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「日本人の肖像」を読み終える。
本書は201415日から2015123日まで、

24回にわたって毎日新聞(西部版)に連載された

「ニッポンの肖像 葉室麟のロマン史談」をまとめたもの。

毎日新聞の西部版は九州一円と山口県、沖縄県をカバーしている。

第一部は、毎日新聞西部本社学芸部の矢部明洋記者が
聞き役となって、古代から近代までの歴史人物たちを語った史談集。

ところが、201411月、聞き手の矢部記者が脳梗塞と脳出血で倒れる。

第二部は、各分野の専門家を招いて、大阪の陣から、

天皇、憲法までをテーマにした対談集である。

葉室麟ファンの一人として、葉室さんがどのような思い入れを以て

歴史上の人物と向かいあい、作品を書かれているのか、

そして葉室さんの歴史観を知るうえで大いに参考となった。

第一部の最初に取り上げられているのが黒田官兵衛(如水)。

葉室さんが高校時代、足の関節炎で一年休学した折に読んだのが、

吉川英治の「黒田如水」、戦時中の昭和18年に執筆されている作品。

軍師として活躍する人物ではなく、
幽閉のエピソードに焦点を当て、

裏切らない誠実な人間像を描いている。

戦時中の悲惨な状況を目にしながらの執筆である。

それに対して、戦後の司馬遼太郎が執筆した「播磨灘物語」
には早い段階でキリスト教が登場し、
宗教にひかれる官兵衛像が印象的。

スペインやポルトガルが世界へ乗り出し、鉄砲伝来により、

信長の天下統一という、激動の時代に適応できた人間として

官兵衛を位置づけている。

葉室さんは、司馬さんの資料を参考にキリシタンを切り口として

「風渡る」、「風の軍師」を書き上げて官兵衛像に迫っている。

次いで登場の宮本武蔵と言えば、吉川英治の「宮本武蔵」。

懸命な努力で成長する近代日本の青年の理想像を武蔵に重ねる。

この名著は戦後も読まれ続け、現在、吉川版を原作に、

井上雄彦さんの漫画「バガボンド」が雑誌連載中。

対照的な武蔵像を描いているのが、

山本周五郎「よじょう」と司馬遼太郎「真説宮本武蔵」。

吉川「武蔵」は精神性を重んじたが、

司馬「武蔵」はスピード、技術・能力の優劣で勝つ合理性を描き、

ある種のニヒリズムを内包する。

そのあと、坂本龍馬、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、

女帝(県犬養橘三千代)、新選組、西郷隆盛、源平争乱、

北条政子、天皇ご近代、真田幸村(信繁)、千利休、

と続き、忠臣蔵で第一部を締めくくる。

第二部は、大阪の陣四百年、朝鮮出兵の時代、

対外交流から見た中世、国家と宗教、柳川藩・立花家、

そして日本人と憲法と続く。

大坂の陣四百年の章は、九州大学の福田千鶴教授との対談。

関ヶ原の戦いから大坂夏の陣まで15年間の位置づけの話から始まる。

慶長16年に京都二条城で家康と秀頼が対面する、

いわゆる「二条城会見」を福田さんは注目する。

秀頼が軟弱な人間ではなく、立派な成人に育ったのを

家康は目にして驚愕する。

家康との贈答儀礼、書状のやりとりなどからも、

秀頼がもはや一筋縄ではいかない人間であり、

無視できない存在であることを家康は実感する。

秀頼が戦いの準備を始めるであろうし、
二代将軍秀忠に任せられない。

己の目の黒いうちにと3年後に大阪の陣が起こる。

大坂夏の陣で、秀頼側に勝ち目はあったはずだという。

一番の問題点は、参謀がいなかったこと。

黒田官兵衛がもう少し生き延びていて
秀頼陣の参謀になっていたら、

異なる結果になっていたかもしれない。

もう一つは、秀吉の正室、北政所が大阪城に入っていれば、

豊臣家恩顧の武将たちが秀頼側に参集し、
別の結果になっていたかもしれない。

いずれももしもの話である。

日本人と憲法の章は、九州大学の南野森教授との対談。

現在の日本国憲法は第1章(1条から8条)で
取り上げられているのは天皇、

29条が戦争の放棄、
3章(10条以降)が国民の権利及び義務という構成となっている。

戦後の憲法の成り立ちを考えると、
憲法のメインにあるのは天皇制。

9条は敗戦の状況の中で第1~8条を守るために
差し出された証文みたいなもの。

天皇制が存続できるなら、
我々(日本)は武器を持たないという趣旨。

9条だけが現実的な議論の対象になっているのはおかしいと言われる。

憲法改定議論が現実味を帯びている現状だが、

天皇制を含めて考える必要があるというのは理解できる。

すでに70年間保持してきた憲法、

改定すべき時期には来ていないように感じる。

まずは日本の国の形がどうあるべきかを議論するのが
第一なのかもしれない。





by toshi-watanabe | 2017-03-04 09:32 | 読書ノート | Comments(0)

