山口洋子の訃報に接して

つい2,3日前、夜のテレビニュース番組で、
山口洋子の訃報を知る。
私と同年生まれ、享年77歳である。

銀座の高級クラブ「姫」を経営されながら、
演歌の歌詞を数多く生み出してきた。
私の好きな演歌もたくさんある。

「噂の女」
「よこはま・たそがれ」
「ふるさと」
「夜空」
「うそ」
「千曲川」
「北の旅人」
「アメリカ橋」。。。。。。。。。。。。。。

石原裕次郎が歌った「ブランデーグラス」

  これでおよしよ
  そんなに強くないのに
  酔えば酔うほど 淋しくなってしまう
  涙ぐんで そっと時計をかくした
  女ごころ 痛いほどわかる
  指で包んだ まるいグラスの底にも
  残り少ない 夢がゆれている

  よせばよかった
  よせばよかったけれど
  恋は知らずに もえてしまうものだよ
  白い小指 ためらいながらからませ
  未練ごころ 打ちあけたおまえ
  雨がふるふる 部屋の中にも胸にも
  いつか来そうな 別離を告げて

  こころひとつ 傘はふたつにはなれて
  逢えば夜は つかの間に過ぎる
  雨はふるふる 遠く消えてく背中と
  いつか来そうな 別離を濡らす

ご冥福を心よりお祈りするばかり    合掌
by toshi-watanabe | 2014-09-22 13:56 | 一般 | Comments(0)

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光文社文庫で長く愛読されてきた作品が、
読みやすい文字に組み直し、新たなカバーデザインで、
「光文社文庫プレミアム」として最近刊行されている。
その一冊として出版されたのが、
内田康夫さんの著書「白鳥殺人事件」である。
文字も若干大きめか確かに読みやすくなっている。
内田さんの作品として刊行順では18番目、
好評の「浅見光彦」シリーズとしては第6作にあたる。

著者も書かれているが、モチーフは、当時のニュース
「グリコ・森永事件」、テレビや新聞の報道を見ながら、
構想を練られた。
事件進行中に同時進行の形で執筆したことになる。

菓業タイムスという菓子業界紙の芹沢社長からの依頼で、
浅見光彦は「全国ふるさと自慢菓子自慢」の執筆のため、
社長とともに、東方方面へ出かける。
二人は4泊5日の取材の旅へ、途中水戸で
社長は一人娘の玲子を浅見に紹介。
そして4日目の晩、新潟の新津のホテルに宿泊。
近くの瓢湖にも出かけ、白鳥を見物する。
ところが、その晩芹沢社長がホテルの部屋で
何者かに殺害される。
死に際に渾身の力を込めて、「白鳥の」と
床の上に赤い血で書き終え、息を引き取る。
この言葉が「ダイイング・メッセージ」として
物語の進展に重要なキーワードとなる。

「白鳥」が何を意味するかは読んでのお楽しみ。
因みに「白鳥町(しろとりまち)」という町が
岐阜県にあり、この物語でも登場する。
霊峰白山への岐阜県側登山口だそうである。


ご存知の方も多いと思うが、「グリコ・森永事件」は
当時世間を大いに騒がせた事件だ。
1984年3月、江崎グリコの社長が誘拐され、
身代金を要求されたのが事件の発端。
阪神を舞台に、食品会社を標的にした一連の企業脅迫が
その後続いた。
「かい人21面相」と犯人が名乗ったため、
「かい人21面相事件」とも呼ばれた。
数回にわたり、小売店に青酸入りの菓子を置き、
日本国中を不安に陥れた。

「白鳥殺人事件」の初版本が出たのが1985年6月。
その2ヵ月後の1985年8月7日の事、
標的にされた一社、ハウス食品事件で、不良車両を
取り逃がした滋賀県警本部長が不始末の責任を取るように、
自身の定年退職の日に、公社の庭で投身自殺。
その5日後の8月12日、犯人から香典代わりだと
「くいもんの会社いびるのもおやめや」と終息宣言が送り付けられ、
その後は何も起こらず、終息。
結局、この大事件、未解決のまま時効となった。

