折々の記

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内田康夫さんの浅見光彦シリーズの一作「壺霊」(上・下巻)を読み終える。
この作品は、著者にとって百五十作目に当たる。
京都新聞に10か月にわたり掲載され、
角川書店から単行本として出版されたのが2008年12月。
その後角川文庫版でも発行されている。
ところが最近、文春文庫として新装版が発刊される。

大原の里に三千院とともに立つ古刹「寂光院」が
真夜中に何者かにより放火され、燃え上がる場面の、
前途に事件を予告するがのごときプロローグから始まる。

お馴染み主人公、浅見光彦は「旅と歴史」の藤田編集長から、
秋の京都取材を依頼される。
しかも原稿料は破格、アゴアシ付きで滞在費プラスアルファという好条件、
京都高島屋の7階に、「ダイニングガーデン京回廊」という
しゃれたレストラン街があり、会席料理の「たん熊」、
天ぷらの「つな八」など16店の有名店が並んでいる。
「和モダンな庭がつなぐ美食空間」がキャッチフレーズ。

  → http://www.takashimaya.co.jp/kyoto/restaurant/

今回の依頼はこの16店の探訪記事を書くこと。
光彦は引き受け、京都へ出かけることに。
すると、警察庁刑事局長の職にある兄の陽一郎から、
突然、どうせついでだから、引き受けてくれと頼まれごと。
陽一郎が若いころ京都勤務だった折りにお世話になった人から、
内々で相談を受け、光彦名指しで頼まれたとの話。

光彦は、京都に到着すると、兄から言われた「正雲堂」という
古美術商を先ず訪ねる。
古都の骨董街といった感じの通りで、大きな店構えのところ。
店から「正雲堂」社長の自宅に案内され、社長の伊丹大吉、大吉の孫娘に当たる
伊丹千寿そして千寿の叔母に当たる諸橋琴絵などと顔を合わせる。
大吉の息子の嫁で、千寿の母親であり、また琴絵の姉に当たる伊丹佳奈が失踪し、
同時に亀岡の諸橋家から佳奈が嫁入り時に持参した、高価な高麗青磁の壺が
伊丹家から忽然と消えてしまった。
母親と高麗青磁の壺を探してほしいというのが、今回光彦への依頼。
警察には届けたくない事情があってのことだが、
光彦にとっては全く雲をつかむような依頼。

この壺は、数千万円から1億円でもという高価な品物で、
「紫式部」という名前も付けられている。
実は、「紫式部」と名付けた本人が7年前に亡くなっている。
病死として簡単に済まされてしまったのだが、
殺害されたのではと、調査を進めるうちに光彦は推測する。
心臓発作で亡くなったとされた場所は自宅ではなく、
女性の住むアパートだったのだが、その直前に、
近くの寂光院で放火事件が発生し、地元警察署はそちらに手を取られ、
死因に全く不審を抱く余裕が無かった事情がある。

ところが、そのアパートに住む女性が殺害され、別の場所で遺体が
発見されるという事件が発生。
光彦は人探しや壺探しどころではなく、殺人事件に否応なく巻き込まれて行く。
殺害された女性は7年前に亡くなった男性の実の娘であることも判明。
謎は混迷を呈して行くが、名探偵光彦の推測は次第に謎を解いて行く。

伊丹家から世話されて、光彦は四条河原町からさほど遠くない
松原通の町家を滞在先として過ごしている。
千寿は京都造形美術大学の学生で陶芸を専攻している。
彼女の陶芸作品の展示を手伝ったりと、多忙を極め、
本来の目的である「ダイニングガーデン京回廊」の店での食べ歩きも
なかなか思うように進まない。

結果的には、母親も高麗青磁の壺も無事戻ってくるのだが、
そこには仕掛けがあり、光彦はその仕掛けの中で泳がされた様なもの。
この小説には魅力的で美しい京女が何人も登場する。
優しそうでいて、頭がよくしっかり者の美人たちである。
そして何より楽しいのは、京都の道案内、
よく知られた場所や店も登場するが、普段あまり訪れたことのない場所も
出てきて、興味をそそられる。

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下巻の終わりに、作者の「自作解説」に加えて、
本書のところどころにある挿絵を描かれている
小林由枝(ゆきえ)さんの絵と文による「空想迷路 - 浅見光彦と歩く -」
が嬉しい読み物となっている。