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門井慶喜さんの著書「シュンスケ!」を読む。

時代小説なのに、「シュンスケ」とカタカナなのが面白い。

「シュンスケ」とは、明治維新後に新政府が発足し、

初代総理大臣となり、あわせて4回首相を務めた

伊藤博文の若き時代の名前、俊輔のことである。

昨年クルージングに出かける前に、この著書終盤辺りまで

読んでいたのだが、今回改めて最初から読み直す。

序では、伊藤博文がハルピン行きを前に明治天皇の元へ挨拶に出かけ、

数日後赤坂霊南坂の官邸で、山形有朋と言葉を交わす場面が、

この小説のプロローグとして書かれている。

幼名は利助、松下村塾で学び始めてから、俊英の俊をとって

俊輔と名乗り、明治維新後、博文となる。

周防国束荷村(つかりむら)の百姓の子として生まれる。

父は十蔵、母はこと。

萩に出て中間の永井武兵衛のところで下働きをしていた

十蔵は武兵衛に認められ、実子がいない武兵衛の養子となる。

同時にことと利助も一家そろって永井家の養子になる。

その後武兵衛が足軽伊藤弥右衛門の養子となって伊藤直右衛門と

改名したため、十蔵・利助親子も伊藤家の養子となる。

萩で生活を始めた利助は塾に通い始める。

塾の仲間に吉田栄太郎、のちの吉田稔麿。

やがて藩校明倫館の来原良蔵に目をかけられ、

利助の良き理解者、支援者となってくれる。

良蔵の紹介で吉田松陰の松下村塾に通うようになる。

利助は俊輔と改名し、優秀な仲間たちと交わる。

しかし俊輔はあくまでも百姓の子、足軽の身分になったとはいえ、

武士の家柄とは差別され、表立った行動もとれずに暮らす。

本人の天性と努力により、次第に自分なりの信念を持ち

世の中のあるべき姿を描くようになる。

運良く、長州藩が派遣する英国留学の5人に加わる。

俊輔23歳の時である。

他の4人は、志道(じじ)聞多のちの井上馨、29歳、

遠藤謹助、28歳、山尾庸三、27歳、野村弥吉、21歳。

香港に立ち寄り、英国植民地としてすっかり西洋化した

建築物や暮らしに驚き、船を乗り換えて、4カ月かけて英国へ。

聞多と俊輔は半年後に急遽帰国する。

短期間とは言え、英国留学は俊輔にとっては貴重な体験で

血となり肉となる。

人格形成の一助となったのは間違いない。

因みに、遠藤、山尾、野村はさらに英国留学を続けて帰国、

明治維新政府で重要な役割を果たす。

幕末、長州藩を攘夷に一本化し、倒幕へと行動を起こし活躍した

高杉晋作(俊輔の2歳年上)やリーダーとして藩をまとめる役目の、

桂小五郎が表舞台に登場するが、

じつは陰で推進したのは俊輔で、俊輔の考えるところが

実現されて行くのだと、著者は書かれているようだ。

太政奉還と共に幕府体制が崩壊、新たな時代を迎える。

古い体制下では、表舞台に出られなかった人材が

明治維新とともに、一挙に表舞台に登場する。

その最たる人物こそ伊藤俊輔、改め博文なのだろう。

この小説の大半は、高杉晋作の陰に隠れてあまり語られることのない

伊藤俊輔の物語である。

松陰処刑後、その遺体を引き取りに俊輔は刑場に出かける。

御殿山の英国公使館焼き討ちに参加する。

師と仰ぐ来原良蔵が自刃する。

様々な事件に遭遇するが、己を失うことのない俊輔。

こんな文章を著者は書かれている。

俊輔曰く、吉田松陰の如く破滅的な言動へ向かうのでなく、

来原良蔵のように命じられてもいない自刃をするのでもなく、

自分自身の身の処し方「死ぬまで生きる」

生きてこの世に役立つ。

西洋先進国の優れたところを理解し、日本の新しい国づくりを

しっかりと抱いていた人物だったのだろう。

著書のエピローグは、明治42年(1989)10月、

ハルピン駅頭に降り立った伊藤博文が朝鮮人、安重根の発した

三発の銃弾を受けて倒れる場面で終わる。

巻末に解説を書かれているのは、萩博物館特別学芸員の

一坂太郎さん。

全編を貫く俊輔のしたたかさ、柔軟さが、大きな魅力だと書かれている。

「博文」は、高杉晋作が論語の一節、

「博く文を学びて、これを約するに礼を以てせば、

亦以て畔(そむ)かざるべきか」から引用して名付けたと。

そして、大河ドラマに伊藤俊輔を主人公に取り上げても

いいのではと締めくくられている。




by toshi-watanabe | 2017-02-25 10:26 | 読書ノート | Comments(0)