因みに8月12日には、日航ジャンボ機の御巣鷹峰墜落事故が発生。
ハウス食品工業の社長が、同社の創業者で前社長である父親の
墓前に向かうため、偶々日本航空123便に搭乗していた。
墜落事故に巻き込まれ、命を落としている。
by toshi-watanabe | 2014-09-22 13:52 | 読書ノート | Comments(0)

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またまた葉室麟さんの著書である。
最近文庫本として再版された
「乾山晩愁(けんざんばんしゅう)」を読み終える。
表題となっている「乾山晩愁」を含め、
五編の作品集である。
いずれの作品も戦国時代から江戸時代に活躍した
名高い絵師が登場する。

2005年に出された「乾山晩愁」は、
新人物往来社の第29回歴史文学賞を受賞したデビュー作品。
50代半ばでの作家生活のスタート。

この文庫本の初版は5年前に出版されているが、
その際に著者はあとがきを書かれている。
「尾形乾山を主人公にした小説を書きたいと思った。
 兄、尾形光琳のはなやかな存在感に比べれば、
 弟の乾山は、はるかにかすんだ印象がある。
 そこに魅かれた。
 光り輝くものだけが、この世に存在するわけではない。
 光があれば、必ず、影がある。
 影だけではない。 光のまわりに、
 やわらかな色彩で温かみとふくらみのある存在があって、
 光を支えているのではないだろうか。
 そう思ったとき、考えたのが乾山だ、
 と言ったら少しわかってもらえるかもしれない。」

陶工、尾形深省(しんせい)、号を乾山という。
5歳年上の兄、光琳が59歳で亡くなる。
線香をあげに突然、江戸から若い女が男の子を伴い
京の尾形光琳邸にやってくる。
光琳の未亡人、妙はその二人に面会するよう義弟の乾山を呼び出す。
光琳と乾山の対照的な姿が描かれている。

他の四作品は、「永徳翔天」、「等伯慕影」、「幸信花匂」、「一蝶幻景」。

「永徳翔天」
狩野派の天才絵師とうたわれた狩野源四郎・永徳、
曽祖父が正信、祖父が元信、父が松栄と恵まれた血筋で、
狩野派の一団を率いる。
信長、秀吉の信頼も厚く、御用絵師として活躍。
安土の天守閣の障壁画制作を一手に。
見事な障壁画が完成したのだが、
本能寺の変のわずか10日後に、天守閣は炎上、
残念なことに、その障壁画は残っておらず。

「等伯慕影」
朝倉義景の命により、能登七尾の七人衆が
鷹を献上すべく甲斐の武田信玄の元へ。
その一行に長谷川又四郎・信春、のちの等伯も加わる。
彼の役目は信玄の肖像を描くこと。
この肖像画がのちに高野山に寄進され、
世に名高い高野山成慶院にある「信玄公寿像」である。
信玄より多額の碁石金を褒美にいただいた
信春(等伯)は途中の山中でとんでもないことに。
因みに長谷川等伯の話は、安倍龍太郎さんの
「等伯」(直木賞受賞)が詳しく、読みごたえがある。

「雪信花匂」
江戸時代に活躍した狩野派の重鎮、狩野探幽は
永徳の次男の息子。
探幽の高弟の中でも四天王と言われた守景と
国(探幽の妹の娘)との間に生まれた娘が雪。
子供の頃から絵の才能を発揮し、父親の指導を受ける。
17歳の時、探幽の直弟子に、20歳を迎えると、
探幽の本名、守信の一字を拝領(一字拝領という)し、
清原雪信を名乗り、女絵師として知られるように。
その後、守清と所帯を持ち、娘の春と親子三人で
江戸を後に京へ向かう。
探幽が餞別と短冊を旅立ちのはなむけに与える。
短冊には、
「秋野には今こそ行かめもののふの
男女(おとこおみな)の 花匂見に」
万葉集にある、大伴家持の歌で、
花匂とは光に美しく映えるさまで、旅立ちを祝福したもの。

