折々の記

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カテゴリ:読書ノート( 133 )

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内田康夫さんの著書「しまなみ幻想」を読む。
最近、実業之日本社文庫として出版されたが、
すでに2002年11月、単行本が光文社から発行されている。
書名にある通り、本州四国を結ぶ3本目の連絡高速道路、
通称「しまなみ海道」で起きる事件がテーマ。
正式には「西瀬戸自動車道」で、広島県の尾道と
愛媛県の今治をそれぞれ起点とし、
向島、因島、生口島、大三島、伯方島、大島などを巡り
海峡部に10本の橋梁(尾道大橋を含めて11本とも)を渡る。

この作品が書かれたときには、「しまなみ海道」が開通していたものの、
島嶼部自動車専用道路の一部が未整備、
その後、2006年に全面開通となった。
「しまなみ海道」は自動車専用道路のほかに、
歩行者、自転車のための専用道路も併設されている。
歩行者の通行料金は無料、また自転車も現在期限限定で無料。
数年前に、四国巡りのツァーの折に、この海道を通り、
瀬戸内の素晴らしい眺めに感嘆したものである。

因島はかって村上水軍(海賊)の拠点だったところ。
この作品でも、その末裔に当たるのか、村上姓の人物が登場。
生口島には、「西の日光」と言われる重要文化財の宝庫の、
「耕三寺」がある。
大三島は「神の島」と呼ばれ、この作品にも登場する
「大山祇(おおやまづみ)神社」が鎮座している。
伯方島は、「伯方の塩」で名高い。

この作品のテーマは、人が亡くなる事件の発生に対して、
警察が十分に調べもせずに事故あるいは自殺として
処分している現実に視点を当てたもの。
しまなみ海道の橋から女性が墜落死する事件が発生。
捜査本部が設けられたものの、自殺として処理される。
ところが、墜落死した女性が橋の上を歩いている姿を見たという
目撃者が2年後に橋から飛び込んだのか、遺体が海上で見つかる。
不審な点が次から次と表面化してくるのだが。

今治で手広く造船会社を営む村上家に嫁いだ美和が最初の犠牲者。
美和の娘、村上咲枝は今15歳の中学生、ピアノが得意で、
週末東京の駒込までピアノの指導を受けに出かけている。
ピアノの指導に当たる、島崎香代子は村上美和と
音大時代の親友、プロの演奏家として名を成すものの、
事故に遭遇しプロをあきらめピアノを教えている。
美和の依頼を受けて、香代子は咲江の指導を引き受けた。

浅見光彦シリーズで時折登場する、
東京北区上中里にある「平塚亭」に香代子が散歩がてら
咲枝を連れてやってくると、偶然光彦と顔を合わせる。
香代子は光彦と光彦の母親雪江とすでに顔なじみ。
特に雪江は香代子の若いころから知っている。
そこで話を交わしているうちに、咲枝は母親の美和が
2年前に不慮の死を遂げているのを口にする。
自殺として処理されていることに疑問を感じており、
母親が自殺するはずはないと、光彦に話す。
光彦探偵は村上美和の死に関心を抱き、
事件当時の地方紙を調べ、いよいよ現地へ出かける。

村上咲枝が誘拐され、危うい場面もあるが、
殺人事件の犯人を突き止め、見事事件を解決する。

作者がしまなみ海道を舞台にした作品を書いた背景には、
当時の愛媛県知事のお墨付きがあった。
しまなみ海道が全通した(実際はまだ一部は一般道を
通過していたのだが)のを機会に、
一種の村おこし的な効果を狙えるミステリーを
書いてくれないかーーーという知事の発言があったようだ。

因みに、愛媛県から東京までピアノを習いに通うなど、
現実離れした発想だと思うが、「浅見光彦倶楽部」の会員に
モデルぴったりの埼玉在住の女性がいたとか。
その女性は子供の頃、愛媛県新居浜から東京に通っていた。



by toshi-watanabe | 2016-06-28 14:50 | 読書ノート | Comments(0)

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朝井まかてさんの最新作「残り者」を読み終える。
因みに著書カバーの挿画は瀬知エリカさん。
時は慶応4年(1868)の4月10日、
天璋院はいよいよ江戸城西丸の大奥を立ち退き、
御三卿の一家である一橋邸に引き移る。
その二日前の8日、大総督府から徳川家へ
「江戸城明け渡し」の沙汰があったばかり。

