11月11日(土)~12日)日)の2日間、
横浜市青葉区の山内地区センターにおいて、「センターまつり」が開催される。
作品展として、絵画、書道、短歌、俳句、手工芸、絵手紙、書道、写真等々、
素晴らしい作品が出展される。
発表会としては、日ごろの練習を積まれた合唱、合奏、民謡、ダンスなどが演じられる。
さらにバザー、飲食コーナー、お茶席、お香席なども設けらる。
家内が参加している人形の会でも、作品を出展。

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出品作品を紹介したい。
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以上、ご紹介まで








# by toshi-watanabe | 2017-11-20 11:12 | 一般 | Comments(2)

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お馴染み「髪ゆい猫字屋繁盛記」シリーズの最終巻
となった「残りの秋」を読み終える。
角川文庫、600円+税。

2015年にステージ4の乳がんを宣告された今井さん、
その後療養しながら執筆をつづけられていたが、
本年10月8日、病院で息を引き取られた。
享年72歳。
この場を借りてご冥福を祈るばかりである。
合掌

この作品は書き下しで今井さん最後の著作となった。
日本橋北内神田の照降町にある髪結床猫字屋がメインの舞台である。
そこには仕舞屋の住人や裏店に住む町人たちが日々集う。
江戸の長屋に息づく情景が見事に描かれている。
猫字屋を取り仕切っているのが女主のおたみ。
倅の佐吉は、廻り髪結いをしながら、お上から十手を預かる身。
自分の娘として育てたおよしとおけいもいる。

およしが嫁入りしたのが、紅師として身を立て独立、
坂本町に紅藤という見世を出している藤吉。
1人男児に恵まれ、二番目の子供が腹の中に。
ところが突然、大金を手に藤吉がどことも知れず出かけたまま。
結局、藤吉が幼い頃に生き別れとなっていた母親が
見つかり、その面倒を見るためだったとわかる。
母の最期を看取り、遺骨を手に、いざ帰ろうとした
藤吉のところに、見世の使いが急いで駆けつける。
およしはお産がうまく行かず大変な事態になっていると知らされる。
産婆では手に負えず、医者を呼んだと言われる。

猫字屋の面々や普段付き合いのある人たちが、
何かと手助けし、困ったことがあれば親身になって面倒を見る、
人情味溢れた話が盛りだくさん。
おたみをはじめ、登場する人物が交わす、
気風のいい江戸言葉がたまらなくいい。
初代水谷八重子演じる新派の舞台を見ているようだ。

とにかくほろっとさせられる、感動の一編である。






# by toshi-watanabe | 2017-11-20 08:54 | 読書ノート | Comments(0)

中学時代の恩師が旅立つ



中学時代の恩師、H先生が11月5日に亡くなり、
昨夕、肌寒い秋雨降る中を、お通夜に参列する。
葬儀は五反田の桐ケ谷斎場で営まれ、
目黒線の不動前駅から歩く。

奥様の話では、自宅療養され、1人では動けない状態でしたが、
亡くなる前夜、奥様と話を交わされ、お茶を飲んでおいしいと、
言われたりされていたそうです。
そのままお休みになり、翌朝、一杯の水を飲まれ、
再び眠りにつき、夜11時、そのまま息を引き取られたとか。
全く苦しまずに旅立たれ、大往生と言えるのかも。
享年88歳だった。

我々は新制中学の第3期生、校舎もまだ未完成で、
入学当時は一クラス80名という大所帯。
とても勉強するなどという環境ではなかった。
教師も足らなかったようで、
中学2年のときに担任となられたH先生は、
昼間授業を担当され、夜は大学に通っておられた、
教師見習いでした。
我々が卒業後に、正式に教員になられたのではないだろうか。

それで我々と年齢差も7〜8歳、
先生というより兄貴といった存在だった。
同期会にも3年前までは毎回お出で頂き、
若作りのH先生と生徒のOBとでは、どっちが年上かわからないほど。