「一蝶幻景」
絵師の多賀朝湖、のちの英一蝶。
五代将軍綱吉の時代、江戸城大奥での争いに
巻き込まれた朝湖、
流人として三宅島に島流し、
11年に及ぶ苦難の島生活から江戸に帰還、
すでに58歳となっている。
名前を英一蝶に変え、新たな絵師としての生活に。
芭蕉庵での其角との絡みなども登場。

葉室麟さんの作家としての出発点が
多少はわかったような気がする。
by toshi-watanabe | 2014-09-17 10:25 | 読書ノート | Comments(2)

「野の花館」の紹介

もう一カ月ほど前になるが、
お盆で家内の実家のお墓参りに出かけた。
越後湯沢からの帰り道、
外山康雄さんのギャラリー「野の花館」を訪れた。
何度も訪れており、外山さんご夫妻ともすっかり顔なじみ。
因みに外山さんは家内の高校の先輩。

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外山康雄さんは1940年東京深川の生まれだが、
1945年に新潟県に移住、浦佐で育っておられる。
その後はすっかり新潟県人である。

2002年4月、旧塩沢町に古民家を移築再生して、
ギャラリーを開設された。
このギャラリーが「野の花館」である。

野の花館」へのアクセスマップ

四季折々の野の花を水彩で描き、
常時100点以上の原画が館内に展示されている。
同時に実物の花々が鉢植えや花瓶に生けられ、
原画のそばに置かれている。

館内に飾られていた野の花の一部を紹介したい。
残念ながら、デジカメの電池切れで、一部しか撮れなかった。

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by toshi-watanabe | 2014-09-09 15:08 | 草花 | Comments(0)

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葉室鱗さんの最新作「緋の天空」を読み終える。
「小説すばる」に掲載されたものが今回単行本として出版。
時は奈良時代、光明皇后の一大絵巻である。

導入部分は、奈良の金光明寺(こんこうみょうじ)(のちの東大寺)にて
大仏開眼供養が盛大に行われている場面。
華厳経が説く蓮華蔵世界(れんげぞうせかい)の中心的存在であり、
世界そのものを象徴する盧舎那仏(るしゃなぶつ)(大仏)が完成をみる。
皇太后光明子(こうみょうし)が、夫である聖武太上天皇と
(太上天皇とは前の天皇の事、聖武天皇が45代天皇)
娘である孝謙天皇とともに大仏殿に進む。
(孝謙天皇が46代天皇、女帝)
目の前には、高さが52尺(約16メートル)、
お顔の長さは16尺(約5メートル)の大仏が安置されている。
この時、聖武太上天皇と皇太后は同じ年の52歳、
孝謙天皇は35歳。

物語は皇太后が10歳の時にさかのぼる。
子供の頃は安宿媛(やすかべひめ)と呼ばれていた。
父親は大納言藤原不比等(ふびと)、
母親は県犬養三千代(あがたのいぬかいのみちよ)。
広大な不比等の屋敷には安宿媛と同じ年の首皇子(おびのみこ)が
一緒に住んでおり、三千世が自分の子供のように面倒を見る。
首皇子の母親の宮子は不比等の娘で、安宿媛の異母姉に当たり、
文武天皇との間に生まれたのが首皇子である。
首皇子は将来の帝を約束されている。
ところが母親の宮子は心の病を患い、だれとも会うことなく
ひっそりと離れに隔離されている。

安宿媛はのちに光明子となり、首皇太子の妃となる。
一生独身を貫いた天正天皇(女帝、44代天皇)から譲位され、
首皇太子は聖武天皇に、光明子は皇后に。

その一方で藤原家の権力を奪い取ろうとナンバー2の位置にあるのが、
長屋王で、天武天皇(40代天皇)の孫にあたる。
また長屋王の妻は天正天皇の妹という由緒ある家柄。
長屋王は息子の膳夫(かしわで)を何とか帝に付かせたい
欲望を抱いている。
この膳夫は安宿媛と幼馴染で仲が良い。

