伊東 潤著「天下人の茶」を読み終える

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伊東潤の「天下人の茶」を読み終える。
帯カバーに「究極の美を求めた男・千利休の死の謎」とある通り、
千宗易(利休)が主人公の時代小説である。
ところが、千宗易自身は序盤と終盤に登場するだけ。

「天下人茶 第一部」
天下人となった秀吉は禁中能を催し、紫宸殿に後陽成帝を迎え、
「明智討」を舞いながら、宗易と初めての出会いのことを
思い出すところから物語は始まる。
信長の天下統一事業が着々と進む天正4年、
信長は妙覚寺方丈で茶会の席を設けた。
左手に3人の武将、右手に3人の商人が居並ぶ。
武将とは、丹羽長秀、明智光秀、そして秀吉。
商人とは、堺の茶匠、今井宗久、津田宗及、そして宗易。
この席で信長は難問をいとも簡単に解決、その知恵に舌を巻いたと、
大げさに宗易をほめちぎるのを聞いて、秀吉は驚く。
茶会の帰り際に二人は言葉を交わす。
宗易の顔つきは愚鈍そのものだが、虚けではないと、秀吉は見抜く。
宗易は堺で生まれ、年齢は信長より12歳、秀吉より14歳上である。
生家は、「魚屋」と呼ばれる納屋業(倉庫業)及び、干し魚の卸業を
営む豪商で、地下請け(自治)を始めていた会合衆の一員として、
堺でも有数の家柄だった。

「奇道なり兵部」
宗易を尊師と仰ぐ、牧村兵部の話である。
渡海軍の一将として朝鮮半島、慶尚南道東端の地に陣を布き、
加藤清正率いる隊の警備に当たっていた。
師の利休居士が亡くなられたとの知らせを受けるものの信じない。
そして師の教えを思い出す。
「数寄の道に常道は邪道」
「奇道こそ侘茶の境地」
「人のたどった道、すなわち常道を行こうとする者に、奇道は見えてきません」
戦の最中、高麗の碗を目にし、これぞ真の侘びと、高麗の碗を
血眼になって探し始める。
「歪み茶碗」を収集できるのだが、角弓の矢を受け、命を落とす。

「過ぎたる人」
利休を尊敬する瀬田掃部は自信作の茶杓を利休に見せると、
削る者の心が映されている、いよいよ一つの
境地に達せられたようだと褒められる。
利休の師匠に当たる武野紹鷗の時代には、
茶杓の真の格は象牙で、草の格は竹と言われていたが、
象牙は高価で、手に入らず、紹鷗は竹を使い、
真の格と草の格の垣根を取り除いた。
その年、利休に感謝の意を示すために、大徳寺の山門に
利休の等身大の木像が飾られたのだが、
これが秀吉の勘気に触れ、利休は蟄居謹慎を命じられる。
そして利休は自害して果てる。
そんな折り、秀吉の姉の子で、秀吉の養子となっていた秀次は、
秀吉との間に隙間風が吹くのを感じるようになる。
秀次と掃部は密談し、ある計画を立てる。
秀次は掃部を使者として秀吉のもとに派遣し、
仲直りの茶会を行いたい旨を告げると、秀吉は提案を受ける。
石田三成が外で警戒する中、茶会の席に秀吉は一人で向かい、
秀次と掃部が対坐する。
象牙の茶杓を準備していたのだが、うまく行かず、
錯乱した秀次は手順を間違え、掃部が秀吉を刺す前に、
掃部を刺してしまう。

「ひつみて候」
古田織部と小堀遠州の話である。
利休が自害の場に向かう船着き場で、最後に会ったのが、
織部であり、利休の跡継ぎとして最も信頼していたのが織部。
秀吉も織部を信頼し、死の直前に二人は話を交わしている。
大坂冬の陣、豊臣家の安泰を願って奔走する織部なのだが、
それが裏目に出て、切腹することに。
介添えをするのが、織部の弟子となっていた遠州。
織部は遠州の能力を認めていなかったのだが、
遠州は徳川将軍家に取り入り、織部流の茶の湯を根絶し、
自分流の茶の湯を進めるのだという。
切腹の場で、織部は初めて遠州の仕業だったと悟る。

「利休形(りきゅうなり)」
蒲生氏郷と細川忠興の二人の間で交わされる話により、
利休像が浮かび上がってくる。

「天下人の茶 第二部」
いよいよ終盤である。
茶の湯の文化を庶民にまで広めるために、
それを理解してくれる天下人の出現が必要。
信長に見切りをつけて、秀吉を見込んだ利休。
本能寺の変へ至るシナリオを描き、演出したのが利休だという。
天正15年10月、秀吉は、高位の公家から浮浪の侘数寄まで
一堂に会した「北野大茶湯」を開催する。
この催しこそ、秀吉と利休が求めてきた茶の湯の敷衍を
象徴する一大行事となるはずだった。
しかし10日の予定だった興業は、わずか一日で終わる。
あらゆる階層の人々が、あらゆる道具を持ち寄って茶を楽しむという、
利休の目指した茶の精神、「一視同仁」を具現化した
一大行事も尻すぼみに終わった。

茶の湯文化を創出した男とその弟子たちに生き様が見事に描かれている。



by toshi-watanabe | 2015-12-23 09:08 | 読書ノート | Comments(0)