一年上のTさんが、我が家のすぐ近くにお住まいで、
時折り、一升瓶を下げて、一緒に旗の台にあるH先生のお宅に
お邪魔したのも、懐かしい思い出である。
また同級生の一人が白樺湖畔のホテルの総支配人をされていたころ、
ご一緒に信州の白樺湖へ出かけたこともある。

ご遺族の方々に弔意を表し、
故人のご冥福を衷心よりお祈りするばかりである。

合掌




# by toshi-watanabe | 2017-11-15 09:37 | 一般 | Comments(0)

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祥伝社文庫の一冊として最近発行された(700円+税)、

内田康夫さんの著書「喪(うしな)われた道」を読み終える。

本作品は、平成310月に初出版されて以来、

祥伝社の他に、角川文庫、光文社文庫などより何度か刊行されている。

作者にとっては、66作目の長編小説。

実はこの作品、以前から一度読みたいと思っていた。

というのは、西伊豆の土肥が登場するからである。

戦中戦後の数年間過ごした疎開先が土肥であることは、

何度か日記にも書き込んでいる。

いじめの体験も忘れられないが、懐かしい第二の故郷だ。

ご存知素人探偵、浅見光彦シリーズの一作で、

青梅市梅郷の山中で、虚無僧姿の遺体が発見される

所から物語はスタートする。

遺体は羽田栄三で、当初は事故死ではと見られていたが、

殺人事件に進展する。

栄三の孫娘、20歳の記子がマドンナ役で登場、

しばしば光彦と行動を共にする。

事件の核心がなかなか見えないのだが、

戦後、羽田栄三が勤務していた土肥金山関連の精錬工場が絡んでくる。

土肥金山は江戸時代(慶長年代)、大久保石見守長安が

幕府金山奉行として土肥金山に乗り込み、新技術を導入して

大きく発展させた。

これを第1期とすると、第2期が明治から昭和にかけてで、

土肥金山は、佐渡金山に次ぐ日本第2位の金産出量を誇った。

所が昭和38年(1963)鉱量枯渇のため操業を中止し、

昭和40年(1965)閉山となった。

その7年後、跡地を新たな「土肥金山テーマパーク」に、

観光設備として一般公開されるようになった。

現在は多くの観光客が訪れている。

幼い頃の記憶が定かでないが、土肥温泉として、観光客が来る

様になったのは、鉱山が閉鎖された後だと思う。

私が疎開していたころは、とても観光地という雰囲気ではなかった。

殺害された羽田栄三は尺八の名手で、退職後も尺八同好会のメンバー、

時折り仲間が集まって虚無僧姿に着かえて尺八を楽しんでいた。

彼が殺害された、同じ日に修善寺付近でも虚無僧姿が見られており、

場面は一挙に修善寺の方に。

偶々事件に巻き込まれた光彦探偵は愛車のソアラを駆って修善寺へ出かける。

土肥へも足を延ばし、宿泊するのが土肥温泉「玉樟園新井」。

よく知っている老舗旅館である。

この旅館は本因坊戦や棋聖戦などの開催でも知られる。

作者の内田康夫さんはこの宿に何度か宿泊され、宿の女将とも懇意にされ、

囲碁戦の観戦記も書かれている。

内田さんは囲碁でも将棋でもかなりの腕前とか。

尺八を持った虚無僧の姿が目撃されたのは、修善寺の町はずれ、

そこには最近観光名所となっている旭滝への道、

その手前には功徳山滝源寺跡地があるが、

この寺はかって禅宗の一派である普化宗の寺院だった。

そして旭滝にちなんで作られたのが、尺八の名曲「滝落之曲」。

因みにユーチューブで、この曲を聴く事が出来る。

作品の「エピローグ」には、旭滝の前に関係者が立ち、尺八により

「滝落之曲」が演じられる場面が出てくる。

虚無僧というのは、普化宗の僧が天蓋を被り、尺八を吹き

喜捨を請いながら諸国を行脚修行したのが始まりだと、初めて知る。

明治維新後、太政官布告により普化宗は廃止された。

作品の中の事件に関連して、「伊豆大島近海地震」というのが出てくるが、