(追記)

平家物語ゆかりの京都大原寂光院は天台宗の寺で、清香山玉泉寺と号す。
平成12年(2000年)5月9日、何者かに放火され、
本堂は焼失、ご本尊お地蔵菩薩立像は損傷。
残念ながら犯人は不明のまま時効となる。



by toshi-watanabe | 2015-11-28 09:31 | 読書ノート | Comments(0)
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楡周平さんの最新著書「和僑(わきょう)」を読み終える。
読み始めたところ、東北の小さな町の話で、
若者が町を離れて、過疎化、住民の高齢化、
そして土地の主要産業である農業、畜産業の後継者不足という
問題を抱えているときに、TPPの大筋合意と、
町の行く末はどうなるのか、これは小説ではなく、
社会問題を取り上げた書物なのだろうかと一瞬考えてしまう。

著者は7年前に「プラチナタウン」という作品を書いておられる。
財政破綻に落ち込んでいた東北の緑原町の復興を念じ、
山崎鉄郎は一流商社を早期退職して故郷に帰り、町長に就任、
豊かな老後をコンセプトに老人向け定住型施設、
老人施設プラチナタウンの開設にこぎつける、という粗筋の作品。

「プラチナタウン」の続作となる「和僑」は、
この老人向け定住施設の開設から4年たったところから
物語が始まる。

主人公は町長の二期目を務める山崎鉄郎、通称「鉄ちゃん」。
プラチナタウンの入居者は8千人、施設関連の雇用者が6百人にも及び、
町には定住者も現れ、町の人口も増え、町は活気を呈している。
町の活況がプラチナタウンの存在一つに依存している構図は、
将来を見据えると、現状は続かず大きな課題となるのは間違いない。

突然、時田隆という人物が孫娘のジュリーを伴って、
米国から緑原町にやってくる。
彼は55年ぶりの日本、故郷の実家は後継ぎがなく、家を整理するためである。
米国では、鉄板焼きのレストランで成功している。

ここで思い出したのは、ロッキー青木である。
慶応大学在学中にレスリングの選手として、日本選抜チームの一員となり、
米国に遠征する。
彼は帰国せず、そのまま米国にとどまり、現地のカレッジに入り、やがて卒業する。
その一方でレスリングの選手として活躍し、米国の大会で優勝もしている。
ロッキー青木の実家は東京で洋食屋「紅花」を営んでいたのだが、
彼は父親の支援を受けて鉄板焼レストラン「BENIHANA OF TOKYO」を
ニューヨークに開設する。
客の目の前の鉄板で、シェフが派手なしぐさで牛肉やエビを焼くのが
米国人の人気を博し、評判となる。
ニューヨーク以外にもチェーン店を増やして行く。
私がプエルトリコからシカゴに移ったのが1971年、
当時シカゴ店がオープンして間もないころだが、
店に行くと、いつも満員の盛況だったのを思い出す。
フロリダの店にも行ったことがある。

さて緑原町の役場、産業振興課の課長を務めるのが、
若干38歳の優秀な職員、工藤登美子、通称「トコちゃん」。
山崎町長と時田は共同出資で、新たな事業を思い立つ。
緑原町特産の牛肉と野菜を加工して、米国に持ち込み、
B級グルメのレストランの開設を企てる。
緑原町に明るい将来をもたらすだろうと。
新事業に集中する為に、山崎は町長再出馬をやめ、
工藤を次期町長に推す。

この作品は、架空の設定ではあるが、
ある意味、現在われわれが抱える問題点を取り上げ、
地方創生のために何をすべきか、
一つの提案なのかもしれない。

作者は米国企業のコダックに勤務された経験をお持ちで、
国際的な視野を持たれていると思う。
この作品、読んで行くうちに段々面白くなる。

工藤新町長が誕生し、ニューヨークはマンハッタンの
ビジネス街マジソンアベニューに開店したばかりの
「TEPPANYAKI TOKITA」の店に山崎たちが到着。
コロッケ、メンチ、トンカツ、ハンバーグが売られている
店内に感動するところで物語は終わっている。




