朝井 まかて著「落陽」を読み終える

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朝井まかての著書「落陽」を読み終える。

時は明治の終わり、20代の後半、瀬尾亮一は、

大学中退後「萬朝報」の記者として暫く働いた後、

零細新聞社の「東都タイムス」で記者をしている。

大新聞とはとても競争できるはずもなく、

専ら通俗的な裏話を聞き出して、新聞に載せている。

東都タイムスの社主兼主筆の武藤笙月もかっては大新聞の記者。

記者は武藤を含めて4名、瀬尾の他には田中と

ただ一人の女性記者、伊東響子。

瀬尾は探索と呼ばれるごろつきの市蔵から情報を得ている。

明治45730日早朝、大新聞各社は号外で「天皇崩御」を告げた。

新天皇は詔書により、新しい元号を「大正」であると宣下。

陸墓は京都の伏見桃山陵とすでに決まっていたため、

東京に、せめて御霊を祀る神社を造営し奉りたいと、

東京市長、商業会議所会頭それに渋沢栄一など有志が運動を起こす。

さらには神社には社殿よりも何よりも、まず鬱蒼と茂る樹林が必要となる。

林学者で帝大農科大学の講師である本郷高徳の見解では、

針葉樹は水が流れる土地を好むのだが、

武蔵野台地は水の得にくい、乾燥気味の土地。

どちらかといえば、常緑広葉樹林帯(椎や樫など)に属している。

東京では日光や伊勢神宮のようには行かない。

しかし色々と経緯を経て、結局代々木の御料地に明治神宮造営の建設が

決定し、本郷講師が指揮を執って樹林計画に入る。

伊東響子はこの件に大いに関心を抱き、取材を続けるべく、

瀬尾を巻き込み、武藤の了解を迫る。

本郷の下働きをしているのが、東京帝大農学部の大学院生、

上野敬二、何かと雑用の多い上野を伊東は手助けする。

それにより情報も早く入手できる。

まともな記事も掲載するようになり、読者も増えて順調かと

思われた東都タイムスだが、武藤の杜撰な経営のため

手形が不渡りとなり新聞社は倒産、武藤は夜逃げしてしまう。

大正4年(1915)430日、貴族院本会議に於いて

明治神宮造営局の官制及び予算が可決。

51日、内務省が造営局官制を公布。

150年先の樹林完成を目指して(データによっては100年先とも)、

本多静六博士が参与、本郷高徳講師が技師、そして

上野敬二が大学院を退学、現場主任を命じられる。

この小説の大半は、明治神宮造営、特に樹林に関する

苦労話に費やされている。

(本郷高徳、上野敬二、お二人とも後に大学で教鞭をとり、

林業の大家として広く知られるようになる)

バラバラになった東都タイムスの記者たちは、

それぞれ新しい道を見つけて歩み始めるが、

一人瀬尾だけは、これといった職につかず、ある課題に取り組んでいる。

それは人間明治天皇がどう生きたかを知りたい。

伝手を頼って、元女官を務めた老女を京都に訪ね、話を聞く。

(女官といっても、明治天皇に仕えたのではなく、昭憲皇太后に仕えた)。

全国から寄せられた献木10万本以上、

植林作業が進む中、本郷に頼んで、

瀬尾は田中、伊東と共に一本の木を植樹する。

その折に、瀬尾は己がまとめた記録文を本郷に読んでほしいと頼む。

神宮造営へと動いた人々についての記録文だが、

幕末から明治という時代を生き抜いた、ある人についても

考察しました、と付け加える。

(ある人とは明治天皇)

本郷の承諾の返事を受けて歩き出すと、

彼方の空が色を変え、頭上にはまだ透明な青が残り、

雲が白を刷くように流れていく。

やがて太陽は輪郭をくっきりと現し、四方に光を放ち始めた。

雲も木々の葉も金色に輝く。

落陽だ。

沈みながら、天地を照らす。

赤々と、大きな陽が落ちた。

(終わりの部分、ほぼ原文のまま)



by toshi-watanabe | 2017-02-17 14:34 | 読書ノート | Comments(0)