折々の記

tnabe.exblog.jp

日々見たこと、 感じたこと、気づいたことをメモする

ブログトップ

カテゴリ:読書ノート( 135 )

d0037233_09024277.jpg


葉室麟さんのエッセイ集「古都再見」を読み終える。

葉室さんは2年前の2月、仕事場を京都に移して執筆活動をされている。

学生時代に京都を訪れておられるので、再見と題されたのだろう。

京都近辺を散策しながら、感じられたことを書き留められ、

「週刊新潮」の20158月から201612月まで連載された

エッセイをまとめられ、今回単行本として出版された。

(新潮社 ¥1,600+税)

京都の観光ガイドブックとは全く趣を異にしている。

人生の幕が下りる、その前に見るべきものを見ておきたいと、

少々大げさな言い方だが、

訪れた先で、かっての出来事に思いを馳せ、

或いは、その時代の登場人物の生きざまを考えたり、

著者流の歴史的思索をうかがい知ることができ、

京の街角から日本史の旅へ、大変興味深い読み物となっている。

68編のエッセイで構成。

1章は「薪能」と題したエッセイ。

夏祭りの季節、6月の京都、平安神宮での薪能の話。

能、狂言が演じられ、最後は「小鍛冶」でしめる。

能を見物した後、小さな店で酒を飲みながら、

著者が思いだしたのは山本兼一さんのこと。

それは「いっしん虎徹」や「おれは清磨」などを主人公にした

山本さんの作品があり、刀を鍛え上げる刀工の

火が噴き出るような気迫は山本作品ならではのもの。

著者が初めて直木賞候補になった時、「利休にたずねよ」で

山本兼一さんが直木賞を受賞した思い出に触れる。

「大徳寺」と題したエッセイでは。

紫野にある大徳寺の茶会に招かれる。

茶道と関わりが深いことから「大徳寺の茶面」と呼ぶ。

三門に千利休の木像を置いて、豊臣秀吉の怒りを買ったことで知られる。

千利休始め、山上宗二、古田織部など名だたる茶人が

非業の死を遂げたのはなぜだろうかと、疑問を抱く。

著者は茶をいただきながら、一杯の茶に心の平穏を求める

茶人が修羅の最期を遂げる姿に思いを馳せる。

「漱石の失恋」と題したエッセイでは。

鴨川に沿って京都の市中を流れるのが高瀬川。

罪人を乗せて大阪へ向かう「高瀬舟」、森鴎外の短編で知られる。

鴎外と並び立つ文豪、夏目漱石も高瀬川の近くの宿に

滞在したことがある。

「虞美人草」の取材などで4回、京都を訪れている。

随筆「硝子戸の中」を書き終えた直後、4度目の京への旅。

宿は御池通木屋町の旅館「北大嘉」。

友人の紹介で、祇園の茶屋「大友」女将、「御多佳さん」と知り合う。

文芸の素養が深く、書画、骨董にも詳しい磯田多佳で、

谷崎潤一郎や吉井勇とも親交があったという。

漱石、48歳、多佳、36歳、二人は天神様(北野天満宮)に

梅を見に行こうと約束したのだが、漱石はすっぽかされる。

色々と興味深い話題が次から次と登場するのだが、

最後にもう一遍、「檸檬」を紹介したい。

ご存知、梶井基次郎の名作「檸檬」の舞台となったのが、

京都の書店、丸善である。

丸善の書棚にレモンを置いて立ち去るというのが小説の最後の場面。

梶井の処女作でもある。

梶井が京都に居住したのは、大正8年、第三高等学校に入学し、

肋膜炎で休学した後、大正13年卒業するまでの5年間。

借金が重なって下宿から逃亡し、自殺を企てるなど

放蕩無頼の時期を過ごした。

梶井は、荒れることで人間の真実を探ろうとしていたのではないか、

神経を張り詰めて人生と対峙する緊張感から疲労困憊し、

時に逆上して暴走を重ねたのだろうと、著者は考える。

ところで、京都の丸善は平成17年にいったん閉店。

この時、文学ファンたちが閉店を惜しみ、「檸檬」を真似て、

店内にレモンを置くのが話題になった。

