明日は終戦記念日

明日は8月15日、終戦から71年。
俳人の宇多喜代子さんが、昭和20年代のことを書かれている。
「代用食」とか「国防色」という言葉が存在していた。
昭和22年、宇多さんの父上が復員され、俸給生活者として復職された。
まだまだ万端不自由な戦後生活ではあったが、
親子が一つ家に住み、母上が母流の工夫で精いっぱいの献立。

その頃から、母上は自己流で家計簿をつけ始められた。
日々の支出をメモするだけの出費簿、書き込んだのも普通のノートブック。
残された家計簿から、当時の暮らしぶりがありありと浮かんでくると、
宇多さんは書かれている。
その中身をご紹介する。

小包45円、蒲鉾24円、桃160円、薪420円、素麺48円、
糸35円、これが昭和26年8月15日の出費だそうである。
石鹸の配給制度が撤廃されたのが昭和25年12月、
早速に20円で石鹸を購入した。
新聞が朝夕刊セット制になった昭和27年、280円を支払っている。
昭和20年代、医療費がゼロに近かったのだが、
昭和29年の国民健康保険料一期分は1,840円と高額。

ボロボロになったノートに綴られた出費簿だが、
つましい俸給生活者の家族の暮らしぶりが充満した
貴重な時代の記録となった感がある。


さて私自身のことだが、
昭和20年8月15日、以前にも書いたことがあり、 西伊豆の土肥で迎えた。
小学校(当時は国民学校)3年生、夏休みだった。
聴きずらいラジオに耳をつけて聞いたが、よくわからなかった陛下のお言葉。
その後、学校に集まり校長先生から戦争が終わったという話を聞いたように記憶。
翌21年春、疎開先の土肥から焼け野原と化した東京へ。
電気だけは通じていたが、水道もガスもなしの生活。
飲料水は井戸を掘って共同で使用。
燃料は薪、炭、練炭など。

戦中の預金も国債も紙くず同然に。
昭和21年当時、500円生活と言われていた。
新円での俸給者の給与支払いは500円までとされていた。
封書30銭、はがき15銭、都電20銭、たばこピース20本入り7円、
理髪料3円、ビール6円だった。
終戦直後から猛烈なインフレが始まり、年々物価が急上昇する。
因みに、翌年の昭和22年には、
封書1円20銭、はがき50銭、理髪料10円に。

終戦記念日を前に、つらかった戦後の生活が懐かしく思い出される。
この71年で、逆にすっかり日本人は平和ボケしてしまったのかもしれない。






Commented by semineo at 2016-08-16 00:11
こんばんは
戦後の暮らしの大変さを知らないまま、のほほんと過ごした幸せ者ですが、
親はどんなに苦労した事かと思います。
戦中の預金も国債も紙くず同然に、この話は母がよくこぼしていましたね~。
ほんとうに今は平和で幸せな時代、
もう直ぐですね、どうぞ素敵な旅を楽しんで来てください。

Commented by toshi-watanabe at 2016-08-16 08:58
semineoさん、
暖かなコメントをいただき有難うございます。
モノがなくてもなんとか暮らせた時代を思い返すと、今はあまりにモノがあふれています。
捨てられる食品も相当の量と聞きます。
時代はすっかり変わりました。

12日に、スーツケース3個と大型段ボール箱3個、満杯にして宅急便で発送しました。
明後日は身軽な格好で出かけられます。
元気に船旅を楽しんできます。

by toshi-watanabe | 2016-08-14 09:15 | 一般 | Comments(2)