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朝井まかての著書「落陽」を読み終える。

時は明治の終わり、20代の後半、瀬尾亮一は、

大学中退後「萬朝報」の記者として暫く働いた後、

零細新聞社の「東都タイムス」で記者をしている。

大新聞とはとても競争できるはずもなく、

専ら通俗的な裏話を聞き出して、新聞に載せている。

東都タイムスの社主兼主筆の武藤笙月もかっては大新聞の記者。

記者は武藤を含めて4名、瀬尾の他には田中と

ただ一人の女性記者、伊東響子。

瀬尾は探索と呼ばれるごろつきの市蔵から情報を得ている。

明治45730日早朝、大新聞各社は号外で「天皇崩御」を告げた。

新天皇は詔書により、新しい元号を「大正」であると宣下。

陸墓は京都の伏見桃山陵とすでに決まっていたため、

東京に、せめて御霊を祀る神社を造営し奉りたいと、

東京市長、商業会議所会頭それに渋沢栄一など有志が運動を起こす。

さらには神社には社殿よりも何よりも、まず鬱蒼と茂る樹林が必要となる。

林学者で帝大農科大学の講師である本郷高徳の見解では、

針葉樹は水が流れる土地を好むのだが、

武蔵野台地は水の得にくい、乾燥気味の土地。

どちらかといえば、常緑広葉樹林帯(椎や樫など)に属している。

東京では日光や伊勢神宮のようには行かない。

しかし色々と経緯を経て、結局代々木の御料地に明治神宮造営の建設が

決定し、本郷講師が指揮を執って樹林計画に入る。

伊東響子はこの件に大いに関心を抱き、取材を続けるべく、

瀬尾を巻き込み、武藤の了解を迫る。

本郷の下働きをしているのが、東京帝大農学部の大学院生、

上野敬二、何かと雑用の多い上野を伊東は手助けする。

それにより情報も早く入手できる。

まともな記事も掲載するようになり、読者も増えて順調かと

思われた東都タイムスだが、武藤の杜撰な経営のため

手形が不渡りとなり新聞社は倒産、武藤は夜逃げしてしまう。

大正4年(1915)430日、貴族院本会議に於いて

明治神宮造営局の官制及び予算が可決。

51日、内務省が造営局官制を公布。

150年先の樹林完成を目指して(データによっては100年先とも)、

本多静六博士が参与、本郷高徳講師が技師、そして

上野敬二が大学院を退学、現場主任を命じられる。

この小説の大半は、明治神宮造営、特に樹林に関する

苦労話に費やされている。

(本郷高徳、上野敬二、お二人とも後に大学で教鞭をとり、

林業の大家として広く知られるようになる)

バラバラになった東都タイムスの記者たちは、

それぞれ新しい道を見つけて歩み始めるが、

一人瀬尾だけは、これといった職につかず、ある課題に取り組んでいる。

それは人間明治天皇がどう生きたかを知りたい。

伝手を頼って、元女官を務めた老女を京都に訪ね、話を聞く。

(女官といっても、明治天皇に仕えたのではなく、昭憲皇太后に仕えた)。

全国から寄せられた献木10万本以上、

植林作業が進む中、本郷に頼んで、

瀬尾は田中、伊東と共に一本の木を植樹する。

その折に、瀬尾は己がまとめた記録文を本郷に読んでほしいと頼む。

神宮造営へと動いた人々についての記録文だが、

幕末から明治という時代を生き抜いた、ある人についても

考察しました、と付け加える。

(ある人とは明治天皇)

本郷の承諾の返事を受けて歩き出すと、

彼方の空が色を変え、頭上にはまだ透明な青が残り、

雲が白を刷くように流れていく。

やがて太陽は輪郭をくっきりと現し、四方に光を放ち始めた。

雲も木々の葉も金色に輝く。

落陽だ。

沈みながら、天地を照らす。

赤々と、大きな陽が落ちた。

(終わりの部分、ほぼ原文のまま)



by toshi-watanabe | 2017-02-17 14:34 | 読書ノート | Comments(0)

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葉室麟さんの最新作を読み終える。
著者にとって
50作目の記念作品となる。