天璋院とは、島津家の養女、さらに近衛家の養女となり、
徳川13代将軍、家定三度目の御台所として江戸城に迎えられた篤姫、
家定亡き後、天璋院となる。
14代将軍、家茂の御台所、和宮は家茂亡き後、静寛院宮となり、
すでに前日、西丸を出て御三家の一家、田安邸に移っている。
当時西丸には天璋院、静寛院宮のほかに、家定公の御生母、
本寿院、家茂公の御生母、実成院も暮らしていた。
しかも各々が数十人から百数十人の奥女中を召し抱え、
奥女中らはまたそれぞれ部屋方という下女を雇っていた。

大広間に集められた百七十人ほどの奥女中を前に姿を現したのが
天璋院で一同をお目通りする。
天璋院と高位の奥女中が第一陣として、
中級の御目見得である、この物語の主人公りつなどの奥女中は
第二陣として退去し、一橋邸に向かうことになっている。
天璋院は「ゆるゆると、急げ」と一同に伝えると、
瞬きもせずにもう一度広間を見まわして、御上段の間から下りた。
天璋院が召した上掛は、呉服之間に奉公するりつが縫い上げたもの。
銀糸や色糸で葵と七宝文様を配した黒綸子地で、
りつの手は綸子特有の粘りけと膨らみをはっきりと覚えている。

この小説は5人の女性が江戸城を引き上げる最後の一日を、
朝井さん流のきめ細かなタッチで描かれている。
りつの生家、阿藤家は直参旗本である。
とはいっても提灯や煙草盆作りで家計をやっと支えるような家庭。
りつは15歳になった折、伯母の口利きで本丸大奥、
御台所様付きの女中奉公に上がった。
呉服の間はりつの役職の名であり、働く場の名でもある。
西丸大奥の北西に呉服の間は二部屋が並んでいて、
一部屋はりつら天璋院付きが七人、もう一部屋には
静寛院宮付きの五人が詰めていた。
呉服の間の静寛院宮付きの一人が、
この物語に登場し、りつのライバルでもある、もみぢである。
ほかに登場するのは、御中臈のふきと、御三之間のちか、
御膳所のお蛸。三人の女性たちである。
天璋院が可愛がっていた、猫のサト姫が逃げ出し、
サト姫の面倒を見ていたお蛸が一生懸命に探し、
りつとちかが手伝い、退去に手間取っているうちに、
ふきともみぢに出会い、5人の女性はとうとう
その日のうちに退去できず、西丸内で夜明かししてしまう。

翌朝江戸城を退去する終盤の場面は圧巻で、
素晴らしい筆致で描かれている。

エピローグという形で、
新しい明治時代、5人の女性が久し振りに
顔を合わせる場面が描かれている。




by toshi-watanabe | 2016-06-18 09:08 | 読書ノート | Comments(0)
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つい最近、新装版文庫として講談社から出版された、
内田康夫さんの「死者の木霊(こだま)」を読む。
実は、この作品は内田さんの第一作、デビュー作品である。
書かれたのは昭和55年(1980)、
当時無名だった内田さん、この作品は自費出版された。
翌年、朝日新聞の読書欄で作品が紹介され、知られるようになる。
商業ベースで講談社文庫として世に出たのは、昭和58年(1983)だった。

木曽山脈を水源地として、長野県飯田市の南縁に沿って流れる松川、
かっては「あばれ松川」の異名を持つ河川だったが、
治水のためにダムが建設された。
その松川ダムで七つの部分に切り分けられた、バラバラ死体が
発見されたのが事件の発端。
地元の飯田署に捜査本部が置かれ、
捜査主任に選ばれたのが、竹村岩男巡査部長。
この作品のあと、竹村警部シリーズの作品が書かれ、
“信濃のコロンボ”と呼ばれ、のちには浅見光彦とも巡り合う。
当然、この作品には浅見探偵はまだ登場しない。

遺体の身元は判明し、遺体を運んだとされる人物も割り出される。
遺体を切り分けた現場も確認できたのだが、
殺人犯と目される人物(遺体の甥)とその妻は行方不明。
数日後に、その夫婦が戸隠キャンプ場近くの川に架かる橋に
首つり自殺をしているのが発見される。
これで一件落着とされて、捜査本部は解散。

ところが竹村巡査部長は疑念が晴れず、
上司の指示を無視して、勝手に動き始める。
ある会社の社長の秘書を務める女性から情報を得ようとする。
その女性の結婚式場に乗り込み、花嫁の着替え室に入り、
話しを聞きたいと竹村は強引に詰め寄ると、
花嫁は挙式のあとにしてほしいと伝える。
式の始まる前に、花嫁衣裳のまま女性は飛び降り自殺。

週刊誌にも取り上げられ、
竹村巡査部長は、停職1カ月、減給百分の十、十二カ月という
処分を受けてしまう。
処分にもめげず、自費を使って事件の現場を飛びまわる竹村。
鉄壁の隠蔽工作を見事崩し、事件を解明、
真犯人の逮捕に至る。

