澤田 瞳子著「満つる月の如し ~仏師・定朝~」を読む

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澤田瞳子の著書「満つる月の如し ~仏師・定朝~」を読み終える。
澤田さんの作品を読むのは初めてである。
京都生まれで同志社大学のご出身、奈良仏教史がご専門。
2011年に最初の小説「弧鷹の天」を発表以来、著作を続けられている。
本書は2012年3月に単行本して出版され、
「本屋が選ぶ時代小説大賞2012」と
「第32回新田次郎文学賞」を受賞。

著書名のサブタイトルにもある通り、
平安時代後期の大仏師、法橋定朝(じょうちょう)が主人公というか、
主要登場人物である。
平安時代、七條仏所の棟梁として藤原道長や多くの公卿たちに重用され、
当時随一の大仏師と言われた康尚(こうじょう)の息子である。
若いころから仏像彫刻の優れた才が認められ、
やがて仏師として初の法橋を名乗ることが認められ、
康尚を継いで、仏所の棟梁となる。

ところがこの小説は、単なる仏師の物語ではない。
藤原氏と帝との姻戚関係に絡む数多くの人物が登場、
系図を見ながら読み進まないと混乱してしまう。

藤原道長を中心とした藤原氏が権勢を誇る時代だが、
都の治安は悪化の一途、放火、強奪、人さらいといった
物騒な騒動が日常茶飯事。
政と民の暮らしの乖離は甚だしく、それに伴う
人心の荒廃のすさまじさは、凶悪そのもの。
些細な言い争いから起きる乱闘、強奪騒ぎ、
さらに数年おきに都を襲う疫病や旱魃、賀茂川の氾濫など
天地異変も、人々の不安に拍車をかける、
そんな時代背景があった。

上述した通り、藤原氏一族が権勢を誇る平安時代、
内供奉(ないぐぶ)に任じられた僧侶隆範(りゅうはん)は、
才気溢れた年若き仏師定朝)の修繕した
仏像に深く感動し、その後見人となる。
しかし、貧困、疫病に苦しむ人々の前で、己の彫った仏像に
どんな意味があるのか、定朝は煩悶していた。
やがて二人は権謀術数の渦中に飲み込まれてしまう。

著者は膨大な登場人物を自在に操って、
定朝が生きた時代を立体的に描いて行く。
仲でも強烈な印象を与えるのは敦明(あつあきら)親王。
道長によって皇太子の座を追われ、
多くの所領はあるものの、即位の可能性はなく、
いわば飼い殺しの身。
鬱憤を晴らすように暴虐の限りを尽くす。
その敦明親王が幼馴染で従妹にあたる中務(なかつかさ)と
対峙するシーンは圧巻である。

隆範は都を追われ、やがて黄泉の国へ旅立つ。
時代が移り、物語も終盤に。
藤原頼通は極楽往生を祈願して個人所有の
宇治殿を平等院と号し、そこに阿弥陀を
配することを発案、その制作を定朝が引き受ける。
現在の宇治平等院である。
鳳凰堂の本尊として祀られている、
法橋定朝の手になる木造阿弥陀如来坐像は国宝に指定され、
定朝が彫った仏像として確認された唯一現存するもの。
因みに昨年の春、拝観してきたばかりである。

定朝の父親、康尚を支えていた筆頭仏師の一人、
㔟忍(せいにん)の一人息子、覚助(かくじょ)は
独身を通した定朝の養子となり、定朝を継ぐことになる。
定朝は仏像の寄木造を完成させた大仏師であり、
定朝亡き後も定朝様が仏像彫刻の基本として続く。
その後、この仏師集団から三つの派が登場する。
院派、慶派、円派であり、江戸時代まで続く。
鎌倉時代には慶派から運慶などの優れた仏師が活躍する。

定朝の阿弥陀仏にすっかり魅了された公家たちは、
「満つる月の如し」と称えたという。
これが本書の題名となっている。

by toshi-watanabe | 2015-02-28 10:29 | 読書ノート | Comments(0)