この大地震が発生した昭和53年(1978)は米国駐在中、全く記憶にない。

114日、伊豆大島西岸沖を震源地とし、マグにチュード7.0の

直下地震で、伊豆半島にも大きな災害をもたらした。

湯ヶ島にあった工場から猛毒のシラン化ナトリウム(青酸ソーダ)が

狩野川に流出し、駿河湾へ流れ込み、魚介類に多大な被害を

もたらした事実を初めて知った。

新たに金山の坑道付近で起きる殺人事件も含め、

殺人事件の犯人は割り出されるものの逮捕に至らず。

閉山に伴う埋蔵金の話が大きなテーマになるのだが、

光彦探偵の推理で物語は幕を閉じる。

馴染みのある修善寺や土肥が出てきて、興味深く一気に読んでしまった。

終盤、何となく物足りない所もあったが、こういう終わり方もあるのだろう。



# by toshi-watanabe | 2017-11-15 09:05 | 読書ノート | Comments(0)

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堺屋太一さんの作品「三人の二代目」を読み終える。

20115月に単行本として講談社から刊行されているが、

最近、文庫本(上下2冊)として出版された。

講談社α文庫(上下各900円+税)。

三人の二代目とは、織田信長から豊臣秀吉へと移り変わる

激動の戦国時代、二代目として登場した三人の武将。

1人は、上杉謙信を継いだ上杉景勝、

2人目は、毛利元就を継いだ毛利輝元、

そして3人目は宇喜多直家を継いだ宇喜多秀家である。

戦国の乱世に、偉大な先代の跡を継いで家長となった

三人の二代目の苦労とその失敗の本質を深く抉った物語だ。

登場人物の多様さ、舞台の広さ、そして情報、策略、戦闘と

続く対象の豊富さにおいて、歴史小説の会心作であると同時に、

現代社会に通じる内容となっている。

堺屋太一流に三人の生き様を見事に捉えている。

読んでいるうちに、現代社会での初代創業者と2代目社長の

違いが見えてくるような気がする。

天正6年(1578)、物語の初めである。

越後の春日山城にいるのは上杉景勝、24歳。

上杉謙信は生涯独身を貫き通し、子供がおらず、

2歳違いの姉、仙桃院の息子、景勝を養子にするが、

景勝の姉の婿の景虎(北条氏康の七男)も謙信に気に入られ

養子に迎えられている。

この年に謙信が亡くなり、跡目相続のために

景勝と景虎との争いが始まる(御館の乱)。

謙信の本心としては、景虎を跡目に考えていたらしいのだが、

実際は、実母の仙桃院のサポートが大きくかかわりを持ち、

景勝が景虎の陣営を破り二代目となる。

謙信公倒れるの情報は直ぐに安土の織田信長の元に届き、
あっと言う間に各地へ知らされる。

謙信の死の10日後には、早くもこの情報が備前岡山城の城主、

宇喜多直家の元にも届いている。

50歳になる初老の直家のそばにいるのは、数えで6歳になる

一人息子の八郎、そして見守る女性は母のお福、30歳。

八郎は羽柴秀吉の元に預けられ、やがて宇喜多秀家を名乗る。

秀吉の元にやはり預けられていた前田家の豪姫との縁組も整い、

前田家と姻戚関係になる。

秀家の支えとなったのは、母親のお福である。

直家の死後、お福は秀吉に気に入られ側室になったと言われる。

同じ年、毛利輝元は播磨西端の上月城を目の前にした陣屋に。

7年前、19歳の時に、毛利元就は家督を嫡孫の輝元に譲った。

元就には3人の息子がいたが、長男の隆元は若くして亡くなり、

隆元の息子、輝元が跡を継いだ。

元就はその際、大事なことは必ず二人の叔父(隆元の弟)、

吉川元春と小早川隆景に相談せよと言い残した。

輝元にとっては、両川と呼ばれる二人の叔父が

どちらかと言えば足枷となってしまう。

物語は進展し、天正10年(1582)には、本能寺の変で信長が

光秀に討たれ、中国返しの秀吉により光秀は討たれ

