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国宝・十一面観音を訪ねる(その3)

国宝・十一面観音を訪ねる旅も、
三日目、いよいよ最終日となる。
奈良の宿を発ち、最初に向かったのは
京都府京田辺の観音寺。
広大な同志社大学田辺キャンパスの近くにあり、
普賢寺ともいう。

紅葉の美しい参道を進むと本堂。

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本堂のご本尊が国宝・十一面観音立像。
柔らかみのある顔、女性的な顔立ちである。
衣紋の線も揺れているように見え、全体的になだらか、
とても優雅な表情。

ご本尊を前に、般若心経を唱和する。

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木彫りで原型を作り、木屎漆などを厚く塗りあげて形作る
木心乾漆漆造りの代表例。
奈良時代の作で、聖林寺の十一面観音と似たところがある。
像高は172.7センチ。
輪光と呼ばれる、まさに輪が肩から肩にかけられているように
広がる光背を負っているのが目をひく。

次いで京都市内の六波羅蜜寺を訪ねる。
六波羅といえば、かって栄華を誇った
平家一門の邸宅が建ち並んでいたところ。
また鎌倉幕府の六波羅探題が置かれた地。

真言宗智山派の寺院で、
開基は踊念仏で知られる空也上人。
江戸時代までは大伽藍を連ねていたが、
明治維新の廃仏毀釈を受け、大幅に寺域を縮小し、
現在は、民家に囲まれた、狭い境内に
本堂(南北朝時代の作で重要文化財)と
弁財天堂、宝物収蔵庫のみである。

空也上人が創建した西光寺(のちに六波羅蜜寺に改称)の
ご本尊が十一面観音立像。
十世紀半ばの仏像彫刻の代表作例として、
近年、平成11年に国宝指定を受けた。
秘仏として、本堂内陣中央の厨子に安置されており、
12年に1度、辰年に開帳される。
ご本尊の写真を探してみたが全く見つからない。
色々資料をあたってみたのだが、どこにも掲載されておらず。

本堂前の十一面観音立像。

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この銅像がご本尊のレプリカのようである。
普段ご本尊を直接参拝できない時には、
この像を参拝していると聞く。
なぜ辰年のときだけご開帳なのか、
とにかく1000年以上続いているというので、
疑問に思っていたので、寺の受付の方に聴いてみる。

空也上人が存命の折、当寺には大きな池があった。
そこには龍が住み、参詣者を脅かすなどの悪さをしていたという。
そこで、上人が錫杖をふるって諭されると、
龍は改心して、お寺と参詣者を護る誓いをたてた。
このことから、当山の護り龍として本堂の柱や梁に
龍の姿が描かれ、本尊の開帳が辰年に行われている。

以上のようなお話で、
応仁の乱の折にも兵火から免れている。

国宝・十一面観音菩薩立像の像高は259センチ。
ヒノキ材の一木造、内刳りを施し、
背板をあて、漆箔仕上げ。
量感のある体躯、動感を強調する衣文の表現に比べ、
顔の表情は穏やかな感じ。
鎌倉時代に著された仏教史書「元亨釈書」によれば、
「天暦5年、京都に疫病が流行し死者が相次いだ。
空也上人はこれを憐れみ、自ら十一面大悲像を
刻み祈り、像が完成したころ疫病の流行は止んだ。
洛東において人々は勧進し、一寺を創建した。
六波羅蜜寺と称し、この十一面観音菩薩立像を安置した」。

宝物収蔵庫には、世に名高い「空也上人立像」、「平清盛坐像」、
「地蔵菩薩立像(鬘掛地蔵)」、「弘法大師坐像」、「運慶坐像」、
「湛慶坐像」、「地蔵菩薩坐像(夢見地蔵)」など、
多くの仏像が安置されている。

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境内では、「無事かえる」や「なで牛」などが目につく。

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昼食後、京都から滋賀県の湖北へ。
滋賀県木之本町の鶏足寺を訪れる。
寺とは名ばかりで、昭和8年に焼失し、
その後は事実上廃寺となっている。
伝来した仏像は地元住民により大事に護られ、
新たに建てられた収蔵庫に安置されている。
鐘楼は残っている。

