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銀座松坂屋のすぐ裏手、みゆき通りとの角に
銀座ソトコトロハス館という建物がある。
このビルの中にある「フェルメール・センター銀座」において、
開催中の「フェルメール 光の王国展」を見学する。
この特別展は本年1月20日にスタートし、7月22日まで開催。

フェルメールに魅せられた分子生物学者の福岡伸一さんが、
監修の任に当たられたプロジェクトである。
足かけ4年にわたって世界中を旅し、フェルメールの作品を
つぶさに観て来られた。
その都度、痛切に感じられたのは、フェルメール自身の旅路を
時間の軸に沿って追体験することなしには、
フェルメールを本当に理解できないということ。
全作品を制作順に並べて、その場を行きつ戻りつしながら
観賞することができればどんなに素晴らしい事かと思い至った。

現存する全フェルメール作品を最新のデジタルマスタリング技術により
彼が描いた当時の色調とテクスチャーを推測して、
原寸大で、所蔵美術館と同じ額装を施して、
一堂に展示する場所を作ろうと考えられた。
それを可能にしたのが、リ・ウリエイト(再生)画像技術であり、
それを実現したのが「フェル・メールセンター銀座。

フェルメール作品と認識されている全37点の作品を、
描いた当時の色彩を求め、原寸大で鮮やかに再現されている。

ほとんど作品は室内の人物を題材にして描かれているが、
2点だけ風景画がある。

フェルメールの故郷、デルフトを描いた「デルフト眺望」j。

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「小路」。

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生まれ育った街の一角を切り取っている。
写真では小さく見難いが、夕方のひと時、縫物をしたり、
掃除をしたりという日常の女性の姿が描き込まれている。
アムステルダム国立美術館蔵。

「ヴァージナルの前に座る女」と「ヴァージナルの前に立つ女」。

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どちらも同じ楽器に向かってはいるが、
陰影の付け方や表情はまるで違う。
座っている方の女性は今一つ表情がさえない。
作者最晩年の作。
いずれもロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵。

「牛乳を注ぐ女」。

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左側の窓から注ぐ光の中で、ふくよかな体型の女性が
壷から牛乳を注ぐ。
フェルメール・ブルーの衣装が印象的。
パンやカゴの描写もきめ細かい、精緻。
アムステルダム国立美術館蔵。

フェルメールの代表作で最も人気の高い作品「真珠の耳飾りの少女」。

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青いトルコ風のターバンや耳元の真珠の輝きが、
異国情緒を駆り立てる。
少女の表情が生き生きとするように、
瞳や唇に白い点(ハイライト)が描き加えられている。
マウリッツハイス美術館蔵で、
6月30日より上野の東京都美術館でオリジナル作品が観賞できる。
「マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝」。
この作品の少女は、フェルメール家に雇われた、
貧しいメイドだったという説もあるが、
謎の多い作品である。

「紳士とワインを飲む女」。

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ワイングラスが空になったその瞬間が描かれている。
ステンドグラスの精緻さ、ドレスの光沢の表現には、
目を奪われる。
男に見つめられている女は、顔色を悟られぬよう
ワイングラスを傾けるが、その表情が窺えぬ謎を残す。
ベルリン国立美術館蔵。

「二人の紳士と女」。

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同じ衣装の男が二人描かれている。
時間を超えた、同一人物が描写されたのではと言われる。
ブラウンシュヴァイク、アントン・ウルリッヒ公美術館蔵。

「真珠の首飾りの少女」。

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真珠の首飾りに付いたリボンをつまんで、
鏡の前でポーズをとる少女。
彼女の着るサテン地の服は、外からの日差しを浴びて、
揺らめくように輝く。
真珠は東洋との貿易でもたらされたもので、
海洋国家オランダの富の象徴といえる。
ベルリン国立絵画館所蔵。

「ディアナとニンフたち」。
ハーグ、マウリッツハイス美術館所蔵。

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「取り持ち女」。
ドレスデン、アルテマイスター美術館所蔵。

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「窓辺で手紙を読む女」。
ドレスデン、アルテマイスター美術館所蔵。

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「音楽の稽古」。
英国王室コレクションで、バッキンガム宮殿内ステート・アパートメントに
掲げられており、通常は非公開。