(山崎の合戦)、清洲会議と続く。

更に翌天正11年(1583)には、賤ケ岳の戦いなどで、柴田勝家が

秀吉に討たれる。

天正18年(1590)には小田原征伐(小田原城開城)により

秀吉の天下統一が成る。

世に名高い小田原評定を著者は

現代風には「情報収集と情勢分析」だろうと書かれている。

結論の出ない会議だったが、なるほどと思う。

豊臣姓を名乗る秀吉が亡くなったのは慶長3年(1598)、

そして2年後の慶長5年(1600)、関ケ原の戦いとなる。

太閤秀吉の晩年には天下の大老となった2代目の3人だが、

天下分け目の関ヶ原では、いずれも負け組に属し、

家庭を失い、敗者として追われる。

家を起こし領土を広げた偉大な初代の無理や因縁が、

二代目にとっては選択の余地を狭め、破滅へと追いやったのではないだろうか。

上杉景勝は元和9年(1623)米沢にて亡くなる、享年69歳。

毛利輝元は宝永2年(1625)萩にて亡くなる、享年73歳。

宇喜多秀家は流人として八丈島に配流され、

八丈島にて亡くなる、享年84歳、

すでに徳川4代将軍家綱の治世だった。

三人とも、当時としては長生きしている。



# by toshi-watanabe | 2017-11-10 09:02 | 読書ノート | Comments(0)

去る10月31日、曇り空の上野公園を抜けて、東京国立博物館へ。
史上最大と銘打った「運慶特別展」が9月26日から11月26日まで開催中。
すでに開始後一カ月経過、そろそろ空いているのではと予想していたのだが、
入場券を買い求め、平成館の前に行くと、何と長蛇の列。

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列の最後尾には案内の若者が立ち、掲げたプラカードには「60分待ち」。
諦めて列に並ぶ。
日差しがないので、暑くもなく寒くもなく、辛抱する。
建物の間からは、東京スカイツリーが望める。
紅葉はまだこれからである。

実際には40分程度で平成館には入れる。
エスカレーターを登って2階の展示会場へ。
見学者でごったかえしている。
とてもゆっくり見られたものではない。
各自がかってな方向に移動するので、ぶつかることもしばしば。
それでも、会場を二回りして見学する。

時代の移り変わりに沿って、展示は大きく三つのセクションに分けられている。
第1章は「運慶を生んだ系譜 -- 康慶から運慶へ」。
康慶は仏師慶派の祖と言われ、運慶の父親である。
康慶の作品と運慶初期の作品が展示されている。
奈良長岳寺の「阿弥陀如来及び両脇侍座像」(1151年、重要文化財)。
平安時代、奈良仏師により造られた仏像、奈良仏師の一派から独立して慶派が形作られる前、
運慶がちょうどこのころ生まれたとされている。
残念ながら、10月30日以降は勢至菩薩座像のみの展示。
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山の辺の道を歩かれた方は、長岳寺に立ち寄り、参拝されていることでしょう。

奈良円成寺の「大日如来坐像」(1176年、国宝)。
現存する最も早い運慶の作品とされ、溌剌とした表情と体格、髪のふくらみも写実的、
運慶の類まれな才能を感じさせる。
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数年前円成寺を訪れた際は、本堂から離れた小さなお堂(多宝塔)の奥に安置され、
外部から覗き見るだけでは、十分に鑑賞できなかったが、
今回は間近に見られ、じっくりと観賞できた。

次いで目を引いたのが、奈良興福寺の「仏頭」(運慶作、1186年、重要文化財)。
見事な造りの仏頭である。
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この時代の運慶の他の作品と比べて、作風に疑問を感じる専門家もおられる。