そして平成278月、10年ぶりに河原町通三条下ル山崎町の

商業ビルで丸善が再開。

再オープンの日は、店内にレモン専用のカゴが置かれ、

「レモンを置きたい」という人の要望に応えた。

著者は丸善を訪れる。

店内で新潮文庫の「檸檬」を買い求め、

店内に併設されたカフェに入り、紅茶とレモンケーキを注文。

気軽に読めるエッセイ集である。




by toshi-watanabe | 2017-07-21 09:04 | 読書ノート | Comments(0)
d0037233_08443128.jpg


佐藤厳太郎さんの著書「会津執権の栄誉」を読み終える。

著者は、「夢幻の扉」で「オール読物新人賞」を受賞して以来、

注目されている新進の作家である。

文芸評論家の評価も高く、直木賞の呼び声も出ている。

東北会津の名家、芦名氏の滅亡までを熱く、克明に描いている。

芦名氏は、会津守護だが、鎌倉幕府の御家人、三浦氏の後裔。

四百年近くの長きにわたり、会津を領有してきた名跡だ。

その芦名家に、凶兆が現れた。

十八代当主盛隆が、家臣に襲われ惨殺されてしまう。

その後を継いで生後一ヵ月で当主となった一子、

亀王丸隆氏も、わずか三歳で疱瘡を病んで没した。

相次ぐ当主の死により、芦名家嫡流の男児が絶える。

残された遺児に、十七代当主盛興の娘の岩姫がいた。

岩姫の婚姻相手として婿養子を他家から迎え、

当主に据えることになった。

ここから家中の軋轢が生まれる。

この小説の発端でもある。

常陸の佐竹義重の次男義広か、伊達政宗の弟小次郎かで、

家臣団が対立したのだが、佐竹義広を当主に迎えることに決まる。

ただ問題なのは、義広がまだ幼さの残る十二歳の少年だった。

一門の家臣が集まって評定の上決めたことだが、

その決定を下した芦名家家臣筆頭の金上遠江守盛備の家臣団と、

伊達小次郎を強く推した猪苗代(弾正)盛国との間では、

しこりが残る。

盛国は芦名氏の血族で、芦名家重臣であるとともに猪苗代氏の当主。

その一方では、義広の入嗣に伴い、佐竹から来た家臣団とも

衝突が生じて、家臣同士の殺傷沙汰にまで発展する始末。

やがて伊達政宗が会津に侵攻、猪苗代盛国が寝返り、

佐竹からの支援も思うように行かず、

最後の砦となった家臣筆頭の金上盛備も戦いに敗れ、

遂に芦名氏は終焉を迎える。

「湖の武将」

「報復の仕来り」

「芦名の陣立て」

「退路の果ての橋」

「会津執権の栄誉」

5章で構成されているが、

これらは20138月号から201611月号まで、

「オール読物」に掲載された。

この5章に、書き下しの「政宗の代償」が加えられ、

今回「会津執権の栄誉」として出版された。

(文芸春秋 ¥1,450+税)

「政宗の代償」は、芦名氏が滅び、

伊達政宗が会津を己の領地にしてからの話である。

北条氏の立てこもる小田原城攻めで全国各地の諸大名が

秀吉のもとに馳せ参じ、その数22万の兵力が集結している。

様子を見るかのごとく、腰を一向に上げない政宗に

秀吉はいらいらしている。

家康が間に入り政宗を説得する。

政宗は片倉小十郎を伴い小田原へ向かう。

芦名氏を攻め、会津を己の領地としたことは、

関白殿下の惣無事の儀に背く事であり、

政宗は 覚悟を決めて、短刀を隠し持ち、白装束で秀吉の前に出る。

謁見は無事済み、秀吉は遅参した政宗を許す。

占領した会津、安積、岩瀬は取り上げられ、

会津黒川城から退去することになる。

それ以外の本領は安堵され、伊達家の所領は七十万石ほどのまま。

途中からは一気に読んでしまう。

大変面白い小説、お薦めの一冊である。






by toshi-watanabe | 2017-07-04 08:45 | 読書ノート | Comments(0)

