引き続き「読書ノート」です。

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上杉鷹山を主人公にした、
上田秀人さんの最新作品「峠道 - 鷹の見た風景」を読み終える。
童門冬二さんの「上杉鷹山」とはまた異なる視点から
鷹山を取り上げており、興味深く読む。

第八代米沢藩主となって十六年、齢も四十をこえた
上杉重定には跡継ぎとなる男子がおらず、
かって三代藩主綱勝が跡継ぎのないまま急死、
危うく家名断絶となりかかった経緯もあり、
遠縁にあたる秋月種美の次男松三郎を迎えることになった。
内々の約束をしたのが宝暦十年(1760)二月のこと。
その直後に重定の側室勢が懐妊し、
宝暦十一年三月、男子を出生した。
これで一騒動起きることになるのだが、
宿老たちの決意により重定が折れて決着したものの、
その恨みは深く残った。

麻生百姓町の秋月家上屋敷から
松三郎が外桜田御堀通りの上杉上屋敷に移る。
名前を改め直丸と名乗る。
上杉家の世子となった直丸は、上杉家の歴史を叩き込まれる。
その後、上杉治憲と名乗り家督を継ぎ、米沢藩九代藩主となる。
竹俣当綱(童門の作品でも登場する重要人物)とともに、
細井平洲の講義を聴講し、
破綻寸前の米沢藩に目を向け、どう改革するかを考える基盤となる。

重定公の娘、幸姫と夫婦となるものの、
生まれつき障碍のある幸姫は体も心も幼時のまま、
夫婦生活は営むことはできず、
治憲は妹のように遊び相手になり、かわいがる。

数年後江戸から米沢に初めてお国入り。
この辺りからの筋道は童門上杉鷹山とほぼ同じである。
童門上杉鷹山にはほとんど登場しなかったが、
この作品では重要人物として登場する女性がいる。
治憲の側室となる琴(のちに豊の方と呼ばれる)である。
治憲より十歳年上だが、初めは姉のごとく接し、
正室の代わりとしての役目を果たすことになる。
孤独になりがちの治憲を励まし、
大きな力の支えとなる。

二人の男子に恵まれるものの、二人とも若くして亡くなる。
とくに長男は十一代藩主となるはずだった。

米沢藩の改革に取り組んで行くが、
なかなか思うようには進まない。
災害や災難の連続、それでも藩を守らねばならない。
重定の長男に家督を譲り、隠居となり鷹山を名乗る。
隠居の身ながら、その後の藩主や藩の中枢となる
若者の教育に力を入れる。

鷹山が手を付けて初めた改革の火は燃え続け、
十一代藩主の時代になって、
藩の抱えていた借金がゼロに。
それだけの年数がかかっている。

名君の苦悩と孤高が見事に描かれている。
by toshi-watanabe | 2014-04-24 09:34 | 読書ノート | Comments(0)

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浮穴みみさんの最新作「月の欠片(かけら)」を読み終える。
どういう経歴をお持ちの方なのかはよく知らない。
初めて浮穴さんの著書を手にする。

戊辰戦争の折りに、祖父、両親、そして兄と妹たちの
身内のすべてを失い、当時まだ6歳の琢磨少年は
その後遠縁の家を転々とした末に、
知り合いを頼りに13歳の時に単身上京。
時は明治初頭、江戸は東京に。
様々なお屋敷で下働きをする。
元会津藩士の子、琢磨は16歳の時、同郷の知り合いの紹介で
築地明石町にある「都鳥」という西洋茶店(今でいうカフェ)
に寄宿することになる。

外国人居留地に近く、店の主人、祐三郎は
書生を無償で寄宿させ、西洋塾に通わせる
奇特な人物である。
琢磨は同宿の仲間と交流が始まり、西洋塾にも通い始める。

店ともなじみの新橋の牛鍋屋主人治五郎が割腹死体で発見される。
明治の代になって、しかも侍の出でもない男が切腹とは。
ところが治五郎は、北海道で起きたある事件に絡んでおり、
自死ではなく他殺だろうと推察され、
一連の敵討ちの端緒と思われる事が判明。
琢磨たちが治五郎の過去を洗い始めた矢先、
第二の殺しが起きてしまう。