康慶作、奈良興福寺の四天王立像(1189年、重要文化財)
写真は多聞天立像。
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同じく康慶作、奈良興福寺の「法相六祖坐像」(1189年、国宝)。
写真は伝行賀。
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このセクションには、他に「毘沙門天立像」(1162年、東京国立博物館所蔵、
元は奈良中川寺十輪院伝来、重要文化財)、
「地蔵菩薩坐像」(康慶作、1177年、静岡瑞林寺、重要文化財)なども出展。

第2章は「運慶の彫刻 -- その独創性」。
運慶の作品がずらっと展示されている。
静岡願成就院の「毘沙門天立像」(1186年、国宝)。
「願成就院」
この伊豆の寺院には、今回出展された毘沙門天立像の他に、
阿弥陀如来坐像、不動明王立像と2童子像の国宝が安置されている。
運慶作品の宝庫である。
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引き締まった体で左に腰をひねって立ち、力がみなぎって、
武将のような顔つき、今にも動き出しそうである。

次いで神奈川浄楽寺所蔵の仏像群。
「阿弥陀如来坐像及び両脇侍像」(1189年、重要文化財)。
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「不動明王立像」(1189年、重要文化財)。
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「毘沙門天立像」(1189年、重要文化財)。
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京都六波羅蜜寺の「地蔵菩薩坐像」(12世紀、重要文化財)。
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東京真如苑真澄寺の「大日如来坐像」(12~13世紀、重要文化財)。
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今から9年前の2008年、ニューヨークでのオークションに登場、
宗教団体・真如苑が高額な価格(約14億円)で落札し、
大きな話題になった運慶作の仏像。

栃木光得寺の「大日如来坐像」(12~13世紀、重要文化財)
珍しく厨子に納められている。
台座の下を獅子の像が支えていっるのも面白い。
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愛知瀧山寺の「聖観音菩薩立像」(運慶・湛慶作、1201年頃、重要文化財)。
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この像内に頼朝の髪と歯が納められたと、「瀧山寺縁起」に記されているが、
X線写真により確認されている。
表面の彩色は後補である。

1998年に発見され、つい最近の2014年に、運慶の作と認定されたのが、
神奈川光明院の「大威徳明王坐像」(神奈川県立金沢文庫保管、1216年、重要文化財)。
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奈良興福寺の「無著菩薩立像・世親菩薩立像」(1212年頃、国宝)。
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このセクションには、他に和歌山金剛峯寺の「八大童子立像」(1197年頃、国宝)、
奈良興福寺の「四天王立像」(13世紀、国宝)なども展示されている。

第3章は「運慶風の展開 -- 運慶の息子と周辺の仏師」。
運慶には6人の息子がおり、いずれも仏師になっている。
そのうち、単独で造った作品(仏像)が残るのは、湛慶、康弁と康勝である。
奈良東大寺の「重源上人坐像」(13世紀、国宝)。
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康弁作、奈良興福寺の「龍燈鬼立像」(1215年、国宝)。

天燈鬼立像も同時に出展されている。
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「十二神将立像」(13世紀、重要文化財)。
京都浄瑠璃寺伝来であったが、明治の初めに流失、
現在は東京静嘉堂文庫が7躯、東京国立博物館が5躯を所蔵しており、
この12立像が勢ぞろいするのは、42年ぶりのこと。
写真はそのうちの3躯。
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このセクションには、他に京都清水寺の「観音菩薩立像・勢至菩薩立像」
(12~13世紀、重要文化財)、京都東福寺の「多聞天立像」(12~13世紀)、
神奈川満願寺の「観音菩薩立像・地蔵菩薩立像」(12~13世紀、重要文化財)、
京都海住山寺の「四天王立像」(13世紀、重要文化財)、
高知雪蹊寺の「毘沙門天立像・吉祥天立像・善贓師童子立像」
(湛慶作、13世紀、重要文化財)、京都高山寺の「善妙神立像」
(湛慶作、13世紀、重要文化財)、京都妙法院の「千手観音菩薩坐像の
光背三十三身像のうち、迦楼羅・夜叉・執金剛神」(湛慶作、1254年、国宝)など。

