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葉室麟さんの新著「潮騒はるか」を読む。

この作品は、「ポンツーン」の平成281月号~

平成2812月号に連載されたものに、

加筆・修正し、今回単行本として幻冬舎より出版された。

「ポンツーン」は幻冬舎が出している月刊PR誌である。


本の帯カバーには、「女に残されたのはかなわぬ想いと
生き抜く覚悟」そして『風かおる』の感動再び!とある。
『風かおる』は2015年9月に出版されている。



時代は幕末、長崎が舞台となっている。

筑前博多で鍼灸医をしていた菜摘(なつみ)が

弟の渡辺誠之助、博多の眼科医稲葉照庵の娘、千沙を伴い、

長崎で蘭学を学んでいる夫の佐久良亮のもとにやって来る。

腕を見込まれ、菜摘は長崎で鍼灸医として仕事を始める。

長崎奉行所を預かる岡部駿河守長常の妻香乃は病い勝ちで、

長常から依頼があり、菜摘は香乃の手当てを引き受ける。

奉行所の牢には女牢がおり、病人が出たときには、

男の医者では何かと不都合と菜摘が女牢の病人も

診るようになる。

菜摘の鍼医療に興味を抱いた、シーボルトの娘いねが登場する。

千沙には佐奈という姉がいるのだが、

夫が毒物による不審死の後、佐奈は行方をくらましている。

その佐奈らしき女人に奉行所の牢で、菜摘は巡り合う。

女医のいねに頼んで、此の女牢の病状を診察してもらう。

佐奈であることは間違いないとわかるものの、

妊娠しており、長崎に来るまでの疲労が重なり、

このままでは、命が危ない、何とか牢から出す方法は

ないものかと、関係者で思案する。

色々手立てを考え、奉行の了解を得て、

佐奈を牢から出す事が出来る。

佐奈の夫の死、そして佐奈が家を出奔した理由などが、

次第に明らかになっていく。

物語の途中では、勝海舟も登場する。

やがて佐奈は女の子を産み、ゆめと名付ける。

佐奈は国(くに)と名をあらためて、

いねのもとで医者の修行をし、産科医となる。

菜摘はその後も長崎で鍼灸医として働き続ける。

長崎奉行の岡部長常からの話もあり、「時雨堂」という看板を掲げる。

物語の最後の部分の文章をそのまま引用したい。

人は苦難の中にあっても、負けずに進み続づけるならば、

やがて天から慈雨が降り注ぐのだ、と菜摘は思った。

よく晴れた日だった。 菜摘は青空を見上げた。

風に乗って潮鳴りが聞こえてくる。


追記:

ポンツーンとはPontoon、船橋、浮橋、ポントン橋のことである。
小舟を横に並べて、その上に板を渡して橋として使うのだが、
もともとは軍隊で用いられたもののようだ。
以前プエルトリコにいた折に、カリブ海のキュラソーへ、
遊びに行ったことがある。
そのキュラソーにポントン橋があった。
寄港する観光客船などが通るたびに、
船橋は陸地に移動(エンジン起動)する。
船が通り過ぎるまでの間、人も車も橋の袂で待たされる。
ビールを飲んだり、人とおしゃべりしたり、
現地の人たちは、のんびりと橋が通れるようになるまで待っている。

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by toshi-watanabe | 2017-06-06 10:00 | 読書ノート | Comments(0)