by toshi-watanabe | 2015-11-24 09:33 | 読書ノート | Comments(0)
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池井戸潤さんの最新作を読む。
テレビで放映され最終回が終わったばかりの「下町ロケット」の第2作、
書き下ろしの作品「下町ロケット 2 - ガウディ計画」である。
東京大田区の一角で操業している佃製作所の物語。
第一部では佃製作所が開発したバブルシステムが宇宙ロケットに搭載され、打ち上げ成功。
その技術力が見事花を咲かせた。
この第二部では、ロケットではなく、医療機器への挑戦。
佃製作所の社長、佃航平はじめ、技術開発部の山崎光彦部長、
銀行出向からすっかり佃の金庫番となった経理部の殿村直弘部長が登場し、
外部からの圧力に屈することなく、懸命に仕事に取り組む。
また帝国重工、そして宇宙航空部開発グループを率いる財前道生部長も登場する。

小型で精度のすぐれた人工心臓の開発計画「コアハート」が進められているのだが、
心臓弁の役割を担うキーパーツである特殊バブルの製作が困難で、
日本クラインでは内製を断念し、外注に回したものの不具合が続く、
そんな状況で、佃製作所に開発依頼が舞い込み、
開発部門のスタッフは夜を徹して頑張り、ほぼ開発が終わった段階で、
話は急展開、システムの製造依頼は競合メーカーに決まる。
中小企業の悲しさ、弱い立場、佃は涙をのまざるを得ない。
福井にある北陸医科大学教授の一村隼人と「サクラダ」という会社の
桜田章が、ある日、佃社長を訪ねてくる。
桜田は福井でも指折りの経編(たてあみ)の経営者だったが、
弟に経営を任せ、一村教授との共同開発のために「サクラダ」を創設。
桜田は重い心臓病で一人娘を亡くしており、心臓関連の医療技術に興味を持っている。
一村教授は心臓病の手術を多く手掛けているものの、
生まれながらにして心臓疾患を患っている沢山の子供たちには、
現在医療現場で承認されている人工弁は大きすぎる。
それは海外で生産されているため、サイズが大きい。
心臓弁膜症で苦しむ子供たちに合ったサイズの人工弁を作る
プロジェクトに佃製作所も参加してほしいと持ち掛ける。

「サクラダ」から、スペインバルセロナにある「サグラダ・ファミリア」を連想し、
プロジェクト名を「ガウディ計画」と名付けた。
特殊繊維は「サクラダ」で開発し、佃には人工弁の弁葉とそれを収容する
リングの芯になるパーツの開発を依頼する。
別のところで開発したパーツを搭載した人工弁では血栓ができてしまい、
脳の血管に詰まって脳梗塞を引き起こしやすい課題があった。
内輪の加工方法や合金の種類、さらに弁との接合部分の処理方法など、
困難な技術的な問題があるが、佃はプロジェクト参加を決める。

結局「コアハート」プロジェクトは、偽装問題などが発覚、
刑事告訴にまで発展し、頓挫してしまう。
その一方で一村教授の「ガウディ計画」は見事完成し、
佃製作所で開発したパート搭載の人工弁により、
北陸医科大学病院での腎臓弁膜症の子供の手術も無事成功。
著者は本書を執筆するにあたり、
大阪医科大学の根本慎太郎先生から医学的なアドバイスを、
そして福井経編興業の高木義秀代表取締役専務から
経編技術のノウハウとともに中小企業のフロンティアスピリッツを
学ばせていただいたと書かれている。
第一作の「下町ロケット」同様、ドキドキわくわくの連続、
大変面白く興味深い、そして痛快な作品である。



by toshi-watanabe | 2015-11-17 11:17 | 読書ノート | Comments(4)
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矢野誠一さんの著書「昭和の東京、記憶のかげから」を読み終える。
実はこの本、3年ほど前に購入したまま、本棚に置きっぱなしだった。
落語や演劇に造詣の深い、評論家矢野さんが、
新聞や雑誌に寄稿されたエッセイを一冊にまとめて出版されたもの。

大きく五つの章に分けられている。
 1. 大下弘とセネタースの青春
 2. 記憶のかげから
 3. あの人、この人
 4. 大人の道楽
 5. 酒のみの技術

昭和16年(1941)4月から昭和22年(1947)3月まで、
小学校は国民学校となり、生徒は少国民と呼ばれた。
終戦までは軍国少年の教育を受けた。
矢野さんは昭和10年生まれで、国民学校の一期生、
そして国民学校最後の卒業生である。
この著書の書名は「昭和の東京」だが、
内容は当然、終戦後昭和20年以降の話。