明治初め、地方から東京に出てきた若者たちが
外国人に接し、勉学に励む姿が
生き生きとえがかれていると同時に、
敵討ちに絡んだ推理小説の謎解きの
面白さもある。

さて「月の欠片」とは?
by toshi-watanabe | 2014-04-18 14:21 | 読書ノート | Comments(2)

前回からの続き。
京都方面への旅、二日目の朝は早起き。
6時20分から朝食、7時10分に宿を出発。
8時ごろ、宇治の平等院に到着する。
一般見学者が入る前に、新装なった平等院を
見学するためである。

終戦後の昭和大修理から56年ばかり経過し、
平成大修理が行われてきた鳳凰堂、
尾部の建物の部分を除いて、修理作業が完了し、
この4月から一般公開されている。
入口の南門にはまだ誰もいない。

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ガイドさんの案内で、阿字池を一回りする。
藤原氏の栄華を今に伝えている鳳凰堂と庭園。
本来は阿弥陀堂だったのが、屋根の上に燦然と輝く
鳳凰により鳳凰堂と呼ばれるように。

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早朝朝日山から鳳凰堂の上に昇る
太陽を見たいという思いで、
かって白洲正子さんは度々この地を訪れたと書かれている。
鳳凰堂の見学は少人数のグループで。
池の手前からご本尊の阿弥陀如来坐像。

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阿弥陀如来は大仏師、定朝の作として貴重な存在で国宝。
寄木造の見事な仏像さんである。
壁面に見られる52体の雲中供養菩薩像はレプリカ。
国宝の本物は別棟の鳳翔館に展示されている。

枝垂れ桜と雌松が彩りを添えている。
珍しい形の救世船乗り観音像。
「銘の神護寺」、「音の三井寺」とともに「姿の平等院」と
称された、古来天下の三名鍾の一つ。

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鳳翔館を見学する。
鳳凰と梵鐘のオリジナルもここで見ることができる。
雲中供養菩薩像から。

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平等院を後に、円成寺に向かう。
奈良の柳生街道にある円成寺は真言宗御室派の寺院。

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ご住職の案内で本堂を見学する。
ご本尊は阿弥陀如来坐像。
本堂の脇には春日堂、白山堂があり、
現存最古の例として、国宝に指定されている。

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多宝塔には、大日如来坐像。
鎌倉時代の大仏師、運慶の初期の作として知られ、国宝。
正面はガラス張りのため、拝顔できないが、
横の方からはよく見える。

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境内には桜や花木が見られる。

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この後なら市内に戻り、食事をいただく。
午後は当尾へ向かう。
真言律宗の寺院、岩船寺へ。
この辺りは京都府木津川市なのだが、
奈良に近く、文化的にも南都の影響を受けてきた。

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ご住職の案内で本堂を見学する。
ご本尊は立派な体躯の阿弥陀如来坐像。
頭、体の根幹部分は一木材で作られている。
普賢菩薩像を納めた厨子の背面に描かれている
曼荼羅は美しく素晴らしい。

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三重塔の扉には装飾が施され、
組物、尾垂木上で隅木を支える隅鬼が見られる。

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境内には十三輪塔も見られる。

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岩船寺から、いよいよ当尾石仏群を見ながらの山歩きが始まる。
当初の予報だと曇りから雨だったが、
何とか曇り空のまま、暑くも寒くもなく
丁度よいハイキング日和で幸い。

内田康夫さんの浅見光彦シリーズの一冊
「平城山を超えた女」に出てくる場面を思い出す。

わらい仏、からすの壺二尊、やぶの中三尊など。

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1時間ばかり森林浴をエンジョイし、
最後の目的地、浄瑠璃寺に到着。

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宝池を挟んで、西の阿弥陀如来、東に薬師如来。
浄瑠璃寺は岩船寺と同じ真言律宗の寺院。
九体阿弥陀堂の前で、ご住職の説明を聞き、
阿弥陀堂に上がる。
九体阿弥陀如来坐像、すべて国宝、
何度目かの拝顔となる。
秘仏の吉祥天も公開中(年に3回)。

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三重塔のご本尊、薬師如来は非公開で拝観できず。

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近江から、奈良、京都の旅、
天候にも恵まれ、滞りなく予定を終える。
一番のハイライトは、矢張り平等院の鳳凰堂。
くすんだ丹色で装飾された建物が見事に阿字池とマッチし、
正に浄土の世界を再現している。