d0037233_09404125.jpg


再び「浅見光彦シリーズ」である。


内田康夫著「黄泉から来た女」を読み終える。

浅見光彦シリーズの第111作目である。

20106月から20114月まで、

「週刊新潮」に連載された。

このシリーズで連載というのは珍しい。

プロローグを加えるなど、加筆改訂されて

単行本として新潮社から出版されたのが20117月。

その後新潮文庫として出されている。

最近出たばかりの版の新潮文庫を手にする(¥750tax)。


最初に登場するのが、日本三景の一つ、天橋立。

京都府宮津市府中は天橋立の北側の付け根に位置し、

かって丹後の国国府が置かれていた土地だ。

そこに住むのが、主人公の神代静香で市役所に勤めて3年。

静香の父親一輝は観光船の船長をしている。

母親は静香を産んでほどなくして亡くなっている。

一輝の話によると、静子の母親徳子は地元の籠(この)神社

参詣した夜、太陽が口から飛び込む夢を見て身ごもったとか。

夢の話を籠神社の宮司にしたところ、天照大神の

ご利益があったのだと宮司は明言。

一輝は生まれてきた静香が天照大神の申し子だと信じている。

それで静香は「アマテラスの子」と呼ばれる。

徳子は山形県鶴岡市の出身だが、実家や親類縁者とは

縁を切っている。

面識のない女性が突然、市役所に静香を訪ねてくる。

込み入った内容の話の様子なので、昼休みか仕事の終わったころに、

もう一度来てほしいと伝えるものの、二度と姿を現さず。

その日の夕方、天橋立きっての名門旅館「文殊荘」の女社長の紹介で

静香を訪ねて来たのが、「旅と歴史」の取材で来ていた浅見光彦である。

ところが府中の東方、伊根の海岸で女性の遺体が発見される。

「舟屋」で有名な町である。

その遺体は静香を訪れていた女性と判明し、いよいよ事件が展開する。

光彦と静香は籠神社を訪れ、宮司の海部(あまべ)光彦と面会する。
海部氏八十二代當主、元伊勢籠神社宮司である。

同じ光彦同士、意気投合するのだが、この宮司は実在の人物で、

著者はこの作品を書くにあたり、

宮司から専門的な話を詳細に聞き取っている。

遺体となって発見された女性は、自殺や事故ではなく、

明らかに他殺で、殺人事件となる。

身元が判明し、静香の母親と同じ出身地、鶴岡市羽黒町から

静香を訪ねてきたものと分かるが、何の目的かは不明。

徳子の実家は羽黒山の神域ともいえる手向(とうげ)にある

宿坊「天照坊」、また殺害された畦田美重子の実家は

同じ手向の宿坊「大成坊」である。

静香は置手紙を残して、鶴岡へ向かう。

その置手紙を見て心配になった父親の一輝の依頼を受けて、

浅見光彦は鶴岡へソアラを駆って出かける。

場面は一気に鶴岡市羽黒町へ。

黄泉の国は死者の行くところ。

一説では出羽三山の月山がまさにそこで、手前にある

羽黒山がその入り口。

徳子の郷里、手向は羽黒山の出羽三山神社の門前町に当たる。

複雑な家庭事情が絡み、事件の解明を難しくしているが、

絡んだ糸が次第に解き放されて行く。

過去の行状から犯人と思しき人物が絞られる。

所が土壇場で、光彦は意外な人物を真犯人と、ほぼ割り出すのだが、

その人物は月山へ山菜取りに出かけて、そのまま行方知らずに。

籠神社や天照大神の話、出羽三山での修行に関わる話など、

非常に興味深いし、推理小説としても、もちろん面白い。






by toshi-watanabe | 2017-06-27 09:54 | 読書ノート | Comments(0)
d0037233_13562018.jpg


内田康夫の著書『「紅藍の女」殺人事件』を読み終える。

本書は199010月、トクマ・ノベルスに書き下された作品で、

その後19946月、徳間文庫として刊行されている。

内田さんの作品として刊行された順番では64番目になる。

今回手にしたのは、最近出たばかりの新装版。

(徳間文庫 ¥640+Tax)

新鋭ピアニストの三郷夕鶴(みさとゆづる)は、

父伴太郎の誕生パーティの日に、

見知らぬ男から父へのメッセージを手渡された。

紙片には、「はないちもんめ」とだけ書かれていた。

夕鶴より一つ年上で、子供の頃から一緒に遊んだ仲の

麻矢の父親甲戸天洞は「叡天洞」という古美術商を営み、

伴太郎とは古くからの知り合いである。

何かと気になることがあり、夕鶴は麻矢を誘って、

以前顔を合わせたことのある浅見光彦に連絡を取る。

新宿の喫茶店で待ち合わせるのだが、麻矢は現れず。

暫くして電話があり、麻矢の父親天洞が急死とのこと。

光彦は遺体に立ちあい、自殺ではなく毒による他殺と判断する。

35年前に、ある事件が山形県の河北町で起きた。

女性が殺害されたのだが、ある男が殺人犯に仕立てられ、

無実の罪を背負って終身刑となり、網走刑務所で服役、

刑期を終えて出所してくる。

当時の判決決め手となったのが、6人による証言。

ある人物を助けるために仕組まれた証言だった。

天洞の殺害は出所してきた男、黒崎賀久男の復讐ではないかと思われる。

更に第二の殺人があり、第三の殺人も予想される。

ところが、黒崎は殺害され、真犯人は別にいたというのが、

この作品のポイントでありストーリーである。

浅見光彦シリーズは、日本のどこかの土地が事件現場となり、

旅情ミステリーと呼ばれている。
内田自身も何回か現地を訪れ、その土地のイメージを作品に生かしている。

今回は、山形県の河北町が登場する。

「雛とべに花の里」としられる河北町は、

かって紅花の集散地として知られ、ここから京方面へ紅花が出荷されていた。

現在も紅花の生産地であり、全国唯一の「紅花資料館」がある。

紅花は山形県の県花でもある。

書著名にある「紅藍(くれない」は紅花の別称。

d0037233_14213344.jpg
d0037233_14214387.jpg

因みに紅花が日本に渡来したのは、平安時代。
「源氏物語」に「末摘花」という巻があるが、
この末摘花とは紅花の古い別称である。
山形地方で紅花が栽培されるようになったのは江戸時代中期。
藩の財政立て直しのために始めたのだろう。

