折々の記

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実は、この文章は別のSNS(ミクシィ)に昨日書き込んだものです。
ご了承願います。

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ご存知、素人名探偵、浅見光彦シリーズである。
この作品は平成2年(1990)10月に既に出版されている。
今回文春文庫として再新刊されたのを機に読んでみる。
書名にある「平城山」は「ならやま」と読み、歌にもなっている。
大和の国と山代の国の境に位置する山というより低い丘で、
JR大和路線(関西本線の一部)に沿って通る
国道24号線(奈良街道)の峠付近を言う。

国宝の九体阿弥陀如来で名高い浄瑠璃寺から岩船寺に至る
地域は石仏群が多く、ハイキングコースとなっており、
当尾(とうの)の里と呼ばれている。
磨崖仏も見られ、最も大きいのが
大門仏谷阿弥陀磨崖仏である。
著書ではホトケ谷と書かれ、
ハイカーの若者達がホトケ谷の谷底に
若い女性の遺体を発見。
これが殺人事件の発端となる。

浅見探偵シリーズには必ずと言っていいほど、
若い綺麗な女性が登場する。
この著書では、寺と仏像巡りが大好きな女性、
阿部美果が登場。
二人の出会いは、京都大覚寺(正確には旧嵯峨御所大覚寺門跡)、
お堂の広間で写経をする場面。
そして二人はホトケ谷殺人事件に巻き込まれて行く。

浅見光彦が奈良に出かけた目的は、古くから文士等に愛されてきた
「日吉館」が取り壊しになるのではとの噂があり、
その実情を調査するため。
「日吉館」は奈良国立博物館の北側に実在した。
會津八一、和辻哲郎、小林秀雄等々がこの2階建ての木造の宿を
定宿としてきた。
確かにこの作品が書かれた当時、名物女将の
田村キヨノさんはご高齢、一度は廃業を決意したものの、
なじみ客のボランティアの支援を受けて営業をしていた。
その後、平成7年(1995)遂に廃業、
その3年後の平成10年(1998)女将は88歳で他界。
建物はそのままになっていたが、
平成21年(2009)建物は取り壊された。
著書の中で、この宿が何度も登場する。

事件のカギとなるのが仏像である。
奈良市高畑にあるのが新薬師寺。
創建当時は七堂伽藍のお堂が並び立つ壮大な寺院だったが、
火災で焼失、唯一残るのが現在の本堂(国宝)のみ。
元来の本堂である金堂には、7躯体の薬師像が
本尊として祀られていたと記録に残る。
現在の本堂には国宝の薬師如来像が本尊として祀られ、
本尊を取り囲むように国宝の十二神将立像が祀られている。
本堂の横には香薬師堂があり、
5角形をした珍しい形の厨子の中におさめられているのが
薬師如来立像(香薬師)。
像高わずか78.4センチの小型の仏像である。

白鳳時代の仏像の特色を示しており、
深大寺(東京調布市)の釈迦如来、法隆寺の橘夫人念持仏
とともに白鳳の三大美作と称されている。
この香薬師像は国宝だったが、昭和に入り2度盗難に遭い、
無事戻ったものの、昭和18年(1943)盗難に遭って、
その後行方知れずのまま。

盗難に遭う前のオリジナルの香薬師像。

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今から70年前に仏像盗難にかかわりを持った人物が、
物語に登場し、厄介な殺人事件に発展。
浅見光彦が事件の背景を解明し、
事件の解決へと向かう筋書きである。

仏像の話でもあり、場面も京都、奈良と、
個人的にも興味があり、
面白く読めた。
ただ終盤が少々端折りすぎた感もある。
現実問題として、この香薬師像、いったいどこへ消えてしまったのだろう。
因みに、著書では厨子が空のまま本尊の薬師如来の
前方に置かれていると書かれているが、
幸いなことに、石膏型が保存されていたので、
レプリカを作成し、現在はそのレプリカが
厨子の中に安置されている。
両方を目にされている年配者の話では、
「あごの下の肉付きが幾らか甘くなっている感じだが、
殆ど遜色ない」とのことで、
香薬師堂で拝観できる。
by toshi-watanabe | 2013-12-31 10:25 | 読書ノート | Comments(0)

