澤田 瞳子著「師走の扶持」を読み終える

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澤田瞳子の著書「師走の扶持(しわすのふち)」を読み終える。
サブタイトルとして、「京都鷹ヶ峰 御薬園目録」とある。
目次を見ると、「糸瓜(へちま)の水」、「瘡守(かさもり)」、
「終(つい)の小庭」、「撫子(なでしこ)ひともと」、
「ふたおもて」、「師走の扶持」となっている。
それぞれ独立した短編として読む事が出来るが、
一人の主人公が場面を変えて登場し、全体が一つの物語となっている。

主人公の女性、元岡真葛(もとおかまくず)は京から勉学のため
江戸に下り、本草家の小野蘭山の邸宅、秀方軒に身を寄せている。
蘭山は常房総三州に出かけ、薬草に使われる植物を採取し、
収集した品を整理分類する。
真葛は率先して蘭山のお供をして出かける。
真葛は、京へ戻ることになり、その機会に小石川などの御薬園を訪ねることに。
だいぶ日焼けした真葛の顔を見て、蘭山は気遣い糸瓜水をと、
弟子の延島香山に言いつけたりする。
真葛が香山とともに小石川に出かけると、ある事件に遭遇する。
これが「糸瓜の水」の話である。

長年蘭山の荷持ちをしてきた老爺の喜太郎は齢70歳を迎えたのを機に
伏見の娘夫婦のもとに身を寄せることになり、
真葛のお供をしながら京へ向かう。
これが「瘡守」の話の始まりで、瘡守とは俗にいう梅毒である。
宮宿にたどり着き、対岸の桑名に渡るには七里の渡し。
この宿場町で、瘡守に苦しむ夫婦、伊兵衛とお佐和に巡り合い、
真葛が力になる。
六篇の中で、この「瘡守」の終わりの場面が秀逸、
最も感動的な作品だと思う。

次の「終の小庭」では二人が琵琶湖畔の大津にたどり着く。
真葛の義兄の倅が笑顔で迎えに来ている。
一方喜太郎は娘夫婦が来るのではと期待していたが、期待は裏切られる。
ところが町中で偶然出会った女の子が孫娘のお栄とわかる。
だが喜太郎の顔色は沈んだまま。
さて喜太郎一行が、娘夫婦の家にたどり着くと、
とんでもないことに巻き込まれてしまう。
難事も無事解決し、一同部屋に落ち着くと、
家の狭い庭に所狭しと植えられた薬草が目に入る。

京に戻った元岡真葛は、洛北、鷹ヶ峰で、荒子(あらしこ)たちと
御薬園の手入れに勤しんでいる。
真葛は幼いころ事情があって、藤林信太夫の養女となり、
養父や洛中の名医たちの薫陶を受け、調薬の腕は
信太夫の後を受け継いだ義兄の藤林匡すら凌ぐ。
真葛に縁談が持ち上がり、匡の嫁の初音も絡み、
おかしな事態に展開する。
縁談そのものはうまく行かないのだが、
空け放たれた庭先で、撫子が吹く風に揺れている。
撫子は別名を瞿麦子(くばくし)ともいい、
花後に付く種子は薬となる。
「撫子ひともと」である。

次いで「ふたおもて」。
鷹ヶ峰御薬園出入りで、二条衣棚の薬種屋、亀甲屋の話である。
主の宗平は生薬の買い付けのために始終諸国を飛び回っている。
店の商いはもっぱら25歳になる総領息子の
定次郎に任されている。
ある時、宗平は女性を伴い京に戻り、その後は生薬の
買付に出かけるのをきっぱりやめてしまう。
真葛はその女、お久と宗平の間柄を解き明かし、
何とか力になろうとするのだが、お久は出奔。
人の心は、児手柏の二表(ふたおもて)である。
涼しさを増した秋風が、児手柏の葉を揺らして、
宗平の隠居屋に吹き込んでくる。

最後は書名となっている「師走の扶持」。
真葛の生い立ちが明かされる。
棚倉の御前と呼ばれる従四位下佐兵衛佐、
棚倉静昴は、真葛の母親である倫子の実父。
だが倫子が真葛の父親、元岡玄巳との仲を許されぬまま、
この世を去り、玄巳が長崎遊学の途次に行方知らずと
なったのが二十年前。
だが毎年暮れに、扶持として米と味噌が棚倉家から
藤林家に届けられているものの、
静昴は孫の真葛を引き取ろうとしなかった。
ある時、真葛名指しで往診の依頼がある。
咳病(現在のインフルエンザ)で病の床に臥せっているのは
真葛の母親の弟(真葛にとって叔父にあたる)である棚倉家の跡継ぎ
弾正少弼、棚倉祐光だが、実は仮病と真葛は見破る。
真葛はおのれの身分を話すこともなく、祐光は真葛が自分の姪にあたるのを
知らずにこの物語は終わる。
祐光は何げなく口にする。
「こなたにはとうの昔に亡くなった姉君がおわすのじゃが、
そもじの物言いがふと姉君に似ている気がいたしたのじゃ。
不思議じゃのう。顔かたちや声は、まったく似ておらぬと申すに」
真葛は「さようでございますか」、と小さくうなずいた。
今年で最後になる、師走の扶持。
そのありがたさを噛みしめながら、この二十年の年月に、
一人、礼を述べる。



by toshi-watanabe | 2015-12-12 09:40 | 読書ノート | Comments(0)