当時、著者の家は東京代々木八幡にあり、
戦時中疎開せずにとどまり、運よく戦災を免れた。
初めて知ったのだが、都会はどこも一面焼け野原、
しかも食べるものも不足していたあの終戦の年に、
東西対抗のかたちでプロ野球の試合が行われたとは驚きである。
昭和20年11月23日に神宮球場(当時は米軍に接収され、ステート・サイド・パーク)、
24日に桐生市新川球場(現在は中央公園)、そして12月1日と2日には
西宮球場にて試合があった。

その翌年、昭和21年には巨人、阪神を含む
8球団によりプロ野球のリーグ戦が始まる。
矢野さんは野球好きの級友に誘われ、初めてプロ野球の試合を見物に
出かけたのが、この年で中部日本対セネタースの試合。
しゃれた名前のセネタースのファンとなったものの、
資金難にあえいでいたセネタースは1年だけで身売り。
五島慶太率いる東京急行が買い取り、東急フライヤーズとなる。
私自身、東急フライヤーズ(そのぐ東映に)はよく知っているが、
セネタースというチーム名は全く記憶がない。

セネタースから東急に、大半の選手はそのまま残り、
その中には、苅田久徳、白木儀一郎、黒尾重明、飯島滋彌、
そして大下弘などがいた。
私もよく覚えている選手たちである。

当時は「赤バットの川上」、「青バットの大下」と
野球ファンを二分していたスター打者。
私自身、どちらかと言えば大下選手が好きだったが、
矢野さんも大下弘の方が好きだったと書かれている。
まだ子供のころ選手のところへサインをもらいに行っていたのだが、
矢野さんと同じ年頃の少年が、川上選手にサインを頼むと、
「サインがほしけりゃ勝った日に来いッ」と、
すごい剣幕でその少年を怒鳴りつけた姿を見て、
矢野さんは川上嫌いになったとのこと。

著者は昭和22年(1947)麻布学園に入学。
その年にはじめて一人で劇場へ行く。
有楽座で演し物は、菊田一夫脚色・演出の
「彌次喜多道中膝栗毛 日本橋より岡崎まで」。
東京の二大喜劇団だった「エノケン劇團」と
「ロッパ一座」の初めての合同公演。
矢野さんはすっかり演藝のとりこになってしまう。
当時日比谷界隈には、有楽座のほかに、日比谷映画劇場、
アーニー・パイル劇場(その後、東京宝塚劇場に)、
そして日東紅茶の建物など。

矢野さんは俳句の同好会で名の知れた「東京やなぎ句会」の
メンバーでもある。
その関係で小沢昭一、江国滋さんなどが登場する。
著書の終盤に、久しぶりに柳澤愼一の唄声を聴いたと
書かれているのでこれまたびっくり。
ジャズ歌手でテレビのドラマや映画にも出ていた、
柳澤愼一、まだ健在なのだ。
懐かしい話がいろいろと紹介されており、
興味深く面白く読み終える。



by toshi-watanabe | 2015-11-13 08:38 | 読書ノート | Comments(0)

高校の同窓会に参加

先週土曜日、11月7日、わが母校高校の同窓会があり、参加する。
会場は上野精養軒、3階の大広間。
4時半から受け付け、5時から総会と懇親会が始まる。
4時40分ごろ到着すると、すでに会場はいっぱい、

実はわが母校の都立J高校は、諸々の事情があって、
平成13年に閉校となっている。
したがって一番若い卒業生は32,3歳、
参加しているのは50歳代、60歳代が多いようだ。
我々昭和30年卒のOB、OGは大先輩格で、
ステージに一番近いテーブルが割り当てられる。
最近は3年に1度開かれている同窓会、
わが同期生は数人の参加が通常だったのが、
昨日はなんと20名もの仲間が来られているのには、びっくり仰天。
男性は私を含めて3人のみ、残りの17人はご婦人方。
同じクラスの4人は毎年顔を合わせているのでよく知っているのだが、
他のご婦人方とは卒業以来初めてお目にかかる方がほとんどで、
全く見当もつかない。

