折々の記

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3月27日の午後、サントリー美術館に出かける。
六本木の東京ミッドタウン、ガレリアの3階にある。
同い年の天才絵師、伊藤若冲と与謝蕪村の
生誕三百年記念の特別展「若冲と蕪村」展が
3月18日から始まり、5月10日まで開催中である。

午前中、芝公園の方に用事があり、
赤羽橋に出て、地下鉄の都営大江戸線に乗車する。
赤羽橋方面からは真正面に東京タワーが見える。
春爛漫の青空にタワーは美しく映える。
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大江戸線の駅ホームは非常に深く、階段を降りるのもしんどい。
六本木駅の改札を出ると、ミッドタウンに直結。

若冲と蕪村が同年に生まれていたのを初めて知る。
江戸時代中期の1716年、7代将軍家継がなくなり、
吉宗が徳川8代将軍に就いた年である。
元号が正徳6年から享保元年となる。
この年にはまた尾形光琳が亡くなっている。

若冲は京都錦小路の青物問屋「桝屋」の長男として生まれる。
23歳の時に家業を継ぐものの、30代中頃には参禅して
「若冲居士」の号を与えられる。
40歳になると、家業を弟に譲り隠居の身に。
絵を描くことに本格的に専念する。

一方、蕪村は大阪東成郡毛馬村の農家に生まれる。
20歳ころには江戸へ出て、俳諧を学ぶ。
27歳の時、俳諧の師匠の逝去を機に、
北関東や東北地方を、およそ10年間遊歴する。
40歳になると、京都へ居を移し、俳諧と絵画の両分野で
活動をする。

若冲と蕪村は、40歳ごろからは、京の都に住み、
しかもお互いの住まいは極めて近かったと思われるのだが、
直接の交流を示す作品も資料も見つかっていない。
両者とも優れた絵師として活躍し、
共通の友人、知人と交流しており、
実際、同じ禅僧、学者から作品の絵画に賛を得ている。
当時、活動していた池大雅、上田秋成、円山応挙などと
二人とも交流しているのは事実。
お互いの作品を目にしているのは間違いない処だろう。

先達の松尾芭蕉からは学ぶところがあり、影響を受けているのだろう。
若冲は芭蕉の自画像を描いており、今回も出展されている。
最も興味深いのは、
蕪村の「奥の細道図鑑」(重要文化財に指定)
巻物に芭蕉の「奥の細道」をそっくり書き写し、
要所要所に蕪村が絵を描き添えている。
素晴らしい作品である。
今回の展示会で目にすることができる。

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今回の展示会は7章の構成となっている。

第1章: 18世紀の京都ルネッサンス

第2章: 出発と修行の時代

第3章: 画風の確立

第4章: 新たな挑戦

第5章: 中国・朝鮮絵画からの影響

第6章: 隣り合う若冲と蕪村・交差する交友関係

第7章: 翁の時代

幾つかの作品を紹介したい。
(展示会チラシよりスキャンしたもの)

若冲の作品から。
「象と鯨図屏風」
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「白象群獣図」
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「猿猴摘桃図」
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「寒山拾得図」
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「櫟に鸚哥図(「花鳥版画」のうち)
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蕪村の作品から。
「山水画屏風」
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「学問は(自画賛)」
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「蜀桟道図」
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「夜色楼台図」
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「鳶・鴉図(一部)」
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「奥の細道画巻(部分)」
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大変興味深い展示会である。
最後の章が「翁の時代」となっているが、
米一斗で一枚絵を描くとして、若冲は「米斗翁」と名乗り、
夜半亭の二世を継いだ蕪村は「夜半翁」と名乗る。
若冲は彩色あざやかな花鳥図や動物を描いが水墨画が多く見られるが、
蕪村は中国の文人画の技法による山水画を描き、
簡単な筆遣いで、俳句と絵が響き合う俳画を得意とした。

