横浜永田の宝林寺を訪れる
2010年 11月 17日
横浜市南区永田にある「宝林寺」を訪れる。
「仏像を学ぶ会」、本年最後の仏像拝観である。
いつもと同じ20名ほどの仲間が現地集合。
横浜の地下街で昼食をとり、京浜急行に乗り、
「井土ヶ谷」駅で下車。
バスの便もあるのだが、歩いても10分ほどと
聞いていたので、寺院まで歩く。
住宅地に入ると、すぐ目の前に山門。
臨済宗鎌倉円覚寺派の末寺で永田山と号す。
応永26年(1419年)、大雅省音により開山されたとある。
本堂へ向かう石段。
左手に鐘楼が見える。
現在鐘楼に架けられている梵鐘は新しいもの、
江戸時代寛政2年の銘の彫られた梵鐘は外して保存されている。
過日、「あすへの話題」という新聞のコラムに、
JR九州会長の石原進さんが、博多駅近くの聖福寺について書かれていた。
聖福寺は建久6年(1195年)、栄西禅師が開いた日本最初の禅寺とされている。
江戸後期の禅画で名高い仙厓和尚もこの寺の住職を務めた。
九州に向かう前、仙厓さんは宝林寺で修行されている。
鎌倉円覚寺の老師がこの地に東輝庵という庵を建て、
隠棲を過ごす時代があったようだが、
この東輝庵は今はない。
掛け軸、額画など、歴史資料が残されており、
横浜市の文化財に指定されている。
本堂は木造の堂々とした建物である。
松材の太い梁が目につく。
中西住職が出迎えられ、本堂に上がる。
寺院の来歴などを説明いただく。
内陣とご本尊の木造釈迦如来坐像。
左手に安置されている不動明王像。
釈迦如来像は、平安時代後期の作とされ、
もともとは薬師如来だったという話も伝えられている。
右肘先、左手先はあとで補修されたもので、
今となっては判断は難しい。
また光背と台座もオリジナルではなく、のちのものである。
像高は52センチ、光背高は90.2センチ、台座高は47.8センチ。
寄木造、彫眼、肉身部は漆箔である。
ご本尊拝顔後、奥の居間に通され、
お茶と紋章付の干菓子の接待をいただき、ありがたくご馳走になる。
部屋には暖房用のストーブも用意され、
心配りに感謝の念を抱くばかり。
釈迦如来坐像は 木像にはみえませんね~
よく磨かれているのでしょう・・・
不動明王像は 迫力があって すごです
後ろの炎はのちにつけられたものなのですね
岡芝玉堂の孫