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久々に、池井戸潤さんの作品を読み終える。

「アキラとあきら」(徳間文庫、\1000+税)である。

現在書店に行くと、山積され、大々的に宣伝されている。

実は、この作品200612月号から20094月号まで、

「問題小説」に連載されていたもので、大幅に加筆、修正し、

今回単行本として出版された、オリジナル文庫である。

池井戸ファンにとっては待望の作品と言える。 705頁もの大作である。

本来は直木賞受賞作「下町のロケット」の前に書かれていた作品。

題名にある通り、二人のあきらが主人公。

同い年の二人、1人は東伊豆にある零細工場の息子、山崎瑛(やまざきあきら)、

もう1人は大手海運会社、東海郵船の御曹司、皆堂彬(かいどうあきら)。

最初の部分は二人がそれぞれの環境の中、

小学高学年から大学に進学するまでの物語が進行する。

その間唯一度、二人がすれ違う場面があるが、二人の間には全く接点はない。

山崎瑛の父親孝造は下請けの町工場を営んでいたが、

不良品の付けを回され、経営が立ち行かなくなる。

取引銀行からの融資も断られ、夜逃げ同然で母親の実家へ。

大学進学をあきらめていた瑛だが、父親の勧めもあり進学する。

階堂彬の祖父雅恒は東海郵船の事業を拡大し、長男の一磨が事業を継ぐのだが、

雅恒の遺志により、本体の海運部門を一磨が引き継ぎ、

一磨の次の弟、晋が東海商会、そして末弟の崇が東海観光を

それぞれ分社化して経営を任せられる。

一磨は彬の父親であり、晋と崇は叔父にあたる。

彬は本来であれば、長男として家業を引き継ぐ立場なのだが、

その気は全くない。

山崎瑛と階堂彬はともに、東京大学に合格、入学する。

さて話は一気に二人が大学卒業の時期、就職活動の場面に。

二人は同じ大学で、優秀な成績を上げている。

ご存知の半沢直樹は、この作品には登場しないが、

半沢直樹と言えば、産業中央銀行。

その産業中央銀行に、二人のあきらは就職する。

二人とも、金融業へのこだわりがあり、

敢えてトップ銀行である産業中央銀行を就職先として決めた。

その年、産業中央銀行に入行した新卒の新入社員は約300名。

恒例の三週間に及ぶ新人研修が行われる。

その目玉が、最後の五日間に行われる融資戦略研修。

新入行員が三人一組になって、実戦に近い取引先データを元に、

与信判断で優劣を競う。

百組ものチームが二日間にわたり検討し、提出される稟議書を審査し、

上位の二チームを選び出す。

選ばれた二チームが本店の講堂で行われるファイナルに登場するのだが、

山崎瑛のチームと階堂彬のチームである。

この場面が何とも面白い。

この物語で、二人のあきらの活躍を示唆するかの如く。

経営感覚のない叔父の二人がロイヤルマリン下田というリゾート施設を

立ち上げたものの、バブルが崩壊する時期にもあたり、

赤字が続き、事業として全く成り立たない状況に。

悪いことに、東海郵船は債務保証をしている。

ところが一磨が倒れ、長男の彬は事業を継ぐ意思が全くなく、

次男の龍馬が継ぐことになるものの、まだ経験も浅く、経営センスにも欠ける。

最終的には、彬が銀行を辞めて、東海郵船グループの立ち直りのために、

東海郵船の社長に就くのだが、銀行と企業とのやり取りが

池井戸流の筋書きで、物語に引き込まれてしまう。

この作品は、すでにドラマ化が決定しているとか。

ドラマで観るのも楽しみである。





by toshi-watanabe | 2017-06-02 10:36 | 読書ノート | Comments(4)

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最近、角川文庫の新刊として出版されたばかりの、

今井絵美子さんの著書「群青(ぐんじょう)のとき」を読む。

江戸幕末の時代に登場した、若き老中、阿部正弘が

主人公である。

幼名を剛蔵、また主計(かずえ)と呼ばれた

阿部正弘は文政2年(1819年)、備前福山藩の

5代藩主、阿部正精の五男として生まれた。

生母は側室の高野具美子(くみこ)である。

後に母は剃髪して、持名院を名乗る。

6代藩主を継いだ兄の正寧が病弱だったため、

天保7年(1836年)、正弘はわずか18歳で

福山十万石の第7代藩主に就く。

翌年初めて福山藩にお国入りする。

正弘がお国入りしたのはこの時だけだと言われている。

その後、奏者番、寺社奉行を経て、25歳で老中に就任、

その2年後には老中首座まで上り詰める。

現在でいえば総理大臣の職だろう。

多忙な業務に追われる中、心の安らぎを与えてくれるのが

実母の持名院で、物語では時折登場する。

さて、主計(正弘)が10歳の折、堀切菖蒲まで初の遠乗り、

雨が降り出し、雨宿りにと祠に行くと、瀕死の重傷を負った男を

手助けしている、主計と同じ年頃の少年に出会う。

闇丸という名の少年も手傷を負っており、屋敷に連れ帰り、

主計(正弘)は傷の手当てをさせて面倒を見る。

後に中山進之助と名乗るものの、闇丸として、正弘を陰から支える。

この闇丸は、唯一この物語に登場する架空の人物だが、

正弘という人物を浮き彫りにする間接的に重要な役割を果たす。

この小説に関しては、絶賛の言葉が寄せられている。

「まさに、今日に反映する困難に対峙した救国の英雄を

描ききった!」(森村誠一)

「血が沸いた!」(崔洋一)

「著者の腕は、間違いなく円熟の域に達しつつある。」(菊池仁)

「本格的な幕末小説として文学史に残る力作である。」(縄田一男)