若冲が世に広く知られるきっかけとなったのは、
伊藤若冲没後二百年記念展示会が平成12年(2000年)、
京都国立博物館で開催されたことによる。
その後、平成18年(2006年)には全国各地で巡回展示。
平成19年(2007年)、宮内庁所蔵の動植綵絵三十幅が
若冲ゆかりの京都の相国寺内にある承天閣美術館にて
釈迦三尊像などとともに展示され、
この展示会は見学している。
そのスケールの大きさと、斬新な意匠には圧倒される。

若冲ファンはこれからも増えて行くと思う。







by toshi-watanabe | 2015-03-29 13:59 | 一般 | Comments(2)
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葉室麟さんの最新作、「春雷」を読み終える。
月刊誌「小説NON」に平成25年から26年にかけて、
連載された作品で著者が加筆、訂正を加えて、
今月、単行本として発刊された。

「蜩の記」の場面となった、豊後羽根藩(架空の藩だが)の
シリーズで、「蜩の記」、「潮鳴り」に続く、第3弾である。

羽根藩の藩主、三浦兼清は15年前に藩の新しい主君として
初めてのお国入り。
その折に、殿様の乗っていた馬が暴れだし、あわやという場面で
偶々通りすがりの浪人が窮地を救う。
この浪人が、本作品の主人公、多聞隼人である。
永年浪々の身が続き、妻子をともない、仕官に一縷の望みを
かけて大阪から羽根藩にたどりついたばかりの出来事だった。
ところが、殿の馬に蹴られたことが原因で、
一人娘の弥々が亡くなり、身重だった妻女の楓は流産。

名君となられる殿の名に傷がつかぬ様言われ、
この事件を内密にする代わりに、妻が泣いて止めるのを聞かず、
隼人は羽根藩仕官の道を選ぶ。
しかし隼人の心から、このことが消えることはない。
楓と別居した隼人は御勝手方総元締に任じられ、
領民家中に激烈な痛みを伴う改革を断行し、
財政難に喘ぐ羽根藩の再建を目指す。
いつの間にか鬼隼人と呼ばれるように。
藩主が名君となってもらうためでもある。

誰もなし得なかった黒菱沼の干拓の命が下る。
農民一揆さえ招きかねない難題であったが、
隼人は家老に就くことを条件に受諾する。
難工事に着手するものの、
城中では、多聞隼人を鬼隼人と呼ぶ反隼人派が
策謀し、農民一揆を起こさせ、工事を妨害するばかりでなく、
隼人を窮地に陥れる。

藩主は名君となる資質になく、隼人は藩のために死を覚悟する。
物語の終盤は素晴らしく盛り上がり、
主人公の生き様が読む者にひしひしと伝わってくる。
死の間際に、「大願成就」と呟く。

隼人の身の回りを世話していた、
おりうという女性は、のちにこう語っている。
「多聞様は、世のひとを幸せにしたいと願って鬼になられたのです」
「世のひとのために……。その思いで多聞様は生きられた方なのです」
その時に、遠い雷鳴が。
蒼穹を春雷がふるわせていた。


by toshi-watanabe | 2015-03-26 11:07 | 読書ノート | Comments(0)
2005年4月に、このブログ「折々の記」をスタートしましたので、
丁度丸10年を迎えることになります。
皆様のご支援の賜物と、心より感謝申し上げます。
これからも精進してまいりますので、宜しくお願いします。

お陰様で、アクセスも昨日、10万件を超えました。



最近は読書ノートにかなり力を入れておりますが、
旅行記や仏像そして草花の写真も、引き続きアップしてまいります。

最近近所で目にした春の花です。

どこからとも香りが漂ってくる沈丁花の花。

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朱の色も鮮やかなオカメ桜。


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白木蓮の花。
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昨日東京王子の飛鳥山公園で、小彼岸桜の花がちらほら。
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いずれもスマホで撮影した写真。

