伊東 潤著「峠越え」を読み終える

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講談社文庫の伊東潤著「峠越え」を読み終える。
昨年「天下人の茶」(すでに読書ノート書き込みあり)にて
著者は直木賞受賞を受賞されている。

作品「峠越え」は2014年に中山義秀文学賞を受賞されている。

「峠越え」とは勿論、徳川家康の伊賀越えの話である。

凡庸を絵にかいたような竹千代(のちの家康)は

今川家の人質として過ごした幼き頃、

通称大師と言われる名僧太原雪斎の教えを受け、

師の教えを竹千代は生涯忘れることはなかった。

今川義元に偏諱をもらい元信、次いで元康と名乗るが、

今川氏から独立した後に今川家からの独立を明示するため

「元」を返上して家康に改める。

家康は信長と同盟関係を結んだとはいえ、

頭の回転の速い信長の考えることや信長の行動について行けない。

信長の方は、部下でもない家康を信用せず、あれこれと試す。

あらぬ疑いをかけられ、家康は正室瀬名(築山殿)を殺害、

嫡男松平信康を自刃に追いやる。

越前の朝倉義景に上洛するよう求めるが、無視されたため、

信長は援軍要請に応じた家康一行も含め、

義景討伐軍3万を率いて越前の国へ入る。

ところが信長の義弟、浅井長政が寝返り、退路を断たれる。

挟み撃ちになっては面倒と、信長は即退却を決意する。

名乗り出た秀吉と共に、家康が殿軍に加わるようにと信長は言う。

家康を試そうとした、信長の真意を後になって家康は気付く。

信長に呼ばれて安土を訪れた家康は、接待を受けるが、

鯛の刺身が傷んでおり、家康は食すのをやめる。

目ざとく気づいた信長は怒り心頭、饗応役の明智光秀を

足蹴にする。

このことが光秀の恨みを引き起こし、本能寺の変に至ると

通常言われている話である。

ところが本書では、異なる見方をしている。

信長と光秀は、家康の前で芝居を打ち、

これが家康を陥れる仕掛けになるはずだった。

その後家康は信長の勧めもあり、大阪、堺見物に出かける。

堺の今井宗久邸でお茶をいただいていると、

信長が京に到着との急な知らせが入り、直ちに家康に

京に来るようにとの伝言が届く。

ほかの茶会にも呼ばれており、旅の疲労もあり、

その夜はゆっくり休みを取り翌朝、京へ向かうことにする。

ところが、その夜。明智光秀の一隊が信長の滞在している

本能寺に攻め込み、信長は非業の死を遂げる。

実は、その夜、信長は家康を招いて茶会を催し、

途中で信長は本能寺を抜け出し、家康一行が残る本能寺に

光秀たちが攻め込む手筈になっていた。

家康は信長の殺意を事前に把握して、

運よく己の命を落とさずに済んだのである。

危うく危機を逃れたものの、家康一行は堺からの逃避行が始まる。

所謂「伊賀越え」で、家康にとっては生涯で最も苦難に満ちた、

命からがらの逃避行であった。

この物語のクライマックスである。

堺→和泉→平野→八尾→飯盛→尊延寺→草内→郷ノ口

→山口→朝宮→信楽→神山→多羅尾→御伽峠→西山

→丸柱→河合→柘植→加太→関→亀山→白子、
命を狙われながらも無事峠を越えて、

白子からは船に乗り大浜へ、そして陸路で岡崎へ戻る。

部下にも呆れられる凡庸な武将、家康にのしかかっていた、

今川、武田、織田の強大な勢力の重石がなくなり、

いよいよ天下人としての家康への第一歩が、

これから始まる。



by toshi-watanabe | 2017-04-11 09:38 | 読書ノート | Comments(0)