武人の魂を持ち続けた絵師、海北友松(かいほくゆうしょう)を

主人公に描いた小説「墨龍賦(ぼくりゅうふ)」である。

海北友松は安土桃山時代から江戸時代初期まで絵師として、

名声を博したが、同時代には狩野永徳や長谷川等伯がいる。

等伯は6歳年下、永徳は10歳年下、

3人の絵師は後世に残る多くの最高傑作を残している。

著者は、「デビュー前から、海北友松という男を書きたかった。

もう一つの修羅を生きた男である。

自分らしさはどこにあるかを模索し続け、

晩年に答えを見出した。

そんな友松に、わが身を重ねていたのだ。」

と述べられている。

小説は、京都で細々と絵屋を営んで暮らしていた

絵師の小谷忠左衛門を春日局が江戸に呼び寄せ、

屋敷を与え、将軍家の絵師として働くように伝える

所から始まる。

春日局は忠左衛門に、そなたは海北友松の息子かと訊ねる。

彼が、さようですと答えると、春日局は、友松殿には

昔、たいそう世話になった、この度のことはその恩返しだと。

父親のことを全く知らぬ忠左衛門に、

春日局は友松のことを教えてあげようと語り始める。

忠左衛門はこの後、海北友雪と名乗り、御用絵師となる。

因みに海北家は明治に至るまで海北派絵師の家として続く。

友松は浅井長政の家臣、海北綱親の三男

(五男という説も)として生まれる。

父の死から10年経って、友松は13歳になると、

京都の東福寺の喝食(かつじき)となる。

寺に入ったものの、槍、薙刀の修行に励む。

時折り寺を訪れる幕府御用絵師の狩野水仙(元信)から絵を学ぶ。

狩野元信は、狩野派の祖、正信を継いだ狩野派2代目、

当時、天下一の評判を得ていた絵師であるとともに、

幕府御用絵師としての地位を確立した。

狩野永徳は元信の孫にあたり、永徳を名乗る前は源四郎。

その後、源四郎と友松は何かと接触があり、

お互いの才を認めつつも折り合いの付かない場面もある。

同じ東福寺に入門してくるのが、

恵瓊(えけい)といい友松より6歳年下、竺雲恵心の弟子となる。

抜け目のない男で大きな野望を抱いている。

後に毛利家の最高顧問のような役割を果たす安国寺恵瓊である。

もう一人寺に入ってくるのは尼子勝久。

尼子家再興を目指すが、うまく行かず、若くして生涯を閉じる。

その一方で、友松は1歳年下の斎藤内蔵助利三と知り合う。

その縁で、明智十兵衛光秀とも知己を得る。

光秀はかって斎藤道三に仕えていた。

永徳に誘われ、友松は狩野の屋敷に住んで仕事を始める。

道三が信長に与えたと言われる「美濃譲り状」は

存在しないことを、友松は突き止め、

光秀ではなく、その証拠を帰蝶(道三の娘で信長の正室)に渡す。

光秀、利三率いる一隊が「敵は本能寺にあり」と謀叛を起こす。

信長の死後、狩野の屋敷を出て、しばらくの間諸国を旅する。

その後も恵瓊とは何かと接触が続き、

のちに恵瓊が京都の建仁寺再建に当たって、

障壁画を友松に頼み、友松は依頼に応じて、

方丈の「竹林七賢図」や「山水図」

更には下間二の間に「雲龍図」を描く。

そのまま建仁寺に居つく。

友松64歳の高齢になって、妻を娶る。

名を清月といい、20代の若さである。

仲睦まじくくらし2年後に長男が生まれる。

(この長男が、春日局から目をかけてもらう忠左衛門である。

父のことを全く知らなかったというのも

66歳の時の子供であれば、それも頷ける。

この小説には出ていないが、一説には養子だという説も)

春日局の話の締めくくりには、宮本武蔵が登場する。

友松のところに突然浪人が現れ、絵を習いたいと。

熱心に絵の修行を積み、一羽の鵙が枯れ枝に止まっている絵を仕上げ、

友松のもとを去って行く。

武蔵の名作「枯木鳴鵙図」である。

大阪夏の陣へ向かうという。

時代は移り、江戸時代、利三の娘、福が徳川三代将軍家光の乳母となり、

のちに春日局となる。

大坂夏の陣が終わった、その年、海北友松は息を引き取る。

享年83歳だった。

海北友松という人物像を見事に描き切っている。

上記写真は、本書のカバーで、京都の建仁寺にある
海北友松筆「雲龍図」からのものである。




by toshi-watanabe | 2017-02-08 11:06 | 読書ノート | Comments(0)

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安部龍太郎の最新作「家康」第一巻(自立篇)を読み終える。

徳川家康は1616年に亡くなっており、

家康没後400年記念として刊行される。

第一巻の内容は6章からなっている。

1章: 桶狭間

2章: 清洲同盟

3章: 信康の婚礼

4章: 宿敵武田

5章: 天下の争乱

6章: 三方ヶ原

本書は桶狭間から三方ヶ原までの時代をカバーしている。

今川家に人質のような暮らしを強いられて12年、

松平元康は19歳、織田信長との合戦が始まり、

今川義元軍の先陣として、桶狭間の戦いに初陣を果たす。

今川義元は討たれ、元康は信長との同盟を決意する。

清洲同盟である。

永禄6年(1563)、信長は長女の徳姫と元康の長男、竹千代(信康)