この特別展見学後、本館の14室に向かう。
「運慶の後継者たち -- 康円と善派を中心に」と題して、
重要文化財を含む14躯が展示されている。
展示期間は、8月29日から12月3日まで。

その後、本館の裏側に広がる庭園を散策する。
紅葉はこれからである。
久し振りに歩いたので、足が棒のよう、帰途に就く。




















# by toshi-watanabe | 2017-11-03 11:49 | 寺院・仏像 | Comments(4)

10月21日から22日にかけての週末、バスツァーに参加して、
長野県と群馬県との県境方面への旅に出かける。
月に1度、昼食会をしている仲間の中で、
以前は4人ほどで、何度か旅行を楽しんでいたが、
お一人は数年前に他界し、もうお一人はちょうど法事と重なったりで、
今回の旅は、初めてKさんとの二人旅、やじきた道中となる。

生憎の秋雨前線が停滞しているところに、台風21号が接近。
朝から雨降りの21日、町田のバスターミナルでKさんと落ち合う。
観光バスは横浜駅前からやって来る。
町田出発は朝の8時20分、バスは圏央道から中央自動車道へ。
現地では小型バスを利用するので、定員は少なめ、参加者は27名ほどだ。
途中2か所のサービスエリアで休憩し、最初の目的地、奥蓼科へ向かう。

御射鹿池(みしゃかいけ)の横を通り、横谷渓谷の滝の一つ、
おしどり隠しの滝へと、雨で泥んこ状態の山道を歩く。
御射鹿池は、東山魁夷画伯が名作「緑響く」のモチーフにしたところ。
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おしどり隠しの滝と近辺の紅葉。
横谷渓谷には四つの滝があるが、その中で最上流に
位置するのがおしどり隠しの滝である。
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続いて訪れたのが、八千穂高原である。
北八ヶ岳の麓、南佐久にある。
苔の森は、「日本の貴重なコケの森」と認定された原生林。
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白駒の池を訪れる。
2115メートルほどの高地にあり、2000メートル以上の高地にある
湖としては日本最大の天然湖である。
残念ながら、霧に覆われ湖はすっかり霞んでいる。
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初日の予定を終え、宿へ向かう。
草津温泉の「ホテルヴィレッジ」、大きなリゾートホテルといった感じの宿。
早速温泉に入り、疲れを癒す。
このホテルは草津の街中からはかなり離れており、
シャトルバスが出ているが、出掛ける元気もなし。
翌朝はゆっくり、宿を出発するのは10時半。

二日目は小型バスに乗る。
狭い山道を走るので、大型の観光バスでは無理。
先ずは、チャツボミゴケを見学に出かける。
非常に珍しい苔の一種で、なかなか目にする事が出来ないようだ。
この苔は酸性の水の流れが必要とのこと。
側壁からは20度ほどの鉱泉が沸き出ており、湯気が立ち昇っている。
穴地獄とも呼ばれる、チャツボミゴケ公園を一周する。
いよいよ雨は激しく降り、山道は泥んこである。
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紅葉も見ごろである。

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次いで野反湖へ向かう。
群馬県中之条町の六合(くに)地区にある。
期待したのが間違いで、時期が遅すぎる。
野反湖は、やはり夏から秋のはじめだろう。
高山植物の花が咲き乱れるころが一番だ。
それに雨もひどく降り続け、弁当を食べる予定のベンチも使えず、
バスの中で食べることに。
野反湖は展望台から見下ろすのみ。
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最後に訪れるのは、世立八滝(よだてはちだき)のうちの一つ、
大仙の滝(おおぜんのたき)である。
ここも中之条町の六合地区。
滝つぼの近くに行くと、迫力満点、豊富な水量が落ちている。
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長野原のショッピングセンターで、大型観光バスに乗り換え、帰途に就く。
渋川ICで関越道に、そして圏央道を通り、町田に到着。
夜7時到着の予定だったが、1時間ばかり早く着く。
いよいよ雨は激しくなる。