小説の舞台は、飯田、東京、青森、戸隠、鳥羽、軽井沢、
松阪と転移させながら、季節感に合わせた風物描写にも
筆が行き届いて、殺人事件の陰惨な空気を和らげている。

竹村刑事部長には2階級特進の話も。

内田作品のまさに原点といえる作品である。



by toshi-watanabe | 2016-06-09 13:30 | 読書ノート | Comments(0)
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葉室麟さんの最新作「秋霜」を読み終える。
豊後羽根藩(ぶんごうねはん)の第4弾である。
羽根藩が著者の作品にはじめて登場したのが、
直木賞受賞作で映画化され好評を得た「蜩(ひぐらし)の記」だ。

読み始めてすぐ気が付いた。
「秋霜」は昨年3月に出版された、葉室作品「春雷」の続編。
「春雷」は羽根藩シリーズの第3作で、
主人公は鬼隼人とも呼ばれた多聞隼人。

多聞隼人はすでに亡く、
事情があって多聞隼人から離縁された楓が、おりうとともに、
身寄りのない子供たちの面倒を見乍ら羽根藩領内の欅屋敷に住んで、
平穏な生活を送っている。
欅屋敷には前作にも登場した千々岩臥雲という
学者が学問を教えている。
大酒のみで、屋敷では全く役立たず。
同じく前作に登場した修験者の玄鬼坊も時折屋敷に顔を出す。

そんな折、一見武士風、32,3歳の若者が欅屋敷に
紹介状を持って訪れる。
草薙小平太という、ある使命を帯びている。
屋敷の主ともいえる楓はまだ36歳、美しい婦人である。
小平太は屋敷で下男のような仕事を快く受け負い、
力仕事は何でもこなす。
楓をはじめ、子供達とも気心が通うようになる。
同時に楓のためには何でもしようという思いに至る。

江戸幕府から巡見使が羽根藩に向かう。
多聞隼人が直訴した結果、先の藩主三浦兼清は隠居し、
新しい藩主、新しい家老となっているものの(前作で書かれている)、
幕府の疑念が晴れない、ある事情があった。
それを恐れた前藩主は巡見使が藩入りをする前に
関係者を口止めする必要があり、
家老の兵衛を使って色々と手を打つことに。
その一つとして、小平太も欅屋敷に送り込まれたのである。

事態は急を告げ、結局臥雲が犠牲者となるものの、
楓や子供たちが無事羽根藩を逃れて行くところまで、
葉室流の見事な筆致により、
読者は物語に引き込まれてしまう。

原文の一部をそのまま紹介したい。

羽根藩存続のために、已む無く藩主兼清を斬った
家老職の兵衛に向かってお付きの佐十郎は
真剣な表情で言う。

「旦那様は、まことに厳しきお覚悟をされておられます。
 されど、羽根藩のため、これからもなさねばならぬことが
 おありだと存じます。
 大殿を殺めたのはそれがしということにしてはいただけませぬか。」

苦笑して兵衛は答える。

「わしがさような誤魔化しが嫌いであることは知っておろう。
 秋霜のごとく、ひとに苛烈にあたるからには、
 おのれにも厳しくあらねばなるまい。
 遅れれば未練が増す。
 介錯を頼むぞ。」

by toshi-watanabe | 2016-06-02 11:03 | 読書ノート | Comments(0)
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幸田真音の最新作「この日のために(上・下巻)」を読み終える。
激動の昭和の時代、「この日」のために闘い、
駆け抜けた二人の男たちの生涯を描いた作品。
田畑政治と池田勇人の二人である。

静岡県出身の田畑政治は、学生時代から水泳の指導に当たり、
新聞記者になってからも水泳指導者としての活動を続ける。
水泳連盟会長に就き、オリンピックへ選手を派遣することに尽力。
さらにIOCへの加盟から日本へオリンピックを招致する活動にも
力を入れる。 JOCの会長にもなる。

東京オリンピック開催の招致運動が実り、
紀元2600年に当たる昭和15年(1940)の
東京開催が決まって喜んだのも束の間、
太平洋戦争に突入して、開催を辞退する羽目となる。
戦後、まだ復興の最中にあった日本だが、
東京オリンピック開催が決まり、昭和39年(1964)
アジアで初めてのオリンピックが開催の運びとなる。

ところが、オリンピック開催に先頭を切って尽力してきた
田畑政治の姿は東京オリンピックの開会式には見えず。
その数年前にインドネシアのジャカルタで開催された
第4回アジア競技大会において、インドネシア政府が
開会日直前にイスラエルと台湾の参加を拒否し、国際的な問題に。
日本選手団はすでに現地到着済みで参加すべきかどうか苦慮したものの、
選手を参加させ、日本選手団は画期的な成果を上げたのだが、
帰国後、その責任問題が起こり、そのあおりで団長を務めていた
田畑政治はオリンピック組織委員会から引責辞任させられる。