との縁組を元康に求める。

その年、今川義元が付けた諱(いみな)の元康を改めて、家康を名乗る。

3年後の永禄9年(1566)には、徳川姓を名乗る。

徳川家康の誕生である。

その後三河、遠江と家康は版図を広げて行くものの、

強大な軍力を有する武田信玄が立ちはだかる。

信玄との壮絶な戦いが続く。

天下統一を狙う信長も、朝倉義景・浅井長政と対立し、

豪族や本願寺そして比叡山とも敵対し、

家康の応援もままならない状況にある。

家康は信長の命を受けて派遣された、わずかな援軍とともに、

武田信玄と戦うのだが、信玄の圧倒的な戦力と策略に

敢え無く敗れ、千人余りの兵士を失う。

三方ヶ原の戦いである。

安部龍太郎さんは、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて、

活躍した絵師の生涯を描いた「等伯」で直木賞を受賞されている。

数多く手掛けて来られた戦国時代小説の

仕上げと位置付けて、徳川家康を取り上げることを決意される。

安部さんはこのように語られている。

「徳川家康は戦国という乱世を終わらせ、250年以上に及ぶ

 平和を実現させた。

 その偉業はなぜ達成できたのか、平和を維持する仕掛けとは

 何だったのか、さらに家康の思いの本質とはどういうものか、

 といった点に興味を抱きました。」

物語の始まりは今川義元が織田信長に打たれた桶狭間の戦い。

「名門・今川家の人質だった家康は古い価値観の中で育ったが、

 信長との出会いで新しい感覚を持った。

 桶狭間が家康にとって戦国時代の始まりだった。」

家康の祖母の源応院(尼)、母の於大といった女性たちも存在感がある。

「儒教が広まった江戸時代の女性は良妻賢母タイプが求められたが、

 戦国時代はアグレッシブで、近年の研究では戦国武将の金庫番を

 務めていたとの説もある。

 能力を生かし、独自の人脈を築いていたともいわれ、

 むしろ現代の女性に近いのではないか。」

日本の戦国時代は世界の大航海時代。

「貿易と外交は大きなテーマで、当然目配りしなくてはいけない。」

「信長・秀吉は重商主義・中央集権を志向したのに対し、

 家康は農本主義・地方分権へと向かった。」

今後7年以上かけ全5巻の予定とのこと。

「家康は我々と同じような悩みを抱えながら、

 志を強く持ち課題を一歩ずつ乗り越えた。」

「そうした偉大なる凡人と評する武将とじっくり付き合う。」

大作のこれからが楽しみである。


by toshi-watanabe | 2017-01-31 14:22 | 読書ノート | Comments(0)

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葉室麟さんの作品「孤篷(こほう)のひと」を読み終える。
丁度留守中の昨年9月に出版されている。
この作品の主人公は、大名、茶人、作庭、建築、
そして書家として名を遺した小堀遠州である。

孤篷庵(こほうあん)は、京都市北区紫野にある臨済宗の寺院、
臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭である。
他の塔頭群とは離れた、大徳寺境域の西端に位置する。
庵号の「孤篷」は「一艘の苫舟」の意で、
小堀政一(遠州)が師事した春屋宗園から授かった号である、
遠州の遺骸は孤篷庵に葬られた。
因みに遠州出身地の近江長浜にも「近江孤篷庵」がある。

読み終えた感想を先に書けば、非常にすぐれた作品だと思うし、
とにかく面白く、途中で止められず先を読みたくなるほどだ。

有縁の人々との巡り合いを通じて、遠州の人柄が見事に描かれている。
書籍の帯に、「さわやかであたたかな遠州の心が胸を打つ、歴史小説」
と書かれているが、まさにその通りだろう。

遠州は天正7年(1579)、近江国坂田郡小堀村に生まれた。
父は小堀新介正次で秀長の家臣、母は磯野丹波守貞正の娘。
名は政一、幼名を作介という。
秀長が大名として大和郡山に移封されたのに伴い、
小堀一家も郡山に移り住むことに。
政一は小姓として秀長に仕える。

慶長2年、政一19歳の折、藤堂高虎に気に入られ、
高虎の養女、栄(13歳)と夫婦となる。
後に政一は作事奉行を務め、建築と造園に才能を発揮する。
また父親の手ほどきを受けて茶の湯を学んでいたが、
古田織部の指導を受けて、めきめきと茶道の腕を上げる。
織部亡き後、大名茶の総帥として、多くの大名茶人を指導する。

慶長13年、従五位下遠江守に叙せられ、遠州と呼ばれることになる。

第1章の「白炭」では、政一が初めて利休と顔を合わせる場面が
登場するが、二人が会うことはその後二度となかった。
それは政一が豊臣秀長に仕えていた時のことで、
秀長が茶の湯の接待をすることになり、茶の湯を指導するために、
利休が秀長の屋敷にやって来たのだが、その場に控えていたのが
小姓の政一。
利休は政一のことがふと気になり、政一に言葉をかける。
石田三成のこと、山上宗二のこと、黒茶碗のことなどに
話は及び、のちに政一は織部を通して、利休の孫弟子になるのだが、
茶の湯の根本的な考えにおいて、利休とは異なるものを
すでにその場で政一は感じ取る。

第2章の「肩衝」では、三成と禅僧の沢庵が登場する。
茶道具名器の「万代屋肩衝」を三成が手放す下りは面白い。
三成の遺骸を三玄院に葬ったのは沢庵だという。

第3章「投頭巾」、続いて「此世」、「雨雲」、「夢」、「泪」、
「埋火」、「桜ちるの文」、第10章の「忘筌」で締めくくる。

利休が切腹を命じられ堺に向かう時、古田織部と細川三斎(忠興)の
二人だけが見送った。
いずれも利休七哲と言われた利休の高弟である。
因みに利休七哲の他の5人とは、
蒲生氏郷、高山右近、芝山宗綱、瀬田掃部と牧村利貞。
利休は茶杓を削って、見送ってくれた二人に渡した。
三斎に渡したのが「ゆがみ」、織部に渡したのが「泪」という
銘で、第7章の主題となっている。
古田織部が自刃した後、古田屋敷を接収したのが遠州の義父、
藤堂高虎だが、「泪」銘の茶杓が見つからず、
遠州にその茶杓を見つけてくれるように依頼する。
実は自刃する前に織部は娘の琴にその茶杓を手渡していた。
琴は織部の娘であるということで、
京都所司代の牢屋敷に閉じ込められている。
琴が病で倒れたのを機に、遠州は「泪」の茶杓を手に入れる。
高虎は琴の面倒を見、琴は病からすっかり快復する。
琴は高虎の屋敷を出る前に、遠州の茶の点前を見たいという。
遠州は茶を点てた高麗茶碗を琴の膝前に置く。
琴は茶碗を落ち着いた所作で手にして、茶を喫すると、
茶碗を膝前にゆっくりと戻してから、おもむろに口を開く。