上記にも触れたが、本書には童歌を取り入れている。

「はないちもんめ」である。

 ふるさともとめて はないちもんめ

 もんめもんめ はないちもんめ

 ○○ちゃんもとめて はないひもんめ

 ××ちゃんもとめて はないちもんめ

     ジャンケン

 かってうれしい はないちもんめ

 まけてくやしい はないちもんめ

上記は本書に出ているものをそのまま転記したが、

地方によって、若干言い回しが異なるようだ。

この歌詞にある「はな」についてもいろいろな説があるが、

内田さんは、浅見光彦に、「はな」とは紅花のことだと言わせている。

作品から離れてしまうが、紅花を読み込んだ芭蕉の句を二つ紹介したい。

 眉掃き(まゆはき)を 俤(おもかげ)にして 紅粉の花

 行く末は 誰が肌ふれむ 紅の花





by toshi-watanabe | 2017-06-23 14:04 | 読書ノート | Comments(3)

d0037233_08191692.jpg

門井慶喜さんの著書「ゆけ、おりょう」(文芸春秋)を読む。

「おりょう」とは、お気づきだと思うが、

幕末の志士、坂本龍馬の妻である。

この作品は、201410月号から20162月号まで、

「オール読物」に6回にわたって掲載されたものを、

まとめて単行本として、昨年刊行された。

「おりょう、結婚」

「おりょう、下げる女」

「おりょう、離婚」

「おりょう、ハネムーン」

「おりょう、良妻賢母」

「おりょう、龍馬なしでも」

おりょうの父、楢崎將作は町医者をしつつ、

青蓮院宮の侍医もつとめていたので、

家計に恵まれた家庭で、おりょうは育った。

一通りの習いごとをし、しかも評判の美人だった。

ところが、時代は幕末、勤王派の將作は

先代が長州藩士の出でもあり、自宅を隠れ家として

提供したり、志士たちとの交わりをしていた。

それが災いして、安政の大獄に引っかかり過酷な牢生活に。

1年後に放免されたものの、すっかり健康を損ない、

やがて息を引き取る。

突然、一家は生活の糧を失い路頭に迷う。

何もできない母親や4人の弟妹を抱えて、

22歳になる長女のおりょうは一家を支えることに。

京の都、七条新地の料理屋兼旅館「扇岩」で

仲居として働くおりょうは、坂本龍馬と出会う。

おりょう24歳、龍馬30歳、二人は青蓮院塔頭、金蔵寺にて

祝言を挙げる。

夫の龍馬を呼び捨てにする、おりょうは湯水の如く、

酒を浴びるほど飲み、自分の考えをずけずけという、

当時としてはけた外れの女性。

勝海舟にも食ってかかる振る舞いには

龍馬の周囲からは離縁を迫られたり。

門井流の脚色もあるのかもしれないが、

おりょうの姿が生き生きと描かれていて面白い。

寺田屋事件で竜馬の命を救った話はよく知られている。

そして二人は船に乗り、薩摩へ向かう。

日本初のハネムーンと呼ばれている。

面倒を見てあげなければと龍馬の世話を焼いていた

おりょうだが、いつの間にか、すっかり英雄になってしまった

夫の龍馬に、自分は何をしてやれるだろうかと

思いまどうようになる。

龍馬が京に出かけ、おりょうは馬関の伊藤助太夫の

家に厄介になっていたところ、突然、龍馬の訃報が知らされる。

河原町蛸薬師下ルの醤油屋「近江屋」の二階にひそみ、

龍馬は盟友の土佐藩陸援隊隊長の中岡慎太郎と

火鉢にあたりながら、ひたすら話し合いをしていた。

そこを刺客に襲われ、中岡は重傷を負い、龍馬を命を落とす。

享年31歳の、短い生涯だった。

龍馬の死後、おりょうは、人を頼りに移り住むものの落ち着けず、

やがて横須賀にやって来る。

露天商の西村松兵衛と再婚し、おつるを名乗る。

松兵衛とは一緒に27年暮らした後、おつるは一人で

暮らすようになり、3年余り後の明治39年、生涯を終える。

貧しくさびしい晩年だった、享年66歳。

横須賀市の浄土宗・信楽寺(しんぎょうじ)に立派な墓が建てられている。

「贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓」

と、恰も維新の元勲が眠っているごとき

堂々たる隷書体で刻まれている。






by toshi-watanabe | 2017-06-19 08:19 | 読書ノート | Comments(0)