時代小説評論の分野では確たる地位を占める縄田一男さんは、

あとがきに「解説」を書かれているが、その中で、

この作品を書かれる作者の動機の一端を紹介されている。

「これ(「群青のとき」)は長年温めてきた福山藩主阿部正弘の

生涯を描いた作品で、時代小説を書き始めた頃から、福山に生まれ

育ったわたしがこれを書かないでどうしようと思っていたのである。

 世間には阿部正弘がいかに欧米列強と対等に渡り合おうとしたか

あまり知られておらず、小説や映画、ドラマに描かれたとしても、

いつも脇役的な存在でしか描かれてこなかった。

 だが事実はそうではないのである。

 ペリーが来航した際、仮に阿部正弘が筆頭老中でなかったとすれば、

日本は欧米と対峙した末、属国になっていたかもしれないし、

もしかすると、現在のわが国の形がまた少し違っていたかもしれないのである。

 が、いかに言っても小説を書くには、阿部正弘は地味である。

 眉目秀麗、怜悧で実直な男というだけでは小説的な面白味に欠け、

読者は英雄的な破天荒な人物を好むものである。

 そこで私は架空の人物闇丸なる草の者を登場させ、

正弘の影武者的な役割を果たさせることにしたのである。」

物語のピークは、嘉永7年(1854年)、ペリーが再来、

日米和親条約を締結するに至る背景である。

これで250年間続いた鎖国政策に別れを告げた。

国政を担当する立場から、極論や暴論を繰り返す攘夷派を

抑えるために、本心を隠して、意図的に協調路線を選択した。

世に名高い、徳富蘇峰の「近世日本国民史」には、

阿部正弘を、優柔不断、八方美人と評したりしている。

本著の中でも、

「正弘は、ぶらかしの伊勢、と陰口を叩かれていることを知っていた。

何事にも慎重になるがゆえ、白を白、黒を黒とはっきり言いきれないのである。

正弘は白にも桃色がかった白があろう、黒にも灰色がかった黒があろう、

といった具合に、あらゆる色を一旦我がうちに取り込んだ後、

熟高の末、再び吐き出す。

そこらあたりが、直情怪行型の斉昭とも、

また、生真面目一本であった水野忠邦とも違うところだった。」とある。

阿部正弘は「伊勢守」を賜っており、伊勢と世間では揶揄されていた。

斉昭とは、攘夷派のボスともいえる、
常陸水戸藩の第九代藩主徳川斉昭のことであり、
徳川第15代将軍、慶喜の実父である。

この物語には登場しないが、

正弘は徳川13代将軍家定の御台所に篤姫を推挙している。

彼は12代将軍家慶と次の家定から信頼されていた。

阿部正弘は安政4年(1857年)惜しまれつつ命を全うする。

享年39歳という若さ、今でいう肝臓がんが死因。

夜明け前の日本で難局に立ち向かい革新を行った男の熱き生涯だった。





by toshi-watanabe | 2017-05-26 08:38 | 読書ノート | Comments(0)

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内田康夫さんの著書「鬼首殺人事件」を読み終える。

今回は新装版として最近出版された光文社文庫で読むが、

〈浅見光彦×歴史ロマン〉の一冊。

「鬼首(おにこうべ)」とは少々恐ろしい言葉だが地名である。

宮城県大崎市鳴子町にあるのが鬼首、温泉地として知られるが、

本著に登場するのは、鳴子町ではなく、鬼首峠を越えた

秋田県湯沢市雄勝町である。

物語は、その雄勝町で開催される「小町まつり」の場面から始まる。

この祭りは200年以上続いているのではと言われる伝統的なイベント。

初めは、旧小野村で行われていた、小さな祭りだったのが、

昭和30年の町村合併で雄勝町(おがちまち)が成立して統合され、

間もなく、この町の最大級のイベントとして定着。

雄勝町はその後、秋田県湯沢市に統合された。

秋田県雄勝町の小野地区が小野小町生誕の地として知られる。

小野小町ゆかりの地は全国至る所にあるが、ここが最も有力視されている。

芍薬の花香る頃の6月の第2日曜日、祝詞奉仕に始まり、

巫女舞で神前を清め、小町の魂を慰める謡曲が歌われる。

さらに町内から選ばれた7人の小町娘が登場し、

小野小町が詠った和歌を朗詠し、小町堂に奉納する。

毎年、地元から未婚の秋田美人が7人選ばれる。

さて7人の小町の和歌朗詠が終わり、無事退場のシーンに。

その時、観衆の人垣の中から、老人が1人、ヨロヨロと歩き出た。

老人は、7人の小町の真ん中に、頭から突っ込むように倒れ込み、

悲鳴が起きる中、1人の小町娘の着物の裾をつかんだ格好で、倒れ伏した。

事件の発端である。

その後、老人の死因は毒服用によるものと判明。

偶々その場にいたのが、ご存知わが名探偵、浅見光彦である。

光彦は雑誌「旅と歴史」の依頼で、「小町まつり」の取材に来ていた。

警察では自殺として処理するのだが、光彦は直感的に殺人事件と推察する。

犯人の実像がなかなかつかめぬ状況が続く。

ところが、予想もしない大企業や大物政治家の名前が出てきて、

この事件の裏には大きな魔物が垣間見える。

東京の警察庁上部からの指示で、地元の捜査本部は解散する始末。

更には戦後史の闇が事件の背景にあるのか、謎が深まるばかり、

殺人事件の本筋がなかなか見えてこない。

次第に重苦しい推理小説となってくる。

事件現場となった秋田県雄勝町から秋ノ宮温泉郷を通って、

鬼首(おにこうべ)峠を越えると、上記にも書いた通り

宮城県の鳴子町に出る、国道108号線である。

この著書が書き下しで出版されたのが19934月、

当時は車で通るには難所の旧道だったのだが、1996年にバイパスが完成し、

「仙秋サンライン」として、今では秋の紅葉が名高い。

秋ノ宮温泉郷から少し離れたところにある一軒宿の

「稲住温泉」がこの小説にも登場する。

小説の中でも書かれているのだが、戦時中、武者小路実篤が

疎開した宿として知られている。

話が飛ぶが、宮城県石巻市にも雄勝町(おがつちょう)と同名だが、

読み方の異なる町がある。

東日本大震災では巨大津波により大きな被害を受けている。

この町は「雄勝石」が有名であるが、

「雄勝硯」はよく知られ、また天然スレートとして、

東京駅丸の内駅舎の屋根に使われているのもつとに知られる。

浅見光彦シリーズ、一気に読んでしまう一冊である。

因みに、終戦後父親の仕事の関係で、内田康夫さんは、

疎開先の長野の戸隠村から東京にすぐには戻らず、秋田に転居され、

この雄勝町(当時は秋ノ宮村)にて中学の3年間を

過ごされたそうである。




by toshi-watanabe | 2017-05-06 14:23 | 読書ノート | Comments(0)