「わたくしの父は常日頃ひとを喜ばせようと茶を点てていた気がします。
 ひとが喜ぶ姿を見て自らも嬉しくなる。
 それが父の茶ではなかったかと思います。
 小堀様はいかようなお心で茶を点てておられましょうか。」
遠州は少し考えてから、
「さほど、確たる思いがあるわけではございませんが、
 強いて申せば、相手に生きてほしいとの思いは
 込めているように思います。」
「生きてほしい、とはどのようなことでしょうか。」
琴は問い詰めるように聞く。
「さて、ひとがこの世にて何をなすべきかと問われれば、
 まず、生きることだとお答えいたします。
 茶を点てた相手に、生きておのれのなすべきことを
 全うしてもらいたいと願い、それがかなうのであれば、
 わたしも生きてあることを喜ぶことができる。
 さような思いでおります。」
遠州は考えながら答えた。
琴はそんな遠州をじっと見つめる。
このあとも二人の会話が続くが、この小説の一つの
クライマックスだと思う。

お薦めの一冊である。


by toshi-watanabe | 2017-01-16 08:47 | 読書ノート | Comments(0)

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久し振りに葉室作品を読む。

「小説推理」に連載されたいた作品で、単行本としてつい最近

双葉社から刊行された時代小説、「あおなり道場始末」である。

豊後の国、坪内藩四万八千石(実在しない、架空の藩)の

城下町にある剣術の青鳴道場が舞台である。

神妙活殺流を編み出した先代。青鳴一兵の死から

間もなく1周忌を迎える。

道場を継いだのは長男、権平、まだ二十歳と若く、

武術に優れた容貌には程遠く、

いわゆる昼行燈のような性格の持ち主。

剣術道場主としては頼りなく、門人から見捨てられ、

門弟は全くいなくなってしまった。

権平には妹の千草(17歳)と弟の勘六(12歳)がいる。

母親は早くに亡くなっており、権平が親代わりの役割なのだが、

千草は武術に優れ、鬼姫と呼ばれていた。

勘六は幼いころから利発で、師の矢野観山をして

あたかも菅原道真公の再来ではと褒め称えられるほど。

「天神小僧」と陰口をされることも。

三人兄弟、道場にだれも来なくなり、

生活の糧に困り果て、道場破りを思いつく。

この城下町には、青鳴道場の他に新当流、無念流、

雲弘流、心影流、それに柳生流の五つの流派の武術道場があった。

父親が生前伝授してくれた神妙活殺流を武器に、

権平は弟妹を伴い、他の道場へ乗り込み他流試合を申し込む。

見事権平は道場破りを成功させ看板代をせしめる。

その一方で、青鳴一兵は何らかの理由で、

他の道場主に殺害されたことに間違いないと権平は確信。

そんな折、突然勘六が何者かに拉致される。

実は、十三年前、すでに亡くなった側室、お初の方が

産んだのが竹丸で、正室お与江との間で争いがあったため、

その竹丸は行方知らずとなっていた。

ところが藩主の跡継ぎとして竹丸を担ぎ上げるために、

その行方を捜す一派と、それに反対する一派との争いに巻き込まれることに。

どうやら勘六が竹丸らしいと判明し、

物語は思わぬ方向に進展する。

物語はいろいろと進展するのだが、

最終的には、権平は亡き父親の仇を取り、汚名を雪ぐ。

兄弟3人で新しい生活を求めて江戸に行く下りで

この物語は幕を閉じる。

江戸で開く道場の名前は「あおなり道場」にしようと話し合う。

いかにも葉室流の筆致で、筋書きが実に面白い。

読み手を飽きさせず一挙に読み終えさせてしまう。

楽しく読める時代小説である。



by toshi-watanabe | 2016-12-29 11:55 | 読書ノート | Comments(0)

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内田康夫さんの「日光殺人事件」を読み終える。
もちろん浅見光彦探偵シリーズの一冊です。
この作品は、1988年2月にカッパ・ノベルス(光文社)として
書き下ろし刊行され、1990年11月に光文社文庫に収録されている。
本年7月に、光文社文庫新装版として出されたものです。

徳川家康、秀忠、家光三代に仕え、重い役目を果たし、
長寿を全うしたのが天海僧正である。
「天海僧正は明智光秀だ」と言う説もあるのだが、
確とした証拠も裏付けもない。
「これを証明せよ」と難題を「旅と歴史」の編集長から
浅見光彦は強引に突きつけられる。
さらに編集長の話では、明智の末裔かもしれない一族が、
日光の辺りに住んでいるという。
競走馬の育成で有名な智秋牧場という大きな牧場があり、
「智秋」をひっくり返すと、「秋智」、アキチ→アケチ。。。。
余りにこじつけではあるが。