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「青衣の女」。
アムステルダム国立美術館所蔵。

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「天秤を持つ女」。
ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵。

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「窓辺でリュートを弾く女」。
ロッテルダム、ボイマンス・ファン・ベンニンゲン美術館所蔵。

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「合奏」。
1990年、ボストン美術館で盗難にあい、その後行方不明。

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「手紙を書く女」。
ロッテルダム、ボイマンス・ファン・ベンニンゲン美術館所蔵。

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「絵画芸術」。
ウイーン美術史美術館所蔵。

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「少女」。
ニューヨーク・メトロポリタン美術館所蔵j。

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「女と召使い」。
ニューヨーク、フリック・コレクション所蔵。

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「天文学者」。
パリ、ルーブル美術館所蔵。

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「レースを編む女」。
パリ、ルーブル美術館所蔵。

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「手紙を書く女と召使い」。
ダブリン国立美術館所蔵。

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「信仰の寓意」。
ニューヨーク・メトロポリタン美術館所蔵。

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「ギターを弾く女」。
ロンドン、ケンウッド・ハウス所蔵。

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技術的に大変優れた、非接触式高精度のスキャニング装置があるものの、
世界各地の収蔵美術館へ機器を運び込み、
データを採取することは現実には不可能であろう。
運よくオランダの「フェルメール・センター・デルフト」が保管する
画像データの提供が受けられることになッた。
この画像データをベースにデジタル化を進める。

描かれて350年余り、時間の経過により、
作品も大きく経年変化を来している。
今日のオリジナル作品はフェルメールの描いた
当時の状況とは当然異なる。

大胆に350年前のオリジナル追求をしようと、
「Re-create(リ・クリエイト)」、再創造と名付けて、
作業を開始した。

福岡伸一本人が実見した34点の作品については、
福岡の印象、意見を加味した。
因みに2点は個人の所蔵、1点は盗難に遭って以来行方不明。

プリント方法は、「UVキャンパスプリント」という技法を採用。
フナオカ・キャンパス製の生地を取り寄せ、再三の出力テストを
行った結果をみて、
特注でキャンパス制作を同社に依頼し、
さらに微調整を行いながら、
設計通りの素晴らしい作品が完成した。
by toshi-watanabe | 2012-06-30 15:45 | 一般 | Comments(0)

恩田薬師堂を訪れる

「神奈川の仏像を学ぶ会」の6月度は、
地元横浜市青葉区恩田町にある
「恩田薬師堂」を訪れる。
ご本尊の薬師如来立像が祀られている。

「長津田」から「こどもの国」へ「こどもの国線」が出ているが、
途中にあるのは「恩田」駅だけである。
目的地の「恩田薬師堂」は、この恩田駅のすぐ近く。

昭和34年(1959)、皇太子殿下(現天皇陛下)が
ご成婚され、そのお祝いに全国から寄付が寄せられた。
当時の皇太子殿下のご意向もあり、基金として積み立てられ、
この基金をもとに「こどもの国」が建設された。
もともと旧日本陸軍田奈弾薬庫補給廠跡地で、
米国から返還された国有地である。

昭和40年(1965)5月5日、こどもの日に「こどもの国」が開園。
開園前、皇太子殿下御夫妻は何度もジープで園内を視察された。

昭和42年(1967)に「こどもの国線」が開業。
この鉄道施設は、「こどもの国」の運営母体である
社会福祉法人・こどもの国協会が所有し、
こどもの国入場者を運ぶ目的で東急により運行された。
戦時中は、弾薬を運ぶ軍用引込線であったので、
こどもの国園内には、今でも弾薬庫の跡や防空壕の遺構が
そのまま残されている。

平成12年(2000)、鉄道の所有は横浜高速鉄道に移り、
通勤線として、「こどもの国線」が新たなスタート。
恩田駅も新たに開業。
長津田駅には「こどもの国線」に乗る改札口がないため、
この線専用の乗車切符を長津田駅で買い求めるか、
恩田駅で運賃精算することになる。
恩田駅には自動改札があるだけで駅員はいない。

さて恩田駅から恩田川を挟んだ向かい側に
「恩田薬師堂」が見える。
正式名称は、「瑠璃山本願院医王寺薬師堂」だが、
明治時代に廃寺となり、現在は薬師堂だけが
ぽつんと立っている。