引き続き、内田康夫さんの作品です。

改版が出たばかりの「熊野古道殺人事件」(中公文庫 ¥600+税)。

d0037233_14422234.jpg

読書ノートを書いたばかりの最新作の「孤道」でも

熊野古道が主要場面になっていたが、

その熊野古道の場面を思い出しながら、この著書を読んだ。

実はこの著書の元になったのは、

「別冊婦人公論」に「南紀ミステリー紀行」と銘打って

掲載された三つの連作短編小説である。

 「帰らざる棺」(1990年 春号)

 「鯨の哭く海」(1990年 秋号)

 「龍神の女」 (1991年 春号)

この三作を合併させて書き直した作品を、

「熊野古道殺人事件」としてノベルス版で

199111月に刊行されたのが始まりで、

その後文庫本として、中公文庫で199510月、

光文社文庫で199910月、角川文庫で20104月、

それぞれ発行されてきた。

さらに改版が本年5月に中公文庫として出された。

著者はその都度、手を加えているようだ。

この作品の面白い所は、作者の内田康夫自身が登場するという設定。

軽井沢在住の内田康夫の依頼により、

ご存知名探偵、浅見光彦は愛車ソアラで熊野へ向かうのだが、

内田本人もこの車に同乗し、行動を共にする。

内田の高校大学を通じての友人であるT大研究室の

松岡正史教授から熊野行きを誘われた内田は浅見を連れて行く。

この物語のクライマックスは「補陀落渡海(ふだらくとかい)」。

南紀熊野那智で古くから行われていた風習だが、

現在では行われていない。

松岡研究室で助手をしている岳野晴信を中心に学生たちが協力し、

この「補陀落渡海」を再現させようというのが今回のイベント。

その見学を主目的に、松岡、内田そして浅見光彦が南紀へ。

岳野自身が渡海上人として渡海船に唯一人乗り込み、

船内の柩の中に入る。

極楽浄土での往生を願い、伴船を従えて沖に向かうが、

突然、岳野晴信が意識を失う。

浜辺に連れ戻すものの、すでに息絶えている。

人々は祟りではないかと恐れるが、毒殺と判明する。

他にも関連した事件が起こるのだが、

熊野古道を巡る旅は、大いに興味を魅かれる。

内田康夫さんは、この著書を書くにあたり

三度南紀を訪れている。

加太の淡島神社や龍神温泉など一度訪れてみたい場所だ。

物語の終わりに近く、緊急事態に直面した内田は断りもなく

浅見のソアラに乗り込み、松岡を助手席に乗せて、

南紀の山道を走る。

ところが前方からの車をよけそこなって崖から落ち、

二人とも大けがをする。

ソアラは無残にも大破。

東京に戻って1か月ばかり後、浅見光彦のところに

ニュー・ソアラが届けられる。

勿論内田康夫の手配したもの。

追記:
井上靖の著書に、「補陀落渡海記」がある。




by toshi-watanabe | 2017-06-13 14:46 | 読書ノート | Comments(0)
d0037233_09184617.jpg


最近出版された内田康夫さんの「孤道」を読む。

お馴染みの浅見光彦名探偵が登場する。

内田さんの新作著書は、3年前の2014年の7月に出版された、

「遺譜」が最後で、久しぶりの作品を手にした。

因みに「遺譜」をもって、浅見光彦シリーズは

幕を閉じたのだと思っていた。

実はこの作品「孤道」、毎日新聞に2014124日から

連載されていたのだが、2015年夏、内田さんが脳梗塞で倒れ、

命はとりとめたものの左半身のマヒが残った。

そのために毎日新聞の連載は2015812日を最後に、

未完のままになっていた。

その後リハビリに励まれたが、現在に至るも

思うようにいかず、小説を続けることは困難に。

内田さんは筆を折る決意をされたようだ。

未完のまま、今回単行本として出版され、

未だ世に出られずにいる才能のある方に完結を託す決断をされた。

関係者が共同で「孤道」完結プロジェクトを発足させた。

この書の終わりには、

「孤道」完結編の募集要項が載っている。

締め切りは20184月末日である。


熊野古道を舞台に繰り広げる、壮大な歴史ロマンミステリー。

実際に起きた事件などを軸に、筋立ても大変興味深い。

物語が盛り上がったところで、未完とは実に残念だ。

大毎新聞に入社した鳥羽映佑は和歌山支局、そして