広島県出身の池田勇人は必ずしも順調な人生のスタートではなかった。
一高から東大のエリートコースを目指していたが、
一高の受験に二度失敗し、熊本の五高に回される。
さらに東大に入れず、京都帝大に入る。
京大卒業と同時に、運よく大蔵省に入省したものの、
エリートコースから外れ、地方の税務署勤務。
直子を妻に迎え、宇都宮税務署長時代に、
不治の病と言われた難病「落葉状天疱瘡」に罹り休職となる。
休職期間の2年を過ぎても回復せず、大蔵省を退職。
看護疲れもあって妻の直子が病に倒れ亡くなる。
その後遠縁の女性、満枝が看病に当たり、
奇跡的に病が癒えて、日立製作所への就職も決まる。
大蔵省の元の上司や仲間から、大蔵省に戻るようにとの
要請があり、池田勇人に運が向いてきたのか、
大蔵省復帰が叶う。
これからは大蔵官僚としての実力を発揮、次官までのぼり詰める。

子供の頃から、役人になっても、政治家には絶対なるなと、
母親からは強く言われてきたのだが、
突如政治家への道に入ることを決意する。
地元広島から出馬し、初挑戦で見事当選、
しかも第三次吉田内閣の組閣に当たり、
吉田総理大臣は池田勇人を大蔵大臣の席に就任させる。
一年生議員の大抜擢で、周りからはいろいろと苦情が出る。
吉田茂は池田勇人と佐藤栄作を高く評価していた。
二人は吉田学校の優等生と呼ばれている。

池田蔵相は、社会党の木村禧八郎議員から、
高騰する生産者米価に対する所見を聞かれ、
所見を丁寧に述べた後、
「所得に応じて、所得の少ない人は麦を多く食う、
 所得の多い人は米を食うというような、
 経済の原則に副ったほうへ持って行きたいというのが
 私の念願であります」と締めくくった。
翌朝の新聞紙上には「貧乏人は麦を食え」と
大きな見出しが掲げられ、世間では大騒ぎに、
麦大臣と語り継がれることになる。
因みに池田さんのご自宅では麦飯をかなり長い期間
食べておられたと書かれている。
「私はウソを申しません」というのも池田蔵相が
よく口にした言葉として知られる。

そして池田勇人は総理大臣(58~ 60代)の座に。
池田総理と言えば、「所得倍増計画」。
日本の戦後の高度経済成長の進展には大いに貢献したのは間違いない。
池田勇人の真骨頂が見事に描かれている。
東京オリンピック開催の決定も一つの契機となっている。

池田勇人は大蔵省に復帰したときに、満枝を妻に迎えている。
そして三女に恵まれる。
長女には、先立たれた前妻の名前、直子とつける。

昭和39年の東京オリンピック開催が決まった当時、
東京は戦後まだ復興が始まったばかり、
とてもオリンピックを開催できる環境にはなかった。
東海道新幹線、首都高速道路など、何とかオリンピック開催時に
間に合うよう完成させたのはつとに知られている。
新幹線には膨大な資金が必要だったが、救いとなったのが、
世銀からの融資。

選手村も大きな課題だった。
東京の郊外に何か所か予定したものの、いずれも小規模で、
競技会場への道路事情もよくない。
当時駐留米軍の将校や家族などが住んでいたのが「ワシントンハイツ」。
広大な敷地で、私自身も何度か訪れたことがある。
学生時代、アメリカカルチャーセンターの紹介で、
「ワシントンハイツ」に住む米軍将校のお宅にお邪魔し、
英会話の勉強相手をお願いしていた。
ちゃんとしたカリキュラムは無く、適当に世間話というか、
米国の話とか趣味の話などをしたのを記憶している。
芝生で囲まれたモダンな一戸建て住宅、広く明るいリビング、
何もかも日本とは別世界、羨ましい思いをさせられた。

米国と交渉して、この広大な敷地が使えるようになる。
当然、米軍の家族が住める施設を東京郊外に設けねばならず、
莫大な引っ越し費用を米国から要求される。
要求を受け入れざるを得ない。
敷地の半分は選手村として使用、しかも米軍の使っていた
住宅をそのまま活用できたのは幸い。
劇場や当時日本では珍しかったスーパーマーケットもそのまま利用できた。
敷地の残りの半分には、現在も残る代々木の国立競技場を建設。
NHKが日比谷から移転(現在のNHKホール)、オリンピック史上初めてとなる
国際テレビ中継の基地となった。