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近くの「徳恩寺」と地元周辺の信者の皆さんとで管理されており、
徳恩寺の若いご住職が奥様にお子様も連れられて、
我々を出迎えてくれる。
早速、薬師堂の雨戸をあけ、お堂の中に導かれる。
内陣の中央には厨子があり、その中にはご本尊の
薬師如来立像が祀られている。
普段は閉じられたままの厨子を開けていただく。
金箔の立派な薬師像が目の前に現れる。

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木造で一木造、像高は94.5cm、彫眼、漆箔。
台座から光背まで含めると、116.5cm。
平成20年に横浜市教育委員会文化財課が調査の結果、
本像は後補の漆箔がやや印象を損ねるが、
康和5年(1103)円㔟・長円(円派の仏師)が造立の、
仁和寺薬師如来坐像などに近く、平安時代後期と考えるのが
妥当である、との報告が出された。

ご本尊に参拝し、
ご住職からは寺にまつわる貴重な話を聴かせていただく。
この付近には真言宗の寺院が多い。

厨子の両脇には、日光・月光両菩薩立像。
江戸時代の作とされる。
日光菩薩像が像高78.3cm、月光菩薩像が像高79.0cm。
いずれも寄木造、玉眼嵌入、漆箔。

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内陣両脇には十二神将立像が安置されている。
江戸時代の作、寄木造、玉眼嵌入、漆箔。

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お堂では、家内安全の護摩祈祷、秋祭りの清興などが
毎年催されている。

お堂の前にはムクロジの名木が立っている。
残念なことに昨年の台風の折り、古木が途中で折れてしまい、
無残な姿をさらしている。
ムクロジの硬いタネは正月の羽根つきに使われる羽根の材料。
また洗剤として古くから使われていた。

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お茶と菓子の接待までいただき、
ゆっくりとした時間を過ごす。
by toshi-watanabe | 2012-06-21 14:48 | 寺院・仏像 | Comments(0)

梅雨入り後の6月10日から群馬倉渕へ出かける。
予期した通り、からっとした晴天には恵まれず。
それでも時折小雨程度で、外の作業もできる。
朝晩はまだ寒いくらいだ。

お利口さんのナナちゃんが遊びに来てくれる。

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伸び放題の雑草の中、草花が咲いている。

深山金鳳花(みやまきんぽうげ)

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靫草(うつぼぐさ)

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紫蘭

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八重咲蕺(やえざきどくだみ)

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斑入り蕺(ふいりどくだみ)

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忍冬(すいかずら)

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数年咲かなかった先代萩(せんだいはぎ)が初めて花を咲かせた。

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半鐘蔓(はんしょうづる)

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虫取り撫子(むしとりなでしこ)

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白詰草と紫詰草が群生している。

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鋸草(のこぎりそう)

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一面にマーガレット

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昼顔

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鉄線が一輪。

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白花河原撫子(しろばなかわらなでしこ)

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蝮草(まむしそう)

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黄花深山苧環(きばなみやまおだまき)の花が開き初め。

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鳥足升麻(とりあししょうま)

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エゴノキなどには白い花。

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令法(りょうぶ)の白い花はこれから。

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by toshi-watanabe | 2012-06-17 11:33 | 草花 | Comments(0)

高徳院の仁王門(表門)を通り拝観受付をすぎると、
前方正面に鎌倉大仏が姿を現す。
美男の大仏さんである。
この前いつ訪れたのか、全く記憶の外。
多分何十年ぶりだろう。

鎌倉には鎌倉五山をはじめ鎌倉時代からの
古い寺院が数多くあり、
由緒ある重要文化財に指定された仏像も多くあるものの、
鎌倉で唯一国宝に指定されているのが、この大仏である。

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圧倒的に修学旅行生が多い。
腰を下ろしている大きな石は、大仏殿の礎石である。
大仏の前や回廊の周りに置かれているが、
必ずしも元々置かれた場所ではない。
大仏殿創建当初、礎石は60個あったとされるが
現存するのは56個、
いずれも根府川産の輝石安山岩である。