野反湖はがっかりだったが、それ以外は緑のチャツボミゴケと豪快な滝、
それに紅葉も愛で、旅を大いにエンジョイした。



















# by toshi-watanabe | 2017-10-24 11:39 | 旅行 | Comments(2)

秋の群馬倉渕へ

今月8日から15日まで、群馬倉渕で過ごす。
秋の気配も濃厚に。
週の前半は好天に恵まれたものの、
後半は冷たい雨が降り続く。
朝はすっかり濃霧に覆われ、視界が全く効かない。

水曜日のこと、昼頃突然サルの群れが現れる。
6~7匹の群れで、小さな子ザルもいるので、一家なのだろうか。
草地でエサを探したり、いたってのんびりと過ごしている。
柿の実を少しばかりかじったようだ。
小1時間ほど昼休みを終えて、お猿さんたち山へ戻って行く。

柿の実が赤く実っているが、半分ぐらいは無くなっている。
烏も来ているのかもしれない。

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櫨(はぜ)も紅葉し始めている。


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咲いている草花。
コスモスが満開である。

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ススキの下にナンバンギセル。

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ワレモコウ。
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色鮮やかなホトトギス。
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ムラサキシキブの実も色鮮やか。
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暫く姿を見せなかったセイタカアワダチソウ。
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リンドウ。
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ツワブキ。
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フジバカマ。
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コボタンヅル。
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ハナトラノオ。
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シオン。
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サンゴジュの赤い実。
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ギンミズヒキ。
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ゲンノショウコ。
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お茶の花。
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ツユクサ。
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ツリフネソウ。
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そしてヒメツルソバ。
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さて15日早朝、倉渕を発つ。
雨の予報もあったのだが、薄曇りで、霧も出ておらず、ドライブ日和。
しかも日曜日の朝、道路を走る車もまばら。
高崎市内も関越道も、渋滞がなく、快適にドライブできる。
花園IC辺りから雨が降り始め、次第に本降りとなる。
途中の三芳SAにて休憩をとる。
パンの美味しい店があり、サンドイッチなどを買い求めて朝食。
また「食の駅」で、朝採りの野菜や果物などを買い求める。
雨の中を再びドライブ。
都内の幹線道路、環八もウソのように空いており、車もスムースに流れている。

用賀から首都高経由で東名高速に入る。
家の近くの横浜青葉ICで高速を降りる。
ところがとんでもないハップニングに巡り合る。
高速から料金所へ向かうアクセス道路を走っていたのだが、
1車線の幅の狭い道路でカーブが多い。
幾分広くなった、最後のカーブを曲がろうとしたら、
目の前にトラックが止まっている。
そのすぐ左横には乗用車が1台、さらにその乗用車の前には
こちら向きの乗用車(逆走してきたのだろうか)が1台。
危うくトラックに追突しそうになる。
直線道路ではなく、カーブしているので前方が直前まで見えなかったのだが、
幸い速度を落として走っていたので、急ブレーキで追突を免れた。
暫くして、トラックが前進、続いて左側に止まっていた乗用車も前進、
何とか進む事が出来た。
私の車のすぐ後ろに車が続いていなかったのも幸いだった。
こちら向きの乗用車のフロントはどこかにぶつけたのかつぶれていた。
救援の車を待っている様子だった。
最近は高速道路でとんでもない事故が起きており、
本当に用心して運転しなければと、あらためて思い知らされる。

ドライブの最後にとんでもない出来事があったものの、
朝9時半には我が家に到着。
通常より2時間前後早く帰れたのは有難い。











# by toshi-watanabe | 2017-10-17 09:58 | 草花 | Comments(4)