それでも懐かしい思い出話が弾む。
6クラスの同期会を一度開いてみようかとの提案も出る。
恩師の方は10人ほどお見えだが、我々世代におられた先生は
お一人だけ、95歳とのことだが、こうして参加していたくとは有難い限り。
全体では240名以上の参加者を数え、前回および前々回の倍以上となり、
役員の皆さんも喜んでおられた。

30年卒を代表して、役員の皆さんへの感謝の言葉を述べさせていただく。
我々より一回り若い世代の方たちが役員をされている。
定刻7時半に閉会となり解散。
お土産までいただく。
役員の皆さん、本当にご苦労様でした、あらためて感謝申し上げます。

因みにわが昭和30年卒4組のクラス会は例年通り、
今月28日(土)に昨年と同じ高田馬場の居酒屋にて開催する。
14人前後の参加が見込まれている。
1年ぶりの集まり、楽しみである。





by toshi-watanabe | 2015-11-13 08:28 | 同期会 | Comments(0)
11月7日(土)と8日(日)の二日間、
あざみ野駅近くの山内地区センターにて
今年度の「山内地区センターまつり」が開催される。
例年通り、水彩画、書道、絵手紙、七宝焼き、カリグラフィー、
貼り絵、写真、短歌、ポーセリン等々、
数多くの作品が出展されている。

またチャリティバザー、お茶席、飲食コーナーも用意されている。
各種イベントも開かれる。

家内が参加している「人形の会」でも、
会員による手作りの人形を展示している。

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by toshi-watanabe | 2015-11-07 10:20 | 一般 | Comments(4)
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最近出版されたばかりの、諸田玲子著「帰蝶(きちょう)」を読み終える。
帰蝶とは「美濃のマムシ」と言われた斎藤道三の娘のことであり、
美濃衆の期待を一身に背負って織田信長に嫁いだ。
道三は娘の嫁入りの折り、帰蝶の兄、玄蕃助と弟、新五を
同時に織田家に送り込む。
帰蝶は織田家の奥を取り仕切り、戦乱の世をたくましく生き抜いた女性。
信長は、美濃から嫁いできた帰蝶を「お濃」と呼ぶ。
山岡壮八、坂口安吾、司馬遼太郎などが、
すでに信長の正室として小説の中に描いているが、
「濃姫」として登場する。

諸田さんの作品を読むのは、「波止場浪漫」以来である。
「波止場浪漫」の主人公は、清水次郎長の娘、けん、
次郎長の死後、船宿「末廣」の女将として生きてゆく。
医者の植木との実らぬ恋も交えての、けんの生き様が描かれている。

作品の「帰蝶」は時系列的に物語が展開する。
第1章は出逢い(24歳)、永禄元年(1558)十月半ば ――
清州城下 道家尾張守の居宅。
清州城の本丸御殿から城下の武家屋敷町にある
道家尾張守の屋敷へやってくるところから始まる。
弟の斎藤新五利治に、信長の子として生まれた赤子は息災なのか、
母親は誰なのかを聞くために帰蝶は問いただす。

帰蝶と信長との間には子が恵まれず、信長は別の女性との間に、
次から次と子供が生まれる。
20数人の子供がいたといわれるが、全ての子供を自分の子供として、
帰蝶は大事に育てる。
この作品にも登場するのが、長男とされる奇妙丸(のちの信忠)、
次男の茶筅丸(のちの信意)、三男の三七丸(のちの信孝)、
長女の五徳(徳姫)、次女の冬姫などなど。

徳川家から出戻りの徳姫が恋に落ちた相手の
埴原佐京亮は幼名乙殿と呼ばれ、幼いころはお互い遊んだ幼馴染だが、
乙殿は赤子の時に埴原家に養子に出されたもの、
実の父親は信長、兄と妹の関係だったのを、
あとで二人は知らされることになる。

物語の終盤、天正十年(1582)六月一日 ―― 岐阜城、
帰蝶の兄、玄蕃助は信長の動向が気にかかる。
同日 ―― 京、妙覚寺、
信長の供として京に来ていた、帰蝶の弟、新伍は
宿泊先の妙覚寺の方丈で思いを巡らす。
同日 ―― 安土城 天守、
帰蝶は安土城の天守で落ち着かぬ時を過ごす。
ちょうど日蝕で、火が陰り始め、嫌な予感を抱く。

