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童門冬二著「小説 上杉鷹山」を読み終える

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ここしばらく読み続けていた
童門冬二さんの「小説 上杉鷹山」をやっと読み終える。

主人公は宝暦1年(1751)、
九州日向の小藩、高鍋三万石の藩主、
秋月種美の次男として生まれ、
10歳の時に米沢藩主、上杉重定の養子となり、
世子と定まる。
秋月家一本松邸から上杉家桜田邸へ移る。

明和3年(1766)、16歳となり元服する。
時の将軍、家治公の一字を拝領し治憲と改名。
翌年17歳となり、藩主重定隠居の後、
上杉家の家督を継ぎ、第九代米沢藩主となる。

小説はここからスタートする。
江戸桜田にある藩邸の中で、
上杉治憲は庭の池を泳ぐ魚たちを見つめながら、
米沢藩の行く末に思いを馳せる。
池の魚を藩邸の家臣に見立てている。
二年後には藩主として(藩では親方様と呼ばれる)米沢へ初のお国入り
となっているが、藩の財政は破綻し、
商人からも見限られ、改革にも手の施しようもない有様だった。

治憲は藩の重臣からの強い抵抗を覚悟し、
どちらかといえば藩の体制からはみ出した人物、アウトサイダーとも
呼べる人たちを協力者として選ぶ。
側近として長く仕える佐藤文四郎などが登場する。
七家騒動と言われる家老たちの反乱には、
切腹、隠居閉門などの思い切った処置をとる。

彼の藩政改革は、無駄な出費を削減することで
藩の財政を立て直しただけでなく、
殖産の興業によって新たな財源を確保する一方、
民間の活力を高めることに努める。
藩の将来の為に、町民も農民も学べる
学校を設置する。

治憲の施策が幾多の困難を乗り越えて成功したのは、
当時稀有ともいえる民主的な思想を基盤に、
時代の大局を見据える洞察眼を備えていたのだろう。
信念を貫き通した実行力や忍耐力もすごい。

治憲の思想の基になっているのは少年時代に
学んだ細井平洲の影響が大きく、
また外部者として藩を冷静に観察できたということもあるだろう。

米国の第31代大統領、ジョン・F・ケネディが
大統領就任の際、日本人記者団からの質問に答えて、
「私の最も尊敬する日本人は、ウエスギ・ヨウザン」。
その場の日本人記者には、「ウエスギ・ヨウザン」を
知らなかった者も。
ケネディ大統領は、内村鑑三の著作で英訳が出ている
「代表的日本人」からこの知識を得ている。
因みにこの著書の代表的日本人とは、
上杉鷹山のほかに、西郷隆盛、二宮尊徳、
中江藤樹、日蓮の4人である。

童門冬二さんご自身も、この話を聞いて、
「小説 上杉鷹山」を書くきっかけになったと書かれている。

またケネディ大統領が就任演説の中で、
「国家があなた達のためにな何ができるかを問うのではなく、
 あなたが国家のために何ができるかを問うて欲しい」、
これもよく知られているが、
上杉鷹山の思想が取り入れられているのでは。

上杉治憲は35歳で隠居し、養父重定の実子で
世子にしていた治広が家督を継ぐ。
その後治憲は鷹山と改名。
改革に当たる治憲の苦難の道のりが
生き生きと描かれている。

是非とも読んでいただきたい一冊である。
by toshi-watanabe | 2014-04-02 10:45 | 読書ノート | Comments(0)