葉室麟著「天の光」を読む

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葉室麟さんの最新作を読む。
「天の光」で、昨年「読楽」に掲載されたものに
加筆訂正されて今回単行本として発刊。
私の好きな仏師の物語である。

主人公の柊清三郎は、
福岡藩の普請方五十二石、柊尚五郎の三男に生まれ、
部屋住みの身では行く末が覚束ないと、
仏師の道を志した。
博多の慶派の仏師、高坂浄雲に17歳で入門。

やがて6年の修業を経て、23歳となった清三郎、
仏像を彫っていても、木に仏性を見いだせないのは
自分に力がないからか、それとも仏像の素材となる木に
仏性を宿す歳月が足りなかったのか、と思いをめぐらす。

師浄雲のひとり娘おゆきと祝言を交わす。
師に見込まれたものだが、兄弟子たちからは詰られる。
祝言を前に、兄弟子の玄達は浄雲の門人三人を伴い出奔。
浄雲の工房はすっかり火が消えたように。

その後1年経って、清三郎は己の彫る仏像に満足できず、
師匠の止めるのも聞かず京仏師の元へ。
新妻のおゆきには3年の約束で京の都へ向かう。

ところが、その間に悲劇が起きる
浄雲の工房に盗賊が入り、
浄雲は殺害され、おゆきは乱暴を受ける。
3年後、博多に帰った清三郎はこの惨劇を初めて知る。
おゆきは行方知れず。

その後物語は展開し、
島流しとなるおゆきをおって清三郎は姫島へ密航。

仏像を彫るということは、何という難行苦行なのだろうか。
何かをつかんだ、と思えば、
まだ、その先がある。
どこまでいっても到達するということがないのかもしれない。
そう思えば、仏像を彫るということは、
ひたすら空虚なものに向かって鑿を振るうだけなのかもしれない。
清三郎は漁師小屋で横たえながらそんなことを考える。
そして、自分がおゆきの「天の光」になろうと。
by toshi-watanabe | 2014-07-10 10:39 | 読書ノート | Comments(0)