青梅天寧寺を訪れる
2009年 06月 17日
東青梅根ヶ布(ねかぶ)にある、高峰山天寧寺を訪ねる。
曹洞宗の寺院で、総本山は越前の永平寺。
ご本尊は釈迦如来。
文亀年間(1501~1504)、三田政定による創建と伝えられ、
開山は甲斐広厳院二世の一華文英と言われる。
横浜線で八王子に出る。
駅の立ち食いそばで簡単に腹ごしらえをし、
店を出てくると、仲間の一人とバッタリ。
立川に戻らず、八高線(川越行き)で拝島に出ることに。
東京郊外を通っているこのJRの路線、
駅に到着すると、下車する人がドアの横にあるボタンを押してドアを開ける。
この仕掛け、以前山形のローカル線でも経験した。
天寧寺へは東青梅駅から歩いて20分ぐらいの距離。
ほとんどは歩き、一部の人はタクシー相乗りで。
結局帰りは全員歩いて駅に戻る。
通りに面して、総門(惣門)がある。
総門をくぐると、しばらく参道が続く。
草も刈り取られ、古木に囲まれた参道は森閑としている。
やがて山門に到着。
現在の山門は宝永10年(1760年)の造立。
入母屋造り、二階建ての楼門である。
初層に屋根のない門を楼門と言い、初層と上層に屋根のあるのを二重門。
金剛力士像を祀り、仁王門と呼ぶこともある。
禅宗寺院では、四天王像を祀ることが多く、
現在四天王像を祀っているのは永平寺だけ。
他の寺院では四天王像のうち二天王像だけを祀る場合が普通である。
ここ天寧寺では当初は四天王像が祀られて
いたのか、空いたスペースがある。
現在は二天王立像、左に増長天像(像高229センチ)、
右に多聞天像(像高226センチ)が祀られている。
いずれもヒノキ材寄木造り、彩色、玉眼。
江戸時代、天保6~7年(1835年から1836年)の造立。
残念ながら周りを太い線の網で囲まれ、十分観察できない。
写真もうまく撮れない。
この楼上に鎌倉時代の作とされる、釈迦如来坐像が安置されており、
今回見学の主要目的である仏像である。
鎌倉の仏師、法橋弘円が修理した銘が残っている。
像高は50.1センチ。それほど大きな仏像ではない。
ヒノキ材割矧ぎ造り、漆箔、玉眼。
鎌倉、南北時代(14世紀)の造立。
光背と台座がある。
楼門左側の急な階段を上る。
楼上は頑丈に造られているとみえて、人が歩いても全く振動もなし。
ただ部屋の中は灯りがなく、真っ暗やみ。
三方のドアを開けて、薄明かり、どうにか目が慣れてくる。
中央に釈迦如来座像が安置され、両側に十六羅漢像。
そして釈迦如来の手前に、天女立像が安置されている。
達磨大師座像と大権修利菩薩倚像も見られる。
暗い中での写真撮影、感を便りに狙いを定めてシャッターを切る。
旨く撮れずに苦労する。
京都では何箇所か山門の楼上にのぼり参観したことがあるが、
一番印象に残っているのは東福寺山門の楼上。
安置されている素晴らしい仏像群に圧倒された。
さて山門から本堂(法堂)に向かう間には中雀門がある。
宮中の朱雀門と関連があるのかもしれない。
ご住職の配慮をいただき本堂もお参りさせていただく。
それにしても、東京近辺で、回廊も含め七堂伽藍が見事に残されている
というのは素晴らしいことだと思う。
寺院を庇護した土地の豪族のおかげもあったのだろう。
寺院の背後には墓地が広がっている。
東司に入る際も仏像さんにお参りしてから。
様子を拝見しながら 韓国の 釜山から車で1時間ぐらいの
慶州にある 通渡寺を思い出しました
建物は 日本のお寺とよく似ていますが
それは 極彩色の塗装が 長い風雨で はがれたもので
お堂の中の仏像は このお寺のように
極彩色でした
日本のお寺も 始めは 柱は 朱塗りだったのでしょうか?
慶州は韓国の京都や奈良よ言う感じところで
とても 印象にのこっています
いかれたことは ありますか?
早速コメントいただき有難うございます。
実は、韓国には現役時代仕事の関係で、
何度となくソウルと釜山には出張しています。
ただビジネスオンリーで、観光は全くしておりません。
せいぜい南大門付近をぶらついた程度。
慶州にも全く行っておりません。
韓国内の寺院を訪れ仏像にも対面したいと
常々思っていますが、残念ながら機会がありません。
一つには、家内が牛肉を全く食べませんし、
ニンニクもキムチも大嫌いと来ているものですから、
韓国行きはまず実現しそうもありません。