多数登場する人物の名前の読み方が難しく、
人物の相関関係がややっこしい。
読むのも一苦労である。
相関図を作成しながら読むこととする。
相関図を見ながら読み進むと、話が理解できる。

不比等が亡くなった後、長屋王は実権を握る。
藤原家の息子たちが続けて不慮の死を遂げたり。
ところが藤原一族から反逆の手が上がり、
長屋王一家は自害する羽目に。
世にいう「長屋王の変」である。

ところがこのために藤原家は呪われ、
世の中には疫病が蔓延する。
世情も不安が高まり、聖武天皇と光明皇后は
仏道にすがる。
その締めくくりとして盧舎那仏の建立を思い立つ。

最初の部分は読み難いところもあるが、
次第に物語に引き込まれてゆく。
病弱な聖武天皇崩御の後、
光明子は皇太后となり、孝謙天皇を擁護し、
力を発揮するものの、
氏族間の争いはその後も続く。
葉室流の素晴らしい作品である。
by toshi-watanabe | 2014-09-08 09:32 | 読書ノート | Comments(0)

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葉室鱗さんの著書「星火瞬く(せいかまたたく)を読み終える。
時代は幕末、日本が開国に向かって大きなうねりが起きていた頃、
外国人の目から見た当時の日本の姿が描かれている。
従来の歴史物と異なる視点で書かれており、大変興味深い。

主人公というか、「わたし」として登場するのは、
若き少年、アレキサンダー・フォン・シーボルトである。
安政6年(1859)、13歳のアレキサンダー少年は、
63歳になる父親のフィリップ・フランツ・シーボルトに連れられて、
長い船旅を終えて、初めて日本、長崎に上陸する。

フィリップ・シーボルトは30年前、オランダ商館の医師として
6年間、日本に滞在していた。
日本の動植物、地理、歴史を研究するとともに、
塾を開いて多くの蘭医を育成した。
帰国する際に日本の地図を持ち出そうとしたとして
「シーボルト事件」を起こし、日本には再び入国できずだった。

時代が変わり、フィリップは長男のアレキサンダーを伴い、
30年ぶりに懐かしの日本にやってくる。
日本人女性お滝との間に生まれた娘、イネとも再会。
イネはすでに32歳、産科医として活躍している。

翌年、万延元年と年号が変わる。
大老井伊直弼が桜田門外で討たれ、
アメリカ公使館の通訳兼書記ヒュースケンが討たれるなど、
江戸の町も騒然とした状況。

そのまたあくる年は年号が再び変わり、文久元年となる。
この年にシーボルト親子は江戸へ向かう。
フィリップは江戸に、アレキサンダーは横浜にと別々に過ごす事に。
これからの1年間がこの作品の内容である。
特に「わたし」であるアレキサンダーは日に日に移り行く
日本の動きに翻弄されながら、人間として成長して行く。

色々な人物が登場するが、重要な中心人物として描かれているのが
ロシア人のミハイル・バクーニン。
無政府主義者で革命家。
シベリア流刑を脱走し、欧州に逃れるために、
日本、米国を経由する。
アレキサンダーが宿泊している横浜ホテルに
バクーニンも滞在し、バクーニンから大きな影響を受ける。

もう一人、当時外国奉行、35歳の小栗忠順(のちの上野介)
が登場するが、以前から私自身大変関心を持っている人物である。
日米修好通商条約批准書交換の遣米使節(監察)として、
ポーハタン号で渡米、各地で大歓迎を受ける。
米国から大西洋を渡り、世界一周し見聞を広める。
能力を認められ、外国奉行に抜擢される。