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二つの収蔵庫、「己高閣(ここうかく)」と「世代閣(よしろかく)」を見学する。
木造薬師如来立像、木造菩薩立像(魚籃観音)」など
多くの仏像が安置されている。

敷地内には、朽ちた薬師堂や大日堂などが残され、
格子戸から堂内を覗いてみると、
大日如来や阿弥陀如来が目に入る。
まだ収蔵処理はすべて終わっていないようだ。

近辺の、のんびりとした田園風景。
丘の上には冬桜がぽつんと咲いている。

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今回最後の訪問先は、高月町の向源寺。
真宗大谷派の寺院で、通称は渡願寺観音堂。
ご本尊は国宝・十一面観音菩薩立像。
この観音様は一度上野の国立博物館で拝顔している。

本堂と境内。

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観音堂の中央に十一面観音は安置されている。
驚いたことに、内陣の奥に祀られている形ではなく、
お堂にそのまま置かれ、
周りを簡単にかこってあるだけ。
一回りすると、前後左右から拝観できるのは有難い。
瞑想するかのような慈悲深い表情、
ふくよかな胸や腹の肉付け、
腰を捻って立つ、すらりとした肢体など
その類いまれな美しさ。
日本に現存する十一面観音の白眉と言える。

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平安時代の作で、像高は195センチ。
ヒノキの一木造で、頂上の菩薩面と瓔珞()ようらく)を
除いて蓮肉まで一材で作られている。
頭上の小面は大振りで、普通は仏面にする頂上面を菩薩面にし、
また、耳の後ろに小面をつけ、
耳には大きな耳環(じかん)を着けている。
これは他の十一面観音には見られない特徴である。

後頭部に位置する顔は暴悪大笑面と呼び、
正面の穏やかな表情と異なり、独特の顔をしている。

これで現存する国宝・十一面観音菩薩立像を
すべて拝観したことになる。
大変ありがたい機会を持てて、幸運というよりほかにない。
寺院によっては、内陣の外から、
はるかに拝顔せざるを得ないところもあったが、
それは致しかたない。
また訪れてみたいものである。
Commented by desire_san at 2021-07-12 07:22
こんにちは、
私も聖林寺『十一面観音立像』を見ましたので、詳しく丁寧なブログを読ませていただき、この仏像を見た時の感動を再体験させていただきました。
聖林寺『十一面観音立像』の胸から引き締まった腹部にかけての曲線のラインと肩から手先までの柔らかな艶めかしいほどまろやかな指先、衣文の曲線は実に優美で表現も美しく、腕から垂れた部分の曲線の美しさの見事な造形美に魅せられました。威厳のある顔立ちと引き締まった表情で、眼球の膨らみがしっかりとあり、目尻が少し上がって強い眼差しに、人々を救うための強いご覚悟が伝わってきます。

私も、聖林寺『十一面観音立像』の魅力の本質を広い視点で掘り下げてレポートしてみました。ぜひ一度目を通していただきお役に立てることを願っています。ご感想・ご意見などありましたら、ブログにコメント頂けると感謝いたします。
Commented by toshi-watanabe at 2021-07-12 14:21
こんにちは!
コメントをいただき有難うございます。
今丁度、東京国立博物館にて特別展が開催中で、聖林寺の「十一面観音菩薩立像」をご覧になられたのですね。
ブログ拝読させていただきました。
9年前に聖林寺を訪れた時の事を思い出しました。
Commented at 2021-09-20 05:46 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 十一面観音 at 2021-09-20 05:47 x
十一面観音
Commented by 秋谷綾乃 at 2021-09-20 05:48 x
井藤瞬
by toshi-watanabe | 2012-11-15 10:42 | 寺院・仏像 | Comments(5)

日々見たこと、 感じたこと、気づいたことをメモする


by toshi-watanabe