和歌山県田辺市の田辺通信部勤務となり、暇を持て余している。

熊野古道の「箸折峠」にある牛馬童子像の首がのこぎりで切られて

持ち去られるという事件が起きる。

熊野古道でも人気スポットの一つで、牛と馬の背に一体のように

跨った法衣姿の童子像、高さ60センチ足らずだが、

とりわけ女性ファンに人気がある。

d0037233_09325960.jpg

この特ダネをものにした鳥羽は第一報を支局に届け、

全国紙にも掲載され報道される。

この特ダネを知らせてくれたのが、田辺市役所の鈴木真代である。

彼女は市役所に勤めながら観光ガイドも行い、

新米の鳥羽の面倒を見て、色々な情報源となっている。

ところが、真代の主人、鈴木義弘が大阪天満橋近くで殺害される。

八軒家殺人事件と呼ばれる。

殺害された土地は、熊野古道の出発点の一つ。

鈴木義弘は、妻の真代とともに田辺市役所に勤めていたのだが、

8年前に父親が急逝したために、海南市の実家に戻り、

家業である不動産業を継いでいる。

鈴木家はかっては、海南市や和歌山市付近ばかりでなく、

大阪の市街地にもかなりの土地を持っていたらしい。

全国に散らばる鈴木姓の御本家になるとか。

そこへ登場するのが、浅見光彦である。

浅見は鳥羽の大学の先輩であり、旧知の間柄。

この後、牛馬童子像の首は発見されるが、

誰が何のために首を持ち去ったのかは不明。

また八軒家殺人事件も未解決のまま。

藤原鎌足と阿武山古墳の話などが出てくる。

古墳に興味のある方には面白い読み物だろう。

中途半端な読書ノートになってしまった。

内田康夫さんのご回復を切に祈るものである。

できれば、内田さんにより

この作品が完結されればと願うばかり。





by toshi-watanabe | 2017-06-11 09:19 | 読書ノート | Comments(0)
d0037233_09594362.jpg


葉室麟さんの新著「潮騒はるか」を読む。

この作品は、「ポンツーン」の平成281月号~

平成2812月号に連載されたものに、

加筆・修正し、今回単行本として幻冬舎より出版された。

「ポンツーン」は幻冬舎が出している月刊PR誌である。


本の帯カバーには、「女に残されたのはかなわぬ想いと
生き抜く覚悟」そして『風かおる』の感動再び!とある。
『風かおる』は2015年9月に出版されている。



時代は幕末、長崎が舞台となっている。

筑前博多で鍼灸医をしていた菜摘(なつみ)が

弟の渡辺誠之助、博多の眼科医稲葉照庵の娘、千沙を伴い、

長崎で蘭学を学んでいる夫の佐久良亮のもとにやって来る。

腕を見込まれ、菜摘は長崎で鍼灸医として仕事を始める。

長崎奉行所を預かる岡部駿河守長常の妻香乃は病い勝ちで、

長常から依頼があり、菜摘は香乃の手当てを引き受ける。

奉行所の牢には女牢がおり、病人が出たときには、

男の医者では何かと不都合と菜摘が女牢の病人も

診るようになる。

菜摘の鍼医療に興味を抱いた、シーボルトの娘いねが登場する。

千沙には佐奈という姉がいるのだが、

夫が毒物による不審死の後、佐奈は行方をくらましている。

その佐奈らしき女人に奉行所の牢で、菜摘は巡り合う。

女医のいねに頼んで、此の女牢の病状を診察してもらう。

佐奈であることは間違いないとわかるものの、

妊娠しており、長崎に来るまでの疲労が重なり、

このままでは、命が危ない、何とか牢から出す方法は

ないものかと、関係者で思案する。

色々手立てを考え、奉行の了解を得て、

佐奈を牢から出す事が出来る。

佐奈の夫の死、そして佐奈が家を出奔した理由などが、

次第に明らかになっていく。

物語の途中では、勝海舟も登場する。

やがて佐奈は女の子を産み、ゆめと名付ける。

佐奈は国(くに)と名をあらためて、

いねのもとで医者の修行をし、産科医となる。

菜摘はその後も長崎で鍼灸医として働き続ける。

長崎奉行の岡部長常からの話もあり、「時雨堂」という看板を掲げる。

物語の最後の部分の文章をそのまま引用したい。

人は苦難の中にあっても、負けずに進み続づけるならば、

やがて天から慈雨が降り注ぐのだ、と菜摘は思った。

よく晴れた日だった。 菜摘は青空を見上げた。

風に乗って潮鳴りが聞こえてくる。


追記:

ポンツーンとはPontoon、船橋、浮橋、ポントン橋のことである。
小舟を横に並べて、その上に板を渡して橋として使うのだが、
もともとは軍隊で用いられたもののようだ。
以前プエルトリコにいた折に、カリブ海のキュラソーへ、
遊びに行ったことがある。
そのキュラソーにポントン橋があった。
寄港する観光客船などが通るたびに、
船橋は陸地に移動(エンジン起動)する。
船が通り過ぎるまでの間、人も車も橋の袂で待たされる。
ビールを飲んだり、人とおしゃべりしたり、
現地の人たちは、のんびりと橋が通れるようになるまで待っている。

d0037233_10132585.jpg






by toshi-watanabe | 2017-06-06 10:00 | 読書ノート | Comments(0)
d0037233_10353881.jpg
d0037233_10354719.jpg



久々に、池井戸潤さんの作品を読み終える。

「アキラとあきら」(徳間文庫、\1000+税)である。

現在書店に行くと、山積され、大々的に宣伝されている。

実は、この作品200612月号から20094月号まで、

「問題小説」に連載されていたもので、大幅に加筆、修正し、

今回単行本として出版された、オリジナル文庫である。

池井戸ファンにとっては待望の作品と言える。 705頁もの大作である。

本来は直木賞受賞作「下町のロケット」の前に書かれていた作品。

題名にある通り、二人のあきらが主人公。

同い年の二人、1人は東伊豆にある零細工場の息子、山崎瑛(やまざきあきら)、

もう1人は大手海運会社、東海郵船の御曹司、皆堂彬(かいどうあきら)。

最初の部分は二人がそれぞれの環境の中、

小学高学年から大学に進学するまでの物語が進行する。

その間唯一度、二人がすれ違う場面があるが、二人の間には全く接点はない。

山崎瑛の父親孝造は下請けの町工場を営んでいたが、

不良品の付けを回され、経営が立ち行かなくなる。

取引銀行からの融資も断られ、夜逃げ同然で母親の実家へ。

大学進学をあきらめていた瑛だが、父親の勧めもあり進学する。

階堂彬の祖父雅恒は東海郵船の事業を拡大し、長男の一磨が事業を継ぐのだが、

雅恒の遺志により、本体の海運部門を一磨が引き継ぎ、

一磨の次の弟、晋が東海商会、そして末弟の崇が東海観光を

それぞれ分社化して経営を任せられる。

一磨は彬の父親であり、晋と崇は叔父にあたる。

彬は本来であれば、長男として家業を引き継ぐ立場なのだが、

その気は全くない。

山崎瑛と階堂彬はともに、東京大学に合格、入学する。

さて話は一気に二人が大学卒業の時期、就職活動の場面に。

二人は同じ大学で、優秀な成績を上げている。

ご存知の半沢直樹は、この作品には登場しないが、

半沢直樹と言えば、産業中央銀行。

その産業中央銀行に、二人のあきらは就職する。

二人とも、金融業へのこだわりがあり、

敢えてトップ銀行である産業中央銀行を就職先として決めた。

その年、産業中央銀行に入行した新卒の新入社員は約300名。

恒例の三週間に及ぶ新人研修が行われる。

その目玉が、最後の五日間に行われる融資戦略研修。

新入行員が三人一組になって、実戦に近い取引先データを元に、

与信判断で優劣を競う。

百組ものチームが二日間にわたり検討し、提出される稟議書を審査し、

上位の二チームを選び出す。

選ばれた二チームが本店の講堂で行われるファイナルに登場するのだが、

山崎瑛のチームと階堂彬のチームである。

この場面が何とも面白い。

この物語で、二人のあきらの活躍を示唆するかの如く。

経営感覚のない叔父の二人がロイヤルマリン下田というリゾート施設を

立ち上げたものの、バブルが崩壊する時期にもあたり、

赤字が続き、事業として全く成り立たない状況に。

悪いことに、東海郵船は債務保証をしている。

ところが一磨が倒れ、長男の彬は事業を継ぐ意思が全くなく、

次男の龍馬が継ぐことになるものの、まだ経験も浅く、経営センスにも欠ける。

最終的には、彬が銀行を辞めて、東海郵船グループの立ち直りのために、

東海郵船の社長に就くのだが、銀行と企業とのやり取りが

池井戸流の筋書きで、物語に引き込まれてしまう。

この作品は、すでにドラマ化が決定しているとか。

ドラマで観るのも楽しみである。





by toshi-watanabe | 2017-06-02 10:36 | 読書ノート | Comments(4)
d0037233_08375771.jpg


最近、角川文庫の新刊として出版されたばかりの、

今井絵美子さんの著書「群青(ぐんじょう)のとき」を読む。

