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葉室麟対談集「日本人の肖像」を読み終える

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「日本人の肖像」を読み終える。
本書は201415日から2015123日まで、

24回にわたって毎日新聞(西部版)に連載された

「ニッポンの肖像 葉室麟のロマン史談」をまとめたもの。

毎日新聞の西部版は九州一円と山口県、沖縄県をカバーしている。

第一部は、毎日新聞西部本社学芸部の矢部明洋記者が
聞き役となって、古代から近代までの歴史人物たちを語った史談集。

ところが、201411月、聞き手の矢部記者が脳梗塞と脳出血で倒れる。

第二部は、各分野の専門家を招いて、大阪の陣から、

天皇、憲法までをテーマにした対談集である。

葉室麟ファンの一人として、葉室さんがどのような思い入れを以て

歴史上の人物と向かいあい、作品を書かれているのか、

そして葉室さんの歴史観を知るうえで大いに参考となった。

第一部の最初に取り上げられているのが黒田官兵衛(如水)。

葉室さんが高校時代、足の関節炎で一年休学した折に読んだのが、

吉川英治の「黒田如水」、戦時中の昭和18年に執筆されている作品。

軍師として活躍する人物ではなく、
幽閉のエピソードに焦点を当て、

裏切らない誠実な人間像を描いている。

戦時中の悲惨な状況を目にしながらの執筆である。

それに対して、戦後の司馬遼太郎が執筆した「播磨灘物語」
には早い段階でキリスト教が登場し、
宗教にひかれる官兵衛像が印象的。

スペインやポルトガルが世界へ乗り出し、鉄砲伝来により、

信長の天下統一という、激動の時代に適応できた人間として

官兵衛を位置づけている。

葉室さんは、司馬さんの資料を参考にキリシタンを切り口として

「風渡る」、「風の軍師」を書き上げて官兵衛像に迫っている。

次いで登場の宮本武蔵と言えば、吉川英治の「宮本武蔵」。

懸命な努力で成長する近代日本の青年の理想像を武蔵に重ねる。

この名著は戦後も読まれ続け、現在、吉川版を原作に、

井上雄彦さんの漫画「バガボンド」が雑誌連載中。

対照的な武蔵像を描いているのが、

山本周五郎「よじょう」と司馬遼太郎「真説宮本武蔵」。

吉川「武蔵」は精神性を重んじたが、

司馬「武蔵」はスピード、技術・能力の優劣で勝つ合理性を描き、

ある種のニヒリズムを内包する。

そのあと、坂本龍馬、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、

女帝(県犬養橘三千代)、新選組、西郷隆盛、源平争乱、

北条政子、天皇ご近代、真田幸村(信繁)、千利休、

と続き、忠臣蔵で第一部を締めくくる。

第二部は、大阪の陣四百年、朝鮮出兵の時代、

対外交流から見た中世、国家と宗教、柳川藩・立花家、

そして日本人と憲法と続く。

大坂の陣四百年の章は、九州大学の福田千鶴教授との対談。

関ヶ原の戦いから大坂夏の陣まで15年間の位置づけの話から始まる。

慶長16年に京都二条城で家康と秀頼が対面する、

いわゆる「二条城会見」を福田さんは注目する。

秀頼が軟弱な人間ではなく、立派な成人に育ったのを

家康は目にして驚愕する。

家康との贈答儀礼、書状のやりとりなどからも、

秀頼がもはや一筋縄ではいかない人間であり、

無視できない存在であることを家康は実感する。

秀頼が戦いの準備を始めるであろうし、
二代将軍秀忠に任せられない。

己の目の黒いうちにと3年後に大阪の陣が起こる。

大坂夏の陣で、秀頼側に勝ち目はあったはずだという。

一番の問題点は、参謀がいなかったこと。

黒田官兵衛がもう少し生き延びていて
秀頼陣の参謀になっていたら、

異なる結果になっていたかもしれない。

もう一つは、秀吉の正室、北政所が大阪城に入っていれば、

豊臣家恩顧の武将たちが秀頼側に参集し、
別の結果になっていたかもしれない。

いずれももしもの話である。

日本人と憲法の章は、九州大学の南野森教授との対談。

現在の日本国憲法は第1章(1条から8条)で
取り上げられているのは天皇、

29条が戦争の放棄、
3章(10条以降)が国民の権利及び義務という構成となっている。

戦後の憲法の成り立ちを考えると、
憲法のメインにあるのは天皇制。

9条は敗戦の状況の中で第1~8条を守るために
差し出された証文みたいなもの。

天皇制が存続できるなら、
我々(日本)は武器を持たないという趣旨。

9条だけが現実的な議論の対象になっているのはおかしいと言われる。

憲法改定議論が現実味を帯びている現状だが、

天皇制を含めて考える必要があるというのは理解できる。

すでに70年間保持してきた憲法、

改定すべき時期には来ていないように感じる。

まずは日本の国の形がどうあるべきかを議論するのが
第一なのかもしれない。





by toshi-watanabe | 2017-03-04 09:32 | 読書ノート | Comments(0)