礼文から花の便り

何度目かの礼文島に出掛けた義妹達から、
携帯で花の写真が送られてきた。
しばらく礼文を訪れていないが、何度訪れても飽きることはない。
お花畑は実に素晴らしい。

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礼文薄雪草は礼文町の町花である。
スイスアルプスで有名なエーデルワイスと同じ仲間。
山の崖で、霧がよく発生する環境としては決してよくはない
場所に咲いている。
by toshi-watanabe | 2006-08-28 09:51 | 草花 | Comments(0)

天草テレビ

昼のテレビを観ていたら、山本晋也監督のレポートが目に入る。
独特の語り口で、山本監督のインタビューは大変面白い。
今日のレポートは
インターネット放送局・天草テレビ」で、
何と103歳の女子アナが紹介される。

女子アナには地元の言葉がしゃべれる女性という応募条件がある為
都会に出ている若い女性では条件に合わないとか。
それにしても明治生まれでこの元気さ、ただただ驚くばかり。


今日の番組を観られなかった方は、一度天草テレビの
ホームページにアクセスしてみてください。
by toshi-watanabe | 2006-08-16 16:06 | 一般 | Comments(1)

首都の大停電

昨日の大停電には驚いた。
朝食も済ませた朝7時半頃、突然電気が消えた。
色々と電気器具を使用していたわけでもないのに、ブレーカーが落ちたのかと
調べたがそうでもなく、水道も出なくなり、どうしたのだろうかと外に飛び出したり。
10分ほどで電気がついたので、その時はほっとした。
所が、あとでTVのニュース番組を観たら、東京の主要地域から横浜、川崎の
一部や市川など一帯が大停電となり、電車が止まり、エレベーターが止まり、
信号が消えてと、大変な事態になっていたのを知った。

1977年の7月にニューヨークで大停電に遭遇している。
当時住まいはニュージャージー州のフォートリーで、勤務先はニュージャージーの
新社屋に移転する直前で、マンハッタンのミッドタウンにあり、
当日、丁度日本から客があり、仕事を終えた後、マージャンをやっていた。

夜9時過ぎ、突然の停電。
すぐ電気が点くだろうと高をくくり、たまたまあった大きなローソクに火をつけ、
しばらくゲームを続けていたが、どうも回復しそうもないと判断。
真っ暗な非常階段を9階から手探りで降りる羽目となった。
やっとの思いで道路に出る。

駐車場から車に乗ったものの、あたりは真っ暗、信号も消えており、
大変な事になっていることを改めて実感。
何とかハドソン川下を抜けるリンカーントンネルに来ると、トンネルの中は灯りが
点いておりほっとする。
後で知ったのだが、マンハッタン側とニュージャージー側の両方から送電されており、
バックアップ体制がとられていたので、トンネル内は問題なかった。

このニューヨーク大停電の原因は落雷が送電線に落下したもの。
この後復旧に3日ほど要した。
闇にまぎれて、店から品物を強奪したりとか大変な事態も発生した。
ただこの後ベビーブームが起きたというのは有名な話である。
by toshi-watanabe | 2006-08-15 10:49 | 一般 | Comments(0)

3年後に横浜開港150年を迎える。
150年前と言うと時は安政の頃。
わずか100戸程度の漁村だった所が、黒船騒動の後
外国船を受け入れる波止場となった。
現在、横浜市は人口360万人を数える大都会である。

昨日、馬車道にある神奈川県立歴史博物館を訪れる。
みなとみらい線の「馬車道」駅で下車し、地上に出ると古色蒼然とした
古い建物が目に入る。

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この建物は1929年(昭和4年)、安田銀行により立てられたもので、
その後富士銀行横浜支店となり、2002年(平成14年)に横浜市が買い取り
当時のまま保存されている。

馬車道に入り、すぐ右手に屋根の上にドームのある、神奈川県立歴史博物館の
旧館が見える。
ここにも入口はあるが、正面玄関の入口は反対側の新館の方にある。
因みに65歳以上は入場無料。

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この建物(旧館)は1904年(明治37年)、横浜正金銀行(後の東京銀行)本店
として建造された。
ドイツネオバロック様式の建築物で、妻本頼黄の設計による。

1923年(大正12年)の関東大震災でも、1945年(昭和20年)の横浜大空襲
の際も倒壊することもなく、被害をまぬかれて来た。
ただドームは関東大震災の折に、焼失。
1964年(昭和39年)、神奈川県が買い取り、復元する事となった。
1967年、新館の増築とともに神奈川県立博物館(その後、県立歴史博物館に)
として開館の運びとなる。

1969年(昭和44年)に国の重要文化財に、そして1995年(平成7年)に
国の史跡に指定された。

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県立歴史博物館のすぐ南側には、日本興亜馬車道ビルがあり、
旧川崎銀行横浜支店当時の建物の一部が保存されている。
1922年(大正11年)の建造。
民間企業の所有物である為、新しいビルに立て替える事になり、
その際に横浜市が資金の一部補助を申し出て、正面と側面の2面のみ元のまま
残されたビルとなっている。

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馬車道から海側に少し離れた所に、旧生糸検査所(現在は横浜第2合同庁舎)の
赤レンガの建物が残っている。
by toshi-watanabe | 2006-08-13 10:39 | 一般 | Comments(4)

2年前に刊行された、上坂冬子さんの「私の人生 私の昭和史」が
最近、集英社の文庫版で出版された。

上坂さんは高校卒業後就職された、トヨタ自動車工業の人事部で
女子事務員として勤務されながら、分筆業に入られるきっかけとなった
事情が詳しく述べられている。
その他にも興味深い内容が盛り込まれている。

この著書の中で特に興味を引かれたのは、私もこのブログで触れたことのある
「東京ローズ」が取り上げられている部分である。

上坂さんはシカゴの戸栗商事へも出掛けられ、東京ローズとして有名な
アイバ戸栗さんとのインタビューを試みられ、色々苦労の末、
インタビューにこぎつけられた経由が記述されている。
私がシカゴに駐在していた時期のすぐ後のようである。

1977年(昭和52年)1月19日にフォード大統領からカーター大統領に
引き継ぐ直前に恩赦が発表されたとか。
東京ローズは28年目にして米国国籍を取り戻した。
by toshi-watanabe | 2006-08-06 15:03 | 一般 | Comments(0)

さくら丸

雑誌をめくっていたら、「さくら丸」が目に入った。
私にとっては大変懐かしい船である。

1964年ごろだったと思うが、巡航見本市船のさくら丸に
勤務先の製品を展示する為に、展示関連の業者の方と一緒に、
神戸の港へ出掛けたのを思い出す。

当時は在外公館も少なく、海外での産業見本市の開催も少なく、
日本の製品を海外市場で発表する機会がほとんどない状況だった。
日本産業巡航見本市協会という組織があって、
世界初と謳った巡航見本市専用船として「さくら丸」を建造したのが
1962年、確か1963年から活動を始めたのだと思う。

この巡行見本市船に日本の製品を満載し、世界各地の港を回り、
展示会を開催しPRに寄与した。
これで大いに外貨を稼ごうともくろんだ。
外貨を稼いだ企業は政府から表彰を受けた時代だ。

この「さくら丸」は10年間活躍し、「新さくら丸」が新たに建造され、
その後約10年間、巡航見本市船として運営された。
それからは、時代の流れとともに巡航見本市船の活躍の場はなくなった。
by toshi-watanabe | 2006-08-02 16:13 | 一般 | Comments(4)