当尾の石仏めぐりはもう少し時間が欲しいところ。
by toshi-watanabe | 2014-04-16 11:30 | 寺院・仏像 | Comments(2)

京都方面へ一泊二日の旅

4月12日から一泊二日のツァーに参加して、
春爛漫の近江から京都への旅を楽しむ。
新横浜から列車に乗り込み、10時45分、米原に到着。
観光バスに乗り、まず訪れたのが長浜の安藤家。
琵琶湖畔でも、伊吹山に近い長浜付近は春の訪れが遅いようで、
ソメイヨシノが丁度満開、目を楽しませてくれる。

駐車場で降り立つと、琵琶湖観光に使われている
水陸両用車が止まっている。

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長浜の町中は古い建物がまだ残っている。

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北国街道に面して安藤家の屋敷が立っている。
以前訪れたことのある新潟の渡辺家や酒田の本間家のような
広大で豪壮な屋敷とは異なり、
通りに面した、こじんまりとした屋敷である。

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安藤家は賤ヶ岳の合戦では秀吉に協力、
長濱発展のために尽力。
呉服問屋として事業を展開、豪商となる。
北大路魯山人が30歳のころ、長濱に逗留し、
安藤家の離れを「小蘭亭」と名付けた。
魯山人の篆刻や装飾が残されており、
今回、この離れが見学できる。
だいぶ痛みがひどく、地元の人たちにより修復管理されている。

次いで琵琶湖の反対側、三井寺(園城寺)へ向かう。
三井寺は50年ぶりぐらいである。
仁王門を潜り抜けると、正面には金堂。

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左手に近江八景の「三井の晩鐘」と知られる鐘楼がある。
宇治の平等院、高尾の神護寺とともに、
日本の三銘鍾に数えられ、荘厳な音色で知られる。

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天智、天武、持統の三天皇が産湯に用いられた
という泉が湧く閼伽井屋。

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「弁慶の引摺り鐘」として知らる霊鍾堂。

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高麗版一切経を納める回転式の一切経蔵。

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三重塔と観音堂・

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境内ではまだ桜がみられる。

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バスの中で昼食の弁当を済ませ、バスは一路京都市内へ。
臨済宗大本山妙心寺の山内には46もの塔頭があるが、
今回訪れたのは退蔵院。
花の寺として知られる。
山門(薬医門)を通ると、鮮やかな紅枝垂れが目の前に。

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「陰陽の庭」と呼ばれる枯山水庭園があり、
その奥に「余香苑」と呼ばれる庭が広がるが、
この奥の庭は昭和和40年に完成、昭和の名庭である。
方丈(本堂)に上がり、「元信の庭」を楽しむ。

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室町期の絵師、狩野元信が作庭した枯山水庭園。
白砂と石組みで禅の庭が見事に表現されている。
方丈には日本最古の水墨画とされる国宝の
如拙筆の「瓢鮎図(ひょうねんず)」のレプリカと
狩野了庵の描いた杉戸絵などのレプリカがある。

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庭の椿。

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初日最後の訪問先は京都駅近くの東寺。
真言宗総本山で、正式には教王護国寺である。
僧侶のご案内で、金堂、講堂、五重塔と巡る。
金堂には薬師如来三像と十二神将立像。
講堂には立体曼荼羅と呼ばれる21体の仏像群。
外から拝顔した薬師如来。

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五重塔の中も見学する。
東寺でも桜の花がまだ見られる。

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夕刻六時、夕闇が迫り、ライトアップされる。

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。。。。。。。二日目に続く
by toshi-watanabe | 2014-04-15 14:40 | 寺院・仏像 | Comments(0)

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山本兼一さんの著書「利休にたずねよ」を読了。
直木賞受賞作品で、昨年映画化されている。
天下一の宗匠と称された千利休の物語。
実に繊細で巧みな構成で書かれている。
自ら命を絶つ場面から始まり、時の流れを逆行して
利休の人生を浮き彫りにしている。
舞台の場面が変わるたびに時が逆流し、謎解きが続く。
利休ゆかりの人達が登場する。

