるのだという。
切腹の場で、織部は初めて遠州の仕業だったと悟る。

「利休形(りきゅうなり)」
蒲生氏郷と細川忠興の二人の間で交わされる話により、
利休像が浮かび上がってくる。

「天下人の茶 第二部」
いよいよ終盤である。
茶の湯の文化を庶民にまで広めるために、
それを理解してくれる天下人の出現が必要。
信長に見切りをつけて、秀吉を見込んだ利休。
本能寺の変へ至るシナリオを描き、演出したのが利休だという。
天正15年10月、秀吉は、高位の公家から浮浪の侘数寄まで
一堂に会した「北野大茶湯」を開催する。
この催しこそ、秀吉と利休が求めてきた茶の湯の敷衍を
象徴する一大行事となるはずだった。
しかし10日の予定だった興業は、わずか一日で終わる。
あらゆる階層の人々が、あらゆる道具を持ち寄って茶を楽しむという、
利休の目指した茶の精神、「一視同仁」を具現化した
一大行事も尻すぼみに終わった。

茶の湯文化を創出した男とその弟子たちに生き様が見事に描かれている。



by toshi-watanabe | 2015-12-23 09:08 | 読書ノート | Comments(0)

好天に恵まれた今月18日、上野へ出かける。
晴天とはいえ、北風は強く吹き、かなり肌寒さを感じる。
二子玉川あたりからは、白雪をいただいた富士山がくっきりと見える。

「上野の森美術館」にて開催中の肉筆浮世絵・美の競艶という
浮世絵の展示会を見学する。

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米国シカゴの日本美術収集家、ロジャー・ウェストンの
個人コレクションの一部が、今回本邦初めて出展される。
千点以上に及ぶコレクションは、世界有数の規模と質を誇り、
その中から厳選された約130点が出品されている。
この展示会、すでに大阪と長野で開催されている。

4月13日~6月21日  大阪市立美術館
7月11日~10月13日  北斎館(長野県小布施)

江戸初期から明治にかけて、浮世絵の流れがわかるように展示されている。
勝川春草、喜多川歌麿、歌川豊国、葛飾北斎、河鍋暁斎など、
50人を超える絵師による、多彩な美人画が並ぶ。
版画浮世絵とは異なり、肉筆浮世絵は絵師が絹地や紙に筆で直接描く。
貝殻を砕いた胡紛を使って、白粉をはたくように
何度も薄く重ねることにより、白く滑らかな肌が描かれる。
筆で細かく描かれた髪の生え際やうなじの毛筋、睫毛、
唇の紅のぼかし、また薄い着物越しに透けて見える肢体など、
美人の色香を引き立てる精緻な表現が見事である。
華麗な衣装の文様まで、精緻に描かれている。
会場は美人画で満たされているが、特に目立つのが立姿美人画である。

展示作品から数点をご紹介。

喜多川歌麿の「西王母図」
歌麿としては珍しい、中国の伝説上の仙女を描いた作品。
最近発見された作品で、専門家により真筆であると鑑定された。
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初代歌川豊国の「時世粧百姿図」
24葉あるうちの1葉。

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二代歌川豊国の「絵巻を見る男女」

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葛飾北斎の「美人愛猫図」

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河鍋暁斎の「一休禅師地獄太夫図」

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展示方法に最新技術が採用されている。
見学者が見やすいように、薄型の陳列ケースを特別にあつらえている。
LED照明の採用はもちろん、薄型で面発光の有機EL照明を取り入れ、
透明度が高く反射の少ないアクリルパネルを使用している。

「上野の森美術館」での展示会は、
2016年1月17日まで開催されている。
浮世絵に興味のある方には、お薦めの展示会である。

美術館を出ると、すぐ目の前に十月桜の木が一本、
小さな愛らしい花を咲かせている。

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by toshi-watanabe | 2015-12-20 09:56 | 一般 | Comments(7)

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澤田瞳子の著書「師走の扶持(しわすのふち)」を読み終える。
サブタイトルとして、「京都鷹ヶ峰 御薬園目録」とある。
目次を見ると、「糸瓜(へちま)の水」、「瘡守(かさもり)」、
「終(つい)の小庭」、「撫子(なでしこ)ひともと」、
「ふたおもて」、「師走の扶持」となっている。
それぞれ独立した短編として読む事が出来るが、
一人の主人公が場面を変えて登場し、全体が一つの物語となっている。