昭和史を知る上でも、大変面白い読み物である。



by toshi-watanabe | 2016-05-30 11:30 | 読書ノート | Comments(0)
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最近角川文庫の一冊として出版された、
内田康夫さんの著書「長野殺人事件」を読み終える。
この作品は、2010年に書かれたもので、
浅見光彦シリーズの百二番目の事件となる。

宇都宮直子は品川区役所の税務課に勤めている。
ある時、住民税を滞納している住民の岡根寛憲の自宅を訪問する。
滞納している住民税は納付すると確約を得る。
さらに、奇妙な頼みごとを言われる。
暫く預かってほしいと、書類の入った角封筒を渡される。
それも直子が信州の人間だからお願いしたいと。
岡根の言を借りれば、
「信州の人間は妙に理屈っぽいくせに、
 どこか抜けたところがあるんだよな。
 用心深くて慎重なようで、少したちの悪いやつにかかると
 コロッと騙される。
 それでいてプライドが高いから、騙されたことを隠したがる。
 人がいいっていうのか、諦めが早いっていうか、
 まったくいい人たちだよ」
書類は長野県にゆかりのあるもので、誰にも見せないで
しばらく預かっていてほしいと再三頼まれ、直子はしぶしぶ引き受ける。

ところが南信濃を流れる遠山川で男性の死体が発見される。
遺体はなんと岡部寛憲と報じられ、直子は吃驚する。
事件現場は「遠山郷」と呼ばれる山奥の山村、直子の実家にも近い。
さらに渡部公一と名乗るヤクザ風の男が、
岡根から書類を預かっているはずだと、直子に接近してくる。
直子は預かった書類をどうしたものか一人で悩んでいたが、
夫の正享が心配して声をかけると、ようやく意を決して、
預かった書類のことを正享に打ち明ける。
角封筒の中身を見てみると、「長野冬季オリンピック」と表紙に書かれている。
数年前に開催された長野冬季オリンピック開催に絡む使途不明金の
内容が明らかにされる書類だった。

警察には届けないようにとの岡根との約束もあった。
宇都宮正享は大学時代の同期生、浅見光彦に相談することに。
他の友人の難事件の時も、浅見光彦が見事解決の道筋をつけている。
いよいよ名探偵、浅見光彦の登場である。

長野県警の竹村岩男警部が殺人事件の担当主任として任を受ける。
通称ガンさんの岩村警部と言えば、
内田康夫さんの作品ではたびたび登場し、
「信濃のコロンボ」とも言われる腕利きの警部、
光彦探偵とも何度か顔を合わせている間柄である。

その後、渡部公一も南信濃で殺害され、第三の殺害と続く。
悪の本態、殺人の犯人像がようとしてつかめない状況が続く。

時を同じくして、長野県知事選挙が行われようとしていた。
現職の秋吉知事が登場するまでは、代々、ほとんど官製と
言っていいような知事が続き、副知事も中央官庁から送り込まれた
高級官僚で保守党の全面的なバックアップを受けていた。
秋吉知事は、長野県出身でもなく、東京在住の作家で
評論家だったのが、にわかに長野県知事選挙に名乗りを上げ、
見事当選をはたしている。
だが脱ダム宣言などで議会の猛反発を受け、県議会とはうまく行っていない。
不信任決議案可決されたものの、対抗馬がおらず、
秋吉知事が再選されている。
一風変わった言行でも名を成し、テレビなどマスコミに
登場する機会も多く、コメンテーターとしても活躍していた。
秋吉知事は再選を目指して、立候補を決意した折に、
上記の殺人事件が起きた。
殺人事件が知事の選挙と関連があるような様相に。

こう読んでくると、実在した知事さんのことを思い出す。
実際、著者の内田さんも書かれている。
この作品を書くために取材を始めた頃、長野県では
知事選を巡って泥仕合のような大騒動が起こっていました。
まず一回目の戦況で大方の予想を裏切って当選した
新知事・田中康夫の初登庁の際、挨拶で知事から
名刺を渡された幹部職員が、知事の名刺を折り曲げるという
この目を疑うような椿事がありました。
その後、「失職」やら再当選やらを経て、三度目の知事選に突入する。
そういう、長野県の特異性とでもいうべき世相を背景にして書かれています。

秋吉知事が知事選挙に初めて立候補する際に、参謀として
裏方で活動したのが殺害された岡根寛憲だった。
岡部はオリンピック関連使途不明金関連の書類を
密かに入手していたのだろう。
それが己の命を縮めることになろうとは露知らず。
さて、真犯人は?


by toshi-watanabe | 2016-05-24 09:45 | 読書ノート | Comments(0)
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最近講談社文庫として発刊された、
葉室麟さんの著書「陽炎(かげろう)の門」を読む。