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内田康夫さんの著書「ユタが愛した探偵」を、

最近出版された光文社文庫版で読む。

題名からもお分かりの通り、沖縄が舞台の物語。

この作品は199910月に単行本して徳間書店から

発行されているが、著者にとっては記念すべき作品である。

198012月に「死者の木霊」を発表して以来、

全国都道府県に足を残す作品群を書かれてきて、

「旅情ミステリー」と呼ばれた。

名探偵、浅見光彦が現地に出かけ、数々の事件を解決してきた。

およそ20年をかけて、全都道府県を巡り、最後が沖縄県で締めくくる。

著者はあとがきに最後の「聖地」沖縄として解説されている。

じつは、沖縄を書こうという計画はその数年前からありました。

取材も三回を数え、かなりの沖縄通になったつもりでもありましたが、

どうしてもイメージが湧いてこない。

というよりも、書く前から尻込みしているようなところがありました。

沖縄は戯れにエンターテーメントの取材対象などに

してはいけないと思っていました。

その理由はもちろん、あの戦争の被害と、長く米国の

占領下にあった苦難の歴史があるからです。

たんなる観光気分ではなく、真正面から沖縄と向かい合うには、

それ相当の覚悟が必要だと思いました。

そうでなければ沖縄に失礼だと、本気で思っていました。

私自身も正直なところ、沖縄は未知の土地、一度も現地を訪れたことがない。

この小説を読んで、本題のミステリーとは別に、

沖縄について改めて考え直す機会になったように思う。

終戦から丸26年間米国の占領下にあった沖縄、27年目にやっと

日本復帰を果たし、お祝いをし、時の総理大臣は

ノーベル平和賞を受賞したのだが、その後の沖縄には、

米軍の基地はそのまま残り、本土との地域差は埋められることもなく、

変わったのは、車が左側通行になったくらいではと言われる。

琉球王国だった歴史もあり、現在の姿が沖縄の人たちにとって
幸せなのだろうかと疑問を抱いてしまう。

さて作品に登場する「ユタ」という言葉は初めて目にする。

沖縄では当たり前のことのようだ。

沖縄の民俗というか宗教的な風習とでもいうのか、

単なる占術や悪魔祓いではなく、ごく日常的な通過儀礼なのだろう。

ある程度の年齢に達した女性が、「ユタ」になるようだ。

ところが生まれつきというか、幼い時から、幻覚にとらわれ、

普通の人に見えないものを感じ取り、

常識では理解できない能力を有する人がごくわずかだが存在し、

「ユタ」たちからは特に敬われている。

この作品のプロローグでは、物語の主人公となる女性の

幼い頃が登場する。

名前を式香桜里(かおり)という。
小学生時代に彼女は不思議な体験をする。

式という苗字も珍しく、調べてみると、九州地方に比較的多いようだ。

さて本題は、彦根で開催される「ブクブク茶会」の場面から始まる。

ブクブク茶とは沖縄で飲まれている振り茶のこと。

茶会があるのは彦根の清涼寺で、井伊家の菩提寺である。

先代井伊家に嫁いできたのが、沖縄出身、

しかも琉球王・尚家最後の姫君という縁で、

すでに恒例の未亡人となっている元姫君を囲んでの茶会。

この茶会を地元のテレビ局が取材し放映するところから、

沖縄で起きる事件へと進展する。

沖縄からの茶会参加者の一人に成人した式香桜里もいる。

香桜里が幼い頃、母親の運転で両親がある夜出掛ける。

香桜里も誘われるが嫌な予感がして一緒に出掛けるのを断る。

海岸沿いの崖っぷちで運転を誤り、車は海に転落、

両親は二人とも命を落とす。

警察では事故死として処理するのだが、香桜里には事故の現場が

はっきりと見えている。

対向車のライトにより、運転を誤り海に転落した姿が。

警察に調べるように依頼するも相手にされず。

過去にそんな事件があった。

実は対向車は存在し、その車には3人の男が乗っていたのだが、

彦根での茶会の後、沖縄で一人の男が遺体で発見される。

その遺体とは、香桜里の両親が事故死したときの

対向車に乗っていた男の一人。

殺人かどうかというのが、このミステリーの面白い所。

浅見光彦も途中から登場し、

推理と行動により、事件を解き明かしていく。

因みに、「題名」にある「ユタ」とは式香桜里、

「探偵」とは無論、浅見光彦のことである。

興味のある方は是非読んでいただきたい。



by toshi-watanabe | 2017-04-30 08:40 | 読書ノート | Comments(0)

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講談社文庫の伊東潤著「峠越え」を読み終える。
昨年「天下人の茶」(すでに読書ノート書き込みあり)にて
著者は直木賞受賞を受賞されている。