今後ともよろしく。




by toshi-watanabe | 2015-03-21 09:11 | 一般 | Comments(4)
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幸田真音の最新作「ナナフシ」を読み終える。
昨年、「オール読物」に連載され、
今回ハードカバーとして文芸春秋より出版。
「ナナフシ」とは七節とか竹節虫とも書かれる昆虫。
細長い体で、その姿は木の枝や葉などと
見間違うほど植物体に擬態する。

主人公の深尾真司は現在50代の半ば。
数年前までは、米国投資銀行の日本法人で、
腕の良いファンドマネージャーとして大活躍。
ところが2008年に米国発の金融危機が起き、
投資銀行の米国本社は政府の支援が受けられず経営破綻。
深尾の勤める日本法人も為すすべもなく破綻、
すっかり顧客に迷惑をかけてしまった部下が自殺。
時を同じくして、最愛の一人娘が
先天性の心臓病が悪化し、あえなく亡くなる。
妻は離婚し、深尾のもとを去ってしまう。

全てを失った深尾はコンビニの雇われ店長として、
一人日々の暮らしを過ごしていたが、
ある日、深夜のコンビニで、彩弓(さゆみ)と名乗る
行き倒れの20代の女性を助ける。
トラブルの種を抱えるのに辟易しながらも、
不思議な昆虫「ナナフシ」のような
細い肢体と切なさを持つ彩弓に、
亡くなった自分の娘の姿を重ね、
それが生きがいであるかのように、彼女の面倒を見ようと決意。
彩弓はバイオリストとなることを夢見ていたが、
病を抱え、右手の神経を失おうとしていた。

実の父親と娘の如く、二人の生活が始まる。
彼女の病の治療を支援するために、
そして彼女の夢をかなえてやるために
深尾は再び金融市場に身を委ねることに。

著者は米国系金融機関でディーラー業務をやられていたので、
その経験に裏付けされた投資銀行の内情が
たいへんよく理解できる。
実の親子のように生活する深尾と彩弓、
赤の他人である二人の思いや感情が
女性らしいきめ細やかな表現で綴られている。

結末は読んでのお楽しみ。



by toshi-watanabe | 2015-03-18 10:01 | 読書ノート | Comments(0)

群馬倉渕へ出かける


今月8日から13日まで、群馬の倉渕へ出かける。
冬の間は3カ月ほどご無沙汰したので、今年初めてである。
都内の環八から関越道に入るコースで行く。
日曜の早朝は道路の渋滞もなく、高坂SAまで一走りして休憩、
榛名のショッピングセンターにも立ち寄り、
ほぼ予定通り現地到着。
圏央道経由に比べ、多少時間はかかるものの、
高速料金が大幅にセイブできる。

3月に入ったとはいえ、上州の山里はまだ冬景色。
晴れていた空が急に雲で覆われたかと思う間に、
雪がちらちら舞い始める。
日中も日が差さないと、寒さが身に染みる。

11日の朝、起きてみると一面雪の薄化粧。

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夕方には薪ストーブを焚く。
燃え上がる薪の火は気分を和らげてくれる。

これといった花はまだ見られないのだが、
蝋梅の花が今を盛りと咲いている。
青空に鮮やかに映える。
つぼみや花が地面にだいぶ落ちているのは強風のためだろう。

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途中通った榛名の梅林、まだほとんど蕾の状態、
これからといったところ。
近くの白梅。

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福寿草。
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蕗の薹。

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クリスマスローズ。
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クロッカス。

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山茱萸が咲き始める。


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水仙はこれから。

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すっかりのんびりと過ごす。
帰途も関越道から環八に入るが、トラックの交通量も多く、
かなりの渋滞に巻き込まれる。
無事事故もなく、ほぼ予定通り横浜のわが家に到着。



by toshi-watanabe | 2015-03-16 15:06 | 一般 | Comments(0)