九州、豊後鶴ヶ江に六万石を有する黒島藩が作品の舞台。
黒島藩は伊予国来島水軍の中でも黒島衆と称された
黒島興正を藩祖とする。
葉室作品では、「山月庵茶会記」と「紫匂う」にも
登場する黒島藩、もちろん架空の藩である。

家禄五十石の家に生まれた桐谷主水(きりやもんど)は、
両親を若くして亡くし、天涯孤独の身だが、
苦難を重ねながら精進し、37歳の若さで
黒島藩の執政の一人に推挙された。

十年前、先の藩主黒島興嗣の時代に
藩内で激しい派閥闘争があり、その折り主水の友でライバルでもあった
芳村綱四郎が藩主興嗣を中傷する落書を書いた張本人とされ、咎めを受けた。
落書の筆跡が綱四郎のものだと証言したのが、主水だった。
この証言が決め手となり、綱四郎の切腹が決まり、
何故か綱四郎は主水に介錯の労を望んだ。
このことが主水の心深くに大きな傷跡として残り、
綱四郎への負い目をおいながら生きてきた。

綱四郎の切腹後、興嗣は卒中で倒れ、間もなくして逝去。
家督を継いだのが興嗣の世子、興世で新たな藩主となった。
派閥争いで死者を出した事態を憂慮、喧嘩両成敗として、
家老職にあった熊谷太郎左衛門と森脇監物が隠居させられた。
新たに家老職についた尾石平兵衛のもと、
藩内は平穏に保たれていたかに見えた。

色々と事情があって、主水は綱四郎の遺児である娘の由布(ゆう)を、
親子ほどの年齢差があるものの、妻として迎えた。
ところが江戸の他家で養われていた由布の弟、芳村喬之助が
突然父の敵討ちを藩に願い出て、江戸から黒島藩に向かった。

主水の身辺が急に不穏な空気に包まれることとなる。
主水は綱四郎が書いたとされる落書のことが気にかかり、
ひそかに調べ始めた。
家老の指示なのか、江戸から呼び寄せられた、
早瀬与一郎という若い武士が主水の行動を監視。
落書の終わりの部分に、綱四郎の手跡とは異なる書名
「百足」が加えられており、
百足と名乗る人物が、実は10年前の事件を引き起こした
黒幕なのではと疑問を持つようになる。

派閥争いのさらに10年前、藩を支える二つの道場がいがみ合い、
御世河原で大乱闘となる事件があった。
御世河原騒動と呼ばれ、多くの犠牲者をもたらした。

その時の恨みが10年経って、芳村綱四郎の切腹につながるという、
一種の推理小説ともいえる物語が進展する。
敵か味方かわからない与十郎と主水の絡みがすっと続く。

城の奥庭に臥龍亭(茶室)が池に面して建てられている。
臥龍亭を訪れた主水は、茶室にかけられた扁額を見てはっとする。
額には「百戦一足不去」とあり、署名は「曙山」。
曙山とは藩主黒島興世のことである。
「百足」とは誰だったのかを悟る瞬間だった。

事件が解決し、桐谷主水は四十歳にて次席家老となる。

登城する主水は潮見櫓の門を潜ると立ち止まって
「出世桜」に目を向けた。
一陣の風が吹き寄せて桜の花びらが風に舞った。
その時、主水はささやくような声を耳にした。
―――― 桐谷様 ――――
振り返ると、門の向こうの石段に若い武士が立っている。
武士が早瀬与十郎だとわかった。
「与十郎、いかがした」
思わず主水は声をかけた。
若い武士ははにかんで少し笑ったように見えた。
その時、武士の姿は立ち昇る陽炎にゆらいだ。
主水がはっと気がつけば、そこには誰もいなかった。

「陽炎の門」の幕が下りる。

by toshi-watanabe | 2016-05-19 11:22 | 読書ノート | Comments(0)
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昨年11月に不帰の人となられた宇江佐真理さんを追悼して、
祥伝社から出版された文庫本「高砂」を読む。
江戸時代、心温まる夫婦の人情物語であるが、
一つ一つの短編として読むこともできる。
「夫婦茶碗」。「ぼたん雪」、「どんつく」、「女丈夫」、
「灸花(やいとばな)」、「高砂」の6編から成っている。

江戸の下町深川蛤町で材木の仲買人を生業としていた
又兵衛は、長男の利兵衛に商売を譲って隠居をすると、
連れ合いのおいせとともに蛤町を出て、
日本橋堀留町へ移った。
長男夫婦と一緒に住み続けていたら、
親子関係が怪しくなりそうな気がしたためである。
早い話、又兵衛は様々なしがらみから離れて、
知らない町でのんびり余生を送りたかったのだ。