江戸幕末の時代に登場した、若き老中、阿部正弘が

主人公である。

幼名を剛蔵、また主計(かずえ)と呼ばれた

阿部正弘は文政2年(1819年)、備前福山藩の

5代藩主、阿部正精の五男として生まれた。

生母は側室の高野具美子(くみこ)である。

後に母は剃髪して、持名院を名乗る。

6代藩主を継いだ兄の正寧が病弱だったため、

天保7年(1836年)、正弘はわずか18歳で

福山十万石の第7代藩主に就く。

翌年初めて福山藩にお国入りする。

正弘がお国入りしたのはこの時だけだと言われている。

その後、奏者番、寺社奉行を経て、25歳で老中に就任、

その2年後には老中首座まで上り詰める。

現在でいえば総理大臣の職だろう。

多忙な業務に追われる中、心の安らぎを与えてくれるのが

実母の持名院で、物語では時折登場する。

さて、主計(正弘)が10歳の折、堀切菖蒲まで初の遠乗り、

雨が降り出し、雨宿りにと祠に行くと、瀕死の重傷を負った男を

手助けしている、主計と同じ年頃の少年に出会う。

闇丸という名の少年も手傷を負っており、屋敷に連れ帰り、

主計(正弘)は傷の手当てをさせて面倒を見る。

後に中山進之助と名乗るものの、闇丸として、正弘を陰から支える。

この闇丸は、唯一この物語に登場する架空の人物だが、

正弘という人物を浮き彫りにする間接的に重要な役割を果たす。

この小説に関しては、絶賛の言葉が寄せられている。

「まさに、今日に反映する困難に対峙した救国の英雄を

描ききった!」(森村誠一)

「血が沸いた!」(崔洋一)

「著者の腕は、間違いなく円熟の域に達しつつある。」(菊池仁)

「本格的な幕末小説として文学史に残る力作である。」(縄田一男)

時代小説評論の分野では確たる地位を占める縄田一男さんは、

あとがきに「解説」を書かれているが、その中で、

この作品を書かれる作者の動機の一端を紹介されている。

「これ(「群青のとき」)は長年温めてきた福山藩主阿部正弘の

生涯を描いた作品で、時代小説を書き始めた頃から、福山に生まれ

育ったわたしがこれを書かないでどうしようと思っていたのである。

 世間には阿部正弘がいかに欧米列強と対等に渡り合おうとしたか

あまり知られておらず、小説や映画、ドラマに描かれたとしても、

いつも脇役的な存在でしか描かれてこなかった。

 だが事実はそうではないのである。

 ペリーが来航した際、仮に阿部正弘が筆頭老中でなかったとすれば、

日本は欧米と対峙した末、属国になっていたかもしれないし、

もしかすると、現在のわが国の形がまた少し違っていたかもしれないのである。

 が、いかに言っても小説を書くには、阿部正弘は地味である。

 眉目秀麗、怜悧で実直な男というだけでは小説的な面白味に欠け、

読者は英雄的な破天荒な人物を好むものである。

 そこで私は架空の人物闇丸なる草の者を登場させ、

正弘の影武者的な役割を果たさせることにしたのである。」

物語のピークは、嘉永7年(1854年)、ペリーが再来、

日米和親条約を締結するに至る背景である。

これで250年間続いた鎖国政策に別れを告げた。

国政を担当する立場から、極論や暴論を繰り返す攘夷派を

抑えるために、本心を隠して、意図的に協調路線を選択した。

世に名高い、徳富蘇峰の「近世日本国民史」には、

阿部正弘を、優柔不断、八方美人と評したりしている。

本著の中でも、

「正弘は、ぶらかしの伊勢、と陰口を叩かれていることを知っていた。

何事にも慎重になるがゆえ、白を白、黒を黒とはっきり言いきれないのである。

正弘は白にも桃色がかった白があろう、黒にも灰色がかった黒があろう、

といった具合に、あらゆる色を一旦我がうちに取り込んだ後、

熟高の末、再び吐き出す。

そこらあたりが、直情怪行型の斉昭とも、

また、生真面目一本であった水野忠邦とも違うところだった。」とある。

阿部正弘は「伊勢守」を賜っており、伊勢と世間では揶揄されていた。

斉昭とは、攘夷派のボスともいえる、
常陸水戸藩の第九代藩主徳川斉昭のことであり、
徳川第15代将軍、慶喜の実父である。

この物語には登場しないが、

正弘は徳川13代将軍家定の御台所に篤姫を推挙している。

彼は12代将軍家慶と次の家定から信頼されていた。

阿部正弘は安政4年(1857年)惜しまれつつ命を全うする。

享年39歳という若さ、今でいう肝臓がんが死因。

夜明け前の日本で難局に立ち向かい革新を行った男の熱き生涯だった。





by toshi-watanabe | 2017-05-26 08:38 | 読書ノート | Comments(0)