12月初め、両国国技館へ

12月8日、両国国技館へ出かける。
新潟県在住の親戚の家のK君、
小学4年生が「第23回全日本小学生相撲優勝大会」に出場が決まり、
親戚一同、K君の応援に出かける。

当日の国技館、メインのイベントは
「天皇杯 第62回全日本相撲選手権大会」である。

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11時から開会式が始まる。

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前年度優勝者で、若手幕内力士として今後の活躍が期待されている
遠藤が優勝杯返還のために顔を見せている。

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全国からの代表選手68人による予選会が始まる。
社会人と大学生の相撲部の猛者たちがほとんどだが、
中には高校生も数人。
いずれも有段者である。
全選手が3回ずつ取り組みを行い、
成績順に32名が選ばれ決勝トーナメントに進む。

この予選会と決勝トーナメントの間の時間を利用して、
小学生の優勝大会が行われる。

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小学4年生の部、5年生の部、6年生の部の3部門ごとに
優勝がトーナメント方式で争われる。
わがK君は、北信越地区で勝ち抜いて、
地区代表で晴れの全国大会出場を果たす。
4年生の部に登場。
1回戦は見事押し出して勝ち名乗りを受けるが、
2回戦で上手投げがうまく決まらず、逆転負けを喫す。
ベスト8に残れず、本人は悔し涙。
5年生となる来年もあるので、精進して頑張ってもらいたい。

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東京農大相撲部のOBとして、
時天空も応援に来ている。

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真剣な熱戦が続き、相撲を大いに楽しむ。
長時間桟敷に座っているのはかなりしんどい。
全日本選手権の決勝トーナメントは観戦せずに、
国技館を後にする。
by toshi-watanabe | 2013-12-28 09:45 | 一般 | Comments(2)
快晴に恵まれたこの日曜日、
用事があり、「みなとみらい21」のホテルまで出かける。
用jを済ませた後、快適な気候でもあり、
ちょっと足を延ばして「港の見える丘公園」へ向かう。

この公演は山下公園とともに、市民憩いの場所となっている。
「みなとみらい線」が開通し、「元町・中華街駅」ができ、
公園へのアクセスが格段に良くなる。
坂道を登ったり、途中までエレベーターの便もあるが、
石段を登って行く。
登って直ぐのところが「フランス山」、
かってはフランス領事館が建っていたが、、
今は跡地の碑があるのみ。

路は展望台へと続く。
展望台からは眼下に港が一望に。
ベイブリッジを見渡せる絶好の場所ではあるが、
手前には住宅が並び、港内も雑然としているのは残念。
ただ夜景は非常に素晴らしいと評判のようだ。

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展望台から少し先に行ったところからのベイブリッジの眺め。

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先に進むと、噴水があり、その先には大仏次郎記念館。

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バラ園があるのだが、すでにシーズンが終わり、
僅かに残り花が咲いているのみ。

右手に、横浜市イギリス館の瀟洒な建物。
ここは元々英国領事館邸であった。
平成14年から一般公開されている。

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イギリス館の中を見学する。
すぐ近くの山手には数多くの洋館があり、一般公開されているが、
山手地区の洋館に比べると、派手さがないと言われている。
とは言え、落ちついた雰囲気で、
季節がらクリスマスに向けて飾り付けが素晴らしい。

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幕末の横浜開港時、この一帯は外国人居留地だった。
丘の上にイギリス軍、
丘の下にフランス軍が駐屯。
大平洋戦争の終戦後は米軍が撤収。
その後、接収が解除され、国有地となるが、
地元の要望もあり、市が取得して公園として造成。
昭和37年5月に「港の見える丘公園」としてオープン。

「横浜外国人墓地」にも立ち寄る。
開港当時、各方面の支援指導の為に
大勢の外国人が日本に来ていたが、
こちらで命を落とした40カ国余りの
約4,400人の外国人が
この墓地で眠っている。

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週末と祝日、一般公開されている。
墓地からは、「ランドマークタワー」など、
「みなとみらい21」方面の景色が望める。

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9,000歩ほどの散策となる。
心地良い気分で帰宅の途に就く。
by toshi-watanabe | 2013-12-03 09:48 | 季節 | Comments(0)