幼馴染の孫右衛門の紹介で、今は堀留町の会所に住む。
会所とは町役人が本来詰めているところで、
名主の役宅を兼ねる場合も多かったが、
夫婦者が管理人として住むようになっていた。
町触を伝達したり、人別(戸籍)、道中手形など、
住民が届ける書類を作成したり、町内で訴訟が起きれば、
話し合いの場として使われ、火事の時は、
町火消連中の待機場所ともなった。

又兵衛は3度妻を娶り、母親との姑嫁問題などが原因で、
3度とも離縁、おいせとは4度目になるものの、人別の
届を出していない、現在でいう内縁関係にある。
又兵衛より五つ年下のおいせは町医者の娘で父親の死後、
相当の遺産を継いでいる。
おいせは一度嫁いだものの離縁となっている。
又兵衛は度重なる離縁の体験者であるとともに、
人別の届けを出すと、お伊勢名義となっている遺産が
又兵衛のものとなり、万一の場合には遺産はすべて又兵衛の
子供たちに移り、おいせには何も残らないのではと心配。

三番目の女房が家を出て行ったとき、
又兵衛には、二人の息子と一人の娘、
それに物忘れが多くなっ母親がいて、
苦労を重ね疲労困憊の体だった。
そこへ亭主と別れたおいせがやってくる。
実は又兵衛とおいせは従兄妹同士で幼馴染。
又兵衛の母親とも気心がよく知れている。
子供の面倒を見てほしいという話から、
又兵衛とおいせは形の上では夫婦となった。

又兵衛とおいせ、それに幼馴染の孫右衛門が
何かと世話を焼き、お節介をしながら、
次から次と登場する難題を抱える人たちの相談に乗り、
面倒を見て問題を解決して行く物語が続く。

「高砂」の最後の場面では、
秋も深まった長月の吉日に又兵衛は晴れて
おいせと夫婦になる。
堀留町の会所に大勢の人々が集まる。
二人は近くの神社でお参りをした後、
世話になった人々を招いてお祝の席を設ける。
音頭を取ったのはほかならぬ孫右衛門。
名主の長い挨拶が終わると、
病気で世話になった医者の岡田策庵が祝言の
恒例の「高砂」を謡い始める。

又兵衛と孫右衛門の仕事はこれからも続く、
と、この小説は幕を閉じる。

ほろっとさせられる、心に染み入る珠玉の人情時代小説、
お薦めの一編である。



by toshi-watanabe | 2016-05-12 10:08 | 読書ノート | Comments(0)
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朝井まかてさんの新作「眩(くらら)」を読み終える。
長編小説で、読むのに結構骨が折れるが、
すっかり物語に引き込まれ、感動の余韻を残しつつ読み終える。

本の帯にはこう書かれている。
北斎の娘にして〈江戸のレンブラント〉、
天才女絵師・葛飾応為の全身を絵に投じた生涯。
「眩々するほどの命の息吹を、あたしは描く。」
偉大すぎる父・北斎、兄弟子・溪斎英泉への叶わぬ恋、
北斎の名を利用し悪事を重ねる甥――人生にまつわる面倒ごとも、
ひとたび筆を握れば全て消え去る。
北斎の右腕として風景画から春画までをこなす一方、
自分だけの光と色を終生追い続けた女絵師・応為。
自問自答する二十代から、傑作「吉原格子先之図」に至る
六十代までを、圧倒的リアリズムで描き出す。

死ぬまで筆を握り浮世絵を描き続けた葛飾北斎は
享年90歳の長命を全うした、江戸時代末期の名だたる浮世絵師。
北斎の三女として生を受けたのが、この小説の主人公、お栄である。
お栄は幼いころから、父親のそばにいて、父親の描く姿を目にし、
自らも絵筆を握るように。
母親の小兎(こと)が心配して、お栄は22歳の時に
東神田橋本町で水油屋を営む商家の次男で、
南沢等明という画号を持つ町絵師の吉之助のところに嫁ぐ。
家事が不得手で、子もなさなかったお栄は3年後実家に戻る。

お栄は北斎工房で、北斎の弟子らに交じって、
父親の画業を熱心に手伝う。
下級武士の子だった池田善次郎は絵師を志し、
北斎工房にも顔を出すようになり、お栄とも気心が通じる。
善次郎は浮世絵師とともに狂言の戯作者としても名を成し、
溪斎英泉を名乗り、妻をめとるが、お栄との仲は続く。