「死を賜る」 利休
 天正19年(1591)2月28日朝 京 聚楽亭 利休屋敷 一畳半
秀吉は、美を思うがままにあやつり、美の頂点に君臨する利休が許せない。
床の間には軸も花もなく、白木の薄板に、緑釉の香合がある。
その前にすっと伸びた木槿の枝が一本。

「おごりをきわめ」 秀吉 利休切腹の前日 京 聚楽亭 摘星楼、
「知るも知らぬも」 細川忠興 利休切腹の十五日前
京 吉田 細川屋敷 長四畳、
「大徳寺破却」 古渓宗陳 利休切腹の十六日前、そして堺に追放の前日
 京 紫野 大徳寺 方丈
「ひょうげもの也」 古田織部 利休切腹の二十四日前 京 古田織部屋敷 燕庵

「木守」 徳川家康 利休切腹のひと月前 京 聚楽亭 利休屋敷 四畳半
お茶を頂いた家康は茶碗の銘を利休に尋ねると、
「木守(きまもり)」と答える。
秋に柿の実をとるとき、来年もまた豊かに実るよう、
ひとつだけ取り残す実を木守という。
なぜ「木守」との問いに、長次郎の焼いた茶碗をいくつか並べ、
弟子たちに好きなものを選ばせたところ、これひとつが
残りました、と答える。
家康はみょうに合点、利休こそ天下一の茶人と
称されている理由を納得する。

「狂言の袴」 石田三成 利休切腹のひと月と少し前、
「鳥籠の水入れ」 ヴァリニャーノ 利休切腹のひと月と二十日前、
「うたかた」 利休 利休切腹のふた月と少し前、
「ことしかぎりの」 宗恩 利休切腹の三月ほど前、
「こうらいの関白」 利休 利休切腹の前年 京 大徳寺門前利休屋敷 二畳半、
「野菊」 秀吉 利休切腹の前年 京 聚楽亭 四畳半、
「西ヲ東ト」 山上宗次 利休切腹の前年 箱根 湯本 早雲寺、
「三毒の焰」 古渓宗陳 利休切腹の二年前
「北野大茶会」 利休 利休切腹の四年前 京 北野天満宮社頭松原、
北野の大茶会で、なぜ人は茶に夢中になるのかと秀吉の問いに、
利休は茶が人を殺すからでございましょうと。
とは奇妙なことと、秀吉がさらに問うと、
茶の湯には、人を殺してもなお手にしたいほどの美しさ、麗しさがあります。
道具ばかりでなく、点前の所作にも、それほどな美しさを
見ることがありますと答える。
美しさは、けっして誤魔化しがききませぬ。
道具にせよ、点前にせよ、茶人は、つねに命がけで
絶妙の境地を求めておりますと。

「ふすべ茶の湯」 秀吉 利休切腹の四年前 筑前 箱崎松原、
このとき利休が大事に持っている、鮮やかな緑色の香合を
秀吉は目ざとく見つける。
秀吉が緑釉の香合に黄金一千枚を積んでも利休は手放そうとしない。

「黄金の茶室」 利休 利休切腹の五年前 京 内裏 小御所、
「白い手」 あめや長次郎 利休切腹の六年前 京 堀川一条、
「待つ」 千宗易 切腹の九年前 山崎 宝積寺城 待庵

さらに時代はさかのぼり、
「名物狩り」 織田信長 宗易四十九歳 泉州 堺 浜の寮
「もうひとりの女」 たえ 宗易三十四歳 泉州 堺 浜の納屋、
「紹鴎の招き」 武野紹鴎 与四郎(のちの宗易、利休)十九歳
泉州 堺 武野屋敷 四畳半、
与四郎(のちの利休)は紹鴎から茶の手ほどきを受ける。
「恋」 千与四郎 十九歳 泉州 堺の浜
ここまで逆戻りした利休の物語は幕となる。
緑釉の香合を手に入れた謎、そして決して手放さない謎が解ける。

最後は「夢のあとさき」 宗恩 利休切腹の日 京 聚楽亭 利休屋敷。
利休の妻、宗恩は緑釉の香合を庭の石灯篭に投げつけ
香合は粉々に砕けてしまう。

この小説の題名「利休にたずねよ」は謎である。
筆者は何をたずねよと意図しているのだろうか。
あとがき(解説)を書かれている宮部みゆきさんは、
「利休さん、あなたがもっとも深く愛した女性は、
やっぱり宗恩(そうおん)ですね」、
そうたずねたいと思います、と書かれている。
by toshi-watanabe | 2014-04-10 09:34 | 読書ノート | Comments(2)