主人公の女性、元岡真葛(もとおかまくず)は京から勉学のため
江戸に下り、本草家の小野蘭山の邸宅、秀方軒に身を寄せている。
蘭山は常房総三州に出かけ、薬草に使われる植物を採取し、
収集した品を整理分類する。
真葛は率先して蘭山のお供をして出かける。
真葛は、京へ戻ることになり、その機会に小石川などの御薬園を訪ねることに。
だいぶ日焼けした真葛の顔を見て、蘭山は気遣い糸瓜水をと、
弟子の延島香山に言いつけたりする。
真葛が香山とともに小石川に出かけると、ある事件に遭遇する。
これが「糸瓜の水」の話である。

長年蘭山の荷持ちをしてきた老爺の喜太郎は齢70歳を迎えたのを機に
伏見の娘夫婦のもとに身を寄せることになり、
真葛のお供をしながら京へ向かう。
これが「瘡守」の話の始まりで、瘡守とは俗にいう梅毒である。
宮宿にたどり着き、対岸の桑名に渡るには七里の渡し。
この宿場町で、瘡守に苦しむ夫婦、伊兵衛とお佐和に巡り合い、
真葛が力になる。
六篇の中で、この「瘡守」の終わりの場面が秀逸、
最も感動的な作品だと思う。

次の「終の小庭」では二人が琵琶湖畔の大津にたどり着く。
真葛の義兄の倅が笑顔で迎えに来ている。
一方喜太郎は娘夫婦が来るのではと期待していたが、期待は裏切られる。
ところが町中で偶然出会った女の子が孫娘のお栄とわかる。
だが喜太郎の顔色は沈んだまま。
さて喜太郎一行が、娘夫婦の家にたどり着くと、
とんでもないことに巻き込まれてしまう。
難事も無事解決し、一同部屋に落ち着くと、
家の狭い庭に所狭しと植えられた薬草が目に入る。

京に戻った元岡真葛は、洛北、鷹ヶ峰で、荒子(あらしこ)たちと
御薬園の手入れに勤しんでいる。
真葛は幼いころ事情があって、藤林信太夫の養女となり、
養父や洛中の名医たちの薫陶を受け、調薬の腕は
信太夫の後を受け継いだ義兄の藤林匡すら凌ぐ。
真葛に縁談が持ち上がり、匡の嫁の初音も絡み、
おかしな事態に展開する。
縁談そのものはうまく行かないのだが、
空け放たれた庭先で、撫子が吹く風に揺れている。
撫子は別名を瞿麦子(くばくし)ともいい、
花後に付く種子は薬となる。
「撫子ひともと」である。

次いで「ふたおもて」。
鷹ヶ峰御薬園出入りで、二条衣棚の薬種屋、亀甲屋の話である。
主の宗平は生薬の買い付けのために始終諸国を飛び回っている。
店の商いはもっぱら25歳になる総領息子の
定次郎に任されている。
ある時、宗平は女性を伴い京に戻り、その後は生薬の
買付に出かけるのをきっぱりやめてしまう。
真葛はその女、お久と宗平の間柄を解き明かし、
何とか力になろうとするのだが、お久は出奔。
人の心は、児手柏の二表(ふたおもて)である。
涼しさを増した秋風が、児手柏の葉を揺らして、
宗平の隠居屋に吹き込んでくる。

最後は書名となっている「師走の扶持」。
真葛の生い立ちが明かされる。
棚倉の御前と呼ばれる従四位下佐兵衛佐、
棚倉静昴は、真葛の母親である倫子の実父。
だが倫子が真葛の父親、元岡玄巳との仲を許されぬまま、
この世を去り、玄巳が長崎遊学の途次に行方知らずと
なったのが二十年前。
だが毎年暮れに、扶持として米と味噌が棚倉家から
藤林家に届けられているものの、
静昴は孫の真葛を引き取ろうとしなかった。
ある時、真葛名指しで往診の依頼がある。
咳病(現在のインフルエンザ)で病の床に臥せっているのは
真葛の母親の弟(真葛にとって叔父にあたる)である棚倉家の跡継ぎ
弾正少弼、棚倉祐光だが、実は仮病と真葛は見破る。
真葛はおのれの身分を話すこともなく、祐光は真葛が自分の姪にあたるのを
知らずにこの物語は終わる。
祐光は何げなく口にする。
「こなたにはとうの昔に亡くなった姉君がおわすのじゃが、
そもじの物言いがふと姉君に似ている気がいたしたのじゃ。
不思議じゃのう。顔かたちや声は、まったく似ておらぬと申すに」
真葛は「さようでございますか」、と小さくうなずいた。
今年で最後になる、師走の扶持。
そのありがたさを噛みしめながら、この二十年の年月に、
一人、礼を述べる。



by toshi-watanabe | 2015-12-12 09:40 | 読書ノート | Comments(0)