作品「峠越え」は2014年に中山義秀文学賞を受賞されている。

「峠越え」とは勿論、徳川家康の伊賀越えの話である。

凡庸を絵にかいたような竹千代(のちの家康)は

今川家の人質として過ごした幼き頃、

通称大師と言われる名僧太原雪斎の教えを受け、

師の教えを竹千代は生涯忘れることはなかった。

今川義元に偏諱をもらい元信、次いで元康と名乗るが、

今川氏から独立した後に今川家からの独立を明示するため

「元」を返上して家康に改める。

家康は信長と同盟関係を結んだとはいえ、

頭の回転の速い信長の考えることや信長の行動について行けない。

信長の方は、部下でもない家康を信用せず、あれこれと試す。

あらぬ疑いをかけられ、家康は正室瀬名(築山殿)を殺害、

嫡男松平信康を自刃に追いやる。

越前の朝倉義景に上洛するよう求めるが、無視されたため、

信長は援軍要請に応じた家康一行も含め、

義景討伐軍3万を率いて越前の国へ入る。

ところが信長の義弟、浅井長政が寝返り、退路を断たれる。

挟み撃ちになっては面倒と、信長は即退却を決意する。

名乗り出た秀吉と共に、家康が殿軍に加わるようにと信長は言う。

家康を試そうとした、信長の真意を後になって家康は気付く。

信長に呼ばれて安土を訪れた家康は、接待を受けるが、

鯛の刺身が傷んでおり、家康は食すのをやめる。

目ざとく気づいた信長は怒り心頭、饗応役の明智光秀を

足蹴にする。

このことが光秀の恨みを引き起こし、本能寺の変に至ると

通常言われている話である。

ところが本書では、異なる見方をしている。

信長と光秀は、家康の前で芝居を打ち、

これが家康を陥れる仕掛けになるはずだった。

その後家康は信長の勧めもあり、大阪、堺見物に出かける。

堺の今井宗久邸でお茶をいただいていると、

信長が京に到着との急な知らせが入り、直ちに家康に

京に来るようにとの伝言が届く。

ほかの茶会にも呼ばれており、旅の疲労もあり、

その夜はゆっくり休みを取り翌朝、京へ向かうことにする。

ところが、その夜。明智光秀の一隊が信長の滞在している

本能寺に攻め込み、信長は非業の死を遂げる。

実は、その夜、信長は家康を招いて茶会を催し、

途中で信長は本能寺を抜け出し、家康一行が残る本能寺に

光秀たちが攻め込む手筈になっていた。

家康は信長の殺意を事前に把握して、

運よく己の命を落とさずに済んだのである。

危うく危機を逃れたものの、家康一行は堺からの逃避行が始まる。

所謂「伊賀越え」で、家康にとっては生涯で最も苦難に満ちた、

命からがらの逃避行であった。

この物語のクライマックスである。

堺→和泉→平野→八尾→飯盛→尊延寺→草内→郷ノ口

→山口→朝宮→信楽→神山→多羅尾→御伽峠→西山

→丸柱→河合→柘植→加太→関→亀山→白子、
命を狙われながらも無事峠を越えて、

白子からは船に乗り大浜へ、そして陸路で岡崎へ戻る。

部下にも呆れられる凡庸な武将、家康にのしかかっていた、

今川、武田、織田の強大な勢力の重石がなくなり、

いよいよ天下人としての家康への第一歩が、

これから始まる。



by toshi-watanabe | 2017-04-11 09:38 | 読書ノート | Comments(0)

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幸田真音さんの最新作「大暴落 ガラ」を読み終える。
「ガラ」とは、相場用語で急激にすべてが値を下げること。