北斎は70歳を前にして、酒も飲まないのに中気で倒れる。
柚子の卒中薬で無事回復する。
ところが、その直後看病の疲労もたまったのか、
北斎の11歳年下の妻、小兎があっと言う間に亡くなる。
その後、北斎を杖を突きながらの生活だが、
信州の小布施まで出かけたり、浮世絵を描き続ける。

物語の終盤、お栄は絵師、葛飾応為(おうい)を名乗り、
「吉原格子先之図」を手掛けている。
そこへ突然、溪斎英泉(善次郎)の訃報が届く。
葛飾応為(お栄)は通夜に出かけず。
北斎は野辺の送りには顔を出すように、娘のお栄に強く言う。
親子の言い合いが続き、お栄はやっと重い腰を上げる。
場所もわからず出かけたお栄は、高札場の近くで人に尋ね、
楓川に架かる海賊橋を渡ったものの、走る事が出来なくなり、
足を投げ出し座り込んでしまう。
無様な女で何もかも間に合わないと思っていたお栄の耳元に、
おりんの澄んだ音と僧侶の読経が聞こえ、
白い着物の一行が近づいてくる。
野辺送りだ。
お栄はいつしか、嗚咽しながら笑っていた。
列を見送り、裸足のまま空を見上げると、鰯雲が流れてゆく。
読み手に感動を与える、この場面の情景は圧巻である。

その1年後、北斎を長寿を全うする。
応為は最大の傑作と言われる「吉原格子之図」を完成。
やがてどこへともなく1人旅立つ。

葛飾応為の晩年は記録に残っておらず、
ほとんど知られていない。


カバー表紙絵に使用されているのは、葛飾応為の傑作「吉原格子先之図」そのもの、
東京渋谷区神宮前にある「太田記念美術館」所蔵である。






by toshi-watanabe | 2016-04-30 15:05 | 読書ノート | Comments(2)
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葉室麟さんの最新作「辛夷(こぶし)の花」を読み終える。
すっかり葉室ファンの身、この作品も読み始めると、
すっかり葉室世界に引き込まれ、一気に読んでしまう。

九州豊前(ぶぜん)、小竹(こたけ)藩の勘定奉行三百石の澤井家の長女、
志桜里(しおり)は船曳栄之進のもとに嫁いで3年になるが、
子に恵まれず、実家に戻っていた。
空き家になっていた隣の屋敷に小暮半五郎という
武士が年明けに引っ越してきた。
背丈は六尺を超える長身で肩幅も広い、
繭が太く、目は涼しげで整った顔立ちなのだが、
覇気を感じさせず、いつも穏やかな笑みを浮かべていた。

志桜里の父親で、澤井家の当主、庄兵衛は、
藩主、小竹讃岐守頼近から能力と実績を買われて
3年前、勘定奉行に取り立てられていた。
それには事情があった。
代々小竹藩の家老を務める安納、伊関、柴垣のご三家が
公金をひそかにわが懐に入れて肥え太っていた仕組みを暴くためで、
3年がかりで調べ上げる事が出来た。
また隣家に引っ越してきた半五郎も頼近に気に入られ、
郡方から加増されて近習役五十石となり、頼近の身近に仕えるようになった。
ご三家の始末を江戸のご老中に願い出るために使者として
役割を担うのが半五郎であった。

澤井家に新しい女中が深堀村からやってくる。
すみという16歳の少女だが、
村では10年前、強訴騒ぎが起こり、郡方の村まわりがなくなり、
村人からも死者が出た。
抗って、その場で斬られた百姓の一人が、すみの父親、
そして斬ったのが半五郎だった。
そこにはある事情があったのだが。

半五郎は10年前の事件後、己の刀に浅黄紘を結んだままにしている。
人は彼を「抜かずの半五郎」と呼んでいた。
半五郎が江戸へ旅立つとき、澤井家に出立の挨拶は無かった。
ただ、半五郎の家僕の佐平が、どこで伐ったものか、
辛夷の花がついた一枝を志桜里の元へ届けてきた。
志桜里は辛夷の枝を床の間の花瓶にそっと挿した。
辛夷の枝には、和歌が書かれた短冊が添えられていた。

「時しあればこぶしの花もひらきけり
  君がにぎれる手のかかれかし」

時がいたれば、蕾のころは、ひとのにぎりこぶしのような形を
していた辛夷の花も開く、あなたの握った手も開いて欲しい、
とはかたくなになって閉じている心を開いて欲しい、
という意だろう。

大団円というか、最後の場面は読者をぐいぐい引き込み、
終わりを迎える。
「生きていくうえでの苦難は、ともに生きていくひとを知るためのもの」
この物語は訴えているようである。
たおやかで凛々しく生きるヒロイン、志桜里おいう女性が見事に描かれている。





by toshi-watanabe | 2016-04-22 10:07 | 読書ノート | Comments(0)