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大仏の正式名称は、銅造阿弥陀如来坐像。
鎌倉幕府の公式記録、「吾妻鏡」jによれば、
建長4年(1252)8月17日条に
金銅釈迦如来像の鋳造開始を伝えている。
実際は阿弥陀如来だが、
「吾妻鏡」に出ている記述は、
現大仏を指しているというのが通説となっている。

像高11メートルを超す、この大作は
運慶風と言われる特徴と、
中国・宋代の影響を併せもつと言われる。
鋳造には様々な鋳繰り(いからくり)を用いるなど、
高い技術が施されている。
鎌倉の仏教文化を代表する、
文字通りの大仏である。

右頬上部には、わずかに金箔が見える。
造立当時は全身が金色に輝いていたのが、
長い歳月を経て、緑青に覆われている。

目の上まぶたは、下まぶたに比べ、
かなり前方に突き出ており、
より視線が下を向いている。

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横から見上げると、全体に丸みを帯びている。
頭部を前方に大きく突き出し、
参拝者に視線を落としているよう。
人の祈りを、体全体で受け止めている。

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裏側から見上げる。
肩幅は肘幅より若干広い。
型を下から順に積み上げて鋳造した時の、
合わせ目がよく分かる。
二つの窓は、鋳造後に内部の塑土(そど)や
心木(しんぎ)などを
取り出した口と考えられる。

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両手は、心を静め瞑想にふける、定印を結んでいる。
一般の阿弥陀定印とは少し形が異なるようだ。

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度重なる天災を受け、室町時代の明応7年(1498)の
海潮(大津波)により大仏殿は流失、その後500年超、
大仏は露座のまま安置されている。
最近の調査でも、大気汚染、酸性雨の悪影響が
現れ始めているのを確認。
近い将来保全のため、覆いをかける必要があるのでは。

大仏に向かって右手の回廊壁面に、
長さ1.8メートル、幅0.9メートル、重さ45キロの巨大なわらじがある。
これは茨城県常陸太田市の子供会によって
数年に一度奉納されている。
戦後間もない昭和26年に、「大仏様に日本中を行脚し、
万民を幸せにしていただきたい」と願う
子供たちによって始められ、今で続いている。

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大仏裏側の奥に行くと、与謝野晶子の歌碑が見られる。
晶子は大仏を釈迦如来と呼んでいる。

「かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は
  美男におわす 夏木立かな」

明治38年(1905)の歌集「舞姫」に載っている。
当時、大仏の周りは今以上に
緑に覆われていたのではないだろうか。


さて高徳院を後に、今回散策の最後の目的地、鎌倉文学館へ。
初めて訪れる。
由比ガ浜大通りをしばらく歩き、左側の路地に入る。
坂道の登り口に受け付けがある。
さらに登り、招鶴洞というトンネルを抜けると瀟洒な建物が目の前に。

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山を背に相模湾を望む高台に建つ洋館は、
昭和初期に旧前田侯爵家の別荘として建てられた。
その後鎌倉市に寄贈されたもの。
川端康成、大仏次郎、高見順など、鎌倉に所縁の深い文士の
自筆原稿や愛用品を展示している。

建物の前は広い芝生となっている。
来訪者の憩いの場に。

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こじんまりとした薔薇園はよく手入れが行き届き、
色とりどりの花を咲かせている。

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薔薇園を見学し、再び由比ガ浜大通りへ出る。
大通りの商店会の皆さんが飾っておられるのだろうか、
通りの電柱に紫陽花が活けられている。

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六地蔵で御成通りに出、鎌倉駅へ向かう。
立派な門のある御成小学校前を過ぎると、鎌倉駅もすぐである。

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校名は高浜虚子が書いたもの。
13,000歩余りの鎌倉散歩も終わり。
by toshi-watanabe | 2012-06-06 09:43 | 季節 | Comments(0)

長谷寺への小路の一つ先の小路を入って突き当りが光則寺である。
山門があり、受付の窓口はなく、自由に出入りできる。
備え付けの箱に入園料を入れるようになっており、
入園料を納め、準備された園内の地図を1部ピックアップする。

山門手前左手には石碑が立っている。

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光則寺の開基は鎌倉幕府5代執権、北条時頼の家臣である宿屋光則。
日蓮上人が『立正安国論」を時頼に建白したが、
過激な宗教活動だとされ、佐渡に流された。
共に捕らえられた弟子の日朗が幽閉された地でもあり、
その土牢が今も残っている。
その時日朗を監視する任に当たったのが光則である。
光則は日蓮の教えに深く触れ、日蓮に帰依し、文永11年(1274)、
自らの屋敷を改築して寺とした。
日朗を開山として光則寺を創建した。