昨12月8日、横浜は晴天との予報だったが、
ほぼ終日、曇り空で薄ら寒かった。
過日忘年会の折に、新宿御苑でヒマラヤ桜が満開だったという話を聞き、
わが地元のヒマラヤ桜も満開になっているのではと思い、
すぐ近くの地区センターへ出かけた。
何年か前にも、この桜の木については紹介した覚えがある。

現地に着くと、確かにヒマラヤ桜は今まさに満開。


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地区センターの建物をふと見ると、
アサガオの蔓がびっしりと伸び、いまだに花を咲かせている。
西洋アサガオだろうか、寒さに強い植物なのだろう。

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通りに面したところには見事な紅葉が目に入る。
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駅前通りの街路樹の銀杏の黄葉も一番きれいなとき。
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駅前公園の樹木はほとんど葉を落としているが、
ただ一本、紅葉している木がある。

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地元で、すっかり秋を感じた昼下がりだった。





by toshi-watanabe | 2015-12-09 14:19 | 季節 | Comments(4)

冬を迎えた群馬の山里

11月末から12月初めにかけて、群馬の倉渕へ出かける。
倉渕は現在高崎市内の町になっているが、
数年前までは長野県との県境に近い倉渕村という農村。
幕末から維新にかけて活躍した小栗上野介
新政府に追われ隠棲した土地である。
静かな生活を楽しんでいた上野介だが、新政府軍の兵士により殺害された。

日中、日が差していると暖か陽気だが、風はひんやりと冷たい。
夕方う4時ごろになると、日は傾き山の端の向こう側に落ち込む。
辺りはあっという間に漆黒の世界に。
気温も急激に下がり、早速薪ストーブに火を入れる。

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ストーブの前に座し、燃え上がる薪の炎を見ていると、
ついウトウトとしてくる。

万両の赤い実。
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十両とも呼ばれる藪柑子の赤い実。
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山茱萸(さんしゅゆ)の赤い実、茱萸(ぐみ)のような実で、
「秋珊瑚(あきさんご)」とも呼ばれる。
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蝋梅(ろうばい)の実と花芽。
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吾亦紅(われもこう)の残骸。
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山茶花(さざんか)の白花と赤花。
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菊の残り花。
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紅葉(もみじ)。
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紅葉した櫨の葉、「櫨紅葉」とは秋の季語とか。
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枯れ枝や枯れ草を取り除き、落葉をかき集める。
凍結から水回りを防ぐための準備も。
来春までの冬準備を済ませる。

夕刻、山並みの上に飛行機雲が見える。

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by toshi-watanabe | 2015-12-06 14:06 | 季節 | Comments(4)

11月初めに高校の同窓会が上野精養軒で開催されて、
会に参加した記事はすでに書いている。
ちょうど1週間前の11月28日、今度は高校のクラス会があった。
こちらは高校3年間、同じクラスだった仲間たちの集まりである。
昭和30年に卒業した際には40名だったのが、
他界したり転居先が不明だったりで、
連絡できるのは28名に、男性が9名、女性が19名である。
今回の参加者は男性6名、女性8名の14名と、集まりのいい方ではないかと思う。
私と女性のMさんが万年幹事を務めている。
数えてみると、卒業後60年になる。

会場は、ここ数年お世話になっている
高田馬場の無茶酒房「弁慶」。
奥の和室を貸し切りで使わさせていただいている。
午後4時半からスタートし、延々と9時ごろまで続き、
宴もすっかり盛り上がる。
来年は、どこか温泉へ1泊旅行しようという話になる。
以前箱根湯本に宿泊し、バスを貸し切って箱根巡りをして以来のこととなる。
幹事の仕事がまた増えるが、致し方なし。

ところで、午後時間があったので、クラス会の前に、
駒込の「六義園」に立ち寄る。
庭園入口の前に入場者の行列ができているのには驚く。
土曜日で秋の紅葉のシーズンでもあり、大勢の方が来られているのも頷ける。
海外からの観光客も多くみられる。
いざ入園してみて、がっかり。
時期的に早すぎたのか、期待した紅葉は見られず。
余り写真も撮れずだった。

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by toshi-watanabe | 2015-12-05 15:11 | 同期会 | Comments(2)