暴落よりもさらに恐怖感をともなう強烈な下げを意味し、

通常は回復までに長時間を要する。

時は今から2年後、この物語の主人公、

三崎晧子(みさきこうこ)が日本初の女性総理大臣に

就任したところから、この物語は始まる。

前総理の山城泰三が病のために続投不能に陥り、

次期総理選出のため、突然政権与党内の総裁選挙へ突入。

候補者5名のなか晧子は紅一点、大接戦の末、

晧子を破って与党の新総裁に選ばれたのは小関嗣郎、

前評判通りの結果で与党の古株である。

ところが周囲の予想に反して、内閣総理大臣への

首班指名されたのは三崎晧子だった。

本来であれば、与党の総裁がそのまま総理大臣になるのが

通例なのに、思いがけなく与党の一部に加えて野党側の支持を受け、

晧子が選ばれ、大騒ぎとなる。

組閣人事を進めている最中に、東京に巨大な自然災害の発生が

起こりそうな気配になる。

東京の下町を流れる荒川の上流、埼玉県の秩父地方に大雨警報が出、

猛烈な勢いで増水し東京に向かって流れ始め、しかも大型台風が二つ、

東京方面に近づいているという深刻な状況にあり、

荒川の堤防が決壊する恐れが出てきた。

東京の下町一帯が浸水するばかりでなく、地下鉄などの地下に

大量の水が流れ込んでは大変な事態になる。

総理は緊急非常事態の宣言に追い込まれる。

時を同じくして、ロンドン為替市場で突然円売りが始まり、

中央銀行である日本銀行の債務超過が危惧されたのか、

日本の通貨の失墜がどこまで行くのか、金融関係者に激震が走る。

新規国債の入札にも応じる金融機関もなく延期となる。

若い頃、米国系の投資銀行に在籍した経験のある晧子も懸念する。

東京の大災害が起こった場合には、さらに事態を悪くする。

過去にハリケーンによる大災害がニューヨークの金融市場に

ダメージを与えたこともある。

現場では夜を徹して最大限の対策をたてたのだが、荒川は氾濫し、

結局700名近い犠牲者を出してしまう。

総理の指揮にも拘らず、担当大臣の動きは鈍く、

与野党ともに防災に無関心で行動せずの状況だった。

それにも拘らず、トップの初動が手遅れだったと非難するばかり。

船会社のクルージング船に被災者を避難させたり、

総理自ら色々と手を尽くし、犠牲者を増やさずに済んだ。

天候の回復とともに、復興作業は直ちに開始、円安も収まり、

心配されていた国債入札も再開される。

大暴落になる事態は何とか防げた。

臨時国会が召集され、冒頭に三崎晧子総理大臣は

所信表明演説を始める。

野党からの嫌がらせやヤジが盛んに飛ぶ中、晧子は滔々と思いを語る。

この場面が物語終盤のハイライト、この小説の最も面白い場面である。

現実に即した場面もあり、

巨大な自然災害が首都東京に起きたら、どうなるのだろうと、

大いに考えさせられた。

過去の災害を思い返してみても、いつも後手後手にまわっている。

反省総括はするものの、

その後この経験が対策に全く生かされていないのが実情。

同じことの繰り返し、情けない限りだ。

この小説、日本初の女性総理を主人公に持ってきたところが、

一つのポイントなのだろう。

小池百合子東京都知事とダブるようなところも見られた。




by toshi-watanabe | 2017-04-04 10:56 | 読書ノート | Comments(0)

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火坂雅志の著書「気骨稜々なり - 島井宗室」を読む。
急性膵炎のため58歳で亡くなられた火坂さん、
ついひと月前に三回忌を迎えたばかりである。

日経新聞夕刊に2013年から14年にかけて連載された

長編作品「天下 家康伝」が遺作となり、

これから大いに期待されていただけに早い旅立ちを惜しまれた。

本作品は、201310月にハードカバーで出版されているが、

最近、小学館文庫として出された改訂最新刊を手にする。

博多の三傑と称される、豪商で茶人の鳥井宗室の話である。

鳥井徳太夫、のちの宗室の父、茂久は博多練酒(乳酸発酵

させた香りのいい白酒)の造り酒屋を営んでいたものの、

根っからの放蕩者で、妓楼などに通い詰めるなど、

散財を繰り返し、店も傾き人手に渡り、

借金取りに追われ、いずこかへ行方をくらました。

母は苦労の末に、病で世を去った。

残された徳太夫の前には、借財の山だけが重くのしかかった。

17歳の時、徳太夫は店と家財を売り払い、ほとんど夜逃げ同然、

船に乗り込んで朝鮮に渡った。

釜山の港町で目を付けたのが茶道具。

この頃、日本では武家や豪商の間で茶の湯が大流行し、

人々は金に糸目をつけず、茶壺、茶入、水指、茶碗などの

茶道具を買い求めていた。

茶道具の目利きの腕を上げ、次第に販路を広げ、

博多に大店を持つまでになる。

堺にも出かけ、津田宗及、千宗易、今井宗久らとも知り合う。

特に、宗及の叔父にあたる津田道叱には目をかけられる。

北九州東部で勢威を誇り、九州一の富裕を誇る

大友義鎮(宗麟)の元を道叱と共に訪れ、

大井戸茶碗を持ち込む。

一目見て気に入った義鎮は、五千貫文でもそなたの言い値で

買い上げて遣わすというのだが、折角ですがお売りできませぬと、

徳太夫は言う。

二人の間で丁々発止と交わされる会話の場面は

絶秒に描かれており実に面白い。

最後には、

「金を積まれて、より高い方に品を流すとあっては、

商客の誇りが許しませぬ。 代金は無用、

大友さまに献上させていただきます」

と、小面憎いほど落ち着いた態度で、徳太夫は言った。

これですっかり大友宗麟に気に入られた徳太夫は、藩の御用商人となる。

徳太夫は唐舟を手に入れ、永寿丸と名付けて、

朝鮮や明ばかりでなく、琉球から安南その他南方まで商圏を広げる。

博多は地の利も得て一段と栄えるのだが、毛利氏、島津氏など、

領土を狙う戦国時代、五度にわたって、兵士が火をつけて、

繰り返し博多の町は焦土と化してしまう。

店を任せていた妻の美音(対馬の商人梅岩の娘)も、

店ともども焼死する。

徳太夫は悲嘆を乗り越え、そして博多の町も活気を取り戻す。

世に名高い楢柴肩衝の話も出てくる。

天下の三大名物肩衝の一つで、残る二つは初花肩衝と新田肩衝。

楢柴肩衝を手に入れた徳太夫は町を救うために、

秋月種美に無償で献上する。

後に秀吉が手に入れるところとなる。

(さらには家康の手になるが、江戸の大火により焼失)