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新聞やテレビで連日報じられていたが、
天皇陛下の傘寿のお祝いを祝して、皇居の乾通りが一般公開され、
自由に入場散策が楽しめることになり、
今週月曜日、その公開4日目、これは見逃す手はないと、
朝9時前に家を出て、かみさんと出かけた。
朝から晴れ上がり、絶好の行楽日和。

入口となっている坂下門に一番近い地下鉄駅 「二重橋前」で下車すると、
ホームの上は降車した人たちで一杯。
改札口の横にトイレがあり、誰もがトイレへ。
男性の方は問題ないのだが、圧倒的に女性の方が多く
長い行列ができ、階段からホームの方まで続く。
かみさんを待つこと何と30分。

さて階段を上り路上に出てみると、すでに行列ができている。
警察官が要所要所に立って交通整理。
広い日比谷通りを渡って真っ直ぐ行けば坂下門なのに、
祝田橋、桜田門近くまで回され、やっと皇居前広場に 、
それから二重橋の前を通って坂下門へ向かうが、
どんどん行列の幅は広がり、少し進んではストップの繰り返し。
やっと坂下門に近付くと、手荷物のチェック、
それからボディチェックと簡単な調べ方とは言え、 厳重な体勢がとられていた。
坂下門を通り抜けたのは地下鉄の駅から2時間後、既に正午である。

坂下門の中も見物客でごった返している。
左手に宮内庁の庁舎があり、
公開初日だったが、天皇皇后両陛下が
宮内庁庁舎の3階窓から様子をご覧になられたと聞く。

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お花見どころか人を見に来たようなもの。
ソメイヨシノはすでにだいぶ散っているものの、
枝垂れ桜や松の緑がきれいだ。

右手には富士見櫓。

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松の緑も素晴らしく、
楓や紅葉の木も多く見られる。

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カメラを向けていると、どんどん前に進んでくれと言われる。
迷子ならぬ、仲間からはぐれて仲間を探す呼び出しが
ひっきりなしに耳に入る。
救護所や待合のテントが設けられている。

後で知ったのだが、当日の入場者数は9万人を超えた。
またこの日にはオーストラリアの首相が 皇居を訪問されており、
皇居前の人並みにびっくりされたようだ。
因みに5日間の公開は翌日で終了した。

乾門まで行かず、途中の西桔橋を渡って東御苑に出る。

踊子草が咲き始めている。
白色の花と桃色の花と。

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此方も大勢の人たちで賑わっている。
天守台の桜。

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東御苑内を散策すると、春の花が見られる。
東錦(あずまにしき)。

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シャクナゲの花。

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貝母(ばいも)、破れ傘、草木瓜(くさぼけ)。

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深山鶯蔓(みやまうぐいすかずら)、ホウチャクソウ、碇草(いかりそう)。

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木瓜(ぼけ)、御衣黄(ぎょいこう)、射干(しゃが)。

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お濠では白鳥が一休み。

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大手門をでて「大手町」から地下鉄で「乃木坂」へ。
現在開催中の「創元展」を見学する。

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既に来年度の予告がチラシに。
会のメンバーで、大学時代の同期生である
N画伯から創元展の案内状をいただいた。
今回の出品作は「スペイン・トレドのエル・グレコ館」
円熟味を増した重厚な100号の作品である。

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今秋の日展をNさんは目指している。
入選を果たすと10回目の入選となり、会友の資格が得られるとのこと、
精進されますよう祈るばかり。

1階の会場をフルに使った大展示会、
大作がたくさん展示されている。
全部見終わると、さすがに目が疲れる。
2階、3階でも同様の別の会の展示会が開催されているが、
とてもそちらまで見学する元気はない。

楽しく有益な春の一日だった。
by toshi-watanabe | 2014-04-09 11:21 | 季節 | Comments(2)

満開の桜

数日前、高血圧症の定期チェックのため、
掛かり付けの内科へ通院。
特に異常もなく、処方箋を出してもらう。
4月1日から、医療費の改正があったらしいが、
私の場合にはほとんど関係なく、支払い請求額はいつも通り。