34日は、桜が満開になる季節のような陽気でした。

思い立って上野公園へ出かける。

さすがにまだ桜の花は咲いていない。

東京国立博物館では「みちのくの仏像」特別展が開催中。

114日に始まり、45日まで開かれている。

東北6県を代表する仏像が集結、

26点ほどの仏像が出展されている。

平泉中尊寺の仏像群は含まれていない。






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東北地方にも多くの魅力的な仏像が祀られているが、

中尊寺を別にして、なかなか訪れる機会がない。

東北で仏像が本格的につくられるようになったのは

平安時代に入ってから。

この地では仏教が土地の神を取り入れながら広がった。

土地の神は、豊穣をもたらす一方、

時に容赦のない現実を突きつける存在、

厳しい自然環境の中で暮らす人々は、

仏像に土地の神の姿を重ね、生活の安寧を祈り、

仏像を大切に守ってきた。

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宮城・双林寺の薬師如来立像。

像高は119.4センチ、平安時代、9世紀の木像。

重要文化財。

ケヤキ材から彫り出されている。






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福島会津・勝常寺の薬師如来坐像および両脇侍立像。

薬師如来の像高は141.8センチ、

日光菩薩の像高は169.4センチ、

月光菩薩の像高は173.9センチ、平安時代、9世紀の作。

薬師三尊ともに、平成8年に指定された、

彫刻分野では東北初の国宝。

東京では、平成12年の「日本国宝展」以来の公開。

薬師如来像の前に立つと、その全身に

あふれるような力を感じる。

太づくりの体からは圧倒的なボリューム感、

落ち着きのある堂々とした風格を誇っている。

脇侍の日光・月光菩薩立像は、

優美に腰をひねって立つ姿。

いずれも、ケヤキの一木造りである。







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岩手・黒石寺(こくせきじ)の薬師如来坐像。

重要文化財に指定されている。

像高は126.0センチ、平安時代、貞観4年(862)の作。

大変厳しく、威厳のある表情と姿。

カツラ材の一木造り。

制作年が明確で、日本の彫刻史上大変重要な作品。

同時に展示されている両脇侍像は時代が新しく、

12世紀の作とされている。


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岩手・成島毘沙門堂の伝吉祥天立像。

像高は176.0センチ、平安時代、9世紀の作。

大変美しい像で、瞑想しているような眼からは

静けさが伝わってくる。

ケヤキの一木造りだが、木目が非常にきれいだ。

自然の美がそのまま表れている。

頭上には2頭の像が彫られている。





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岩手・毛越寺の訶梨帝母(かりていも)坐像。

像高は34.0センチ、平安時代、12世紀の作。

訶梨帝母は、一般には鬼子母神と呼ばれる。

この仏は女性で、左手に子供を抱き、

子供の顔は丸く、小さな右手を握っている。




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山形寒河江・本山慈恩寺の十二神将立像。

重要文化財であり、今回は四躯の像が出展されている。

丑神の像高が88.7センチ、

寅神の像高が88.5センチ、

卯神が91.8センチ、酉神が93.4センチ、

鎌倉時代、13世紀の作品である。

薬師堂内に、本尊の薬師如来とともに祀られる。



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宮城・給分浜観音堂の十一面観音菩薩立像。

重要文化財。

像高は2895センチと、本展示会で最も高い像。

鎌倉時代、14世紀の作。

鎌倉時代後期の仏像の特徴がよく表れている。

卵形の顔に、やや大きい目、鼻、口が表わされ、

髪筋や飾りは細かく彫られている。

3メートル近い巨像だが、一本のカヤで造られている。

4年前の東日本大震災の折、牡蠣の養殖で知られる給分浜にも

大津波が押し寄せたが、

観音堂は高台にあり、この像は難を逃れた。



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円空仏が3躯、出展されている。