著者が茶道具についてかなり調べられているのがよくわかる。

徳太夫49歳の時に三成の勧めで、二度目の妻を迎える。

博多の年行司(町衆の代表)の一人、神谷宗湛の養女で

名をお鶴という。

徳太夫は若い頃の宗湛(貞清)の面倒をよく見たものだが、

自分自身も年行司となり、ともに博多を代表する豪商となった。

武家にならぬかとの誘いを断り、

やがて京の大徳寺大仙院にて、津田道叱の紹介を得、

古渓宗陳の導きで、徳太夫は剃髪し出家する。

道叱の一字をもらい、宗叱に、そして宗室となる。

物語を最後に盛り上げるのが、秀吉との対面。

唐入りを目指す秀吉は、十八万人もの大軍を朝鮮国へ派遣すべく、

朝鮮の内情を知るために徳太夫を京の聚楽帝に呼び出す。

上段には秀吉、中段には家康、利家、景勝、秀家、輝元と、

豊臣家に連なる大名たちが居並ぶ。

下段の鳥井宗室は朝鮮の地理や内情を説明するが、

朝鮮経由で明国入りを目指す秀吉の意図に強く反論する。

居並ぶ武将たちは口を出さず黙ったまま、

秀吉はついに激昂、あわや刀に手をかけるという場面、

この物語も最高潮となる。

実子のいなかった宗室は養子を迎え、名を信吉という。

鳥井家十七か条の遺訓を残す。

元和元年(1615)824日、鳥井宗室は77歳の生涯を閉じた。


著者の三回忌に当たり、ご冥福を祈るばかりである。

合掌



by toshi-watanabe | 2017-03-22 09:13 | 読書ノート | Comments(0)

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葉室麟さんの最新作「風のかたみ」を読み終える。
たくましく生きる武家の女たちの姿が描かれる。

著者は「風」とつく小説を今までに数冊書かれている。

「風渡る」、「風の王国(風の軍師)」、「春風伝」、

「風花帖」、そして「風かおる」。

九州豊後の安見藩城下町で医者をしている桑山昌軒の

一人娘、伊都子(いとこ)は医学を学び、

父の元で医者見習いをしている。

大阪に出て、緒方洪庵の適塾に学びたいと、

願いを藩に出したが受け入れられずにいた。

ある日、伊都子が藩の目付役、椎野吉左衛門に呼び出される。

ある屋敷に赴き、住み込みで屋敷の女人を診てもらいたいとの

依頼で、屋敷には7人の女人が住んでいる。

役目を果たせば、適塾行きが認められるだろうとの話に、

23歳の伊都子は喜んで白鷺屋敷と呼ばれる屋敷へ赴く。

ひと月ほど前に、藩主の御一門衆の中でも最も力のある佐野了禅が

突然、上意討ちにあい、襲ってきた藩兵と屋敷内で死闘の末、

奥座敷で自刃した。

長男の小一郎は屋敷に火を放ち、次男の千右衛門とともに

燃え落ちようとする火の中に駆け込み、命を落とした。

了禅は、上意討ちを覚悟していたかのごとく、

数日前に了禅の妻、きぬ、小一郎の妻、芳江と孫娘の結、

千右衛門の妻、初、それに3人の女中、春、その、ゆり、

の女家族を夏の間使う塚原の屋敷「白鷺屋敷」に移していた。

高齢のきぬと、自刃しようとしたのか喉に傷の残る初の

手当てを特にするよう伊都子は吉左衛門から依頼される。

さらに、女人の中で身ごもっている者が居るかも知れぬので、

探ってもらいたいとも言われる。

高齢ながらリーダーシップを発揮するきぬ。

長男の嫁、芳江と次男の嫁、初との諍い、

子供ながらしっかりした結に3人の女中、

それぞれが思惑を持ち、白鷺屋敷の日々が続く。

ある晩、烏天狗の面をかぶった曲者が初の部屋に忍び入り、

何者かにより殺害される。

実は小一郎が屋敷消失の際、ある目的のために生き延びていた。

曲者を退治したのは小一郎。

伊都子の幼馴染で、適塾に通う戸川清吾が

吉左衛門の命により突然、白鷺屋敷にとどまるようになる。

清吾は、ある吉左衛門の密命を帯びて、毒薬を持参するのだが、

いつの間にか誰かに盗まれてしまい。

その毒薬でおのれが命を絶ってしまう。

家老の辻将監の命により、吉左衛門が二人の家士を伴い、

夜中皆が寝静まる頃を見計らって白鷺屋敷へ。

夜討ちをかける手筈だったが、きぬが一人起きており、

吉左衛門にお茶を進めるが、お茶の中には毒薬が。

毒味をしたきぬも自ら命を絶つ。

二人の家士も倒れる始末で、家老の将監が自ら屋敷を訪れ、

残った女人たちの処分を言い渡す。

処分前夜、白鷺屋敷に火をつけて、みな屋敷を去る。

小一郎は屋敷の焼け跡で自刃して果てる。

初は伊都子あてに手紙を残して自害する。

終わりの部分をそのまま紹介したい。

読み終えた伊都子は静かに初の手紙を畳んだ。

初はどれほど正直に手紙を書いたのだろうか。

真実の思いを手紙に託したのと同時に

語れないことも多々あったのではないだろうか。

小一郎の妻になりたいと悲痛に願った初も、

男の心を弄び、毒を盛ることもためらわなかった

初も同時にいたような気がする。

そう思うと、伊都子はせつない、苦しい思いに襲われた。

誰しもが自分の思い通りに、ありのままには生きられない。

ただ、もがき続けるだけなのだ。

伊都子は立ち上がると、中庭に面した障子を開けた。

中庭の上の空を見上げる。

どこまでも透き通った青空だ。

伊都子は初の亡骸が横たわった川辺を

白鷺が飛んでいたことを思い出した。

あの白鷺が初かも知れない。

たとえ苦しみに満ちていたとしても、

初はやはり自分らしく生きたのだ。

ゆっくりと彼方に飛び去る白鷺の幻影を伊都子は

いつまでも見続けていた。




by toshi-watanabe | 2017-03-17 09:22 | 読書ノート | Comments(0)

