上野寛永寺等を訪れる(続き)
2012年 08月 27日
いよいよメインの訪問先、東叡山寛永寺に向かう。
狭い道をバスは行きつ戻りつ、
ドライバーさんも大変な苦労である。
寛永寺は寛永2年(1625)、慈眼大師天海大僧正
により創建された。
徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願し、
江戸城の鬼門(東北)に当たる上野の台地に建立。
比叡山延暦寺の創建に倣っている。
山号は東の比叡山という意味で東叡山とし、
寺号も延暦寺同様、創建時の元号を使用し、寛永寺と命名。
寛永寺の境内地は、最盛期には現在の上野公園を
中心に約30万5千坪に及び、
さらにそのほかに大名並みの約1万2千石の寺領を有した。
安政時代の寛永寺山内図と現在の山内図。
当時は現在の噴水広場付近に壮大な根本中堂が建立され、
現在、東京国立博物館の土地に本寺が建立され、
小堀遠州による名園が作庭された。
さらに清水観音堂、不忍池瓣天堂、五重塔(上野動物園内にあるため、
東京都に譲渡された)、開山堂、大仏殿などの伽藍が並び立っていた。
幕末の戊辰戦争では、境内地に彰義隊がたてこもって
戦場と化し、官軍の放った火により全山の伽藍の大部分は、
灰燼に帰してしまった。
さらに明治政府によって境内地は没収。
明治12年(1879)、ようやく寛永寺の復興が見とれられ、
川越喜多院より本地堂を移築、山内本地堂の用材を加えて、
新たに根本中堂が再建された。
避難していた伝教大師昨のご本尊、薬師如来や
東山天皇御宸筆の「瑠璃殿」の勅額が根本中堂に安置される。
関東大震災、太平洋戦争の空襲などで被災したものの、
戦後は新たに霊園を造成し、
広く東京都民や有縁の人々に開放された。
現在の境内地は約3万坪。
天台宗別格大本山の格式を有している。
根本中堂(瑠璃殿)で参拝。
須弥壇中央には厨子があり、
厨子には重要文化財の秘仏ご本尊、
薬師如来、日光菩薩、月光菩薩が祀られている。
薬師三尊像は平安時代の作。
秘仏で公開されていない。
厨子の両脇、須弥壇上には、
四天王像、毘沙門天像、不動明王像、十二神将像等が
所狭しと祀られている。
四天王像は江戸時代の作で、台東区の登録文化財に指定。
朝胤師指導の下に皆で般若心経を唱和。
寛永寺の僧侶のご案内で、霊廟と特別参拝する。
5代将軍、綱吉公の宝塔(青銅製の立派なつくり)、
8代将軍、吉宗公の宝塔、
十三代将軍、家定公の宝塔と天璋院(篤姫)の宝塔に案内される。
御台所では天璋院のみである。
因みに15人の徳川将軍のうち、6人の将軍が寛永寺、
6人の将軍が芝増上寺で眠る。
初代家康公と3代家光公は東照宮。
皇女和宮は14代家持とともに増上寺で眠る。
寛永寺の次は最後の訪問先、根岸の千手院。
本堂には千手観音が祀られている。
ご本尊を前に、全員で般若心経を唱える。
別棟の五智堂には五智如来が安置されている。
大日如来を中心に左側に阿閦(あしゅく)如来、多宝如来、
右側に阿弥陀如来、釈迦如来が祀られている。
いずれも江戸時代の作。
お盆の季節の限られた日にご開帳。
こういう形ごち如来が祀られているのは関東地方では珍しい。
参拝後冷たい飲み物の接待をいただく。
この寺院は、花の寺としても知られる。
残念ながら、この季節は百日紅の花ぐらいしか
見当たらない。
今回の東京下町散策は無事終了。
午後5時ごろ、上野駅前で解散となる。
東京文化財シリーズ、とても楽しそうで、
watanabeさんにはピッタリのツアーですね。
(第三回の時には我家の近くまで来られたのですね。)
上野界隈も知らない所ばかりです。
ブログで詳しくご案内下さり。嬉しいです。
夏らしい幽霊画、興味あります。
それにしても毎日暑いですね~。
早々とコメントいただき有難うございます。
今年は本当に暑い日が続きます。
横浜は猛暑日ゼロになっていますが、実感としては35度超の時もあると思います。
上野界隈、私も今回はずいぶん新しい発見がありました。
明日の勉強会よろしく。
コメント有難うございます。
通称トーハクと呼ばれる東京国立博物館、かなりの広さです。
建物もいくつかあり、全部見て回ると相当時間がかかります。
特別展が開催されるのは、「平成館」です。
上野にも大仏があったのです。
今は仏頭だけ。
コメントいただき有難うございます。
ブログに書き込んだことが多少は参考になったようで、
大変うれしいです。
個人的にあちこちと仏像拝観に回っていますが、
クラブツーリズムのツアーでも、時々興味深い
ツアーがあり、参加しています。
寺院・仏像巡りのパンフレットがあります。
クラブツーリズムのツアーを調べて見ます。今後のブログも楽しみにしています。