かくして光彦探偵は愛車ソアラを駆って日光へ向かう。
到着早々、名高い日光華厳の滝で遭遇したのが、飛び込み自殺。

明治36年5月、第一高等学校生徒、藤村操が
「巌投之感」という辞世の詩を大木の幹に書いて、
華厳の滝に身を投げた、当時18歳の若さだった。
それ以来、華厳の滝は熱海の錦ヶ浦、三原山と共に自殺の名所となった。

さて遺体の回収作業中に、別の白骨死体が発見される。
死後2年ばかり経っているとみられ、
取材旅行どころか、白骨死体が自殺か他殺かに、
光彦探偵の関心は向くことになる。

白骨死体の身元は、膨大な資産を有する智秋グループの一族の
ひとりと判明する。
2年前に行方不明となっていた智秋次郎で、
当時彼の乗用車は山形の鶴岡方面に放置されたままだった。
智秋家では、一族の中興の祖である智秋友康が病床にあり、
友康のあとを継ぐのに様々な思惑が渦巻いている。
友康の長男友忠の娘、朝子が登場する。
次郎は友康の次男で、朝子にとっては叔父にあたる。
朝子はこの小説のヒロインで、乗馬姿が絵に描いたように美しく、
ユキという名の白馬に跨って、牧場を疾駆する。

行方知れずだった次郎の白骨死体が引き上げられ、
智秋家では葬儀が営まれる。
次郎は短歌を趣味としていて、かっての短歌仲間が葬儀に参列。
葬儀からしばらくして、短歌仲間の一人が西伊豆で
死体となって発見される。
殺人事件で、日光の事件と関係あるのかどうか、
光彦探偵は西伊豆に向かう。

何と西伊豆の土肥町が登場する。
短歌仲間の山田俊治の死体が発見されたのは、
修善寺町から土肥町へ抜ける、国道136号線の
土肥峠付近の山林。
土肥町(現在は伊豆市だが、以前は田方郡土肥だった)は、
私の両親の故郷で、戦時中私自身2年ばかり疎開していた所だ。
土肥は、天正5年(1577)に金山が発見されて以来、
質、量ともに日本一の金の採掘場であった時代も。
慶長小判に土肥金山の金が使われたという。
金を採掘する過程で、掘り当てられたのが温泉で、
現在は温泉と海の幸で知られる観光地となっている。

智秋牧場に絡む殺人事件は思わぬ展開となるものの、
光彦探偵の第六感と見事な推理により糸口が見つかり、
難事件も解決へ向かう。

事件に関係なく、日光東照宮や輪王寺を
ゆっくりと巡りたいものである。
また西伊豆の土肥へも久し振りに出かけてみたい。



by toshi-watanabe | 2016-08-13 10:24 | 読書ノート | Comments(0)

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(表紙の挿画は中川学さん)



葉室麟さんの最新作「津軽双花」を読み終える。
書籍表紙の帯には、
「この戦い、女人の関ヶ原にございます」とある。
日本を東西に二分した戦い、「関ケ原の合戦」から十三年、
石田三成の娘、辰姫(たつひめ)と徳川家康の姪、満天姫(まてひめ)が
津軽家に嫁し、再びの因縁に相見えることになる。

津軽家を継いだ藩主信枚(のぶひら)の正室として迎えられたのが、
石田三成の三女、辰姫である。
三成一族はみな斬首の憂き目になったはずだが、辰姫は生き延び、
高台院(秀吉の正室、寧々、北政所)の養女となり、
津軽家に嫁いだ。
辰姫の兄の重成(三成の次男)も縁あって、津軽家に出仕、
名前もかえて杉山源吾を名乗っている。

平穏な生活が送れるはずだったのだが、
天海僧正の思惑もあり、家康の異父弟、松平康元の娘、
満天姫(まてひめ)が家康の養女となって、津軽信枚に嫁ぐことになる。
正室が二人というおかしな事態に。
満天姫はその前に、福島正則の養嗣子、正之に嫁し、
嫡男直秀を産んでいるのだが、正則に実子が生まれたため、
世の常とはいえ、正之は廃嫡の身となり、若くして命を絶つ。
満天姫は直秀を連れて実家に帰されていた。
満天姫は幼い息子の直秀を伴い、津軽家に嫁ぐことに。

津軽家に嫁ぐ前、天海は満天姫を伴い、大舘陣屋を訪れる。
このころ、辰姫は上野国大館にいた。
関ケ原の功により、大館二千石を与えられた津軽家では
ここに陣屋を置いていた。
辰姫は陣屋に居室を与えられて、日々を過ごしていた。
津軽信枚は津軽と江戸を往復する間に大館に立ち寄る。
満天姫が、江戸からはるばるやってきたのは、
輿入れの前に辰姫を追い出しておこうという天海の思惑もあった。
客人を大広間に案内する辰姫、案内される満天姫の
茶室での初対面の場面が、実に見事に生々しく描かれている。
この小説一番の読みどころ。
辰姫は一子平蔵を授かるものの、
病に倒れ、33歳の若さで命を全うする。
死の間際に、満天姫が辰姫を見舞いに訪れる。
津軽家の家督は必ず、平蔵に継がせると約束する。
満天姫には実子の直秀の他に、信枚の津軽の側室が
産んだ男子、万吉を手元に引き取り育てていた。
(満天姫の実子だという説もある。)