明治に入り群馬県倉渕村で余生を暮していた小栗は、
明治新政府から狙われ、斬首されている。
現地には斬首の碑が残されており
倉渕の東善寺には小栗ゆかりの品が展示されている。

帰国の途に就く父親のフィリップを
息子のアレキサンダーが港で見送る場面で
この小説は終わっている。

因みにフィリップは帰国後2年後に亡くなる。
アレキサンダーはイギリス公使館の通訳として雇われた後、
明治政府のお雇い外国人として40年間務める。
日本の外交に貢献したとして、
勲二等瑞宝章を受勲している。
by toshi-watanabe | 2014-09-05 10:33 | 読書ノート | Comments(2)

9月2日、世田谷美術館に出かける。
用賀駅で下車し、何度か歩きなれている
用賀プロムナード、通称いらか道を通って、
環八通りに出、砧公園を抜けて行く。
このプロムナードの路面には、
百人一首が刻まれている。
秋晴れとは言え、木陰は涼しいのだが、
日差しが強く、日当たりを歩くと汗があふれ出てくる。

因みに用賀駅前からは臨時の直行バスが出ている。
片道100円である。

6月28日に始まった「ボストン美術館・華麗なるジャポニスム展」も
今月15日で終了する。
そのあとは京都、名古屋と巡回展示の予定。

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「印象派を魅了した日本の美」とサブタイトルがついており、
浮世絵や工芸品など、日本の美術工芸が西洋の画家たちに
大きな影響を与えた、その軌跡をテーマにしている。

ボストン美術館の数多ある所蔵品の中から
150点を厳選し、今回出展している。
「日本趣味」、「女性」、「シティ・ライフ」、「自然」、「風景」と
コーナーを設け、順番に見学できる。
浮世絵と西洋画家の描いた作品を並べて展示し、
比較しやすいように工夫されているのは有難い。

歌川広重の「名所江戸百景・大はしあたけの夕立」
視点が少し高い位置に置かれているばかりか、
僅かに傾く特殊な構造となっている。
殆ど垂直に降り注ぐ直線的な雨。

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フィンセント・ファン・ゴッホの「雨中の橋」。
四周には様々な浮世絵から切り取った漢字を書き加えている。

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同じく歌川広重の「名所江戸百景・亀戸梅屋鋪」

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フィンセント・ファン・ゴッホの「花咲く梅の木」。

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ポール・ルグランがデザインし、パリのブシュロン社が
1876年に製作した「インクスタンド」。
浮世絵、漆工芸、鍔、型紙などから引用した模様や図像を
高度に様式化、七宝で表現している。
狛犬、扇子、松の枝、鳥などに加えて日本風の文様、
富士山を望む風景と釣り人も描かれている。

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今回の展示会の目玉ともいえる作品、
クローネ・モネの「ラ・ジャポネーズ(着物をまとうカミーユ・モネ)」。
クローネ・モネの夫人がモデルで、
等身大の大きさで描かれている大作である。
作品は痛みが激しかったため、一年にわたり修復作業を行い、
今回修復後初の展示。

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喜多川歌麿の「母子図 たらい遊」。

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メアリー・スティーヴンソン・カサットの「湯あみ」。
西洋美術では描かれてこなかったジャンル。
母親と子供の絆を親密に描写している。

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歌川国貞と歌川広重による
「当盛十歌撰 夏菊(二代目沢村訥升、初代沢村由次郎)」。

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フィンセント・ファン・ゴッホの「子守唄、ゆりかごを揺らす
オーギュスティーヌ・ルーラン夫人」
パターン化された背景装飾、鮮烈な色彩、
線の動きが織りなすダイナミズム。

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エミール・ガレの「花瓶」。
ぽつんと花を咲かせる一本の枝は
いかにも日本的な主題。

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歌川広重の「東海道五拾三次之内 岡崎 矢矧の橋」。

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ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラーの
「オールド・バターシー・ブリッジ」。
日本的な構図手法を応用。
要素の少ない構図の中、斜めに角度をつけ、
複数の視点から捉えるようにして、橋を描いている。