山門を入り正面に本堂があるが、非公開となっている。
本堂には日蓮上人と日朗上人の坐像が安置されている。

光則寺は花の寺として知られ、
本堂前の樹齢200年のカイドウや山門脇のシダレザクラなど、
四季折々の花が見られる。

唐種小賀玉(カラタネオガタマ)の花。

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下野草(シモツケソウ)。

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名前不明の花。

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切れ目のない蓮の葉。

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園内には200種類ものヤマアジサイが目を楽しませてくれる。

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ヤマアジサイを堪能した後は、鎌倉大仏、高徳院へ向かう。
by toshi-watanabe | 2012-06-05 09:03 | 季節 | Comments(0)

5月の末、一人鎌倉散策に出かける。
戸塚まで横浜市営地下鉄を利用、あざみ野駅で
ブルーラインに乗車。
座席につき、ペットボトルの水を一口飲む。
隣のおばちゃんも同時に同じ行動、思わず顔を見合わせて
にっこり会釈。
それから何となく話し始め、
彼女が下車する横浜駅まで、すっかり会話が弾む。

戸塚で乗り換え、JR横須賀線で鎌倉へ。
鎌倉駅で江ノ電に乗り換える。
今回は長谷方面を目的地にしている。
長谷駅を降りると、すでに道路は長い行列が続く。
平日も祭日と変わらぬ人ごみである。

先ずは長谷寺に参拝する。
山門手前には椨(タブ)の古木。
山門に吊るされている長谷寺の赤提灯はあまりにも有名。
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山門横の拝観受付を通り左手に行くと、
「高山樗牛住居碑」が目に入る。

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明治時代を代表する文人の一人、高山樗牛は、
最晩年を長谷寺の境内で過ごした。
その近くの岩の上には石斛(セッコク)。

黄素馨(キソケイ)の黄色い花と、強い香りを漂わせている
匂藩茉莉(ニオイバンマツリ)の白とピンクの花。

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長谷寺境内には数多くの石地蔵。
和み地蔵(ナゴミジゾウ)。

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良縁地蔵。

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卍池付近の地蔵。

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千体地蔵。

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水かけ地蔵。

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御朱印をいただき、阿弥陀堂、観音堂をお参りする。
ご本尊の十一面観音立像は像高9メートル、右手に錫杖を持つ長谷寺式。
奈良長谷寺のご本尊と極似している。
大和の十一面観音立像は像高10メートル、国の重要文化財。
鎌倉の観音さんは海上を流され三浦半島に漂着したといわれ、
寺の縁起に書かれているものの、実際の立像制作年代は不明、
後世に大幅な修復が施されている。
奈良、鎌倉いずれの像も楠材である。

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丁度昼を回ったので、境内の「海光庵」に入る。
見晴らしのよい場所にあり、窓外真下には、由比ガ浜の海辺が一望できる。

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その前には輪蔵(まわり堂)又は経蔵とも。
蔵内には一切経が納められ、時計回転方向に一回り回すと、
一切経を一通り読んだことと同じ功徳が得られるという。
正月と毎月18日、回転させることができる。

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久米正雄胸像。
鎌倉ペンクラブの初代会長を務めた、作家の久米正雄は、
関東大震災の折、長谷寺に居合わせて、難を逃れたという。

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聖観音菩薩の石像。
大麻唯男夫妻が若くして他界した愛娘の冥福を祈り建立したもので、
台座には高浜虚子の句が刻まれている。
近くには、賛同し元横綱の常の花と双葉山が寄進した「丈夫石」、
仏足石、石仏像なども見られる。

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裏山が散策路になっており、一面紫陽花で埋め尽くされている。
見ごろはまだこれからである。

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イワタバコがひっそりと咲いている。

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蛍袋も。

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白花の丘立浪草。

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そしてヤマボウシの白い花。

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長谷寺を後にして、次は光則寺に向かう。
by toshi-watanabe | 2012-06-03 10:30 | 季節 | Comments(0)