青森・西福寺の地蔵菩薩立像。

像高は145.0センチ、総高は175.0センチ、

江戸時代、17世紀の作。

奥行は15センチしかなく、背面は彫刻されず、平らなまま。

横から覗くとそれとわかる。

西福寺には、ほぼ同じ大きさの十一面観音菩薩立像も祀られている。

板に浮彫りのように彫ったとみられ、細かなところも彫刻。


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青森・常楽寺の釈迦如来立像。

像高は125.9センチ、総高は145.9センチ、

江戸時代、17世紀の作。

円空作品としては、例のないほど写実的と言われる像。



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秋田・龍泉寺の十一面観音菩薩立像。

像高は161.0センチ、総高は191.5センチ、

江戸時代、17世紀の作。

厚さ15センチ程に加工されたスギの板に彫刻。

木の性質を残そうとする意図がうかがえる。

細い目や笑ったような口は、生涯を通じて

彫られた円空仏に共通した特徴である。


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東日本大震災から早や4年、仏像を通して東北の魅力に触れ、
復興の一助になればと、この特別展が開催される。
本展による収益の一部は、被災した東北の文化財の
復興に充てられる。

なお仏像の写真は、目録からスキャンさせていただいた。


by toshi-watanabe | 2015-03-05 15:44 | 寺院・仏像 | Comments(2)
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山本兼一の著書「夢をまことに」を読み終える。
読むうちに引き込まれてしまう感動の山本作品である。
2月13日に一周忌を迎えられたばかりの著者。
この作品は京都新聞に2012年7月から 2013年6月まで連載され、
この度単行本として文芸春秋から刊行されたばかり。

主人公は江戸時代末期、近江国友村(現在は長浜市国友町)の
国友一貫斉、九代目国友藤兵衛(1778~1840)である。
本書の帯には「ものづくりに命を懸けた日本のダ・ヴィンチ、
情熱の生涯」と書かれているが、鉄砲鍛冶(本書では鉄炮鍛冶) で
ありながら、様々な役に立つ道具を発明、考案した男の
「夢をまことに」するための奮闘記である。

鉄炮を完成させるためには、様々な技術が求められる。
鉄の吟味に始まり、筒の張り立て方やねじの切り方、
引き金をひいて火挟みを落とす真鍮の機関部(カラクリ)の 仕組み、
さらには火薬の調合など。 鉄炮鍛冶は、玉の大きさを聞いて
注文を受けると、 鉄の板で筒を張り立てる。

一貫斉は前代の父親から技術を学び、
鉄炮鍛冶としての 腕をめきめき上達、
何よりもものづくりが好きである。
和泉国の岩橋善兵衛の書いた「平天儀図解」には 一貫斉、
大いに触発される。 大宇宙の構造が理路整然と説明され、
天地のことには、すべて道理があると納得する。
役に立つ道具を数々考案したりするうちに、
阿蘭陀風炮を目にすると、現物を見て図面を書き、
仕組みを考えながら、さらに優れた風炮を仕上げてしまう。
今でいう空気銃である。

さらに関心を持ったのが、オランダ製のテレスコッフ。
藩主の所で、現物を見て、これを書き写し、
素材や仕組みの見極めを自分で考えだす。
この完成には15年という長い期間が必要だった。
今でいう反射望遠鏡である。 出来上がると、
藩主に納めるとともに、 自らも月や太陽を観察し、
太陽の黒点には 強い関心を抱く。
因みに、この反射望遠鏡、1台は上田市立博物館に、
もう一台は彦根城博物館に展示されている。
天保の飢饉の折には、テレスコッフを売却し、
その資金で国友村の農民たちを救済する。

一貫斉は空を飛ぶ船、月に向かって飛ばす筒、
海中に潜れる船などを夢見る。
必ずできるはずと考え、ほかの人達にも語っていたが、
残念ながら実現することはなく生涯を終える。
江戸時代末期に、既に飛行船、ロケット、潜水艦を
イメージしていたのだから、すごい人物である。

作者は技術的なことも含め、実によく調べている。
一貫斉という一人の人物を実に見事に描き切っている。
評論家の縄田一男さんも、「鉄炮鍛冶に託す職人賛歌」と 題して、
珠玉の出来栄えと最高の評価を与えている。



by toshi-watanabe | 2015-03-05 09:28 | 読書ノート | Comments(0)