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武内涼さんの最新作書き下ろし「駒姫」を読む。
サブタイトルとして、「三条河原異聞」とある。

この作家の作品を手にするのは初めて。

秀吉が関白の地位を甥の秀次に譲り、

己は身を引いて太閤殿下となるのだが、

何かと口出しをし、甥の行動を監視し続ける。

しかも寵愛の側室、淀君(最近は淀殿というのが通常だが)に

男児が誕生、お拾と名付けて可愛くてしょうがない。

豊臣家をお拾(のちの秀頼)に継がせたい秀吉は、

秀次が邪魔になり、側近の石田三成や増田長盛を使って、

秀次を窮地に陥れ、紀州高野山に追いやる。

やがて秀次は高野山で自害して果てる。

後顧の憂いが無いように秀吉の命により、
秀次の正室、側室とその子供たちと侍女など

総勢39人の女子供が京都三条河原で処刑される。

無実の罪で処刑へ至る、涙を誘う物語である。

プロローグは、秀次が高野山で自刃する場面。

本文は、山形十九万石の太守、最上義光(もがみよしあき)の

息女、駒姫が出羽を出発、柏崎、直江津を通り、北国街道を南下、

琵琶湖を経て京の都へ向かう長途の旅から始まる。

前年、山形城を訪れた秀次に見初められた駒姫が

秀次の側室として輿入れするためである。

最上家の老家老、氏家尾張守が一行をまとめ、

鮭延主殿助(さけのべとものすけ)や

主殿助の許婚で御物師のおこちゃが付き従う。

父親の義光と人質として京に住む母親のとしよが

京の最上屋敷で駒姫を迎える。

駒姫は最上屋敷から秀次の宮殿、聚楽第に輿入れする。

豪華な嫁入り道具、そして駒姫の小紋など、手仕事に優れた

おこちゃが侍女扱いでともに聚楽第へ。

ところが、秀次はすでに高野山に居り、

東国一の美女と評判の15歳の駒姫、秀次のお目通りもなく、

聚楽第で無為の日々を過ごす。

秀次には正室が二人、一の台(母親が武田信玄の妹)と

若政所(池田恒興の娘)、そして十指に及ぶ側室たち。

一の台は駒姫の面倒をよく見てくれる。

駒姫が聚楽帝にあがって4日目、秀次が自刃した日なのだが、

聚楽第に詰問使がやって来て、侍女を減らすように指示。

そして翌日には、正室の一人、若政所と侍女は放免され

(父親の池田恒興は秀吉の命を救ったことがある)、

残りの39人の女子供(側室の幼子が5人)は丹波の

亀山城に転送され、屋敷牢の如く、二部屋に閉じ込められる。

一の台が、駒姫とおこちゃは秀次と未だ夫婦生活を

しておらず、側室とは言えない状況なので、放免するよう

依頼するのだが聞き入れられず。

このことを知らされて最上屋敷では大騒ぎ。

義光は何とか話をつけようと動き回るも、逆に蟄居を命じられる。

家臣の堀喜吽(ほりきうん)と鮭延主殿助は、

両替商の柿屋宗春の助けを借りて、いろいろと手を尽くす。

増田長盛にはけんもほろろにあしらわれ、秀吉の侍医をしている

施薬院全宗に頼み込むものの功をなさず。

次いで北政所に二人の救助を頼むものの、

秀吉の意思を曲げることならず。

更に徳川家康に頼み込むと、家康は秀吉の後、天下平定のために

最上の存在は価値ありという打算もあり、依頼を引き受ける。

秀吉との会談、一度目は失敗、そして斬首の当日、二度目の会談に、

丁々発止と交わされる二人の対話が物語を盛り上げる。

最後の切り札、淀君に忍びを使って接触、淀君が茶々の時代、

15歳の時に両親が自刃に果てたことなどを思い出させ、

淀君は駒姫たちの助命嘆願のため、秀吉の元に駆けつける。

その場には秀吉と家康がいる。

淀君の言葉に秀吉も二人の助命を認め、急きょ早馬を三条河原へ。

ところがわずかなところで間に合わず、

すでに39人すべてが処刑済みだった。

武内涼さん、どんな方か全く存じていないが、

この作品は素晴らしい出来栄えである。

小説なので、全てが事実とは限らないが、

実によく調べられている。

物語の筋立ても優れているし、登場人物が生き生きと描かれている。

秀吉と家康のやり取りは真に迫ってくる。

義光の妻、としよは直ぐ亡くなり、最愛の妻と娘に先立たれた

義光だが、駒姫の遺言を守り、藩のために力を尽くす。

関ケ原の合戦では東軍につき、その働きを認めた家康は加増し、

最上家は五十二万石(五十七万戸という説も)の大大名となる。





by toshi-watanabe | 2017-03-14 10:08 | 読書ノート | Comments(0)