二人の姫を中心に繰り広げられる、
葉室流の感動を読者に与える一編である。

この本には、書名となっている「津軽双花」のほかに、
三つの短編作品が載っている。
いずれもすでに発表済みの作品。

「鳳凰記」は「決戦! 大阪城」、
「孤独なり」は「決戦! 関ケ原」、
「鷹、翔ける」は「決戦! 本能寺」に
それぞれ載っている。
「鳳凰記」は、茶々と秀頼が家康から上洛を求められる
経緯を中心に物語が語られている。
帝が聚楽第への行幸の折り、茶々をお目にとめられ、
鳳凰のごとき女人だと思われたそうだとの話が出てくる
「孤独なり」は、関ケ原で敗れた石田三成の物語。
西軍が負けるように仕掛けたのは三成だという、
興味深い筋書き。
「鷹、翔ける」は、明智光秀を支えて最も力を発揮した
家臣、斎藤内蔵助利三(としみつ)の話。






by toshi-watanabe | 2016-08-09 10:50 | 読書ノート | Comments(0)

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梶よう子さんの作品を初めて読む。
最近、角川書店から出版されたばかりの「葵の月」である。

第10代将軍家治の長男、徳川家基は幼くして文武に優れ、
いずれは家治の跡を継ぐと目されていた。
ところが安永8年(1779)鷹狩りに出かけた帰りに立ち寄った
品川の東海寺(この作品では海晏寺)で突然、体の不調を訴え
3日後に亡くなった。
毒殺説が語り継がれているが、享年18歳(満16歳)の若さだった。
「幻の第11代将軍」と呼ばれる。
当時江戸幕府を牛耳っていたのは、老中田沼意次。
若き家基は意次の政策に批判的であったと言われる。

家基の毒殺をテーマとして、
そのテーマをバックに進展する人たちの物語である。
書名の「葵」は徳川家の紋どころ、徳川家を象徴しているのだろう。
「月」はこの物語に登場する人々の人生を照らし出す月の意味だろう。
目次をそのまま転記すると、

 昼月。。。。。。。。。。。立原志津乃
 月日星。。。。。。。。。.水沢孝安
 最中月。。。。。。。。。 新助
 月帰り。。。。。。。。。。池原雲伯
 雨世の月。。。。。。。。高階信吾郎
 有明の月。。。。。。。。塚本平八
 葵の月。。。。。。。。。。坂木蒼馬

志津乃は立原家の一人娘、許婚の蒼馬と一緒になる日を
夢見ていたのが、家基の死後、突然出奔行方をくらます。
志津乃は医師を務める叔父の孝安の家に出かけては
医療の手伝いなどをする。
幼いころから立原家で育てられていた平八は
志津乃を姉のように慕い、いつも志津乃のお供をする。
蒼馬は元西丸書院番を務めていた。
剣術に優れ、道場で同門で好敵手だったのが信吾郎。
信吾郎の上司だったのが志津乃の父親立原惣太夫という関係で、
お互いに顔なじみである。
蒼馬と信吾郎は、それぞれある上部の人間から特命を受けて、
誰にも漏らさず隠密に家基毒殺の真相を見出すべく奔走する。
蒼馬が姿を消した後、志津乃の父と継母は信吾郎との縁談を進める。
医師の雲伯は孝安とは一緒に医学を学んだ間柄、
今では出世して奥に出入りしている。
雲伯が調合した毒で家基が殺害されたのではと疑われている。

家治、家基の血筋は絶えたものと思われていたのだが、
家基が鷹狩りの折に知り合った小間物屋の娘との間に
一子が誕生していた。
元次という男子だったが、「おもと」と呼ばれて
女童として育てられている。
ところが生まれつき眼病を患い目が見えない。
元次は何とか命拾いして、眼病治療のために長崎に向かう。

こうした事件の背景にあるのは、お家騒動の一つ。
8代将軍吉宗の孫にあたる、
御三卿一橋家第2代当主、徳川治済は嫡子の
豊千代を第11代将軍に付かせる野望を抱いている。
同じく吉宗の孫にあたる松平定信も老中意次を面白く思わない。
意次を追い落とそうとする二人の画策があったのかもしれない。

その後いろいろと物語は進展するのだが、
信吾郎は命を落とし、蒼馬はめでたく志津乃と夫婦となる。
豊千代が徳川家斉と名乗り、第11代将軍に付く。
松平定信が老中筆頭に。

人間関係をしっかり頭において読む必要があるが、
途中まで進むと、すっかり物語に没頭し、
最後まで息つく暇なく読める面白さである。




by toshi-watanabe | 2016-07-31 11:15 | 読書ノート | Comments(0)