そして天正十年(1582)六月二日 ―― 京 妙覚寺、
新伍は床に入るや寝入ってしまったが、
「一大事にございますツ。旦那様、お急ぎ召されツ」
逼迫した声に眠りを破られる。
明智日向守光秀率いる軍勢1万が信長の首を狙い、
本能寺を襲う、「本能寺の変」である。
帰蝶の母は明智光継の娘、小見の方であり、
光秀と帰蝶とは従兄妹の間柄になる。

その後、帰蝶一行は安土城を後にして、
次女の冬姫の嫁ぎ先、蒲生忠三郎の居城、日野城へ避難する。
天正十年(1582)六月十四日 ―― 日野 八幡神社、
帰蝶は五徳を伴い、神社に参拝する。
そして安土城が焼け落ちたのを知らされる。

エピローグとして、「阿弥陀寺にて」という章があり、
慶長十三年(1608)六月二日 ―― 京 阿弥陀寺
帰蝶は70代半ばになる、すでに落飾、法名は養華院だが、
皆からは尼御前と呼ばれている。
毎年六月二日には、信長の墓参をするのだが、
行方知れずであった佐京亮が突然墓前に姿を現す。
実家の生駒家に戻った五徳に仕える家臣として、
佐京亮は五徳とともに過ごしているのを帰蝶は聞かされる。

実像がほとんど知られていない主人公だが、多くの参考文献を調べられに、
戦国時代に生き抜いた女性帰蝶の生涯を見事に描いている。




by toshi-watanabe | 2015-11-05 09:32 | 読書ノート | Comments(0)
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葉室麟の最新作「草雲雀(くさひばり)」を読み終える。
昨年から今年にかけて、「月刊ジェイ・ノベル」に連載され、
ハードカバーとして、最近出版されたばかり。
作家デビューして丸10年、記念すべき作品。

媛野藩(ひめのはん)6万2千石馬廻り役百五十石栗屋家の
三男として生まれた栗屋清吾は28歳で部屋住みの身。
当家嫡男である長兄の嘉一郎の陰でひっそりと暮らしている。
特に学問に優れているところもなかったものの、
城下の若杉道場でも隋一の使い手とされ、
片山流の秘技「磯之波」の伝授を受けていた。
(片山流は居合と剣術の流派)
小心で律義者、特に取り柄がない地味な男として、
養子話も遠のいていたが、女中のみつと深い仲になり、妻とした。
ある晩、庭先で
 ―――りり、りり、りり
と虫の鳴き声、可憐で悲しげな声。
みつが隣室から持ってきたのが、竹籠に入った草雲雀。
村人がお慰めにと届けてきたもの。
二人の愛を象徴して、作品名を「草雲雀」としたのだろう。

同い年で幼馴染の山倉伊八郎が突然清吾に話を持ち掛ける。
伊八郎は勘定方百八十石山倉家の五男で部屋住みの身である。
二人とも若杉道場では師範代を務めている。

藩の筆頭家老を務めていた国東武左衛門には嫡男がいたが、
病身で、若くして他界する(毒殺されたとの話も)。
正室との間にはほかに子供がなく、妾に産ませた男子がいた。
生まれてすぐに他家に養子に出されていた、
その子供が、実は山倉伊八郎。
武左衛門は伊八郎を呼び寄せ、家老職を継がせようと画策。
ここから物語が始まる。
伊八郎は家老職についたら、藩の剣術指南役に取り立てると、
清吾に約束し、手伝いと身の護衛を伊八郎は清吾に頼む。
清吾はみつとの新しい生活(りつが子供を生すこともできる)を
期待して、伊八郎の手助けをする決心をする。

最後は伊八郎、苦難を乗り越えて家老職に。
清吾は人質のようになっていたみつを無事救い出す。

最後の場面、原文をそのまま。

みつは草雲雀を飼っていた。
草雲雀は恋しい相手を思って一晩中、りり、りり、と鳴くのだという。
清吾は草雲雀の鳴き声が耳の中でするのを聞いた。
りり、りり、りり
(わたしも、みつも草雲雀だ)
清吾は、みつを背負う腕に力を込めると、
草雲雀の鳴き声に合わせてしっかりと夜道を歩いていった。

葉室流の感動を与える場面である。


by toshi-watanabe | 2015-11-01 14:33 | 読書ノート | Comments(0)