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歌川広重の「東海道五拾三次の内 四日市 三重川」。

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クロード・モネの「トルーヴィルの海岸」。
表情豊かに激しく描写された一本の木を
中央に配して、西洋の遠近法や陰影法の使用を避けている。

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平日にもかかわらず、見学者は多く、
人の肩越しにに観なければならない場面もあり、
ゆっくりと見学できなかったのは残念。

ちょうど昼時になり、館内のレストランに足を運ぶも、
既にランチ受付終了とある。

出展された浮世絵の作品に限ると、
数も少なく、少々物足りない感じがする。
今年初めに、東京江戸博物館にて見学した
大浮世絵展」の方が出展作品数が多く、
それぞれ質の高い作品が見られ、
大いに見応えがあった。


御断り(使用した写真は、すべて図録からのコピーである)
by toshi-watanabe | 2014-09-04 11:26 | 一般 | Comments(6)

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大分前に買い求め、そのままになっていた
藤沢周平の作品「静かな木」を読み終える。

短編集で、「岡安家の犬」、「静かな木」、
そして「偉丈夫」の3篇から成っている。
週刊新潮と小説新潮に平成5年から8年にかけて
連載されたものを、平成10年に単行本として出版される。
著者は平成9年1月に亡くなられているので、
没後1年後に出されたことになる。

藤沢さんは山形県鶴岡市のご出身。
鶴岡は江戸時代、酒井藩庄内藩、
この庄内藩をモデルに、架空の「海坂藩」を設定し、
藤沢作品に度々登場する。
映画化された「蝉しぐれ」などにより、よく知られている。
因みに同じ山形県米沢市の近くで生まれた
井上ひさしは大の藤沢ファンで、
「海坂藩・城下図」を作成してしまう。

「岡安家の犬」

岡安家は海坂藩近習組、十左衛門は隠居の身、
大の犬好き、犬の喧嘩があればどこへでも出かける。
岡安家の当主は孫の甚之丞、ほかに母と妹二人の
5人家族、誰もが犬好き、犬を飼っている。
犬の名前はアカ。

ある時、甚之丞は親友の野地金之助から
犬鍋をやるから喰いに来いと誘われる。
当時野犬狩りと称して、野良犬をとらえて
鍋で煮て喰っていたようである。
久しぶりに喰ったので、「味はどうだ」と聞かれて
「うまいと」答える。
すると、「うまいはずだ。
今喰ったのは、貴様の家のアカだぞ。」
激怒した甚之丞は金之助と
あわや果し合いを。

甚之丞の妹、八寿(やす)は金之助に
嫁入りがすでに決まっているというのに。

「静かな木」

布施孫左衛門は福泉寺の境内に立つ
欅の大木を見て過ごす。
孫左衛門は5年前に隠居し、2年後には還暦を迎える。
総領の権十郎が跡を継いで勘定方に出仕している。
次男の邦之介は間瀬家に婿入りしている。
この邦之介が果し合いをすると聞きつけて、
孫左衛門が一計を案じる。

今回の事件の裏には、
藩内の派閥争いが絡んでいる。

「偉丈夫」

海坂藩初代藩主、政慶公は次男の仲次郎光成を愛し、
死歿するときに、藩から一万石を削って、
仲次郎に与え、幕府の許しを得て支藩とした。
片桐権兵衛の属する海上藩である。

政慶公が没してから70年ほどが過ぎたころ、
本藩と支藩の間に漆木をめぐって
境界争いが生まれる。

権兵衛は六尺に近い巨躯だが、いたって寡黙。
この権兵衛が境界争いの掛け合い役に抜擢される。

いずれも小品の短編だが、きめ細やかな人情が
見事に描写され、物語にひこまれてしまう。
感動を呼ぶ藤沢作品である。
by toshi-watanabe | 2014-09-03 09:39 | 読書ノート | Comments(0)