2月27日、横浜の「そごう美術館」にて開催中の
「円空・木喰展」を見学する。
円空と木喰の木彫像が同時に見られるのは首都圏では初めて。
7年ぐらい前だろうか、木喰生誕290周年記念の
特別展を見学しているが、どこであったかは失念。
今回の展示会、2月7日に始まり、3月22日まで。

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円空(えんくう)(1632-1695)と
木喰(もくじき)(1718-1810)、それぞれの木彫像を
全国各地から集め、約250点の神像、仏像を出展、
その他に、円空の描いた富士図とか
木喰の國々御宿帳、版木、歌集「心願」なども見られる。

円空は美濃国(岐阜県)に生まれ、32歳の時に造像を始めた。
以来30年余りの間に尾張、飛騨、美濃を中心に
関東、東北、北海道まで足を運び、
鑿(のみ)や鉈(なた)の跡が荒々しく残る、
力強い像を数多く遺した。
仏像の体躯のとらえ方などは和様の伝統に
基本的には従っている一面があるものの、
機知に富んだ斬新な感覚を発揮している。
生涯で12万体を彫るという誓願を立て、
現在も5400体余りの像が確認されている。
現存する木彫像は愛知と岐阜の2県に圧倒的に多い。
新たに発見された木像、初公開の像も出展されている。

出展作の一部で、不動明王(岐阜県関市 個人蔵)
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普賢菩薩(岐阜県岐阜市 円空美術館蔵)
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宇賀神(愛知県岡崎市 個人蔵)
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観音三十三応現身のうち『木端仏』(愛知県名古屋市 荒子観音寺蔵)
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護法神(三重県志摩市少林寺蔵)
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円空の入滅から23年後、甲斐國(山梨県)に生まれた木喰は、
22歳で出家し、56歳の時に諸国行脚の旅に出た。
北海道から九州まで広く巡り、61歳になって神仏像を彫り始めた。
80歳で1000体、90歳で2000体の造像を発願し、
柔らかく丸みを帯びた像を各地に遺した。
木喰は几帳面な性格だったと見えて、
像の裏側に製作年月日がきちんと墨書されている。
記録も残している。
720体が現存している。
因みに木喰の仏像を見出し評価したのは、
近代民芸運動を提唱した思想家、柳宗悦である。

出展作の一部から、十二神将(新潟県柏崎市 西光寺蔵)
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地蔵菩薩と観音菩薩(山梨県韮崎市 個人蔵)
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子安観音菩薩(山口県防府市 極楽寺蔵)

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子安観音菩薩《立木仏》(愛媛県四国中央市 光明寺蔵)

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聖徳太子(静岡県藤枝市 光泰寺蔵)
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不動明王(静岡県焼津市 大日堂、焼津市民俗資料館寄託)
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薬師如来(静岡県藤枝市 梅林院蔵)
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自身像と地蔵菩薩(東京都目黒区 日本民芸館蔵)
現存する木喰の自身像は十五体あり。
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薬師如来(愛知県津島市 成信坊蔵)
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薬師如来(京都府京都市 個人蔵)
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三十三所観音菩薩のうち、三面馬頭観音菩薩、如意輪観音菩薩、
千手観音菩薩、(新潟県長岡市 寶生寺蔵)
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如意輪観音菩薩(新潟県南魚沼市 大月観音堂蔵)
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白衣観音菩薩(新潟県長岡市 個人蔵)
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自身像(兵庫県川辺郡猪名川町 東光寺蔵)
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上記の写真は、パンフレットおよび参考書よりスキャンして使用しました。
二人の活躍した時代はずれているが、
二人がともに木像を彫ったことのある寺があると聞く。




by toshi-watanabe | 2015-03-01 10:52 | 寺院・仏像 | Comments(0)