青空が広がり、気温も上昇して快適な気分、
満開の桜を観に行こうと、四つばかり先の駅
「たまプラーザ」まで出かける。
我が地元、横浜市青葉区でも、この辺りは閑静な住宅地、
綺麗な街並みが続く。
駅前の通りも桜並木だが、
歩いて数分のところ、國學院大學の
たまプラーザ・キャンバスの桜が地元でも名高い。

今回初めて訪れる。
ソメイヨシノの桜並木が続き、
建物の近くには、枝垂れ桜や八重桜も咲いている。

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グラウンドの向こう側には枝垂れ桜。

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生憎カメラを持参せず、今回の写真はすべてスマホで撮ったもの。

ご近所の皆さんだろうか、家族連れやグループで大勢お花見に
来られている。
弁当を広げて楽しんでおられる方たちも。
のどかな春の昼下がりである。
by toshi-watanabe | 2014-04-05 09:37 | 季節 | Comments(2)

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ここしばらく読み続けていた
童門冬二さんの「小説 上杉鷹山」をやっと読み終える。

主人公は宝暦1年(1751)、
九州日向の小藩、高鍋三万石の藩主、
秋月種美の次男として生まれ、
10歳の時に米沢藩主、上杉重定の養子となり、
世子と定まる。
秋月家一本松邸から上杉家桜田邸へ移る。

明和3年(1766)、16歳となり元服する。
時の将軍、家治公の一字を拝領し治憲と改名。
翌年17歳となり、藩主重定隠居の後、
上杉家の家督を継ぎ、第九代米沢藩主となる。

小説はここからスタートする。
江戸桜田にある藩邸の中で、
上杉治憲は庭の池を泳ぐ魚たちを見つめながら、
米沢藩の行く末に思いを馳せる。
池の魚を藩邸の家臣に見立てている。
二年後には藩主として(藩では親方様と呼ばれる)米沢へ初のお国入り
となっているが、藩の財政は破綻し、
商人からも見限られ、改革にも手の施しようもない有様だった。

治憲は藩の重臣からの強い抵抗を覚悟し、
どちらかといえば藩の体制からはみ出した人物、アウトサイダーとも
呼べる人たちを協力者として選ぶ。
側近として長く仕える佐藤文四郎などが登場する。
七家騒動と言われる家老たちの反乱には、
切腹、隠居閉門などの思い切った処置をとる。

彼の藩政改革は、無駄な出費を削減することで
藩の財政を立て直しただけでなく、
殖産の興業によって新たな財源を確保する一方、
民間の活力を高めることに努める。
藩の将来の為に、町民も農民も学べる
学校を設置する。

治憲の施策が幾多の困難を乗り越えて成功したのは、
当時稀有ともいえる民主的な思想を基盤に、
時代の大局を見据える洞察眼を備えていたのだろう。
信念を貫き通した実行力や忍耐力もすごい。

治憲の思想の基になっているのは少年時代に
学んだ細井平洲の影響が大きく、
また外部者として藩を冷静に観察できたということもあるだろう。

米国の第31代大統領、ジョン・F・ケネディが
大統領就任の際、日本人記者団からの質問に答えて、
「私の最も尊敬する日本人は、ウエスギ・ヨウザン」。
その場の日本人記者には、「ウエスギ・ヨウザン」を
知らなかった者も。
ケネディ大統領は、内村鑑三の著作で英訳が出ている
「代表的日本人」からこの知識を得ている。
因みにこの著書の代表的日本人とは、
上杉鷹山のほかに、西郷隆盛、二宮尊徳、
中江藤樹、日蓮の4人である。

童門冬二さんご自身も、この話を聞いて、
「小説 上杉鷹山」を書くきっかけになったと書かれている。

またケネディ大統領が就任演説の中で、
「国家があなた達のためにな何ができるかを問うのではなく、
 あなたが国家のために何ができるかを問うて欲しい」、
これもよく知られているが、
上杉鷹山の思想が取り入れられているのでは。

上杉治憲は35歳で隠居し、養父重定の実子で
世子にしていた治広が家督を継ぐ。
その後治憲は鷹山と改名。
改革に当たる治憲の苦難の道のりが
生き生きと描かれている。

是非とも読んでいただきたい一冊である。
by toshi-watanabe | 2014-04-02 10:45 | 読書ノート | Comments(0)